141 北方の帝国
秋津皇国の大陸植民地・氷州と接する中央大陸北方の大国・ルーシー帝国。
かつては東方の騎馬民族の征服を受け、その後は群雄割拠状態が続いたこの地に現在の帝国が興ったのは、今から一五〇年ほど前のことであった。
その国土は、今や大陸西方のエウローパから大陸東方のシビルアにまで至っている。西はバルドル海に面し、東は秋津皇国大陸植民地氷州(東シビルア)に接していた。
この北方の帝国の帝都は、バルドル海に面したゲオルギエブルクに置かれていた。
帝国成立以前の首都は内陸に存在する古都モスコヴィアであったが、初代皇帝ゲオルギー一世が自らの名を冠した都市の建設を命じ、そこに遷都して今に至る。
そして初代皇帝による建設以来、バルドル海の最奥に位置するこの新しい都はルーシー帝国の海の玄関口として発展を続けていた。
現在、この北方の帝国を治めているのは、第十一代皇帝パーヴェル三世であった。
すでに即位から二十五年あまり。中央大陸西方・エウローパの各国が革命運動に揺れる中、徹底して専制主義を擁護する保守派君主であった。
皇暦八三五年、西洋諸国の使う大陸統一歴(通称「統一歴」)では一八八四年の十二月、帝都ゲオルギエブルクの冬宮には政府閣僚たちが集合していた。
「駐アルビオン大使からの報告によりますと、連合王国の対斉遠征軍五〇〇〇および植民地から徴募した傭兵一万五〇〇〇は、間もなく香江に到着する見込みとのことです。また、駐秋津大使からの報告では、満洲において斉軍の大規模な冬季攻勢が始まったことを知らせてきています」
外務大臣が、各国の大使館から届けられた報告を上座に座る皇帝に伝える。
ルーシー帝国には、大臣はいても内閣制度は存在していない。省庁は、陸軍、海軍、外務、内務、大蔵、司法、通商、文部の八省からなっており、全大臣の任免権を皇帝が持つという制度となっている。
首相を中心とした内閣が存在しないので閣議というものは制度上、存在せず、「大臣会議」という形式で八大臣が一堂に会して相互に連絡・報告を行うこととなっていた。
外務大臣の報告も皇帝に伝えるという意味以外に、他の大臣と情報を共有するという意味合いもあったのである。
「ふむ、これで厄介な二国は極東に釘付けにされているというわけか」
手元の報告書に目を落としつつ、パーヴェル三世は頷いた。
即位から二十五年、今年で五十七歳となるこの皇帝は未だ政務への関心を失わず、熱心に報告書を読み込んでいる。
「はっ、そのように考えられます」外相は続けた。「ただ、駐秋津大使からはいくつかの気になる情報がもたらされております。まず、かの国で『牢人』などと呼ばれる無頼の輩を義勇兵として徴募し、マフムート帝国に送り込むという計画を立てているとのことです。これら無頼の輩は、元は土地を失った騎士階級の者どもですので、兵士としてまったくの素人というわけではありません」
「続けたまえ」
「はっ。その他、駐秋津のマフムート大使が建造中の最新鋭巡洋艦の買収を秋津政府に対して申し込んでいるとのことです」
「それは一大事ではないか」
懸念の声を上げたのは、海軍大臣であった。
「マフムート朝と対峙すべき我が黒海艦隊は、未だ帆船を使っている。そこに最新鋭の蒸気軍艦をマフムート朝が手にするとなれば、黒海艦隊の劣勢は免れんぞ」
ルーシー帝国は西洋列強に数えられる国家だけあり、その軍事力は充実していた。
パーヴェル三世の治世下である現在、陸軍は総兵力一一五万と西洋列強最大の規模を誇っており、海軍力も第四位(一位・アルビオン連合王国、二位・秋津皇国、三位・帝政フランク)と、強大なものであった。
しかし各艦隊の配置を見てみると、他の西洋列強諸国と繋がっているバルドル海に艦隊兵力の三分の二以上を集結させ、残りの三分の一が南方の黒海、北方の白海などその他の海域に分散していたのである。
そして、これらの海域はどれも他国の支配する海峡を通過しなければ外洋に出ることは叶わず、バルドル海の主力艦隊を迅速に黒海に展開させることは不可能であった。
また、近代化が進んでいるのはバルドル海艦隊だけであり、黒海艦隊は未だ木造の帆船が配備されているのが現状であった。特にルーシー帝国の艦船は、材木にモミ材を使用しており、カシ材を利用して建造された他国の艦船に比べて老朽化が早いという欠点を抱えていた。
加えて、パーヴェル三世の即位当初の十年間ほどは積極的な海軍拡張を行っていたが、ここ十年ほどは海軍予算は減額される一方であり、それもまた黒海艦隊の近代化の遅れに繋がっていた。
「秋津政府によるマフムート朝への最新鋭蒸気軍艦売却を、何とかして阻止出来ぬか?」
「恐れながら陛下、それは困難かと思われます」
皇帝の下問に、外務大臣は恐懼したように答えた。
「我が国が皇国に対して外交的・軍事的圧力を掛けたとしても、その地理的要因から、効果は限定的と考えざるを得ません。シビルア地方でかの国と国境を接しているとはいえ、それはあくまで地上でのことであり、泰平洋方面で我が海軍が皇国海軍に対して巡洋艦の売却を躊躇わせるほどの圧力を掛けられるわけではございません」
「ヴィンランド合衆国はどうだ?」パーヴェル三世は問う。「泰平洋方面への進出を強めているかの国ならば、皇国海軍の戦力を泰平洋に留めさせることも可能なのではないか?」
泰平洋方面での軍事的緊張が高まれば、皇国海軍は泰平洋方面での兵力増強のためにマフムート朝への巡洋艦売却を撤回するであろうとパーヴェル三世は考えたのである。
「陛下、合衆国海軍は現状、泰平洋上に有力な海軍根拠地を持っておりません。自ずと、圧力は限定的なものとなるでしょう」
「しかし、合衆国も斉朝への経済的進出を目指していたはずだ。このままでは戦後、アルビオン連合王国と秋津皇国が斉に対して独占的な進出をしかねんぞ。それを阻止するためにも、合衆国が何かしらの行動を取るのではないか?」
「その可能性は否定出来ませんが……」
「そうなるよう仕向けるのが、卿ら外交官の仕事ではないのか?」
皇帝は、鋭い視線で外相を睨んだ。
「……御意。ヴィンランド合衆国と共に斉で発生した戦争に何らかの形で干渉し、秋津皇国を牽制出来ないか、検討を加えたいと思います」
「そこに、帝政フランクも加えよ。かの国も秋津皇国に東洋進出を阻止され、反秋津感情を募らせていることだろう」
「つまり、我が国、ヴィンランド合衆国、帝政フランクの三ヶ国で極東にて発生した戦乱に干渉するということでありましょうか?」
「うむ、その通りだ。そして、干渉の方法は何も外交的なものだけに限ることはない。軍事的選択肢も含め、我が南下政策の障害を除去することに努めよ」
「御意にございます」
南下政策は、初代皇帝ゲオルギー一世が新都ゲオルギエブルクを築いて以来のルーシー帝国の国是ともいえる政策であった。
南下政策の最大の目的は不凍港を確保して帝国を経済的に発展させることであったが、同時にその強大な海軍力を自由に展開させることで自国の政治的・軍事的影響力を周辺諸国に及ぼすこともこの政策の狙いであった。
だが一方で、他の列強諸国はルーシー帝国の南下とそれに伴う海洋進出を脅威と見なしており、特に南アジア方面に植民地を拡大しつつあったアルビオン連合王国は明確にルーシー帝国の南下政策の阻止を目指して、種々の外交工作を行っていた。
ルーシー帝国の南部に面する黒海からその先の地中海に出るには、マフムート朝の領域であるヘレスポント海峡とボスポロス海峡という二つの海峡を通過しなければならない。
この両海峡の獲得を目指し、すでにパーヴェル三世は即位直後にマフムート朝との戦争を行っている。そしてこの戦争に勝利して両海峡の自由通行権、黒海における通商権を獲得したものの、それはかえってアルビオン連合王国の警戒感を強める結果となってしまった。
その後、マフムート朝内での反乱に対応するためにアルビオン連合王国とルーシー帝国が一時的に手を組むという時期もあったが、アルビオン外交は依然としてルーシーの南下阻止という点では一貫していた。
だが今、アルビオン連合王国は極東の動乱へ対応しようとしている。警戒すべき東洋の帝国(秋津皇国)もまた、この戦乱に兵力を取られている。
今こそ、さらなる武力南進を実行する好機であった。
パーヴェル三世は、そのように考えていた。
「それで、肝心のマフムート帝国領内の十字教徒の動向だが、どうなっている?」
「すでにマフムート朝に対する武装蜂起を行わせるための煽動工作が進んでおります」
陸軍大臣が皇帝の下問に答えた。
「この武装蜂起を機として武力介入を行うべく、すでに軍の移動も開始しております。雪解けによる地面の泥濘化が収まる来夏には行動を開始出来るよう、現在、物資や弾薬の集積も含めて準備をしているところであります」
マフムート朝の領土内に住まう十字教徒たちに武装蜂起させることで十字教徒への弾圧を行わせ、ルーシー帝国は十字教徒保護を口実にマフムート朝に対して宣戦布告する。
このような筋書きの下、ルーシー帝国は武力南進の準備を周到に進めていたのである。
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今話より、拙作「秋津皇国興亡記」第八章を開始いたします。
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史実世界19世紀前半露土関係史年表
1787~91年 第二次露土戦争……ロシア、クリミア半島を獲得
1806年 ムハンマド・アリー、エジプト総督に就任
1825年 ロシア・ロマノフ朝第11代皇帝ニコライ一世即位
デカブリストの蜂起(貴族将校によるクーデター未遂事件)
1821~29年 ギリシャ独立戦争
1828~29年 第三次露土戦争……ロシア、黒海東岸を獲得
1831~33年 第一次エジプト・トルコ戦争……ムハンマド・アリー、シリア領有権をオスマン帝国に要求。ロシア、オスマン帝国を支援
1833年 ウンキャル=スケレッシ条約……オスマン帝国、ロシア軍艦にボスポラス・ダーダネルス両海峡の独占的通航権を与える
1839~40年 第二次エジプト・トルコ戦争……イギリス、ロシア、オーストリア、プロイセン、オスマン帝国を支援
1840年 ロンドン会議……オスマン帝国の宗主権の下でのエジプト独立、あらゆる国の軍艦のボスポラス・ダーダネルス両海峡の通航禁止
1841年 フランスも加えた五国海峡協定……ウンキャル=スケレッシ条約の廃棄
1851年 ペテルブルク―モスクワ間鉄道開通
1852年 モンテネグロ、オスマン帝国に対し挙兵
1853年3月 オスマン帝国―ロシア間での交渉開始……ロシア、オスマン領内の正教徒保護などを求める
7月 ロシア軍、オスマン帝国自治領モルタヴィア、ワラキアに進駐
10月 オスマン帝国軍、ロシア軍を攻撃。クリミア戦争開戦
11月 シノープの海戦。オスマン海軍敗北
1854年3月 英仏、オスマン帝国と同盟しロシアに宣戦布告
9月 セヴァストポリ攻防戦開始
1855年2月 ニコライ一世崩御
9月 セヴァストポリ陥落
1856年3月 パリ条約成立……黒海の中立化によりロシアの南下政策挫折
ロシア史に関する参考文献
左近幸村編『近代東北アジアの誕生』(北海道大学出版会、二〇〇八年)
左近幸村『海のロシア史』(名古屋大学出版会、二〇二〇年)
土屋恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』(講談社、二〇〇七年)
和田春樹編『ロシア史』(山川出版社、二〇〇二年)




