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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第七章 対斉戦役編

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132 戦地の夜

 総兵力二十五万のホロンブセンゲ軍であったが、攻勢開始第二日目である十二月十七日が終わった時点で、その兵力は三分の二程度にまで減少していた。

 この攻勢において、ホロンブセンゲ軍の中核をなしていたのは南翼(営口方面)を担当する緑営提督・左芳慶の八万と、北翼(牛荘方面)を担当する緑営総兵・馮玉崑の六万の計十四万であった。

 この他、ホロンブセンゲ直属の蒙古八旗軍三万が予備兵力として控え、さらには盛京・遼陽救援のための分派した布政使・呉鉄生の八万が加わっている。

 攻勢第二日目の十七日時点において、左芳慶・馮玉崑両軍は渡河に成功した遼河東岸に続々と兵力を集結させつつあったが、そこに至るまでに無視出来ぬ損害を負っていた。

 すでに攻勢初日して五〇〇〇人近い戦死者と二万人の負傷者を出して兵力を五万五〇〇〇程度に低下させていた南翼・左芳慶軍は、二日目にも皇国軍の防御火力の前に八〇〇〇人におよぶ戦死傷者を出していた。馮玉崑軍もまた、六〇〇〇人近い戦死傷者を出している。

 このため、負傷者の後送などにも兵員を取られた結果、左芳慶軍は四万五〇〇〇、馮玉崑軍は四万程度にまで兵力を減らしていた。徐々に逃亡兵も目立ち始めている。

 呉鉄生軍もまた海城攻撃で戦死傷者七〇〇〇を出し、第二軍との戦闘による戦死傷者も合わせると、兵力は五万ほどにまで低下していた。

 つまり、攻勢当初二十五万であったホロンブセンゲ軍は、攻勢第三日を迎えようとする時点ですでに総兵力を十六万五〇〇〇ほどにまで減らしていたのである。

 これは、皇国軍と斉軍の武器の質の差といった問題の他に、銃火器の発達が原因であった。

 ボナパルト戦争など産業革命前後の戦争と比べて、銃や火砲の装填機構の改良によって射撃速度が増し、さらには斉発砲や多銃身砲といった機関銃の萌芽的火器の登場が、敵兵の大量殺戮という結果に繋がったのである。

 また、戦闘による死傷者の他に、凍傷患者の続出もまた遼河平原を巡る戦闘において注目すべきことであった。

 秋斉両軍とも、少なからぬ凍傷患者を出していたのである。

 皇国軍では、一色公直大将率いる第二軍で特に凍傷患者が多く、第三、第四師団の二個師団合計で凍傷者は重軽傷含めて二〇〇〇人以上に上っていた。当然、こうした凍傷患者の後送のためにも兵力を割くこととなり、第二軍は火砲の不足と弾薬の不足も加わり、その戦闘力を急速に喪失しつつあった。

 唯一、第二軍の将兵にとっての救いは、自軍の惨状を見た一色公直が、これ以上の遼陽・鞍山攻略に固執しなかったことであろう。彼は極寒期にも慣れている将兵の多い第一軍の援護を受けつつ、第二軍を連山関にまで後退させることを決意していた。

 だがそれは、遼陽・鞍山方面で斉軍にかかる圧力が消えることも意味しており、斉軍に海城奪還のための兵力集中を容易とする結果にも繋がってしまったのである。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 翼龍を海城郊外の龍舎に預けた景紀は、ようやく顔の傷を冬花に術で治癒してもらうと、隻龍山の旅団野戦司令部に戻った。

 すでに日付は十二月十八日に変わっていた。

 旅団野戦司令部の天幕には、砲兵隊長の永島惟茂少佐が詰めていた。

 次席指揮官の細見為雄大佐は前衛陣地に詰めているため、景紀不在中の歓喜山・隻龍山を中心とする主陣地の指揮は、旅団幕僚の貴通(大佐)か砲兵隊長の永島惟茂少佐が代行する必要があった。


「戻った」


 冬花に傷を治して貰ったとはいえ、寒さで口も含めた全身が硬くなっている景紀はぼそぼそとした声で言った。天幕の中には暖炉が設置されていたが、外套も含めて凍ったようになっている景紀の身には焼け石に水でしかない。


「無事に戻られて何よりです」


 一瞬、この年若い将官の姿にギョッとした表情を浮かべた永島は、いささか案ずるように言った。


「その御様子ですと、無理に龍兵を飛ばさなくて正解でしたな」


「ああ、まったくだ」


 唇の動きが最小限になってしまいながら、景紀は同意した。


「ああ、こちらが穂積大佐殿がまとめました本日の弾薬消費量および今後の消費予測になります」


 永島は自ら前線を飛び回った主家の若君に敬意を払うように、恭しく紙縒(こより)で簡素に綴られた書類を差し出した。景紀は受け取るが、手がかじかんで上手くめくれない。


「冬花、すまん」


 呪術で体を守っていたため、問題なく手足を動かせる冬花に書類を渡した。


「はっ、失礼いたします」


 従者然とした態度で書類を受け取った冬花は、主君たる少年が見えるように書類をめくって内容を示す。

 景紀が書類を見れば、今日一日だけで独混第一旅団は戦前に想定されていた一会戦分以上の弾薬を消費していた。これは陽鮮の倭館防衛戦でも見られた現象であるので、景紀は今更驚かない。恐らく、兵部省が定める平時の弾薬備蓄量は今後、大幅に改定する必要があるだろう。

 第三軍もその後方支援を担当する南嶺鎮台も、景紀が陽鮮でもたらした戦訓から相応の弾薬量を遼東半島に送ってくれているので、貴通の結論としては、前線への補給を第三軍司令部が万全に手配してくれる限りそこまで深刻な弾薬不足が起こる危険性は少ないとのことであった。


「とはいえ、これじゃあ春季攻勢は無理だな」


 だが、貴通の結論は春季攻勢のための備蓄弾薬を消費することを前提にしたものだった。

 奉天・遼陽占領を目指した冬季攻勢も頓挫しつつあり、いったい征斉大総督の長尾公はどうするつもりなのだろうな、と意地悪い思いが景紀の心に生まれる。

 もっとも、彼は自身が海城の防衛にまず集中すべき立場であることを理解していた。


「その穂積大佐は休息中か?」


「はい、天幕にてお休みになられています。若がお戻りになられたらすぐに交代でお休みになれるようにと」


「判った。永島少佐、お前も穂積大佐が戻ってきたら休め」


「了解いたしました」


 少なくとも現状、独混第一旅団は将校も下士官兵卒も休息を取れるだけの余裕はある。

 明日以降はどうなるだろうな、と景紀は一抹の不安を抱きながら司令部天幕を後にした。






 歓喜山・隻龍山両陣地には、南側斜面にいくつもの待避壕が設けられている。後世でいうところの反斜面陣地の萌芽的存在を、景紀は二つの高地に築いていたのである。

 貴通が以前、こうした海城周辺の陣地の造りを「神経質」と評していたが、実際その通りであった。当初の計画では、皇国軍征斉派遣軍は盛京省にある数万の斉軍と直隷平野にある十万の斉軍に備えて冬営しなければならなかったのだ。

 戦略的・戦術的に重要な拠点である海城の防衛陣地の構築に景紀が神経質になるのも当然であった。

 少なくとも、海城はその位置的に一個旅団の戦力で奉天・遼陽方面に展開する数万の斉軍から守ることを考える必要があった。その必要性が、同時代的に見ればいささか入念に過ぎる野戦陣地を構築する結果となったのである。

 そして、そうした主・前衛両陣地線の内部に、兵士たちが露営するための天幕が無数に張られていた。

 冬営用に建設した廠舎に兵を寝起きさせていては、戦闘時の集合に時間が掛かってしまう。そのため、戦闘時はこうした天幕ないしは塹壕内の待避壕で兵を寝起きさせることになる。当然ながら廠舎に比べて居住性は悪く、戦闘行動以外での体力の消耗も考慮しなければならない。

 そのため景紀は、陣地周辺に存在する村落の家屋にも兵士を寝起きさせていた。流石に旅団の兵士全員を収容出来るだけの家屋の数はないので、小隊ごとに一日交替で使わせていた。

 こうした現地の家屋を接収して宿営することを「村落宿営」といい、これもやはり兵の集合に時間が掛かってしまう宿営方法であったが、何日も天幕に寝起きして不必要に体力を消耗させ、その上士気まで低下するよりは良いと景紀は考えている。

 なお、皇国陸軍は北の凍土から南の大洋にまで植民地を広げていることもあり、寒冷地仕様の天幕、熱帯地仕様の天幕をそれぞれ開発していた。

 寒冷地仕様天幕は、「腰幕」と呼ばれる隔壁を持つ二重構造の天幕で、天幕中央部には組み立て式の暖炉と煙突を設置出来る仕組みになっていた。

 景紀と貴通が寝起きする天幕は、野戦司令部との連絡を考えて司令部天幕のすぐ近くに張られていた。司令部用の待避壕も、すぐ近くに存在している。

 天幕内部には木箱を組み合わせて作った寝台が一つと、事務用の机椅子が一組、それと装具を置くための棚が置かれているだけである。兵卒用の大天幕(一つにつき、二〇人を収容することを想定している)に比べると、将校用個人天幕であることもあり、かなり狭い空間であった。

 それでも景紀と貴通の二人で使い回す天幕であり、大天幕か一般待避壕で雑魚寝するしかない兵士よりは恵まれているので、二人とも不満はない。

 入り口に掛けられた幕布を開けて、景紀と冬花が天幕に入る。中に角灯は灯っておらず、暖炉の火だけが薄暗く天幕内を照らしていた。

 景紀が天幕上部に下げられた角灯を灯すと、事務机の上には算盤や帳簿が放り投げられるように置かれていた。棚には景紀と貴通の装具の外、冬花の弓と矢筒、それに胸当ても置かれている。

 それらの向こうに引き幕が掛けられており、その奥が仮眠用の寝台となっていた。


「貴通、戻った」


 事務机と寝台との間にある引き幕を開けて、景紀はそこで眠る旅団幕僚に声をかけた。

 貴通は外套を着たまま、体を丸めて布団にくるまっていた。だが、景紀に声を掛けられた瞬間、素早い動作で布団を跳ね上げる。彼女もまた、兵学寮の五年間で軍人としての習性が身に染み付いているのだ。


「お帰りなさい、景くん」


 そう言ってから、貴通は景紀の顔をまじまじと見つめた。


「だいぶ、酷い顔になっていますよ」


「さっきまではもっと酷かった」


 傷を冬花に治癒してもらったとはいえ、寒空の中を翼龍で飛び回ったことによる疲労は消えていない。冷たくなった体もそのままだ。


「明日の撤退作戦の件で、特に変更がなければ、僕はこのまま司令部に戻りますが?」


「ああ、予定通りだ」


「判りました」


 貴通は机の上の算盤と帳簿を素早く引っ掴む。


「景くんも、少しでも休んで下さいね」


 最後に案ずるように言って、軍装の少女は天幕を出ていった。永島少佐もそうだったが、心配になるほど自分の顔色は悪いらしい。やはり冬に翼龍を飛ばして回るものじゃないな、と景紀は改めて思う。

 とはいえ、移動や連絡なども含めて利便性が高いので、明日以降も翼龍に乗ることになるだろうが。


「うぅっ……」


 寒さと疲労に気怠い呻き声を上げながら、景紀もまた外套を羽織ったまま寝台に横になる。

 せっかく貴通が温めておいてくれただろうに、この短時間で布団はだいぶ冷めてしまっていた。それほどまでに、遼河平原の冬の夜は冷える。


「……冬花、お前も休んでいいぞ」


 先程の貴通と同じように体を丸めながら、景紀は顔だけを冬花に向ける。


「ええ、そうするわ」


 ちなみに、冬花のための寝台は野戦司令部には用意されていない。前線にあって彼女は景紀を護衛する立場である。だから冬花は、自分が寝ていてもすぐに主君の危機に対応出来るよう、刀を抱えた姿勢で寝台の横にでも座って寝るつもりだった。

 実際、遼東半島に上陸して海城占領まで進撃する間、彼女はずっとそうやって寝ている景紀の側に控えていた。

 景紀の方も、それが冬花のシキガミとしての矜持ならばと受入れた。常人ならばこの寒さで体を壊しかねないだろうが、彼女は呪術の使い手である。特に問題はないようだった。


「それじゃあ、角灯を消してくれ」


「了解」


 冬花が天井から下げられている角灯に手を伸し、火を消す。途端、天幕の中は薄闇に包まれる。


「……ねぇ、景紀」


 暖炉の微かな熱が籠る狭い空間に、遠慮がちな冬花の声が響いた。


「風邪引くといけないから」


「?」


 疲労と眠気でぼんやりとした頭に景紀が疑問符を浮かべていると、冬花が短洋袴(ショートパンツ)の革帯を緩める音が聞こえた。微かな衣擦れの音がして彼女が寝台に腰掛ける気配がすると、不意に温かく柔らかいものが布団の中に入ってくる。


「これなら、少しは温かいかしら?」


 少しだけ羞恥心を堪えているような冬花の声。

 布団の中に入ってきたのは、彼女の尻尾だった。先程の衣擦れの音は、冬花が短洋袴(ショートパンツ)を脱ぐ音だったのだろう。


「いいのか?」


 景紀が温かいと感じているということは、逆に触れられる冬花の方は冷たいと感じているということだ。


「ええ。昨日、切り落とさなくてよかったわ」


 冗談めかして言うには、羞恥の勝っている口調だった。


「じゃあ、ちょっと借りるぞ」


 だが、体の芯まで冷え切っていた景紀にとって、温もりある毛皮は誘惑でしかない。そのまま、ふんわりとした尻尾を抱きしめるように体を寄せる。


「んんっ……!」


 途端、冬花がくすぐったそうな艶めかしい呻きを上げるが、景紀の心からはもうこの温もりを手放すつもりはなくなっていた。


「……ありがとうな、冬花」


 微睡みの中に落ちながら、最後に景紀はそう言った。


「どういたしまして、景紀」


 羞恥の中に少年へのいたわりを込めて、冬花はそう返したのだった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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