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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十章 未完の新秩序編

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187 兵部省の怪文書

 河越城内にある結城家当主の執務室で彩城国の政務を行っていた景紀の元に、気になる情報が入ってきたのは、八月十日のことであった。


「兵部省内に怪文書だと?」


「はい。皇都鎮台や第一師団などにも、ばら撒かれたそうです」


 報告してきたのは、貴通であった。その写しを、彼女は景紀に渡す。


「……」


 その紙片に目を落とした景紀の目が、険しそうにすぼめられた。

 そこに書かれていたのは、兵部省軍監本部長・川上荘吉少将に対する批判であった。対斉戦役中、征斉大総督・長尾憲隆大将によって立案された冬季攻勢計画を、軍監本部が反対したことは六家が皇主陛下よりお預かりしている軍権、つまりは統帥権に対する重大な干犯であるというのである。

 さらに川上少将が戦役中に六家当主などに提出した、徴傭船舶・船員問題に関する建白書も問題視されていた。

 この問題は宵が宮内省御霊部長である浦部伊任に働きかけたことで宮中を動かすことが出来、徴傭船員に対するある程度の保障を実現したわけであるが、これもまた軍監本部長としての越権行為であると批判されていた。

 川上少将は六家次期当主の姫君に取り入り、宮中にも影響力を伸すことで六家に対する下克上を目論んでいる、などと書かれていたのである。


「出所は判っているのか?」


 宵が民を思って奮闘したことまでが批判の対象となっていることに、景紀は不快感を隠せなかった。


「怪文書の出所が判れば、誰も苦労しませんよ」


 溜息交じりに、貴通は首を振る。


「ったく、父上が家臣団の統制をしっかりしていないから、こういうことになるんだ」


 景紀は机の上に怪文書を放り投げた。

 川上少将の態度が結城家家臣団として相応しからずとして、諭旨退職を迫ろうとした動きがあったことを、彼は宵から聞いている。

 そういう中央に出向している家臣団出身者と、本領の家臣団との間の確執が生まれてしまうのはある程度やむを得ないにしても、ここまでの亀裂を生んでしまったのは父の政治的求心力が低下している所為だろうと景紀は考えていた。

 もちろん、この怪文書をばら撒いたのが結城閥系の人間であるとは断定出来ない。

 伊丹公や一色公が、もしかしたら生起するかもしれない対ルーシー戦役に備えて、自家に都合の良い人物に軍監本部長をすげ替えるために行った工作かもしれない。

 あるいは、冬季攻勢を主導した長尾家の人間の仕業であるかもしれない。

 だが、当主の庇護がしっかりしていれば、このような怪文書が堂々と兵部省内に出回ることはなかっただろう。


「冬花」


「はい」


 補佐官として景紀の側に控えている冬花が応じた。


「皇都の父上に電報、いや、それだと握り潰す奴が出てくるかもしれん。英市郎に呪術通信だな。冬花を戦場に連れ出した件があるとはいえ、流石に俺からの通信を握りつぶすほどの度胸はないだろう。この怪文書の件で父上に相談があると伝えてくれ。明日、皇都に向かう、と」


「判ったわ。父様に連絡して、御館様に伝えてもらうようにするわね」


 冬花はただちに呪術通信用の文面を作成する。それを景紀がさっと確認して、承認。景忠の側に付いている冬花の父・英市郎経由で景紀からの連絡を行う。

 下手をすれば中央政府、特に兵部省内での六家の派閥構造が変わりかねない。

 景紀はかすかに苛立ちを覚えながら、その日の政務を続けたのだった。


  ◇◇◇


 翌八月十一日、景紀は冬花、貴通を伴って結城家皇都屋敷へと向かった。


「怪文書の件は、私のところにも報告が来ている」


 景紀が父・景忠に尋ねると、困惑気味の反応が返ってきた。父自身も、今回の怪文書散布の件は唐突だったのだろう。

 少なくとも現状、六家の間で兵部省の人事を巡る争いは起こっていなかった。対立を続けているのは、依然として満洲の利権分配問題についてであったのだ。

 そこに突然、軍監本部長を誹謗する内容の怪文書が飛び交ったのである。


「父上、速やかにこの問題の火消しに走らねばなりません」


 景紀は強い口調で進言した。


「しかし景紀よ、川上めが軍監本部長としての分をいささか弁えていないことも事実であろう? 冬季攻勢の件と言い、徴傭船舶問題の件と言い」


「父上も、今次戦役での冬季攻勢には反対しておられたと聞きますが?」


「私が反対する分には問題あるまい。六家当主として、陛下より軍権をお預かりしている身だ。しかし、川上めはそうではない。それが、問題なのだ」


「軍監本部は皇国陸軍の統一的運用を図るために創設された組織です。陛下に任命された兵部大臣を通して、陸軍の統一的運用に関して意見を述べる権限はあるでしょう」


「それは一つの法解釈に過ぎんし、また帷幄上奏権を持つ我ら六家よりも軍監本部長の権限が上であるとの解釈は成り立たぬだろう。ましてや、あやつは少将の身であるのだぞ?」


 軍監本部長が少将だからと、その職掌範囲を無視・軽視するような発言は、戦役中に一色公直からも聞いていた。それと同じ台詞が父の口から発せられたことに、景紀は頭の痛くなる思いであった。

 六家次期当主の少年は小さく溜息をついて、続けた。


「……ここで父上と神学論争をするつもりはありませんが、少なくとも結城家家臣団出身者が虚仮にされたことには変わりありません。我が家の面子からも、この問題を看過すべきではありません」


「それはそうであるが……」


 逡巡する父の姿勢に、景紀は今度は内心で溜息をついた。

 結城家当主として主家への忠誠が疑わしい家臣に断乎とした対応を取るべきか、あるいは結城家としての面子から庇うべきなのか、判断がついていないようであった。

 そもそも、川上荘吉少将の結城家への忠誠を疑うという点からしてすでにおかしいのだ。彼は中央政府、兵部省の人間であり、陸軍の統一的運用に責任を負う軍監本部長の立場にある。必然的に、結城家のためだけに軍を壟断することは出来ないのだ。

 その意味では、川上少将は結城家家臣出身という意識に捕らわれることなく、軍監本部長としての己の職責に忠実であるとも評価出来た。

 何より景紀にとっては、自らの発案した紫禁城降下作戦を採用してくれた人間でもあった。恩義というほどの感情があるわけではないが、少なくとも世話になった相手ではある。


「ここで兵部省での人事問題、派閥抗争を起こせば、さらなる六家の対立軸が生まれかねません。ルーシー帝国の問題が予断を許さない以上、不用意な軍監本部長更迭は得策ではありません」


「……」


「父上が動かれないのであれば、俺が動きますが宜しいですか?」


「お前は、川上めを庇うつもりなのだな?」


「当たり前でしょう。このような怪文書に惑わされたとなれば、結城家として鼎の軽重を問われます」


「……」


 景忠はまだ逡巡しているようであった。


「父上」


 景紀が強く言えば、父はようやく重い口を開いた。


「……判った。お前が自身の将来のためにあの男を必要だと思うのであれば、そうするが良かろう」


 それは、景紀が次期当主であることを前提にしての決断であった。


「ありがとうございます」


 景紀はどこか気疲れした気分で礼を言い、父の前を辞した。


  ◇◇◇


 翌八月十二日、景紀は軍監本部長・川上荘吉少将との面会を取り付けた。

 一方、主家次期当主から面会の申込を受けた川上少将の方は、またしても辞表を用意することになった。あの建白書の件以来、結城家の中で自分に対して諭旨退職を勧告すべしという声が上がっているのを、彼は知っていた。

 宵姫が川上の建白書を受け入れたために、そういう声は一応、なりを潜めていたが、今回の件で再燃した可能性はある。

 主家次期当主からの面会申込は、自身にいよいよ諭旨退職を勧告するためのものではないかと受け取ったのだ。

 面会は、兵部省庁舎の談話室で行われた。軍監本部の執務室は作戦や兵站に関する機密情報の書かれた書類が保管されているため、次期当主補佐官とはいえ軍人ではない冬花を入室させるわけにはいかなかったからだ。


「今日はお時間を割いていただき、ありがとうございます」


 川上少将の覚悟とは裏腹に、結城家次期当主の態度は慇懃なものであった。純軍事的に考えれば少将として川上の方が景紀よりも先任であるから当たり前なのだが、そこに封建的価値観が混ざり込んでいる皇国陸軍では珍しい態度であるとも言えた。


「先日の怪文書問題について、いろいろとご心配のことと思います」


「まあ、そうですな」


 少将として先任の川上であるが、彼もまた主家次期当主を相手にしているので丁寧な口調にならざるを得ない。


「俺としては、このような問題に惑わされずに、川上少将には軍監本部長としての責務を全うしてもらいたいと考えています」


「……それは公爵閣下のご意向ですかな?」


「俺自身の意向ですよ。保証としては、弱いと感じるでしょうが」


「結城少将、いや、もう若と呼ばせていただきますが、正直、私としても軍監本部長はそろそろ辞め時ではないかと思わないこともないのですよ」


 疲れた息を漏らして、川上少将は続けた。


「対斉戦役中は、六家のごたごたに巻き込まれ過ぎました。そして今回の事態です。嫌気が差した、というのは不適当な言い方かもしれませんが、それに近い感情がないこともないのです」


「しかし、現時点で辞められては怪文書が真実であったと示すようなことになります。配置換えにせよ、予備役編入にせよ、後ろ指を指されながらこれからの人生を歩むようなことになりかねません。俺としては、紫禁城降下作戦の後押しをしてくれましたし、宵も世話になりました。今しばらく、川上少将に軍監本部長を務めてもらいたいと思っています」


「宵姫様に世話になったのは、むしろ私の方だと思いますがね」


 川上少将は苦笑を浮かべた。


「まあ、若や姫様のような方が次代を担われるのであれば、結城家は安泰でしょう」


「少将」


 景紀は強めにそう言った。それに、軍監本部長を務める相手が苦笑を浮かべる。


「若からのせっかくのお言葉です。もう少し、この職に留まることに……」


 川上少将がそう言いかけた刹那のことだった。

 突然、談話室の扉が乱暴に開かれた。

 何事かと四人の視線が扉に向かうと、そこにいたのは顔を紅潮させた一人の軍人であった。


「奸賊、川上荘吉! 覚悟!」


 すでに抜かれた状態で手に持っていた軍刀を振りかざして、その男は部屋に乱入した。


「っ―――!」


 椅子に座っていたために、景紀と川上少将の反応は一手、遅れた。

 咄嗟に、扉に一番近い場所に立っていた貴通がその胴体に飛びかかる。


「邪魔だ! 小僧!」


 男は手で貴通を振り払うと同時に、軍刀を振るった。貴通の腕から、鮮血が迸る。


「覚悟!」


 興奮に目をギラつかせた凶漢が、その勢いのままに川上少将に斬りかかろうとした。景紀も川上少将も、軍刀を抜くのが間に合わない。


「させません!」


 男の前に立ちはだかったのは、冬花であった。結界を張り、振るわれた白刃を防ぐ。


「邪魔をするかぁ、小娘!」


 激昂する男の一瞬の停滞を、景紀も貴通も見逃さなかった。景紀が鞘のままの軍刀で男の頭を殴りつけ、貴通は片手で刀を抜いてその背中を斬り付けた。

 さらには、騒ぎを聞きつけた兵部省の者たちが部屋に駆け込んでくる。その者たちによって、背中を切り付けられた男は拘束された。

 男は苦痛に歪む顔で「武士の情け」だの何だのと喚きながら、衛兵によって連行されていく。

 この日、兵部省内で白昼堂々発生した軍監本部長暗殺未遂事件は、多くの者たちに衝撃を与える結果となった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 川上荘吉少将暗殺を試みた軍人は、伊丹家家臣団出身の中佐であった。

 治療と共に憲兵隊による尋問が行われたが、この中佐は犯行の動機を隠すこともなく、むしろ堂々と暗殺を義挙であるとして取り調べを行う憲兵に主張したという。

 元来、急進的な攘夷思想を持っていたこの軍人は、三国干渉やルーシー帝国の回疆・マフムート領侵入という国際情勢の変転を受けて、ただちに攘夷の決行が必要であるとの建白書を皇都にいる主君・伊丹正信公に届けようと上京してきた。

 そこで兵部省での怪文書散布に遭遇して、六家、ひいては主君である伊丹公の権限を侵そうとする川上少将の態度に義憤を感じたというのである。

 このような人物が兵部省にいては攘夷の決行は不可能と考え、自らが攘夷のための捨て石となる覚悟で、川上少将の排除に及んだのだと自白した。

 八月十二日当日は、同じく伊丹家家臣団出身の軍務局長・畑秀之助少将への挨拶があるとして兵部省内に侵入、通りかかった省員の何名かに川上少将の居場所を尋ねて、談話室の場所を突き止めたという。

 この不祥事を受けて、自らの名前を使われた畑軍務局長は兵相および伊丹公に進退伺いを提出したが、ともに慰留されている。

 坂東友三郎兵相としてはこのような馬鹿げた事件で部下を失うわけにはいかなかったし、伊丹公としても畑軍務局長を更迭すれば暗殺未遂事件に関して自らの責任を認めたような形になってしまう。

 もちろん、後任人事を巡る六家間の争いも発生しかねない。

 こうしたことから、畑秀之助少将は軍務局長の座に座り続けることとなった。

 一方の川上荘吉軍監本部長も、責任をとって辞任するには時機が悪すぎた。景紀の言うように怪文書の内容を認めたことになってしまうし、暗殺という手段に川上少将自身だけでなく結城家自体が屈したようにも見えてしまうからだ。

 そしてこの事件は、対斉戦役後の国内の政治対立を尖鋭化させる第一歩となってしまったのである。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
[気になる点] 伊丹公か一色公が指示したのかなあ? [一言] 永田鉄山軍務局長みたいにならなくて良かったです。
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