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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第五章 擾乱の半島編

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98 妖狐の少女と蠱毒使いの術者

 王都・帯城の都市を囲む城壁が崩落する轟音は、倭館にも届いていた。


「まったく、冬花も派手にやってるな」


 呆れ気味に放たれた言葉とは裏腹に、景紀の表情は楽しげだった。今の爆裂術式が冬花のものであると、微塵も疑っていない。ましてや、冬花が追い込まれている可能性など、頭の片隅にもなかった。


「んで、こっちの方はどうだ?」


「……お前、相変わらず人使い荒いよな」


 鉄之介が半眼で景紀を睨んでくるが、睨まれている方はまったく意に介していない。


「とりあえず、問題ない」


 ぶすりとした口調で、鉄之介は返した。


「八重と一緒に周辺に探知用の式を放っておいた。術者がいれば、探知出来るはずだ」


「相手が術で偽装している場合もあるから、気を付けろよ」


「判ってる」


 術者でもない景紀に指摘されるのが癪に障るらしく、相変わらず鉄之介の口調は不機嫌そのものだった。


「若様!」


 鉄之介が一方的に景紀への不満を溜め込んでいると、八重の声が響いてきた。

 景紀と鉄之介の元に駆けてきた水干姿の少女は、二人の雰囲気(正確には鉄之介の雰囲気)を見て、やれやれと言いたげな視線を自身の婚約者たる少年に向ける。


「……あんた、冬花さんばっかり信頼されてて悔しいのは判るけど、ちょっとは抑えなさいよ」


「う、五月蠅いなっ!」


 気恥ずかしさを隠すように、鉄之介は大声を出した。どうやら、八重の指摘は図星らしい。


「で、どうした、八重?」


 そんな二人の遣り取りを微笑ましく思いながら、景紀は問うた。


「ちょっと、結界に引っかかった人間がいるんだけど対応を聞きたいの」


「術者が掛かったんじゃないのか?」


 見敵必殺を旨としていそうな八重に似つかわしくない確認の言葉に、景紀は怪訝そうに眉を寄せた。


「いえ、外からじゃなくて、内側からよ。例の、逃げてきた京畿監司の人。あいつが逃げ出そうとして結界に引っかかったから、電流で痺れさせて気絶させたんだけど……」


 それで、対応に迷っているらしい。

 そういえば昼間、仁宗国王の側に京畿監司・崔重祥がいなかったことに、景紀は今更ながらに思い至った。恐らく、同胞の武官たちの断末魔の悲鳴に怯えて、奥の部屋で蹲ってでもいたのだろう。

 身の危険を感じるとさっさと倭館に逃亡してきた役人らしい小心さである。

 そして、陽鮮人武官と兵士を襲った凄惨な運命を見て、夜陰に乗じて倭館を逃げ出そうとしたということだろう。


「別に俺としては、仁宗国王が無事なら他の陽鮮人がどうなったって構わないが、李欽の方に逃げていって変なことを言い出されても困るな」


 京畿監営から逃げ出したことを、李熙王子と貞英公主をお守りするためだと臆面もなく言ってのけた崔重祥である。保身のために、今度は何を言い出すか判らなかった。

 下手をすれば、秋津皇国を貶めるための偽りを口にして、李欽政権に取り入ろうとするかもしれない。

 倭館から逃亡の姿勢を見せたなら、あえて生かしておく必要もない人間だ。


「判った。仁宗国王に、自裁させるように言ってくる」


 あっさりと、景紀は決断した。

 流石に他国の官僚をいきなり殺害するのは政治的正統性に欠けるので、仁宗国王に圧力をかけて自裁に追い込む形にしたい。

 鉄之介と八重は、そんな景紀の言葉に一瞬だけ顔を引き攣らせた。


「じゃあ、二人は結界の維持と侵入を試みようとする陽鮮側術者の排除、この二つをしっかり頼むぞ」


 景紀は自身の言葉が少年少女に与えた衝撃を自覚しながらも、何事もなかったかのような口調でそう告げると、その場を後にした。


「……いや、私も人を殺したから今更なんだけど、今の若様はちょっと怖かったわ」


「ああ、俺もだ」


 景紀がいなくなった途端、耐えきれなくなったように二人はそう漏らした。


「将家の人間として生きていくって、こういうことなのね」


 自分自身を納得させようとするかのように、八重は呟いた。


「ああ、多分、あいつや宵姫様の側にいる限り、俺たちもこういう決断に巻き込まれるんだろうな」


 一方、景紀に付き従う姉の姿を身近で見てきた鉄之介の声には、納得しようとして納得出来ない、複雑な心情が込められていた。

 代々皇室に仕えてきた浦部家の出身である八重と違い、鉄之介は将家家臣団の出身だ。だから、今の景紀のような決断が必要な場面を見聞きしたことはある。不正を犯した家臣が、切腹を言い渡されたことだって知っている。

 そうしたことに姉が景紀に仕えている所為で関わっていることへの反発、そして自分自身が姉に代わることの出来ないもどかしさ、そうした感情が鉄之介の中で入り乱れていた。


「とにかく、私たちは言われたことをやるしかないわ」


 パン、と自分で自分の頬を張って、八重は言った。気持ちを入れ替えるのが早いのが、彼女の美点だろう。


「ああ、そうだな」


 やっぱりこいつが側にいると有り難いなと思いつつ、鉄之介は頷いた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「……」


 爆裂術式によって崩落した城壁の下を、冬花は赤く輝く瞳で見つめていた。

 と、白い毛並みに覆われた狐耳が、ピクリと動く。

 その瞬間、妖狐の血を引く少女は残像を残す勢いで城壁の淵を蹴っていた。未だ立ち上る土煙の中に飛び込む。

 ヒュン、と土煙から針が飛来した。冬花は鋭く伸びる爪でそれを弾き飛ばす。

 冬花は城壁を蹴った勢いのまま、土煙の向こうに立つ黒衣の術者へと肉薄した。

 突き出した爪が、呪術障壁に阻まれる。両者の霊力がぶつかり合い、火花が散った。


『妖魔ごときに、我が王都を穢させはせぬ……!』


 呻くように、術者たる男は言った。

 黒衣は爆裂術式で焦げ、あちこちで裂けていた。腕にも、火傷を負っているらしい。

 満身創痍一歩手前という有り様でありながら、この術者はなおも術を繰り出してくる。

 狐火で火力を増した爆裂術式を受けてなお動けるのだから、この蠱毒使いの術者の技量は相当なものだろう。

 だが、霊力量という点では、妖狐の血を色濃く引く自分に及ばない。冬花はそう判断した。持久戦に持ち込めば確実に勝てる相手だろう。

 だが、彼女はそこまで時間をかけるつもりはなかった。

 自分たちに残された時間は、限られている。

 冬花は自身の体内を巡る霊力をさらに活発にさせた。

 瞬間、破砕音と共に、障壁が砕けた。爪が、仰け反った相手の前髪を切り裂く。

 仰け反った姿勢のまま、術者は黒衣の内側から暗器と呪符を同時に放ってきた。

 冬花は瞬時に距離を取ると爪で暗器を弾き、己を拘束しようとする呪符を狐火で焼き尽くす。

 再び地を蹴り、爪を振るう。


『ぐぅっ……!』


 蠱毒使いの術者は、短剣でその爪を防いだ。

 だが、鍔迫り合いはほんの数瞬で決着がついてしまった。相手の手から、短剣が弾き飛ばされる。

 冬花は腕を引き戻すと、渾身の力で爪を振り下ろした。

 刹那、鮮血が舞った。

 指先を通じて、肉と骨を断つ生々しい感触が伝わる。だが、気味悪さは感じなかった。

 冬花がこの爪で引き裂くことを恐れるのは、景紀ただ一人だけなのだ。


『がぁっ……!』


 だが、一撃で仕留めることは出来なかった。咄嗟の判断で、相手は後ろに跳んだのだ。しかしそれでも、相手に深手を負わせたことに違いはない。


『倭奴の、妖魔め……』


 蠱毒使いの術者が、喘鳴交じりに呻いている。

 冬花は、何か呪術的な仕掛けを構築しようとしていないかを油断なく警戒しながら、黒衣の男に近付いていく。


『康祖陛下に、仇なす者に、呪い、あ、れ……』


 冬花に理解出来ない陽鮮語の呟き。

 それを無視するように、冬花は相手の心臓に爪を突き入れた。

 脈を打つ感覚が爪を通して伝わり、やがて鼓動が停止する瞬間まで妖狐の少女は確認した。

 爪を引き抜くと、どさりと術者の体が崩れた城壁の瓦礫の中に崩れ落ちていった。


「ぐっ……」


 その瞬間、冬花は眩暈にも似た感覚に襲われた。

 彼女の体を、黒い靄のようなものが包み込んだ。

 術者の死と共に発動する、相手を道連れにするための呪詛。


「こんな、ものっ!」


 冬花の体から、霊力が迸る。それが瞬時に、彼女の包む呪詛の靄を霧散させてしまった。

 道連れのための呪詛程度を防ぐことなど、葛葉家の人間にとっては造作もない。でなければ、何度となく主家を害そうとする呪術師を討滅してきた葛葉家は、途中で断絶している。

 ひゅん、と冬花は爪を振るってこびりついた血を飛ばした。

 殺した相手に対して、何の感慨も浮かばない。

 冬花はさっと身を翻し、主君の待つ倭館へと駆けていった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 兵士へ一通りの指示と弾薬の配分を終えると、景紀、貴通、若林先任曹長は再び指揮所に集まった。


「京畿監司を自裁に追い込んだそうですね」


 単なる確認の口調で、貴通が問うた。


「ああ、一応、仁宗国王が命じたって形で処分した」


「内禁衛将といい、京畿監司といい、土壇場で何をしでかすか判らない連中は作戦遂行の障害にしかなり得ませんからね。景くんの判断は妥当でしょう」


 むしろ貴通は、館内の不安要素であった者たちが消えて清々しているようであった。実際、景紀も同感である。籠城戦において、内部の分裂ほど恐ろしいものはない。


「それで、脱出路の選定はこれでいいと思うか?」


 景紀は倭館周辺の地図に書き込みをしたものを、二人に示した。

 倭館到着直後、冬花が式を使って周辺の地形などを測定してくれていたので、異国の地でありながらほぼ正確な地図を作成出来ていた。地形を測定した冬花と、近衛師団時代に兵要地誌の作成に携わった経験のある貴通の合作であった。


「……ええ、問題ないと思います」


 地図を覗き込んでいた貴通が、顔を上げて頷いて見せた。

 地図に書かれている経路は、裏山を経由して陽鮮軍の側面に出、襲撃するという景紀の当初示した作戦方針そのものであった。


「ただし問題は、払暁前の〇三三〇時に出発となりますと、暗い山の中を歩くことになります」


 若林曹長が、作戦遂行上の問題点を指摘した。


「そうなれば、いくら地図があろうと迷う可能性、あるいは落伍者が出る可能性が否定出来ません」


「そこは、冬花を先導に使う。術者ならば暗闇でも見通せる術式を持っているからな。あとは夜間行軍の訓練に沿って行動してくれればいい」


「なるほど、了解いたしました」


 それで、若林先任曹長も納得したようであった。


「他に、疑問点は?」


「いいえ、僕らかは特に」


「自分もです」


「なら、今日はこれで解散だ。二人とも、明日に備えて眠れる時に寝ておけ。俺もそうする」


 こうして、倭館脱出作戦最後の打合せは終了した。






 廊下を歩いていると、景紀はふと庭の暗がりの中に気配を感じだ。


「冬花、いるんだろう?」


 その暗がりに向けて、景紀は呼びかけた。闇の中から浮かび上がるように、白い髪と赤い目をした少女が現れる。


「……また随分と派手にやったな」


 その姿を見て、景紀は苦笑を浮かべた。

 冬花の手も着物も、血塗れだったのだ。

 狐耳と尻尾を生やした少女が血に濡れている様は、彼らを知らぬ者が見れば人喰いの妖魔と断じたくなるような光景だろう。

 もっとも、その血を返り血であると疑わないあたり、景紀の少女への信頼が見て取れる。


「例の妨害霊力波を出していた術者一人と、倭館に侵入しようとしている術者も見つけたから、帰り際にさらに五人ほど引き裂いてきたわ」


「弟との義妹の援護、ってわけか」


「まあ、鉄之介あたりは不満顔しそうだけどね」


 血塗れのまま、冬花はくすりと笑う。


「そのままじゃあ、上がれないだろう。井戸のところで流してやるから」


 世話焼きな兄が妹に向けるような口調で景紀は言い、すとんと庭に降りて自身のシキガミを井戸のところへ導いた。

 釣瓶を手繰り寄せて水を汲んで、まずは冬花の両手を清めてやる。


「……流石に、この着物はもう着られないわね」


 両手から血を洗い流した冬花が、自嘲気味に自らの姿を見下ろした。体だけでなく、着物にもべっとりと返り血を浴びてしまっているのだ。


「まっ、着物の替えなんていくらでもある」もう一度釣瓶を手繰り寄せながら、景紀は応じる。「だが、俺にとってお前の替えはいないからな。無事に帰ってくれば、それで十分さ」


「まったくもう……」


 何の衒いもない主君の言葉に、冬花は照れ隠しのような呆れ声を返した。

 返り血で汚れてしまった着物を脱ぎ、肌襦袢一枚となる。肌に汗が滲んでいるので、冬花は肌襦袢の結び目を少しだけ緩めて体に風を送った。


「それで冬花、また二つほど頼みたいことがあるんだが、いいか?」


 組んだ水を桶に移しながら、景紀が言った。


「何?」


「倭館全体を爆砕する術式の設置と、明日の払暁前、裏山の中を行軍することになる兵士たちの先導を頼みたい」


「了解。全員が脱出した後、倭館を爆破するような時限式の術式でいい?」


「ああ、話が早くて助かる」


 景紀は軍人としての思考から、拠点を捨てるにしてもそれを無血で敵側に渡すつもりなどなかった。冬花も、そんな主君の思考を理解している。


「じゃあ、着替え終わったらやっておくわ」


 だから倭館を爆破せよという景紀の命令に、彼女はあっさりと頷いた。


「やっておくから、景紀は今日はちゃんと休みなさいよ」


 そして、少し強い口調でそう付け加えた。

 この主君のことだから、きっと自分が術式を設置し終えるのを確認してから寝ようとするだろう。だけれども妖狐の血を引く冬花に比べて、常人(ただびと)である景紀の方がより疲労は溜まりやすいはずなのだ。

 主君の疲労を見極めて適切に休ませるのも、従者たる自分の役目だろう。


「……まったく、判ったよ」


 シキガミの少女の意外に強い口調に諦めたのか、景紀は苦笑を浮かべて自身の従者の言葉に従うことにしたのだった。






 とはいえ、景紀は寝る前に寄っておきたいところがあった。

 宵の部屋である。


「怪我の具合はどうだ?」


 布団に寝たままの少女に、少年は問いかけた。


「ええ、冬花様の術式のお陰で、良くなりました。多分、完全に回復していると思います」


「そっか、よかった」


 景紀はその言葉に、安堵の笑みを浮かべた。腱を切られれば、普通は二度と歩けなくなってしまう。冬花という術者がいるからこそ処置が間に合い、宵は歩ける足を失わずに済んだのだ。


「あんまり側にいてやれなくて、ごめんな」


「いえ、お気になさらずに。景紀様はこの場の指揮官でらっしゃいます。無理に付いてきた私などよりも、優先すべきことがございましょう」


 宵は軽く首を振った。一人で布団に入って治癒を待つ心細さなど、まるで感じさせない仕草であった。


「あんまり、強がりばっかりしなくていいんだぞ?」


 だけれども、そんな健気な少女が少し心配になり、景紀はそう言った。


「今は、強がる場面だと思いましたので」


 夫たる少年にそう言われても、宵の態度は変わらなかった。


「無理を言ってここまで来た以上、景紀様を煩わせるわけにはいきませんから」


 ただ、そうは言っても我慢して強がってばかりだと、景紀を余計に心配させてしまうことをも、宵には判っていた。


「でも、そうですね」


 だから、最後に宵は少し茶目っ気のある笑みを浮かべて、付け加えた。


「帰ったら少し、甘やかしていただけると嬉しいです」


「ああ、いいぜ」


 それに釣られるように、景紀も笑みを浮かべた。


「好きなだけ、甘えさせてやるよ」


 そうして、倭館最後の夜は更けていった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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