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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第九章 混迷の戦後編

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171 南洋への出発

 景紀たちが内地を出立する準備は、慌ただしく進められた。

 新南嶺島で新海諸島の有力部族長たちとの会談を開催するとはいえ、皇国側使節団の表向きの代表は、外務省出身の首席全権代表である。

 景紀の立場は結城家の代表者であるとはいえ、表向きの肩書きは全権委員の一人でしかない。

 昨年十一月に伊丹正信と結城景忠との間で合意が形成されて以降、皇国、特に外務省および結城家による南泰平洋進出のための準備は急速に進められてきた。

 その一つが四月十五日の南瀛諸島領有宣言であり、それに続くのが今回の新海諸島併合を目指したニューゼーランディア部族連合国の有力部族長たちとの会談であった。

 景紀は六月四日以降、父やその側近、重臣、外務省当局者と会談の方針についての打ち合わせを続けた。

 そのようにして、景紀は出発までの数日間を結城家皇都屋敷と外務省庁舎を往復することに費やしたのである。

 その間、宵に言いつけて皇都内の書店で船旅中の暇つぶしに読めるような小説を数冊、それに加えて植民地政策学者の研究書、南泰平洋の民話集などを買い求めさせた。ついでに、現地の州知事や総督府官吏への土産となりそうな清酒なども見繕ってくるように言いつけている。

 また、宵には彼女自身のために南洋の気候に適した薄物(夏用の着物)なども数を揃えておくように金を渡していた。

 船旅の時間も含めて、恐らく一ヶ月半から二ヶ月は内地を留守にすることになるだろう。

 六月八日、景紀たちは他の使節団の者たちと皇都中央駅で待ち合わせ、横浦行の列車に乗り込んだ。船の出港時刻は十七時の予定であった。


「内地の風景も、当分は見納めですね」


 一等客車の個室で揺られながら、宵が外の景色を眺めていた。

 昨年も夏が迫りつつある頃、陽鮮半島へと向かっていった。しかし、陽鮮と新南嶺島では内地との距離が違い過ぎる。


「帰ってくる頃には夏真っ盛りでしょうか?」


 宵は景紀に嫁いでから、冬と春はそれぞれ一度ずつ一緒に過ごしたが、夏と秋はまだ一緒に過ごしたことがない。対斉戦役の勃発により、景紀が出征してしまったからだ。


「今年は、景紀様と共に蛍狩りや紅葉狩りが出来ると良いですね」


 どこか祈るような声で、宵は言う。


「ああ、今年こそは出来ると良いな」


 そんな健気な少女の言葉に、景紀の口調も柔らかくなる。

 だが、そんな穏やかな雰囲気は車窓から見えたある光景を目にしたことで吹き飛んでしまった。

 喪服を着込んだ人々の行列。初老に差し掛かった男性が白木の箱を持ち、妻と思しき女性が付き添っている。そして列の中には、若い女性とまだ幼い子供たちがいた。

 恐らく、その子供たちは永遠に父親を失ってしまったのだ。

 景紀は、ほとんど反射的とも言える動作で葬列に敬礼した。

 向こうが気付いたかどうかは判らないし、ほとんど自己満足に等しい行為であることも判っている。だがそれでも、そうすべきだと思ったのだ。

 皇国がその版図を広げつつある背後で、こうした無数の悲劇は確実に存在するのだ。

 平民ならば、無邪気に戦勝に浮かれることは許されるだろう。だが、国家の舵取りを担う自分たち六家は、少なくともこうした光景があることを忘れないでおくべきだと思うのだ。

 そうして列車は横浦の駅に到着し、景紀や宵、冬花も含めた使節団一行は秋津郵船の南洋航路貨客船・泰安丸に乗船し、内地を出発した。

 途中、氷川島や四季島諸島で補給のために寄港しつつ、新南嶺島の桜浜まで十五日間の航海となる予定であった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 この時代、蒸気機関を搭載した艦艇は各国海軍では主流となりつつあったが、一方で民間船舶では未だ蒸気機関はその用途が限定されていた。

 理由は、蒸気機関を継続的に運転するための真水と石炭の補給の問題、そしてそれによって船内容積が圧迫されてしまうことにあった。

 自走用石炭によって船内容積が圧迫されてしまえば、当然ながら積載出来る貨物量が減少する。積載出来る貨物量が減少すれば、商船会社が得られる利益も減少してしまう。

 民間における蒸気船は、こうした悪循環を抱えていたのである。

 そのため民間における蒸気船の利用は、補給が容易な沿岸航路・近海航路でまず普及していった。外洋航路における蒸気船の利用は、もっぱら定期性・確実性が求められる旅客・郵便輸送が中心であった。

 景紀や使節団の乗る泰安丸は、皇国本土と南洋植民地を結ぶ定期航路に就役している蒸気船の内の一隻である。

 建造に際しては、南洋植民地に利権を持つ結城家から助成金を出している。

 こうした内地と南洋植民地を結ぶ貨客船は、往路では植民地に住まう人々に必要な食糧や生活必需品を運び、復路では南洋植民地で生産された砂糖やコプラ、綿花などを内地に運ぶという役割を担っていた。






 内地はまだ夏本番という気温ではなかったが、小垣原諸島に差し掛かったあたりから気温は一気に夏を思わせるものへと変わっていった。

 太陽の輝きも、南へと進むごとに増していった。

 景紀と冬花にとっては二度目の南洋行きとなるが、宵にとっては生まれて初めて目にする南洋の海と島々である。


「……」


 船室から甲板に上がった宵は、四方に広がる海とその彼方にかすかに見える小垣原諸島の島影に見入っていた。

 白く照り付ける太陽に、鮮やかな群青の海、その先に見える緑色の島影、そして水平線の彼方から天高く立ち上る巨大な雲。

 そのすべてが、宵にとって新鮮そのものであった。

 気温は高まっているものの、頬を撫でる海風が逆に心地よい。

 何度もこの航路を往復している船員たちにとっては見飽きた光景なのだろうが、宵は飽きもせず広大な海原に眺めていた。


「帽子、ずれてるぞ」


 と、背後から近寄ってきた景紀が海風の所為で頭の後ろに回ってしまった麦わら帽を直してくれた。


「景紀様」


 振り向けば、微笑ましそうな表情でこちらを見てくる景紀と目が合った。


「外務省の使節団との打ち合わせは、もうよろしいので?」


 景紀は出港した後も、外務省の使節団の者たちと交渉の方針について検討を続けていた。時折、冬花に呪術通信を命じる姿も見られた。

 無線電信技術がまだ開発段階にあるこの時代、一度海上に出てしまえば陸上と違い、その通信手段は極端に制限される。

 視界内であれば手旗信号や旗旒信号が使えるが、視界外となれば呪術通信以外に通信手段はないのだ。しかも、呪術通信手が乗っている民間船舶の数は圧倒的に少ない(海軍艦艇も戦隊旗艦に優先的に配属されているため、やはり艦船数に対する呪術通信兵の数は少ない)。そして、呪術通信といえど距離に起因する限界は存在した。

 結局、遠隔地と連絡を取るためには寄港地の電信局に頼るしかないのである。


「まあ、半数以上が船酔いで使いものにならなくなっているからな。そこに加えて、この気候だ。船酔いと暑さで参っちまっている奴らも多い」


 景紀は苦笑しつつ、そう説明した。

 宵や景紀、冬花は船酔いとはまったく無縁だった。三人とも武家の出身なので、恐らく幼少期から馬術の修練を受けていたことで振動に耐性がついたのだろう(後世的な表現で言えば、三半規管が鍛えられているということ)。

 一方、中央政府の官僚には平民出身者も多い。彼らの中には、そもそも乗馬の心得がない者もいる。

 そうしたことも、使節団の中で船酔いに苦しめられる者とそうでない者に分かれてしまった原因だろう。

 だからといって、別に宵も景紀も船酔いに苦しんでいる者たちを軟弱者と誹るつもりはない。

 特に景紀にとっては戦地へ向かう輸送船の中でもたびたび見られた光景なので、むしろ乗り物酔いしやすい者たちに同情的ですらあった。

 とはいえ、使節団に加わっている医師や船医に任せるより他に手はなく、だからこそ景紀は暇を持て余すことになっているのだが。


「それよりも、あんまり甲板に出続けていると、日焼けするぞ?」


 景紀の声には、無邪気に遊ぶ子供を見守るような穏やかさがあった。


「冬花様に呪符を作ってもらいましたので、そこまで心配されなくても大丈夫ですよ」


 小さく悪戯っぽく、宵は微笑んだ。

 この時代、女性は“痩身白皙”が美人の条件とされている。その意味では、日に焼けることは女性として避けるべきことであった。

 景紀のために綺麗でいたいという思いもあり、宵は冬花に日に焼けないための結界を張れる呪符をもらっておいたのだ。

 冬花自身も、その呪符を身に付けているという。彼女の場合、生まれつき肌の色が白いので強い日差しを浴び続けると肌が真っ赤に腫れ上がってしまうらしい。


「南洋の海は、私にとって初めて見るものですので」


 そう言って、宵は再び視線を海へと戻した。隣に、景紀が立つ。


「二週間も退屈な航海になると思って心配していたが、まあ、お前が楽しめているようで何よりだ」


「夜は景紀様とまたお話が出来ますし、楽しい船旅ですよ」


 昼間はこうして甲板に出て広大な海原を眺め、夜は景紀と戦役中の話やこれからの交渉について話をする。

 婚儀を結んで以来、宵と景紀はほぼ毎夜のようにその日にあった出来事や政治の問題について話し合ってきた。

 船の中とはいえ、一度は対斉戦役の勃発で途絶えてしまったかつての日常が戻ってきたようで、宵は嬉しいのだ。


「じゃあ、南小垣原諸島の火山島や珊瑚の大環礁なんかも楽しみにしていると良いぞ」


「確か、南小垣原諸島の北部には活発な火山活動を続ける島があるのでしたね?」


 南洋植民地について書かれた本の中で、宵は知識としてそのことは知っていた。


「珊瑚も、私は装飾品でしか見たことがありませんので、楽しみです」


 未だ紙の上の知識でしかない光景を見られると思うと、宵の口元に思わず笑みが浮かぶ。

 一年近い空白の時間を埋められることが出来るのならば、そして景紀と共に新たな思い出が作れるのならば、二週間の船旅など退屈でも何でもなかった。


  ◇◇◇


 桜浜への航海は、途中、台風などに巻き込まれることもなく順調に進んでいった。

 南小垣原諸島の北部に活発な火山活動を続ける島があり、宵はその壮大さに感嘆の声を漏らし、海軍の泊地ともなっている四季島諸島では、広大な環礁に艦列を並べる海軍艦艇に圧倒された。

 そうして泰安丸は南泰平洋珊瑚海に入り、花吹島を抜けて新南嶺島東端を回り込み、六月二十三日、無事桜浜港へと入港した。

 珊瑚海はその名の通り海中に多くの珊瑚が見られる海であり、桜浜の地名も珊瑚を海中の桜に見立てて名付けられた名前であった。

 桜浜港はコプラやガタパーチャなどを輸出する南泰平洋随一の商港であり、非常な賑わいを見せていた。

 湾内では、現地島民の丸木舟が停泊中の船舶に魚を売りに来るなど、大小様々な船が行き交っている。

 その中でも特に目立っているのは、海軍の四隻の巡洋艦であろう。

 三国干渉により、ヴィンランド合衆国海軍艦艇によって南泰平洋の皇国漁民が脅かされる恐れがあるとして回航された艦艇群であった。

 一方で、使節団として訪れる新海諸島の有力部族長やその随行者たちに、皇国の軍事力の強大さを見せつける意図もあるのだろう。

 新海諸島からの使節団は二十五日に到着する予定であり、ひとまず、皇国側代表団一行は州庁の用意した宿舎へと向かうことになった。

 景紀ら結城家の者たちは州知事公館本邸を、外務省側の者たちは公館別邸を宿舎とすることとしている。

 公館本邸は内地でも見られる和洋折衷の邸宅であり、別邸は西洋風のコロニアル様式の邸宅となっている。

 二つの建物は間にある和風庭園を通して行き来が出来るため、結城・外務両全権委員同士の意思疎通は容易であった。

 州知事や州庁高官も含めた歓迎の晩餐会は新海諸島から有力部族長が到着してからの予定であったので、到着当日の二十三日は、景紀、宵は州知事夫妻に招かれての夕食、首席全権代表を始めとする外務省側使節団は泰平洋ホテル(南海興発の経営する旅館)での夕食となった。

 景紀たちには、南泰平洋で採れた鯨の竜田揚げや南泰平洋諸民族の主食である芋料理を和風にした料理などが振る舞われた。

 二十五日、新海諸島からの部族長使節団が訪れると、皇国側は盛大な晩餐会を開いて彼らをもてなした。和食や芋料理の他、新海諸島の伝統的な調理法である地中蒸し料理(地面に穴を掘り、そこに熱した石と肉・野菜を入れて蒸す料理。現地ではこれを「ハンギ」と言う)も提供された。

 新海諸島の伝統料理を出したのは、各部族長に対する懐柔策の一環であった。

 部族長たちからも、皇主への献上品として大関鳥(新海諸島に生息する全高四メートル近い巨鳥。秋津人などによって馬が持ち込まれる以前、現地では騎乗動物などとして家畜化されていた)や翡翠の装飾品(新海諸島では翡翠には呪術的な力が宿るとされる)などが贈られた。

 新海諸島、より正確にいえばニューゼーランディア部族連合国の将来について協議するための秋津皇国と新海諸島有力部族長たちとの会談が開始されたのは、皇暦八三六年六月二十七日からのことであった。

【州知事公館の構造】

 モデルは、台湾総督官邸とその別邸。

 台湾総督官邸の本邸はバロック式の洋館ですが、周囲にベランダを巡らせるいわゆるコロニアル様式も一部に取り入れられています。一方、別邸は数寄屋造りの和風建築でした。

 そして、庭は和風庭園となっていました。ただし、本邸正面は西洋風の噴水などが設置された洋式庭園になっています。

 この台湾総督官邸は台湾総督府庁舎などと同様、現在でも台北賓館として現役です。

 作中では本邸が和洋折衷になっていますが、これは史実では明治以降、皇族や華族の邸宅、そして政府高官や知事の官舎などでよく見られた様式で、和洋館併設型住宅などとも呼ばれます。基本的には洋館部分が接客用、和館部分が住居用として利用されました。

 現存する建物で有名なのは、東京にある旧岩崎邸と旧前田邸でしょうか。もちろん、地方にも残されていて、例えば呉鎮守府長官官舎(現入船山記念館)などもそうです。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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