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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第八章 中華衰亡編

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151 戦勝の苦悩と軍師少女

 討倭欽差大臣ホロンブセンゲの遺体は、多銃身砲に撃ち倒された蒙古八旗兵の死体の中から発見されたという。

 皇帝から信頼を寄せられた蒙古人の将軍の最期は、勇壮なものでも、壮烈なものでもなく、ただ多量の銃弾の前に斃れるというものだったのである。

 これまで斉軍を支えてきた猛将の死が伝わると、八旗も含めた斉軍の士気は崩壊寸前にまで低下した。

 すでに左芳慶軍は大石橋近郊の太平山という低い丘に押し込められており、そもそも左芳慶自身が大石橋を巡る戦闘の中で砲撃によって戦死していた。

 指揮官を失い、士気が崩壊した緑営兵が、ただ自棄を起こして丘に立てこもっているような状況だったのである。

 一方、左芳慶軍の救援のために牛荘を出撃したガハジャンもまた、ホロンブセンゲが戦死してしまった以上、これ以上の戦闘の継続は不可能と判断していた。

 彼自身もまた、島田富造少将率いる騎兵第一旅団との戦闘で火力の前に大損害を出していた。彼に預けられた緑営兵士はそのほとんどが逃亡し、手元には疲弊した馬に乗る八旗の者たちが残されているだけであった。

 ガハジャンもまたホロンブセンゲと同じく、逃亡を図ろうとする緑営兵士に対して苛烈な処置を行っていたが、それでも緑営兵の士気崩壊は防げなかったのである。

 八旗は封建的な戦士集団であり、その長であるホロンブセンゲの死は彼の率いていた蒙古八旗の崩壊を意味してもいた。

 副将であったガハジャンは、愛馬と共に遼河の中に身を沈めて自決したと伝わっている。実質的な殉死であった。

 残された八旗・緑営の者たちも、ある者は遼河を渡って落ち延びようとし、ある者は皇国軍に降伏した。

 落ち延びようとした者たちは、遼河を渡る中で川で溺死したり、あるいは現地の農民たちによって殺害された者も多かったという。

 斉軍兵士たちが身に付けている鎧などの金品もそうであるが、何よりも農民たちは倭人が迫っている中で自衛する必要性に迫られていた。そのための武器を、落ち延びようとする八旗・緑営の者たちから奪っていったのである。

 第六師団が鞍山を占領したのは一月三日のことであり、同日に牛荘に残された斉軍が独混第一旅団に降伏のための軍使を派遣している。

 その後も一月十日頃まで、鞍山以南の遼河平原では残敵掃討作戦が続けられていたが、少なくともホロンブセンゲが率いていた斉軍による組織的な作戦行動はホロンブセンゲ、ガハジャン、左芳慶の死と共に終結していた。


  ◇◇◇


 斉軍に対する掃討作戦を終えた独混第一旅団が海城に帰還したのは、一月十三日午前のことであった。

 牛荘の戦い以降、独混第一旅団は市街地の大半が焼失した牛荘と第六師団によって占領された鞍山の間で、残敵の掃討を行っていたのである。

 盛京・遼陽方面からの斉軍の反撃は、何度か小規模なものがあっただけで、遼河平原を巡る戦闘は完全に膠着状態に陥っていた。

 このため鞍山の守備は第六師団に任せ、独混第一旅団は戦力の再編と将兵の休養を兼ねて海城へと帰還したのである。

 第二次海城攻防戦が開始されて以来、旅団の将兵たちは戦闘の連続であった。その上、二週間近くにわたって雪原の中で野営を繰り返しつつ戦闘を継続していたために、将兵や馬の疲労は無視出来ないほどに蓄積していたのだ。

 鞍山方面から街道を南下して、海城の北門へと辿り着いた時、旅団兵卒の間から期せずして「万歳!」の叫びが上がった。

 牛荘と違い海城市街地は焼け落ちることなく無事であり、またその郊外に皇国軍が陣地と共に設置した廠舎も、ここに残っていた柴田平九郎大佐率いる歩兵第五十七連隊が保持していたために無事であったのだ。

 兵士たちの叫ぶ「万歳!」の声には、無事に生還したこと、敵軍に勝利したこと、それら様々な彼らの思いが込められたものであったろう。






 装具や馬の点検、野砲などを元の陣地に設置し直す作業などを行っている内に、日はだいぶ傾いてしまった。

 景紀は貴通に言って、海城に備蓄しておいた正月用の糯米や正月料理の缶詰、その他嗜好品の消費許可を出させた。日が暮れてからという条件付きではあったが、非番の者には飲酒も許可した。

 二週間にわたって雪原を駆け回り、戦ってきた兵士たちには、そのくらいの報酬はあってしかるべきだろうと景紀は考えていたのだ。

 日が暮れる前に景紀と貴通が兵士たちの廠舎やその周辺など宿営地を視察してみると、どこから持ち出してきたのか、主計科の烹炊班が早速杵と臼で餅つきを始めていた。その周りに兵士たちが集まって、楽しそうに騒いでいる。

 戦地にあって得たささやかな楽しみを上官が邪魔するわけにもいくまいと思い、二人はそっとその場を離れて司令部に戻った。

 あの四合院造りの邸宅である。

 司令部となっているこの邸宅を警備している衛兵からの敬礼に答礼し、中に入る。建物内は、すでに火鉢などで暖房が効かされていた。

 景紀と貴通が宿営地の視察に出ている間、冬花が木桶に湯を作っておいてくれたので二人はそれを使って身を清めた。

 作戦行動中は体温を奪われないために汗の染み込んだ下着を替えた程度で、風呂に入ることはおろか体を拭くことすら満足に出来ていない。

 体の汚れを落とし、下着だけでなく軍服も変えると、だいぶさっぱりとした気分になる。

 なお、中華圏での入浴といえば、木桶に水を張っての沐浴が基本であるため、邸宅の中に風呂桶のような設備はない。そもそも、全身を湯に沈める形での入浴の習慣があるのは、秋津人程度である。

 夕食は、冬花や従兵たちが用意してくれていた。


「席について暖かい食事をとるのも、久しぶりですね」


 どこか懐かしげに、貴通は食卓に並べられた料理を見た。今回はしっかりと餅の入った雑煮に、黒豆や金とんの缶詰、それに田作。

 戦地にありながらそれなりに正月気分を味わえる食事であった。


「陸軍糧秣廠もご苦労なことだな」


 缶詰が発明されてからすでに半世紀以上が経ち、皇国でも工夫に工夫を重ねて様々な料理を缶詰にすることに成功していた。

 食事を進めていると、不意に中庭の方から賑やかな声が聞こえてきた。司令部付き小隊の下士卒たちも、烹炊班の作った正月料理に盛り上がっているのだろう。


「……」


 不意に、景紀が中庭の方向に視線を遣った。箸が止まっている。


「どうしました、景くん?」


「いや、下士卒連中には生き残ったこと、勝ったことを素直に喜ぶ権利があるだろうな、と思っただけだ」


 それだけ言うと、中庭の騒ぎに興味を失ったかのように景紀は再び箸を動かし始めた。


「……」


「……」


 そんな六家次期当主の様子に、一瞬だけ貴通と冬花は顔を見合わせた。






 席について暖かい食事を食べるのも久しぶりなら、寝台に寝転がるのも久しぶりであった。

 軍服の上着を脱いで、景紀は寝台に仰向けに倒れ込む。


「……」


 疲労を感じながらも、景紀は素直に眠る気になれなかった。


「ちっ……」


 少年は舌打ちをして、天井に剣呑な視線を向ける。明確に苛立っているわけではないが、何だか胸の内に鬱屈としながらも模糊とした感情が浮かんでくるのだ。

 そうやってしばらくしていると、扉が叩かれた。


「貴通です。いいですか?」


「ああ」


 景紀は片膝を立てた姿勢で寝台の上で上体を起こした。同時に、貴通が扉を開けて部屋の中に入ってきた。


「どうした?」


 立てた膝の上に片腕を置きながら、景紀は問う。


「どうした、というのは景くんの方だと思いますけど?」


「……」


 案ずるような響きで発せられた同期生の言葉に、景紀は少しばつの悪そうな顔をする。


「冬花さんも景くんの様子がおかしいことに気付いていましたが、ここは僕の方が適任だと思いまして」


 そう言って、貴通は景紀の寝台に腰を下ろした。


「正月料理にも、どこか気乗りしない様子でしたよ」


「別に気乗りしていないわけじゃないんだけどな……」


 ガシガシと、景紀は頭を掻いた。


「ただまあ、何か祝うには違うよな、って思っていただけだ。もちろん、勝って生き残った下士卒連中には正月料理を楽しむ権利があるんだろうが、俺たち将校まで無邪気に正月料理を楽しんでいるのはどうかと思っているだけだ。特に、俺はなおさらだろう?」


 まだ中庭では司令部付き小隊の者たちが騒いでいるのか、時折、笑い声や歓声がこの部屋にも響いてくる。


「……それは、戦死した兵士たちに対して将として責任を感じているということですか?」


 ゆっくりと、慎重に、貴通は問うてきた。景紀は一瞬だけ口ごもり、そして重い息をついた。


「責任、か。それを、感じていないわけじゃない。ただ、そうじゃないんだよな、この感情は」


 景紀は未だ不安定な、形になっていない己の胸の内にある思いを、ゆっくりと語る。


「俺の指揮で死んでいった兵士たちは、書類の上の数字ってわけじゃなくて、一人一人の個人なんだってことは十分に理解しているさ。俺の呪詛のことはお前も冬花から聞いているだろう? 戦死者の魂を利用した呪詛。あれの所為で、少し兵卒たちの死に敏感になってるってのもある。でもな、正直なところ、俺はあいつらの死に責任は感じても、悲嘆に暮れようって気にはなれない」


 どこか自嘲するように、景紀は言った。


「軽蔑するか?」


「いいえ、まったく」


 貴通はきっぱりと、むしろどこか冷徹に同期生たる少年の言葉を切り捨てた。


「むしろ、それが指揮官としての態度でしょう。無責任な指揮官は困りますが、かといって部下が死ぬたびにいちいち落ち込んで指揮が覚束なくなるような将校も困ります。そんな指揮官であれば、僕だって仕え甲斐がないですから」


 景紀の軍師であることに執着する貴通の言葉には、容赦がなかった。慰めようとしているわけでも、鼓舞しようとしているわけでもない。ただ彼女は、軍師としての自分が仕えるに値する将の像を語っているだけなのだ。

 お互い、人間としてどこか歪んでいる問答であった。相手のそんな一面を見せられるのは、二人とも兵学寮での五年間で慣れている。今さらだった。


「……何て言えば良いんだろうな。勝ったって言う割りには、何となく後味が悪い気がして仕方ないんだ」


「牛荘の戦いのことですか?」


「そうだな、それもある」


 騎兵の突撃が鉄条網によって封じられ、動きを止めた人馬が銃弾に斃れていく光景。それは、景紀の命によってもたらされたものであった。


「でしたらやっぱり、僕の方が来て正解でした。冬花さんは理解出来ないことでしょう。彼女は所詮、陰陽師ですからね。騎兵科の人間でもなければ、ましてや軍人ですらない」


「手厳しい指摘だな」


「でも事実でしょう? 彼女は陰陽師として、景くんのために戦えるのであればそれで満足出来る人間です。将校でもない以上、戦場での出来事に責任を感じる立場にはありません」


 貴通は事実を指摘しているだけで、そこに景紀のシキガミたる少女を侮辱する響きはない。この男装の少女は、単に冬花という少女の限界を言っているだけなのだ。

 そしてそのことは、景紀自身も理解している。だから、己のシキガミに対する貴通の評価を怒りの感情などを覚えずに受け入れることが出来た。


「それに、同じ軍人であっても、歩兵科の場合なら“騎兵、恐れるに足らず”と思っている程度でしょう。本当の意味で戦慄を覚えているのは、僕たち騎兵科の人間です」


 入念に構築された陣地(あるいは城や要塞)に強襲して大損害を受けるというのは、これまでの戦史上、たびたび発生してきたことだ。だから、海城攻防戦で斉軍が大損害を出したとしても、防御側である景紀たちが受ける衝撃は小さかった。

 しかし、会戦において敵騎兵が歩兵によって鏖殺されるというような事態は初めてに等しいはずだ。

 その意味では、牛荘の戦いにおける斉軍八旗の壊滅は戦史上の画期とも見ることが出来た。


「……兵器としての馬の限界、それがこんなに早く証明されるとはな」


 かつて景紀は、兵学寮の卒業論文で火力の発達によって将来的に騎兵という兵科に限界が訪れることを主張した。それが「騎兵無用論」と解釈されて、他の軍人たちから攻撃されることはあったが、本当の意味で騎兵が無用になるのはもう少し先の話であろうと、景紀自身も思っていたのだ。

 だからこそ、騎兵の機動力を最大限に活かせる戦術を模索し、独混第一旅団の創設に繋げたといえる。

 それが、論文の提出から五年と経たぬ内に、「騎兵無用論」の一端が証明されることになってしまった。

 その事実を、景紀はまだ自分の中で上手く整理出来ていない。だが、自分の理論が証明されたことをまったく喜んでいないことだけは確かだった。かといって、騎兵科という兵科に所属しているが故の、騎兵に対する哀惜の念でもない。いずれ騎兵という兵科に限界がくるだろうことを、景紀は理解していたからだ。

 それが多少早まったところで、感傷に浸るほどの愛着を騎兵科という兵科に抱いているわけではない。

 だからその曖昧な感情の正体を、彼はまだ掴めずにいた。


「……うーん、これは僕の限界ですね」


 唐突に、貴通はそんな言葉を漏らした。両手を体の後ろについて、上体を逸らす。天井を見上げながら、思案げな表情をしている。


「冬花さんの限界を指摘しておいて、お恥ずかしい話です」


「何だ、いきなり?」


「僕は女なのに、落ち込んでいる景くんを上手く慰められないことがもどかしいなぁ、って思ってるんです」


 どこか自身の無力を嘆くように、貴通は言った。男装していようとも、自分は女なのだ。恋慕の情を抱いている殿方が落ち込んでいるときくらい、上手く慰めてあげられればよかったのだけれども。

 兵学寮時代、女として体が成長してきて心が不安定になっていた自分をずっと支えてくれていたのは、景紀だ。なのにその逆をしようにも、その言葉も、あるいは行動も示せない自分自身が、貴通にはもどかしく感じたのだ。


「何だそりゃ?」


 だが、景紀の方はそんな同期生の態度をおかしげに笑った。


「男として振る舞うことが辛くてちょっと女に戻りたいってなら俺は何も言わないけどな、俺のために女に戻ろうなんて考えなくて良いんだぜ?」


 その言葉に貴通は少しの間、言葉を選ぶ時間を挟んでから応じた。


「……上手く軍師と女を使い分けられるだけの器用さが僕にあったらよかったのに、って思うときが時々あるんですよ。まあ、矛盾してますよね。僕は軍師として景くんにお仕えしたいだけなのに、女としての振る舞いだって判っていませんし、そんな慰め方をすれば景くんに対する裏切りになってしまうのに」


 その言葉は、どこか茫洋と部屋の中に響いていった。貴通の中に渦巻く思いは未だ複雑で、彼女自身もよく判っていない部分が多い。


「……そんなに悩むまで、心配かけちまったんだな」


 そして、彼女のそんな複雑で矛盾した内面を表に出させてしまったのが、景紀の態度だ。他者に当たり散らすような真似はしていなかったが、結局、誰かに心配をかけてしまっている。


「俺、落ち込んでいるように見えたか?」


「何となく、そんなふうに見えました」


「そっか……」


 “落ち込んでいる”という貴通の言葉に、景紀はどこか引っかかりを覚えた。自分の中にある整理出来ない感情。それは、騎兵科の人間として騎兵の終焉を自らの手で演じてしまったことに対する後悔や落胆ではないような気がするのだ。


「何なんだろうな……」


 きっと自分は、同じような状況が訪れれば、同じように敵騎兵と対峙しようとするだろう。今度はもっと、効率よく、味方の被害を極限するように工夫して……。


「……ああ、そうか」


 そこで、景紀の中で不安定な形となっていた思いが、ようやく形になった。


「俺はただ、上手くやれていたかどうか判らないだけなんだ」


 それがきっと、胸の内にわだかまる模糊とした感情の正体だろう。


「景くんは、上手くやれていたと思いますよ?」だが、貴通は首を傾げていた。「そうでなければ、今頃僕たちは遼東半島まで下がってたでしょうから」


「上手くやったのは、第三軍の児島参謀長。後は最前線で戦った下士卒たち。俺は、火力を使った戦いの先にあるものを十分に考えていなかった。ただ理論を弄んで、それで悦に入っていただけだ。それが、牛荘の戦いで醒めちまったってことなんだろう」


 景紀は、貴通の言葉を否定するように自身の思いを吐露した。


「そもそも、本当に上手くやっている奴は呪詛に倒れてお前や冬花に心配かけるようなヘマはしない」


 自分にとって、この規模の戦闘を直接指揮した経験は初めてだったので、戦闘が終わった今になって動揺や戸惑いが押し寄せてきているのかもしれない。

 結局、景紀は自身の中に生じていた思いの正体は理解したが、何故そんな思いが湧き上がってきたのかということは彼自身、よく判っていなかった。

 軍歴も戦闘経験も浅い人間を、六家次期当主だからという理由で将官にしてしまう。そんな皇国陸軍の制度的歪さを、象徴しているようでもあった。


「でも、景くんがヘマをしても、僕がいます。冬花さんもいます。あまりお一人で背負い込まないで下さい」


「……ああ、そうだったな」


 案ずるように発せられた貴通の言葉に、景紀は苦笑を返す。指揮官としての重責は確かに景紀自身が背負うべきものだが、だからといって誰かに頼ってはいけないわけではないのだ。

 そのために、軍には参謀や幕僚がいるのだから。

 そして、自分にはシキガミも。

 以前、冬花に自分が言った言葉を、今度は自分が言われることになるとは。


「心配かけて、すまなかったな」


「いえ、指揮官たる景くんの心身の状態に気を配るのも、軍師たる僕の役目ですから」


 貴通も冬花と長くいる内に、彼女のシキガミとしての矜持に影響を受けたらしい。今の貴通の言い方は、何となく冬花に近かった。


「ったく、頼りになる軍師様だよ、お前は」


 親愛の情の籠った憎まれ口を、景紀は叩く。その言葉を、軍服姿の少女は優しく受け止めた。


「これからも、僕をお側に置いてくれますか?」


「お前以外の誰に、俺の軍師が務まるんだよ?」


「ふふっ、そう言って頂けると嬉しいです。ああ、でもこれじゃあ、逆に僕が景くんに元気づけられているみたいですね」


「別に、どっちがどっちを元気づけたって良いだろ? 俺たちはそうやって兵学寮の五年間を過ごしてきたんだから」


「では、これからもよろしくということで、首席生徒殿」


「ああ、これからも頼んだぞ、俺の軍師殿」


 そんな他愛もない遣り取りに、どちらともなく笑い声を上げてしまった。

 気付けば、景紀の胸の内に溜まっていた鬱屈とした感情は、どこかに消え去っていた。


  ◇◇◇


 翌朝、景紀は習慣に従って自然と目を覚ました。久々の布団での睡眠に、随分と体が休まった感じがする。


「……ん?」


 が、そこで起きようとしてふと違和感に気付く。布団に温石や湯たんぽを入れていたわけではないのに、妙に暖かい存在があったからだ。

 確かに冬花の尻尾を抱いて寝たことはあるが、昨日は夕食後に冬花とは別れたはずだ。

 何となく予感がして横を見ると、貴通の寝顔があった。

 景紀の体が動揺で硬直する。

 少年として振る舞っている少女の、偽らない安らいだ表情。兵学寮にいた頃よりも、少女らしさが増していた。

 思わず一瞬、見取れてしまったが、その感情を断ち切るように景紀は掛け布団を跳ね上げて上半身を起こした。


「……おい、貴通。起きろ」


 兵学寮で同室だった時と同じような声で貴通の体を揺する。すると、小さな呻き声を上げて少女の瞼がぱちりと開いた。彼女も軍人として過ごしてきたからか、起きるときは一瞬だ。

 が、そこで貴通は固まってしまった。

 体を強ばらせたまま、顔がぎこちなく動いて景紀の顔を見上げてきた。まるで、油の切れた機械のような動きである。


「け、景くん……?」


 恐る恐るといった調子で、貴通が同期生の名を呼ぶ。そして次の瞬間、勢いよく上半身を跳ね上げた。


「えっ!? 僕、えっ、そのまま寝ちゃった!?」


 自分の今の状態を確認して、そのまま混乱し始める貴通。


「あああああ……、ちっ、違うんです! 違うんです!」


 顔が急激に赤くなって、どこか悲壮な声で否定の言葉を繰り返す。


「いや、一旦落ち着けや」


 景紀も同じ布団の中に貴通が入っていたことに驚いているが、目の前で顔を真っ赤にしながらあたふたと混乱する彼女を見ていると、逆に冷静になってくる。

 瞳を激しく揺らしながら、貴通は自分の全身を確認し始めた。上着を着たまま眠ってしまったので多少、軍服に乱れはあったが、はだけていたり、軍袴の革帯が緩んでいたりはしていない。


「いや、何の心配してんだよ、お前……」


 確かに景紀は男で、貴通は女だ。寝起きの混乱の中で()()()()可能性を考えてしまうのは無理もないが、景紀としてはむしろ呆れの方が先に来る。

 そうして自分の体に異変がないと納得した貴通が、恐る恐る景紀を上目遣いで見上げてきた。


「……えっと、景くん、おはようございます?」


「ああ、おはよう」


 どこかまだばつの悪そうな貴通は、挨拶を返すと恥ずかしそうに俯いてしまった。


「いや、別に咎めるつもりはないんだが、流石に心臓に悪いっていうか、そもそも何でこんなことになってんだ?」


「だって、景くんがちゃんと寝られるか心配だったので……」


 景紀と同じ布団に入っていた自分を思い出して再び羞恥が訪れたのか、貴通の言葉は尻すぼみになっていった。


「あー、なるほど……」


 昨日の夜、景紀は「俺はもう寝るから」と言って貴通の目の前で布団に横になった記憶はある。そこから先の記憶がないということは、すぐに寝てしまったのだろう。

 きっと、疲労が溜まりすぎていたのだ。

 そしてそれは、貴通も同じだったのだろう。景紀が眠りについたのを確認しようとして、彼女もまた眠ってしまったということか。


「まあ、昨日はよく眠れたから、心配すんな。貴通のお陰で、だいぶ楽になった。ありがとな」


 久々にしっかりとした睡眠をとることが出来たのは、もしかしたら側に貴通の温もりがあったからかもしれない。兵学寮での五年間、二段寝台の上下で分かれていたとはいえ、ずっと一緒に寝ていたのだ。無意識の内に、安心感を抱いていたのだろう。

 景紀の言葉に、貴通は少し安心したように表情を緩めた。

 と、不意に扉が叩かれた。


「冬花です。若様、もう起きてらっしゃいますか?」


「……」


「……」


 その瞬間、景紀と貴通は顔を見合わせて体を固まらせた。自分たちの今の状況を他者が見たらどう思うのか、それに気付いたのだ。

 そして、冬花の問いかけに答えなかったのは悪手であった。まだ起きていないと判断したのか、白髪の少女が扉を開けて入ってきてしまったのだ。

 そして、室内の光景が彼女の目に映る。


「……」


「……」


「……」


「……えっと、景紀?」


 冬花の声には、戸惑いと不満と苛立ちと嫉妬と、女としての複雑な感情が籠っていた。思わず景紀は片手で顔を覆いながら、大きな溜息をついた。

 何を言おうか景紀と貴通が迷っている内に、冬花はじっと二人と寝台を観察してゆく。そして、深く溜息をついた。


「……貴通様、また景紀の傍で眠ってしまわれたのですか?」


「……はい」


 貴通は羞恥から、うなだれるように頷いた。彼女は景紀が呪詛に倒れていた時、疲労から彼の側で眠ってしまったことがあったのだ。

 ある意味で、景紀と貴通はその出来事に救われたといえるだろう。

 新治を出発する前夜や行軍中の野営などで互いに寄り添って眠ったことはあるが、やはり同じ布団の中で寝るというのはそれらとは一線を画すものだ。

 冬花だって自分の尻尾を景紀に抱かせるなどしているが、似たようなことを他人がやって納得出来るかというのは別問題だろう。


「貴通、一度部屋に戻って身支度しておいてくれ」


「えっ? あっ、はい」


 このまま冬花の目の前で二人揃って寝台の上にいるのは良くないだろうと感じた景紀は、貴通に対してそう言った。彼女自身も冬花に対して悪いという思いがあったので、すぐに景紀の意図を察して部屋から出ていく。

 その背を、冬花はむくれたように見送った。


「……私だって、あなたのシキガミなのに」


 景紀の心の中にわだかまっていたものを解消させたのが貴通であることに、白髪の少女は少しだけ納得がいっていないようだった。


「悪かったって」


 こういう時は男の方が謝っておくものだろうと思い、景紀はそう言う。シキガミの少女の表情がむくれたものから、仕方ないと言いたげなものに変る。

 すると、彼女は何を思ったのか、大股で景紀が胡座をかいたまま座っている寝台にまで近付いてきた。


「……ねぇ、景紀」


 怪訝そうに見上げる景紀に、冬花は何やら一呼吸置いてくるりとその場で体を反転させた。その瞬間、ふわりとした白い毛並みの尻尾が景紀の鼻先に突き付けられる。


「いつか約束したわよね、私の尻尾、毛繕いしてくれるって」


 精一杯強がるように、羞恥を押し殺した声で、冬花は腰に手を当ててしなを作りつつ、挑戦的に背後の景紀を見遣った。

 そんな貴通への嫉妬混じりの対抗心が、何だか景紀には愛おしく思えた。


「はいはい、そうだったな」


 景紀はあえて降参するようにそう言って、少女の手を引いて寝台の縁に座らせるのだった。

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