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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第七章 対斉戦役編

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124 皇帝の賭け

 大斉帝国の都・燕京は、華北における交通の要衝として古代より幾多の王朝によって支配されてきた都市である。

 斉朝成立以後は一貫して中華帝国の都が置かれている、斉朝の政治的中心地でもあった。

 その中華帝国の都には、見る者を圧倒する壮麗な皇宮が築かれている。

 紫禁城と呼ばれるその皇宮は前王朝・綏の時代から何度も改築を重ね、この世界の中心たる中華を統べる皇帝の威光を周囲に知らしめていた。

 地上を治める天帝の代理人たる中華帝国の今上皇帝は、斉朝第九代皇帝・咸寧(かんねい)帝であった。

 しかし、そのような壮麗な宮殿と天帝の代理人という地位を手にしている咸寧帝であったが、その治世は即位直後から様々な困難に見舞われていた。

 そもそも、斉朝は第六代皇帝の治世に最大版図を獲得して隆盛の極みにあったが、その後は人口の増加による食糧不足などから民衆の生活は徐々に苦しくなっており、各地で反乱が相次ぐようになっていた。さらにアルビオン連合王国によるアヘンの密輸で国内の銀が流出して国内における銀の価値が高騰したため、銀本位制をとっている斉国においては、実質的に民衆の納税額が増加するという事態に陥り、民衆の生活はさらに困窮した。

 父帝の時代に発生したアヘン戦争の敗戦は当時、所詮は南方の一辺境での敗北であるとして宮廷の中で深刻に受け止める者はごく少数であったが、西洋列強による圧迫は確実に強まりつつあった。

そうした中で咸寧帝は、弱冠二十歳にして帝位を継がざるを得なかったのである。

 そして、即位からおよそ十年。今また咸寧帝は、夷狄ながら「皇国」を名乗る不遜な蛮族の侵略に直面せざるを得なくなっていた。






「いったい、盛京の将軍どもは何をやっておるのだ!? 倭人ごとき夷狄の軍に我が父祖の地を踏ませるなど、連中は太祖(初代皇帝)陛下に何と申し開きするつもりであるのか!?」


「陛下、何卒お鎮まり下さい」


 皇帝や大臣・尚書たちの集う朝議の間には、連日、緊迫と沈痛の雰囲気が流れていた。

 八月の豊島沖海戦での敗北以来、皇帝の下に届けられるのは敗報ばかりであった。そして、秋津皇国との戦争は、斉国中枢部に大きな動揺を与える結果となった。

 かつてのアヘン戦争は、所詮は一辺境での敗北でしかない。そう捉えていた皇帝やその周囲の者たちであったが、今回の戦争の舞台となっているのは斉朝発祥の地たる満洲である。そこを攻められて、しかも敗戦が続いているとなっては、彼らの衝撃は相当なものであった。

 満洲を占領されれば、秋津軍は直隷平野を南下して一気に都・燕京を突くことも出来る。

 咸寧帝たちは、満洲の失陥だけでなく、都の陥落という最悪の事態すら想定せざるを得なくなっていたのである。

 さらに、九月一日に秋津皇国より宣戦布告がなされる以前、調停役として都を訪れたアルビオン連合王国使節団を幽閉してしまったことも、斉国政府にとっては外交上の課題となっていた。この使節団幽閉事件によって、アルビオン連合王国の態度は急速に硬化していったのである。

 もっとも、斉国にとってみれば、アヘンの密貿易取締を口実として戦争を仕掛けてきたアルビオン連合王国の方こそ道理を弁えない夷狄であったが、秋津皇国との戦争が始まってしまった以上、しかもそれが明らかな劣勢である以上、アルビオン連合王国とも戦端を開くわけにはいかなかった。

 当然、朝議においては秋津皇国と和議を結ぶことも真剣に検討された。

 夷狄を懐柔して従わせるのは、歴代の中華帝国の行ってきた基本的な外交方針である。中華皇帝が秋津人という夷狄に恩恵を与えてやれば、それで連中は兵を引くだろうと何人かの尚書(秋津皇国では国務大臣に相当する地位)は主張していた。

 だが問題は、秋津人たちが何を求めているのかが、斉人には判らなかったことである。

 秋津人からの要求は、陽鮮からの撤兵と賠償である。

 華夷秩序という理論からすれば、陽鮮への派兵についてはそもそも属邦保護の旧例に則ったものに過ぎず、また陽鮮は斉の属国であるがその内政に関しては自主である。だから賠償問題については陽鮮側が対応すればよいだけの話であり、何故秋津皇国が執拗に斉の責任を追及してくるのかが、咸寧帝やその側近たちには理解出来なかったのだ。

 そもそも、陽鮮の攘夷派を宗主国・斉が自ら処断したことですでに秋津皇国に対する譲歩は行っていると彼らは考えており、これ以上、夷狄たる秋津皇国に譲歩することは中華帝国としての面子が保てない。

 秋津皇国の戦争目的を見抜けていないこと、中華帝国としての面子という二点から、咸寧帝や大臣・尚書は未だ和議に踏み切る決意がついていなかったのである。


「もはや盛京の将軍どもに軍を任せておくわけにはいかぬ! 何としてでも、不遜なる倭人どもを我が父祖の地から撃滅しなければならん!」


 八月の豊島沖海戦以来、次々と届く敗報に、ようやく三十歳になったばかりの咸寧帝は苛立ちを募らせ続けていた。

 このまま敗戦が続けば、中華帝国皇帝としての威信が保てない。何としても倭人どもに痛烈な一撃を加え、以て大斉帝国の威信を夷狄どもに知らしめ、その上で和議を結ぶ。

 皇帝の頭の中には、そうした「一撃講和論」とでも言うべき戦争指導方針が浮かんでいた。

 そして咸寧帝は自身の作戦構想を委ねるべく、信頼出来る一人の将軍を紫禁城に呼び寄せていた。


「オンリュート郡王ホロンブセンゲ、皇帝陛下の命により参上仕りました」


 そして十一月の初め、咸寧帝の命よって一人の将軍が皇宮に登城した。

 斉国人の象徴ともいえる弁髪姿の眼光鋭い男が、朝議の間へと入室を許される。


「ホロンブセンゲ将軍、よく来てくれた」


 朝議の間に現れた将軍を、咸寧帝は少し大袈裟ともいえる態度で歓迎した。大臣・尚書たちの表情も、少しだけ明るくなる。

 皇帝に呼び出されて参内したこの将軍は、それだけの実績があるのだ。

 斉国北方に住まう蒙古族出身のホロンブセンゲは先帝の時代から数々の戦功を挙げ、また反乱を鎮圧してきた、斉朝の誇る名将・猛将として知られていた。すでに五十を過ぎているが、その肉体にもまとう気迫にも、まるで衰えは見えなかった。


「満洲での倭乱については、すでに聞き及んでおるな?」


 斉国は今回の戦争を、あくまで夷狄たる倭人による中華帝国への乱と捉えていた。そのため、戦争の呼称は戦場の地名を取って「満洲倭乱」、「満洲倭寇」、あるいは元号を取って「咸寧倭乱」、「咸寧倭寇」などと呼称している。


「倭人ともは不遜にも、我が父祖の地に手を掛けたのだ。朕として、これを見過ごすわけにはいかぬ」


「御意」


「そこで、朕は卿を倭乱鎮定のための欽差大臣に任命したいと考えている」


 欽差大臣とは、斉国で発生した特定の問題に対処するために皇帝から全権を委任された者に与えられる官職のことである。つまり咸寧帝は、ホロンブセンゲを対秋津戦争における総司令官に任命すると言っているのである。


「先帝の御代に起こった洋寇(アヘン戦争のこと)において、卿は洋夷の軍を退けていたな。同じことを、朕は卿に期待する。朕の大臣・尚書の気持ちもまた同じである」


「大命を拝し、恐懼の至りにございます。必ずや、皇帝陛下のご期待に副うべく、倭人どもを撃滅してご覧に入れましょう」


「うむ、将軍ならば、必ずや倭人どもを討滅出来ると信じておる」


「ははっ!」


 ホロンブセンゲは実直さを体現するように、恭しい一礼を咸寧帝に捧げた。


  ◇◇◇


「さて、将軍には直隷平野にある軍勢、十二万および遼河西岸の五万の計十七万を預ける」


 場所を朝議の間から執務室に移し、咸寧帝はホロンブセンゲに言った。

 この場には、皇帝たる咸寧帝、討倭欽差大臣に任命されたホロンブセンゲ、そして軍機大臣・蘇玄徳の三名しかいなかった。

 軍機大臣とは、軍務関係の行政を担う軍機処の長である。軍機処は軍事機密の漏洩を防ぐために皇帝の直属の下に設けられた組織であり、内閣や六部(吏部、戸部、礼部、兵部、工部)からは独立している。そして時代が下るにつれて、皇帝と官僚の間に位置して情報を統制していたことから、軍事行政以外の重要政務も担う部署へと発展していた。


「朕が望むのは、満洲より倭人どもを一掃することだ」


 咸寧帝の執務机の上には、華北から満洲にかけての地図が広げられていた。その上に、軍勢の配置を示す駒が置かれている。

 それを示しながら、皇帝はホロンブセンゲに対して自らの作戦構想を述べた。


「倭人どもは遼河平原南部の要衝・海城を占領した。このままでは直隷平野だけでなく、歴代皇帝や皇族の陵墓のある遼陽、盛京も危うい。冬の訪れによって倭人の行動が鈍るのを待って、将軍には攻勢に出てもらいたい。海城と、隣接する牛荘鎮を奪還して倭人どもの行動の自由を奪うと共に、連中を遼東半島に押し込めて一挙に殲滅、金州と安東を奪還するのだ。出来るな、将軍?」


「……はっ」


 一瞬の間を置いて、ホロンブセンゲは答えた。

 咸寧帝の作戦構想は非常に野心的といえる。

 歴代斉朝皇帝の誰もが夢想だにしなかった夷狄の満洲への侵攻。それを前にして、この皇帝の中に焦燥が生まれているのかもしれないとホロンブセンゲは思った。

 秋津人と斉朝が直接対決したのは、約二〇〇年前。斉朝がまさに前綏王朝を打倒して新たな中華帝国を建設しようとしている時期であった。その時、玄龍江以北の地に進出していた秋津人とたびたび軍事衝突が起こり、最終的に玄龍江を境界線とする条約を結んで以来、両国の間には互市を通じた通商関係が築かれていた。

 歴史上、中華帝国は海賊集団たる倭寇のような存在に脅かされはしたものの、倭人の軍勢が中華帝国本土にまで攻め寄せてきた事例は存在しない。

 そうした前代未聞の事態に見舞われているからこそ、咸寧帝は十七万もの軍勢を自分に預けたのだろう。だが、それは同時に直隷平野の守備を疎かにすることにも繋がる。

 だからこそ、咸寧帝の作戦構想は野心的だとホロンブセンゲは判断したのである。

 とはいえ、南方では再びアルビオン連合王国が不穏な動きを見せている。ここで倭乱を鎮定するのに時間をかければ、あの狡猾な洋夷は再び斉朝を脅かそうとするだろう。アルビオン連合王国を牽制するためにも、来春以降の軍事行動の自由を確保するためにも、この冬の間に倭乱を鎮定して中華帝国たる大斉帝国の武威を示すことは重要であった。

 また、米の収穫期を狙ったかのように倭人によって遼河が封鎖されたため、満洲の米穀類が華北に届かず、燕京を始めとする一部の地域ですでに食糧の不足と、それに伴う物価の高騰が起こり始めていた。

 これに拍車を掛けているのが、華中・華南方面に出現した倭人の水軍であった。黄海方面の斉国水軍を緒戦で撃滅した倭水軍は、今やかつての倭寇もかくやという勢いで華中・華南沿岸地域を襲撃し、さらには内陸にある大運河に対しても翼龍を用いた爆撃を続けていた。

 このため華中・華南からの海上輸送も、大運河を用いた内陸水運も、杜絶しつつあったのである。そのため、華中・華南方面からの食糧輸送は、船舶輸送に比べて効率の落ちる陸上輸送に頼らなければならない状況に陥っていた。

 そうして届けられた食糧で都周辺は何とか補っているが、このままでは困窮した農民による反乱が起こりかねなかった。

 そのためにも、遼河を解放して斉国内の物流網を回復させることが重要であった。

 倭乱の鎮定は、中華帝国としての威信、アルビオン連合王国への牽制、華北の食糧不足の解決という、三重の意味で重要なのである。


「倭乱を鎮定するに当たって、将軍の望みは出来るだけ叶えるつもりだ」咸寧帝は言った。「何か要望はあるか?」


「はっ、では畏れ多くはあるのですが、陛下に何卒、お貸し頂きたいものがございます」


「うむ、申してみよ」


「はっ。禁衛軍の龍と、帝室仕えの術師たちをお貸し願いたく」


 斉軍は秋津軍のように、八旗・緑営といった部隊に翼龍を配備していない。皇帝の象徴ともいえる龍を、皇帝に許された者以外が騎乗するのは許しがたい不敬とされ、許可なく翼龍に騎乗、あるいは飼育した者は死罪とされた。

 そのため、皇帝直属の禁衛軍以外に龍兵は存在せず、しかも龍兵が出撃するのは皇帝親征の時のみというのが、これまでの歴代中華王朝の伝統であった。


「将軍、術師はともかく、龍は……」


「大臣、よい」


 軍機大臣の蘇玄徳が咎めるように言うのを、咸寧帝は遮った。


「何か要望はあるかと聞いたのは朕だ」


「ははっ、申し訳ございません」


 蘇玄徳が、深く頭を下げる。


「して将軍、翼龍を貸せというのは、暗に朕の親征を求めておるのか?」


「いえ、倭人の乱ごときを鎮定するために陛下がご出陣なされては、むしろ鼎の軽重を問われましょう。単に、不遜にも翼龍を多く持つ倭軍への対抗上、必要であるだけでございます」


「なるほど。よかろう、手配しておこう」


「陛下のご英断に、感謝申し上げます」


 以外にもすんなりと皇帝直属部隊であるはずの龍兵を一蒙古族の将軍の指揮下に置くという要望が通ったためか、ホロンブセンゲの表情にはどこか拍子抜けしたような色があった。


「それともう一つは、宮廷術師であったな?」


「はい、宮廷術師は以前にも、乱の鎮定に当たって逆徒の首謀者を呪殺してその鎮定を助けたというではありませんか。であれば、倭人どもの乱についても宮廷術師のお力添えを頂きたく」


「うむ、そうであるな」咸寧帝は頷いた。「よかろう、朕ら帝室の守護の任に支障が出ぬ程度の人数を、将軍に預けよう」


「はっ、陛下のご寛大なる配慮、臣として恐懼の至りにございます」


 ひとまずは最低限、必要なものは手に入れることが出来たと思い、ホロンブセンゲは皇帝の前を辞した。


  ◇◇◇


「将軍、陛下のお考えをどう思われる?」


 皇帝の執務室を退出すると、ホロンブセンゲ将軍は軍機大臣・蘇玄徳から辺りを憚るように声をかけられた。蘇大臣も軍機処庁舎に戻るために、執務室を退出してきたのだろう。


「実は、直隷平野の兵力をほとんど倭乱鎮定のために用いることに、一部の尚書たちは不安を抱いていてな。直隷平野の守りが疎かになり、他の乱を引き起こしかねないというのがその理由だ」


 人口増加による食糧不足、銀の外国流出による実質的な増税といった社会不安によって、この五十年ほど、斉朝では反乱が頻発する情勢となっていた。

 特に王朝にとって脅威であったのは、宗教勢力と結びついた農民反乱であった。信仰心によって結束した叛徒の鎮定は困難を極め、信者たちの徹底的な弾圧や宮廷術師を動員しての乱の首謀者に対する呪詛などを試みて、数年かけてようやく鎮圧に成功した事例も存在する。

 さらに、そうした反乱は皇帝の住まうこの燕京でも発生しており、二〇〇名近い賊徒が紫禁城に侵入し当時皇太子であった先帝自らが武器を取って戦うという前代未聞の事態まで発生していた。

 斉朝の尚書たちは、そうした乱の発生を懸念していたのである。


「陛下のご宸襟を安んじ奉ることこそ、臣下の務めでありましょう」


 ホロンブセンゲは、軍機大臣の問いかけにそう答えた。

 ホロンブセンゲを始めとする蒙古族・満洲族にとって、斉朝皇帝とは中華帝国の皇帝ではなく、自分たち騎馬民族の首長であり、同時にかつて騎馬民族の帝国を築き上げた大ハーンの末裔であった。

 彼ら騎馬民族が君主と仰ぐべき人物は、この大ハーンの血脈を継ぐ者のみとされている。

 故に、ホロンブセンゲは皇帝に対して無条件に近い忠誠を抱いていた。


「満洲での倭乱が陛下のご宸襟を悩ませているのなら、臣はそれを討伐いたしますし、また万が一、陛下の近くで賊徒が蜂起したならば、私は即座に兵を引き返してそれを鎮定いたしましょう」


「数々の武功を挙げ、また幾多の反乱を鎮定してきた将軍の言葉ならば、心強いな」


 どこか自分に言い聞かせるように、蘇玄徳は言う。

 紫禁城に流れる不安と期待と焦燥の混じった空気を感じつつ、ホロンブセンゲは燕京まで引き連れてきた自らの軍勢が駐屯する兵営へと向かうのだった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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