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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第六章 極東動乱編

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104 盤上の駒

 執務室を退室した景紀と冬花は、自分たちの居住空間である屋敷の奥へと向かった。

 景紀は父親との対立を深めるつもりはないが、一方で屋敷にいると冬花と里見善光の対立が深まりそうでもあった。いっそ主不在となり結城家が管理している佐薙家皇都屋敷の方に当面は住んだ方がいいのではないかと思えてくる。

 とはいえ、景紀が特に理由もなく父親であり結城家当主である景忠と別居するとなると、それはそれで対立を深めそうでもある。その影響が家臣たちにも伝播すれば、結城家は完全に分裂する。

 何とも悩ましいところであった。

 そんな思いを抱えながら自らの居室に向かうと、ちょうど縁側で夕涼みでも兼ねているのか、宵と貴通が将棋をしていた。

 すでに午後五時を回っていたが、夏のためにまだまだ明るい。

 夕食までまだ一時間ほど時間があったので、景紀は対局の様子を見ることにした。


「ああ、景くん。お帰りなさい」


 景紀に気付いた貴通が、盤面から顔を上げる。


「どうでした、お父君との話し合いは?」


「貴通」


「はい?」


「お前が父親に会いたくない理由がよく判った」


 一瞬、きょとんとした表情になった貴通だが、すぐに察してくれたらしい。


「それは……何と言いますか、ご愁傷様です」


 苦笑気味に、そう言われた。


「こっちは邦人を全員無事に帰国させて、兵員にも損害なしだってのに、難癖を付けてくる奴らはどこにでもいるらしいな」


 景紀は苛立ちを通り越して、最早呆れの境地であった。


「まあ、逆に言えば難癖程度しか付けられないほどの功績を景くんが挙げられた、ということでしょう」


「難癖も難癖で厄介でもあるがな。里見善光が俺の冬花に佞臣扱いしたことも許せん」


「やっぱり、対立の火種は燻っていますか」


 盤面に視線を戻した貴通が、駒を動かした。それを、真剣な表情で宵が睨んでいる。短い熟考の後、彼女もまた駒を動かした。

 パチン、パチンと盤面に駒を打ち付ける音が連続する。二人とも、順調に攻防を重ねていた。

 だが、途中で宵の手が完全に止まってしまった。

 盤面や持ち駒からして、宵の方が若干有利であった。しかし、宵は難しい表情を盤面に注いでいる。

 やがて、彼女は慎重に駒を動かした。

 だが、そこからの崩壊は早かった。

 貴通は完全に宵の手を読み切ってしまったのか、ほとんど間髪を容れずに駒を盤面に打ち付けていく。


「……参りました」


 やがて七手詰みが見えたところで、宵は投了を宣言した。景紀の目の前で負けてしまったことが、少し悔しいようであった。

 ただ、顔はどこで手を間違えてしまったのか、納得出来ていないような表情であった。


「感想戦、いいか?」


 まだ六時まで三〇分ほどあったので、景紀はそう言って宵の疑問に答えることにする。

 宵はこくりと頷いて座っていた座布団からどき、代わりに景紀が腰を下ろした。と、宵が流れるような自然な動作で、胡座をかいた景紀の膝の中に座り込んできた。


「宵さんや?」


 流石に少し狼狽えて景紀は呼びかけるが、宵は梃子でも動かぬとばかりに景紀の胸に寄りかかってきた。


「ん」


 宵の甘えるような呻きで、景紀は察した。

 つまり、思い切り甘えるという約束は現在も継続中らしい。

 景紀は苦笑しつつ左手を抱きしめるように宵の腹部に回して、彼女の肩越しに右手で盤面を戻していく。宵が長考していた盤面にまで駒を戻した。


「宵、お前、もしかして詰め将棋が得意なんじゃないのか?」


「はい、鷹前にいた頃、暇つぶしとして解いておりましたので」


「やっぱりな」


 納得しつつ、景紀は宵が実際に打ったのとは別の手を打った。


「何と言うか、お前の打ち方は合理的過ぎるんだ。駆け引きの入り込む余地のない詰め将棋だったらそれでいいかもしれないが、貴通はそういうお前の打ち方を見抜いてあえて隙を晒した」


 対面に座る貴通が、内心の読めない曖昧な笑みを浮かべていた。


「隙を晒して、それを突いてきた後の挽回の仕方まで、多分読んでいただろうな。いわゆる、受け将棋ってやつだ。攻めが得意な人間ってのは将棋の世界じゃ結構いるが、受けの上手い奴は意外と少ない。宵、お前は隙を突いた筈なのに思った通りに相手の囲いを崩せなくて動揺しただろ? つまり、読み間違えたんだ」


 駒を動かしていた手を止めて、景紀は宵の手に己の手を重ねた。そして、少女の手を導くように盤上に持っていく。

 そこから、二人三脚のような、重ね合わせた手が駒を動かしていった。

 微笑ましさすら思わせる体勢でありながら、景紀の顔にも宵の顔にも甘さはなかった。貴通もまた、先ほどまでの笑みを消していた。

 最早そこには、感想戦から逸脱した本気の対局が展開されていた。側で様子を見守っている冬花までもが、その行方に真剣な眼差しを注いでいる。


「……参りました」


 そして、投了を宣言したのは、今度は貴通だった。


「あそこからならまだ宵が有利だったはずなんだが、結構ギリギリの戦いだったな」


 景紀は思い切り息をついて緊張を解きほぐした。宵の手に重ねていた己の手が、汗でべたついている。


「そうですかね? 僕は、兵学寮時代から少し腕が落ちたように感じたんですが」


 九手詰みとなった自身の玉を見つめながら、貴通が言った。


「お二人とも、お強かったんですか?」


「ああ。俺と貴通で、兵学寮時代は二強状態だったな。将棋や囲碁でも首席と次席を張り合っているのかって、からかわれたこともあったくらいだ」


「まあ、僕の場合、近衛師団時代に将棋をするような親しい相手なんていませんでしたから、少し腕が鈍ってしまったようです」


「そうでもないだろ? 宵をあっさりと返り討ちにしたし、今だって何度かヒヤッとしたぞ」


「ふふっ、景くんにそう言ってもらえると、少しだけ自信が持てますね」


 両手を合わせて微笑む貴通の表情には、完全に少女の華やかさがあった。感想戦とはいえ、久しぶりに同期生と将棋が指せて嬉しかったらしい。


「まあ、こんなもんだ」


 景紀はそう言って、宵の頭をそっと撫でた。


「読み合い、駆け引き、そういうのも制さないと勝てないのは将棋も政治も同じだな。まあ、世の中には反則を犯してでも勝とうとする奴もいるから、気を付ける必要があるが」


「反則、ですか?」


 景紀の膝の中に収まったまま、宵は問いかけた。


「ああ、二歩とかそういうんじゃない。例えば、着物の中に予め駒を隠しておいて持ち駒を装って打ってくるとか、駒台側の香車を袖に引っ掛けて落として持ち駒にしてしまうとか、俺はそういうのを散々やられたからな」


「どなたにですか?」


 まさか、目の前の貴通にではあるまい。


「多喜子」


 景紀は、本気で嫌そうにそう答えた。


「あいつは子供の頃、本当に勝つことに拘っていてな、どんな卑怯な手を使ってでも、俺に勝てればそれでいいと思っていた節がある」


「それは反則負けなのでは?」


「殿様に見せる御前将棋とか、そういうんじゃないんだ。あくまで、子供の遊びだ。開き直られて強行に対局を進められたら、それで終わりだよ」


 本当に、そうした反則技に景紀は苦しめられたらしい。声には辟易とした響きが混じっていた。


「それでも何とか勝っちゃう景紀も相当よね」


「はっ、ああいうのを正面から叩き潰してやるのがいいんじゃねぇか」


 冬花の言葉に、景紀は嗜虐的な口調で返した。

 ということは、反則されてなお景紀は勝ったのか。そのことに、宵は少しだけ多喜子に対する優越感のようなものを覚える。

 ただ一方で、長尾多喜子という少女への警戒心も宿っていた。

 反則で勝ったところで、将棋の規則を遵守して勝たなければ本当に勝ったとはいえない。少なくとも、宵はそう思う。しかし多喜子は、反則してでも勝ちは勝ちだと思っているのだろう。

 もっとも、鷹前での境遇から自分自身も含めた人間という存在をどこか冷めた目で見ている宵にとってみれば、そういう性格の人間もいるだろうと納得出来てしまう程度でもあった。

 自分もまた景紀を支えるために、そうした者たちと対峙出来る力を身に付けていかねばならないのだ。

 宵は自身を抱きしめる景紀の左腕に己の手を重ねながら、投了した盤面をじっと見つめていた。


  ◇◇◇


 宵も含めた家族での夕食を済ませ、自室に戻ろうと景紀が廊下を歩いていると、庭園に面した柱のところに朝比奈新八が寄りかかっていた。相変わらず、火の付いていない煙管を弄んでいる。


「若、無事の帰還、何よりやな」


「ああ。情勢はもう無茶苦茶だったが、何とか帰ってこられた」


「まあ、僕もまた牢人に逆戻りせんで助かったで」


「まっ、あの程度で死ぬつもりはないがな」


 景紀は唇の片方をそっと持ち上げて、不敵な笑みを作る。


「せいぜい、僕を長く使こうてくれると嬉しいわ」


 細い目に軽薄そうな笑みを浮かべて、新八はそう返す。


「んで、若に渡したいもんがあるんや」


 新八は、片手に持っていた風呂敷包みを景紀に渡した。それなりの重量があった。


「若がいない一ヶ月ちょいの間、僕が収集した情報と、庭師の爺さんのところに出入りしとった人物の一覧と会談内容、それと各社新聞の切り抜き記事をまとめたやつや。上手ぁく、使こうてくれ」


 風呂敷には、和綴じの冊子が何冊も包まれていた。景紀に雇われた忍として、雇い主不在の間の報告書ということだろう。


「ああ、上手く使わせてもらおう」


 やはり、自分が不在の間に国内でどのような動きがあって、誰がどのように策動しようとしているのかは気になるところであった。


「ああ、それとな、若」どこか面白がるような声で、忍の青年は言う。「あの爺さん、若がいなくて寂しがとったよ」


「まあ、隠居した年寄りだから話し相手に飢えているんだろうな」


 新八の言葉を額面通りに受け取るわけにはいかないが、頼朋翁として政治的な同志がいなくなって不便していたのだろうと景紀はあたりを付ける。


「早いうちに会っておいた方がよさそうだな」


 今後の六家会議の動向などもある。頼朋翁としての方針を、確認しておくべきだろう。

 ひとまず、兵部大臣から言われた呪術の軍事的活用についての上申書を書き上げてしまおうと思った。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 景紀たちの皇都帰還から三日後の八月二日、兵部大臣への上申書を書き上げた景紀は、ようやく頼朋翁に会見を申し込んだ。すると、向こうも景紀のことを待っていたのか、明日の午前中を空けてあるので宵姫も連れて別邸を訪れるようにという伝言を携えた使者がやってきた。

 少し考えて、景紀は宵、冬花、貴通、新八の全員を連れて行くことにした。宵だけでなく、貴通も今後のことを思えば、頼朋翁と面識を作っておいた方がいいと考えたのである。






 八月三日。


「政府はすでに対斉開戦を現実的なものと考えて準備をしておる。当然、兵部省もだ。軍監本部の者たちが動員関係書類を準備して、各鎮台を回る用意をしておる」


 茶室に招き入れられた景紀、宵、冬花、貴通に対して、六家長老たる人物はそう言った。


「そして、共同出兵を持ちかけてきたアルビオン連合王国の方だが、斉の通商条約違反を是正させるための遠征軍の派遣について、議会の方では賛成派が多数を占めているとのことだ。外務省が、連合王国大使から告げられた情報だ。斉の連合王国人居留地で、些細なものであっても何かしらの事件が起これば一気に議会は対斉開戦論に傾くだろう、とのことだ」


「結局、陽鮮での俺たちの働きは何だったんでしょうね?」


 少しだけ徒労感を滲ませて、景紀は言う。


「だが、過激な征鮮論を押さえ込むだけの材料は貴様が持ってきたではないか。あれは中々の妙手であったぞ」


 すでに景紀ら軍事視察団の活躍は、新聞報道によって国民たちの間に広く知れ渡っていた。さらに、陽鮮公主・貞英についての報道も、景紀が当初、意図した通りに行われている。新聞操縦と世論誘導という点では、ある程度、過激な征鮮論に一定の歯止めをかけるという頼朋翁の目論見通りに進んでいるのだ。


「さて、政府と連合王国の事情はこのようなものだが、我ら六家もまた対斉開戦に向けて動き出さねばならん。官営鉄道とはいえ、各地の鉄道の実際の経営には我ら六家が大きく関わっておる。機関車や客車、貨車、石炭、そしてそれらを操る機関士の確保など、我らのやるべきことは多々ある。結城家の庇護下におる南海興発の船も、兵員輸送のために徴発されるだろう。そこで問題となってくるのが、我ら三家の連携だ」


「父上と長尾公嫡男・憲実殿の六家会議での態度については、うちの重臣から聞いていますよ。恐らく、翁はそれに不満を抱いているのでしょう?」


「憲実殿はやむを得んとはいえ、景忠公の会議での消極性は目に余る」


 頼朋翁は、景紀に不満をぶつけることがお門違いだと判っていても、内心を露わにせざるを得なかった。


「帰国して父上と何度か話をしましたが、どうやら父上は俺が当主の座を引き継ぐことに対して不安に思っているようですよ。会議での消極性も、伊丹、一色両家との対立を激化させて俺の負担が増えるのを懸念しているのかもしれません」


「まったく、次代への権力継承は当主の悩みの種とはいえ、そればかりに集中し過ぎるのも困りものだな」


「一度病を得て、父上の中で何かしらの焦りが生じているのかもしれません」


「この情勢下で、厄介なことだな。かえって、伊丹、一色両家に付け入る隙を与えかねんだろうに」


 景紀の前でありながら、頼朋翁の口調には容赦がなかった。


「それで話を戻すが、景忠公の会議での態度と結城家内部の混乱もあって、我ら三家の連携に綻びが生じつつある。まだ亀裂とまではいかないが、対外戦争を前にしてこの状況を放置するわけにもいかぬ」


 頼朋翁の声には、冷徹さと険しさが混在していた。


「貴様が陽鮮に行っている間、長尾多喜子が儂の元を訪れた」


「はい、新八さんからの報告書にもありました」


 景紀は特に驚かずに、そう返した。


「ならば、話が早い。恐らく、貴様は例の教導兵団を率いて出征することになるだろう。そして、当主不在の将家を守るのは、その妻だというのが戦国時代からの習わしだ」


「俺はまだ当主ではありませんが?」


「景忠公があまり当てにならぬ以上、その正室である久姫もあまり当てになるまい」頼朋翁は迷いのない口調で二人を切り捨てた。「だからこそ、そこの宵姫と長尾多喜子との間で、結城家と長尾家の連携を確保する情報伝達経路を構築しておかねばならんのだ。つまりは、信用出来る連絡役を置くというわけだ」


 ようやく自身の名が話題に上り、宵は表情を引き締めた。

 長尾多喜子。自分が警戒する少女と共に景紀不在時の結城家を守り、そして三家の連携確保のための橋渡し役となる。

 彼女にとってみれば、思わぬ大任であった。

 しかし、故郷の民のために結城家に嫁ぐ覚悟を決めた時に比べれば、何のことはない。それが景紀を支えることになるならば、なおさらである。


「対斉開戦まで、あまり時間はないだろう。なるべく早めに、長尾多喜子を通じた協力体制を構築しておけ」


 それが、六家長老から景紀と宵に与えられた命令であった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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