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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十章 未完の新秩序編

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190 生じた空白

 皇国がアルビオン連合王国との間でアジアの勢力圏を分割する協約を結び、南泰平洋における漁業協定についての交渉が続けられる中、ルーシー帝国とマフムート朝を巡る問題もまた進展を見せつつあった。

 両国間の調停のために動いていたアルビオン連合王国、帝政フランク、プルーゼン帝国、エステルライヒ帝国、秋津皇国の五ヶ国に、七月二十八日、帝政フランク経由でルーシー帝国皇帝(ツァーリ)パーヴェル三世自らが起案したと言われる調停案がもたらされたのである。

 それは、五国海峡協定の参加国によるマフムート朝領土の現状維持を保障した上で、ルーシー帝国によるマフムート朝領内の十字教徒の保護を認める、という内容であった。

 つまり、ルーシー帝国はマフムート朝の領土を併合しない代わりに、マフムート朝領内の十字教徒問題を理由に同国に干渉する権利を列強各国に認めさせようとしたのである。

 ある意味で矛盾する内容の案ではあったが、一方でパーヴェル三世がいささか武力南進に慎重になりつつあることが判る内容でもあった。

 七月二十八日時点では皇国が売却した二隻の巡洋艦がマフムート朝帝都イスティンボリスに到着し、すでに有智山宮剛仁親王率いる重巡海門との合同訓練が開始されていた。

 こうした黒海における海軍戦力比の問題から、ややパーヴェル三世は慎重な決断をする必要性を感じるようになったのである。

 また、このツァーリはアルビオン連合王国と秋津皇国が急速に結びつきを強めている現状に警戒感を覚えており、マフムート朝方面での武力南進の限界を自覚しつつあった。

 見方によっては性急ともいえる大斉帝国西部地方・回疆への侵攻も、斉の弱体化が明らかになったからというのもあるのだが、皇国がシビルア方面で回教勢力を利用した攪乱工作を行うのではないかと警戒していたというのが大きい。

 そうした後顧の憂いを断つべく決断した回疆侵攻であるが、マフムート朝領内の十字教徒自治領進駐と合せて、かえって秋津皇国とアルビオン連合王国の接近を加速させる結果を生んでしまった。

 まずこれが、ツァーリ一つ目の誤算であった。

 さらに結局、このルーシー帝国皇帝による七月二十八日案は、調停のための国際会議を続ける五ヶ国に認められなかった。

 秋津皇国とアルビオン連合王国はルーシー帝国によるマフムート朝への干渉をそもそも容認するつもりはなかったし、ルーシー帝国寄りの帝政フランクも含めて、西洋列強はルーシー帝国のみにマフムート朝領内の十字教徒を保護する権利を与えるつもりはなかった。

 この地域に影響力を及ぼしたいと考えているのは、ルーシー帝国だけではなかったのである。

 帝政フランクにしてもルーシー帝国と同じ十字教国家であるとはいえ、帝政フランクは普遍派、ルーシー帝国は正教会派と宗派が分かれており、ルーシー帝国のみにマフムート朝領内の十字教徒保護権を与えることには拒否反応を示していた。

 帝政フランクが三国干渉に参加し、東方問題でもルーシー帝国寄りの態度を取っているのは、あくまでもアルビオン連合王国、秋津皇国に対抗するためであり、決して親ルーシー感情から来るものではなかったのである。

 そうした点を、このツァーリは読み違えていたといえるだろう。

 これが、パーヴェル三世二つ目の誤算であった。

 結果、七月二十八日案は翌八月五日、五ヶ国によって否定されてしまった。さらに皇国からの巡洋艦二隻が到着したことによってマフムート朝皇帝(スルタン)アブデュルカーディル一世の態度も強気なものになりつつあった。

 八月二十日、このスルタンは調停案はルーシー帝国軍のマフムート朝領内からの撤兵を含む内容のものでない限り受け入れることは出来ない、という声明を発表したのである。

 マフムート朝にはバルバロス・ハイレッディン、トゥルグート・レイスの巡洋艦二隻の他、同じく皇国から買収した二十二年式歩兵銃とその弾薬が紅海から陸路で帝国内に運び込まれていた(銃や弾薬は陸上輸送が出来るので、二隻の巡洋艦のように南方大陸を大きく回り込む必要はない)。皇国からの牢人集団も、傭兵としてマフムート朝に集結しつつあった。

 こうした軍事力の強化が、マフムート朝の態度を強硬なものとしていたといえよう。

 結局、八月下旬になっても調停は成功せず、マフムート朝を巡る情勢は徐々に緊迫感を増しつつあったのである。

 一方、三国干渉に参加して秋津皇国への強硬外交を展開していたヴィンランド合衆国であったが、奴隷制などを巡る国内の矛盾は、秋津皇国という国民共通の敵に目を向けさせるだけでは糊塗出来ないほどに拡大しつつあった。

 国内では、政党やその支持者、あるいは奴隷解放論者、奴隷制維持論者たちの間での政治的対立が激化していたのである。

 北部出身の大統領に対する南部出身者たちの不満はいよいよ高まっており、現地の大使や領事からはヴィンランド合衆国は北部と南部で分裂するのではないかという情勢判断ももたらされていた。

 ある意味で、アルビオン連合王国との勢力圏協約を成立させた秋津皇国は、諸外国からの外交的圧力を気にすることなく、独自の国策をとり得る情勢下に置かれていたといえよう。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 そうした中、六家の中でも最大の実力者と見られていた有馬頼朋翁が倒れたことは、戦後や対ルーシー戦役を見据えた国策の策定に重大な混乱を与える可能性を秘めていた。

 冬花が予測した通り、頼朋翁は皇都郊外の別邸で自慢の庭園を自ら手入れしている最中、暑気あたりで倒れたらしい。

 老年者の暑気あたりは重症化しやすい。実際、頼朋翁には意識の混濁が見られるという。

 頼朋翁の侍医は、医師や屋敷の使用人以外の一切の人間からの面会を謝絶した。六家長老である以上、政治的な意図から面会を希望する者は多い。

 それがすでに高齢となっている翁の心身に負担を与えてしまうことから、侍医は一切の面会を謝絶しているのだという。

 景紀も別邸の門まで訪れて見舞いの品と書簡を届けただけで、実際に病床の頼朋翁と会うことは出来なかった。

 皇都ではこのように面会を謝絶しても、それを希望する者が後を絶たない恐れがあることから、侍医や側近たちは頼朋翁の身柄を有馬家本領の南嶺に移すことを考えているという。

 どの道、意識が混濁しているのならば、どこにいようと政治的指導力は発揮出来ないだろう。

 景紀は別邸からの帰途、今後の国内政局の混迷を予想して深く溜息をついてしまった。


「なんや皇都もきな臭くなってきたなぁ」


 景紀の護衛として付いてきた元牢人の忍・朝比奈新八の西方弁も、この時ばかりは深刻な響きを持っていた。


「僕もいろいろなところにちょいちょい顔を出しとるんやが、攘夷派の連中も、もう誰が何をやっとるんか判らなくなっとる感じや」


「ったく、伊丹公も一色公も、攘夷派を名乗るならそういう連中の手綱はしっかり握っとけよな」


 別邸から続く坂道を下りながら、景紀はぼやいた。

 軍監本部長暗殺未遂事件もそうだが、突発的な凶行に及ぶ連中が最も始末に負えないのだ。行動の予測が付かず、警戒するにも限度があるからだ。

 今は要人の警護を厳重にして、万が一の暗殺に備えるしかない。


「で、結局、どうするの?」


 同じく護衛として河越から付いてきた冬花が尋ねる。


「父上と相談だが、とりあえず懸案になっている満洲利権の問題をどうにかする必要があるだろうな。その後は、今後の国策か。一色公あたりが皇国勢力圏内での自給自足圏(アウタルキー)構想を抱いているらしいが、それって各家の持つ植民地利権を手放して国家の下に一元的に集約するってことに繋がるんだよなぁ……。何だか、また揉めそうだな」


「だとしたら、一色公はいつから中央集権論者になったのかしら?」


 怪訝そうに、冬花が首を傾げる。


「いや、中央集権論者って言うよりも、自分たち攘夷派で権力を掌握したいってだけの話だろ? 本当に近代国家としての中央集権化を目指している人間なら、軍監本部の立てた戦争計画を無視して独走するようなことはしない。結局、自分の思い通りに国や軍を動かしたいだけなんだろうよ」


 景紀は、一色公直の政治構想をそのように見ていた。


「だとしたら、この状況はかなり攘夷派にとって有利なんじゃないの?」


「まあ、頼朋翁が倒れた今、六家の中で最年長は伊丹公だからな。それに一色公も政治的策動には積極的な人間。対してこっちは父上の腰がどうにも定まらない上、長尾家は自家の権益の確保にのみ血道をあげて、有馬貞朋公は遼東半島で総督府設置の準備中で内地にいない。斯波公はそもそも政治的に積極的に動こうとする人間じゃない」


 攘夷派に対抗出来る政治勢力が、存在していないも同然なのだ。


「……多喜子の奴が男だったら、まだやりようがあったんだろうけどな」


「それ、本人の前で言ったらぶっ飛ばされるから気を付けなさい」


 政治的な野心を燃やしている長尾家の姫君について妙なことを口走る主君を、冬花は呆れたように注意した。

 景紀は懐から金平糖の入った巾着を取り出して、何粒かまとめて口に放り込んだ。しばらく舌で転がして甘みを味わってから、一気に噛み砕いて呑み込んだ。


「新八さん」


「うん?」


「二年前、俺がこの坂を下りながら新八さんに言ったことを覚えているか?」


「覚えとるよ」


 攘夷派が民衆の支持を失うように、内部で粛清を繰り返す、あるいは民衆を無差別に巻き込む血生臭い集団だと認識させるという工作の方針。


「やれるか?」


「んー、若はどっちを希望しとる?」


「内部粛清。流石に民衆を巻き込むようなやり方は好かん」


「まっ、それを聞いて安心したわ」


「それで、出来るのか?」


 頼朋翁が世論誘導を行おうとしていた手前、翁の面子を立てる意味でも景紀独自の行動は控えていたが、あの有馬家大御所が政治の表舞台から姿を消したのならば遠慮することはないだろう。


「何せ、怪文書の内容だけで軍監本部長を暗殺しようとする輩や。激発する方向を誘導してやれば、まあ、何とかなるやろな」


「時期としては、急進攘夷派がまた何か事件を起こした後あたりだ。攘夷路線での内部対立。それを演出するんだ」


「まあ、若の言う通りにやってみるわ」


 新八はへらりと軽薄な笑みを浮かべて、どこかへと消えていった。


  ◇◇◇


 攘夷派による暗殺事件が発生し、六家最大の実力者・頼朋翁が倒れたというのに、皇都の人々は普段通りの生活を送っているようであった。

 結城家皇都屋敷へと戻るため馬鉄に乗っている景紀は、乗客や車窓から見える通りの人々の様子を見てそう思った。

 未だ対斉戦役によって馬や馬車が徴発された影響が残っているためか、個人の馬車や辻馬車の姿は少なかったが、それ以外で皇都の様子に変化はない。

 まるで、不穏な騒動は自分とは関係ないとでも思っているかのようであった(後世の心理学用語でいうことろ「正常性バイアス」が働いていたといえる)。


「何だか、私たちと皇都市民たちとの落差を感じるわね」


 馬鉄から降りて結城家皇都屋敷へと向かって歩きながら、冬花が景紀の内心と同じような感想を零した。


「まあ、為政者とそうじゃない人間の差、ってことなんだろうな」


 景紀は、皇都市民たちの様子をそう評した。だからこそ、彼らの中から無責任に攘夷派を支持するような意見を持つ者たちも現れるのだ。

 一昨年の宵誘拐事件では事件を利用して景紀は攘夷派の危険性を喧伝することに努めたが、報道の内容は景紀の存在を疎ましく思った佐薙成親と攘夷派浪士が結託して起こしたもの、という形になっている。

 景紀の意図した通り、自身の娘すら暗殺のために利用する佐薙成親、まだ十五の少女を誘拐する攘夷派浪士に皇都市民たちの批難は集まったものの、一方でどうしても将家同士の暗闘という印象は報道から拭い去ることは出来なかった。

 また、攘夷派といっても批難を集められたのは浪士のみであり、攘夷派政党や院外団にまで世論の矛先を向けさせることは出来なかった。

 そして三月に起こった宵襲撃事件の影響もあり、今では皇都市民の中で一昨年の宵誘拐事件は攘夷派浪士による騒擾事件というよりも、佐薙家による騒擾事件として記憶されてしまっているようであった。

 さらに今回の三国干渉とルーシー帝国の武力南進による対外強硬論の高まりによって、攘夷派は再び民衆から一定の支持を集める存在となってしまった。

 ここで有馬頼朋翁不在の六家において、攘夷派から盟主のように見られている伊丹正信が政治的主導権を握ることに成功すれば、景紀は危うい立場に立たされることになる。


「……」


 と、景紀の護衛として付き従う冬花の雰囲気が変わったことに気付いた。


「どうした?」


「……どこかの術者の式ね」


 一昨年の宵誘拐事件の記憶を思い出していたからか、景紀はどこか懐かしい問答に感じてしまった。あの時も、丞鎮とか名乗る怪僧の式に冬花が気付いたことがあった。


「俺たちの監視、ってわけか」


「そうみたい。また攪乱の霊力波を放っておくわ」


 冬花が着物の袖の下で刀印を切った。


「で、今回はどこだと思う?」


「この状況で俺の動向を一番知りたいのは、伊丹公か一色公だろうな。頼朋翁との関わりが深く、しかもあの二人と政治的に意見を異にしている。ただ、確証はない」


「でしょうね」


 シキガミの少女の瞳に、剣呑な決意の色が浮かぶ。


「でも、今度は不覚をとるつもりはないわ」


「ああ、頼りにしている」


 景紀と冬花は不穏な気配と混迷の予兆を感じながら、結城家皇都屋敷の門を潜ったのであった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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