80:見えない領域
【領域スキル】。描かれた人間を中心に球体状の壁が張られたような、そんな絵柄のカードがドロップしたのはつい先ほどの体育館のボスを倒した後のことだ。
竜昇としては、ボスドロップならば再び件の【始祖の石刃】の様な、【神造物】なる不可解なものがドロップする可能性も考えていたのだが、実際にドロップしたのは少々効果を想像しにくい、そんな奇妙なスキルだった。
実際、この【領域スキル】という代物はどんなことができるかわからないという意味ではこれまでにない難物だった。
アプリによって表示される術技も【領域展開】という詳細がわかるようでわかりにくいそんな名称のものが一つのみ。一応、体育館のボスが体育館中を黒い煙上の魔力で満たしていたことから、それがこのスキルの効果なのではないかとは予測できたものの、ではあのボスのやっていたことがどこまでできるのか、あるいは自分たちの戦術にどう組み込めるのかが未知数であるため、そのスキルがどちらが習得するべきものなのか、その判断が非常に下しにくかったのである。
結局、先のボスがひとところに留まったまま動かず、遠距離火力で攻撃してきていたことから、同じ立ち回りが可能な竜昇が習得することとなって今に至っている。
今に至って、それが功を奏した。
竜昇がこの場に陣取っていた間に、密かに展開していた魔力の領域が魔本の効果によって一斉に電撃属性に変換され、領域に踏み込んできたハイツが感電してその全身を痙攣させる。
結論から言うならば、【領域スキル】は本来自分の中でしか操作できない魔力を、自分の体外に放出し、制御可能な状態で空間を満たすというスキルだった。
魔本スキルの【魔力充填】機能を、周辺空間内で行うと言えば少し語弊があるだろうか。
魔力はあくまで空間に存在しているため、領域を展開している間は術者自身は動けず、また本人の意図に寄らず移動してしまうと放出していた魔力が霧散してしまうなどの制限はあるものの、竜昇はこの戦闘に入ってからというもの、足を止めているときは常にこのスキルを使って魔力を放出し、自分の周囲に制御可能な魔力の空間を展開していた。
今竜昇が展開していた領域は、半球状で直径は約二メートル。時間をかければその範囲はもっと広くなるだろうが、短い時間に片手間で展開できるのはそれが限界だった。
加えて、恐らく【隠纏】という技を知っていたからなのだろう。スキルの習得とほぼ同時に発現した【領域隠蔽】という技も使用して、放出した魔力を相手に感じ取れないように隠して、竜昇はじっと敵本人がその領域内に踏み込んできてくれるのを待ち構えていたのである。
「――、グ、ゥッ――!!」
目の前でハイツが、初めて余裕を失った表情で竜昇から距離を取る。
対して、それをむざむざ許すつもりは竜昇にもない。もはや何度目になるかもわからない【増幅思考】を発動させて高速で脳裏に術式を組み上げて、同時にポケットから呪符を取り出して目の前のハイツ目がけて差し向ける。
「再起動――【雷撃】」
魔法発動までの僅かな時間を呪符の魔法で埋めて、竜昇は後退するハイツへとすかさず電撃を浴びせかける。
対して、ハイツの方もむざむざそれをくらうほど甘くはなかった。
自身の左肘、そこに装着したプロテクターと、少し離れた床の位置に同時に魔法陣が浮かび上がり、それらが一瞬にして鎖でつながって、ほとんど引き倒すようにして鎖がハイツの体をけん引し、電撃の軌道からどうにかその体を引き離す。
「逃がすか――!!」
すかさず、加速した思考でくみ上げた術式により【光芒雷撃】を発動。思考の加速を維持したまま周囲に現れた雷球の照準を敵へと合わせ、痺れて不自由な体でバック転して体勢を立て直そうとするハイツ目がけて最初の光条を撃ち込んだ。
「発射――!!」
敵の体の中心を狙って撃ち込んだ光条は、しかし突然ハイツの姿が真上へと跳ね上がったことで床を穿つにとどまった。
驚いたことに、ハイツはバック転で真上へ向けた足の、その靴底と天井の魔法陣を鎖で連結させて、その鎖に牽引させて痺れた不自由な体のまま真上へと飛び上がったのだ。
とは言え、それでも躱された光条はまだ初弾のみ。竜昇の手元には、今だ五個の雷球が敵を仕留めるべく発射されるその瞬間を待っている。
「発射――!!」
二発目の光条に対して、ハイツは靴底に出現させた鎖を消すと、今度は右肩のプロテクターと付近の柱を連結させてそちらに引っ張られて光条を回避した。
続く三発目は右膝。四発目は肩甲骨のあたり、五発目は右掌からそれぞれ魔方陣を展開し、それぞれ柱や天井、床などと鎖で連結してそのけん引力によって雷球の弾幕から逃げ回る。
感電した直後の不自由な体でありながら、自在な立体機動で竜昇の攻撃から逃げ回る脅威の技術。
それに内心で舌を巻きながらも、竜昇は最後の雷球の狙いを付けて高速思考の最後の瞬間にその一発を撃ち込んだ。
「発射――!!」
放たれる光条。たいして、敵であるハイツの対応はやはり変わらない。これまでと同様、右ひざの魔法陣を付近の柱とセットで起動させると、その二点を鎖でつないで牽引、太い円柱状の柱の側面に横向きに着地する。
竜昇の思考が元の速度に戻る中、それでも竜昇の途中からの狙い通りに。
「ナイスです。誘導ありがとうございます。竜昇さん」
敵が柱に着地した次の瞬間、柱の後ろからぐるりと迂回するように、垂直に突き立つ柱を斜めに走ってきた静が武器を携え現れる。
【歩法スキル】の最初の技である【壁走り(ウォールラン)】。良くよく思い出してみれば習得してから実戦で使うのは初めてというそんな技で柱の側面を勢いよく駆けあがり、鎖によって着地したばかりのハイツへと右手の小太刀を振り下ろす。
「リガッソッ!!」
その寸前、どうやらハイツも静の存在に気が付いたらしい。慌てて自身と柱を繋ぐ鎖を解除すると、柱の側面を蹴って空中へと離脱、同時に小太刀による斬撃を受け止めるべく、全身に黄色いオーラを纏わせて空中で武器を真横に構える。
恐らく【甲纏】の発動は、先ほど静の武器に込められていた【静雷撃】を懸念してのものだろう。実際、ハイツのその考えは実に正しい。なにしろ静は、現実に手持ちの【静雷の呪符】を用いてすでに小太刀に【静雷撃】をかけなおしているのだから。
だが一方で、その場を離脱するべくとっさに自身と鎖のつながりを解いてしまったのは失敗だった。なにしろそれによって、ハイツを柱へとつなぎとめているものが完全になくなってしまったのだから。
「――【突風斬】」
「ゴァッ――!?」
ハイツの武器が静の小太刀を受け止めたその瞬間、猛烈な暴風がハイツのみへと襲い掛かり、すでに空中にあったハイツの体がなす術もなく空中のなにも無い空間へと投げ出される。
ハイツにしてみれば、静がせっかく詰めた間合いのアドバンテージを自ら手放したというのは完全に予想外のことだったのだろう。
もっとも、静の技量ではそう長く【壁走り】を続けていられなかったため、その判断はそれ以外にない選択だったとも言えるのだが、かと言って静が何も苦し紛れに相手を吹き飛ばす暴風の技を使ったのかと言えばそうでもない。
静が使った【突風斬】には、そして何よりその暴風によってふっ飛ばした方向には、彼女自身の計算と、ちゃんとした意味がある。
「安易に足跡とわかる形で刻印した魔法陣を使ってしまったのは間違いでしたね。おかげで私たちは、貴方がいったいどちらから来たのか、一定の推測ができてしまった。同時に貴方がどこに踏み込んでいなくて、どのあたりならば貴方の魔法陣が少ないのかも――!!」
「――ッ、アウル、リァ――!!」
空中に投げ出され、どうにか体勢を立て直そうとしたハイツの表情が再び驚愕に染まる。
それはそうだろう。なにしろ静がハイツを吹き飛ばしたのは先ほど静たちがこのフロアに侵入した階段の方向。先ほど見えた足跡の魔法陣が続いていたのはその真逆、改札口や駅のホームへと続く方角だ。
恐らく周囲の魔法陣は、ハイツがいつ戦闘に入ってもいいように歩きながら刻んできたものなのだろう。
あるいは先ほど他の二人と戦った時に、戦術的観点から刻んだものもあったのかもしれない。
だがどちらにせよ言えるのは、ハイツのあの魔法陣はハイツが実際に通った場所にしか刻めないという点だ。
もちろん、天井や柱に刻まれている点からもわかるように、ある程度あの武器の、それこそ分銅を射出するなどの形で離れた場所に撃ち込む手段もあるのだろうが、それでもハイツ自身が通らなかった場所には一切魔法陣が刻めないのだという、その点に関しては絶対に変わらない。
そして、一度魔方陣の無い空間で、さらに空中に投げ出されてしまえば、こんな相手でも流石に無防備になるだろうことも。
「今です、竜昇さん――!!」
「ああ、こっちも準備はできている――!!」
竜昇の手の中、たっぷりと魔力を込められた手帳大の魔本が魔力による輝きを放つ。
すでに先ほどから静とハイツの戦闘を見ているしかできなかったそんな時に、後々のことを考えて魔本への【魔力充填】は最大までチャージ済みだ。
それこそ今この瞬間、空中で逃げ場を失った敵に対して、特大の電撃を浴びせかけられるそれくらいには。
「リ、ガ、シルティィィィイイイッ!!」
『――!?』
その瞬間、敵のそんな叫びと共に静の纏うセーラー服の、その左袖の部分で魔法陣が輝きを得る。
いったいいつの間に刻印していたのか、気付く間もなく刻まれていた敵の切り札が鎖を吐き出し、竜昇が狙うハイツの掌と静の体を鎖で連結させる。
(――まずい!! あいつ静を盾にする気か――!!)
竜昇の攻撃に対して、空中にいるハイツに逃げ場はない。
付近に自身を牽引するための鎖の魔法陣はなく、こちら側にある魔法陣と自身を繋いで牽引してもこちらの攻撃に自ら突っ込む形になってしまう。
だがそれに対して、自身のところに静を引き寄せるという手は有効だ。
ミスった、失敗したと、竜昇が脳裏でそう理解し、攻撃を中断しようとしたその時。
「――いいえ、予想していましたよ。魔法陣のからくりがわかったその時点で、私が相手の攻撃を回避しきれず、こうして刻印されてしまう可能性があることくらい」
冷静な口調、余裕すら感じる笑みと共に、空中の静がそんな言葉を口にする。
同時に、鎖に引かれる袖口に対して上半身全体をまっすぐに差し出すように態勢を変えて、静自身が自分の体を空中でくの字に折るようにして――。
――それによってスポンッと、そんな擬音が聞こえてきそうな勢いで、静の体が着ていたセーラー服からものの見事にすっぽ抜けた。
空中であっさりとセーラー服を脱ぎ捨てて、しかし恥じらいなど欠片も見せずに静が落下しながらほくそ笑む。
「こんなこともあろうかと、服のファスナーや袖の留め金を全て緩めておきました。いつでも服を盾にして、そして脱げるように。あなたの魔法陣のからくりがわかったその時点で、マントで隠して見えないようにしながら……!!」
「レ、レルトリエクトォォォオオオオ!!」
通じない言葉でハイツが叫ぶ。
慌てて靴底の魔法陣から鎖付の杭を射出し、攻撃の軌道から逃れる術にしようとするがもう遅かった。
敵の杭が床に突き刺さり、鎖を牽引してハイツが空中から離脱するその前に、もう竜昇の魔法は相手を飲み込めるほどにまで完成している。
「――【迅雷撃】」
放たれた特大の電撃が、閃光と共にハイツとその周囲の空間、ついでに静の制服を飲み込み、焼き尽くす。
竜昇たちの周囲で魔法の鎖全てが消滅し、同時に空中で態勢を立て直した静が、落下からの見事なまでの着地を決めていた。




