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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第六章 極東動乱編

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111 大本営設置

 六家会議の模様は結城家皇都屋敷にはまったく伝わってこなかったが、午前中の補習を終えたらしい八重が突然、彼女の父・浦部伊任(これとう)の私的な使者として来訪した。

 冬花の部屋で澄之浦の貴通と呪術通信で情報の遣り取りをしていた景紀は、すぐに応対に出た。

 八重は、父から景紀に宛てられた書状を携えていた。


「父様から若様宛よ」


 白い胴着姿のまま屋敷に駆け込んできたところを見ると、補習後、宮城二の丸の済寧館で鍛錬を行っていたのだろう。彼女の額には、大粒の汗が浮かんでいた。

 屋敷の者に八重に水を与えて休ませるように言いつけると、景紀は冬花の部屋に戻って、受け取った書状を広げた。


「……」


 そこに書かれていた内容を見て、景紀は表情を険しいものにする。


「制度上の手続きはまだだが、六家会議で大本営の設置が決定されたとのことだ」


「そう」


 目元にまだ少し泣いたあとが残る冬花が、固い声で応じた。

 そして、通信用の呪符を通して回線を通じたままになっている澄之浦の貴通も反応する。


『これで、制度的には戦時体制が確立することになりますね』


 大本営とは、戦時に皇主の下に設置される最高統帥機関のことである。戦時における陸海軍の一元的運用を目的とした機関であるが、実態としては六家による戦争指導機関という色が強い。

 「戦時大本営条例」第一条では「皇主ノ大纛(たいとう)下ニ最高ノ統帥部ヲ置キ之ヲ大本営ト称ス」として、大本営の長を皇主と規定してはいるものの、それは権威付けのための観念的なものに過ぎなかった。

 そもそも、第一条で皇主の名を出しておきながら、大本営の人員を規定した条文には皇主の名が存在していないのである。

 大本営を構成する主な人員は、兵部大臣、軍監本部長、陸軍軍医総監、海軍軍令本部長、侍従武官長、軍事参議官であり、その他に陸海軍から将官級の幕僚各一名(基本的にはそれぞれの作戦局長)、佐官級の幕僚各二名や書記官などから成る。

 このうち、軍事参議官の存在が六家の戦争指導体制を確立する要因となっていた。

 軍事参議官とは、皇主に対する軍事顧問官的存在のことである。元帥、兵部大臣、軍監本部長、海軍本部長の他、特に選ばれた将官が軍事参議官に親補される。

 基本的に軍事参議官に親補される将官というのは六家当主であるため、平時は列侯会議での拒否権の行使などで内閣に対し間接的影響を及ぼすことで政治の実権を握っていた六家が、大本営の設置に伴って直接的に皇国の政策決定過程に影響力を及ぼせることになるのである。

 現在、軍事参議官に親補されている六家の人間は、有馬頼朋元帥陸軍大将、有馬貞朋陸軍大将、伊丹正信陸軍大将、長尾憲隆陸軍大将、結城景忠陸軍大将、斯波兼経陸軍大将の六名であった。一色家当主・公直については、陸軍大将の地位にはあるものの、軍事参議官ではない。これは、他の六家当主と比べてまだ彼の軍歴が浅いことが関係していた。とはいえ、三十歳を過ぎれば一色公も軍事参議官に親補されるだろう。

 そして、この中でも特に有馬頼朋は元帥の称号を持っているため、皇主の最高軍事顧問官という立場にあった。皇国における元帥とは、階級ではなく「陸海軍大将ノ中ニ於テ老功卓抜ナル者」に与えられる称号であった。

 つまり、六家は皇主に直属する軍事顧問集団として、戦争指導体制を主導することが出来るのである。


「この後、兵部大臣が大本営の設置について陛下に対して諮詢奏請、それを受けた陛下が六家に対して大本営設置の可否について下問、六家が大本営の設置を奏上して、正式に大本営が設置されることになるだろうな」


『ということは、大本営が設置され次第、動員が発令されるという流れになりますね』


 通信用呪符の向こう側で、貴通が応じる。


「まだ六家会議は続いているみたいだが、宮中との繋がりがここで活きてくるな」


 そう言って、景紀は立ち上がった。


「ちょっと、益永たちにこの情報を伝えてくる」


「ええ、それがいいでしょうね」


 情報の共有が、組織を円滑に回すことに繋がる。少なくともこの主従は、情報を独占することによる利益よりも、情報を共有することによる利益の方が上だと考えていた。


  ◇◇◇


 正直なところ、風間菖蒲という忍の少女にとって、景紀正室である宵姫の護衛兼監視役というのはあまり気乗りしない任務であった。

 要人警護も確かに忍の任務の一つではあるが、結城家中枢の政治的混乱に自分を巻き込むのは止めて欲しいというのが本音である。

 風間家は、それこそ戦国時代から結城家に仕える家系で、家老の益永家や呪術の葛葉家と共に、家臣団の中では古参に分類される家柄の者であった。しかし、忍としての役割をあくまでまっとうし、政治には関わらないようにするというのが、代々の一族の方針であった。

 家臣団内の家格という点では、そもそもが用人系統の家臣なので、そこまで高くない。さらにいえば、戦国時代が終わって時代が下ると共に将家が高度に官僚組織化していくことで、風間家の地位は相対的に低下していった。

 時代の変化によって将家の諜報活動は多様化し、情報の収集、分析、評価、さらには各種工作活動を忍だけで行うことが困難となったのである。

 将家は、忍を含む隠密を組織化することでこうした時代の変化に対応しようとした。つまり、それまでは個別に主君の命を受けていた隠密たちは、隠密衆という情報機関として再編されることとなったのである。

 こうした中で、実際に現地で諜報活動を行う忍よりも、諜報作戦を立案・指揮する者、情報を分析・評価する者たちの地位が上がっていき、個人として忍の技量がいくら優れていようともあくまで現場で活動する隠密の一種という扱いになり、最早それだけで隠密として出世出来る時代ではなくなってしまったのだ。

 風間家は元々、結城家領内に拠点を持っていた忍集団の長を務める家系であったが、こうした時代の変化のために、今ではかつての部下だった家系の者たちのほとんどが組織化された隠密の下に組み込まれてしまい、家としての存在感は低下していた。

 それでも、忍集団の長であった風間家だけは主家である結城家に直属しており、当主は代々「御庭番」(将家の官僚組織化後は、隠密衆との職務の切り離しおよび当主の身辺警護という役割を強調するため「侍衛官」という名称に改められている)を務め、また隠密衆の忍に対する教導掛を任されるなど相応の役割は残されていた。

 行政の不正を摘発する執政所轄機関の監察局や、他将家に対する諜報工作、防諜任務、新聞操縦などを担当する隠密衆と違い、風間家の主要な役目は主家に対する陰謀や謀反などを察知・阻止することにあった。

 だからこそ、今も主家に直属しているのである。

 その意味では、呪術師として主家に直属する葛葉家とは同輩の関係にあるともいえた。とはいえ、時代の流れに逆らえずに家の持つ権限を徐々に縮小されていった風間家と違い、呪術という唯一無二の技能によって主家に仕えている葛葉家は、結城家に仕えた当初の形を維持している(とはいえ、だからといって葛葉家に大きな政治的権力が与えられているわけではないのだが)。

 だからこそ、菖蒲はそうした葛葉家に対する対抗心もあり、幼少期から自身の家に誇りを持っていた。

 そして、そうした誇りを抱いていたからこそ、葛葉冬花という少女があまりにも無様に映ったのだ。

 家臣団やその子供たちから、その容姿を理由に虐められていたあの女。彼女には自身の家が受け継いできた呪術に対する誇りというものが見えなかった。ただ生まれ持った容姿を嘆き、若様の影に隠れるだけの、無力な子供でしかなかった。

 自分の家に誇りを持っていれば、葛葉の名字を与えられて家臣に取り立てられた初代と同じ容姿を誇れるはずなのだ。だというのにあの少女はそれを嘆き、自らの家の伝統に泥を塗った。

 あまつさえ、主君を守るべき立場の者がその主君に庇われている。

 同年代の女子として、呆れを通り越してその見苦しい振る舞いに嫌悪と怒りを抱かずにはいられなかった。

 もちろん、彼女を虐めている家臣団の子供たちも見苦しい振る舞いだとは思っていたから、菖蒲は虐めに加担するようなことはしなかった。

 ただ、冬花のあまりに無様さに腹が立って、若様のいないところで虐められて泣いていた彼女にきつい言葉をかけたことは何度かある。

 その後、若様と冬花の間に色々とあったらしく、女子学士院を首席で卒業したと聞いた時には、多少なりとも若様への依存心が克服されたのかと思ったものだが、その後も冬花は若様の側に居続けているという。

 同じく一族に伝わる技能を以て主家に仕えている者として、冬花の態度は唾棄すべきもののように感じるのだ。

 そんな少女を側に侍らせている若様にも、菖蒲は不満を抱いていた。寵姫に入れ込んで国を傾けた中華帝国皇帝の故事を知らないのかと思った。

 そして、そんな男に嫁ぐことになった宵姫という存在を、菖蒲は哀れに思っていた。

 現当主・景忠公は正室の久姫を蔑ろにせず、それどころか良好な関係を保っているが、若様と宵姫はきっとそんな関係にはなれないのだろうと、菖蒲は主家の将来を思って暗澹たる思いを抱かざるを得なかったのだ。

 宵姫が同年代の同性の人間を護衛として希望したのも、きっと寂しさからのものだろうと考えていた。

 冷え切った夫婦関係、その一方の当事者の側にいなければならないのかと思うと、気乗りしないのも当然であった。






 菖蒲の宵に対する第一印象は、年の割に小柄な少女だな、というものであった。

 今年で十六になったというから、自分や冬花より二歳年下のはずであるが、十三、四程度にしか見えない背格好の少女であった。

 少しだけ幼さを残した顔立ちは人形のような美しさと可愛らしさを兼ね備えていたが、一方で人形のようにその顔には感情らしきものが浮かんでいなかった。目付きの所為だろうが、ちょっとだけ不機嫌そうにも見える表情であった。

 とはいえ忍として鍛えた観察眼から、実際に不機嫌なわけではなく、本当にそういう顔つきなのだと判断出来た。


「ところで菖蒲殿」


 伏せた頭上に、宵の声が降ってくる。


「私の護衛ということですが、冬花様との引き継ぎは済まされていますか?」


「……いえ」


 自分が“殿”で、冬花が“様”付けか。あの若君は、やはり冬花の方を寵愛して宵姫を蔑ろにしているのだろう。そして、宵姫も冬花に遠慮しているようだ。


「そうですか」


 しかし、菖蒲の内心など知らない宵は抑揚の乏しい声で淡々と続けた。


「私が皇都に出る際は冬花様に護衛をしてもらっていたので、引き継ぎの方は必ずお願いいたします。後ほど、景紀様にも着任のご挨拶に参りましょう」


  ◇◇◇


 宵は手っ取り早く、この忍の少女を景紀と冬花に合わせることにした。菖蒲という少女が冬花にどのような態度を取るのか、あるいはこの少女に対して景紀や冬花がどのような反応を示すのか、それを見ようとしたのである。

 景紀は、その者が冬花に対してどのような態度をとるのか他者に対する評価基準の一つにしている。景紀の反応を見れば、ある程度のことは判るだろう。

 菖蒲の方は先ほど景紀に挨拶を済ませたというが、宵は自分の方からも景紀に報告すると言って半ば強引に押し切った。どうやら、この少女は景紀か冬花か、あるいはその両人かに、あまり会いたくないらしい。

 だとすればこの少女は、里見善光を始めとする官僚系家臣団を重用する景紀に不満を抱く用人一派なのだろうか?

 とりあえず景紀と冬花に引き合わせようにも、どうも景紀の方は御用場に出たり入ったりを繰り返しているようで、あまり邪魔をしたくない。

 仕方がないのでいつも通りに書庫に籠ろうとしたところ、書庫を管理する御書物掛に止められた。

 書庫の方も、重臣の出入りがあるので今日のところは控えて欲しいとのことであった。要するに、資料の出納の邪魔になるから書庫に居ないでくれ、ということだ。

 やむを得ず、宵は自室に戻った。資料の代わりに、景紀の書斎から借りてきた本を読むことにする。西洋の古代帝国の衰亡を描いた歴史書で、和訳本は十数巻に及ぶ読み応えのある書物だ。

 宵が読書に勤しんでいる間、菖蒲という少女は廊下の先にある庭で待機していた。

 宵は自室に入る直前、一瞬だけ彼女に哀れみの視線を向けられたことに気付いていた。

 景紀に嫁ぐ前、宵は周囲の者から様々な視線に晒されてきた。そのどれもが母と宵に対する負の感情を込めたものであったが、中には自分たち母子の境遇に憐憫の視線を向けてくる者もいた。

 だから、宵は自身に向けられる視線やそこに込められた感情には敏感だ。

 あれは、女として自分を哀れんでいる視線だ。

 屋敷に帰還した夫に挨拶もされず、独り寂しく部屋に籠っている自分を、夫から冷遇されている女とでも見ているのだろう。

 菖蒲という少女がこれまでどのような任についていたかは聞いていないが、少なくとも結城家の中枢に関わるものではなかったに違いない。でなければ、自分と景紀の関係を知らないはずがない。

 もっとも、里見善光があえて誤った情報を菖蒲に流している可能性もあったが。


「姫様、そろそろご休憩になさりませんか?」


 ふと、世話役の済から声を掛けられて柱時計を確認すると、時刻は午後三時を回っていた。済は両手に盆を持ち、その上に菓子と茶を乗せていた。


「景紀様たちの様子はどうですか?」


「相変わらず、お忙しそうにされていますね」


「そうですか」


 宵は思案顔になった。済が畳の上に盆を置く。皿に、綺麗に焼き上げられたカステラが乗っていた。


「……そういえば、このカステラはまだありましたね?」


 それを見て、ふと宵は思いついた。


「ええ、屋敷の侍女たちや下働きの女どもに分け与えましたが、まだ残っておりますね」


 宵も六家の一員ということで、様々な立場の人間から献上品が届くことがある。景忠公や景紀への取り次ぎを願うような下心のある献上品は受け取らないようにしているが、結城家と繋がりの深い御用商人などからのものは、今後の関係もあるのでなるべく受け取るようにしている。

 このカステラも結城家御用達の菓子司から届けられたもので、宵は屋敷で働く侍女や下働きの女たちに分け与えていた。彼女たちとの良好な関係を構築・維持するためである。


「では、景紀様たちにも届けましょう。御用場の方たちも、少し休憩を取るべきでしょうから」


  ◇◇◇


「兵部大臣が宮中に参内、大本営の設置について諮詢奏請したか……」


 午後三時を過ぎた頃、一度帰っていった八重が再び屋敷を訪れていた。もちろん、また伊任からの書状を携えて、である。


 大本営の設置となれば最終的には皇主の裁可が必要であるので、宮中の方でも対応に追われているのだろう。むしろ、参内の手続きなどを考えれば、情報の入りは自分たちよりも早いはずだ。

 景紀としてみれば宮中との情報の遣り取りは八重を介した呪術通信で行った方が手っ取り早いと思っているのだが、宮内省御霊部長という立場にある浦部伊任は宮内省の使用する呪術通信の霊力波長を将家に知られるのを防ぎたいのか、八重を私的な使者として呪術通信を使わずに景紀との遣り取りを続けていた。


『いよいよ始まるというわけですね』


 通信用呪符の向こうで、景紀の呟きを聞いていたらしい貴通が言った。緊張感のあまりない、むしろどこか浮ついた声であった。

 声だけなので向こうの表情は判らないが、恐らくは薄い笑みを浮かべていることだろう。

 どうやら、陽鮮で景紀の幕下を務めただけでは物足りなかったらしい。


「とりあえず、また益永たちと情報共有だな。動員関係の準備が済んだら、今度は領内各役所の兵事担当者に軍夫の募集をさせないとな」


「お館様のご不在中に勝手に動き出すわけにはいかないけど、決裁書(かがみ)の準備程度はしておきたいわね」


「ああ、そうだな」


 冬花に頷いて、景紀は再び御用場へ向かうために立ち上がった。と、風通しのために開け放たれたままの障子の向こうから、宵が姿を現わした。


「景紀様、冬花様、お茶とお菓子をお持ちしました」その手には、盆を持っていた。「少し、ご休憩なさった方がいいかと思いまして」


「ああ、すまんな」


 宵の後ろには、済と菖蒲が付き従っていた。忍の少女の目付きには、どことなく景紀と冬花を蔑むような色があった。

 屋敷に帰ってきておきながら、正室を放っておいて愛妾の元に入り浸っているとでも思っているのだろうか?


「先日、私のところにカステラの献上品がありましたので、残り物で申し訳ないのですが」


 そう言って冬花の部屋に入ってきた宵が、盆を畳の上に置く。


「いや、助かる。ありがとな」


 湯飲みに手を伸して喉を潤してから、景紀はカステラを一切れ、口に運んだ。ふわりとした食感に、ほのかな甘さ、そしてザラメの舌触り。

「ん、美味いな」


「景紀様は甘い物がお好きですからね」


 小さく、宵は笑みを零した。


「ところで、まだカステラが余っているので御用場に詰めている重臣の皆様にもお配りしようと思うのですが? 菖蒲殿の着任の挨拶もしたいですし」


 その言葉に、景紀は噴き出しそうになるのを必死で堪えた。

 宵もなかなかあくどいことをするな、と思った。

 菖蒲は確かに忍として相応の技量を持ち、宵の護衛を務めるに十分だろうが、実態としては宵の監視役だろう。宵と冬花を分断し、済を通して宵と重臣が繋がることを防ぎたい里見善光が差し向けた人間である。

 そんな菖蒲を重臣たちに宵が護衛として紹介するということは、重臣たちに菖蒲が自分の監視役だから気を付けるようにという警告に他ならない。

 重臣たちの警戒が菖蒲に向けられれば、彼女もさぞやりにくくなることだろう。

 宵は宵で、自身の監視役を無力化することを目論んでいるというわけだ。もっとも、別の忍が密かに宵を監視している可能性もあるので、後で新八に警戒しておくように言いつけようと景紀は思った。

 とはいえ、風間家はあくまで結城家に直属する忍一族であり、里見善光の部下ではない。彼が自由に動かせる忍はいないはずなので、取り越し苦労に終わる可能性が高いだろう。

 そうした様々な思考をカステラを呑み込むまでの間に済ませて、景紀は答えた。


「ああ、良いんじゃないか。俺も手伝おう」


 茶を飲み干して、立ち上がる。


「景紀様、それは私が」


 流石に主君に給仕をやらせるのは拙いと考えたのか、冬花が少し慌てた。


「いや、冬花はむしろやるな」


 だが、景紀はきっぱりと断る。

 景紀や宵がやる分には家臣への気遣いということになるが、用人でしかない冬花がそれをやると重臣たちに取り入ろうとしていると見る者も出てくるだろう。

 里見善光が冬花の排除を目論んでいる気配がある以上、その口実になりそうな言動は慎まなければならない。ましてや今は、その監視役で、しかも冬花のことを嫌っている菖蒲の前である。

 そんな主君の思惑を即座に理解したのだろう、冬花は「失礼いたしました」と言って頭を下げた。

 景紀と宵が重臣たちを労うためにカステラと茶を用意しに部屋を出て行くと、菖蒲は冬花に対してキッと険しい一瞥を与えて、済と共に二人の後を追っていく。

 その足音が部屋から離れるのを確認してから、白髪の少女は重い息をついた。

 あれは完全に自分と景紀、そして宵の関係を誤解している視線だったが、冬花はいちいち訂正する気も起きなくなっていた。どうせあの忍の少女は、自分が景紀を堕落させていると責めるだけだろう。

 自分たち三人の関係は、自分たちが理解していればそれでいい。

 家臣たちから愛妾だの何だのと言われていようが、景紀が自分のことをシキガミだと言ってくれるのならば、自分はそれで満足なのだ。

 そう断じて、冬花は子供時代の嫌な記憶を頭から追い出そうとした。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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