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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第九章 混迷の戦後編

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167 和平の成立

 景紀たちが燕京占領を後続の陸軍部隊に引き継ぎ、遼東半島金州へと帰還を果たしたのは四月二十八日のことであった。

 景紀不在中、旅団本隊の指揮を継承していた騎兵第十八連隊の細見為雄大佐から引き継ぎなどを行って、景紀は旅団長としての指揮・業務に復帰した。

 彼はまず、挺身降下隊に参加した将兵全員に一週間の慰安休暇を出した。景紀は第三軍司令部などに掛け合って、熊岳城(ゆうがくじょう)温泉や付属する慰安施設の優先的使用権を得ることに成功していた。

 熊岳城温泉は遼東半島北岸に存在する温泉であり、鞍山南方の湯崗子(とうこうし)、安東の五龍背(ごりゅうはい)と並び、後世、「満洲三大温泉」として知られることになる温泉である。

 現在、この三ヶ所の温泉はすべて皇国軍の占領下にあり、最前線に近い湯崗子以外には、皇国軍によって温泉を中心とする慰安施設、療養施設などが設置されていた。

 一ヶ月近く、敵地で何の娯楽もなく、粗末な食糧しか食べることしか出来なかった挺身降下隊の士気は、著しく低下していた。

 一ヶ月もあれば中華帝国の皇宮を占領したという興奮も醒め、現状に対する不満が堆積してくる頃合いだったのである。

 しかも、冬花という“化け物”と共に過ごさなければならないということも、兵卒たちの精神に負担となっていたようであった。そんな“化け物”を側に侍らせている景紀に対する不審も、徐々に蓄積されていった。

 景紀の聞こえないところで、彼と冬花の関係を揶揄する言葉も交わされていた。

 ある意味で、兵卒たちは景紀と冬花の陰口を叩くことで、多少なりとも鬱憤を晴らそうとしていたといえよう。

 こうした軍紀の弛緩は、幕僚の貴通が景紀と兵卒たちの間に隔意が生まれないよう、下士官たちに兵卒に対する統率を徹底するよう、伝達しなければならないほどであった。

 しかし兵卒たちも現金なもので、金州に帰還して熊岳城温泉での一週間の休暇を与えられたと知るや、一転して景紀の将としての度量を賞賛し始めたのである。

 これだからあの同期生は人間不信になるのだろうな、と貴通は納得せざるを得なかった。

 そしてその貴通と上官である景紀は、休暇を取れるだけの時間はなかった。

 戦後における遼東半島の植民地統治は有馬家が担うこととなり、そのために有馬家との間で占領地行政の引き継ぎ事務などを行わなければならなかったからである。

 また、遼河戦線に展開中の結城家領軍についても、この休戦期間中に配置転換を行うことが決定されていた。

 まず、損耗の激しい第十四師団(元嶺州軍である歩兵第二十八旅団も含む)は、戦力の再編と訓練のために内地に帰還させることとなった。

 五月一日より順次、大連港より輸送船にて内地に向かう予定である。

 その次は、独混第一旅団を五月十五日より内地に帰還させることとなっている。これは、結城家次期当主である景紀を遼東半島の占領地行政より外すことで、遼東半島における結城家の影響力を徐々に低下させていくことが目的であった。

 現在、結城家が軍政を担当している金州民政庁の人員も、順次、有馬家領出身者に置き換えられていく予定である。


「燕京より帰還して早々に、面倒事に巻き込んでしまってすまないな」


 五月一日、第十四師団の内地帰還に伴い、第三軍司令官として大連まで見送りに来ていた有馬貞朋は、そう景紀を労った。


「それにしても、この城壁上からの眺めはなかなか壮観だな」


 二人は今、金州城の城壁上回廊の上にいた。そこから、船の出入りする大連港を眺めている。


「実は父上が、現在の講和会議の交渉状況について知らせてきてな。念のため、景紀殿にも伝えておこうと思う」


「ご配慮、ありがとうございます」


 貞朋には、御付きの術者として弓削慶福(よしとみ)という陰陽師がいる。彼を通して、皇都の頼朋翁から呪術通信でも入ったのだろう。


「領土割譲や賠償金問題、それに満洲利権については意外にも、斉側が全面的に受諾する形でまとまりかけているようだ」


「確かに、意外ではありますね」


 満洲は斉人にとって父祖の地である。だからこそ領土割譲交渉や満洲利権の獲得交渉は難航すると思われた。しかし、実際には斉側が全面的に受諾するという。


「まあ、斉も父祖の地として当初は封禁政策を取っていたが、その後は漢人の入植を拡大させている。そして今は遼河平原を我が軍に占領され、それを奪還する力もないのだろう。最早、斉人を頂点とした満洲統治に見切りを付けたのかもしれん」


「皇国が一方的に勝ったというわけではありませんが、少なくとも斉の敗北は決定的な状況ですからね。この現実を受け止めるしかないと、例の恭親王奕愷は考えたのかもしれません」


「だとすれば、彼は若いながら賢明な人物だな。もっとも、斉人からは弱腰と誹られるだろうが」


「他国の指導者が我が国にとって都合の良い人物ならば、その国内での評価など俺たちにはどうでもいいことです」


「なかなかに辛辣な意見だが、まあ、それが国際政治の現実というやつであろうな」


 貞朋は景紀の言葉に苦笑しつつ納得していた。


「問題は、外国公使の常駐や通商問題の方だそうだ。特に外国公使の燕京常駐については、斉側は認められないという回答をしてきている。すでに燕京にはアルビオン連合王国の代表も到着して恭親王との交渉を開始しているというが、やはり交渉が難航しそうなのは外国公使常駐問題と通商問題であるようだ」


 皇国と斉との間で休戦協定が発効してから、アルビオン連合王国もまた斉との休戦に応じていた。

 その後、香江総督を代表とする使節団が四月二十五日、燕京に到着して講和会議に臨んでいる。


「領土や賠償金よりも、華夷秩序の維持に拘りますか、何と言いますか、逆な気もしますが」


 外国公使の燕京駐在や通商条約の締結は、治外法権・関税自主権の問題などがあるにせよ、領土の割譲などよりは受け入れやすい条件のはずであった。

 しかし、斉側はどうも逆であるようだった。

 とはいえ、都まで占領されている斉に、受諾を拒絶する権利などない。いずれ、こちらの圧力に負けて折れるときが来るだろう。

 問題は、単に斉が頑迷に西洋式の外交関係・通商関係を拒んでいるだけなのか、それとも何かしら交渉で時間稼ぎを図っているのか、そのあたりが気になるところであった。

 しかし、景紀にはそれを確認するすべはない。


「そのアルビオン連合王国だが、香江対岸の九龍半島を新たに割譲するように求め、さらには賠償金五〇〇〇万両を求めたそうだ。それ以外の公使常駐、通商問題についての要求は、我が国と同じだという。まあ、十字教徒の保護など、西洋列強らしい要求項目もあるらしいがね」


「賠償金の要求額が、我が国と比べて意外と控え目ですね」


「まあ、派兵した兵力や戦場の規模が、我が国と比べると小規模だったからな。とはいえ、我が国と合計で三億五〇〇〇万両。斉の財政は苦しいものとなるだろうな」


「まあ、先の綏朝のように皇族がことごとく滅ぼされるよりは、穏当な結末ではあると思いますが」


「敗戦国の、あるいは勢いを失ったものの悲哀というべきであろうな。我ら六家も、他人事と嗤うわけにもいくまい」


 貞朋の一言は、いやに重く城壁の上に響き渡ったのだった。


  ◇◇◇


 五月三日、外国公使の燕京常駐、通商条約の締結などの要求に応じようとしないことに業を煮やした皇国側全権代表は、恭親王奕愷に対して最後通牒を突き付けたらしい。

 三日以内に要求を受諾しない場合、停戦協定を破棄して再度の戦闘に踏み切ると通告したという。

 これを受けて、征斉大総督・北白瀬宮大将から派遣軍全軍に警戒態勢をとるように命令が下った。

 すでに内地への還送を開始している第十四師団はこの命令の対象外であり、引き続き残余の兵員の輸送船乗り込みが継続されていたが、独混第一旅団については再度の海城進出の準備を開始しなければならなかった。

 十五日から始められる予定の旅団の内地還送も、一時、中止ということになった。

 このため部隊の士気は一時、低下してしまった。ようやく内地に帰還出来ると知らされた直後に、再び戦闘に備えるよう言われたのである。

 士気が低下するのも当然であった。

 しかし、北白瀬宮大将の命令は、結果として杞憂に終わった。

 回答期限である五月六日、斉側は皇国の講和条件のすべてを全面的に受諾すると回答。翌七日、後世“燕京講和条約”と呼ばれる条約が正式に調印された。

 ここに、皇暦八三五年八月二十五日の豊島沖海戦に始まる対斉戦役は、正式な意味で終結することとなったのである。

 皇暦八三五年八月二十五日から八三六年五月七日までの、計二五五日にわたる戦争であった。

 今後、斉との間には捕虜の返還、燕京における大使館ないし公使館設置のための交渉、また満洲における皇国の利権や居留民を保護するための駐兵権および鉄道敷設・鉱山開発のための地形・地質調査を行う調査団派遣に関する交渉など、講和条約で定められた諸条件を履行するための細目交渉が行われることになるだろう。

 とはいえ、少なくとも軍人たちの役目は終わったと言っていい。あとは、外交官たちの仕事だろう。

 しかし、六家次期当主という立場にある景紀は、講和条約が結ばれたからといってすべての役割から解放されるわけではない。


「引き継ぎ書類は、こんなもんで良いか……」


「はい、お疲れ様」


 旅団司令部の執務机にぐったりしている景紀から書類を受け取り、代わりに冬花は茶を差し出した。

 内地帰還にあたり、景紀は金州民政庁の行っていた軍政を有馬家に引き継ぐための書類作成や旅団の撤収作業に忙殺されることになったのである。

 なお、独混第一旅団の内地還送は、五月二十日に改められている。人馬だけでなく、兵器類の輸送船積み込みについても、陸軍船舶部隊と調整を行わなければならない。

 一旅団長であれば部隊の撤収業務だけで済むのだが、景紀の場合は六家次期当主である。金州民政庁の引継業務がそこに加わったため、多忙を極めることになったのである。


「……こりゃあ帰還前に、満洲の温泉を楽しむ時間はなさそうだな。ったく、正直、内地に帰ったら半年くらい、何もしないでいたい」


「駄目に決まってるでしょ」


 冬花は持っていた書類で軽く主君の頭をはたいた。久々のものぐさ発言であるが、従者として容認するわけにはいかない。


「内地の政治情勢もこの戦争中に色々と変わっているでしょうし、何より戦後の政策を巡ってまた六家は対立を始めるはずよ。落ち着いていられる時間なんてないでしょうね」


「相変わらず、六家の辞書に“協調”って言葉はないのか?」


「ないんでしょうね」


 流石に冬花も呆れつつ、景紀の言葉に同意する。

 景紀は嘆息しつつ冬花が淹れてくれた茶を啜り、巾着袋から金平糖を何粒か取り出して口の中に放り込んだ。


「……植民地利権の分配で揉めるだろうし、賠償金の使い道で揉めるだろうし、東亜新秩序とかいう外交政策の方針でも揉めるだろうし……。本当に、揉める要素しかないわな、これ」


 そう言って、六家次期当主の少年はもう一度深く嘆息した。と、執務室の扉が叩かれる。


「穂積大佐です」


「ああ、入れ」


 許可の言葉と共に扉の把手が回され、男装の少女が入ってくる。

 女性であることを認識させないお守りを常に身に付けていたこともあり、戦地での生活の間、旅団将兵たちはついに貴通が女性であることに気が付かなかった。


「ふふっ、景くん。だいぶお疲れのようですね」


「おう」


 からかうような笑みを浮かべる貴通に、景紀は気怠げに片手を上げた。

 貴通は旅団幕僚なので撤収作業に、冬花は補佐官なので金州民政庁の引継業務に、景紀だけが二つの業務を同時にこなさなければならなかったのだ。疲れもする。


「取りあえず、糧食や弾薬などについては現地に残す方針でまとまりました。装備だけ、持って帰る形ですね」


「まあ、軍政から民政に移行するまでは、どうしたって軍事力が必要になってくるからな。ここを占領統治する交代の部隊のためにも、それと輸送船への積み込み作業の手間を考えても、残していった方がいいだろうな」


「少なくとも、内地を出発した時よりは身軽で帰れます」


「色々助かる」


「僕は景くんの軍師ですから」


 そう、貴通はどこか誇らしげに笑う。


「まあ、内地に帰れる目途が立っただけでも御の字か」


 少し気を取り直して、景紀は言った。


「そうですね。桜はもう散ってしまったでしょうが、帰る頃には六月です。あじさいなんかが見頃ですかね?」


「長期の休暇は無理でも、内地に帰ったら俺たちも温泉に行きたいな。うちの領地には、上鞍とか相柄に温泉地があるからな」


「ふふっ、いいですね」


 今まで彼女も軍務に次ぐ軍務で多忙だったためか、期待するような声音であった。


「実は僕、温泉には行ったことがないんです」


「あー、そっか。そりゃそうだよな」


 貴通は呪術で女性であることが認識出来ないようにしており、兵学寮の風呂などでも他の同期生と共に入っていた。しかし、自分で温泉地を旅行するような機会はなかったはずであった。

 兵学寮を卒業して景紀の幕下となるまでの二年間、彼女は皇都の近衛師団に所属していたのだ。皇都市内に銭湯は数多あれど、温泉はない。


「じゃあ、宵も含めて一緒に行くか?」


「良い考えですけど、それは少し宵さんに悪いかと。内地に帰ったら、景くんはまず宵さんに構ってあげるべきです」


 貴通も冬花も、開戦以来、ずっと景紀の側にいた。いなかったのは、宵だけであった。同じ女として、しばらくの間、宵が景紀を独占すべきだと貴通は思っていた。


「気を遣わせちまって、すまんな」


「いえ、僕は景くんのお役に立てればそれで満足ですから」


 どこか内心の奥深いところで満足していないと囁く自分がいることに貴通は気付きながら、いつも通りの柔和な表情でそう答える。

 そんな貴通の内心を察したのかそうでないのか、景紀は男装の少女に向かって宣言するように言った。


「まあ、それならいつか、お前を温泉に連れてってやるよ」


 とても些細な約束事ではあるが、それでも貴通は嬉しかった。


「では、その時を楽しみにさせて頂きます」


 だから貴通は、思慕する男性に向ける笑みで、そう応えたのだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 だが、五月二十三日、そのような呑気な会話を打ち消すかのような重大情報が冬花の呪術通信経由で景紀の元にもたらされた。

 この日、景紀は二十日から始まった独混第一旅団の内地帰還任務を大連港で指揮しており、そこに血相を変えた冬花が飛び込んできたのである。


「失礼いたします!」


 貴通やその他陸軍船舶部隊関係者を押しのけるようにして、冬花は景紀に近寄った。


「弓削殿経由で緊急の連絡がありました! ルーシー帝国、ヴィンランド合衆国、帝政フランクは我が国に対して遼東半島および満洲権益の斉への還付を、本月二十日付で勧告。ルーシー領西シビルアでは活発な軍の動きが見られるとのこと。また、これを受けてアルビオン連合王国軍では西蔵方面への派兵を検討中の模様です!」

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『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
[良い点] 盛り上がって参りました!攘夷派も物語も! [気になる点] 三国干渉でドイツが息をしていない? [一言] この三国干渉はえぐいですね。史実と違って獲得している満州の利権も返せと言われてるので…
[一言] 更新お疲れ様です。 いわゆる三国干渉の発生ですか この後の日露戦争相当の戦争にも影響が出そうですし どういった形で決着に持ち込むか楽しみにしています。
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