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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
幕間 北国の姫と封建制の桎梏

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10 苦い幕引き

 深更の頃、大寿丸改め「隼平」らは佐薙家皇都屋敷をひっそりと出た。

 表門の方では、深夜にもかかわらず張り込んでいる新聞記者たちと屋敷の警護の者たちが騒ぎを起こすように仕向け、周囲の警察の注意をそちらに引き付ける。

 その隙に、大寿丸を連れた史高が皇都屋敷を脱出する。

 途中で横浦港まで荷物を運ぶ荷馬車と落ち合い、荷台に紛れることになっている。その荷馬車は、もちろん佐薙家の忍が運送業者を偽装したものである。

 ひとまず、会合地点である皇都を取り巻く運河沿いの倉庫街を目指す。

 だが、屋敷を出て五〇〇メートルも進まないうちに夜間警邏中の警察官に発見されてしまった。警察も、襲撃事件を受けて普段以上に治安維持を強化していたのである。


「そこの者、止まれ!」


 片手に角灯を下げ、警棒を構えた警官に呼び止められる。


「こんな時間に子供を連れて何をしている?」


 一歩一歩、警官が近付いてくる。

 一応、言い逃れの内容は忍の者たちと打ち合わせている。朝一で皇湾に漁に出掛ける漁師兄弟という設定なども考えた。

 しかし、ここは佐薙家皇都屋敷からあまりに近すぎた。下層の平民がいるのは、妙なのだ。

 もちろん、荷車に魚などを積んでいれば将家の屋敷に魚を届けに行く途中と偽ることも出来ただろうが。


「くっ……!」


 どうすべきか、と史高は小さく呻いた。

 だがその刹那、その警官が突然、声を上げることもなく倒れた。地面にぶつかった角灯の火が消える。

 史高と大寿丸の前に、ひらりと黒い影が舞い降りた。

 大寿丸よりは伸長が高いが、成人男性である史高より頭二つ分は小さい。黒装束に身を包んだ、華奢な影だった。


「お迎えに上がりました、大堀様」


 声は、まだ年若い少女のものであった。


「中野(りゅう)殿か」


「はい」


 黒装束は、どう見ても十代前半にしかならないような背格好であった。


「兄・隼吉(じゅんきち)より、合流まで道中の安全を確保するように仰せつかって参りました」


「かたじけない」


「私が先導しますので、少し遅れて付いてきて下さい」


 そう言うと、中野流と名乗った黒装束の少女は先行するように駆け出していった。


「我々も、参りましょう」


「はい」


 脱出早々に警察に呼び止められた所為で強ばっている大寿丸の腕を、史高は引く。

 中野流は姿勢を低くした姿勢で道を滑るように駆け、道が交わる地点で警邏に当たっている警官を次々と昏倒させていった。それも、相手に気付かれる前に、静かに意識を奪っていくのである。

 単純な通行人がいた場合は、ひとまず路地の影に身を隠すよう、二人に合図してくれた。


「……すごい。僕と同じくらいの女の子に見えるのですが?」


 そのあまりの手際の良さに、大寿丸が不思議そうながらも感嘆の声を上げた。


「佐薙家に仕える忍、中野家の娘です。十二のはずですから、“隼平”よりも三歳程度年上のはずです」


 流という忍の少女によって安全を確保された道を駆けながら、史高は答える。


「もう少しで合流地点です。そこからは荷車の荷台に紛れて横浦へ向かいます。狭いですが、少しの辛抱をお願いします」


「ああ、判った」


 忍の少女に先導された二人は、未だ明けない皇都の闇の中へと消えていった。


  ◇◇◇


「ったく、今度もまたお構いなしかよ。姫様が佐薙家の連中に怒るのも当然だな」


 三人が通った後に残された警官たちの様子を見つつ、溜息交じりにそう言ったのは鉄之介だった。

 忍と思しき先導者と、大堀史高、佐薙大寿丸の三名は、倒れた警察官などには目もくれずに去っていった。


「新八さん、どうだ?」


「ん~、痺れ薬やね」


 昏倒している警官から、新八が何かを引き抜いた。それを鉄之介に見せる。

 ガス灯の明かりを反射しているのは、針であった。


「こいつに強烈な痺れ薬を塗って、相手の首筋に刺すんや。ここまで強力なもんやと、後々後遺症が残る者もおるやろうな。あとは、人によっては過剰免疫反応(アレルギー)とか」


「じゃあ、俺が適当に治癒の術式を掛けておいた方がいいな」


「そうやね。頼むわ」


「了解」


 二人がここにいるのは、宵姫から命令があったからだ。

 結城家の方針として、大寿丸が北溟道に逃亡することそのものについては見逃すことになった。だが、それに宵姫は納得出来なかったらしい。


『鉄之介殿、新八殿。佐薙家皇都屋敷から脱出しようとする大寿丸を見張って下さい』


 景忠公の元から戻ってきた宵は、鉄之介と新八を呼び出すとそう言ったのだ。


『脱出に際して彼らがまた無関係な警察や皇都市民を巻き込むようなことがあれば、鉄之介殿、あなたの治癒の術式で助けるように。また、夜間の隠密活動となりますから新八殿も協力してあげてください』


『了解や』


 そうあっさりと承諾した新八に対し、鉄之介は宵姫に対して一抹の不安を覚えた。


『なあ、姫様、それは御館様の指示なのか?』


『いえ、私の独断です』


 隠すこともせず、宵はそう言ったのだ。


『大寿丸を見逃す、というのが景忠公の決定です。それ以外のことについては、特に何も言われていません』


『はははっ、お姫さんも大胆やなぁ』


 楽しげに笑う新八とは対照的に、鉄之介は胃の痛くなる思いであった。


『なあ、俺は明日も朝から学校なんだが?』


 葛葉家は結城家に直接仕える陰陽師の家系。個人的に景紀に雇われている新八とは違う。だからこそ、景忠公の存在を無視した宵姫の指示をやんわりと拒絶しようとした。


『知っています。ですが、また佐薙家の者たちがなりふり構わず無関係の者を傷付けた場合、即座に治癒出来る者が必要なのです。鉄之介殿、あなたもあの襲撃の場にいましたよね?』


『……』


 そう言われてしまうと、鉄之介としても納得せざるを得ない。宵姫の、どこか怒りを湛えた口調に気圧されてしまったのかもしれない。


『本当は、後顧の憂いをなくすために、大寿丸には“事故死”か“病死”してもらうのが一番なのですが』


『おい、姫様……』


 まさか、そこまで自分たちに求めようというのか。鉄之介は、思わず声を震わせてしまった。

 忍の新八ならば何らかの事故を偽装することは可能であろうし、陰陽師の自分ならば呪詛で病死に見せかけることも可能だ。

 宵姫の思い詰めたような言葉は、そうしたことを命じられてしまうような雰囲気があった。だが、すぐに彼女は鉄之介の(おのの)きに気付いたのだろう。


『冗談ですよ』


『じょ、冗談か……、ははっ、ははは……』


 宵姫はそう言うが、鉄之介は乾いた笑いしか出てこない。


『ひとまず、景忠公のご意向です。こちらから大寿丸たちには手出ししないように。無事に逃げ切ろうと、途中で警察に捕縛されようと、無視して構いません。ただ、巻き込まれた者たちがいたら助けるように。私が命じたいのはそのことだけです』


 そう言われて鉄之介も折れたが、実際に現場に来てみると宵姫の懸念が当たっていたことが実感出来る。これならば、あの姫君が怒りを覚えていてもやむを得ないだろう。

 鉄之介自身も、当初は乗り気な任務ではなかったが、新八から痺れ薬の効能を聞いて来てみて良かったとすら思っている。


「本当に、嶺州の連中は何考えてるんだろうな」


 佐薙成親による宵姫誘拐事件に始まり、鉄之介は宵と佐薙家の確執による事件に巻き込まれることが多い。だからこそ、ここまで彼らが宵姫を敵視し、このようななりふり構わぬ行動に出ることが不思議でならなかった。

 これで本当に、佐薙家当主の地位を取り戻せると思っているのだろうか?

 あるいは、大寿丸は一生、身分を偽ったまま歴史の狭間に埋もれていくのかもしれない。むしろその方が、本人にとっても嶺州にとっても幸せだろう。


「これなら、景紀(あいつ)の方がまだマシだな」


 自分から姉を取っていった相手ではあるが、少なくとも今の佐薙家の状態と比べれば、結城家次期当主たる景紀の方が仕え甲斐のある主君だろう。

 認めるのは苦々しいが、鉄之介はそう思いながら昏倒している警察官たちの治癒を続けていた。


  ◇◇◇


 史高と大寿丸は、忍の少女・流の先導によって無事に荷馬車と合流することに成功した。

 流の兄・中野隼吉と大堀史高が御者台に座り、大寿丸と流が荷台に乗る。子供二人は、運送業者の丁稚奉公という設定で警察などの検問をやり過ごすつもりである。


「……」


 がたがたと揺れる荷車の中で、平民“隼平”こと大寿丸は気まずい思いを抱いていた。

 ここまで助けてもらった礼を言おうとしているのだが、流と呼ばれる少女と荷台で二人きりになるや否や殺気交じりの苛立ちを“隼平”にぶつけてきたのである。

 荷台で胡座をかき、腕を組んで、会話を拒むような雰囲気を放っていた。


「……あの」


「なにっ!?」


 意を決して話しかけようとすると、苛立った声と共に睨まれる。


「あの、ここまでの礼を言おうと……」


 尻すぼみになりながら“隼平”が言うと、「はっ!」と嘲弄するように流は鼻で嗤った。


「あたしら家臣が主君のために尽くすのは当然のことですよ、ええ、当然のことですとも」


 その声には、佐薙家次期当主への敬意などまったく含まれていない。


「……やっぱり、僕がみっともなく逃げ出したから」


 そんな少女の態度を、“隼平”は自分が皇都から落ち延びるように逃げ出したことが原因だと捉えた。自分のために命を投げ出した家臣がいながら、屋敷に残る多くの家臣を見捨てて北溟道へ向かおうとしているのだ。

 歳の近そうなこの少女は優れた忍の術を身に付けている。そんな彼女にとって、自分はさぞ情けなく見えたのだろうと、そう思ったのだ。


「はっ。馬鹿言ってんじゃないよ、ボンボン」


 最早、流という少女は言葉だけの敬意すら捨て去っていた。


「あんたが逃げ出そうが逃げ出すまいが、ずっと家臣におんぶに抱っこな情けない状態に変わりないじゃないか」


「……」


 そう言われてしまえば、“隼平”に返す言葉はなかった。父親が追放されてから、ずっと自分自身の無力感を味わってきた。家臣の無礼を、咎める気にもなれなかった。


「あたしが気に喰わないのは、そうやって家臣を喰いものにしているあんたの態度だ」


「僕は、喰いものになんて……」


「してないって言うのかよ」


 途端、流は“隼平”の胸ぐらを掴み上げた。辛うじて、声だけは抑えている。


「あんた、家臣の忠誠だけで自分が北溟道に逃げ延びられるとでも思ってるのか?」


「……」


「どんなことにだって、金が必要なんだよ、金が」


「そんなこと、判っている……」


「じゃあ、その金がどこから来ているのか、言ってみろよ」


「それは、民の税から……」


「はっ!」また、流は嘲笑した。「これだから温室育ちのボンボンは。今の佐薙家が、あんたを逃すための金を普通の予算から出せるとでも思ってんのか? 結城家に従属しているのに?」


「……」


「あんたを逃がすための金はな、あたしの姉さんが体を売って稼いだものなんだよ」


「……体を、売る?」


「ったく、これだから温室育ちのボンボンは」


 乱雑に放るように、流は“隼平”から手を離した。忍の女として、流は幼い頃からそうした方面での隠密活動も出来るように教育を受けてきた。

 今回、彼女ではなく姉が身売りすることになったのは、単に流が女として体が成長していなかったからに過ぎない。

 そうした事情を、この若君はまだ理解出来ないようであった。


「おい、何を騒いでいる?」


 流の兄・隼吉が荷台に繋がる窓を開けて彼女を睨み付けた。


「お前、くれぐれも若様に失礼のないようにしろよ」


「判ってますよ、兄上」


「……」


 明らかに判っていない口調の妹に、御者台の若者は小さく息をつくと窓を閉めた。


「ふん」


 これ以上は言う気が失せたといった態度で、流は荷台にごろりと横になった。“隼平”からは背を向ける格好である。


「……君は」


「ああ?」


 低い声で、不機嫌そうな流の声が返ってくる。


「……そんなに僕が嫌いなら、何で僕が逃げるのに手を貸してくれたんだ?」


 そう恐る恐る“隼平”が問うと、また「はっ」という嘲笑が返ってきた。


「いい気味じゃない。あたしの姉さんは娼妓になった。あんたは伯爵サマの嫡男なのに、これから農民みたいに暮らすことになるんだ。それを特等席で眺められるんだ。まあ、それであたしの腹の虫が収まるかどうかは判らないけどね。でも、少なくとも溜飲は下がる」


 それ以上、流は会話もしたくないとばかりに黙り込んでしまった。


「……」


 “隼平”は、ここまでの悪意を他者から向けられた経験はなかった。でもそれと同時に、流の感情は悪意なのだろうかという疑問も浮かんだ。

 将家次期当主として教育を受ける中で、叱責を受けた経験はある。それと流の言葉はまったく違うものであることは判っているが、純粋な悪意や敵意とは何となく違う気がするのだ。

 流よりも、むしろ“隼平”は先日会った姉の宵の方が怖かった。感情のまったく読めない無表情のまま、自分からすべてを奪おうとするあの姉の方が。

 これからの生活への不安も、当然、この幼い子供の中にはあった。母とも妹とも、もしかしたら長い間会えないかもしれない。

 そう考えれば考えるほど、何だか無性に泣きたくなった。

 でも、それはもっと「みっともない」気がして、“隼平”は耐える。

 目の前の忍の少女は、それでも自分に直接仕えてくれる家臣の一人だろう。そんな子の前で、情けない姿を見せたくなかった。

 この幼い少年もまた、男の子らしい意地と見栄があった。


「君が、僕をどう思っているのかは判った」


「……」


 “隼平”の言葉に、流は反応しない。

 だけれども、この言葉だけはこれから仕えてくれる者に言わねばならないと思った。


「それでも、ここまで僕を逃してくれたことに、礼を言いたい。それと、これから世話になると思う。だから、よろしく」


 返答は、深い溜息だった。


「……あんたが、いかに温室で育ってきたお坊ちゃんなのかが判った」


 怒る気力も失せたのか、流の言葉はどこか呆れの響きがあった。

 そしてそれを最後に、荷台での会話は完全に途切れた。






「よろしかったのですか、若と流を一緒の荷台に放り込んで」


 御者台で馬を操っている中野隼吉は、大堀史高に問うた。中野流が姉の件で大寿丸を快く思っていないことを、二人は知っていた。


「若君は、成親様が追放されるまで、あまりに将家の持つ暗い側面に触れられてこなかった。ある意味で、世間知らずな面がおありだ。これを機に少しでも家臣の不満を受け止めることで、ご成長なさって頂きたいと思っている。いずれ、佐薙家を再興する時に、良き領主となられるように」


 史高の言葉には、祈るような切ない響きが混じっていた。

 たとえ大寿丸が立派に成長しても、それが佐薙家再興に繋がるわけではない。そのことを、彼はよく理解していた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 宵が嶺州浪士に襲撃されてから二日、大寿丸が皇都を脱出した翌日、皇都警視庁に三名の嶺州浪士が出頭した。

 斬奸趣意書を皇都の主要各所に散布した者たちである。

 出頭の理由は、この襲撃が佐薙家とは無関係であると証明するためであるという。つまり、懸賞金に目が眩んだ者が、大寿丸や定子に対する讒言を行うことを未然に防ごうとしたのだろう。


「何とも後味の悪い幕切れです」


 宵は微かな不快感を滲ませながら、その日の終わりに日課となっている日記を付けていた。

 結局、佐薙家は今回の事件に関して将家としての責任を自ら取ることなく、大寿丸は姿をくらましてしまった。

 結城家はその逃亡先を知っているが、里見善光によってこの件を政治的に利用することとなり、その情報は未だ内務省と共有されていない。

 むしろ、内務省や警視庁の不手際を糺弾して中央政府に対する六家の統制を強化する方向に向かおうとしている。

 唯一、この事件で責任を取ったと言えるのは兵学寮で割腹自殺を遂げた戸澤義成程度であろう。それも、本来であれば責任を負うべき立場にない者である。

 だからこそ、余計に後味の悪い幕切れであった。

 新八の調査によれば、例の葦原の娼妓も一夜にして姿を消してしまったという。昨夜、新八は鉄之介と行動を共にしていたために葦原方面ヘの対応が遅れ、その足取りを新八だけで掴むのは不可能だという。

 もともと、葦原は身売りされた娼妓や芸妓の逃亡を防ぐため、また皇都の風紀面から街全体が高い塀で囲まれている。逃亡が失敗し、連れ戻されれば遊女たちには拷問にも等しい厳しい仕置きが待っていると言うが、それでも逃亡は後を絶たないという。

 新八が不審に思っていた娼妓の少女が、単に自身の境遇が辛くて逃亡したのか、それとも何かしらの任務が終了したから姿を消したのか、そこは判らない。

 風間卯太郎ら結城家の忍や隠密衆の密偵が、葦原から佐薙家への金の流れを調査し始めて間もないため、結局、真相は判らずじまいである。


「はぁ……」


 宵は重い溜息をついた。

 快刀乱麻を断つが如く事件が解決するのは、所詮、物語の中だけだ。今回の事件も、表面的にはこれで幕引きを図りつつ、水面下で未解決の部分が残り続けるのだろう。

 それが、自分や景紀、あるいは嶺州の安寧を脅かすものでないことを祈ることしか今は出来ない。

 いずれにせよ、佐薙家の凋落は今回の事件で決定的になった。未だ、伯爵家としての家格を保っていられるのは、六家の一つ、長尾家の血を引く佐薙成親正室・聡と結城家次期当主正室・宵の存在があるからだ。

 先日、結城家家臣団の間で議論になったように、宵自身の子供か、あるいは適当な佐薙家の血を引く男系男子を結城家の養子にして、佐薙伯爵家を継がせることになるだろう。

 それまでは、伯爵位は空位のままである。

 とはいえ、それ故に依然として佐薙家は首の皮一枚で将家であり続けている。もっとも、現状は大寿丸が行方をくらませたことで、家としては完全に形骸化してしまったが。


「景紀様にも、ご面倒をおかけすることになりそうです」


 それが、宵にとって憂鬱の種であった。

 本来、結城家次期当主正室である宵の役目は、結城家を継ぐべき者を産むことだ。それなのに、佐薙家についても責任を負うことになってしまった。

 景紀が戦地に行っている間に、国内でも色々な動きがあった。

 戦後利権の分配を巡る問題を端緒に結城家は南泰平洋に進出することになり、徴傭船船員の身分保障問題が正式に政治の場で議論されるようになり、そして今回の佐薙家の将家としての形骸化。

 もちろん、自分が篤志看護婦人会の講習に参加しているなど細かなことはあるが、大きな政治的動向はこの三つだろう。

 とはいえ、佐薙家が家として形骸化したところで、六家同士の力関係が大きく変化するわけでもない。それは、成親の追放の時点で始まっていたことだからだ。

やはり六家の力関係の変化は、戦功や植民地利権の多寡によって決するものだろう。

 今次戦役がいつ終わるのかは判らない。

 だが、その後に混迷がやってくるだろうことは予想がつく。その中で、自分は冬花や貴通と共に、景紀を支えていかねばならないのだ。


「景紀様、一日でも早くお会い出来る日が来ることを祈っております」


 宵は枕元に、“雪椿”を置いた。また、夢の中でも良いから景紀に逢いたいと思って。

 でも、もうそんな都合の良いことは起こらなかった。






 そうして、皇都は徐々に春の気配が濃くなっていく。

 宵の元に斉が和議を申し込んできたという報せが届いたのは、皇暦八三六年三月二十八日のことであった。

 これにて、幕間「北国の姫と封建制の桎梏」を完結させていただきます。

 ここまでのお付き合い、誠にありがとうございました。

 ご意見・ご感想等ございましたらば、お気軽にお寄せ下さい。


 次回は再び本編に戻りまして、対斉戦役の講話問題と戦後世界の構築を描く第9章「混迷の戦後」編の連載を開始したいと考えております。

 ようやく景紀と宵が現実に再会することになりますので、またお楽しみ頂ければ幸いです。

 今後とも、拙作を宜しくお願いいたします。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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