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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十章 未完の新秩序編

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184 南洋の海の思い出

 七月十九日、景紀たちの元に届いたのは父・景忠から内地ヘ帰還するように命ずる指令であった。


「すまん、宵。巨石建造物遺跡(ナンマドール)は諦めてくれ」


 四季島諸島の環礁に錨を降ろした船の中、父からの通信を聞いて景紀が真っ先に行ったことは南洋群島の視察を楽しみにしていた宵への謝罪であった。

 新海諸島部族長たちとの会談を終えた景紀たちは、南洋植民地各地の視察に出向く予定であったのである。景紀たちの本来の目的である新海諸島部族長との交渉を無事に成立させ、当人たちはどこか観光気分であったところに冷や水を浴びせられた形となってしまった。


「いえ、景紀様がお気になさることではありません」


 宵の中にも、残念と思う気持ちはある。しかし、ここで我が儘を通すわけにもいかない。景紀は六家次期当主であり、自分はその正室なのである。

 その立場故に果たすべき義務を、優先しなければならなかった。


「私たちはこのまま内地ヘと帰還し、情勢の変化に即座に対応出来るようにしておくべきでしょう。このような言い方をすると景紀様はご不快に思われるかもしれませんが、対斉戦役中の経験から申しまして、景忠公のみに結城家を任せておくことには不安があります」


「……まあ、そうなんだよなぁ」


 宵の指摘に、景紀は苦々しい表情を隠そうともしなかった。今の父の政治姿勢にどこか納得いかないものを感じているのは、彼自身も同じであったからだ。そうでなければ、貴通を内地に残してきたりはしない。


「ただやっぱり、俺はお前にもっと南洋の海を見せてやりたかったよ」


 対斉戦役中、景紀はそう思っていたのだ。その望みが、中途半端にしか叶わなかったことにやはり未練は残る。


「ふふっ、景紀様がそう思って下さるだけで、私は十分に満たされた気分ですよ」


 落ち込んでいるようにも見える少年を慰めるように、宵は柔らかく微笑んで見せた。


「ああ、ったく。その言葉にその顔は反則だぜ」


 どうにもばつが悪くなったのか、景紀が自らの髪を掻き回す。そして、大きな溜息をついた。


「こうなったら仕方ないな。内地に帰るとしよう」


 ようやく踏ん切りが付いた景紀は、他の者たちにもそのことを伝えるために船室を出た。扉のところに、冬花が控えていた。


「冬花、俺たちは父上の命に従ってこのまま内地に帰ることにした。他の連中にもそう伝えに行くから、付き合ってくれ」


 景紀がそう言うと、冬花はかすかに罪悪感を滲ませた表情を見せた。


「……ごめんなさい。私があんなことを言ったから……」


 そして、俯き加減にそう言った。


「ああ、言霊云々のことか?」


 冬花が言っているのは、桜浜での発した言葉のことだろう。


「ありゃあ単なる冗談、軽口の類だ。別に、俺も宵も気にしちゃいないさ」


 景紀は顔を俯ける冬花の頭をぽんぽんと叩いた。

 自分の軽率な発言を悔いているのは、彼女が幼少期に「不吉の子」と言われていた影響か。自分の存在が景紀に災厄をもたらすことを、冬花は恐れているのだ。


「俺は、お前と冗談や軽口も叩けない関係なんて嫌だな」


 ただの主君と家臣の関係だけを求めていたのならば、景紀は冬花を“シキガミ”にしていない。


「……私も、そんな関係は嫌」


 冬花はか細く、どこか幼子が駄々をこねるような口調でそう言った。

 今さらただの将家の次期当主と一家臣の娘という関係に戻ることなど、二人とも出来やしないのだ。


「だろ? だったら、気にするな」


 もう一度、景紀があやすように頭を撫でれば冬花は小さく「うん」と頷いた。それで、冬花も塞いでいた気分が幾分か持ち直したようだった。


  ◇◇◇


 そうして景紀たち結城家一行は当初の視察予定を切り上げ、そのまま乗船していた船で氷川島まで向かうことになった。

 船が氷川島に到着したのは、七月二十四日のことであった。

 ここから、横浦―帛琉島間の定期船に乗り換えて内地を目指す予定であったのだが、氷川島に内地行きの定期船が到着するのは七月二十七日の予定とのことで、一時、景紀と冬花のみ翼龍で内地に向かうことも検討された。

 しかし結局、電信で父・景忠に確認したところ、ルーシー帝国によるマフムート朝十字教自治領進駐問題は現在、各国による調停の努力が試みられていることから、そこまで急いで内地に帰還する必要はない、という回答をもらった。

 そのため、景紀たちは船が来るまで三日ほど、この島に滞在することになったのである。






「なあ宵、最後にどこか見ておきたいところはあるか?」


 明後日には内地へ出発となった二十五日の夜、景紀は夕食の席で宵にそう問いかけた。

 景紀たちは氷川島の知事公館に滞在しており、二十四日は知事や南海興発社長から晩餐のもてなしを受けた。今日二十五日の日中は知事や南海興発社長の案内で、島内の小学校や公学校、医院や製糖工場、砂糖黍畑などを視察した。

 滞在最終日となる二十六日は、あえて公式な予定を入れずに自由時間とさせてもらったのである。


「最後に見ておきたいところ、ですか……」


 宵は、食後に出された氷川島産の鳳梨(パイナップル)を大事そうに食べていた。

 そんな微笑ましい仕草に、景紀も頬を緩めていた。

 この南洋視察中、宵は甘蕉(バナナ)芒果(マンゴー)甘橙(オレンジ)檸檬(レモン)といった南洋の果実を一通り味わっていた。故郷の嶺州ではまったく見られない果実であるためか、あるいは内地では移入禁止とされている果実も多いためか、どれも味を忘れないように大切に食べようと心掛けているようであった。


「……では、海を、海を見てみたいと思います」


「海?」


 海ならば船上からでも、また桜浜などでも見ていた。あえて海が見たいと言った宵の言葉に、景紀は首を傾げた。


「あの、砂浜のある海辺で遊んでみたいのです……」


 自分でも子供っぽいと思っているのか、宵は上目遣いで景紀の顔を窺うようにしている。


「そっか、そういうことな」


 若干の羞恥を湛えた少女の表情に愛おしさを感じながら、景紀は納得した。

 思えば、宵は北国出身で、その上幼少期から城の一角に押し込められてほとんど自由がなかったのだ。ここまでの視察でも真珠の養殖場視察などで海辺まで行くことはあったが、遊ぶようなことは出来なかった。

 だから温かな南洋の浜辺で遊んでみたいという宵の願いは、年相応の少女らしいものであった。

 巨石建造物遺跡(ナンマドール)を見せてやれなかった以上、明日は思う存分、宵を遊ばせてやりたいと景紀は思う。


「じゃあ、明日はお前の気の済むまで付き合ってやるよ」


 そう言えば、宵は嬉しそうに顔をほころばせた。


「はい、ありがとうございます」


 そして、その声はいつもの彼女のそれとは違い、楽しそうに弾んでいた。


  ◇◇◇


 七月も下旬に差し掛かり、南洋群島の多くの地域が雨季に入っていたが、景紀たちの滞在期間中は驟雨(スコール)に見舞われることはあったものの、運良く台風などが来襲することはなかった。

 そして宵が海辺で遊んでみたいと望んだ二十六日は、青空も眩しい快晴であった。

 太陽が燦々と照りつけ気温は二十八度に上っていたが、海からの風もあってかえって内地の夏よりも過ごしやすいくらいである。

 景紀たちは、氷川島の中心街からほど近い場所にある浜辺に来ていた。


「うわぁぁ……!」


 人力車を降りた宵は、椰子林を抜けた先に広がる浜辺を見渡すなり年相応の可愛らしい感嘆の声を上げた。蒼く澄んだ海へと続く真っ白な砂浜を、瞳を輝かせながら眺めている。


「やっぱり、ここは壮観だな」


 三年前の南洋植民地視察の際に立ち寄ったことのある景紀も、改めてのその壮観な情景に見入っていた。

 氷川島東海岸にあるこの浜辺は、現地在住の秋津人たちが白妙(しろたえ)浜と呼ぶほどに真っ白な砂で覆い尽くされていた。

 そして、その先に美しい紺碧の海がどこまでも広がっている。

 ここは氷川島を取り巻く環礁内に存在する砂浜のため、波はとても穏やかであった。

 タッタッと、宵が砂浜へと駆けていった。

 麦わら帽を被り、白を基調とした涼やかな菱柄の薄物をまとった少女が、長い黒髪をなびかせながら波打ち際へと向かう。

 ひどく幼く見える仕草だったが、彼女がこれまで置かれてきた環境を思えばはしゃいでしまうのも無理はないだろう。


「転ぶなよ~」


 駆けてゆく後ろ姿を見つめながら、景紀がのんびりと声をかける。

 そんな二人に付き従うように、護衛役の冬花と菖蒲が続く。

 浜辺には散歩に来ている現地在住の秋津人たちの姿も、ちらほらと見えた。一応念のため、冬花が袖に仕込んでいた警戒用の式を周囲に放つ。菖蒲もまた、周囲に気を配っていた。


「見て下さい、景紀様! 水面がまるで硝子のようです!」


 感動と興奮のまま、宵は背後の景紀を振り返る。その瞳が、陽光を反射する海以上に輝いていた。


「ああ、すげぇな」


 波打ち際から海を眺めて、景紀も改めて感嘆の声を漏らす。

 海の透明度は宵の言うように硝子のようであり、海底がはっきりと見えた。砂浜や珊瑚礁など海底の違いによって海の青にも濃淡があり、それもまたこの海岸の風景を一層、壮観なものにしていた。

 背後の椰子林も含めて、南洋の中でも特に南洋らしい光景である。


「ここは遠浅で波も穏やかだからな。余計に海が透明に見えるんだ」


「凄いです! 書物で読むよりも何倍も凄いです! 船から見るよりもずっと凄いです!」


 宵はキラキラとした表情のまま、凄い凄いを連発する。

 彼女の視線の先には、どこまでも広がっていく海と空がある。

 その光景に、宵は見入っていた。故郷では絶対に見られない、自分の知らない海の姿。

 宵は波打ち際に沿って歩き出した。違う場所から見れば、また違う海の印象がある。明るさや濃淡、反射する日の光、それぞれに変化が訪れるのだ。

 足下で鳴り響く、寄せては返す波の音。海からの風によって揺れる椰子の葉音。

 その音を聞きながら、宵は目に映る光景、足から伝わる砂浜の感触を堪能していた。


「……景紀様」


「ん?」


 宵は足を止め、見守るように少し後ろについて歩いていた景紀を振り返る。


「ちょっと、海の中に入ってみてもいいですか?」


 宵は、波の音と砂浜の感触だけを楽しむだけでは何だか勿体ない気がしたのだ。この透明な海に、足を浸してみたい。そう思ったのだ。


「ああ、良いんじゃないか。ただ、気を付けろよ。まあ、何かあっても俺が助けてやるけどな」


 柔らかく宵の望みを受け入れて、景紀は笑った。


「じゃあ、ちょっとこれをお願いします」


「おう」


 宵は足袋を脱ぎ、履き物から足を抜いて、それらを景紀に預けた。

 素足のままで、少女は真っ白な砂浜を踏みしめた。太陽で熱された砂浜の感触は、下駄で踏みしめるのとはまた違った感慨を宵に与えていた。

 そのまま、波打ち際へと近付く。

 宵は着物の裾を持ち上げると、そっと、寄せては返す波に己の足を踏み出した。

 ひんやりとした水が、少女の白い足を包み込む。

 足の指の間を、波に巻き込まれた小さな砂粒が抜けていくのも感じられた。ちょっとくすぐったい。

 ぱしゃりと水面を足で蹴ると、舞い上がった水しぶきが太陽を反射してキラキラと輝いた。

 そこからまた、宵は海の彼方を眺めた。頬を海風が優しく撫でていく。


「景紀様」


 宵は振り返って、楽しそうに歯を見せて景紀に笑いかけた。


「また一つ、貴方との思い出が増えました」


 将家の姫でもなく、六家次期当主の正室でもなく、ただ一人の少年を慕う少女の笑みを、景紀は眩しいものを見るかのように目を細めて見つめていた。






「これもまた、あなたは茶番と言うのかしら、菖蒲?」


 少し離れたところで二人を見守っていた冬花は、傍らの忍の少女にそう問いかけた。


「……」


 景紀と宵の関係に懐疑的な菖蒲は、無言であった。


「あなたたちは宵姫様の悋気を煽りたいのかもしれないけど、嫉妬しそうなのはこっちの方よ」


「……臣下としての分を弁えない、随分と不穏当な発言ね」


 じろりと、菖蒲は視線だけを動かして冬花を睨み付けた。


「若様と姫様の寝所に忍び込もうとしたあなたには言われたくないわ」


「ふんっ」


 不愉快そうに忍の少女は鼻を鳴らすと、それっきり二人の間の会話は途絶えてしまった。

 菖蒲はただ、観察するような視線を波打ち際で戯れる二人に向けるだけであった。

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