番外編6 移りゆく時代と呪術師 後編
葛葉英市郎が娘である冬花の嫁ぎ先を内々に探しているという話は、貴通を通じて結城景忠公に伝えられた。
鉄之介と同じく貴通にも、これが密告であるという意識はなかった。ただ、葛葉英市郎が景忠公に直訴して話が公になる前に、景忠公に対して先手を打っておきたいと考えていただけである。
「ふぅむ、英市郎の奴めが、そこまで娘の件で悩んでおったとはな」
貴通から話を聞かされた景忠は、小さく唸って腕を組んだ。
「確かに、あ奴の懸念ももっともではある。しかし、やはり戦は武士の領分。呪術師の能力に頼るようになっては、皇国陸軍が何のために近代化を推し進めたのかが判らなくなってしまう。百武めらの努力も、無に帰してしまうことになろう」
皇国陸軍の近代化に尽力した百武好古は、結城家家臣団出身の軍人である。だからこそ、景忠公は軍の近代化という点について理解があった。
個々人の能力に左右される部分の大きい呪術師は、近代的な軍には馴染まない。その点では、公と貴通の意見は一致していた。
「出来れば公爵閣下からも、葛葉英市郎殿にあまり懸念する必要はないと諭しておいて頂きたいのです」
「よかろう」景忠公は頷いた。「私としても、このような問題で君臣間に隔意が生じることを望んではおらん」
「お願いいたします」
貴通は軽く頭を下げた。
「加えて、冬花さんの婚約の件も、軽々しく話を進めないように英市郎殿に伝えておいて頂きたく」
「判っている。景紀の奴も、あの娘を随分と気に入っておるようであるし、宵姫との関係も良好なようであるからな。無理に引き離すような真似はせんよ」
将家当主となれば側室や愛妾を置くのは当然であるため、景忠は息子の側に正室以外の女性がいることを特に気にしていなかった。
それに、冬花の母で英市郎の妻である若菜は、景紀の乳母である。そのため景忠は、息子である景紀とその乳兄妹である冬花が幼少期から共に成長していく様子を見てきた。今さら、二人を引き離すことなど出来はしないだろうと思っている。
そして、呪術師である葛葉英市郎とその妻・若菜に、あえて子を産ませることで自分の子の乳母として守護させようと命じてしまったことも、景忠にとって小さな負い目となっていた。
葛葉冬花という存在は、景忠が命じたが故に生まれてきた娘であると言えたのだ。
家臣団の中には自身の側用人・里見善光のように冬花の存在を嫌悪する者もおり、そうした者たちは妖狐の伝承などを引き合いに出して冬花が景紀の側近を務めることに否定的であるが、景忠はむしろあの娘が望むのであれば好きなようにすればいいと考えている。
「一部の家臣どもは景紀と英市郎の娘の距離が近すぎることを懸念しているが、あの娘は自らの立場を弁えられる者だ。私はあの娘の親ではないが、あの二人を赤子の頃から見守っていたのだ。多少は、葛葉冬花という娘のことについて語る資格はあろう」
その擁護が葛葉冬花という娘に対する負い目から出たものであろうとも、それが景忠の本心であった。
「公がご理解のある方で、安心いたしました」
景紀と冬花の絆の深さを景紀の父親から聞かされた貴通の胸の内に、ほんのわずか、嫉妬じみた感情が湧き上がる。
自分は景忠公から息子の兵学寮時代の友人としてしか認識されていないのに、冬花はそうではない。景忠公から、景紀の側にいるべき女性と認められている。
思慕する殿方の親からその関係性を認められることに、羨望と嫉妬を感じてしまう。景紀から必要とされていればそれで良いはずなのに、それだけでは満足出来ない自分の欲深さに改めて気付く。
「貴通殿も、このような問題で気を遣わせてしまってすまんな」
「いえ、僕は景くんの軍師ですから」
それが自分の誇りであるはずなのに、どうしてか今は自らを誤魔化すための言葉にしか聞こえなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
学士院卒業後、今年の四月から宮内省御霊部で働くことになった葛葉鉄之介は、宮中を巡る六家や五摂家といった政治勢力同士の対立の最前線に立たされるような立場になっていた。
もちろん、六家と五摂家では実際の政治に及ぼす影響力に大きな差があったが、だからといって古代に摂政・関白を歴任した藤澤氏の末裔たちの権威を無視することも出来なかった。
鉄之介は六家に仕える陰陽師の家系の出身でありながら宮中に出仕しているということもあり、その立場を利用しようとする者も多かった。当然、彼以外にも六家が宮中に送り込んだ人物はおり、鉄之介だけが特異な存在というわけではなかったが、姉が結城家次期当主の側近中の側近ということもあって、彼の存在が注目されてしまったのである。
そして、鉄之介の立場を利用しようとする者の筆頭は、彼の上司である御霊部長・浦部伊任であった。彼は宮中の情報を鉄之介を介して結城家に流すと共に、鉄之介から六家側の情報を収集しようとしていたのである。
当然、結城家側もそれは理解しており、鉄之介を媒介にした結城家―御霊部間の情報交換体制が暗黙の内に成立しつつあった。
将家には情報機関としては隠密衆が存在しているが、宮中にもまた独自の情報網が存在していた。皇宮警察の密偵がそれにあたるが、御霊部でも密偵じみた情報収集活動を行うことがあった。
そうした中、鉄之介は浦部伊任から一つの情報を伝えられた。
「伊丹家と一色家が、それぞれ皇都に新たな術者を呼び寄せたようだ」
書陵部庁舎の御霊部長室に呼び出された鉄之介は、伊任からそう情報提供を受けた。
とはいえ、それは鉄之介の仕える結城家側にとって、さほど新しい情報というわけではなかった。
主家である結城家の霊的守護を担う葛葉家の嫡男として、鉄之介も六家に仕える術者の家系については相応の知識がある。そして、その術者たちの動向も隠密衆や主家直属の忍である風間家などと共に注意を払っている。
伊丹家や一色家に仕える術者との面識はないが、鉄之介の知識が確かならば伊丹家に仕えるのが大江家、一色家に仕えるのが八束家という呪術師の家系であったはずだ。
伊丹家当主の正信公と一色家当主の公直公が皇都に出てきていることもあり、それに従って大江家当主と八束家当主も皇都に滞在していた。その二人以外に、新たな術者を皇都に呼び寄せたという情報は結城家の側でも察知していた。
「大江家の方が本領より嫡男を呼び寄せ、八束家の方は隠居していた者を呼び寄せたそうだ。恐らく、同じような情報を結城家の側でも掴んでいるのだろう?」
「はい、父から聞き及んでおります」
あえて結城家の側でも把握している情報を伝えてきた理由が、鉄之介には判らなかった。
「大江家や八束家の者と、面識はあるのか?」
「いえ。父も母も、ないと言っていました」
「結城家の側では、大江家と八束家の術者の特性について、どこまで把握している?」
つまりは、結城家と御霊部との間で認識の共有をしておきたいということだろうか。鉄之介はそう思った。
「大江家については鬼狩りで功を挙げた術者を祖とする家系であることは知っていますが、八束家については高位術者の家系というだけで妖狐の血を引く俺たち葛葉家や龍王の血を引く部長の浦部家、それに鬼狩りの大江家ほど際立った呪術特性を持つ術者の家系とは聞いていません」
「なるほど、そういう認識でいるわけか」
納得しているのかいないのか、定かならぬ口調で浦部伊任は頷いた。
「それで、お前としては何故、わざわざあの二家の当主が皇都に駐在する呪術師の数を増やしたと思う?」
そしてどうやら、伊任は御霊部側の把握する大江家・八束家に関する情報を積極的に明かすつもりはないらしい。あるいは、御霊部の側でもそれほど正確な情報は掴めていないのか。
「……俺たちへの牽制、ということですかね?」
ひとまず、鉄之介は上司からの問いに答えることにした。
「結城家と御霊部の繋がりが深まっていることを警戒して、圧力を掛けようとしているとか」
「それもあるだろうが、葛葉家内の不和を煽ろうとしているのかもしれんぞ」
「……」
その指摘に、思わず鉄之介は黙り込んだ。
父・英市郎が姉・冬花を景紀の側から引き離すべく内々に婚約相手を探しているというのは、この上司から聞いた話だ。
父は冬花の帯城軍乱や対斉戦役での活躍を、災厄を祓うべき陰陽師が災厄をもたらしたとしてあまり快く思っていない。そして、娘にそうした呪術の使い方を強いた景紀に対しても、若干の不信を抱いているようにも見受けられた。
もし他の六家に仕える術者が父の価値観を支持するようなことになれば、結城家内での姉の立場は非常に危ういものとなるだろう。今ですら、景忠公側用人・里見善光が姉の存在を疎ましく思っているのだ。
姉は別に呪詛などの禁術に手を染めたわけではないが、爆裂術式の多用を六家に仕える有力な術者たちが揃って問題視し始めたとなれば相応の政治的圧力にはなるだろう。
幸いにして御霊部は宮内省の所属ということもあり、宮中の独立性を重んじて戦場における呪術師の在り方、戦時における呪術師の役割といった議論に対し距離を置いている。
しかし、六家はそうではない。
科学の発達、国民意識の高揚、そして戦勝といった時代の変化に呪術師がどう対応すべきかという議論を政治問題化し、あわよくば邪魔な相手を蹴落とそうとする者たちである。
「これからの時代における呪術師の在り方、歴史の中で呪術師と常人が築いてきた信頼関係、いろいろと呪術師として悩む問題が多いことは私も理解しているが、貴様の父親はいささか軽率であったと言わざるを得ない」
浦部伊任の鋭い視線が、鉄之介を射貫く。
「私は娘をそちらに嫁がせるのだ。娘を泥船に乗せたとは思いたくない。今後、六家同士の政治的対立はますます深刻化していくだろう。結城家内部も、決して一枚岩とは言えぬような状況であるしな。父親も貴様も、身の振り方には十分に気を付けるのだな」
結局のところ、この上司が言いたかったのはこれであったのかもしれない。
自分も葛葉家嫡男として、八重と婚儀を挙げ、子を成し、葛葉家を次代へと繋いでいなかければならない立場にある。
その自覚を、より一層深めていかなければならないのかもしれなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
六家間において呪術の在り方を巡る問題が政治的争点とならないように素早く立ち回っていたのは、穂積貴通であった。
自分も景紀を思慕する立場ではあるが、軍師としての冷徹さから景紀には冬花が必要であると考えていた。少なくとも、嫉妬を拗らせて冬花を蹴落とそうとは欠片も思っていない。それは、景紀への裏切りでもあるからだ。
貴通は鉄之介、八重、それに護衛として新八を伴って、皇都郊外にある有馬家別邸を訪れていた。
「小僧、貴様の父親も、余計な隙を晒してくれたものだな」
貴通から一通り事情を聞き終えた屋敷の主である有馬頼朋翁は、若干の嘲りを込めてそう言った。言われた鉄之介としては、苦い表情を返す他ない。父親の尻拭いを自分たち子供世代が行わなければならないことに、息子として複雑な感情を抱えざるを得なかった。
「まあよい。陸軍においては、戦場における呪術師の在り方についての議論が一段落したところだ。ここでまた蒸し返され、それが六家間の新たな政治対立の火種となっても敵わん。そのあたりのことは、儂の方でも陸軍や内務省に手を回しておこう。ついでに、長尾家や斯波家の術者の方にもな。これで少なくとも、伊丹家や一色家のところの術者が変に騒ぎ出したとしても、それほど大きな論争にはなるまい。もちろん、これ以上、小僧の父親が余計な言動を慎めば、という条件付きではあるがな」
六家長老たる人物は、念を押すように鉄之介を見据えた。
「それについては、景忠公の方からも葛葉英市郎殿に対して注意を与えたそうですので、ご心配には及ばないかと」
貴通はそう言って、鉄之介を庇った。実際、彼女としても父親の軽率な言動のツケを息子である鉄之介が払うような形になってしまっていることには同情していた。
自分も景紀も、冬花も宵姫も鉄之介も、実の父親に振り回されることばかりで、いささか辟易とした思いがないでもない。
「まったく、国内にあの小娘ほどの爆裂術式を放てる高位術者が何人いると思っておるのだ。量産の利く火砲と、絶対数が少なく個々人の能力に左右される呪術師と、軍がどちらを重用するかなど自明の理であろうに。六家家臣といっても、所詮は呪術師。軍のことは何も判っておらぬようだな」
頼朋翁は同意を求めるように貴通を見た。とはいえ、鉄之介の目の前であることもあり、彼女は曖昧な笑みを浮かべるだけであった。
一方、父親批判を聞かされている鉄之介は仏頂面を浮かべていたが、彼としても陽鮮の倭館での経験もあって、頼朋翁の言葉に全面的に同意することは出来ないにせよ、父親への反発はあった。
「安心せい。伊丹公も一色公も、呪術によって陸軍の作戦用兵が歪められることは厭うておる。貴様らがこれ以上の隙を見せなければ、連中に付け入られることはあるまいよ」
面倒そうな口調で、有馬家大御所は話をまとめにかかった。
戦後における対外政策、新たに獲得した利権の配分、六家が争い、解決すべき問題は多岐にわたる。呪術の在り方を巡る問題にばかり関わっている暇はないのだ。
◇◇◇
「なんか、あんたも大変よね」
有馬家別邸を後にして、そこから続く坂道を下りながら八重が鉄之介をそう労った。
「でもまあ、これが大人になるってことなんだろうな。姉上や景紀の苦労が、何となく判るぜ」
「あら、あんたも言うようになったわね。出逢った頃はあんなに私に対抗心燃やしたり、冬花さんのことでうじうじ悩んでいた弟弟子のくせに」
にやりと八重はからかうような笑みを見せる。彼女の方が一歳年下であるのに、未だ鉄之介を弟弟子扱いするのは変わらない。
「お前も学院を卒業すれば判るようになるさ」
そんな八重に対抗して、鉄之介はあえて年上ぶった口調でやり返す。
「まだ御霊部で働き出して三ヶ月くらいの癖して何言ってるのよ。どうせ来年の今頃には私もあんたと同じ御霊部に勤めることになるでしょうから、せいぜい後輩の私に追い抜かれないように腕を磨いておくことね」
そんな少年少女の他愛もない遣り取りを、少し後ろから貴通と新八が見守っていた。
「あの二人の憎まれ口、妙に息ぴったりやなぁ」
小声で、面白そうに新八は貴通に語りかける。
「まあ、景くんと冬花さん、宵さんの関係を見ていると、新鮮なものがありますね」
互いに憎まれ口を叩きながらも確かな繋がりを感じさせる鉄之介と八重の関係は、どこか見守っていたくなる初々しさがあった。
と、四人は坂道の先に小さな人影が立っているのに気付く。
用事を終えて有馬家別邸に戻る奉公人の誰かかと一瞬思ったが、直後に新八がさり気なく貴通を背後に隠すように歩く位置を変えた。
二人の前を歩いていた鉄之介と八重も、それまでの緩んでいた雰囲気が消える。呪術師としての感覚が警鐘を鳴らすように、その身を緊張させていた。
坂道の途中で立ち止まった四人に、その人影は近付いてくる。
それは、水干姿の小柄な少女であった。十代にはなっているだろうが、小柄な宵姫よりもさらに小柄な体躯をしていた。
「おや、流石にあの御霊部長の薫陶を受けただけあって、反応が良いね」
その少女は、鈴を鳴らすような幼さの残る声で言った。しかし、言葉の響きには反対に老成した落ち着きがあった。
少女の体に老人の魂が宿っているような、そのちぐはぐさがかえって鉄之介たちの警戒心を呼び起こす。
「ちょっと挑発じみた霊力波を放たせてもらったんだが、一瞬であの和気藹々とした雰囲気から切り替えた。大したものだよ」
「誰よ、あんた」
一歩、八重が前に出た。声には威嚇と警戒の響きが交じり合っている。
その後ろでは鉄之介が袖に仕込んだ呪符をいつでも取り出せるようにし、新八もまた苦無を即座に放てるようにしていた。
「なに、次代を担う呪術師がどのようなものか見てみたかったというちょっとした好奇心だ。許してくれたまえよ」
だが、小柄な少女の姿をした術者はそうした殺気立つ者たちに動じる気配もなく、飄々とした調子で続けた。
「それで、こちらが龍王の末裔で、そっちが妖狐の末裔か」
楽しげに輝く瞳で、その術者は目の前にいる八重とその斜め後ろにいる鉄之介を順番に見遣る。
「まったく、科学がどんどん発展してつまらん世になったと思っていたが、なかなかどうして、面白そうな連中はいるものだね。妖狐の血が色濃く出たという姉の方は、この分だともっと面白そうだ」
「誰よ、あんた!」
痺れを切らした八重の体から、威圧的な霊力が噴き出す。
「これは少しからかい過ぎてしまったかな」
とん、と水干姿の女術者は後ろに跳んで、悪びれずにそう言った。
「私の名は、八束いさな。そこの妖狐の末裔と同じ、六家に仕える術者だよ」
八束。その家名は、一色家に仕える術者のものであった。
「葛葉鉄之介、そして浦部八重と言ったか。お前たちはまだまだ若い。これからも精進を重ね、術者として大成することを目指すことだな。そしていつか、呪術の深淵を覗き込みに来るといい」
にぃと、少女の姿をした術者が嗤う。その、見た目に似合わぬ年長者目線の言葉を最後に、彼女は踵を返して坂を下っていってしまった。
後に残されたのは、ようやく緊張を解いた貴通ら四人であった。
「……何だったのよ、いったい」
ただ一方的に言いたいことだけを告げて去っていった一色家の術者に、八重は苛立った口調でそう零す。
「八束いさな。鉄之介くんはご存じで?」
「いや、知らねぇ」
貴通の問いに、鉄之介は少女の去っていた方向を睨み付けたまま答えた。
「だが、飛ばしてきた霊力波から相当な実力の持ち主だってことは判る」
「八束家の秘蔵っ子、というには姿と口調がちぐはぐな印象を受けましたが?」
「幻術で姿を偽っている、って感じも受けなかった。……まあ、確証はないけどな」
いまいち鉄之介の答えがはっきりしないのは、彼が当初、貴通に掛けられた認識阻害の術を見抜けなかった経験があるからだろう。
「ひとまず、なんか妙な術者が一色公んとこにおるっちゅうことだけは確かやろうな」飄々とした口調でありながらも、細い目の奥から覗く新八の瞳は鋭い。「あえて僕らに接触してきたのは、警告か牽制か、どっちにせよ気ぃ付けなあかんな」
まるで意図が読めない、一色家の術者からの接触。
「僕の正体も、気取られたでしょうか?」
認識阻害の術式を込めたお守りで女性であることを隠している貴通が、確認するように鉄之介と八重に問う。万が一、一色家によって貴通の本当の性別が暴露されれば、景紀にとっても醜聞になるだろう。
それを、この男装の少女は懸念していた。
「あいつの視線は、私たちにだけ向いていたわ。多分、貴通様のことは気にも留めてなかったと思うわ」
「一応、さっき俺も咄嗟にあんたと新八の周囲に結界を張っておいた。それに、姉上だって最初はあんたが正体を隠す術式を身にまとっていることまでは判っても、性別までは判っていなかったんだろ?」
だが、八重と鉄之介は揃ってそれを否定する。少なくとも、陰陽師二人の意見が一致している以上、貴通の正体が完全に露見した可能性は低いだろう。
「……だとすれば、本当にあの術者は鉄之介くんと八重さんを見に来ただけ、ということになりますね」
貴通たちの心に不可解さだけを残して、去っていった一色家の術者。
だが同時に、一つだけ確かなことがあった。葛葉鉄之介と浦部八重。二人の若い陰陽師もまた、混迷を深めつつある時代の荒波の中に放り込まれようとしているということだ。
古より伝わる呪術を継承する者として、そして六家という将家に仕えることになる者として、少年と少女は、移りゆく時代に生まれた呪術師として自らの在り方を探っていかなければならない。
その岐路に、彼らは否応なく立たされているのだった。
拙作「秋津皇国興亡記」では政治・軍事・外交史を中心に物語を進めており、そのために文化史・宗教史・思想史のような観点からの描写はあまりありません。
今回、番外編として呪術を扱いましたが、これもあくまで呪術を政治的・軍事的に捉えての描写となってしまいました。
もしこのような異能の力が存在する世界が近現代を迎えたとして、異能に対する社会の認識、近現代社会における異能の役割がどうなっていくのか、それはまだまだ考察の余地が残されており、筆者自身も十分に説得力のある世界観を創り出せずにおります。
さて、この番外編では「宗教的価値観から異能を認めない西洋」と「異能が社会的に認められている皇国」という対比を冒頭で描写いたしました。
拙作そのものが「日本が鎖国をしないで近代を迎えたら」というIFに着想を得た異世界和風ファンタジーを目指しておりますので、こうした皇国と西洋の文化的・思想的・宗教的な差異はかなりはっきりとした形で存在していると思います。
現実世界では、日本は明治維新によってそれまでの文化の多くが失われる結果となりました。
西欧化によって西欧の価値観に馴染まない風俗は多くが失われています。代表的なのは混浴の文化に代表される裸に対する価値観でしょう。
また、近代天皇制が確立されていく過程において、明治新政府は民俗的な祭礼についても統制を強めました。当然、呪術的な儀式も「陋習」として禁止令が相次ぎました。
宗教的な面で言えば、廃仏毀釈による神仏習合という価値観の終焉がそれに当たるでしょう。
一方、拙作の世界ではそうした西欧文明の絶対化は起こっていないと考えられます。
もちろん、物語の舞台となっている秋津皇国は、西洋の国々との出会いから二〇〇年以上経っているという設定ですから、相応に西欧文明を受容してはいるでしょう。
作中では史実ウェストファリア体制をモデルとした「ノルトファリア体制」に皇国が組み込まれてしまった描写もしておりますから、政治・外交的な面でも西欧式のものが取り入れられています。
しかし、史実でヨーロッパが覇権を確立したのは十九世紀になってからですから、それ以前の時代から皇国が国際政治の舞台で無視出来ぬ勢力となっていれば、西洋一強の史実十九世紀的世界は出現しないでしょう。
ウォーラステインが唱えた「近代世界システム」のようなものは、拙作「秋津皇国興亡記」の世界ではまったく違った形となるはずです。
「近代世界システム」は、資源供給国が工業国に従属することで工業国の持続的な経済発展が起こるという理論です。また、そうした従属関係によるグローバリゼーションが起こるとされています。
しかし拙作の世界では西洋一強とはならないわけですから、ヨーロッパ中心の政治的・経済的グローバリゼーションが起こらないわけです。
むしろ、皇国という東洋の工業国と西洋の工業国とが交易して経済発展を遂げていくという、工業国と資源供給国との間の主従関係では説明が出来ない要素も出てくるのです。
ただし一方で、近代的な経済や金融のルールを作り上げることで覇権を確立した国家がイギリスである以上、拙作の世界でもイギリスをモデルとしたアルビオン連合王国の優位は決定的なものとなっていると思われます。
それでも、西欧文明・価値観の絶対化というものは、西洋一強の世界ではないですから起こらないでしょう。
平川新『戦国日本と大航海時代』(中公新書、2018年)では、戦国末期日本は当時欧州最強国であったスペインから王国である自国を上回る「帝国」として認識されていたと言いますから、拙作の世界観でもモデルとした史実同様に秋津皇国も早い時期より西洋諸国から「帝国」として認識されていると思われます。
また、作中では現実世界のフィリピンをモデルとした地域で秋津皇国とスペインをモデルとした国家が戦争を行っていますから、西洋諸国による世界分割そのものがモデルとした史実よりも遅々としたものとなりますし、その阻害要因としての秋津皇国という世界観となります。
もちろん、秋津皇国もまた植民地支配と世界分割を進めているわけですから、世界観や時代設定の点からこの世界が帝国主義の時代を迎えつつあることは確かです。
その是非や善悪については現代的な問題ですから、以前にも申しました通り、作中の設定と現代人の感覚との齟齬については、ご容赦下さいますようお願いいたします。




