6 半島の姫君と修信使
陽鮮王国史上初の近代的外交使節団といえる「修信使」は皇都に到着した後、皇都内にある離宮の一つを滞在施設として提供された。
この離宮はもともと皇族のための鷹場として整備された施設でもあり、特定の皇族の邸宅となっているわけではなかった。
これまで陽鮮からの通信使は皇都内の寺などを宿舎として与えられていたが(そもそも大使館が存在しない)、今回は陽鮮王族である貞英がいたために、使節団の格式への配慮として皇国側がこうした措置をとることになった。
なお、皇都内には外国国公賓のための迎賓館が存在しているが、いかに王族が含まれているとはいえ、半ば陽鮮側から押しかけた形になっている使節団であるため、外務省を始めとして皇国側はそこまでの待遇を与えるつもりはなかった。
皇国は貞英ら使節団に対し今上皇主への謁見、外務大臣との会見、工場などの施設視察の日程などは組みはしたが、金光護らが求めていた食糧支援に関する交渉については曖昧な返答しかしなかった。
そうした中で、貞英らが皇都に到着した二日後の十月二十日、皇都内に平寧会戦の勝利と平寧陥落を伝える報道が駆け巡った。
昼間、貞英たちの滞在している離宮にも平寧の戦勝を祝う皇都市民の声は届いていた。
「少し、都の様子を見てみたい」
離宮の一室でその声を聞いた貞英は、金光護にそう言った。単純な興味ではない。秋津の民が陽鮮のことをどう思っているのか、直に見てみたいと思ったのである。
その日の午後、貞英は皇都の女学生風の格好に着替えて、幾人かの護衛と共に皇都に出かけた。
皇都は、戦勝報道に興奮した市民たちで溢れかえっていた。皇都にある招魂神社(戦死者を祀った神社)へ参拝する者たちや、宮城南側にある皇都中央公園に展示されている斉軍からの鹵獲品などを見物に行こうとする者たちが、長い列を作っている。
「民の熱気とは、凄まじいものじゃな」
人混みのためになかなか進まない人力車に乗りながら、貞英は呟いた。
彼女は帯城軍乱の時、倭館で興奮して殺気に満ちた自国の民衆と対峙した経験がある。改めて、興奮した民衆の熱気というものの力を感じていた。
車夫に頼んで皇都の色々な場所を回って貰い、斉軍の鹵獲品なども見物したが、陽鮮のことについて気にしている秋津人たちはまるで見当たらなかった。
日が暮れると今度は戦勝祝いの提灯行列が市内に連なったが、それはあくまでも皇国軍が斉軍に勝ったことを祝うもので、やはり陽鮮のことを意識している者など誰もいないようであった。
「……これが、秋津人たちの妾らへの認識というわけか」
滞在先の離宮へと帰った貞英は、これからの食糧支援交渉のことを思って、やるせない気持ちになってしまった。
戦場となったのは、陽鮮の地である。だというのに、秋津の者たちは斉軍との戦いだけに注目し、戦乱に巻き込まれることとなった陽鮮の民を案ずる気配などまるでない。
「だが、ここで諦めるわけにはいかぬ」
それでも、自分たちは秋津の者たちから支援を引き出さねばならない。そうでなければ、民が飢えてしまう。
だが、皇国政府は自国国力を陽鮮に誇示するかのような視察日程を組むばかりで、一向に金光護などが求める食糧支援問題についての交渉に応じようとはしなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
数日後に迫った衆民院総選挙のため、宵の住まう結城家皇都屋敷内にも幾分、そわそわとした落ち着かない雰囲気が流れていた。
六家の戦争指導体制の正統性を訴える連日の報道、吏党系立候補者への選挙資金の提供など、六家にとって都合の良い勢力が勝利を収められるよう種々の工作を行っているようであったが、それでもまだ選挙が終わっていない以上、家臣団としても一抹の不安を覚えてしまうところなのだろう。
さらに言えば、結城家内では立候補者の選定や彼らへの資金援助の額などを巡って、景忠公側用人・里見善光ら側近勢力と執政・参与ら重臣との間で、意見の摺り合わせが上手くいっていないようにも見えた。景忠公と側近勢力の間で決定されたことを、重臣たちは後になって伝えられるということがたびたび発生している。
選挙への関与を領国統治の一環と考えている重臣たちと、あくまでも結城家という「家」として立候補者を支援しているという建前で官僚系家臣団を意思決定過程から排除しようとする里見善光の間で、対立が発生していたのである。
こうした状況下で宵は、家臣団に対して十分な指導力を発揮出来ていない景忠公に代わり、結城家内部での対立を深刻化させないように腐心する必要があった。
まず、歴代結城家当主の直轄領となっている彩城国については景忠公側用人ら側近勢力の担当とし、それ以外の領国については重臣の担当とするという形に、選挙への関与方針について家臣団内での合意を形成させた。
しかし、それでは側近勢力の担当地域が限定的となってしまい、彼らの不満が宵自身や重臣に向かってしまう危険性があった。そのため宵は自らの故郷・嶺州と旧嶺州領であった現花岡県の立候補者の選定に関しては、景忠公側近勢力の管轄とさせるように取り計らった。
もちろん、立候補者の選定に際して結城家家臣団と旧佐薙家家臣団との間で軋轢が生じないように上手く間を取り持つ必要がある。そして、だからこそ結城家と佐薙家を取り持つ存在として宵が政治的策動を行う余地が生じてくる。
民党勢力というものの政治姿勢に懐疑的な宵は、自らの目で後援すべき立候補者を見極めたかったのだ。
「宵姫様」
そんな中、益永忠胤から訪秋中の陽鮮公主・貞英が宵との会見を求めていることを知らされたのである。
「如何なさいますか?」
外務省から正式な要請があったわけでもないので、拒絶することも可能であった。
「修信使の求めに、政府はなかなか応じていないのでしたね?」
貞英らが食糧支援を求めるために皇国にやって来ていることを、宵は有馬頼朋翁から聞かされていた。
「恐らく、倭館で知り合った結城家次期当主の正室である私に、交渉の斡旋を頼みたいのでしょう」
「はい、私もそのように感じております」
「この件について、景忠公は何と?」
「お館様は、姫様が異国の友人と語り合う分には特に口出しをすることはないと仰せでして」
つまり、景忠も陽鮮との交渉に応じるつもりはないということだろう。陽鮮の者たちを使節団として扱わず、あくまで宵が個人として陽鮮で知己を得た公主と会見する程度に留めておけ、ということだ。
ただ、宵自身としては自国の民のために何とかしたいという貞英公主の気持ちも判らなくもない。
倭館の時は状況を引っ掻き回す要素でしかないと思っていた陽鮮の公主であるが、今ならばまた別の気持ちで接することが出来るかもしれない。
「では、会見に応じると伝えて下さい。ああ、出来れば貞英公主の通訳として、金光護殿にもご足労頂くよう、お願い出来ますか?」
十月二十九日、陽鮮公主・貞英は金光護や護衛などを伴って結城家皇都屋敷を訪れた。
「お久しぶりですね、公主殿下」
『うむ、そなたも息災そうじゃの』
宵はいつも通りの無表情、貞英の方はいささか緊張した面持ちであった。宵はそんな異国の王女の顔を見つめた後、通訳として同席している金光護の顔も見た。そして、口を開く。
「あまり回りくどくなっても仕方ありませんから、端的に言わせて頂きます。あなた方が陽鮮で知り合った私に交渉の斡旋を頼みたいという意図は、察しています。しかし、私はそれに応ずることは出来ません」
「しかし、せめて結城公爵閣下へのお取り次ぎを……」
懇願するように金光護は言うが、宵は首を振った。
「陽鮮が今夏、異常な暑さで農作物が不作になり、さらに戦乱の影響で収穫量が激減するだろうことは理解しています。では、あなた方は一方で我が国の食糧生産量をどの程度、理解しているのですか?」
書庫に籠って行政資料を読み漁っている宵は、各種統計の数値をある程度頭に入れている。
秋津人の主食である米の自給率は、概ね八割五分。半世紀ほど前までは米の輸出国であったのだが、産業革命の進展による農村人口の流出、人口増加による食糧消費量の増加で、国内生産量だけで賄うことが出来なくなってしまったのだ。
不足分については、植民地からの「移入米」と外国からの「輸入米」という外米で補っている。
外米は移入米の割合が大きく、高山島、新南嶺島などの南方植民地や榧太などの北方植民地からの米が外米の約八割を占めている。残り二割を、泰平洋上の同盟国ペレ王国や、東南アジアの広南国、ヒスパニア植民地のフェリペニアなどからの輸入米に頼っていた。
外務省の情報によれば、陽鮮の人口はおよそ七五〇万人と推定されているらしいが、その半数でも養うだけの余裕は皇国にはない(当たり前だが、植民地の人間も米を食べるので、植民地の米生産量すなわち移入米の量、というわけでもない)。
特に今は戦時である。
戦地に送るために大量の米穀が必要であるため、政府は国民に節米運動を呼びかけ、結城家の食卓にも雑穀米が並ぶほどであった(もっとも、現状そこまで米不足は深刻化していないが)。
この状況で、数十万石単位の米を陽鮮に提供することなど、無理な話であった。
政府が陽鮮修信使との交渉をかわし続けているのも、そうしたことが原因の一つである。
「現状、我が国は仁宗陛下に対する武器の援助や軍事顧問団の派遣などの便宜を図っております。さらには、貴国が開国する見返りとして、皇国の保有する銀で貴国の財政を支援する提案も行っているはずです。この上、食糧の無償支援を求めるのは、皇国の負担ばかりが大きくなり、両国間関係が不均衡なものとなりましょう」
「我が国は、回賜(陽鮮国王への献上品に対する返礼品のこと)として貴国に綿布を納める用意があります」
金光護にとって、これは交渉の切り札だったのだろう。その声には、どこか縋るような響きがあった。
陽鮮の木綿は上質なことで有名で、皇国でも「白羽二重のごとし」としてその綿布は絶賛される高級輸入品であった。陽鮮人参と並び、この時代の陽鮮王国最大の特産物の一つといっても過言ではないだろう。
ただし、産業革命以前ならいざ知らず、今では皇国でも木綿の国産化(植民地での生産も含む)に成功し、安価な綿布が大量に出回っている。絹織物産業も西洋への主要な輸出品の一つとなるほどに成長しており、以前に比べて陽鮮木綿の価値は低くなっていた。
「それでは、交易だとしても価値の釣り合いが取れていません」
だから宵は金光護の言葉に首を振った。
そして、すでに頼朋翁を通して政府の返答を知っている彼女は、それに倣うことにした。
「この上は速やかに通商条約を締結して我が国による財政支援の下、貴国財政を安定化させ、その上で米の輸入交渉を行うべきでしょう」
農作業を経験した宵にとって、あれだけ農家の者たちが苦労して作った米をほとんど無償で他国に提供するなど、なかなか受入れ難いことであった。
実際問題、陽鮮木綿を対価として皇国が食糧支援をするのは、割に合わない取引であった。
だがもちろん、貞英は納得しなかった。
『じゃが、そのような悠長なことをしておっては、この冬を越せぬ民が出てくる。そもそも、夏の日照りはともかく、今現に陽鮮の地を荒らしておるのは貴殿ら秋津の者たちであろうに』
流石にこれを直訳するのは拙いと感じた金光護であったが、片言にせよ貞英は秋津語を操ることが出来る。あえて意訳をしてこの場を誤魔化すことは不可能であった。
案の定、それを聞いた宵は表情こそ最初のままであったが、目元を微かに痙攣させた。
「……そもそもの発端は、貴国の兵士が我が使節団正使を斬り付け、その上、斥邪討倭などと叫んで倭館に攻め込んできたことでしょうに」
宵がそう言うと、貞英は唇を噛んで黙り込んでしまった。
別に、自分が陽鮮の武官たちに足を切られたことについて貞英や金光護を恨むつもりはないが、戦乱の発端を作っておいてこの言い草はあまりにも因果関係を無視している。
米の無償提供を求めるにしても、もう少しやり方があるのではないかと宵は思っている。
例えば、西洋人の泰平洋進出によって国を脅かされていたペレ王国は、当時の王女を秋津の皇族と婚姻させることで同盟関係を結び、国を守ろうとした。
自分だって、その身を景紀に差し出すことで、故郷の民のために結城家に食い込もうとした。
これまで東夷と断じてきた異国の地に自ら足を踏み入れた貞英の覚悟については認めることにやぶさかではないが、以前、景紀が言っていたように彼女のやる気は空回りしているように思えるのだ。
せめて、秋津皇国と陽鮮王国の皇族・王族同士の婚姻の提案程度は交渉材料として持っておくべきだったろうに。
貞英が民を思う気持ちを持ちながらも、いまいち宵が彼女に共感を覚えないのもそのためだ。
とはいえ、もともと嶺州の民たちが貧困に喘ぎ、身売りする同年代の少女たちへの後ろめたさが、故郷のために出来ることをしようという決意になった宵である。
貞英公主のことはともかく、このまま陽鮮の民を見捨ててしまうのも寝覚めが悪い。
だが、かつて朝食会議の場で嶺州鉄道の敷設を巡って結城家家臣団と議論した時のように、何の利益も示せなければ結城家の者たちを説得することは出来ないだろう。
だが、宵の中には、これならば景忠公や家臣団を説得出来るのではないかという材料がないこともなかった。後々、他の六家との関係や他国との関係で火種が生じる可能性もあるものではあったが……。
はあ、と宵は小さく溜息をついた。
そして、目の前にいる二人の異国の者たちを見据えた。
「貞英公主、金光護殿、あなた方に国を売る覚悟はおありですか?」




