106 呪術の軍事的利用
この間、陽鮮半島情勢もまた動き始めていた。
斉軍の鴨緑江渡河からすでに十日近くが経っている。半島に侵入した斉軍は、李欽政権が指揮下においた中央軍や義兵と共に反対勢力の掃討に乗り出していた。
この事態に、江蘭島に籠る仁宗国王は何ら手を打てなかった。
事実上、王位を簒奪した李欽政権を正統な王であった仁宗は認めることは出来ず、かといって李欽派を鎮定しようとすれば宗主国である斉と敵対することになる。
伝統的な儒教思想と華夷秩序の間に挟まれて、仁宗国王は江蘭島から斉軍が半島全土を制圧していく様を見ているしかなかったのである。
そして李欽政権に反発する地方勢力も、王世子の背後に宗主国・斉がいると判ると次々と恭順の意を示し始めた。陽鮮の完全なる独立を望む急進開化派など一部の勢力は半島各地で細々と抵抗を続けるか、江蘭島の仁宗国王の下に身を寄せていたものの、すでに半島の北半分は斉と李欽政権の支配下に置かれていた。
残る南半分についても、遠からず李欽政権と南下を続ける斉軍によって支配されるであろうことは、ほぼ確実な情勢となっていた。
こうした中で、東萊倭館では海軍陸戦隊約二〇〇〇名が居留民保護の任を負い、討倭の伝教を受けて東萊倭館を包囲する地方軍と対峙するという状況が続いていた。
現在までのところ、小規模な武力衝突が何度か発生しているものの、帯城倭館のような大規模な戦闘には至っていない。散発的な銃撃と、弓矢による応酬があった程度である。未だ皇国側に死者は発生していなかった。
東萊倭館沖合には皇国海軍の艦艇が遊弋して東萊府に対して砲門を向けており、こうした示威行為が東萊府の行動を慎重なものとしていたのであろう。
この他、皇国海軍は江蘭島沖にも常時、艦艇を遊弋させ、皇国政府が仁宗国王を陽鮮の正統な王であると認識していることを示し続けていた。
これら皇国軍の派兵はすべて閣議決定(もちろん、その背後には六家会議の決定がある)によって行われているものであり、皇国は軍を展開させているものの、未だ国家として戦争状態に突入したわけではない。
また、皇国政府は江蘭島の仁宗政権との交渉を再開し、仁宗国王の皇国への正式な支援要請を取り付けようとしていた。
そして、秋津皇国と斉の間には互市を通じた通商上の関係しか有していなかったため、秋津皇国・大斉帝国両政府は陽鮮問題について未だ正式な交渉の席を設けていなかった。
しかし、皇国は斉軍の鴨緑江渡河の報に接するとただちに特使の派遣を決定しており、李欽簒奪政権を陽鮮の正統な政府として認めないという皇国政府の公式声明を斉に通達している。これに対して斉は、陽鮮は我が国の属邦であり、属邦保護の旧例に従って陽鮮に出兵しただけであると通告するのみであった。つまり、両国は互いの主張を一方的に通告するだけに留まっていたのである。
八月七日。
この日、景紀は兵部大臣からの出頭命令を受けた。冬花も連れてくるようにとのことだったので、恐らくは呪術関係のことだろう。
「貴官の上申書は読ませてもらった」
執務室に通されると、大臣の執務机の上には景紀の提出した上申書が乗っていた。
「それについての感想を言う前に、貴官にこれを渡しておきたい」
そう言うと、坂東友三郎大臣は抽斗から大佐の階級章を取り出して執務机の上を滑らせた。
「陽鮮での功績を認め、貴官を大佐に昇進させる。穂積少佐も、中佐に昇進だ。後ほど、人事局から正式な辞令を届けさせる」
兵学寮卒業から三年、十八歳にして大佐昇進というのは、破格の昇進速度といえる。しかし、坂東大臣も景紀も、当然のこととして受け止めていた。
「いつまでも貴官のような出自の人間に尉官や佐官でいられると、いろいろと不都合なのでな。開戦までには、何かしらの理由をつけて少将に昇進させる予定だ。そうなれば、例の教導兵団の指揮も正式に執れるようになるだろう」
「ご配慮、感謝いたします」
未だ陸軍には戦国時代から続く封建的な面が残されており、将官には六家を始めとする将家当主の者が大半を占めている。そしてその下の将校、下士官たちも将家家臣団出身者が多い。そうした中で景紀のような将家次期当主が低い階級のままでいると、逆に上官となる家臣団出身の将校たちがその扱いに困ることになる。
主家への配慮と軍の階級差という板挟みの状態に陥り、軍における指揮が円滑に行われなくなる可能性が生じるのだ。特に軍閥といっても過言ではない六家の次期当主となれば、なるべく早く将官級の階級にまで昇進して自分たちの上官となってくれた方が良いというのが、家臣団たちの正直な意見なのである。
封建的な側面を解消しないまま近代的な軍事制度を整えた皇国の歪さの表れであった。
もちろん、あまりに無能な当主(ないしは次期当主)に軍の指揮を執らせることもまた問題であるので、そうした者たちは兵学寮卒業時の成績などを考慮して早期に予備役に編入するなどの措置が取られる。この場合は、将官の地位はあくまでも将家当主としての箔付け程度の意味合いとなる。
「景忠公が病によって軍の陣頭指揮を執れなくなった以上、対斉開戦に際しては貴官が結城の領軍をまとめることになるだろう。先年の当主代理を務めていた頃のように、よく領軍の統制をとることを期待する」
「はっ、微力を尽くします」
「うむ」坂東大臣は鷹揚に頷いた。「さて、本題に入ろう。呪術の軍事的活用について、貴官の上申書を元に軍監本部などから意見が出されてな。私も興味深く読ませてもらった。爆裂術式や結界による陣地防衛は、やはり呪術師個々人の霊力量や技量に左右されやすいのだな。葛葉殿の言われた通り、これら呪術の軍事的活用には限度がありそうだ」
兵部大臣から視線を受けた冬花が、軽く一礼した。
「とはいえ、貴官の上申書を読むと、呪術の軍事的活用についてはまだまだ十分に検討する必要性があることがよく判る」
国内の高位術者の家系の多くは葛葉家のように将家の家臣として召し抱えられるか、宮内省御霊部に所属する者たちのように皇室が囲い込んでいる。また、皇国においては陰陽師を始めとする呪術師は呪詛や怪異などから要人を守り、あるいは占術などを行う者たちという認識であり、その軍事的活用は十分に研究されてこなかったという歴史がある。
一方、西洋諸国では十字教勢力によって魔術師・魔女狩りが近世に至るまで続けられており、皇国以上に呪術・魔術の軍事的利用という事例に乏しい。
坂東兵相の言うように、呪術・魔術の軍事的利用は、列強諸国の中でもあまり研究の進んでいない分野なのである。ある意味で、呪術兵に通信をさせているだけ、皇国軍は西洋列強諸国の軍隊に比してその分だけ先進的であるともいえよう。
「やはり、呪術師には通信を担当させて部隊同士の円滑な連携を保つことに注力させるべきだろう。一方で、戦時における呪術師の役割として“土地の浄化”を提唱している点は注目に値しよう」
「もともと、その“土地の浄化”というのは宮内省御霊部が主に活用している術式で、御霊部では皇都全体をその対象としているとのことです」
景紀は説明した。
「皇都は皇国最大の人口密集地帯であり、世界有数の大都市でありながら、他の列挙諸国に比べてコレラ、チフス、赤痢などの疫病の発生回数が少ないのは、そうしたことが影響しているのでしょう。もちろん、皇都の上下水道施設が他国のそれに比べて良く整備されているという点や屎尿回収業が商業として成り立っているなど都市整備の問題もありますし、また呪術による土地の浄化ですべての疫病が防げるわけではないでしょうが、それでも呪術師を上手く活用すれば、戦地での疫病発生の確率を低下させる効果はあるかと」
実際、戦地での疫病の発生、特に清潔な水が手に入らないことによるコレラの発生は軍にとっても大きな問題となっていた(この他、新南嶺島など南方の植民地ではマラリアなども問題となっている)。
「うむ、私や軍監本部が注目した点は、まさにそこなのだ。そこで、実験的な呪術衛生部隊の創設を兵部省内では検討しているのだが、教導兵団でも呪術による“土地の浄化”について実験的な活用を行ってもらいたい。つまりは、貴官の従者であるそこの陰陽師殿の協力を仰ぎたいわけだ」
坂東大臣は、景紀の斜め後ろに控えている白髪の少女をちらりと見遣る。
冬花はあくまでも結城家の家臣、それも景紀の従者であり、軍人でもなければ軍属でもない。だからこそ、兵部大臣はこうした手続きを踏んで冬花に軍への協力を求めているのだろう。
「なるほど、そういうことでしたか」景紀は頷いた。「ただし閣下、冬花はあくまで小官の従者ですので、軍属呪術師として軍に徴用することだけはお許し願いたく存じます」
聞きようによっては、兵部大臣を一介の佐官が牽制しているような発言であったろう。
「判っている」
だが、坂東大臣は苦笑を見せるだけであった。
「貴官と葛葉殿の関係については、私もそれなりに耳にしている。彼女を軍が取り上げるようなことはせんし、あえて六家次期当主殿の不興を買おうとも思わんよ」
「ご配慮いただき、感謝いたします」
スッと景紀は兵部大臣に一礼した。
「さて、先日の上申書に関わる件については以上だ。次に、六家の人間として問いたいことがあるが、構わんかね?」
「はい、閣下」
「うむ。貴官は、他の六家の率いる軍の指揮下に入ることに納得するか? いずれ少将に昇進させる予定があるにせよ、一軍を率いるにはまだ軍歴が浅すぎるのだ。景忠公がご健在であればその麾下に加わらせるのだが、そうもいくまい」
「それが、命令であるならば従うのが軍人でありましょう」
「ああ、もちろん、兵部省や軍監本部としても、結城家と対立する伊丹、一色両公の軍に加わらせることはせぬ。戦場での対立など、敵を利するだけだからな」
どうやら、大臣も六家間の関係の調整に苦労しているらしい。
「恐らくは長尾公ないしは有馬公の軍に加わってもらうことになるかと思うが」
「かしこまりました。その旨、我が領軍にも周知しておきましょう」
「うむ。先ほども言ったが、領軍の統制について貴官の責任は重大だ。くれぐれも、留意せよ」
「はっ!」
皇国陸軍は、近衛師団を除けば平時十六個師団の兵力を保有している。その多くは六家の領軍から構成され、各地域の鎮台の指揮下に置かれていた。
鎮台は、皇都鎮台、東北鎮台、中部鎮台、西部鎮台、蓬州鎮台、南嶺鎮台、北陸鎮台の七ヶ所が置かれ、それら鎮台もまた六家の影響下にあった。結城家が東北鎮台、一色家が中部鎮台、伊丹家が西部鎮台、斯波家が蓬州鎮台、有馬家が南嶺鎮台、長尾家が北陸鎮台を、それぞれ担う形となっている。
まさしく、六家が戦国大名に端を発した軍閥勢力であることを如実に表わしていた。
ただし首都を警備・防衛する皇都鎮台のみは、どこか一家の皇都に対する影響力が強くなることを恐れて、皇族軍人を司令官に据えている。皇都に一番近い領地を有する結城家が東北鎮台を担っているのには、そうした理由があった
なお、各鎮台の指揮下にある師団は以下の通りである。
皇都鎮台……第一師団
東北鎮台(結城家)……第二師団、第十四師団
中部鎮台(一色家)……第三師団
西部鎮台(伊丹家)……第四師団、第十師団
蓬州鎮台(斯波家)……第五師団、第十一師団
南嶺鎮台(有馬家)……第六師団、第十二師団
北陸鎮台(長尾家)……第九師団、第十三師団
また、鎮台の指揮下にない第七、第八師団はそれぞれ北溟道、榧太を衛戍地としている。そして、植民地駐箚軍として唯一の常設師団を持つ氷州軍の指揮下に、第十五、第十六師団がある。
この他、今年度予算で設置が決定された、新大陸植民地たる日高州に配備される予定の二個師団が現在、編成中であった。
「最後に一つ、年長者として若者である貴官に言っておきたいことがある」
神妙な口調で、坂東兵相は言った。
「何でしょうか?」
「すでに皇国は対斉開戦に向けて動き始めている。斉が半島への影響力を拡大するのを、我が国として座視するわけにはいかないからだ。もちろん、両国間に妥協が成立すれば戦争は回避されるだろうが、現状ではその可能性は低かろう。そして私は、東亜の動乱が対斉戦役だけで収まるとは思っていない。皇国が東亜新秩序なるものを樹立すれば、必ずや南下政策を目論むルーシー帝国や泰平洋への進出を強めているヴィンランド合衆国の干渉を招くことになるだろう。戦争の時代が始まるのだ。あるいは貴官は、そのすべての戦争を体験する六家の人間となるやもしれぬ。私のような老兵と違って」
それを不吉な予言と受け取るほど、景紀は情緒的な人間ではなかった。
兵部大臣の言葉が現実の国際情勢を見据えた上での情勢判断であることを、六家次期当主の少年は正しく理解していたのである。




