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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第六章 極東動乱編

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109 軍事衝突の本格化

 八月十三日、澄之浦の演習場にて景紀は教導兵団の訓練を監督していた。


「部隊としては十分に様になってきたな」


 彼の視線の先では、歩兵たちが散開しつつ敵陣地(と、想定された区画)への突撃を行っていた。

 この時代では依然として、西洋でのボナパルト戦争の戦訓から横隊と縦隊を組み合わせた歩兵戦術が多用されていた。

 これは、会戦においてはまず一部の歩兵が散兵となって敵歩兵を牽制しつつ、横隊が敵歩兵部隊に対して一斉射撃を行い、敵が怯んだところを縦隊となった歩兵が銃剣突撃を敢行して勝敗を決する、という戦術である。

 景紀は銃火器の発達からこの戦術に疑問を抱いて兵学寮在学中から研究を続けており、先月の陽鮮での倭館攻防戦でその疑問は確信に変わった。

 従来通りの歩兵戦術では、大損害は免れない。

 そう結論付けた景紀は、歩兵は中隊同士が援護射撃を行いつつ相互に前進するという戦術を訓練に取り入れた。基本的に歩兵には遮蔽物を利用した散開隊形を取らせ、従来重視されてきた横隊、縦隊はほとんど訓練から廃してしまった。

 ただし、この散開隊形には問題もあった。

 部隊が広範囲に分散するため、部隊の指揮や他部隊との連携に困難が生じることになってしまったのである。

 通信用の呪術兵がいるにはいるが、従来通りの編成ではとても対応出来なくなっていた。

 景紀は東北鎮台と兵部省に対して呪術兵の増員を申請すると共に、増員が果たされるまでは陽鮮の時と同じく冬花に通信掛を任せることでお茶を濁している。冬花の書いた通信用呪符を各中隊指揮官に配布し、それで相互の連携を取らせようとしたのである。

 また、こうした分散運用については各級指揮官が戦術に対する共通認識を確立していることも重要であった。後世でいうところの「ドクトリン(軍事行動の指針となる原則)」が必要なのである。

 景紀は結城家当主代理時代の朝食会議のように、各級指揮官たちと食事を共にするなどして意見交換を頻繁に行い、自身の戦術構想の浸透に努めていた。

 こうした中で指揮官たちが問題に挙げたのが、散開隊形を取らせると兵士同士の間隔が開き過ぎ、逃亡兵が出るのではないかという点であった。密集隊形には実際、逃亡兵防止という意味もあった。

 景紀はこれに対して、密集隊形で正面突撃を行って大損害を出した方が、かえって逃亡兵を発生させるとして散開隊形での訓練を続行させた。

 帯城倭館攻防戦での逃亡兵が続出した陽鮮軍という実例がある以上、指揮官たちも納得せざるを得なかった。軍において尊重されるのは、何よりも実戦経験を積んだ者の言葉なのだ。






 事件が起きたのは、この日の夕刻であった。

 景紀が貴通と共に百武将軍や各級指揮官らとこの日の訓練内容について議論していたところに、演習場に設けられた電信施設から電信兵が駆け込んできたのである。


「兵部省より緊急の通信です! 東萊倭館において、大規模な軍事衝突が発生した模様です! 居留民の死傷者も多数発生、さらに海軍陸戦隊は東萊の陽鮮軍砲台を占領したとの報告も入っています!」


 指揮所に詰める者たちの中で、驚きの声を上げる者はいなかった。

 帯城倭館が攻撃され、東萊倭館でも両軍の兵士が対峙していた以上、いずれは起こることと覚悟していたのである。


「ついに起きてしまいましたな」


 訓練総監・百武好古将軍が固い声で言った。


「現地の詳しい状況については判るか?」


 景紀は電信兵に問うた。


「いえ、兵部省からの電信は以上です」


 恐らく、兵部省でも現地の状況の把握に努めているのだろう。


「判った。続報が入り次第、ただちに報告するようにせよ。下がってよし」


「はっ! 失礼いたします!」


 その兵士は敬礼し、指揮所から駆け出していった。


「さて、どういたしますかな、若様?」


 百武好古が、陸軍軍人から結城家家臣団の口調に変えて問うてきた。軍人としてならば百武将軍の方が景紀よりも地位が高いが、結城家という括りで見ればこの訓練総監は景紀の臣下となる。

 百武将軍は、今後の兵団の方針について景紀に判断を求めているのだ。


「当面の間、部隊に移動命令が下るまで現在の訓練を続行させる」


 景紀もまた、結城家次期当主としての口調で言った。


「はい」


「恐らく、国内世論は李欽簒奪政権とそれを支援する斉を膺懲せよ、という方向に向かっていくだろうな」


 己の予測に、景紀はどこか投げやりな思いを抱いていた。


「世論の後押しを受けて、対斉開戦までこのまま一気に進むだろう。結城家領内でも動員令が下るだろうな。この兵団も恐らく大陸へ派遣されることになる。穂積中佐」


「はっ!」


 騎兵科の軍服をまとった男装の少女が応じる。


「本年中に開戦となれば、大陸で越冬する可能性が大だ。明日以降で構わんから、団員分の冬期装備を手配させろ。うちの将兵から凍死者を出すわけにはいかん。不足しているようなら、俺の権限で嶺州軍の余剰分を融通させる」


「はっ! では明日より、団員分の冬期装備を手配に取りかかります!」


 幕僚らしい態度で、貴通は復唱した。


「各指揮官は部隊の一層の練度向上に注力するように。以上」


「はっ!」


 戦争の予感の中で、各指揮官たちは緊迫した面持ちで結城家次期当主に対して敬礼した。


  ◇◇◇


 八月十三日に発生した東萊倭館での大規模な軍事衝突は、斉軍の勢力が半島南部にまで進出してきたことがその遠因であった。

 これまで散発的な銃撃などしか発生していなかったのは、ひとえに皇国側の軍事力が陽鮮側のそれを圧倒していたことによる抑止力と、長年、秋津人との交易を行ってきた東萊府の役人たちが攘夷派の暴発を辛うじて抑えていたという面が強い。

 東萊府が持つ軍が倭館を包囲していたのも、李欽政権の伝教に従いつつ攘夷派を納得させ、秋津側との軍事衝突を避けようとする東萊府守令の苦肉の策という側面があった。

 しかし、斉軍の一部が東萊付近にまで進出すると、大国・斉の後ろ盾を得たと思った李欽政権派の人間たちが東萊府を占拠、それまで倭館包囲に留めて本格的な軍事衝突に発展しないよう尽力してきた役人たちを、李欽政権に従わない逆賊として殺害してしまったのである。

 軍事的にも斉軍の進出によって優位に立ったと判断した李欽政権派、攘夷派の者たちは東萊府の武器庫から火砲などを運び出し、東萊倭館への総攻撃を行うことを目論んだのであった。

 十二日夕刻の時点で陽鮮側の不穏な動きを察知した海軍部隊は、東萊倭館まで伸びている電信を使い、「今夕東萊四周ノ情勢ハ一触即発ノ危機ニ瀕セリ」との報告電を兵部省に送信した。

 そして翌十三日〇九〇〇時頃、陽鮮側は突如として東萊倭館に対する砲撃を開始、古色蒼然たる地面固定式の青銅砲とはいえ重装備を持たない海軍陸戦隊を火力で圧倒した。

 この火砲の中には、火龍槍(火車)と呼ばれる中華圏で数百年にわたって使用されてきた原始的なロケット砲(槍や矢に火薬を詰めた筒を取り付けて発射する兵器。射程は一〇〇〇メートルに達したが、命中精度は非常に悪かった)も含まれており、このロケット弾が東萊倭館の塀を跳び越えて秋津人居住区に着弾、焼夷性の弾頭が炸裂して倭館居留民を多数殺傷したのである。

 こうした陽鮮側の総攻撃に対して、沖合を遊弋していた皇国海軍巡洋艦が東萊府と周辺の砲台に砲撃を加え、両軍の応酬は本格化してしまった。

 午後には東萊砲台を艦砲射撃によって破壊した海軍は、新たな陸戦隊を編成して上陸、砲台を占領してしまった。

 ここまでは秋津側の報復措置ともいえたが、海軍部隊はさらに東萊市街を占領すべく、兵部省に対してさらなる陸戦隊の上陸許可を求めた。砲台の占領までならば自衛措置であるが、市街地全土を占領するとなれば現地部隊の独断で出来ることではないと判断してのことであった。

 東萊占領も辞さないという現地部隊の強硬姿勢は、居留民に死傷者を出してしまった海軍の面子を回復するためのものであろう。

 もちろん、こうした詳しい経過は後世になって判明したことであり、十三日夕刻時点で兵部省がすべてを把握していたわけではない。

 しかし、半島情勢のさらなる緊迫化は明らかであり、皇国側は翌十四日午前九時より六家会議を開き、その結果を受けてさらに臨時閣議を開くことに決定した。

 このため十三日の夜、冬花による呪術通信を通して景紀は父・景忠からの召喚命令受けることとなった。恐らく、六家会議の結果を景紀に伝えるためだろう。

 景紀は教導兵団のことを百武将軍と貴通に任せ、冬花と共に十四日の早朝、始発列車にて皇都へと戻ることとなったのである。


  ◇◇◇


 景紀と冬花が結城家皇都屋敷に辿り着いた時、すでに景忠は六家会議に向かった後であった。当然、里見善光の姿もない。

 景紀は執政や参政の執務所である御用場へと向かった。冬花は、用人出身であるために官僚系家臣団の職場ともいえる御用場には立ち入らなかった。


「益永、六家会議に向かう前、父上は何か言っていたか?」


「いえ、これといって特には申しておりませんでした。昨日の東萊倭館での一報が入って以来、里見殿とは何度か半島情勢についての情勢判断を行ったようではありますが」


「そうか」


 景紀は平坦な声で言った。家内の意思統一をせずに、父は六家会議に向かったということか。


「若君、今後については如何いたしますか?」


 財政担当の執政が問うてきた。

 御用場へ当主やそれに相当する立場の人間が自ら訪れることはほとんどないので、本来であれば重臣たちは景紀に恐縮しそうではあるが、この場にいるのは十ヶ月以上にわたって景紀主催の朝食会議に参加していた重臣たちである。無礼にならない程度の気安さで結城家次期当主に語りかけていた。


「それを決めるのは俺ではないぞ」


 とはいっても、現状では政治的決定権のない景紀は、自嘲と苦笑を合わせながら応じる。


「しかし、結城家としての方針を示しませんと」


 少し弱ったような重臣の声音。やはり最近、父と重臣たちの意思疎通に問題が生じつつあるらしい。

 景紀は困ったように髪を掻き回し、小さく息をついた。


「……まずは動員に備えた措置だ。鉄道ダイヤの調整と機関車、機関士、石炭の確保の計画はどこまで出来ている? ああ、輸送に関しては他領の路線への乗り入れもあるから、逓信省との調整も必須だぞ」


 動員とは、軍だけで完結するものではない。鉄道などの運行に関しては逓信省鉄道局の管轄であるし、医師・獣医を徴用するためには内務省衛生局との協議が不可欠である。

 また、軍の輸送に協力させるため、民間人を軍夫として募集する必要もある。

 さらに、動員するのは人だけではない。軍馬や軍龍もまた、輸送しなければならないのだ。その糧秣の手配も必要であるし、重装備の移動のためには馬が必要であるため、馬がどこの地域で何頭確保出来るのかを確認しなければならない。

 当然、そうした各所との調整は国家単位であろうと領国単位であろうと必須であった。

 広南出兵の際には、鉄道が黎明期であったために特に鉄道輸送の際に大きな混乱が生じてしまったという経験がある。客車の確保や他領への乗り入れ問題などで一つの部隊が分割されて輸送され、集結地点に一向に辿り着かなかったのである。

 こうした反省の上に、現在の皇国陸軍の動員計画は成り立っている。

 景紀の言った内容は動員令そのものではなく、その前々段階である「警戒令」に相当するものであった。なお、動員の前段階は「待機令」と言われ、休暇の取り消しや演習の中止、将校の招集が行われる。

 本来であれば、景忠は六家会議に出発する前に家臣団に警戒令相当の指示を下しておくべきだったろう。

 計画を立てておくだけならば、万が一、斉との戦争が回避された際にも混乱が生じなくて済む。動員とは綿密な計画によって成り立っているため、一度発令されると途中で中止することは著しく困難であるのだ。

 結局、景紀は父に対する越権行為ではないかと内心で疑念を抱きつつも、重臣たちへの指示を下し続けることになったのである。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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