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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第五章 擾乱の半島編

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96 相互不信

 陽鮮人武官と兵士の人数は、内禁衛将・鄭孝顕を入れて十五名。

 内、内禁衛の武官は将軍を除けば貞英公主と煕王子の護衛として倭館に派遣された三名。残りの十一名は京畿監営などそれぞれの持ち場から逃げ出してきた者たちであった。

 最初に冬花の矢に頭部を射貫かれたのは、元倭館警備兵。

 景紀と冬花に斬り捨てられたのは、内禁衛の武官が一名、そして監営の武官が二名と警備兵一名であった。

 そして、景紀の殺気と怒気に耐えきれずに逃げ出したのは、五名の監営武官と二名の警備兵。

 その七つの首が、血飛沫と共に部屋に舞ったのである。


「貴様、貴様……!」


 同胞の武官を殺されて顔を真っ赤にしながら、鄭孝顕は景紀に怨嗟の叫びを上げる。今に至っても、その手の剣は宵の首筋に傷一つ付けられていなかった。

 いや、付けられないのだ。

 力加減を誤れば、本当に人質を殺しかねない。そうなれば、倭奴たちの敵意は確実に仁宗国王と煕王子に向かってしまう。

 だから、この内禁衛将は宵を傷付けられなかった。

 殺すつもりがないのならば、最初から耳や指などを切断する姿勢をとっておけば良かったのだ。脅しの効果に拘るあまり、剣を突き付ける場所を間違えていた。

 彼らの足下に、首を切断された七人の陽鮮人たちの血が流れてくる。


「まあ、あんたらは流石に国王の親衛隊になるだけあって、肝が据わっているな」


 景紀は、皮肉げに残り三人の陽鮮人武官を見遣った。


「将軍、いったい、何が……」


 だが、流石の内禁衛の武官も、唐突に味方が足と首を切断された不可解な現象に、怯えを隠せていないようであった。彼らは宵の腕を掴んだまま、周囲を落ち着きなく見回している。

 不意に、彼らの視界に何か光るものが映った。

 それは、細く白い糸だった。光の加減でようやく捉えられる程度の糸が、部屋中に張り巡らされている。

 くい、とその糸がわずかに動いた。

 それで鄭孝顕たちの視線が、糸の伸びる先へと吸い寄せられた。

 そこにいたのは、景紀の背後に控える白い髪の少女。その少女の刀を握っていない左の手に、糸が集約されている。


「……迂闊だった、その娘、妖術の使い手か!?」


 思わず、内禁衛将を務める男は歯噛みした。


「んで、てめぇらはいつまで使えない人質を抱え込んでいるつもりだ?」


 景紀はそんな相手の感情を無視して、ただ嘲弄するように問うた。


「使えぬことはない」


 宵の首に剣を押し付けたまま、鄭孝顕は答えた。


「こうしていれば、貴様らもこれ以上の手出しは出来まい。私が望むのは、陛下の安全だ。この者たちを殺した報いに小娘の耳でも削いでやりたいところだが、これ以上の敵対は互いにとって不幸な結果しか生み出さんだろう」


 この男は、これで交渉しているつもりなのだろうか。景紀は内心で嘲笑った。他の者たちの無残な最後を見てもまだ、宵を人質にとっている自分たちが優位にあると考えているらしい。


「速やかに立ち去れ、倭奴。貴様も、妻の顔に消えない傷が付くのは避けたかろう?」


 両足を切っておいて、何を今更と言いたくなる発言であった。

 はぁ、と景紀は呆れたような溜息をついた。


「てめぇら、俺のシキガミを舐めすぎだな」


 刹那、張り巡らされた白い糸が動いた。


「させぬ!」


 鄭孝顕は流れるような動作で、自分たちを絡め取ろうとしていた糸を剣で切断する。内禁衛将を務めるだけあり、その剣技は監営の武官たちとは比べものにならないほどに鮮やかであった。

 だが、それは同時に一瞬の隙を景紀に与えることにもなってしまった。


「くっ……!」


 室内に飛び込んできた景紀の刀を、内禁衛将を務める武官は不自然な体勢で受け止めざるを得なかったのである。


「将軍から離れろ、小僧!」


 宵の腕を抱えていた武官の一人が、剣を抜いて少女の首に突き付けていた。

 だが、景紀がそれに反応を示すよりも、姿勢を崩した鄭孝顕を白刃が斬り裂く方が早かった。


「よくも将軍を、この倭奴がっ!」


 鄭将軍が床に倒れるのと、剣を抜いた武官が激昂して景紀に斬りかかってきたのは同時であった。


「―――ぐっ!?」


 が、その動きは唐突に止められてしまった。

 剣を振り上げた武官の体に、白い糸が絡み付いている。彼は必死にもがこうとするが、糸は体を締め付けて剣を振り下ろすことを許さない。

 未だ宵の腕を抱えているもう一人の武官も、糸によって身動きを封じられていた。


「宵を返してもらうぞ」


 剣呑な言葉とは裏腹に、景紀は硝子細工に触れるようにその手から宵を引き剥がし、抱きとめた。

 自力で立つことの出来ない宵は、頽れるように少年の腕に身を預ける。


「むぅぅ……!」


 その際に傷口に響いたのか、景紀の腕の中でかすかに少女が身を捩らせた。


「すぐ終わらせる。もう少し、我慢していてくれ」


 宵を抱きしめる力を少しだけ強くした景紀は、刀を床に刺して拳銃を抜く。

 そして、糸に絡み付かれて身動きのとれない残り二人の武官に銃口を向け、少年は躊躇わずに引き金を絞った。






 部屋には、血と硝煙の臭いが充満していた。


「景紀様……」


 口に噛まされていた布が解かれると、宵は安堵したように夫たる少年の名を呼んだ。


「すまん、怖い思いをさせたな」


「いえ、ご迷惑をお掛けし、申し訳ございません」


 宵は憔悴した声で、それでもはっきりと謝った。


「お前が謝る必要なんてないんだ」


 だが、景紀は少女の謝罪を強く否定した。彼は、宵を責めるつもりなどなかった。すべては、自分の見通しの甘さと、鄭孝顕ら陽鮮人の責任である。

 宵が負い目を感じる必要など、まったくないのだ。


「景紀」


 部屋に張り巡らせた糸―――引き抜いた自らの髪に霊力を通して操っていた冬花が、呼びかける。


「まだ、息があるみたいよ」


 白髪の少女が冷たい視線で見下ろしているのは、内禁衛将・鄭孝顕であった。

 冬花の指が動き、霊糸が消えてゆく。指に絡み付くただの髪となった糸が、はらりと血に染まった床に落ちた。


「俺がやる。お前は、宵の治癒を頼む」


「判ったわ」


 抱き留めていた宵を冬花に預け、景紀は自らの血に沈んでいる男を見下ろす。すでに目の焦点は怪しくなっており、口からは喘鳴が漏れている。


「……倭奴、め……」


 それでも、鄭孝顕は自らを見下ろす少年の姿に気付いたのか、喘鳴の中で憎々しげに呟いた。


「貴様らに、陛下を、渡すわけ、には……」


 ほとんどうわ言のように、その武官は言う。景紀はその眉間に銃口を向けた。

 こぽりと、鄭孝顕は血を吐き出した。


「……陽鮮王国、万歳(マンセー)


 最後の力を振り絞って唱えたであろうその言葉をかき消すように、一発の銃声が響いた。

 国王と祖国への忠誠を呟いた陽鮮の武官は、血と脳漿を床に撒き散らしてその命を絶たれたのである。


「……」


 死体となった男に冷たい一瞥を加えて、景紀は宵と冬花の元へ戻った。


「腱を完全に切られているわ。治癒は可能だけど、少し時間が必要よ」


 宵の傷口に手をかざしている冬花が、目線を険しくしたまま言う。


「とりあえず、痛覚は幻術を応用して麻痺させたわ。どこかの部屋に治癒の術式を刻んだ陣を書いて、そこに寝かせて治癒を待つしかないわね」


「……判りました。お願いいたします」


 一瞬の間は、宵が謝罪の言葉を呑み込んだからだろう。


「それと、景紀様、冬花様、ありがとうございます」


 周囲は血と死体で埋もれているというのに、宵は気丈であった。泣きわめくでもなく、恐怖に震えるでもなく、いつものように落ち着いていた。

 だけれども、景紀は彼女が感情のない人形のような少女ではないことを知っている。


「宵、よく頑張ったな」


 だからそっと、景紀は少女の華奢な体を抱きしめた。腕の中で景紀の胸に額を押し付けた宵の体は、ほんのかすかに震えていた。

 安心させるように、景紀は少女を抱きしめる力を少しだけ強くした。


「……で、そこでいつまで素知らぬ顔を決め込んでいるつもりだ?」


 宵を抱きしめたまま、景紀は閉じられた襖の奥へと声を掛けた。

 少しの沈黙があった。

 だが、やがて諦めたように西館の奥座敷へと続く部屋の襖が開かれた。

 そこにいたのは、仁宗国王と講修官・金寿集の二人であった。二人は部屋の惨状に目を見開いた後、景紀に視線を向けた。


「これはあんたの差し金か、仁宗国王?」


「だとしたら、貴殿は余を殺すか?」


 仁宗は、国王らしく臆することのない態度で問い返した。


「はっ、なかなかにご立派な態度じゃないか」


 だが、景紀の中でこの国王に敬意を払おうという気は完全に失せていた。嘲弄するようにそう言い、剣呑な笑みを陽鮮の王に向ける。


「待たれよ、結城殿!」


 慌てたように国王と景紀の間に割って入ったのは、金寿集であった。


「此度の件は、決して陛下がお命じになられたことではない」講修官を務める礼曹役人は、そう釈明した。「すべては、鄭孝顕将軍が陛下への忠誠心故に独断で行ったことだ」


 彼はこの秋津人の少年の怒りと殺意を解こうと、必死であった。部屋の中に十五の惨殺死体が転がっている様が、より金寿集の口調を切迫したものとしていた。

 彼は焦燥を顔に浮かべながら、弁明を重ねた。

 そもそも、合理的に考えれば、仁宗国王の一派が秋津人を不用意に刺激する利点はない。国王である仁宗や講修官である金寿集は秋津皇国との間で戦争が発生することを恐れており、なおさら倭館の者たちと敵対する理由がなかったのである。

 しかし一方で、剣と槍程度しか持たない陽鮮側にとって、最新鋭の銃で武装した秋津人たちはその存在自体が脅威であると見ることも出来た。もし景紀が仁宗の身柄と引き換えに李欽政権と交渉を開始するような事態になれば、監営の武官や警備兵を解放したとしても十五人にしかならない護衛で国王を守り切ることは不可能といってよかった。

 現状では秋津人に頼るしかないが、しかしその秋津人も完全に信用出来るものではない。

 さらに、翼龍による脱出作戦が開始されると、秋津人が優先的に脱出することへの不満が仁宗一派の中で生じることになった。つまり、秋津人は自分たちを見捨てて翼龍で逃げ出すつもりなのではないか、と。

 そうなると考えるのは、いかにして自分たちの身の安全、特に国王の安全を確保するかということであった。ある意味で、臣下として当然の思考であったともいえる。

 もっとも、冷静に考えれば景紀らは貞英公主と熙王子を李欽政権から保護(もちろん、皇国側の思惑があったにせよ)し、さらには李欽政権の正統性を否定する伝単まで撒いているのだから、積極的に仁宗国王を害する意図がないことは明白であった。

 しかし王世子による簒奪という体験をした者たち、特に国王を守るべき内禁衛将・鄭孝顕は、そうした冷静な判断が出来るほどに理性的な精神状態ではなかった。

 王世子すら国王を裏切ったのだから、狡猾な倭奴が裏切らないという保障はない。

 そうした考えに到達し、ならば秋津人の裏切り防止のために人質を取っておくという結論に鄭将軍が至るまで、さして時間はかからなかった。

 少なくとも、王が臣下の裏切りを防止するために人質を取るということは歴史上、幾度となく行われてきたことであり、陽鮮も斉に対して王世子を人質として差し出した経験を有する。そのため鄭孝顕は、人質を取ることは敵対的な行為ではなく、あくまでも仁宗国王の安全を秋津人に保障させるための約定の一種であるとの考え自らの考えを正当化した。

 となれば、倭館の人間の中で最も人質に相応しい者として景紀の正室である宵が狙われたのは、ある意味で当然の帰結であった。

 そして、鄭孝顕は武官と兵士を率い、独断で宵の身柄を拘束し、さらには逃亡防止のために足を切るという行為に及んだのである。

 そうした仁宗派内部の混乱を、金寿集は包み隠さず景紀に話した。


「……ふん、言い訳にしてはよく考えられているな」


「言い訳ではない」


 苦しげに、金寿集は否定した。苛烈な光を宿した景紀の視線が、二人の陽鮮人を貫く。


「―――次は、殺す」


 それが、景紀の返答であった。

 ぞわりと、仁宗と金寿集の肌が粟立った。平坦な声が、この少年が本気であることを如実に示している。


「てめぇらを生かしておくのは、まだ皇国にとって利用価値があるからだ。それでもなお、俺や俺の大切な奴らに手を出すなら、ここに転がっている死体に、てめぇらが加わるだけだ」


 一方的にそれだけ言うと、景紀は顔を合わせるのも不快だとばかりに宵を抱き上げて二人に背を向けた。


「行くぞ、冬花」


「はい」


 景紀と冬花、そうして宵は血濡れた部屋を後にした。


  ◇◇◇


 東館の、以前は館長夫人に与えられていた部屋に、宵は横たえられた。

 少女の寝かされた布団を中心に、冬花が治癒の術式を組み込んだ呪術用の陣を描いた。


「本当はお前の傷が完全に治癒するまで側にいてやりたいんだが、そうも言ってられん状況でな」


 倭館は、依然として陽鮮軍に包囲され続けているのである。貴通に指揮を預けているとはいえ、指揮官である景紀が長く不在にしているわけにもいかない。


「はい、景紀様は景紀様の役目を果たして下さい」


 心細さなど微塵も感じさせないはっきりした口調で、宵は言った。


「本当に、お前は強いな」


 柔らかい声と共に、景紀は少女の額を一撫でした。少しだけくすぐったそうに、宵の表情が緩む。


「じゃあ、俺は戻る」


「はい、ご武運を、景紀様」






 正門内陣地は、相変わらず硝煙の臭いに満ちていた。


「すまん、戻った」


 貴通のいる正門内陣地へと、景紀と冬花は駆け足で戻ってきた。


「ああ、景くんと冬花さん」


 軍装の少女は、ほっとしたような顔で景紀を迎える。


「敵も流石に損害が嵩んできたのか、戦意が衰え始めているのか、突撃の勢いはかなり衰えました。むしろ、散発的な攻撃でかえって損害を増やしています。今は再編のためか、戦闘は小康状態を保っています」


「こちらの方はどうだ?」


「結界のお陰で、損害は皆無です。それに、八重さんの爆裂術式で、だいぶ楽をさせてもらっています。ただ、やはり弾薬消費量が気になるところではありますが」


 貴通の顔は、渋かった。それだけ、弾薬事情が切迫し始めているのだ。


「結局、冬花たちの術式が、頼みの綱か」


 景紀は塀の上に立って高台の下の陽鮮軍を睥睨している八重を見遣った。水干姿の少女の顔には、術式を乱発し過ぎたのか、わずかに疲労の色が見える。

 冬花と違って初めての実戦、それも呪術師同士の戦いでない戦闘のために、八重は自身の霊力を使う加減を誤ったのだろう。恐らく、鉄之介も似たような状態になっているはずだ。

 しかしそれでも、気弱な態度を見せることは八重の意地が許さないのか、傲然とも受け取れる態度で塀の上に立っている。


「八重」


 そんな龍王の血を引く少女に、景紀は呼びかけた。


「今まで助かった。ここはもういい。南側に回って、鉄之介を援護してやれ」


 八重は塀の上から景紀と冬花の姿を確認した。そのまま、塀の上から飛び降りる。


「若様が平然としているってことは、宵姫様は無事なのね?」


「ああ、無事だ」


「そう、なら良かったわ」八重は安堵の息をついた。「じゃあ、こっちは頼んだわよ」


 そう言うと、彼女は一目散に南側へと駆けていった。鉄之介と共に戦いたいのか、張り合いたいのかは判断がつかないところだが、それでも信頼し合える関係なのだろう。

 そのことに、景紀は少しだけ微笑ましい思いを抱いた。


「景紀」


 だが、そんな呑気な感慨は一瞬のことであった。冬花の緊迫した声が、今の倭館が置かれている状況を思い出させてくれる。


「少し、拙いことになったかも」


 周囲の兵士が聞き耳を立てていないかを確認するように視線を巡らせて、冬花は景紀の耳に口を寄せた。


「どうした?」


「海軍部隊との呪術通信が、遮断されたわ」

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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