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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第八章 中華衰亡編

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144 攻勢転移

 皇暦八三五年十二月二十六日、第三軍司令部の置かれている岫厳城に、内地から一つの通信が届いていた。


「昨二十五日、アルビオン連合王国遠征軍が香江対岸の九龍半島を始め、広州一帯に上陸を開始した模様です」


 司令官執務室にて、参謀長・児島誠太郎中将は、第三軍司令官・有馬貞朋大将にそう報告した。


「なるほど。連合王国軍は十字教の聖誕祭の日を選んで上陸を行ったというわけか」


 皇国陸軍も験を担いで天長節(皇主の誕生日)や紀元節(建国記念日)などを作戦開始日にすることが多いが、連合王国も兵士の士気の観点からそのような日付を選んだのだろう。


「それで、連合王国の広州上陸がこの戦争にどのような影響を及ぼすと思う?」


 貞朋は、児島ら参謀たちを見る。


「今すぐに、遼河戦線に影響を与えることはないでしょう」


 代表して答えたのは、児島参謀長であった。


「理由は、斉国内の通信網です。我々のように電信網が整えられているわけではありませんので、広州の情報が都の燕京に届くまでには相応の時間がかかると思われます」


「呪術通信の可能性は?」


 呪術通信ならば、電信と同程度の速度で情報を伝達することが出来る。


「可能性はありますが、やはり遼河戦線への影響は小さいと見るべきでしょう。前回のアヘン戦争と同じく、華南地方は斉人にとっては“辺境”です。父祖の地たる満洲よりも広州戦線を重視するとは思えません」


「つまり、満洲から兵力を引き抜いて華南の防備を強化するという選択肢を咸寧帝は取らないと?」


「はい、その可能性が大でありましょう」


「では、もう一つの懸念材料は、連合王国軍の動向だ。彼らが我らよりも先に燕京に入城するようなことがあれば、国内世論も含めて戦後処理が難しいものとなりかねん」


「はい。その懸念はあります」


 児島は慎重な口調で答える。


「現在、我らは来春の直隷決戦のための兵力・備蓄を消費しつつあります。事実上、来春の直隷決戦は不可能と考えるべきでしょう。最短でも、直隷決戦は夏までずれ込むかもしれません。その間に連合王国軍が北上し、燕京を突く可能性は十分にあります」


「軍監本部や兵部省がどう考えているのか、少し気になるところだな」


「はい。今回の斉軍の大反攻は、恐らく燕京方面の兵力を引き抜いて行われたものだと推測出来ます。このため燕京周辺の守りも手薄になっていると思われますので、都を陥落させるのはそれほど困難ではないでしょう。例えば、海軍陸戦隊を天津に上陸させてそのまま燕京を突かせる、という作戦も考えられなくはありません」


「だが、それを陸軍と六家は承認するだろうか?」


 海軍陸戦隊は、海軍の保有する陸戦兵力である。

 もともとは帆船時代の接舷移乗戦闘に対応するために設立された部隊であり、現在では陽鮮での軍乱でも見られたように、海外の居留民を保護するなどの役割も与えられている。

 流石に兵員数そのものでは陸軍に劣るものの、その任務の性質上、少数精鋭、一騎当千を謳って精強な兵士を育成していることで有名であった。

 この陸戦隊であれば、上陸作戦にも慣れており、天津に上陸して一気に燕京まで進むことも可能であろう。

 冬の渤海は風浪が激しいため、作戦を実行するとすれば来春以降である。だが、上陸作戦の研究・準備のための時間を考えれば、今からでも作戦内容を検討する必要があった。

 しかし、軍事的に妥当な作戦であっても、政治的な事情で作戦の実施が妨害されることもある。

 今回の場合、大斉帝国の都占領という戦功を海軍に与えることに、陸軍やその背後にいる六家が猛烈に反対するはずである。

 貞朋としては、六家長老たる自身の父・頼朋がどう動くのかという点も気になるところであった。


「天津上陸作戦は確かに魅力的なものではあるが、実行のために乗り越えねばならない政治的障害が多すぎよう」


 貞朋は軽く首を振った。


「それに、我々陸軍の者でも考えられるのだ。当の海軍が天津上陸作戦を研究していないはずがないと思うが」


 その作戦が陸軍の側に漏れ伝わってこないということは、作戦構想自体に何かしら問題があるのか、それとも陸軍(六家)との政治的対立を恐れてのことなのかは戦地にいる貞朋には判らない。


「この件については、景紀殿と会ったときにでも相談してみるとしよう。とにかく、今は斉軍の冬季攻勢をどう対応するのか、そして後送されてきた第一、第二軍の凍傷患者の収容、その二点に司令部の対応を絞るべきだ」


「はっ、余計なことを申し上げました」


 児島参謀長は貞朋に対して頭を下げた。


「凍傷患者や戦傷者については、安東民政庁にも協力を仰ぎ、野戦病院の拡充を進めております」


「まったく、冬季攻勢を無理に実施したツケが我が有馬家に回ってくるとはな……」


 執務机の上に積み上げられた書類綴りをめくりつつ、貞朋は嘆息した。


「それを言ったら結城家も、か。それで、景紀殿の拠る海城の戦況は?」


「現状では持ち堪えているようで、陣地から斉軍を完全に撃退しているとのこと。しかし弾薬消費量が激しく、何度も弾薬の輸送を要請してきております」


「輸送は出来ているのか?」


「はい。現在は、来春の直隷決戦のために備蓄した弾薬を切り崩して対応しております。ただ、今回の遼河平原を巡る戦闘、特に海城攻防戦での弾薬使用量は戦前の想定をはるかに越えております」


「陽鮮の帯城倭館防衛戦でも、景紀殿は弾薬消費量が跳ね上がっていると兵部省に報告していたな。まあ、とにかく斉軍の反攻を挫くことが、現下最大の目標だ。直隷決戦計画が崩壊した以上、無理に弾薬の消費を惜しんで逆に遼河平原を奪還されるようなことになれば本末転倒だ」


「現状、盤嶺の第六師団、蓋平の第十四師団ともに海城救出のための行動が可能との報告が入っております」


 児島は報告する。


「この内、第十四師団司令部より、大石橋方面の斉軍に対して攻勢に転ずる許可を求めてきておりますが?」


「ああ、参謀長の後退命令に難色を示していたという例の佐々木中将のところか」


 自分が昏睡していた間のことに関して、すでに貞朋は報告を受けている

 第十四師団は、結城家領軍である。佐々木師団長による攻勢転移の意見具申は、軍事的な理由もさることながら主家の次期当主を見捨てることは出来ないという臣下としての判断も入ったものなのだろう。


「第十四師団による攻勢転移は、この状況下で意味があると思うかね?」


「海城守備隊と呼応することが可能であれば、斉軍南翼を南北から挟撃することが出来ます。また、幸いなことにまだ遼河が結氷していませんので、海軍の砲艦による遼河封鎖が現時点ならば可能です。つまり、海城守備隊に攻勢に転ずる余裕があれば、斉軍南翼を包囲することが可能です。攻勢転移の意味はあるでしょう」


「しかし、第十四師団は戦力を再編したとはいえ、占領地維持のために派兵された後備歩兵連隊を麾下に組み込んでいる。師団としての戦力は他に劣るのではないか?」


 皇国の徴兵令では兵士たちを、現役、予備役、後備役の三つの役種に分けている。この内、常備軍とされるのが現役兵、予備役兵であり、後備役兵は徴兵年限を終えて一般社会に復帰した者たちであった(ただし、平時では年に一度、再訓練のために召集される)。

 そのため、後備役兵は常備兵よりも年齢が高く、またすでに定職を得て妻子がいる者がほとんどであったので一般的に士気が低いと見なされていた。さらには、支給されている武器も旧式の二十二年式歩兵銃(前装式)であるなど、装備の面でも劣っていた。


「その点は否定出来ませんが、現状ではさほど大きな問題は生じないと思われます。むしろ、第十四師団が攻勢に転移するならば、遼河が結氷せず海軍の支援が受けられる今が好機といえます」


 児島は強くそう主張した。そして、この男がそう判断したのならば間違いはないだろうと貞朋も納得する。

 ただし、懸念すべき事項は他にもあった。


「だとすると、海城守備隊の方に陣前出撃の余裕があるのか、そして鞍山方面と牛荘方面の斉軍の動向が問題となるな」


 海城守備隊が戦力を消耗しており、陣前の敵を撃退するための出撃に耐えられない状態に陥っているのならば、第十四師団は単独で斉軍南翼を撃破しなければならない。

 そして、海城北方の鞍山方面や西の牛荘方面から斉軍の圧力がある状況では、海城守備隊が他の方面に兵力を振り向ける余裕はないだろう。


「鞍山方面の斉軍に関しては、独混第一旅団からの報告によりますと戦力を喪失している模様。この戦線を第六師団に突かせます」


 児島は地図を指しながら、軍司令官である貞朋に説明する。


「鞍山方面の斉軍北翼を撃破しつつ、第六師団を遼河方面に向けて進撃させます。そして最終的には南翼を撃破した第十四師団、海城を出撃した結城支隊と共に牛荘近郊にて斉軍を包囲、これを撃滅するのです」


「ふむ」


 貞朋も地図を覗き込みながら思案する。

 斉軍の背後にある遼河は、海軍の河川砲艦が封鎖している。児島の作戦構想は、成功すれば理想的な包囲戦となるだろう。

 問題は、雪の中でそのような急速な機動が出来るのかということ。そして遼河が結氷する兆候が見られた場合、河川砲艦は遼河から引き上げざるを得ないことだ。また、遼河が結氷すれば、斉軍は船を使わずに対岸に渡れるため、包囲は成立しなくなってしまう。

 しかし、問題があるからといって海城救出作戦を実施しないわけにもいかないのだ。

 まず、純軍事的に考えて海城は交通の要衝、遼河平原における支撐点(しとうてん)である。ここを斉軍に奪還されれば、以後の皇国の対斉作戦計画が完全に崩壊しかねない。

 そして戦争の長期化は、ルーシー帝国やヴィンランド合衆国の介入を招くことになるだけでなく、後から参戦してきたアルビオン連合王国に斉の首都占領という栄誉を与えかねない事態に繋がる。

 それは秋津皇国という国家の面子から考えて、絶対に阻止すべきことであった。

 また、六家同士の関係という政治的な事情もある。

 有馬家が結城家次期当主を見捨てたような形になれば、戦後の両家の関係にも悪影響を及ぼすことになるだろう。長尾家との政治的連帯が崩れつつある現状で、自分の家と結城家との間に遺恨を残すような作戦指導は出来なかった。


「参謀長」


「はっ」


「攻勢を許可する。ただし、雪の中を無理に進軍した第一、第二軍の轍を踏まぬよう、注意するように」


「はっ。必ずや遼河平原より斉軍を撃退してご覧に入れます」


 児島はサッと貞朋に対して敬礼すると、早速司令部の者たちに鋭く指示を下し始めた。

 その様子を見て、やはり自分は余計な口出しはせぬ方が良さそうだなと、貞朋は改めて思うのだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 どうやら自分は、景紀の眠る寝台に顔をうずめたまま眠ってしまったらしい。

 食事から戻ってきた冬花に起こされるまで、貴通は完全な前後不覚に陥っていた。


「……だいぶ、お疲れのようですね?」


 冬花が案ずるように訊いてきた。


「……ええ、予想以上に疲れが溜まってしまっていたみたいです」


 自分が意識を失う前に行った行為を思い出して、貴通は無意識の内に冬花と視線を合わせないようにしていた。

 口吸いは、男女の間で行う秘め事だ。この白髪の少女に、気取られたくはなかった。

 一方の冬花の方は、そうした貴通の態度を単に景紀の側で寝入ってしまったことに対する気恥ずかしさからくるものだと思って、特に気にとめていなかった。


「冬花さんにしっかり休むように言っておいて僕がこれでは、世話がありませんね」


 景紀の側の位置を冬花と入れ替えるように、貴通は部屋の扉を目指す。


「冬花さん、景くんはいつ頃、目を覚ましますか?」


 その問いに、冬花は力なく首を左右に振った。


「判りません。今日の戦闘でも多数の斉軍兵士が死んだことで、呪詛と言いますか、怨念はさらに強化されてしまいましたから」


 シキガミの少女の言葉には、戦闘を管制することで斉軍に出血を強いた張本人である貴通を責める響きはなかった。ただ、自分の不甲斐なさを嘆くような響きがあるだけだった。


「ですから、今夜、眠る際に少し試してみたいことがあるのです」


「そうですか。僕には呪術のことは判りませんので、景くんのこと、どうかお願いします。ああ、念のため、景くんが目を覚ました時のために、戦況報告をまとめておきましたので置いておきます」


 最後の方は少し早口に言うと、貴通は逃げるように景紀の部屋を後にした。

 そのまま自室に向かい、上着と靴を脱いで軍袴の革帯(ベルト)を緩めて仰向けに寝台に倒れ込む。

 貴通は己の全身を受け止める布団の心地良さを感じながら、そっと人差し指で己の唇をなぞった。

 まだそこに、景紀の熱が宿っているような気がしていた。

 こんなことでまだまだ頑張れそうな気がするとは、自分はやっぱり女なのだろう。

軍人として景紀を支えたいと思いながらも、貴通は彼を一人の殿方として思慕している。それは紛れもなく、女としての感情だった。


「だから景くん、早く戻ってきて下さい……」


 貴通はそう呟いて、押し寄せる疲労に意識を手放した。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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