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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第八章 中華衰亡編

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158 中華帝国の皇国旗

 景紀ら挺身降下隊は、血と硝煙の臭いの中で降下当日の夜を迎えていた。


「敵兵の死体の処理、完了いたしました」


「ああ、すまんな、冬花。嫌な役目を押し付けて」


「いえ」


 短く言って、冬花は景紀に一礼した。

 戦場において、敵味方の戦死者の遺体の処理は重要な問題であった。放置すれば死体は腐り、鼠など死体を食い荒らす存在の大量発生を促し、腐敗した死体やそれら動物が部隊に疫病を流行らせる危険性がある。

 また、そうでなくとも戦友の遺体を放置すれば部隊の士気にも関わる。

 景紀は戦闘が小康状態に陥ると、手空きの者に彼我兵士の死体の処理を命じたのである。少なくとも、拠点とすべき午門楼閣内に死体が放置されたままという状況をどうにかする必要があった。

 ただ問題は、景紀らの占拠した区画の地面は石畳で覆われており、多数の死体を容易に地面に埋めることが出来ないことであった。

 やむを得ず、景紀は皇国軍兵士の死体と斉軍禁衛兵の死体とを分け、それぞれ楼閣内の一室に安置することにしたのである。そして、その部屋を冬花に命じて呪術で厳重に封印させた。

 とはいえ、それでも午門の楼閣内には未だ血のこびりついた床や弾痕の残る柱などが目につき、戦闘の生々しさを感じさせている。

 この日の戦闘で、挺身降下隊は戦死六、負傷二十一の損害を出していた。

 負傷者の治療には、衛生兵の他、治癒の術式が使える冬花も加わっている。この状況では、負傷者すら戦闘に駆り出さなければならない。呪術を使って治癒を早め、出来るだけ早く戦線に復帰してもらう必要があった。


「しかし、もう少し遮二無二に俺たちを撃退しにかかると思っていたが、どうにも斉側の動きが鈍いな。まあ、それで助かっちゃいるんだが」


 景紀は午門の楼閣の上から、紫禁城の内側を見つめている。

 中華帝国の皇宮を、東夷たる倭人が穢しているのである。躍起になって攻撃を仕掛けてくるかと思っていたのだが、斉側の抵抗は降下部隊で十分以上に対応可能な程度に留まっていた。


「探知用の式からの情報だけど」


 冬花が周囲に人がいないことを確認して、いつも景紀と接している時の口調に戻す。


「未だ、他の門から増援の部隊が城内に引き入れられている様子はないわ」


「呪術師の気配は?」


「感じないことはないけど、やっぱり城の奥に控えたままみたい」


 冬花も怪訝そうに答える。


「宮廷内で、何か混乱でもあったのか?」


「さあ、流石にそこまで判らないわ。内廷の方は、結界が強力で未だ式を侵入させられていないから」


「とりあえず、敵部隊の動静を一番気にしておいてくれ。その次が宮廷術師だ」


「了解。それと景紀、まだ夕食食べてないでしょ?」


 途端、陰陽師の少女の声音が咎めるようなそれに変わった。若干、景紀を見つめる赤い目がきつくなっている。


「ん? ああ、そういや、そうだったな」


 それでようやく思い出したのか、景紀の返答は実に気の抜けたものだった。冬花が呆れたように溜息をつく。


「貴通様から、景紀が夕食を食べてないようだから届けてくれって、頼まれたのよ」


 そう言って冬花は、火鼠の衣の袖から包み取り出した。


「すまんな。だがそう言う冬花も、報告が今ってことはまだ食べてないんだろ?」


「だから二人分」


 ちょっと悪戯っぽく微笑んだ冬花が包みを解くと、中から重焼麺麭(じゅうしょうめんぽう)(軍用ビスケット)と干し肉、それに干し杏が出てきた。それを、景紀に差し出す。


「じゃあ、いただきます」


 景紀が手を伸して重焼麺麭を一枚取り、口に運ぶ。それを見てから、冬花も一枚、重焼麺麭を摘まんだ。包みを、石で作られた胸壁の上に置く。

 二人並んで紫禁城の奥を見つめながら、食事を進めた。


「ほんと、物騒な観光よね」


 降下前の景紀の冗談を蒸し返しつつ、冬花は重焼麺麭を囓る。重焼麺麭のぼそぼそとした食感が口の中に残るが、この状況で贅沢は言えない。

 夜になった紫禁城は、各所でかがり火などの光が煌々と焚かれている。もしかしたら、この午門以外に賊徒が侵入していないかどうか、躍起になって探しているのかもしれない。

 闇の中に浮かぶ壮麗な皇宮は、観光で来ていれば幻想的に感じることが出来ただろう。しかし今、その光から感じるのは物々しい雰囲気のみである。


「軍隊主催の団体旅行なんて、そんなもんさ」皮肉げに、景紀は笑う。「とはいえ、俺たち皇国陸軍にとって壮挙であることは確かだな。第二軍の陽鮮王宮入城なんて比較にならないだろうよ」


「あら意外ね。景紀のことだから、てっきりそういうことであまり張り合わないかと思っていたのに」


「まあ、俺も何だかんだ言って、将家の男ってことなんだろうな。積極的に戦功を競い合おうとは思わんが、やっぱりこういうことには、命が懸かっていることだってのは判っているのに、何かこう、高ぶるものがあるな」


 普段はものぐさな発言をしている主君の将家男子らしい言葉に、思わず冬花は微笑ましい視線を向けてしまう。


「もっとも、それで撃退されちまったらいい笑いぐさだろうがな」


 己の従者に景紀は軽く笑みを見せて、今度は眼下の広場を見た。南北を午門と太和門に、東西を塀に囲まれた広場が、現在、挺身降下隊が確保している紫禁城の区画である。

 ひとまず、補給物資を運んでくる翼龍が発着する空間は確保出来た。水場も、午門の外側の堀と城内の人工川である金水河を確保している。

 水を煮沸するために必要な薪などは、ひとまず三日分は気球に積んできた。空輸の翼龍からも、受け取れる手筈になっている。布製の野戦濾水器もある。

 食糧は七日分。ただし、これは重焼麺麭(軍用ビスケット)や(ほしいい)、氷餅、缶詰、干し肉、乾燥野菜、乾燥果実など携帯口糧のみであり、重量がかさみ調理の手間もかかる精米はない。例外的に、単調な食事が士気の低下を招くことを懸念して、嗜好品としても携帯口糧としても扱える羊羹や軍粮精(キャラメル)も持ち込んでいる。

 ある意味で最も切実な便所の確保については、工兵に石畳の一部を剥がさせて地面を露出させ、そこに穴を掘らせて囲いと屋根を設置し、野戦便所を設けている(なお、野戦便所に囲いと屋根を設けるのは皇国陸軍の『築営教範』で定められた手順)。


「倭館の時ほど整った拠点、ってわけじゃないが、まあ、数日は耐えてみせるさ」


 東西南北に四角く区切られた広場の防備は、出来る限り整えさせた。他の区画に通ずる各通用門のところには、剥がした石畳を遮蔽物にして、多銃身砲が据え付けてある。隣接する区画との間にある塀の上には鉄条網を張り巡らして敵兵が容易に乗り越えられないようにしていた。

 この午門にも多銃身砲を運び込み、城外から来るであろう斉軍に対して楼閣上から射撃を浴びせられるようにしている。


「結界も張っておいたし、倭館の時みたいに大砲を持ち出されても、ある程度は防いでみせるわ」


「ああ、助かる。冬花がいてくれなきゃあ、こんな作戦は出来なかったろうな」


 裏を返せば、今回の作戦が高位術者の存在を前提に成り立っているということである。やはり作戦が冬花の存在に依存している点は否めなかった。所詮、自分の軍事的才能などその程度のものでしかないのかもしれない。

 内心で密かに、景紀は自嘲した。あまりにも、葛葉冬花という個人的要素に頼り切った作戦。次世代の戦術を模索して独混第一旅団を創設に導いた自分が、能力の均質化された近代的軍隊に頼らず、個人の力量に頼り切っているとは。

 それは、景紀が将として抱える矛盾であった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 夷狄に紫禁城に攻め入られ、その一角を占拠されるという中華帝国として最も屈辱的な状態に陥っていながら、斉側の対応は機敏とはいえなかった。

 それは、紫禁城に今上皇帝たる咸寧帝が不在であったことが大きい。

 この時、紫禁城にいた最高位の皇族は、咸寧帝異母弟の恭親王奕愷であった。

 彼は皇帝の弟ではあるが、だからといって離宮・円明園に籠っている兄帝から全権を委任されているわけではない。咸寧帝の許しなく都に駐屯する禁旅八旗を動かせば、謀反を疑われかねない。

 だからこそ、紫禁城内にある領侍衛府の禁衛兵のみで対処しなければならなかった。

 そもそもの問題として、倭軍が突如、紫禁城に現れた時、斉朝宮廷は混乱状態にあった。

 天津城からの急使によって、太古砲台が倭軍の砲撃を受けているとの報告がもたらされてから、数時間しか経っていなかったのである。

 前近代的な通信網しか持たない斉朝では、情報は即時に伝達されない。

 呪術通信という手段も用いられないこともなかったが、広大な国土面積と朝廷が信頼出来る呪術師の数の問題から、十分に呪術通信網が整備されているとは言い難かった。

 そのため、三月二十日未明に太古砲台が砲撃されてから都・燕京にまでその情報が伝達されるまでに一昼夜近い時間がかかってしまったのである。

 さらに悪いことに、紫禁城に降下した倭軍と交戦中に、円明園にいる咸寧帝の下に太古砲台が占領されたという報告が入った。こちらもやはり、実際の戦況と燕京までその情報が伝わるまでに一昼夜近い時間を要していた。


「いったい、都の守りはどうなっていたのだ!? 不遜なる倭人ども大沽砲台が占領され、さらに我が皇宮の土を踏ませるとは、何事だ!?」


 咸寧帝は軍機大臣・蘇玄徳を円明園に呼び出し、その不手際を怒鳴りつけていた。


「誠、臣らの不徳の致すところ。陛下のご宸襟を悩ませ奉りますこと、慚愧に堪えぬ思いでございます」


 蘇玄徳は平伏して、皇帝からの叱責に耐えていた。


「ああ、このような時にホロンブセンゲ将軍がおれば……」


 咸寧帝は失われた猛将を惜しむように、そう嘆く。

 その彼が都を含む直隷平野の兵力を引き抜き、間接的にホロンブセンゲ戦死の要因を作り、今回の窮地を生み出したわけであるが、この場でそうしたことを指摘する者はいない。

 今、都・燕京の守りは脆弱である。燕京周辺に存在する兵力は、禁旅八旗と募兵中の緑営しか存在していないのだ。


「天津の将軍に、都を守るためその場を死守せよと伝えよ。募兵中であった緑営に至急武器を渡し、天津に増援として向かわせるのだ。また、禁旅八旗にはこのまま燕京の防備を固めさせよ。倭人どものこれ以上の狼藉を許すな」


 咸寧帝にとって、禁旅八旗は都・燕京を守る最後の砦であった。燕京から動かすつもりはなかった。


「承知いたしました。して、紫禁城に侵入しております倭人どもについては?」


「紫禁城の警備は領侍衛府の責任であろう」苛立たしげに、咸寧帝は言う。「何としてでも紫禁城を穢す倭人どもを皆殺しにせよと伝えよ。必要であれば、皇宮にいる宮廷術師たちを使っても構わん」


「御意。念のため、この円明園の警備も強化しておきましょう」


「うむ、そうせよ」


 どこか落ち着かない口調で、咸寧帝は軍機大臣の言葉に返答した。

 都が東夷に脅かされようとしている。その事実は、確実にこの中華皇帝の処理能力を越える事態であった。


  ◇◇◇


「兄上も無茶を言われる」


 紫禁城に急ぎ戻ってきた軍機大臣・蘇玄徳から兄帝の言葉を聞かされた恭親王奕愷は、苦々しい顔で唸り声を上げた。


「都の防備を整えさせる。それは確かに重要だ。だが、そもそも都に倭軍が達した時点で趨勢は決まったようなものではないか」


 大陸の都であるため、燕京は島国である皇国の都市と違い、堅固な城壁で囲まれた城塞都市である。しかし現状では、籠城するにはあまりにも条件が悪すぎた。

 まず、華北地域で深刻化しつつある食糧不足から、燕京には籠城に耐え得るだけの食糧の備蓄が存在していない。

 次に、籠城戦は援軍の見込みがある時の時間稼ぎとして行われるものだ。しかし、直隷平野の兵力を冬季反攻に注ぎ込んでしまった結果、禁旅八旗以外に都周辺に有力な部隊は存在していない。もし燕京で籠城戦を行うことになれば、それは王朝の滅亡を少しでも遅らせるための絶望的な戦闘になるだけだろう。

 まさか、徹底抗戦で少しでも倭軍に損害を与え、それを講和に結びつけるつもりだろうか。

 兄帝の考えた冬季反攻にはそうした一撃講和論的側面があったことを、奕愷は知っている。

 だが、倭軍に対して都が徹底抗戦している間、広州に上陸したアルビオン連合国や我が国の隙を窺っているルーシー帝国がどう動くか。

 どうやらあの兄は、以前に自分が奏上した講和方針の件を真剣に考えてくれなかったらしい。

 ひとまず和議を結び、中華帝国の与える恩恵に差を付けることで夷狄同士の対立に導こうという、奕愷の策。

 その策が使えるのは、大斉帝国にまだ余力があると夷狄が思っている間だけだ。

 今まさに倭軍が都に攻め上ろうとし、その一部に至っては突如として紫禁城に現れてその一角を占拠している状況で、有利な交渉が行えるとは思えない。


「やむを得ん」


 奕愷は己の煩悶を振り切るように、頭を振った。今は紫禁城に空から踏み込んできた倭人の軍勢を撃退することが優先だ。

 奕愷が恐れていたのは、他の門などにも倭軍が翼龍を使って降下し、そこを占拠してしまうことだった。そうなれば、紫禁城内部は完全に孤立してしまう。

 自分も、倭人どもに捕えられてしまうかもしれない。

 倭人どもの増援降下部隊に警戒を払いつつ、何としても午門を占拠している倭人どもを殲滅しなくてはならないのだ。


「呪僧はそのまま内廷の結界を維持させ続けるのだ。方士は至急、城の南側に向かわせ倭軍に対処させよ。この際、未熟であろうとも構わん。連中の弟子どもも呼び寄せて、とにかく兵力の足りないところを術師どもで補わせるのだ」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 後世の視点から見れば、結城景紀率いる挺身降下隊は、後に世界各国で出現する空挺部隊の嚆矢ともいえるものであった。

 作戦自体も、戦国時代などに行われた翼龍に乗って敵城、あるいは敵陣に討ち死に前提で突入するものと違い、出来る限り生還の可能性を高めようと努力した点は、戦史上の画期ともいえた。

 しかし、そうであるが故の問題点も多い作戦であった。

 まず、降下地点と友軍の拠点との距離が離れ過ぎていた。

 後世において空挺作戦は、敵前線の背後に兵力を移動させて要衝の確保、敵施設の破壊などの攪乱工作を目的に行われており、景紀の紫禁城降下作戦も趣旨としては正しいものであった。

 しかし、降下時点で大沽砲台を占領した海軍陸戦隊と挺身降下隊との間には、一五〇キロ近い距離があったのである。これは、迅速な進撃が行われなければ降下部隊が敵中で孤立してしまうには十分な距離であった。

 実際、後世においても空挺部隊を先行させた進攻作戦が、しばしば空挺部隊の救出作戦に変わってしまった事例は存在する。

 この時、皇国軍は天津から燕京へと通ずる白河を砲艦や舟艇機動で突破することで迅速な燕京進撃を目論んでいたが、あまりにも作戦遂行上の不確定要素を無視していたといえる。

 次の問題点は、降下目標地点そのものであった。

 景紀は中華帝国の皇宮たる紫禁城を降下目標にしていたが、本来であれば大沽砲台から燕京に通ずる街道上の重要拠点ないしは重要な橋の確保をすべきであったというのである。これにより、陸戦隊の燕京進撃に際しての障害を事前に排除することが出来たはずであった。

 紫禁城降下は、戦争の早期終結のための政治的効果を重視するあまり、戦術を軽視した目標選定であると言わざるを得なかった。

 そして、この作戦の最大の問題点は、葛葉冬花という高位術者の存在に大きく依存していることであった。

 これは景紀自身も自覚していたようであるが、この点が戦術家としての結城景紀という人物の評価を難しくしている部分であった。実際、後に軍監本部がまとめた戦訓では、類似作戦の実施は不可能という結論さえ出されてしまっている。

 結城景紀と葛葉冬花という主従が存在して初めて実施可能な作戦であったことに、紫禁城降下作戦の最大の問題点があったのである。


  ◇◇◇


 もちろん、今まさに敵の都に降下して作戦行動中である挺身降下隊に、後世の評価を知る由などない。

 降下二日目の三月二十二日は、皇国軍挺身降下隊の占拠した広場を奪還しようとする斉の禁衛兵との戦いが断続的に続いた。

 斉軍は午門の南側に青銅砲を持ち出してきたが、設置に時間がかかることから、かえって楼閣上からの射撃の標的になってしまった。砲手が次々と銃弾に倒れ、結局、禁衛兵は青銅砲を遺棄して退かざるを得なかったのである。

 占拠した広場に通ずる東西北の門にも禁衛兵が殺到したが、これは多銃身砲の射撃などによって完全に撃退された。

 陽鮮の倭館で万を超える軍と群衆に取り囲まれた経験のある景紀、冬花、貴通にしてみれば、戦況はまだ余裕のあるものであった。


「どうも、守備隊を城内の他のところにも配置して上空を見張らせているみたい」


 式で城内の様子を探っていた冬花が、そう報告する。


「ああ、それで連中の守備兵力が分散しちまっているわけか」


 景紀はそれを聞いて納得した。本来は海軍陸戦隊を支援するために後方を攪乱することが目的であったが、副次的に自分たちが対応すべき敵兵力も分散させる効果を生んでいるようであった。

 そのまま混乱や過度な警戒が続いてくれれば、こちらとしても、海軍陸戦隊としてもやりやすい。景紀は内心でほくそ笑んでいた。

 この日の戦闘による挺身降下隊の死傷者は、皆無であった。






 降下三日目の三月二十三日、前日まで確保した拠点の防衛に専念していた挺身降下隊は、一転して攪乱のために隣接する他の区画への襲撃を開始した。

 未明、紫禁城南西にある文華殿区画とその反対に位置する南東の武英殿区画を襲撃したのである。

 文華殿は斉朝によって編纂された漢籍叢書『四庫全書』が収められた壮麗な書庫であり、武英殿は皇帝お抱えの絵師たちの画房(アトリエ)であった。

 中華文化の粋を集めたともいえる両区画が戦場と化すことを、斉側は望まなかったのだろう。微弱な抵抗の後、禁衛兵は紫禁城の奥へと退いていった。

 そのため、紫禁城外朝を巡る戦闘の焦点は、太和殿を中心とする区画へと移ることとなった。ここを突破すれば、皇帝や皇族たちの住まいである内廷を脅かすことが可能となる。

 太和殿は、この皇宮の象徴的建築物ともいえる宮殿であった。宮廷儀式や宗教儀式などが執り行われるという、外朝の中心的存在。

 三段の構造になっている石造りの基部の上に、壮麗で巨大な建築物が築かれている。

 だが、ここを攻めるには問題があった。それは、太和殿前面の広場に遮蔽物が一切存在しないことであった。儀式の際には百官が皇帝への叩頭(こうとう)をするであろう場所には、それ故に草生一本ない石畳で覆われた平らな空間であった。

 皇国側が確保している太和門から太和殿までは、一〇〇メートルあまり。この距離を遮蔽物なしに突撃させるのは無用の損害を生むだけであった。

 そこで景紀は、文華殿・武英殿の東西両区画から太和殿に迫ることにした。この両区画と太和殿を中心とする区画の間には、やはり通用門が存在する。

 もちろん斉側はその門を厳重に閉ざしていたが、堅固な城門ではなく、あくまで城内の通用門でしかない。挺身降下隊は門に爆薬を仕掛け、容易にこれを爆破した。


「突撃ぃ!」


 黒色火薬の白煙が収まらないうちに、景紀は自ら先頭に立って太和殿へと突撃を開始する。「万歳!」の喊声と共に、着剣した三十年式歩兵銃を構えた兵士が続いた。

 景紀率いる一番隊は西側から、貴通率いる二番隊は東側から突入を開始した。

 通用門の楼閣や塀の屋根によじ登った兵士たちが石造りの基部にいる斉兵を狙撃し、その突撃を援護する。午門の守備に残した三番隊からの射撃も、太和殿に降り注いでいた。

 味方の援護射撃の中、景紀は石造りの基部に辿り着き、サッとそこに張り付いて身を隠す。冬花や後続の兵士たちも、基部の影に隠れる。


「負傷者は!?」


「敵の射撃により三名が負傷!」


 一番隊の先任下士官が即座に報告する。


「冬花、頼む!」


「了解!」


 身を屈めたまま、冬花が負傷者の元に向かう。

 その間にも、太和殿を守る斉兵との戦闘は続く。槍や剣を構えた禁衛兵が西側の石段を駆け下りてくるのを、兵士たちが基部の影から銃口を突き出して撃つ。後装式銃の速射性は、ここでも火縄銃を扱う斉兵を圧倒していた。

 上の段から槍を突き出してこようとした斉兵を、景紀は拳銃で射殺する。

 美しい彫刻の彫られた大理石の基部に、無数の弾痕が作られてゆく。

 別の皇国軍兵士が擲弾を投げ入れる。爆発。斉兵の悲鳴と恐慌の声。


「若様、戻りました!」


 射撃を繰り返している所為で白煙が薄く漂っている中、先ほどと同じように身を屈めながら冬花が戻ってくる。


「貴通! 東側の状況は!」


 喉元に付けた呪術通信用水晶球を抑えつつ、景紀は問うた。


『今、東側の基部に取り付いたところです!』


「よし、そのまま石段の頂上で合流するぞ!」


『了解です!』


 景紀は兵士たちに合図を出し、軍刀を抜き放つ。手すりを飛び越えるようにして、西側の石段を駆け上がり始めた。

 兵士たちも立ち上がり、大理石基部の頂上にいる斉兵に射撃を浴びせつつ、景紀の後に続く。

 火縄銃を装填しようとしている斉兵を斬り、槍を構えた斉兵を銃剣で貫く。階段を駆け上る中で、白兵戦が繰り広げられる。

 冬花は一気に跳躍して基部頂上に着地し、二振りの刀でその場にいた禁衛兵を斬り捨てていく。

 白かった大理石の基部は、血で赤黒く染まりつつあった。

 石段の欄干に息絶えた斉兵がうつ伏せに寄りかかり、倒れた斉兵が石段を転げ落ちていく。

 東夷たる秋津人を宮殿内に入れまいとする禁衛兵の意地だったのか、彼らは内部へと続く扉を背にして最後まで抵抗した。

 大理石の基部の頂上にて、最後の白兵戦が行われる。

 白い大理石だけでなく、太和殿前面に並ぶ朱塗りの絢爛な扉もまた、血によって赤黒く穢された。その扉を蹴破って、景紀以下皇国軍が太和殿内部に突入しようとした瞬間であった。


「―――っ!?」


 冬花が、指揮官先頭を守って突入しようとする景紀の前に飛び出した。その手が、金剛合掌を組んでいた。

 刹那、宮殿の奥から炎が噴き出してきた。冬花が咄嗟に展開した結界がそれを阻むが、その熱波は景紀や貴通、そして兵士たちの頬を撫でていく。

 そして不思議なことに、その炎は建物に一切燃え移らなかった。


「ちっ、やっぱり宮廷術師が出てきたか」


 舌打ちと共に、景紀はその炎が呪術で生み出されたものであることを悟った。

 冬花が結界を展開してくれたお陰で炎に焼かれる兵は出なかったが、即席の結界では彼女とて背後の兵士たちを守るには限界がある。


「……貴通、ここまでだ」


 景紀は、ここが退き際だと悟った。ひとまず、冬花が強固な結界を構築してくれた午門内広場に兵を退かせることにする。


「お前が、兵を率いて撤退の指揮をとれ。と言っても、太和門まで一〇〇メートル全力疾走させるだけだがな。ただし、負傷者の回収を忘れるな」


「了解です。景くんは?」


「俺は殿(しんがり)だ。だって俺は、シキガミの主だからな」


 六家次期当主の少年は貴通ににやりとした笑みを見せると、己の視線を白髪の少女の背へと向けた。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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