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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
幕間 北国の姫と封建制の桎梏

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6 皇都と姫と浪士と

 秋津皇国の首都である皇都は、武家政権の都として築かれた都市である。

 六家による盟約が結ばれて戦国時代が終焉を迎えた際、六家を中心とする新たな武家政権の誕生により、公家や寺社勢力の影響の及ばない都を開く必要性があったからである。

 当初は旧都にほど近い関西地方の石坂なども検討されたが、すでに南蛮貿易の一大拠点となっていた石坂は商人による自治都市なども多く、また西洋と繋がりが深いために十字教勢力の流入も懸念され、そのまま商都として発展させることになった。

 そこで六家が目を付けたのが、当時、関東で一大勢力を築いていた結城家が、河越から本拠地を海沿いに移すべく築きつつあった新たな都市であった。

 結果、現在の皇都と西側に隣接する地域(現在の久良岐県)は中央政府(当時は内閣制が敷かれていなかったので「宰相府」であったが)直轄地とされ、結城家領から切り離されることになった。

 皇都に隣接する地域まで中央政府直轄地とされたのは、この地に貿易港を築くためであった。十字教勢力が皇都に浸透するのを防ぐため、あえて貿易港は皇都から少し離れた地に置かれたのである。

 現在、この港は横浦港と呼ばれ、諸外国との一大貿易港として発展を遂げていた。

 このような事情のため、関東の西側にある相柄(さがら)国が結城家領の飛び地となってしまったわけである。

 都である以上、また六家の盟約が皇主を盟主として結ばれたものである以上、皇主の御所は必要であり、新たな都はこの御所たる宮城を中心に発展していくこととなった。

 皇都には水源地から上水道が引かれ、市内には地下水道が張り巡らされている。また川などを掘削して皇都を取り巻く運河を建設するなどして物流網が整備された。

 将家たちの住まう皇都屋敷も、当初は御所である宮城周辺に存在していた。

 しかし、皇都として建設されてからすでに二〇〇年以上。その間、大火や地震などに見舞われた皇都は、依然として宮城を中心とする都市であることに変わりはないものの、築かれた当初とは姿形を変えていた。

 近代国家としての制度が整備されるに伴って、宮城周辺にあった六家も含めた将家皇都屋敷の敷地は官庁街へと変わり、また一部は陸軍練兵場や兵学寮、学士院や女子学士院、皇都大学、あるいは外国大使館・公使館などへと姿を変えた。

 現在、宮城周辺はそうした近代国家として各種制度が整備された証拠となる建物が並んでいる。

 逆に、それまで宮城と共に皇都の中心部に位置していた将家や公家の屋敷は、それ以外の地域への移転を余儀なくされていた。

 現在の結城家皇都屋敷は、皇都市内の北西に存在している。

 皇都と結城家居城である彩城(あやき)国河越とを結ぶ官営の京越(けいえつ)線や私鉄の河越鉄道の始発駅である高畠駅に近い、十万坪を超える敷地面積を誇る邸宅であった。

 もちろん、敷地内には当主とその家族の住まう屋敷や庭園以外にも、政務を行うための御用場などの施設、家臣団とその家族、奉公人・使用人のための住居、馬小屋、馬車のための車庫などがある。つまり、屋敷を囲う塀の内部には後世でいうところの住宅団地のような区画が存在しており、当主個人の屋敷と庭園だけで十万坪が占められているわけではない。

 宵はこの屋敷から、篤志看護婦人会の講習や他家との会談に出掛けているのである。


挿絵(By みてみん)






 一月下旬以降、皇都にある陸軍皇都第一衛戍病院に送られてくる負傷兵の数が激増していた。

 衛戍病院とは陸軍師団の衛戍地にそれぞれ設けられている軍病院であるが、皇都の衛戍病院だけは軍医総監直属とされ、国内でも最新鋭の医療設備が整えられた病院として知られていた。

 第一衛戍病院だけで一万人以上を収容することが出来る規模を誇っている。

 だが、その第一衛戍病院の収容員数が上限に近付きつつあったのである。そのため、皇都郊外に予備として設けられた第二衛戍病院に送られる者も出ていた。

 この原因が、冬季攻勢の失敗と斉軍大反攻によるものであることは明らかであった。

 宵は篤志看護婦人会の講習を受ける傍ら、他の華族の姫君たちと共に包帯作りに従事する時間も増えた。もちろん、傷病兵の慰問に行く機会も。

 送られてくる負傷兵が増大したことで衛戍病院もいささか軍医・看護婦不足になりかけていたため、篤志看護婦人会の者たちで包帯の取り替えなどを手伝うこともある。

 病棟内に収容された負傷兵はその多くが凄惨な有り様であり、陽鮮の倭館で実際の戦争の一端を見た宵に改めて戦争というものの持つ一面を教えてくれた。

 それは、華々しい戦勝報道や幻灯の上映会には決して出てこない一面であった。

 特に多いのは凍傷患者であり、手足の指を失った者、特にすべての指を失ってしまった者たちは悲惨であった。

 もちろん、戦傷によって手足を失った者、両目を失明した者なども多い。手足を失わなかったものの顔面に銃弾を受けまともにものが食べられなくなってしまった者もいる。

 「こんなことなら戦死した方が良かった」と嘆く者たちにかける言葉は、ことさら慎重にならざるを得ない。軍医や看護婦たちも注意しているが、それでも病院内で自殺、ないしは未遂を起こす負傷兵もいる。

 負傷兵たちの気分を紛らわせるために、宵は菓子や果物を持っていったり、あるいは本を読んでやることもある。

 逆に、十七歳にしては小柄な宵を心配してくれる兵士もいて、そういう時はなかなかにこそばゆい気持ちになる。

 故郷に残してきた娘や妹を、宵に重ね合わせているらしい。実父からも疎まれていた彼女にとって、そうした兵士たちからの言葉は少し新鮮であった。

 少なくとも、宵はこうした活動を将家の姫の義務であると思っており、決して疎かにすることはなかった。

 しかし当然ながら、それを快く思わない者たちも皇都には存在していた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「あの姫君は最近、よく衛戍病院に慰問に赴いているらしい」


「ふん、佐薙家の当主でも気取っているつもりか?」


 宵姫襲撃を決めた元佐薙家家臣団にとって、宵の傷病兵慰問はそのように映っていた。

 本来であれば、将家を継ぐことになる大寿丸こそが、佐薙家を代表して慰問活動を行うべき。大寿丸からそうした役目を奪っている(と、嶺州浪士たちは思っている)宵に対する反感は、彼らの間で日に日に高まっていた。

 もちろん、宵は佐薙家の人間として慰問を行っているわけではない。あくまでも、結城家次期当主正室ないしは篤志看護婦人会の会員として行っているだけである。

 しかし、戸澤義基らにとっては、宵の行為は自らが大寿丸に取って代わろうと目論んでいるようにしか見えなかった。

 宵が嶺州軍への影響力まで高めてしまっては、大寿丸が嶺州の統治権と領軍の軍権を取り戻したところで佐薙家の再興は困難だろう。領民や兵卒の心が領主から離れてしまっては、まっとうな領国統治は行えない。

 佐薙家の忍から情報提供を受けていた義基は、宵姫襲撃の日を三月七日と決断した。

 流石に忍たちも結城家皇都屋敷内には情報網を伸ばせておらず、屋敷の周辺に張り込んでいる新聞記者や出入りの商人たちから、情報を得ているだけであった。

 そのため、宵姫が他家との会談に赴く日など、私的な日程についてはほとんど判っていない。

 しかし、公的な外出である篤志看護婦人会関係の日時については、ある程度、把握することが出来た。

 三月七日は、宵姫が午前中に皇都第一衛戍病院を慰問に訪れる日とのことであった。

 同志たちは襲撃地点の下見などを行い、襲撃の準備を着々と進めつつあった。

 実際に襲撃に参加するのは、同志十八名中、義基も含めた十五名。

 残りの三名は襲撃を見届けた後、各新聞社や主要な華族の屋敷に斬奸趣意書を送り届ける役目を負っている。この襲撃が、義挙であることを世間に知らしめるためであった。

 この襲撃が成功すれば、一時的にせよ、佐薙家や嶺州は結城家による圧迫を加えられるだろう。同志たちが佐薙家家臣団を離脱して累を及ぼさないようにしているとはいえ、それはあくまでも自分たちの中で通じる理屈である。

 六家は自分たちを中心とする体制を維持するため、その体制を揺るがしかねない存在を排除しようとする。今までいくつかの将家が改易、御家取り潰しに遭い、民権派活動家も弾圧されている。

 それと同じことが佐薙家にも起こるかもしれないが、それも計算の内であった。

 それによって人々の同情を佐薙家、そして幼い大寿丸に集め、六家の横暴を世間に知らしめる。

 結城家の報復があまりに苛烈を極めるようであれば、大寿丸には一度、身を隠してもらうことになるだろう。その上で、残った家臣団たちによって嶺州における大寿丸待望論を盛り上げさせ、佐薙家の復権に繋げる。

 義基は、この襲撃で自分は討ち死にするか処刑されるかもしれないが、あとのことは大堀史高が上手くやってくれるだろうと思っていた。

 少なくとも、後を任せられる者がいる。

 だからこそ、義基は安心して忠義に殉ずることが出来た。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 三月七日、宵姫にとっては何も変わらない一日の始まりであったが、鉄之介と八重にとっては少し違っていた。

 この日、学士院および女子学士院は、来年度の入学者に対する試験の採点などの業務を行うため、生徒たちに学校敷地内への立ち入りを禁止していたのだ。つまり、この日は休校日となっていた。

 最近は宵姫の周囲に不穏な噂が流れていることもあり、また二人に要人警護の経験を積ませる意味も込めて、葛葉英市郎は衛戍病院へ慰問に向かう宵姫の護衛を鉄之介と八重に言いつけた。

 八重は朝食前には屋敷にやって来ていて、屋敷内で葛葉家に与えられた部屋で鉄之介やその両親たちと共に朝食をとった。


  ◇◇◇


 義基たち十五名の嶺州浪士たちは、襲撃地点と定めた場所に集まりつつあった。

 道の中央に複線の馬鉄が走る、大通りの一角であった。平日は皇都砲兵工廠などの工場へ向かう労働者たちが行き交う場所で、一部の同志たちは労働者風の格好をして正体を隠していた。

 刀を持った人間たちが十人以上でたむろしていれば、嫌でも目立つ。警邏中の警察に見咎められるのは、何としても避けなければならなかった。だからこそ、十五人中約半数に当たる七名は馬鉄を待つ労働者を装っていたのである。

 そして残りの八名が斬込班として、大通りから脇道に逸れる細い路地に分散して身を潜めていた。


  ◇◇◇


 動員令の発動に伴って馬を軍に供出してしまったため、開戦以来、景忠公や宵の移動には人力車が使われていた。


「どうかしら?」


 ふふん、とどこか得意げに鼻を鳴らした八重が宵と鉄之介の前に現れた。

 今日、彼女がまとっているのは陰陽師風の水干ではなく、剣士のような羽織袴であった。

 女学生の間で流行っているような、どこか瀟洒な印象を受ける羽織袴ではない。少年剣士のようにも見える、男向けの羽織袴であった。

 羽織には、結城家家臣団であることを示す結城家の家紋が背中に付いている。

 同じような羽織は、動きやすさを追求した着物を身に付けている菖蒲もまとっていた。彼女の場合は忍であるため、羽織の内側に苦無などを仕込んでいる。


「なんつうか、思った以上に似合ってるな」


 今日の八重は腰に刀を差しているため、本当に少年剣士のような出で立ちであった。

 そう感想を漏らす鉄之介もまた、陰陽師というよりも少年剣士のような格好をしている。しかし、若々しい凜々しさという点では八重の方が上であった。

 そのため、鉄之介の声にはどこか悔し紛れの色があった。そんな彼の感情が判っているのだろう。八重は見せつけるように片手を腰に当てて、普段とは違う自らの格好を鉄之介に誇示していた。

 その様子を微笑ましく思いつつ、宵は二人に言う。


「では二人とも、今日はよろしくお願いしますね」


「おう」


「任せなさい」


  ◇◇◇


 すでに何度か馬鉄をやり過ごしていた。

 市が雇っている馬糞回収業の者たちも、何人も嶺州浪士たちの目の前を通り過ぎていった。

 時刻はすでに九時半を回っていた。

 情報から、九時過ぎにはこの場を通過すると予測していたが、宵姫の人力車はなかなかやって来ない。情報が間違っていたのか、今日に限って経路を変えたのか。

 嶺州浪士たちの間で、徐々に焦燥感が高まりつつあった。

 皇都に出稼ぎ労働者が多く流入している影響で、警察の方も怪しい人物の取り締りを強化していた。いかに労働者風の格好をしていようとも、一ヶ所に長く留まっていれば不審に思われる危険性があった。

 それに、そうでなくとも武士として鍛えられてきた者は労働者たちとは背筋の伸ばし方が違う。そうした立ち姿の違いから怪しまれる可能性もあったのである。

 十時近くになれば、流石に出勤する労働者の姿も減ってくる。無数の通行人の中に自らの存在を紛れ込ませることが、難しくなってきた。

 襲撃は失敗か。

 戸澤義基は、そう判断しかけた。

 だが、その刹那。

 彼の目を眩い光が襲った。


「―――っ!?」


 それは、髭剃り用手鏡で反射された太陽の光であった。見張り役の浪士から、宵姫の人力車がもうすぐ現れることを知らせる合図である。

 通りの向こうで手鏡を操る男に、義基は静かに頷いて見せた。

 が、拙いことが起こった。

 ちょうど、馬鉄が軌道を進んでくる音が聞こえ出したのだ。

 馬鉄の客車によって、宵姫の人力車が覆い隠されてしまう可能性が出てきた。道の両側から一斉に襲撃する手筈となっていたのに、これでは一部の人間が遊兵と化してしまう。

 だが、皇都市民が邪魔になることは、市街地を襲撃地点に選んだ時点で判りきっていたことだ。義基らは静かに拳銃の弾倉を確認した。


  ◇◇◇


 六家の人力車だからといって、優先的に通行出来るわけではない。

 通りを歩く歩行者には気を配らねばならないし、交差点では交通整理を行う警察官の指示には従わねばならない(とはいえ、平民に指図されることを嫌う気位の高い一部の将家華族や士族によって時々交通規則は乱されるが)。

 宵の乗る人力車は、熟練の車夫に曳かれながら通りを走っていた。その前後両脇に、菖蒲を始めとする六名の護衛がいる。三名が通常の護衛で、菖蒲が忍、八重と鉄之介が陰陽師という組み合わせである。

 皇都は、依然として戦勝気分に酔っているかのような雰囲気の中にあった。

 最近では戦線が小康状態になっている影響か、大規模な戦勝記念集会や市民による提灯行列などはないが、それでも戦争の前途に対する楽観的な空気があった。

 自分がこれから向かう衛戍病院に収容されている者たちと皇都市民たちとの落差を、宵は思い致さずにはいられない。

 屋敷で働く奉公人の平民女性の中にも、息子の戦死通牒を受け取って泣き崩れた者がいた。武家の女性たちは体面を気にしてそうした感情を周囲の者たちに見せはしないが、夜中にすすり泣く声が聞こえてくるという。

 戦勝の影で、そうした悲劇は無数に存在しているのだ。

 皇都はそうした戦争の暗い側面を覆い隠しつつ、今日も日常を謳歌しているように見えた。

 と、通りを横切ろうとしたのか、不意に歩道から男が飛び出してきた。車夫が慌てて減速する。思わず宵も座席の手すりに掴まってつんのめりそうになる体を支えた。

 その男は軽く手を挙げて詫びの意を示して、通りの反対側に消えていった。


「……危ねぇ野郎だったな」


 男の背に向かって、鉄之介が憤慨したように言った。交差点でもないのに、走っている人力車の前に急に飛び出してくるなど、その人間の神経を疑う行為だ。

 宵も軽く息をつく。


「……上手く避けましたね」


「はっ、勿体ないお言葉で」


 際どいところで衝突を回避した車夫を宵が労うと、車夫の男性は恐縮したように言葉を返した。


「……」


 一人、菖蒲だけは道路を横切った男の消えた方向に、険しい視線を向けていた。






「間違いなく、人力車に乗っていたのは宵姫でした」


 今し方、結城家の家紋の付いた人力車の前を横切り路地に消えた男は、そう報告した。この男は先日、大寿丸の元服を請願するために結城家皇都屋敷を訪れ、宵姫の顔を覚えていた嶺州浪士の一人であった。


「よし。では、手筈通りに行くぞ。合図を出せ」


 そうして、髭剃り用手鏡に反射された光が戸澤義基らの元に届いたのである。




 宵の乗る人力車は再び走り始めていた。

 複線となった馬鉄の走る、大通りに差し掛かる。車道と歩道の間にはガス灯が立ち並び、その下に見世蔵造りの商店などが軒を連ねていた。

 護衛の六名に合せなければならないのでそれほど速度は出せないが、一度勢いが付いてしまえば人力車はその重量による慣性もあって、軽快な走りを見せる。

 前方から、馬鉄の車両がやって来ていた。

 その馬鉄に乗ろうと停留所に急いでいたのだろうか。また不用意に宵の人力車の前に飛び出てくる人影があった。

 車夫が再び急停止をかけ、宵も体を手すりで支える。


「おい! 危ねぇだろ……」


 流石に二度も飛び出しに遭った所為なのか、車夫がその歩行者を怒鳴りつけようとした刹那。

 不意に、飛び出してきた男の体が回った。

 宵と、その男の目が会った。

 男が羽織っていた外套が跳ね上げられる。その下から出てきたのは、スタイナー銃であった。すでに引き金に指がかけられていた。

 その指が、引き金を絞る。

 銃声が、大通りの中央で木霊する。






 放たれた銃弾は、宵の体を貫くことはなかった。


「ぐっ……!?」


 男が引き金を絞ろうとした瞬間、その腕に苦無が突き刺さっていたからだ。

 苦無が刺さった時の衝撃と痛みが、男の照準を狂わせた。

 間髪を容れず、護衛の一人がその男に飛びかかって取り押さえる。

 突然の銃声に、周囲の通行人たちは唖然としてその場に固まっていた。皆が皆、宵と取り押さえられた男を見ている。

 時間が止まってしまったような一瞬。

 が、止まっていたのは本当に一瞬だった。

 宵姫を庇うように八重が飛び出し、両手に呪符を広げていた。鉄之介は刀を抜いて男が飛び出してきた左側の歩道を警戒し、菖蒲も新たな苦無を構える。






 戸澤義基ら嶺州浪士の計画では、スタイナー銃を構えた同志一人が人力車の前に飛び出して銃を撃ち、その銃声を合図に襲撃を開始する予定であった。

 最初の銃撃で宵姫を負傷させ、動けなくなったところを十五人で一斉に襲いかかって護衛を排除、彼女を討ち取る計画であった。

 だが、最初の襲撃者はあっさりと取り押さえられてしまった。

 それが、嶺州浪士たちにも一瞬の自失をもたらすことになった。

 そして、最初に自失から覚めたのは通りの反対側で手製の爆弾を鞄の中に潜ませていた者であった。最初の銃撃の直後、これを投擲して護衛をさらに混乱させることで、その排除を容易にするのが当初の計画であった。

 しかし、最初の銃撃には失敗した。だが、護衛を混乱させるという爆弾担当の役目はまだ残っている。

 男は、宵姫の乗る人力車の座席に向かって爆弾を投げ込んだ。

 通りを放物線を描いて飛んでいく爆弾。

 だが、その爆弾は狙った場所には落下しなかった。人力車の右斜め後ろ、その辺りに落下した。

 そこで、爆弾は炸裂した。

 六家の各皇都屋敷の位置は、下記の史実大名屋敷・宮家屋敷・華族屋敷をモデルとしております。


結城家皇都屋敷……尾張藩徳川家下屋敷(大隈重信邸・早稲田)

有馬家皇都屋敷……彦根藩井伊家上屋敷(伏見宮邸・紀尾井町)

長尾家皇都屋敷……柳沢吉保下屋敷(六義園・本駒込)

伊丹家上屋敷……長州藩毛利家上屋敷(六本木)

一色家皇都屋敷……盛岡藩南部家下屋敷(有栖川宮邸・南麻布)

斯波家皇都屋敷……島津公爵家屋敷(清泉女子大学・品川)


 配置としては、それぞれの所領に帰りやすい鉄道の最寄り駅付近と考えました。

 有馬、伊丹、一色、斯波の四家は東海道本線、結城家は京越線(河越鉄道)、長尾家は東北本線の最寄り駅、という形です。

 それぞれの鉄道のモデルはJR東海道本線、東武東上線(西武新宿線)、JR東北本線です。東武東上線は現実世界では私鉄ですが、作中の秋津皇国では官営鉄道になっているとお考え下さい。


 この内、現代とまったくルートが異なっているのが、長尾家が所領である北陸に帰るルートです。

 現代では上越新幹線(在来線ですと上越線)で東京から直線的に行ける新潟県ですが、それは1931年以降のことです。

 史実戦前期において、清水トンネル(1931年開通)が開通するまで、東京から新潟に向かう鉄道ルートは高崎から碓氷峠を通って直江津に行くルート(現在の信越線。1893年開通)と、郡山から会津若松を経由して新津に行くルート(現在の磐越線。1914年開通)の二つがありました。

 前者は難所の碓氷峠を経由するために時間がかかり、清水トンネル開通までは磐越線経由の方が早かったとされています。


 作中では、皇国の鉄道は標準軌(軌間1435ミリ)を採用しています。一方、史実日本は狭軌(軌間1067ミリ)を採用しました(満鉄、新幹線、一部私鉄等を除く)。

 標準軌ですと、軌間の幅が広いために山間部の路線が敷設しにくいと言われます。そのため、作中秋津皇国では現実世界の磐越線に相当する路線が先に開通し、現実世界の信越線に相当する路線は開通が遅れているか、そもそも工事に着工出来ていない可能性があると考えられます。


 こうしたことから、長尾家皇都屋敷の位置を東北本線寄りにしたのです。


 なお、作中の学士院、女子学士院のモデルとなっている現実世界の学習院、華族女学校の位置は下記の通りです(華族女学校は1906年に学習院女学部、1918年に女子学習院と改称)。


学習院……神田錦町(1877年~1888年)→麹町(1888年~1890年)→四谷(1890年~1908年)→目白(1908年~現在)

華族女学校……四谷(1885年~1889年)→永田町(1889年~1918年)→青山(1918年~1946年)→戸山(1946~現在)


 海軍兵学校も皇都内にありますが、史実大日本帝国でも1888年まで東京・築地にありました。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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