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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第八章 中華衰亡編

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149 雪中の夜襲

「第六師団の鞍山攻撃が遅れるだと?」


 十二月三十日、まだ陽の昇らない時刻であった〇五〇〇時過ぎ、景紀は海城の守備隊司令部で第三軍司令部からの通信を受けた(十二月の遼河平原の日の出は〇七〇〇時過ぎ)。


「はい。先遣部隊が雪原の中で吉洞峪から鞍山へと向かう道を誤り、後続の部隊もそれに続いてしまったとのことで、三十日中の鞍山攻撃は周辺地域の積雪の影響もあって不可能とのことです」


「……」


 呪術通信兵からの報告を聞いた景紀は、地図を睨むように見つめた。

 第三軍の策定した攻勢転移計画では、鞍山を攻略した第六師団は牛荘に拠る斉軍の遼陽・奉天方面への退路を遮断し、独混第一旅団などと共に牛荘を包囲することになっていた。

 しかし、第六師団の迅速な鞍山への進撃は失敗し、牛荘方面の斉軍が遼陽・奉天方面へ後退する時間的余裕を与えることになってしまったのである。


「それに伴い第三軍司令部からは、『独混第一旅団ニ牛荘封鎖ノ余力アリヤ』との問い合わせが入っております」


 景紀は通信兵から紙を受け取った。それは、第三軍司令部から独混第一旅団の現有戦力に対する問い合わせであった。要するに、第三軍司令部は可能であれば独混第一旅団を用いて牛荘―遼陽間を封鎖して、斉軍の北方への退路を遮断する肚なのだろう。

 第三軍司令部は、ここで牛荘の斉軍を取り逃がすつもりはないらしい。

 確かに、遼河平原で対峙しているこの斉軍が遼陽・奉天方面への後退に成功すれば、盛京省における斉軍の兵力は十万近くに上ることになるだろう。そうなれば皇国軍が来春以降、直隷方面へ進撃する際、その側面を突かれる危険性が非常に高まってしまう。

 だからこそ、ここで牛荘方面の斉軍を撃滅しておく必要性を第三軍司令部は感じているのだろう。

 問題は、そもそも独混第一旅団に牛荘―遼陽間を封鎖出来る戦力があるかということである。

 斥候や捕虜などの情報から、斉軍は牛荘に数万の兵力を集結させているとの情報を得ている。

 これに対して、独混第一旅団を含めた海城守備隊は、総兵力およそ一万五〇〇〇程度。海城の陣地に籠っての戦闘ならばこれまでのように頑強な抵抗が可能であろうが、正面から両軍が激突する野戦となれば兵力不足は否めない。

 だからこそ、第三軍司令部もまず独混第一旅団の戦力がどれほど残されているかを尋ねてきたのだろう。


「穂積大佐」


「はっ」


 景紀は己の幕僚を呼んだ。


「現状で我が旅団単独で牛荘―遼陽間を封鎖することは可能だと考えるか?」


「主要街道に限って言えば、可能かと思います」


 貴通はそう言って、地図を指でなぞった。牛荘―遼陽間には、五道河という河川が存在している。当然、極寒期のため水温は刺すように冷たい。それは、海城攻防戦の際、北方から迫ってきた斉軍が実際に証明している。


「牛荘―遼陽間の主要街道は、以前の龍兵偵察や現地人の話などから、この湯崗子(とうこうし)・鞍山站を経由するものと判明しています。この街道の封鎖であれば、可能かと」


「迂回されればそもそも意味がないし、我々がどこに野戦陣地を構築するかも問題だ。敵が五道河を渡ってきたところを迎撃するならば北岸だが、そのためにはまず我々が凍りそうな川を渡る必要がある。さらに、我々が逆に牛荘の敵軍と鞍山方面の敵軍に挟撃される危険性もある。五道河南岸ならば我々は川を背にして戦うことになり、やはり不利であることは免れない」


 判断が難しいところであった。景紀としては部隊の効果的運用を図るため、出来れば第六師団が鞍山を攻略し後方の安全を確保した後に牛荘封鎖のための行動を起こしたいが、第三軍司令部は独混第一旅団が先に行動することを求めてきている。

 現状、海城守備隊は騎兵第一旅団を斉軍南翼の攻撃に参加させてしまっている。もし牛荘―遼陽間の封鎖を行うのであれば、一旦、騎兵第一旅団を呼び戻して兵力を再編する必要があるだろう。

 だが、そのような時間的余裕があるとは思えなかった。

 第六師団の鞍山攻撃がどれほど遅延するのか不明な以上、牛荘の斉軍に選択の自由を与えてしまっては、戦場の主導権を奪い返される可能性があった。

 そもそも斉軍にとって海城の奪取が重要であったのは、彼らが遼河平原の皇国軍の撃滅を目指していたからであって、もし遼陽・奉天に兵力を集中させて皇国軍と対峙、戦線を膠着状態に陥らせることを選ぶのならば、海城の戦略的価値は低下してしまう。

 そして斉軍が遼陽・奉天に籠り、遼河平原を巡る戦闘が膠着状態に陥ってしまえば戦争は長期化し、ルーシー帝国やヴィンランド合衆国など第三国の干渉を招く危険性が高まるだろう。

 戦術的な判断と戦略的な判断、その二つが求められる決断であった。

 ここでの景紀の決断が、今後の戦局を左右しかねないのだ。

 六家次期当主たる少年は、貴通を見た。そして、冬花を見た。二人とも、静かに頷いてくれた。それで、景紀も決意が固まった。


「……今夜、夜陰に乗じて海城を出撃、牛荘―遼陽間の街道の封鎖を目指す。細見大佐と、宮崎大佐を司令部に呼べ」


「はっ、了解いたしました」


 景紀は、騎兵部隊指揮官と歩兵部隊指揮官に司令部への出頭を求めた。通信兵が、前衛陣地に籠る二人の大佐に連絡を飛ばす。


「穂積大佐、作戦の詳細を練るぞ。野戦陣地の構築に必要な鉄条網は、どれくらい余っている?」


 少なくとも、作戦が消極的な方向に流れるよりは良い。景紀はそう考えて、部隊に出撃準備を整えさせるのであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 十二月三十日の戦況は、やはり大石橋が攻防の焦点となった。

 左芳慶軍の主力部隊が展開して蓋平―海城間の街道を遮断しているこの都市に対して、南側から皇国陸軍第十四師団が猛攻をかけていた。

 一方、島田富造少将率いる騎兵第一旅団もまた、左芳慶軍を北側から脅かす役割を担っている。

 騎兵第一旅団が景紀から与えられた任務は、海城包囲網の南側を突き崩すことと、斉軍南翼に南北から挟撃される可能性を常に意識させることであった。

 実際に第十四師団との挟撃が成功せずとも、ただそこにいるだけで左芳慶軍にとって騎兵第一旅団は脅威となり、一定程度の兵力を割いて備えることを強要出来るのだ。

 牛荘を出撃したガハジャン率いる八旗・緑営連合軍七五〇〇もまた、斉軍南翼を巡る戦闘に参加していた。

 ガハジャン軍は牛荘を出撃した直後に皇国軍の騎兵斥候によって捕捉され、以後、騎兵第一旅団からの断続的な襲撃を受けることになったのである。

 この時、牛荘―営口間の街道上を進むガハジャン軍に対して、島田少将は積極的な騎兵突撃を仕掛けなかった。

 そもそも、結城家領軍である騎兵第一旅団の各指揮官は、景紀が陽鮮の倭館攻防戦で得ていた戦訓をいち早く取り入れることが出来ていた。

 すなわち、倭館を脱出した景紀らが騎兵部隊に追撃された際、歩兵の二列横隊の射撃によって騎兵突撃を阻止したという戦訓である。

 これまでの戦争においては、騎兵の突撃に対して歩兵は方陣を組んだ密集隊形で対処することが一般的であった。しかし、後装式銃の登場による歩兵火力の増大は、横隊による射撃で騎兵突撃を阻止出来る可能性を生み出していたのである。

 だからこそ、島田少将は騎兵による突撃ではなく、敵隊列の側面から騎兵の横隊による一斉射撃を仕掛けた後、即座に引き上げるという一撃離脱戦法をとってガハジャン軍の街道南下を遅滞させた。

 これは島田少将の想定以上の効果を発揮し、ガハジャン軍は三十日の夜を牛荘南方の村落・藍旗溝付近にて夜営して過ごさざるを得なくなってしまった。もちろん、皇国軍による夜襲を警戒するため、八旗・緑営の将兵たちは不安な夜を過ごすことになり、特に緑営の者たちの何人かはこの夜の内に逃亡したという。


  ◇◇◇


 海城周辺は、一六三〇時過ぎには完全に夜の帳が降りる。

 景紀は夕食時、兵士たちに暖かい食事を十分にとらせ、冬季装備を着込ませて準備を整えさせた。

 夜になってさらに気温は冷え込んでいるとはいえ、それでも装備を背負って行軍すれば将兵は汗をかく。その汗が凍傷となり、あるいは体温を奪う原因となってしまう。

 皇国軍では、冬季戦における将兵の衣服を羅紗(毛織物)と定めている。毛織物は木綿に比べて保温性が高く、水濡れにも強いのである。

 特に汗で濡れやすいのは下着であるため、将兵たちの背嚢には替えの下着も詰め込ませた。

 一九〇〇時、独混第一旅団麾下の騎兵第十八連隊と独立歩兵第一連隊で臨時編成された挺身夜襲隊が海城の陣地を出撃する。

 目標は、牛荘東側の村落群・紫房屯、古樹子、唐家窪子であった。

 これらを、夜襲によって奪取する。

 景紀と貴通は結局、鞍山方面の斉軍を警戒して、五道河の南側で牛荘―遼陽間の街道を封鎖することにしたのである。

 牛荘の都城は海城南側を流れている沙河が二又に分かれる地点に築かれており(それぞれ「東牛荘川」、「西牛荘川」と呼ばれる)、景紀らが攻略目標としている村落群に向かうには、牛荘の斉軍は川を渡る必要が生まれるのだ。

 その地形に、景紀と貴通は牛荘―遼陽間の街道封鎖を託すことにした。封鎖が難しいようであれば、最悪、景紀は旅団を海城に引き上げさせるつもりであった。

 雪中の行軍は、歩く速度を通常よりも落として、その代わり休止を少なくする。

 そうして、かつて斉軍が海城攻略のための陣を敷いていた大富屯などの、すでに破壊された村落の側を通り過ぎていく。

 敵味方識別のため将兵の左腕に巻き付けられた白い布だけが、夜の闇の中でかすかに蠢いている。

 日付が変って十二月三十一日〇四〇〇時過ぎ。

 夜襲隊の前衛を務める歩兵中隊が、斉軍の前哨線に接触した。

 前衛に配置した呪術通信兵から報告が飛ぶ。景紀ら主隊のところにも、前方で煌めく発砲時の閃光と銃声が届いている。

 日の出まで、まだ三時間ほどある。それまでに夜襲を成功させ、牛荘の斉軍の逆襲に備えなければならない。

 夜襲が成功するためは、単に夜間の戦闘に勝利するだけでなく、翌朝以降に開始されるであろう敵軍の逆襲を阻止することも必要なのである。そうでなければ、夜襲の成果は無に帰してしまう。

 むしろ、翌朝以降の逆襲をいかに撃退するかが、夜襲の難しさであるといえる。


「冬花、いけるか?」


 馬に跨がっている景紀は、そっと傍らの冬花を呼んだ。

 ここまで、彼女には霊力波による索敵と部隊の誘導を行ってもらっていた。敵に呪術師がいることが判っている以上、逆探知されてしまう恐れがあったが、海城の司令部では盛んに通信用の霊力波を発している。

 その霊力波に紛れ込ませれば自分たちの存在を秘匿出来るだろうという可能性に、景紀は賭けていた。

 現在まで斉軍の迎撃に遭遇しなかったことを考えると、賭けに勝ったようである。


「了解」


 そして、冬花の役割はそれだけではない。夜間の照明、そしてどうしても不足してしまう火力を彼女の爆裂術式で補うのである。

 白髪の少女は肩に掛けていた弓を構え、背中の矢筒から矢を取り出して番えた。

 冬花の赤い瞳が、さらに妖しく輝く。その瞳は、妖狐の血を引くことを証明するかのように縦に裂けていた。

 夜の闇を見通せる、狐の瞳。

 彼女は、限界まで引き絞った弓を放った。矢が弦より解き放たれ、闇の中を飛んでいく。

 そして、爆発。

 冬花は素早い動作で次の矢を番え、再び爆裂術式の込められたそれを放つ。熟練の弓兵であれば、一分間に十本以上の矢を放てる。

 彼女は文字通り矢継ぎ早に斉軍の宿営している村落群に爆裂術式を打ち込んでいく。

 その隙に、兵士四人がかりで多銃身砲を前進させる。突撃の援護のためであった。

 野砲と違い、重量七十キロ前後のこの機関銃の萌芽的火器は、部隊の迅速な機動にも随伴出来ていた。

 一方の冬花は、爆裂術式の込められた矢を放つ合間に、照明用の術式を組み込んだ矢も天高く放っていた。上空に向けて放たれたそれらの矢が、眩い光源となって夜空を駆ける。


「総員、突撃せよ!」


 景紀の叫びと共に突撃喇叭が吹き鳴らされ、挺身夜襲隊の主隊が村落群に宿営していた斉軍に襲いかかる。

 馬の嘶きと共に騎兵が突撃し、喊声と共に歩兵が突撃する。

 騎兵は軍刀と長槍で斉兵を薙ぎ倒し、歩兵は銃剣で斉兵の体を貫いていく。騎兵の突撃によって生じた間隙を、歩兵部隊が拡大する。

 冬花は、騎乗しながら前方に向けて矢を放つ「追物射(おいものい)」という射法を用い、なおも爆裂術式を放っていた。

 後方からは多銃身砲が軽快な発砲音を奏でながら回転し、夜襲隊の側面を突こうとする斉兵の意図を挫く。

 唐家窪子の村落に突入すると、夜襲隊はそれまでの銃剣突撃を改め、兵士たちの各個射撃に移った。騎兵部隊も下馬し、長槍を地面に突き刺してそこに馬を繋ぎ止め、自らは背中に掛けた騎銃を手に取った。

 砲撃(今回の場合は呪術師による爆裂術式だが)と突撃による混乱から徐々に立ち直りつつある斉軍に対して、火力による優位を得ようとしたのである。

 残りの目標である紫房屯と古樹子の村落に皇国旗が翻ったのは、〇六三〇時過ぎのことであったという。

 だが、独混第一旅団挺身夜襲隊の戦闘は、これで終わったわけではなかった。

 夜が明ければ、牛荘の斉軍による逆襲の可能性もある。

 夜襲隊に後続していた永島惟茂少佐の独立野砲第一大隊が到着したのは〇八〇〇時過ぎのことであり、それでも輸送出来た十一年式七糎野砲は三門のみであった。

 だが、この三門の砲と夜襲隊に随伴していた多銃身砲、そして鉄条網で応急の野戦陣地を村落群の周辺に構築し、景紀らは牛荘の斉軍からの逆襲に備えることとなった。

 ここにおいて、遼河平原を巡る戦闘の焦点は、ついにホロンブセンゲの本陣が置かれている牛荘に移ることになったのである。


  ◇◇◇


 そして第三軍は、斉軍との戦闘の内に皇暦八三六年の正月を迎えることになった。

 もともと冬営しつつ正月を迎えることは想定していたため、各部隊にはあらかじめ糯米(もちごめ)が備蓄されていたが、それを餅にして食べられる余裕のある部隊はほとんど存在していなかった。

 第三軍司令部では、皇都・宮城の方角に向けて司令部一同が皇主陛下に対する万歳を三唱するような儀式がなされたが、それは後方にいるからこそ出来たことであり、前線で今まさに斉軍と対峙している者たちにそのような余裕はなかった。

 それでもやはり正月ということで主計科の者たちが気を利かせて、餅なしの雑煮などを作って将兵に振る舞っていた。


「景くんも、どうぞ」


「ああ、すまんな」


 連日気温が氷点下を下回っている遼河平原の一角にて、景紀は貴通から雑煮の入った碗を渡された。一口すすると、出汁と醤油の香りが鼻を抜けていく。結城家領のある関東風の雑煮。

 主計科の者たちは、戦地で餅が用意出来ない代わりに味付けにはこだわったようだ。


「せめて兵たちには、この戦いが終わったら正月料理を食べさせてやらんとな」


「当初は冬営の方針だったので、正月料理の材料だけは大連や大孤山、安東に届いているらしいですけどね」


「この状況じゃあ、正月料理の材料よりも弾薬の輸送が最優先だろうからな」


 ぼやくように言って、景紀は戦況を示した地図を見る。


「……第六師団の鞍山攻略が予定よりも遅れたのは痛かったな」


 斉軍南翼を大石橋付近にて撃破しつつある第三軍であったが、皇暦八三五年十二月三十日に開始される予定であった鞍山攻略は、なおも遅延していた。

 当初は、鞍山攻略を担当する第六師団の先遣部隊が雪原の中で吉洞峪から鞍山へと向かう道を誤り、後続の部隊もそれに続いてしまったことが原因であったが、さらに翌三十一日は悪天候にも見舞われて、進撃が完全に停止してしまった。このため、第三軍司令部によって鞍山攻略は一月二日まで延期されることとなったのだ。


「まあ、そのお陰で昨日の戦闘は何とかなったんだが……」


 第三軍の策定した攻勢転移計画では、鞍山を攻略した第六師団は牛荘の斉軍の遼陽・奉天方面への退路を遮断し、独混第一旅団などと共に牛荘を包囲することになっていた。

 しかし、第六師団の迅速な作戦行動は失敗し、牛荘の斉軍が皇国軍による包囲網が閉じる前に遼陽・奉天への脱出に成功する可能性が出てきてしまっていた。

 そのため第三軍司令部は、独混第一旅団に対して牛荘方面の斉軍の遼陽・奉天方面への退路を遮断するよう命じてきたのである。

 命令を受けた景紀はは、夜襲によって牛荘―遼陽街道上に位置する牛荘東側の村落群を奪取することに成功したものの、問題は牛荘方面からの逆襲であった。

 だが、三十一日は午前中から徐々に天候が悪化、正午以降はほとんど戦闘が不可能になるほどの風雪となった。独混第一旅団の陣中日誌には「午前九時頃ヨリ降雪トナリ、加フルニ北風凛烈(りんれつ)ニシテ、正午以後益々甚シク、四顧(しこ)濛々(もうもう)五十歩以上通視能ハサル」と記載されるほど、悪条件下での戦闘であったのだ。風雪によって見通しが利かない戦場で、冬花や他の呪術兵による霊力波索敵を用いて辛うじて戦闘が可能となったというのが実態である。

 結果、三門の七十五ミリ野砲や多銃身砲の威力もあり、牛荘からの逆襲を撃退することに成功していた。

 今、景紀らは牛荘―遼陽間の街道脇に司令部天幕を張り、野戦司令部としていた。皇国軍の突入した村落は、夜襲とその後の斉軍の逆襲のために破壊されて廃墟となってしまい、利用出来る家屋がほとんどなかったのである。

 辛うじていくつかの家屋や家畜小屋が利用出来たが、旅団司令部としては手狭なため、下士官兵卒たちの野営用として用いている程度であった。それでも将兵の数に対して建物が不足しているので、大半の将兵は寒冷地仕様天幕を使うことになる。

 なお、海城には、柴田平九郎大佐の混成第二十八旅団を残していた。


「昨日の悪天候の所為もあるんだろうが、遼河に結氷の兆しが見えたことで、海軍の連中も蓋平の沖合まで下がっちまった。決着を付けるなら早々にやらないと、牛荘の斉軍を取り逃がすぞ」


 遼河が結氷してしまえば、そこにいる河川砲艦は氷の中に閉じ込められてしまう。そうなれば、斉軍の歩兵が艦に乗り込むことも容易になる。だからこそ、海軍は一時、砲艦を下げる決断をしたのだ(そもそも、上流から流れてくる氷塊で艦船が損傷してしまう)。

 そして、遼河が結氷するということは、牛荘の斉軍が対岸に撤退することが容易となるということでもある。もちろん、攻撃側である皇国軍にとっても遼河の結氷は追撃時に有利に働くだろうが、包囲による殲滅よりも中途半端な結果に終わってしまうだろう。

 現状ですら、船による遼河西岸への撤退という選択肢を斉軍は持っているのだ。

 戦術的に見れば、牛荘を奪還出来れば作戦的には成功なのだが、ここで政治的な問題が関わってくる。第三国、主にルーシー帝国やヴィンランド合衆国などによる干渉の可能性を考えれば、皇国軍が斉軍の殲滅に失敗したという印象を諸外国に与えることは出来ない。

 対外的に、遼河平原での皇国軍の勝利を喧伝出来る材料が必要であった。

 そうでなければ、戦後に外交的な面倒事が増える。皇国の軍事力を誇示することは、戦後におけるルーシー帝国やヴィンランド合衆国への牽制となるのだ。


「貴通、独混第一旅団で牛荘の敵を叩くことは可能だと思うか?」


 景紀は信頼する同期生にして幕僚に問う。

 結城支隊として独混第一旅団、騎兵第一旅団、混成第二十八旅団を率いている景紀であるが、現状、彼の手元にある戦力は自身の直率する独混第一旅団だけであった。

 騎兵第一旅団は未だ斉軍南翼や牛荘から出撃した斉軍増援(ないしは救援)部隊と断続的な戦闘を続けている。混成第二十八旅団は海城で守備についている。


「……現在、独混第一旅団の各砲兵隊の弾薬は、一会戦分しかありません。残りの備蓄弾薬は海城に残したままです。斥候の情報によれば、牛荘の斉軍は八旗・緑営の連合軍二万以上。こちらから攻勢を仕掛けるのは難しいでしょう」


「だろうな」


 景紀は小さく嘆息した。

 独混第一旅団の定数は、約六〇〇〇。遼東半島上陸以来の戦闘で失われた将兵がいるものの、未だ約五五〇〇程度の戦力は維持している。部隊内で疫病などがまったく発生していないことも大きい。

 しかし、それでも三倍以上の敵に会戦を挑むのは無謀といえた。


「結局は、出来るだけ防備を固めた上で、第六師団か騎兵第一旅団待ちか」


 各部隊に警戒を怠らせず、南北から増援が来るのを待つしかない。少なくとも、景紀も貴通もそう考えていた。

 緒戦において海城まで電撃的に進撃し、気球による降下作戦という大胆な戦術をとった二人にしては、極めて常識的な判断といえた。


  ◇◇◇


 しかし、対峙する斉の将軍・ホロンブセンゲの判断は違っていた。

 彼は、海城守備隊の一部が強固な陣地を捨てて出撃したことを好機と捉えていた。

 倭軍は、戦力の分散という愚を犯したのである。

 もちろん、ホロンブセンゲとしてもこのまま牛荘に籠りつつ遼陽・盛京方面に増援を仰ぎ、さらには遼河の結氷によって対岸との自由な往来が可能となる時期を待つことの重要性を理解していないわけではなかった。

 しかし、仮に遼河が結氷して対岸との連絡が確保出来たとしても、それは倭軍にとっても同じことである。倭軍が結氷した遼河を渡って西岸にも進出すれば、牛荘は完全に包囲される。

 かといって、包囲網が完成していない現在の段階で遼河西岸に撤退するという選択肢は、ホロンブセンゲにとって論外であった。それは、あまりもの消極的に過ぎる。

 倭人どもから奪還した父祖の地の一角を、自ら再び倭人の手に委ねることは出来なかった。だからこそ、牛荘は守り抜かねばならなかったのだ。

 そして、海城の倭軍は分散し、海城と違って防備が不十分な雪原の上に陣を敷いている。

 ガハジャンに七五〇〇の兵力を預けて左芳慶軍の救援に向かわせたため、牛荘に展開するホロンブセンゲ軍の規模は、八旗約一万五〇〇〇、緑営約六〇〇〇の計二万一〇〇〇であった。

 八旗軍にはこの他にまだ一万程度の兵力が存在していたが、それらの兵力は未だ遼河西岸に留まったままであった。兵糧の輸送任務やそれを集積した陣の警備(主に匪賊からの襲撃を警戒)、あるいは倭軍の遼河渡河を警戒する必要があり、遼河西岸を完全に無防備にするわけにはいかなかったからである。

 だが、ホロンブセンゲも偵察の結果、街道を封鎖している倭軍が一万に満たない兵力であることを察知していた。

 だからこそ、牛荘東方で遼陽へ通ずる街道を封鎖している倭軍が防御陣地を整える前にこれを撃破する必要があった。

 少なくとも、斉軍の中でも猛将と言われるホロンブセンゲには、分散した倭軍を叩かないという選択肢は存在していなかったのである。

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