138 逆襲敢行
結城家家臣である第十四師団長・佐々木求馬中将が反撃を決意したとはいえ、二十三日の内に海城を取り巻く戦況が劇的な変化を迎えるわけではない。
海軍の艦砲射撃による斉軍の混乱も第十四師団と対峙している地域で発生しているため、海城の唐王山陣地に突撃を掛ける斉軍が大混乱に陥っているわけでもない。
二十三日の海城を巡る戦況は、景紀ら海城守備隊が斉軍に大出血を強いているものの、依然として斉軍が圧倒的兵力で守備隊に圧力をかけ続けている状況に変わりはなかったのである。
「北側前衛陣地が危険なほどの圧迫を受けています」
二十三日の午後に差し掛かろうとしていた頃、守備隊司令部には緊張が走っていた。
主に独混第一旅団の担当する海城北側陣地の内、前衛陣地に殺到する斉兵の密度が上がってきたのだ。
海城防衛線は、隻龍山を中心とする北側を独混第一旅団と混成第二十八旅団から派遣された歩兵二個大隊が、唐王山を中心とする南側を騎兵第一旅団、混成第二十八旅団の主力(歩兵一個連隊および一個大隊)が守備している。
合計三個旅団によって海城は防衛されていたが、その戦力は実質的に沙河の南北で分断されてしまっていると言っていい。
そして、斉軍は海城の都城がある沙河北岸側に戦力を集中させ始めているようだった。
景紀が築いた隻龍山を中心とする海城北側陣地は、牛荘が奪還されたことで地形的障害のない脆弱な西側側面を敵に暴露することになってしまっている。
それでも入念に構築された前衛・主陣地と隻龍山・歓喜山の砲兵陣地の頑強な抵抗と火力によってこれまで斉軍の陣地への侵入を防いでいたが、ここに来てついに限界が生じ始めているようであった。
「主陣地線まで退いても良いが、この大兵力相手に陣地の縦深が浅くなるのは今は避けたい」
戦況図を睨みながら、景紀は呻いた。
「逆襲を敢行して、斉軍を撃退すべき頃合いか」
「はい。僕もそのように判断します」
彼の幕僚を務める貴通が、神妙に頷いた。
「穂積大佐、北側陣地で逆襲に投入出来る兵力をすぐに算定しろ」
同期生にして上官である少年の命を受けて、貴通は即座に帳面をめくった。そして、淀みない口調で報告する。
「前衛陣地西側に張り付いている独立歩兵第一連隊第三大隊の六〇〇名と嶺州歩兵第五十八連隊第二大隊五〇〇名、これはそのまま逆襲に投入出来るでしょう」
「予備隊は?」
「予備隊として控置している兵力は、独立歩兵第一連隊第一大隊約六〇〇名、騎兵第十八連隊第一大隊約約五〇〇名、それに嶺州歩兵第五十八連隊第三大隊約四〇〇名の計一五〇〇名です」
「騎兵第十八連隊の予備隊は、五道河北側の斉軍の動きに備えるためにそのまま控置しておく。独立歩兵第一と歩兵第五十八の一〇〇〇を投入する」
「了解です」
「それと、陣地に籠り過ぎて兵の士気も落ちかけている。気分を変えるためにも、俺が直接先頭に立った方が良いだろう。司令部付きの歩兵も逆襲に投入する」
「判りました。僕もお供します」
「ああ。冬花、お前にも付き合ってもらうぞ」
「若様の命とあらば」
景紀の背後に控えていた冬花が、従者然とした態度で即答した。
景紀は呪術通信兵に対して各部隊に逆襲発起のための指令を飛ばさせ、島田・柴田両旅団長にも直通回線を構築している冬花の通信用呪符を用いて景紀は自らが逆襲の指揮を執ることを告げる。
逆襲の実施のために必要な指示を一通り下し終えると、景紀は貴通や冬花の顔を見て、まったく気負いのない口調で宣言した。
「さっ、とっとと行動を開始するぞ。俺たちは戦争をしているんだからな」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
この日の戦闘では、馮玉崑軍は皇国軍の海城北岸陣地西側全面にわたっての攻勢を敢行していた。
ただし、五道河北岸に展開する呉鉄生軍では傭兵や義勇兵を中心に逃亡兵が相次いでおり、援護は期待出来なかった。
大富屯に設置した砲陣地から倭人の陣地に砲撃を加えると共に、火縄銃や抬槍による援護射撃の下に剣や槍、矛で武装した兵士たちを突撃させていた。
馮玉崑軍の後方ではホロンブセンゲ直属の蒙古八旗軍が目を光らせており、不用意に後退などすれば味方であるはずの八旗兵に殺されるという過酷な状況に緑営兵士たちは置かれていた。
前には倭人の陣地、後ろには蒙古八旗軍、南は沙河、北は五道河という凍てつく水温の川に挟まれた地域に展開している以上、緑営兵士たちに逃げ場はなかった。
後退すれば確実に処刑されるとなれば、とにかく倭人を殺して生き延びるしか、兵士たちに道はなかったのである。
激しい皇国軍の射撃の中に斉軍兵士が無謀にも飛び込まざるを得なかった理由は、ここにあった。
そして、二十三日時点で未だ三万近い兵力を有していた馮玉崑軍は、特に沙河沿いの海城―牛荘間の街道上に戦力を集中させていた。
ここは海城北側防衛陣地の最左翼に位置する地点であり、この街道を突破すれば海城市街に到達出来、皇国軍海城守備隊を南北に完全に分断することが可能であった(もともと沙河で海城守備隊は分断されていたが)。
特にこの区域は皇国軍の陣地が二重になっておらず、防御上の弱点だと馮玉崑は判断していた。
もっとも、景紀の側でもこの陣地最左翼部分が弱点になると判っており、主陣地の歓喜山、前衛陣地の波羅堡子、そして対岸の高地や郭家屯からの十字砲火を浴びせられるように陣地が設計されていた。
それでも二十三日午後に差し掛かると、斉軍の兵力の前に陣地への侵入を阻止出来なくなりつつあったのである。
逆襲隊を編成した景紀は、部隊を徐家園子に集結させた。
ここは牛荘から海城へと至る街道上にある村落で、北側主陣地線の最左翼を担っている箇所であった。斉軍は街道西方の安村堡子方面から続々と前衛陣地線と主陣地線の間に侵入しつつあった。
そして、斉軍を主陣地に十分に引きつけたと判断した瞬間、景紀は軍刀を振り下ろした。
「てぇー!」
一〇〇〇名の予備隊は、徐家園子に突入を図ろうとする斉軍に対して一斉に射撃を行ったのである。
三十年式歩兵銃が次々と火を噴き、そのたびに斉軍兵士が倒れていく。
「突撃ぃ!」
景紀の命令と共に喇叭手が突撃喇叭を吹き鳴らし、海城守備隊による逆襲が開始された。
「万歳ぁぃ!」
喊声と共に、彼らは混乱している斉軍の中へと突入した。
景紀は最初に出くわした敵兵の腹に軍刀を突き刺し、力任せに腹腔を引き裂いた。若い斉人の口から絶叫と血が噴き出す。
将家の男子故に幼少期から習ってきた剣術など、そこにはない。ただ暴力的に得物を振るう姿があるだけであった。
至近距離での白兵戦は、得てしてそうしたものであった。
銃剣を敵兵に突き刺し、無造作に捻る。銃床で敵兵の鼻先を叩き潰す。円匙で敵兵の頭をかち割る。
ただ生存本能と暴力衝動だけが、兵士たちを突き動かしていた。
純粋なまでの暴力行為が、そこでは行われていた。
冬花は主君である景紀の側を付かず離れずの位置で護衛し、貴通は司令部付きの小隊を必ず景紀の側に置いて旅団長の安全を確保している。
雪原凍土を赤く染めながら、皇国軍兵士の蛮声と斉軍の悲鳴とで奏でられる逆襲は続いていく。
そして景紀ら予備隊の逆襲に呼応して、前衛陣地に籠る兵士たちも一斉に逆襲に転じていた。歓喜山からも、逆襲を援護するための射撃が行われている。
一方の斉軍には、皇国軍の逆襲を押し止めるだけの火力が存在していなかった。
火縄銃はただの棍棒となり、抬槍は取り回すには重すぎてその場に打ち捨てられた。
後退を禁じられていた斉軍兵士は、しかしついに本能的な恐怖に逆らえずに総崩れとなった。
景紀は積雪のために無理な追撃は控えるように命令したが、それでも一部の部隊は斉軍が砲陣地を築いた大富屯にまで進出し、手持ちの火薬を青銅砲内に詰め込んでこれを爆砕して陣地へと帰還するなどの戦果を挙げている。
この日に行われた皇国軍の逆襲は平均で一・五キロも斉軍を後退させ、海城北側陣地は再びその縦深を取り戻すことに成功していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
日が暮れてから、ホロンブセンゲの本営は沈痛な空気に包まれていた。
後退した者を見せしめに処刑してその恐怖で兵士を統率しようにも、早くも限界に来ていることがはっきりとしてきたからだ。
倭人どもの猛烈な砲撃と射撃に晒された緑営兵士たちは無気力になりつつあり、処刑という脅しも効かなくなりつつあったのである。むしろ、処刑が倭人の猛烈な砲火にこれ以上晒されなくて済むという逃げ場にもなりつつあるという、まったくもって笑えない事態に陥っていたのである。
さらに、兵士たちの間に奇妙な症状が生じていることも、ホロンブセンゲに報告された。全身が震えてまともに立つことが出来ない者、幻覚を見る者、突然大声で笑い出す者、わけもなく喚き暴れる者、そうした兵士たちが現れ始めたのである。
後世の視点から見れば、これらは主として戦争神経症に分類される症状であった。激しい砲撃や死への恐怖といった精神的重圧が、兵士たちの精神の均衡を崩してしまうために起こるものである。
しかし、当然ながらそうした知識のないホロンブセンゲは、これは倭人の妖術師が幻術か何かを使っているのだと判断していた。
一部の宮廷術師たちにこうした兵士を敵妖術師の「幻術」から目を覚まさせるよう命令を下し、その対処に当たらせている。
また、海城を守る倭人の指揮官に対する呪詛を行わせているが、海城周辺を守る結界に阻まれて実行は困難であるという。また、たとえ敵指揮官に対する呪詛が成功しても、その効果は低いとホロンブセンゲは宮廷術師たちから告げられていた。
宮廷術師曰く、敵の将軍への呪詛に失敗してしまったことから考えて、敵の術者の技量がこちらよりも上である可能性が高いからとのことであった。
ホロンブセンゲにとってみれば、これは呪詛返しによる死を恐れての宮廷術師たちの怯懦の表れとしか思えなかった。
とはいえ、海城の倭人指揮官に呪詛を仕掛けようにも、結界に阻まれている以上は如何ともし難かった。瘴気作戦もその結界に阻まれて効果を発揮しなかったことを考えれば、なおさらであった。
倭人の水軍が遼河河口に出現したとの報告を受けた以上、ここで戦況を停滞させるのは自軍のさらなる士気の低下と逃亡兵を出すだけであった。ホロンブセンゲは何としても、短期間で海城を奪還する必要があった。
そして、遼河が結氷すれば倭人の水軍も身動きが取れなくなる。
そうなれば、戦況は再び斉軍有利に運ぶことになるだろう。
もはや、将としての矜持に拘っている場合ではなかった。
どのような謀略や妖しい術を用いてでも、海城の倭軍を討ち滅ぼさねばならないのだ。
彼は副将のガハジャンと手空きの宮廷術師たちを呼び寄せ、海城に拠る倭人どもに対する謀略の決行を告げたのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌十二月二十四日。
この日、斉軍は朝から皇国軍陣地の有効射程圏外に留まって攻撃を仕掛ける様子を見せなかった。
「妙な静けさと見るべきか、斉軍が戦力を消耗して再編に忙しいだけと取るべきか」
兵士たちへの鼓舞も含めて前衛陣地への視察に出向いていた景紀は、砲隊鏡を覗き込みながらぼそりと呟いた。
空からはちらちらと雪が降り続いており、相変わらず海城周辺の気温は結城家の居城・河越に比べて極寒であった。
「何とも判断出来ませんね」
景紀と同じく冬季外套や毛皮の帽子で着ぶくれた貴通が、同じく舞い散る雪の先にある大富屯の斉軍砲陣地を見据えながら応じる。
昨日の逆襲時に破壊された青銅砲は、そのまま打ち捨てられていた。
「この天候では、積極的な行動を起こしにくいという要因もあるのでしょうが」
ちらりと、彼女は前衛陣地内を見る。
陣地内の観測所で歩哨を務める兵士以外は、焚き火に当たって暖を取っていた。そうでもしないと体が凍り付きそうな寒さであった。兵士たちの歩兵銃は、叉銃の状態にして近くに置かれている。
寒さに慣れていない結城家領軍だからこそ見られる光景であったかもしれない。
正直、景紀も貴通も早く前線視察を済ませて暖房の効いた司令部に戻りたかった。赤い火鼠の衣一枚だけを羽織って平然としている冬花が少し恨めしい。
と、観測所から警告の声が上がった。
焚き火に当たっていた兵士たちが機敏な動作で小銃を引っ掴むと、景紀や貴通への敬礼もそこそこに持ち場へと駆けていく。
貴通が雪の舞う雪原へと双眼鏡を向けた。
「一騎のみですね」
「何?」
景紀も怪訝そうに双眼鏡を覗いた。
降り続く雪を割くようにして、一騎の騎兵が前衛陣地へと駆けてきていた。その兵士は、雪の中でも目立つ色の鎧と兜をまとっている。斉軍の高級指揮官かもしれない。
「これはもしや?」
「ああ、何らかの使者かもな」
兵学寮同期の二人は、互いに顔を見合わせた。
「冬花」
「はっ」
次いで、景紀は冬花に言う。
「陽鮮倭館の二の舞はご免だ。警戒しておけ」
「かしこまりました」
陽鮮では、使者に紛れ込んだ時限式の式が倭館に張った冬花の結界を内側から破壊している。同じ轍を踏む気は、景紀にも冬花にもない。
「さて、どう出てくるかな?」




