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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第六章 極東動乱編

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103 親の心、子の心

 人事局から軍事視察団解散の辞令を受け取った景紀は、そのまま貴通以下団員たちを待機させている練兵場へと向かった。

 少し人事局と交渉しなければならないことがあったために時間を喰い、練兵場に辿り着いたのは午後三時を過ぎてからだった。


「この練兵場を後にした時から一人も欠けることなくまた皇都に戻って来られたことを、隊長として嬉しく思う。倭館の邦人全員を救い出し、また陽鮮の国王および王子・公主を救ったことは、まさしく諸君らの功績だ。隊長として、改めて諸君の奮戦と祖国への献身に礼を言いたい」


 壇上に上った景紀は、整列した団員一人一人を見回しながら言った。


「さて、兵士の健闘を讃えるのは、正直、無能でも出来る」


 景紀の諧謔に満ちた言い方に、兵士の誰かがくすりと笑う。


「出来ればこの後、どこかの店でも貸し切って諸君らに思い切り飲み食いさせてやりたいところが、生憎と諸君らには原隊復帰命令が出ている。恨むなら、兵部省の人事局を恨むように。で、恨まれたくない俺は解散の辞令を受け取った時に人事局に交渉して、お前たちの加俸を要求してきた」


 若林先任曹長を始めとする兵士たちの目が、少しギラついた。


「結果、外地勤務加俸として来月の俸給は三割増加、さらに俺たちは戦ってきたんだ。戦地手当としてさらに五割の加俸をもぎ取ってきた。合計で、お前らの来月の俸給は八割増しだ」


 隊列の間から、兵士たちの嬉しげな叫びが上がる。「おお」とか「ぃよしっ!」と拳まで握り込む者までいた。

 それを見遣ってから、景紀は続ける。


「で、流石に金だけじゃあ味気ない。原隊復帰後、お前たちには二週間の帰省休暇が許可されることになるだろう。俺がお前たちにしてやれるのはここまでだ。流石にこれ以上は、六家の権力濫用と言われかねん。以上。諸君らの今後の武運ますます長久なることを祈る」


「結城中佐に、敬礼!」


 先任曹長の若林忠一が、景紀の言葉が終わるや否や真面目くさった声でそう命じる。

 兵士たちが、一斉に敬礼する。


「誠にありがとう」


 景紀は短く応じ、こちらも完璧な答礼で応じた。

 それが、彼らの戦いがすべて終わったことを示す儀式となった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 軍事視察団の解散を告げた後、景紀、冬花、貴通は皇都の結城家屋敷へと帰還した。


「一応念の為に訊いておくが貴通、お父上に帰国の挨拶はしなくていいのか?」


 練兵場から馬鉄を乗り継いで屋敷の門を潜る直前、景紀は確認した。


「いいですよ、別に」貴通はにべもなかった。「僕にとっては、景くんの側が居場所であり、帰るところなんですから」


「了解。穂積文相が何かお前に五月蠅く言ってきたら教えろ。俺が対応してやる」


「ふふっ、ありがとうございます」


 そんな景紀の言葉に、貴通は頼もしそうに笑いかけた。


 三人は揃って、屋敷の門を潜る。


「景紀様、無事のご帰還をお慶び申し上げます」


 皇都屋敷の家令長が、景紀を迎えてくれた。


「宵姫様の命により、湯浴みの準備を整えさせていただきました。奥にお館様とお方様がおりますので、湯殿にて戦塵を落とされた後、帰国のご挨拶を申し上げるべきかと」


「ああ、ご苦労。そうさせてもらおう」


 帰国後も移動の連続で、満足に風呂に入ることが出来ていなかった。水で濡らした手ぬぐいで体を拭く程度だったので、夏場ということもあり、景紀たちの体はそれなりに汗臭かった。


「父上と母上に、体を清めたら向かうと伝えておいてくれ」


「かしこまりました」


 一礼して、家令長は奥へ消えていった。


「景紀」耳元で、冬花が囁く。「この時期にお館様とお方様が皇都に出てきているってことは、やっぱり六家会議がらみかしら?」


 明日で八月になるとはいえ、列侯会議準備のための六家会議にしては、開催時期が早すぎる。であるならば、別の問題に対処するための六家会議と見るべきだろう。


「十中八九、そうだろうな。六家会議で、半島問題への対応策なんかを協議しているんだろう」


「会議の動向が少し気になりますね」


 貴通も、秀麗な顔に難しい表情を浮かべていた。


「後で議事録を見てみよう。とりあえず、今は湯浴みだ」


「そう、ね」


 冬花が、少しぎこちない態度でさっと景紀の側から離れた。


「どうした?」


「いや、今更ながらに汗臭かったかなと思って……」


 もじもじと恥じらうように、冬花は自らの両手の指を絡めて視線を景紀から逸らす。


「いや、本当に今更だろ?」


 少しだけ呆れたように、景紀はシキガミの少女を見た。今までずっと付かず離れずの位置にいたのに、今更「湯浴み」という言葉で汗の臭いを意識し出すとは。


「……」


 だがシキガミの少女の方はその言葉が不満だったようで、ぷぅと頬を膨らませて軽く主君たる少年を睨んだ。


「悪い悪い」


 苦笑しつつ、まあ、これも女心というやつかなと、景紀はとりあえず納得することにした。


「あははは……」


 兵学寮以来の付き合いで景紀へのそうした羞恥心などほとんどなくしているに等しい貴通は、冬花の乙女らしい恥じらいに乾いた笑い声を上げていた。


  ◇◇◇


 湯浴みを済ませて清潔な衣服に身を通すと、景紀は父・景忠と母・久のいる部屋へと赴いた。

 母は一人息子である景紀の無事の帰国を心から喜んでいたようであったが、父の方は息子の帰還を喜びつつも、その喜びに影が差しているように感じられた。久が景紀が傷一つ負わずに帰ってきたことを喜ぶ横で、景忠は景紀に何か言いたげな表情をしていたのだ。


「……景紀、この後、葛葉の娘と共に執務室に来なさい」


 そして、最後にはそう言った。

 兵部大臣が言っていた件か、と景紀は直感する。


「久、すまぬが景紀と今後のことについて話し合わねばならん。また夕食の時にでも話す時間はあろう」


 まだまだ息子との再会に満足していなさそうな自身の正室に、景忠はそう言って区切りを付けさせた。


「まったく、殿方はせっかちですね。少しは親子の再会を喜んでも、罰はあたりませんでしょうに」


 すぐに将家としての仕事の話をしようとする夫の姿を、息子の無事の帰還に対して素直になれない父親の意地と受け取ったのか、久は小さく苦笑した。


「景紀、夕食は久しぶりに皆で食べましょう。もちろん、宵姫様も一緒ですよ」


「ええ、判りました。母上」


 景紀は母親に向かって一礼した。

 母子の会話に区切りが付いたことを見届けた景忠が、立ち上がろうとする。それを、久が支えた。

病の後遺症が少し悪化しているのだろうか。両親の姿を見て、景紀はそんなことを思った。






 景忠に従って上京していた両親に帰国の報告を行っていた冬花を呼んで、景紀は屋敷の執務室に入った。

 景忠はすでに椅子に座っており、傍らにはその側用人・里見善光が控えている。


「最近は、椅子の方が楽でな」


 先ほどの部屋での様子を釈明するように、景忠は言った。


「やはり、体は元に戻らぬようだ」


「それでも、父上が健在であられることは家臣にとって心強いことでしょう」


 景紀は景忠を父親として尊重しつつ、そう言った。彼としては、別に親子の対立を深めたいわけではないのだ。それに、親子の対立が何をもたらすのか、それを陽鮮で間近に見てしまっている。

 なおさら、父と対立するような姿勢を見せるわけにはいかなかった。

 それに、そもそも景紀は強いて結城家の全権を掌握したいわけではないのだ。そのような面倒なことを、自ら進んで行おうとは思わない。


「それで、話というのは陽鮮でのお前の行動についてだ」


「何か問題でも?」


 兵部大臣からすでに聞かされているが、景紀自身は陽鮮での行動に何ら問題はなかったと思っているので、どこかとぼけるようにそう言った。


「お前は、問題がないとでも思っているのか?」


 そんな息子の態度に、景忠は少しだけ苛立った声を出す。


「守るべき倭館の邦人に一人の犠牲者もなく、また視察団団員にも一人の戦死者はおりませんでした。いくつかの戦訓はありますが、少なくとも視察団の行動に軍人として恥ずべき点がないことは団長であった俺が断言出来ますよ」


「そういうことではない」景忠は首を振った。「この際、問題となるのは軍事視察団の行動ではなくお前の行動だ。まず、お前は全権が斬られた直後、陽鮮の情勢判断として帯城倭館館員の引き揚げを具申していたな?」


「異国の地に在留する邦人の身に危険が及べば、引き揚げを具申するのは当然では?」


「しかし、お前は六家の次期当主であり、軍人なのだ。その点をもう少し意識すべきであったろうに。これではまるで、お前が臆病風に吹かれたように見えてしまうではないか」


「家臣団の中からも、若様の判断を疑問視する声が上がっております」


 景忠の言葉を引き継いだのは、側用人・里見善光であった。


「若君には、いま少し次期当主としての自覚を持っていただきたい」


 それは、主君に苦言を呈する忠臣の態度そのものであった。


「そもそも、葛葉殿」里見は景紀の斜め後ろに控える冬花に目を向けた。「貴殿が若君のお側についておりながら、何故お諫めしなかったのだ?」


「景紀様のご判断は、あの状況では正しいものでありました」冬花は怯むことなく言い返した。「景紀様は邦人を保護すべき軍人としての役目に忠実であろうとしたまでです」


「主君に阿ることは、無能でも出来よう。補佐官であるならば、主君の間違えを諫めることもまた必要なことであったろうに」


 まるで冬花を主君に阿る佞臣・奸臣かのように言う里見に、景紀は内心で不快の唸りを上げていた。


「勇ましいことを叫ぶだけが、軍人の役割ではないでしょう」景紀は自身の内心を意思の力で隠して、続ける。「状況・情勢に応じた適切な判断を下すことこそ、軍人にとって必要な能力であると俺は思っています」


「しかし、景紀」景忠の言葉に、苦いものが混じっていた。「お前はいずれ結城家を継ぐ者なのだ。それが臆病者などと誹られることは、あってはならんことなのだ。軍人として冷静であることは結構だが、同時に六家次期当主としての面子も考えるべきであろう?」


 景忠は景忠なりに、一人息子が自分の地位を継ぐことに対する心配をしているらしい。しかし、景紀に言わせれば、心配の方向性を間違えている。

 古今東西、次代への権力の継承に対して不安を覚えた君主や貴族が、誤った判断をしてかえって権力の継承に支障を来してしまった例は枚挙に暇がない。帝位を継ぐ息子の邪魔になりそうだからと、功臣をことごとく粛清してしまった中華帝国皇帝の例もある。

 病に倒れた所為で、この父親の中に何かしらの焦りが生じているに違いない。

 まったく、帰国早々面倒なことであった。


「急変する陽鮮情勢のただ中にいながら無為無策で過ごすことこそ、怠惰や無能の誹りは免れますまい」


 景紀は強く反論した。


「また、将家の見栄に倭館駐在邦人を巻き込むことこそ、六家次期当主として鼎の軽重を問われましょう」


「確かに、お前は陽鮮での邦人保護に成功した。しかし、その成功に瑕疵があってはならんのだ。引き揚げ具申の件もそうだが、陽鮮国王の安否確認と救出命令の件についても、お前に命令不服従の疑いが出ているのだぞ」


「『可能ナレハ』という命令でした。法的に、命令違反に問われるいわれはないでしょう」


「法的問題を議論しているのではない。他の者に付け入る隙を与えることを、私は心配しているのだ」


「父上」景紀は平坦な声のまま、問いかけた。「父上も、兵学寮を出ておられるのでしょう? そしていくつかの戦闘に参加されたはずです。そんな父上に問いますが、今回の陽鮮での事態において俺がとった以上の行動が、政治的・軍事的・法的に可能だと思われますか? 奉勅命令が出ていない状況では、こちらから積極的な軍事作戦を行うことも出来ないのですよ」


「……」


 一瞬、景忠は言葉に詰まった。自分が、父親として息子に高望みをしていることを、多少なりとも自覚しているらしい。


「……しかし、私はお前の父親として心配しているのだ」


「ご心配はありがたくあります。父上が俺の結城家当主継承について真剣に考えて下さっていることも判ります。しかし、政治的・軍事的・法的に不可能なことを求めるのは無理というものです。俺はそれを父上の心配の表れとして受け止めますが、家臣に同じようなことを求めれば無理難題と思われることもあるでしょう。少し、お気を付けになった方がよいかと思います」


 息子として父親からの心配をしっかり受け止めているという態度を取りながら、景紀は父の態度が将家当主としていささか相応しからぬものであるとも指摘する。


「……」


 やんわりと息子に諫められてしまった景忠は、黙り込むしかなかった。内心では、素直に息子の帰還を喜んだ妻・久の態度を羨ましく思ってもいる。

 とはいえ、不満もあった。

 一度病に倒れたため、景忠は息子に当主の地位を継がせることを現実的な問題として考えるようになっていた。自分がまだ壮健であったならば、あまり考えなかったようなことまで考えてしまうのだ。

 特に景忠にとっての不満は、これまで自分に忠を尽くしてきた側用人の里見善光を始めとする幾人かの側近たちを景紀が尊重しようとしないことであった。いずれ、息子が当主の地位を継いだ時にも支えてくれるであろう者たちを蔑ろにして、家が成り立つものか。

 そうした父親としての思いを景紀があまり理解していないことが、景忠にとって不満であったのだ。

 親の心、子知らずといったところか……。

 景忠は内心で嘆息していたが、一方で景紀もまた、父親の態度に辟易としていたのだった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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