表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第七章 対斉戦役編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

129/372

125 冬季攻勢

 皇暦八三五年十一月下旬、景紀や冬花、貴通は独立混成第一旅団の宿営地である海城から南に行った大石橋に視察に来ていた。

 歩哨が現地人匪賊への警戒を行う中で、野戦軽便鉄道の敷設工事が続けられている。東北鎮台から派遣された鉄道部隊の者たちを中心に、軍夫などを動員して大連から海城へと伸びる鉄道を建設中であった。十一月現在、完全に開通しているのは大連―蓋平間であり(突貫工事で開通させた)、今年中に海城へと延伸させるべく、工事が急がれていた。


「結局、この工事も来春の直隷決戦のためではなく、冬季攻勢のためかと思うと、何だか鉄道部隊や軍夫の皆さんに申し訳なく感じますね」


 小高い丘の上から工事の様子を眺めていた貴通が、溜息交じりに呟いた。


「まったくだ。うちの領軍の者たちを使って造った鉄道を使うのが、長尾家や一色家の連中だと思うと、いっそ工期を遅らせてやろうかって気になってくる」


 同期生の言葉に、景紀は冗談とも本気とも思えぬ口調で応じる。

 結局、長尾憲隆や一色公直による冬季攻勢計画は覆すことは出来ず、第一、第二軍は遼陽・奉天攻略のための準備を進めていた。

 一方で冬季攻勢の間、占領地である遼東半島を守備するのは第三軍の役目となるが、戦線の長さに対して兵力の不足が懸念されている。ただし、占領地の維持に関しては内地からさらに金州民政管区(結城家担当)の警備用に後備歩兵二個連隊が派遣され、安東民政管区(有馬家担当)もまた後備役の部隊を占領地の警備に充てているため、前線の兵力が後方警備のために引き抜かれることがないというのが、せめてもの救いであった。


「今の景くんの台詞、工事現場の人たちには聞かせられませんね。士気が落ちます」


 くすりとおかしそうに笑いながら、貴通が茶化した。


「まあ、海城の補給のためにも使えるから、本気で工期を遅らせるつもりはないがな」


「海城の防御陣地も、ちょっと神経質なくらいに整えていますからね」


「兵力が不足している分は、野戦築城と火力で補うしかないからな」


 陣地構築のための物資や弾薬の輸送のためにも、野戦軽便鉄道の海城までの開通は重要であった。


「やはり、景くんは斉軍の反攻作戦があるとお考えで?」


「あると考えて備えておいた方が、後々狼狽せずに済むだろう?」


「そうですね。備えあれば憂い無し、ですから」


「まあ、ここまで俺たちは上手く行き過ぎたんだ。その所為で長尾公や一色公の冬季攻勢なんてもんを呼び込んじまった。上手く行き過ぎたツケが回ってくるのが、これだけで済むと考えられるほど、俺は楽天家じゃないからな」


「ふふっ、海城まで一気に進軍してきた大胆さに比べると、随分と慎重ですね」


「臨機応変と言ってくれ」


 からかうような貴通の言葉を、景紀は訂正する。

 そんな無邪気な掛け合いが出来る余裕が続けばいいとは思うが、そうはいかないだろうという確信に近い思いが景紀の中にはあった。

 すでに皇国陸軍は、その封建制故の暴走を始めつつある。

 それがもたらすものが何であれ、六家の自分が無縁でいられるとは、景紀は考えていなかった。


  ◇◇◇


 十二月になると、満洲の冬はいよいよ本格化してきた。

 気温が氷点下を下回る日が多くなり、積雪も見られている。

 独立混成第一旅団では将兵全員分の冬季装備を確保していたので、現状、凍傷に罹った者が出たという報告はない。しもやけ程度は出ているようだが。

 馬についても氷上蹄鉄を用意していたので、凍った地面に足を取られて転倒した数は最小限度に抑えられている。

 また、街道上に積もった雪については主に輜重部隊の往来を阻害するため、占領地維持のために派兵された後備部隊の兵や現地の斉人に金や食糧を渡して除雪させていた。


「第一、第二軍による遼陽・奉天攻略作戦は十二月五日を以て開始されることになった」


 十二月二日、海城を前線視察に訪れた第三軍司令官・有馬頼朋公爵は景紀にそう伝えた。

 二人は、火鉢で温められた海城城内の県庁舎にて会見していた。冬花が二人に温かい茶を出して、景紀の背後に控えている。


「すでに第一、第二軍は共に鳳凰城を出発、第一軍は賽馬集に、第二軍は連山関に集結しつつある。そのまま両軍ともに北上して、第一軍は本渓湖を攻略後、奉天へと向かう。第二軍は鞍山、遼陽の攻略を目指すことになっている」


「二個軍が合同して北上するのではなく、それぞれがそれぞれの攻略地点に向かうわけですか」


 多少の呆れを込めて、景紀は言った。


「ああ、結局、冬季攻勢という部分では一致していても、それで昨年の六家会議以来続く長尾家と一色家の対立が解消されたわけではないということだ。戦後の論功行賞などを見据えて、それぞれの家がそれぞれに戦功を求めているということだ」


 貞朋も馬鹿らしさを覚えているのか、その声にはどこか投げやりな響きがあった。


「搭乗員の凍傷を恐れて翼龍を飛ばせていないので少し古い情報になりますが、遼河西岸の田庄台から遼陽・奉天にかけては斉軍五万から十万の兵力が控えていると見積もられています。如何に兵器の質で我が軍が勝っているとは言っても、数というものは侮れません。第一、第二軍を合同すれば八万程度の兵力にはなったでしょうに」


 現在、第一軍は玄龍江省牡丹江付近の占領維持に沿海州独立守備隊を割いている。また、第二軍も第五師団を反仁宗派の掃討のために陽鮮に残していた。

 そのため、現状で動かせる第一軍の部隊は第八師団と第九師団の約三万七〇〇〇名、同じく第二軍も第三、第四師団の計二個師団で約三万七〇〇〇名。これに軍直轄の砲兵部隊や輜重部隊などが加わるので、両軍合わせて約八万名の兵力が存在していた。それを、長尾公も一色公も分散することにしてしまったのである。


「封建制の残る軍隊故の弊害であろうな」


 最早自分の手を離れてしまった問題であるが故か、貞朋公はどこか他人事のようであった。


「まあ、朗報がないこともない。父上から届いた呪術通信によれば、征斉派遣軍の独走を戒めるため内地から勅使を派遣することに決定したそうだ」


「朗報というには、少し手遅れの感も否めませんが?」


 六家は、政治的には皇主に直接仕えているという建前となっている。そのため勅使の派遣は長尾公や一色公の独走を牽制するための妙手ではあったが、景紀はいささか遅きに失したと感じていた。


「勅使の派遣を巡って、内地で伊丹公が散々渋ったらしい。最早冬季攻勢を止めることは出来ぬであろうが、我らの政治的正統性は保てる。少なくとも、来春以降の対斉作戦計画を見直すに当たり、第三軍の意見を尊重させる土台作りは出来たといえよう」


「今は、それで満足するしかありませんか」


 溜息をつきたそうに、景紀は言う。


「第三軍にとって喫緊の課題は、遼東半島の防衛だ」貞朋公は話題を転換した。「第十四師団司令部からは、営口対岸の田庄台にて斉軍の動きが活発化しているとの報告が寄せられている」


 現在、第三軍麾下の第十四師団が遼河沿いに展開しており、遼河東岸の守備に当たっている。

 結城家領軍たる第十四師団は、平時は三単位師団(三個連隊からなる師団)であるが、戦時編制として元嶺州軍の二個連隊を指揮下に組み込んだため、五単位師団といういささか変則的な編制となっている(皇国陸軍の戦時編制師団は二個旅団四個連隊からなる四単位師団が基本)。

 師団主力たる歩兵第二十七旅団(歩兵第十五、第五十九、第六十六連隊)を遼河河口の営口を中心に配置し、元嶺州軍たる第二十八旅団(歩兵第五十七、五十八連隊)を牛荘の守備に充てていた(なお、編制当初に所属していた騎兵第十八連隊は、独立混成第一旅団の創設に伴って転出していたので、第十四師団は固有の騎兵連隊の有しない師団となっていた)。

 ただし、営口―牛荘間の防衛線は約三〇キロにわたり、これを歩兵五個連隊約一万五〇〇〇名で守り切るには兵力が不足していた。このために結城家は内地に残る第二師団から新たに歩兵第十七連隊、騎兵第二連隊第一大隊を遼河平原に派遣、この両部隊を混成第十七連隊として第十四師団に組み込んでいる。

 このため第十四師団は規模が大きくなりすぎ、また担当する地域が広範囲にわたっていることから、第三軍は元嶺州軍たる第二十八旅団を第十四師団の指揮系統から独立させた支隊とする措置をとっていた(正式名称は「混成第二十八旅団」であるが、旅団長である久慈宗行少将の名を取って「久慈支隊」と呼ばれている)。

 ただし、それでも六個歩兵連隊および一個野砲兵連隊、一個騎兵大隊を中核とする兵力であり、南北に長く薄く兵力が展開している状態であるといえた。この問題解決のため、南嶺鎮台は有馬家領軍の第十二師団から歩兵第二十四旅団を基幹とした混成第二十四旅団を新たに派遣することを決定していたが、冬季装備などの確保に手間取り、遼河戦線への到着は年明け以降になるとのことであった。


「斉が奪還を狙うとすれば、営口、牛荘、海城の三地点が最も可能性が高い。貴殿の方でも、警戒は怠らぬように」


「いっそ、栃木城の辺りまで戦線を下げるのは? 第三軍の兵力だけで、現在の遼河戦線を維持するのは難しいと思いますが?」


「残念だが、それは許可出来ない。海城も牛荘も営口も、戦略上の要衝だ。ここを簡単に手放すことは出来んのだ」


「判りました。斉軍が冬季攻勢を仕掛けてきた場合には、出来る限りの防戦に努めます」


「徒な死守命令は愚将のやることだと判ってはいるが、私の立場上、そう言うしかないのだ」


「判っておりますよ。それに、元はといえば俺の蒔いた種でもありますから」


 景紀は自嘲気味に唇を歪めた。


「それと、海軍が河川砲艦を遼東半島に派遣してくれるそうだ。それが遼河に到着すれば、多少は防衛が楽になるだろう」


 河川砲艦とは、沿岸水域や河川など水深の浅い水域での活動を目的に建造された艦艇のことである。皇国海軍では氷州や沿海州、南洋特殊権益を持つ東南アジアの警備を目的に、多数の砲艦を保有していた。

 だからこそ、遼河流域の防衛のために河川砲艦が回航されることになったのだろう。

 黄海の制海権を完全に確保出来たが故に、こうした措置が可能となったのだ。


「現状で、出来る限り遼東半島防衛の足しになるような措置は講じているつもりだ」


「ご配慮、感謝いたします」


「あとは貴殿ら、前線指揮官たちの働きに期待するしかない」


「ご期待に添えるよう、微力を尽くします」


「うむ、まだ若い貴殿はこれからの皇国陸軍を背負って立つことになろうからな」


 そう言って貞朋公は軍帽を被って席を立った。


「貴殿の武運長久なることを祈らせてもらおう」


「ありがとうございます」


 景紀は一言礼を言って、岫厳城へと戻る第三軍司令官を見送った。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 十二月五日、第一軍は賽馬集より、第二軍は連山関よりそれぞれ出撃した。

 征斉大総督・長尾憲隆大将は、鞍山站攻撃を十二月十二日、遼陽攻撃を十二月十五日、奉天攻撃を十二月十七日と各部隊に訓令した。

 この時、両部隊が選んだ進撃路は、鴨緑江と遼河平原との間に連なる千山山脈を突破する経路であった。

 街道の整備状況などを考えれば海城より出撃して遼陽街道を北上する経路が最善と思われていたが、長尾・一色両司令官は山脈沿いに進んで敵の側面を突く作戦を選んだ。海城周辺を守備している第三軍の各部隊が、鞍山・遼陽方面の敵を牽制する役割を果たしていると考えていたからである。

 つまり、両司令官は、斉軍は南の海城に拠る皇国軍部隊を警戒し、千山山脈方面、つまりは東側からの攻撃には十分に備えられていないであろうと判断していたのである。

 また、千山山脈の東側に展開していた第一、第二軍が海城に集結しようとすれば、その分だけ時間を浪費する。同じ千山山脈を西側に越えるのであれば、そのまま奉天・遼陽を目指した方が時間を短縮出来ると考えていた。

 もっとも、これは軍事的視点からの理由であり、政治的には冬季攻勢の是非を巡って長尾・一色両司令官と第三軍司令官・有馬貞朋大将との関係が悪化しつつあったため、第三軍の担当地域を通過したくなかったという事情も存在している。

 結果として、迂回機動を取った第一、第二軍の進軍は街道の整備状況と天候という二つの困難に見舞われることとなった。

 まず、山中の街道は狭く、陽鮮の時と同じく野砲や炊事車の通行に困難を来したのである。また、兵士の脛の辺りまで没するような積雪量も、行軍の妨げとなった。

 第一、第二軍司令部には「積雪脛ヲ没シテ糧秣ノ運搬困難ナルト、凍傷患者ヲ生スルノ虞アリ」という前線部隊の声が届けられることになる。

 この他、寒さが本格的になる前に龍兵偵察を行って奉天・遼陽方面の地形を調査していた征斉派遣軍であったが、積雪のために道を見失い、誤った方向に進む部隊も出てきていた。

 ここに来て、長尾・一色両司令官は、火砲については軽量の山砲を分解して兵士や駄馬に輸送させ、分解輸送が不可能な野砲については一旦、進撃を停止させる措置をとることとした。野砲については、鞍山を占領し、平地の遼陽街道が安全に通行可能となった後に、改めて輸送することとされた。

 しかし、これによって山中の狭い街道上に多数の野砲が置かれることとなり、そこを通行する輜重段列を妨害することにも繋がり、それがさらに歩兵部隊の渋滞を引き起こすなど、連鎖的な混乱が発生することにも繋がってしまった。

 もっとも、積雪を原因とするこうした問題は海城を進発して遼陽街道沿いに鞍山・遼陽・奉天を目指した場合にも生じたであろうから、必ずしも山中の進軍を選んだから生じた問題とも言えなかった(とはいえ、海城に集結しようとした場合、千山山脈越えは味方の勢力圏内の街道を通過することになるので、野砲部隊が置き去りにされるという事態は防げたであろう)。


  ◇◇◇


 陽鮮半島上陸以来、自分は兵に苦労ばかり掛けているという自覚が、一色公直にはあった。

 今、第二軍が行っている山中の行軍は、陽鮮半島を平寧まで進撃したとき以上の難事といえた。

 第二軍の司令部は摩天嶺にまで前進していたが、先行する部隊からは積雪や渋滞などによって進軍が困難となっているという報告が次々と寄せられていた。

 また、凍った地面に足を取られて輜重部隊の駄馬が転倒するなどの報告も相次いでいた。


「このままでは、十二日の鞍山攻撃、十五日の遼陽攻撃には間に合いません。また、野砲部隊を残したことによる火砲の不足も戦闘を行う際の懸念材料となりましょう」


 第二軍参謀長が、一色にそう報告する。


「……」


 一色は司令部天幕に設置された机の上に広げられている地図を睨んだ。龍兵偵察などでの地形調査に基づいて描かれた地図なので、内地を描いた兵要地誌ほどの正確性はない。

 彼は、この奉天・遼陽攻略作戦を来春の直隷決戦のためにも、また戦後を見据えた上でも必要な作戦であると信じていた。

 斉軍は弱体であり、あえて冬営して警戒する必要もない。むしろ、冬季の間にも敵軍を出来るだけ撃破して戦果を拡大することが、有利な講和を結ぶことに繋がると考えていた。

 加えて、鞍山は古代から鉄鉱石の産地として知られている。和平交渉において一色家が鞍山の鉱山権益獲得を主張するためにも、占領しておくべき場所であった。

 鞍山鉄山の利権獲得について、同じく冬季攻勢を主張していた長尾家と競合するかと一色は警戒していたが、どうやら長尾公は満洲の穀倉地帯の方を狙っているらしい。だから自分は遼陽・鞍山の攻略に集中すればよかった。

 問題は、行軍の困難と火力不足である。


「私自ら、行軍中の部隊の整理に当たる。ただちに馬を用意せよ」


 現場の中隊や大隊がその場その場で判断するよりも、より部隊の全体像を把握している人間が解決に当たった方が良いだろう。

 一色は行軍における混乱を収拾するため、陣頭指揮に当たることにした。

 軍参謀団を構成する家臣たちからは、大きな反対意見は出なかった。彼らは、ようやく三十になろうとしているこの若き六家当主が陽鮮で優れた統率力を発揮しているところを間近で見ている。大きな反対がないのも当然であった。

 やがて一色公直は兵站参謀など一部の参謀や従兵を引き連れて、各部隊の混乱を収拾しに向かった。結果、軍司令官である彼が陣頭指揮を執ったことにより、積雪による行軍速度の低下といったやむを得ぬ事情を除けば、各部隊をある程度、円滑に行軍させることに成功したのである。






 こうして第二軍は十二月十二日、攻撃発起点である遼河支流の藍河に辿り着くことに成功した。

 鞍山攻略は予定よりも一日遅れた十三日から開始され、斉軍がすでに遼陽・奉天方面に退却していたことから無血占領に成功している。

 これによって鞍山攻略のための時間を短縮出来た第二軍は、鞍山の守備に歩兵第八旅団(第四師団所属。歩兵第十連隊および歩兵第二十連隊からなる)を残し、その主力は遼陽へと向かったのである。

 そして、火力不足を補うために一色公直が選択したのは、夜襲であった。

 こうして十二月十五日、第二軍による遼陽攻略作戦は、遼陽前面の首山堡陣地に対する夜襲によってその幕が切って落とされたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ