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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
幕間 姫君たちの皇都

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10 最初の一年の終わり

「ルーシー帝国が、マフムート帝国との国境付近に兵力を増強しておるようだ」


 宵は、有馬頼朋翁から冬季攻勢の実施へと六家が傾斜していった理由を聞かされていた。

 中央大陸西方での動乱の予兆は、すでに今年の春頃から顕在化していた。

 陽鮮に渡る前に行った東北巡遊中の途上、千代において長尾憲隆公もそうした話を景紀にしていたという。また、景紀が坂東兵相に対して陽鮮から帰還報告を行った際にも、両国の対立が話題に上ったと宵は聞いている。


「アルビオン連合王国が斉への遠征軍派遣を決定したことで、中央大陸西方において勢力の空白が出来た隙を突こうとしておるらしい」


 アルビオン連合王国はルーシー帝国の南下政策を脅威と見なしており、これまでも数々の外交的策動を行ってルーシー帝国の南下を阻止してきた。実際にルーシー帝国南下の脅威に晒されているマフムート朝への支援なども、その一つである。

 しかし、アルビオン連合王国は対斉宣戦布告を議会で決議し、斉に対して遠征軍を派遣することになった。つまり、マフムート帝国を軍事支援するだけの余裕が連合王国にはないと、ルーシー帝国は判断したのだろう。

 それが、ルーシー帝国とマフムート朝との国境付近での兵力増強に繋がったに違いない。


「我が国は牢人を義勇兵としてマフムート朝に送り込んでいると聞いておりますが?」


 皇国もまた、ルーシー帝国の対外膨張を脅威に感じている国家の一つである。

 しかし、皇国とマフムート帝国は国交を結んでいるものの、同盟関係にはない。ただし、宗教は違えど同じ有色人種の帝国として、それなりに友好関係を結んではいる。

 駐秋マフムート大使も、皇国政府に対して支援を要請しているという。

 そのため、中央政府はマフムート朝に対する義勇軍を組織すべく、主に牢人を対象にして義勇兵を募っていたのである。これは事実上の牢人の国外追放政策であり、それによる匪賊の撲滅を中央政府や六家は目指しているのであった。

 しかし、牢人の側もこの募兵に応じる者が多かった。

 皇国は戦国時代の末期にも、主家の衰退・滅亡などの要因によって牢人が傭兵として海外に渡った事例が多数存在している。そうした元牢人の傭兵の中には、現地の国王などから重用され、家臣として取り立てられる者、あるいは一財産築いた者などもいる。

 もちろん傭兵として成功した牢人は一握りではあったが、中央政府による義勇兵の募集は皇国国内で生活に行き詰まっている者にとっては海外で一旗揚げる機会のように映ったのだろう。

 牢人の他、家を継ぐことが難しい士族の次男以下の者たちも募兵に応えている。

 全国では、すでに五〇〇人以上の志願者が現れているという。それらを一定程度訓練し、十二月の初めにはマフムート帝国に送り込む予定であった。

 また、皇国が同盟国であるペレ王国向けに建造中であった巡洋艦二隻の買収をマフムート帝国は申し出ており、現在、秋津皇国・ペレ王国・マフムート帝国三ヶ国による交渉が行われているという。


「多少の義勇軍を送り込んだところで、ルーシー帝国が南下政策を断念するはずがあるまい。我が国とマフムート朝は国土が離れすぎている。支援するにしても、限度がある」


「ルーシー帝国とマフムート朝の関係の緊張化と、我が軍による冬季攻勢にどのような関係が?」


「一つは、皇国の武威を示すことで列国、特にルーシー帝国への牽制とすること。もう一つは将来に備えて満洲を確実に確保することだ」


「つまり、満洲を確保して氷州西部への交通路を短縮するということですか?」


「うむ、その通りだ」


 現在、皇国の氷州・沿海州植民地の最大の港・龍原府から氷州西部に向かうには、氷州と大斉帝国との境界線となっている玄龍江の北側を大きく迂回しなければならない。

 もし満洲を横断する鉄道が完成すれば、それだけで龍原府と氷州西部の移動距離は短くなる。

 そしてそれは、未だ西シビルア地方に鉄道を開通させられていないルーシー帝国に対して、皇国が軍事的優位を確立することにも繋がるのだ。

 つまりは、満洲領有ないしは利権獲得という既成事実を作り上げるために、征斉派遣軍による満州占領を目指した冬季攻勢を追認するということだ。

 ここに第三国からの干渉を牽制する意味合いも含めて、この六家長老は冬季攻勢賛成へと自らの意見を変えたのだろう。


「しかし、現地軍の独走を中央が追認するとなれば、悪い先例を作ることにもなりかねませんが?」


 だが、宵は未だ釈然としないものを感じている。


「そのために、儂は現地軍の独走を戒める勅使の派遣を提議しておるのだ。伊丹公は反対しておるが、現地軍による冬季攻勢を追認しつつ、その手綱を上手く握り直してこれ以上の独走を防ぐ。今、出来ることはその程度だ」


 結局は、現在の皇国の国家体制から来る限界がこのような事態を引き起こしたのだろう。

 宵はその思いを強くした。

 盟約によって皇主に直属するという立場にある六家が、統帥権を振りかざして内閣を引きずり回していく。この多元的な統治機構を改めない限り、今後の対外戦争でもこうした事態が発生しかねないだろう。

 六家長老・有馬頼朋がいくら中央集権的な思考を持っていようと、制度がそうなっていない以上、この老人の影響力にも限界があるということなのだ。

 そして、頼朋翁をしても現地軍を十分に統制出来ないのであれば、六家次期当主の正室でしかない宵にこれ以上出番はない。


「大御所様の存念は判りました。これ以上、私がこの問題について関わることも無意味のようです。ですので私は、景紀様のご無事を祈ることにしようと思います」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 十一月もそろそろ終わりに差し掛かる頃、陽鮮公主・貞英が再び結城家皇都屋敷にやって来た。


『修信使は明後日、皇都を出発して陽鮮に戻ることになってな。その前に、お主に挨拶をしておこうと思ったのじゃ』


 金光護の通訳を通して、宵は貞英からそう伝えられた。


『米の件で、随分と世話になったからの』


 純粋に感謝しているらしい陽鮮の姫君の目を、宵はじっと見つめた。


「いつか、あなた方は売国奴として陽鮮の民から批難されるかもしれませんよ。私もまた、この取引を最初に持ちかけた者として、歴史に悪名を刻むことになるかもしれません」


 そして、泰平洋に動乱の種を蒔いた悪女として罵られる日が来るかもしれない。宵は、自分の持ちかけた取引をそう思っていた。


『判っておる。だが、公主たる妾が優先すべきは将来の妾の名声よりも、今生きておる民じゃ』


 一方の貞英の声には、幼いながらも揺るぎない覚悟が滲んでいた。


『集まった米は和米が十万石、熱帯米が七十万石。これだけの米があれば、この冬、飢える者たちを一人でも多く救うことが出来よう。妾には、それで十分なのじゃ』


「それに、宵姫様が持ちかけて下さった取引は、我が国にとって長期的な目線で見れば悪いものともいえません」


 貞英の言葉を、金光護が引き継いだ。


「確かに、鉄道利権や鉱山利権など、国を切り売りするような決断を下しはしました。しかしそれは、秋津国の力を上手く利用して我が国を近代化させるという見方も出来るのです。そして貴国がこの先、百年二百年と我が国の利権を保持し続けることも出来ますまい。我が民族に国民国家としての気運が盛り上げれば、必ずや利権を回収せよとの声が上がってくるはずです。その時、我が国一〇〇〇万の民の声を、貴国は無視することは出来ないでしょう」


 開化派のこの男は、自国の前途が開けてくるのを感じているのか、いやに饒舌であった。


「それを、私に聞かせてしまったよかったのですか?」


 だが金の言葉は、いずれ陽鮮の民の声に皇国は屈せざるを得ないと言っているようなものであった。もし陽鮮の利権を狙っている伊丹公や一色公がこれを聞けば、怒りを覚えるかもしれない。


「宵姫様は、この取引が売国に繋がることを判っていて提案して下さった。姫君ご自身も、この取引には忸怩たる思いを抱いておられるのではないかと思いまして」


 それで宵の気持ちを少しでも軽くしようと思っての、先の発言であったらしい。

 もっとも、宵はそこまで陽鮮の植民地化問題に対して感傷的になってはいない。確かに両国に将来的な遺恨を残す結果となるかもしれない取引ではあったが、長い歴史の中で中華帝国に隷属してきた国家が、今度は皇国に隷属するかもしれないだけである。

 宵が懸念しているのは、自分が動乱の火種を泰平洋に投げ込んでしまったかもしれないということであり、陽鮮のことではない。

 今も正直、貞英公主や金光護の覚悟に、そこまで心打たれるものがなかった。

 皇国中から在庫過剰となりそうな和米や熱帯米を集めたのは各諸侯や農商務省であり、それを運ぶ人員の確保、鉄道や船の運航にかかる経費などもすべて皇国側が負担した。

 こうした食糧の移送問題にまで考えが及ばず、ただ食糧の無償供給を求めてきた修信使の者たちに、宵はどこか冷めた視線を向けていた。

 とはいえ、内心をそのまま口に出すわけにはいかない。


「私はただ、貴国がこれより隆盛していくことを祈らせて頂くのみです」


 だから、当たり障りのない言葉を口にする。


『そのことなのだがな、妾は一旦帰国した後、来春よりこの国に留学しようと思うておるのじゃ』


 すると貞英が、少し意気込んだ調子でそう告げてきた。


『やはり、我が王国の中に留まっておっては学べることも少ない。王族として民を導く為にも、新たな知識を得ることが必要だと思ったのじゃ』


「現在、殿下の留学に関しては貴国政府より一定程度の理解を頂いております」


 金光護の補足に、そうだろうなと宵は思う。

 これから皇国が影響力を伸していこうとする国家の王族に皇国式の教育を施すことが出来れば、将来的に陽鮮の宮中に親皇国派勢力を出現させることも可能であるかもしれない。そのあたりも考えて、政府は陽鮮王族の留学に前向きな姿勢を示しているのだろう。


「後は国王陛下が殿下にお許しになられれば、留学は実現するでしょう」


 陽鮮公主・李貞英は覚悟と行動力は十分にあるのだろう。ここからどれだけ王族として成長出来るのか、すべてはそこに懸かっているのかもしれない。

 思えば、貞英はまだ十三歳の少女である。

 比較対象が兵学寮首席であった景紀や女子学士院首席であった冬花だから宵の貞英への評価が厳しくなるのであって、本来であれば貞英も王女として十分な資質を持っている。

 もしこの異国の王女が本当に留学することがあるのであれば、彼女が為政者としてどのように成長していくのか、自分も含めて周囲の者たちは静かに見守るべきかもしれない。宵はそう考えていた。

 自分もいずれ、結城家の次代を産まなければならない立場である。

 その時、景紀や冬花、貴通などと過度に比較して自分の子に失望するようなことがないようにしなければならない。

 宵は貞英らとの会見を通して、そんなことを思っていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 皇暦八三五年も、十二月を迎えていた。

 皇都の木々も葉を落とし、街行く人々の装いもいよいよ冬めいたものとなっていた。

 そして、総選挙も終わり、臨時議会も波乱なく閉会し、征斉派遣軍の冬季攻勢についても一定程度追認する方向でまとまると、六家同士の政治的策動もいささか落ち着いてきた。

 戦後の利権獲得を巡って長尾家と伊丹・一色家が対立するかもしれないという火種は残ったままであったが、少なくとも結城家は南泰平洋の利権獲得をいち早く他家に認めさせていたため、そこまで大陸権益への関心を払わなくなっていた。

 すると今度は、他の六家に向けていた目が内へ向くようになる。

 すなわち、新たに皇国の植民地となるであろう南瀛(なんえい)諸島、新海諸島に設けられる地位に誰を就かせるかという問題で結城家重臣と景忠公側近の間で対立が表面化しつつあったのである。

 現在、皇国の植民地である南洋群島、新南嶺島や付属する島嶼部は南洋総督府の管轄下にある。この南洋総督府の長である南洋総督の任免権は、皇主より結城家当主が委任されるという形式をとっている。

 これが、御用商人である南海興発による活動も含めて、結城家が南洋植民地の利権を手にしている理由であった。

 新海諸島や南瀛諸島の併合が実現すれば南洋植民地の範囲があまりにも広がり過ぎるため、結城家と政府では新たに南泰平洋を管轄する大洋州総督府を設置する構想を抱いているという。

 この新設されるであろう大洋州総督府の地位を巡って、官僚系家臣団と用人系家臣団の間で対立が生じつつあったのである。

 領国統治の延長線上として考えれば官僚系統の家臣団が配属されるのが適当であるように思えるのだが、一方で結城家という「家(あるいは、後世的な表現を使えば私法人)」による開拓事業と見れば用人系統の家臣団を総督府の役人とすることも妥当であるようにも考えられた。

 将家による官僚系家臣団と用人系家臣団の公私の別が十分に制度化されていないことから来る問題であった。


「まあ、私が蒔いた種でもあるのですけれども」


 屋敷の廊下を歩きながら、宵はそう呟いた。

 南泰平洋の植民地化は以前から結城家や外務省、知識人の間で唱えられていたことではあったが、それを実行の段階にまで後押ししてしまったのは自分である。少なくとも、この北国の姫はそう考えていた。

 家臣団同士の利害の調整は、やってみるとひどく難しい。景紀が将家家臣団の公私の別を明確に制度化しようとするのも身に染みて理解出来た。

 ただ、一つだけ宵にとって楽なことは、ここに実家である佐薙家も含めた利害調整を行わなくて済むことであった。

 佐薙家は、家臣団も含めてすでに将家としての力を失っているに等しい。結城家との利害を調整しなければならないような勢力では、最早ないのだ。あくまでも嶺州統治のために家臣団が地方官吏として残されているだけでしかない。

 ただ、佐薙成親の失脚と日高州への追放に伴って、実質的に宵が佐薙家の家長(伯爵位を継ぐ当主でなく、あくまで家政を統括する立場)と見なされている部分もあった。

 今日は、そうした宵の佐薙家家長としての立場が必要とされる会見が設けられていた。


「姫様、御機嫌麗しゅうございます」


 世話役の済、護衛の菖蒲を伴って接見の間に入ると、数名の男性が平伏して宵を迎えた。


「皆様も、ご健勝そうでなによりです」


 打掛の裾をさっと翻して、宵は上座に座る。


「上京、誠に大義です。あなた方が日々、嶺州の振興に尽力されておられることに感謝申し上げます」


「勿体ないお言葉です」


 接見の間に居るのは、嶺州の領国統治に当たっている佐薙家の家臣と、嶺州に派遣された結城家の家臣たちであった。

 佐薙家家臣団の面子を立てているのか、代表者は佐薙家家臣の一人であった。


「此度は、嶺州試験農場で今秋、収穫されました米を是非とも姫様に献上いたしたく思い、参上仕った次第でございます」


 そう言って、その代表者は精米された米の乗った三宝を宵の方に差し出してきた。済が前に出て受け取り、宵の前に三宝を置く。


「ここに結城従五位殿がいらっしゃらないのが残念ではありますが、嶺州における農業改革の初年度は概ね成功裏に終わったと判断してよろしいかと存じます」


「そうですか。それは喜ばしいことです」


 抑揚には乏しかったが、思わず本心からの言葉が宵の口から漏れ出た。

 三宝に盛られた米は、景紀が農商務省にかけ合って種籾を分けてもらった、北溟道開拓試験農場で開発された冷害に強い品種である。

 約半年前に実施した景紀と宵の東北巡遊で、二人はこの品種を試験的に栽培することを嶺州統治に関わる農務官吏たちに命じていた。その成果の一部が、宵の目の前にあるのだ。

 故郷の民のために何か出来ないかと思い続けてきた少女の願いの結晶が、今、ここにあった。

 代表者の言う通り、景紀にも見せられないことが宵には残念でならなかった。


「とはいえ、今年は天候に恵まれただけということもありましょう」


 ただ、浮かれてばかりもいられない。宵は自分自身の気を引き締める意味でも、そう言った。


「農業改革も含めた嶺州の改革は、まだ緒に就いたばかりです。皆様の一層の奮励を期待させて頂きます」


「ははっ。今年度の農業収穫高等についての統計がまとまり次第、またご報告に伺わせて頂きます」


「はい。よろしくお願いいたします」


 実際の収穫物もそうであるが、行政資料を読み込んでいる宵としては、数字としても自分と景紀の成果を確認してみたいと思った。

 結城家に嫁いでからすでに一年。

 宵は少しだけ、肩の荷が下りたような気がしていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「姫様、最近、何だか機嫌良いわよね?」


 女子学士院の期末考査が終わり、どこか解放された気分と共に屋敷に遊びに来ていた八重が、宵の様子を見てそう言った。


「そう見えますか?」


 自分としては普段通りにしていると思っていた宵は、陰陽師の少女の言葉に小さく首を傾げた。


「姫様ってあまり感情を表に出さない人だから判りにくいことは判りにくいんだけど、流石に会って一年近くすれば何となく判ってくるわ」


「よく見てらっしゃいますね」


「まあ、私は父様があんな顔の人だからね」


 そう言っておどけたように八重は答えた。

 凶相の宮内省御霊部長には宵も何度か会ったことがあるが、幼少期からあの父親の感情を読み取ろうと思ったら、確かに他人の心の機微に鋭くなるのかもしれない。


「先日、嶺州から領内改革を任せている者たちが上京してきまして」


 宵は自分の喜びを分かち合おうとするかのように、八重に向かって話し始めた。


「景紀様と共に行った農政改革の成果の一端を、見ることが出来たのです」


 景紀や冬花がいない今、宵にとって対等な話し相手といえば八重か鉄之介程度だった。とはいえ、鉄之介は口調こそぶっきらぼうだが、やはり結城家家臣としての立場を弁えているのか、そこまで宵に対して気安い態度は取ってこない。

 実質的に、今の宵には八重だけが気軽に話せる相手であるといえた。


「そう、良かったじゃない」


 普段、鉄之介に見せるような不敵で獰猛な笑みではない、年相応の柔らかさを持った笑みを、八重は宵に向けた。


「ええ、この一年、景紀様や皆様と色々な経験をしましたが、やはりどうしても故郷の民たちが気掛かりでしたから。私が景紀様に嫁いだ意義も、究極的に言えばその点にありましたので」


 その意味では、自分の覚悟を認めてくれた景紀に出逢えたことは自分にとって幸運なことであったと宵は思っている。

 この一年、いくつかの波乱はあったものの、景紀たちと共に乗り越えることが出来た。きっと来年も、この先も、そうであると良いと宵は願う。

 そんなどこか満ち足りた思いを抱いていると、廊下を走ってくる音が聞こえた。途端に八重の雰囲気が変わり、腰を若干浮かして臨戦態勢を取る。


「―――姫様、ご歓談中のところ、失礼いたします」


 現れたのは、宵の警護役を務める忍の少女・風間菖蒲であった。彼女は、客間の前で片膝をついて頭を下げた。


「先ほどお館様の元に兵部省より急使が参りまして、遼河平原にて斉軍の大反攻が開始された由にございます」


「……」


「……」


 思わず宵の表情が硬くなり、それを見た八重が案ずるような視線をこの北国の姫に向けていた。


「詳しい戦況は不明なれど、我が領軍および嶺州軍が大打撃をこうむった模様でございます」


「……姫様?」


 静かに立ち上がった宵に、八重の心配げな声が突き刺さる。


「報告、ご苦労でした」


「はっ……」


 声に一切の動揺を乗せなかった宵を、菖蒲がどう思ったかは判らない。ただ、景紀やその部隊について詳しく聞いてこないことを、自分と景紀の仲は冷え切っている証左とでも思っているのかもしれない。

 だが、宵は最初から景紀の安否を聞くつもりはなかった。

 前線では、無数の将兵が今も戦っている。市井の一女性ならばともかく、将家の姫が一人の殿方のことだけを気にするのは筋が通らないだろう。

 兵士たちを前線に送り込み、戦わせているのは他ならぬ自分たち将家なのだから。

 景紀一人だけを案ずるなど、将家の姫としてあまりに無責任な態度だ。そう思い、宵は己を押さえ込もうとした。


「……八重さん、すみませんが私は少し奥に下がらせていただきます」


 だが、理性と感情は別である。宵は静かに、そう言った。


「……判ったわ。こっちこそ、お邪魔したわね」


 少しだけ逡巡の表情を浮かべた後、宵を引き留めることなく八重はそう言った。自分を一人にさせてやろうという、彼女の気遣いが有り難かった。

 宵はそっと襖を開けて客間を後にすると、その奥の居間、書斎を抜けて寝室へと至る。その間にある襖も廊下に繋がる障子も、すべて閉め切ってしまった。

 そして拵袋を取り出すと紐をそっと解き、中から白鞘に収められた“雪椿”を取り出す。

 宵は両手で持った鞘を額にあてて、祈るように呟いた。


「……どうかご武運を、景紀様」

 これにて、幕間「姫君たちの皇都」を完結させていただきます。

 ここまでの評価、ブックマーク、ご感想、いいね、誠にありがとうございました。

 色々と鋭い視点、筆者とは違った視点からのご感想も頂けて、大変参考になりました。

 他の読者の皆様も、何かございましたらば遠慮なく感想欄に書き込みをして頂ければと思います。


 さて、物語は満洲、陽鮮、南泰平洋と色々と将来的な広がりを見せてくる時期に差し掛かって参りました。

 史実の大英帝国が七つの海を支配したように、この世界の皇国も泰平洋の支配者として躍進を始めつつあります。


 一方、陽鮮はモデルとなった史実朝鮮とは違い、地政学的には安定した位置にあります。

 大日本帝国とロシア帝国という二つの勢力に挟まれた結果、その間で揺れ動くことになった史実朝鮮と違い、この異世界の半島国家は皇国の勢力圏に囲まれた状況に置かれています。

 つまり、皇国と友好関係を築いておけば、ある程度、国家の安全保障は確保出来るのです。もちろん、皇国に併合される可能性は常にありますが、「二つの勢力に挟まれた曖昧な場所」という史実朝鮮よりも地政学的には恵まれていると言えるかと思います。

 以前にも書きましたが、物語的にはここから名君や名将が登場して一発逆転、強国への道筋を歩んでいくというのが王道の展開でしょう。


 ……と、思っていたのですが、ここで思わぬ罠が陽鮮を待ち受けていることに気付きました。

 このまま陽鮮が近代国家として発展していった場合、史実世界恐慌のような状況が起こった途端、この国は財政的・経済的に破綻する可能性が高くなったのです。

 理由は、銀本位制にあります。

 史実では世界恐慌の結果、金の価値が急激に上昇しました。経済不況のため、国家の発行したお金が信用出来なくなったためです。

 そして、金の価値が急激に上昇した結果、銀の価値が相対的に下がったのです。

 結果、当時銀本位制を敷いていた中華民国の経済はどん底に落ちました。運悪く内戦などで各軍閥が軍票を乱発していたことも、不況に拍車を掛けました。

 史実では、この頃の満鉄の収益が下がったのは張学良の満鉄包囲網の所為だという陰謀論が日本国内で叫ばれていましたが、実際には中国の貨幣価値がどん底にまで落ち込んだため、相対的に満鉄の運賃よりも中国側の運賃が低くなったのが原因の一つです。

 まあ、拙作の陽鮮がそこまで酷くなるかは不明ですが、世界的な大不況が起こった場合、銀本位制を敷いているがための不利益は当然に蒙ることになるでしょう。

 架空の世界であっても、国家の未来を薔薇色に彩ることはなかなか難しいものです。


 そして皇国が狙っている満洲。

 色々と調べてみましたが、最近では資源的な価値はそこまで高くないのではないか、という疑問を抱くようになりました。

 この点に関しては、エッセイとして「歴史改変小説における満洲の資源的問題に関する一考察」として公開しましたので、合せてご覧頂けると幸いに存じます。

 ただ、史実大日本帝国と違い、シベリアをモデルにした植民地を持っている皇国にとって、満洲産の穀物は植民地への食糧供給上、重要です。自ずと、満洲の価値も史実大日本帝国とは違うものとなってくるでしょう。

 そのあたりをどう描写するのか、改めて考え直す必要が出てきたと感じる次第です。


 今後とも、拙作を宜しくお願いいたします。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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