324:その時に向けて
その昔、【決戦二十七士】の母体組織であり、ブライグたちが属する中央教会にも、権力や周辺諸国と結びついて侵略戦争に明け暮れていた時代があった。
当時の教会は神の名のもとに周辺諸国と結託して勢力圏外への侵略を行っており、そうして進出した地域の中に、南方に広がる大森林と、そこに暮らす多数の少数民族の土地があったのである。
当然、当時のその少数部族たち、その意思決定を担う族長たちは神の名を盾にしたその侵略に怒り狂った。
差し向けられた軍に多くの身内を殺され、応戦する中でおびただしい数の犠牲を出しながら、自分たちも地の利のある森を使ってゲリラ戦を仕掛けることで侵略に来た諸国に少なくない代償を強いていた。
とはいえ、だ。
そうして応戦する部族たちの中にも、冷静な視点から現実的に物事を考えている人物というのも存在していた。
数ある部族の一つをまとめる立場にあったその男は、戦場において誰よりも武功を立てながら、ことあるごとに他の族長たちに敵方との停戦を口にし、徹底抗戦を唱える他の族長たちとの衝突を繰り返していた。
そしてそんな男の姿勢は、和平を餌とした敵方の罠にかかり、両腕を失う重傷を負ってなお変わらない。
そもそも、男は最初から理解していたのだ。
地の利がある故に一時的に優位に立てているものの、そもそもの国力に差がある以上、いずれは相手方の勢いが勝り、このままいけば自分達の部族は遠からず滅亡の一途をたどるだろうことを。
この状況で真に部族の存続を望むのであれば、それこそ相手と約定を結んで停戦し、それがたとえ軽くない代償を払う選択だったとしても、相手の秩序の内に取り込まれるしかないのだということを。
同時に、もう一つ別のことも理解していた。
他の部族の族長たち、彼らが自分と同じように状況を理解していながら、それでもなお戦い続けようとしているのだということも。
そして何より、肝心の相手が自分たちのことを、律儀に約束を守るべき相手とみなしていないということも。
すべて理解して、それでもなお交渉により約定を結ぶしか生き残る道はないのだとそう訴えて――。
――そしてその男、ジョルイーニ部族の当時の長だった大戦士ラガサは、その失った腕の代わりとなる【神贈義腕】を賜った。
そののちに起きたことは、長き教会の歴史の中でも特に屈辱的な、何よりも歴史の転換点となった出来事だ。
神造の腕を手に入れて、片方だけとはいえ失った腕以上の腕を得たラガサは、その後本人の武勇と腕に設定されていた法力制御補助の付属効果と自身の戦闘技術を用いて敵軍を圧倒。
一時的にでも相手方に不利を理解させ、それによって再び教会側の代表者を交渉の席へと引きずり出した。
教会側にしてみれば、未開の部族との和平交渉など戦力がそろうまでの時間稼ぎ程度の認識でしかなく、結んだ約定もその時が来たら反故にしてしまえばいいと考えていたのだろう。
だが、そんな侮りが、後に彼らにとって決定的な事態を引き起こす大きな失敗となってしまった。
なにしろ、ラガサが得た【神贈物】は【切なき手法】。有する権能は、『約定の法則化』。
このラガサの右腕となった【神造義腕】は、その手を用いて行った握手や署名、拇印、捺印といった契約行為を法則化し、両者にとってどうやっても破れない絶対のルールとしてしまう【神贈物】だった。
仮に結んだ約定を破ろうとした場合、周囲にあるあらゆる要素、現象や偶然が様々な形でその行為を妨害し、無理に破ろうとすれば巨大な災害となって襲い掛かってその行いを阻まれてしまう。
ラガサ達部族の連合を未開人の集まりと見下し、結んだ約定など都合が悪くなれば破ってしまって構わないと考えていた教会側の権力者たちが、そのことに気づいたときにはもう遅かった。
化かしあいや騙しあいに慣れていない、よく言えば実直、悪く言えば穴の多いその約定を、どうせ破るのだからと自分たちにとって不利になるものまで含めて禄に修正せずに受け入れてしまった彼らは、後に戦力を立て直し、改めて侵攻に及ぼうとしたその時に、法則化した約定の存在により多大な被害を受けることとなったのだ。
再度の侵攻、それを行うために動こうとしていた軍の高官が立て続けに事故に遭い、それでもあきらめずに侵攻しようとすれば立て続けに災害が起きて動かそうとしていた軍そのものが壊滅的な被害を被った。
その後姿を見せたラガサが、自身の右腕をよりにもよって教会が権威を認め崇める【神贈物】であると宣言してしまえばもう状況は決定的だ。
結局教会は、自らの身内であり侵攻の責任者だった者たちを次々に切り捨てることでどうにか体面を保って存続を図る羽目になり。
自分たちの文化圏の外へと攻め入る侵略活動も、以降その方針を大きく転換するべく舵を切らざるを得なくなった。
一方で、ラガサが属していたジョルイーニを含めた一部の部族たちは、その後約定通り教会の傘下に入ることで一定の自治を認められて無事に存続。
ラガサの死後しばらくして、問題の【切なき手法】自体は別の交渉の材料として教会に引き渡すこととなったが、以降戦乱に満ちていたあの世界では比較的平和な歴史を歩み、【神杖塔】の権能によって森全体が【新世界】に取り込まれるまで何事もない無事な存続に成功していた。
それこそが【切なき手法】とラガサの、あるいは【終焉の決壊杖】の一つ前に降臨した【神贈物】の刻んだ、その軌跡。
当の【切なき手法】も、失った右腕を求めたブライグが教会の管理下より見出して、各所から名だたる【神造物】を借り受ける際の、その契約へと用いられて、そして――。
「協力する条件は大まかに二つだ。一つはこれから行う改変を世界が存続可能な状態に戻すことを前提に、本末転倒な悪影響が残らない形に収めること。
この契約は『約定の法則化』という権能を用いた、何らかのミスや失敗に対する備え(セーフティー)という意味合いも含む」
細かい契約はあとで詰めるという宣言をしながら、自身の腕が持つ権能の解説を終えたブライグは続けて竜昇たち二十七士に含まれぬ四人へとむけて結ぶ契約の内容を提示する。
「そしてもう一つは此度の戦い、その中で貴公らが成し遂げた功績を我らに譲り、以降無関係の者たちにそれを一切口外しないこと」
「――あん? 戦士長殿よ、それは――」
「――ああ。そうだ。【神問官】の討伐に世界の改変、その功績はすべて我ら【決戦二十七士】とそれに協力する教会や各国のものとなる」
淡々と語る、戦士の集団の長を務める男の宣言に、にわかにその場に居合わせた者たち、その中でも竜昇たちよりむしろ戦士たちの方に少なくない動揺が走る。
特に不機嫌そうな様子を見せたのは、以外にも竜昇たちプレイヤーではない、本来【決戦二十七士】側であるはずのハイツだった。
「……気に食わねぇ話だな? ことが終わった後の混乱を収める相談をしようって話をしてんのに、それに協力してほしけりゃ手柄を全部よこせってか?」
「――我々がここにたどり着くまでに、どれほどの者たちから援助を受けていると思う?
世界中の組織から人員をかき集め、装備をはじめとした物資の提供を受け、二十年近い年月を費やした一大事業だ。
その結果が勝利こそしたものの、肝心の敵の首魁は途中から参戦してきた相手に横から奪われたなど、それこそ保身を抜きにしても世の乱れの遠因となろう」
「――ぉい、それ本気で――」
「それだけではないでしょう?」
淡々と告げるブライグに食って掛かろうとするハイツを制するように、竜昇は間に割って入る形でそう問いかける。
「生まれ育った世界を滅ぼす……。かつてサリアンという【神造人】と敵対したとき、そいつは俺たちの選択をそう評しました。
実際、この表現は言うほど間違ってはいないでしょう。少なくとも今【新世界】に暮らしている人間にとっては、この世界を元に戻す行為は、世界を滅ぼして今の生活を奪い取る、特大の侵略行為にも等しい行いだ」
これについてはどれだけ竜昇たちがフォローしたとしても、【新世界】そのものを解体する以上恐らくそう大きくは変わるまい。
竜昇たちの選択は、あの世界に暮らす全ての人々から今の生活を奪い取り、そして少なくない数の人間をその過程で振り落としていくことになるだろう。
そして当然、そんな激動にさらされる人々は、竜昇たちの決断を決して良くは思うまい。
たとえそれが未来の存続を選ぶ代償だったとしても、確実に。
「――貴方は、俺達から手柄だけではなく、その責任も奪うつもりなんですね?
世界を滅ぼした責任を引き受けて、俺たちに代わって憎まれ役を買って出るために――」
「勘違いしてもらいたくはないのだがな。私はこの件に関して誰かが責任を取るべきだとも、ましてや償いをすべきだとも思っていない。
今回の件で生じるのはあくまで未来を奪い返した功績であり、それ以外のものであってはならんのだ。
そしてその功績を、功績のままで守り活用するすべを持つのは組織だけだ。それも国かそれに匹敵する規模のな」
「……」
確かに、仮に竜昇たちがこの世界を救ったのだと主張しても、その時起きるのは仮初の世界を滅ぼされた人々の怒りを買うだけの事態で、それを功績として何一つ活用することはできないだろう。
それどころか、個人という立場で世界中の人間から恨まれる事態となってしまえば、最悪竜昇たちが殺されただけで話が終わってしまい、ごく一部の人間の憂さ晴らしになった以外何の意味もない形で話が終わってしまう恐れがある。
無論、国や宗教といった巨大組織がその功績と責任を引き受けても恨まれることには変わらないが、それでも個人が引き受けるのと一定の権威がある組織がそれを握るのとでは、人々に与える印象や心証が大きく変わるはずだ。
「責任を押し付けることになると気兼ねしているなら無用であるし的外れだ。もとより我々には世界を元に戻すことでの影響、それを引き受ける覚悟があるし、付随する準備と利用する皮算用がある。
それにこれはお前たちにとっても決して得なだけの取引という訳ではない。
なにしろこの代償を支払えば、以降お前たちは己が功績を誇ることはもちろん、どれだけ自分たちの成したことの影響を目の当たりにし、そこに罪悪感を覚えたとしても、それを誰かに告白することはできなくなるわけだからな」
それゆえに、これは竜昇たちを守るためのものであると同時に取引の代償なのだと、ブライグは四人だけでなくその場にいる全員へとむけてそう告げる。
筋道という意味では正しいとは言えない、けれどすべてを丸く収めるために支払う、そのための代償。
そうして、ブライグの言葉を、その提案の意味合いをしっかりとかみしめて、他の三人と視線を交わして、最後に竜昇はブライグに対して答えを返す。
「――わかりました。俺たちはそれで構いません。俺たちは自分たちの功績を代償に、あなた達に世界をよりよく戻す協力を乞います。
少しでも、取り戻した未来をよりよく迎えるために」
かくして、残る数か月の猶予をフルに使う形で、竜昇たちは元に戻る世界をただ単に戻るだけでは終わらないよう、思いつく限りの手を打つこととなった。
【新世界】の解体と【真世界】への移行という大きすぎる変化のことを考えればどうあっても混乱は避けられないが、それでも何とか、犠牲となるモノが少しでも少なく済むように。
世界が移行した後、食糧生産体制が半ば崩壊している【真世界】で人々が飢えることがないように、【新世界】に現存している備蓄食料がそのまま各地に分配されるように調整し、衣料品や医薬品など人間が生きるのに必要と思われる物品もそのラインナップに加えて、生産体制が整うまで生き延びられるよう手を打った。
電気や水道、電波といったライフラインの移設は不可能だったが、家屋に関しては【真世界】でもある程度使えたため、前回の移行の際に更地となった地域に建物をそのまま移動させる形で設定した。
他にもいろいろ、動植物など人間とは別の世界を作ってまとめられていた自然物を元の環境に戻し、移り住む人々についても今ある人間関係がバラバラにならないよう、そしてもともと住んでいた地域に戻されるよう【神杖塔】のスパコンじみた機能をフルに使って再移住の手配を進めていった。
とはいえ、あるいは竜昇たちだけだったならば、未来のためにできたのはここまでだったかもしれない。
だが、世界の再編を進めるメンバーの中には竜昇と同じく二つの【神造物】を継承した入淵華夜がおり、そんな彼女の存在ができることの幅を大きく増やすこととなった。
今あるライフラインが持ち込めない関係上、必然的に使えなくなる機械類の中から、こと人命に直結する重要な機械類を片っ端から擬人化し、持ち主となる人間に付き従わせる形でその人物の生存を補助できるよう手を打った。
続けて、華夜が継承した【跡に残る思い出】を用いて混乱を収めるための情報を知識として編集。
【新世界】誕生の経緯とその代償、【真世界】への回帰に至る一連の流れを情報をまとめ上げ、さらにそこに【真世界】で生きていくために必要な知識、本来の言語や常識に始まり、果ては一般的に使われている界法や、護身用に最適といえる球体防御障壁の展開方法など、【新世界】に生まれて一切の予備知識を持たない若い世代でも生きていけるだけの知識を詰め込んだ【常識スキル】ともいうべきデータをまとめ上げた。
あとは、世界を元に戻す際、そのデータと華夜、そして【神杖塔】と【超限の三連鞘】を接続し、鞘にため込まれた法力と塔の機能を用いて華夜が世界全土にその知識を配布すればいい。
無論それだけですべての問題が解決するとは思わないが、少なくとも何の予備知識もない状態で、それまで住んでいた世界ともまるで違う異世界に投げ出されるような事態は避けられる。
加えて、今のこの世界はいまだ【再始の石刃】の影響下にあるのだ。
無効化された終末兵器の使用者はすでにいないため、今この世界にある人々が攻撃を阻害される確率はそれほど高くないが、それでも一部の攻撃手段が安定して発動しないという状況はそれなりの抑止効果にはなるだろう。
そうして、焼け石に水かもしれないあらゆる手段を思いつく限り積み重ね、その果てに竜昇たちはその瞬間にたどり着く。
他でもない、世界を元に戻せるタイムリミット。
竜昇たちがルーシェウスを打倒した約半年後、【新世界】の解体によって、世界を存続可能なものとできる、そのギリギリの瞬間に。




