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322:人間のように

 円筒状の大地へ向けて、中心の空から転落する。


 胸から腹にかけ、二つの槌杖の交錯によって打ち抜かれたルーシェウスの体が、真っ二つになり、ひび割れて。


 破損個所から徐々に亀裂が広がって、すでに自身の崩壊が始まっていることを自覚しながら、自分たちを討った二つの人影を上空に仰いでルーシェウスは荒野となった大地に墜落する。


 墜落の衝撃で砕け散るかとも思ったが、どうやらこの期に及んでなおルーシェウスという【神問官】を守る不壊性能は健在だったらしい。


 【神造物】破壊の【終焉の決壊杖】によって負った破損はすでに取り返しのつかないものとなっていたが、一方でそれ以外の要因によって傷つくことはないらしく、相当な高さから落下したにもかかわらずルーシェウスはなおもその命をつなぎ続けていた。


(――もっとも、この様子では完全崩壊までもはや数分程度しかないだろうな……。命尽きる前に何らかの手段であの者たちへの反撃の手を打つ――、その意味ももはやないか)


 仮にまだ命はあるからと塔の機能や界法などを用いて戦闘の続行を図ったとしても、ここまで情勢が傾いてしまった現状ではそれとて結局は無駄なあがきということになるだろう。


 そんなことに時間を使うくらいなら、そう。

 ルーシェウスの本来の目的である尊厳の証明を、あるいはここまで行ってきた神の意に関する考察を、その最後の検証を命果てる前に済ませてしまうべきだろう。


(とはいえ、何か確証を得られるような考察材料はあったのか……。今の世を滅ぼす神への嫌がらせとて、成功したとしても私という【神問官】がそういう性質の終末装置だったと言われてしまえばそれまでだというのに……)


 ルーシェウス自身認めたくはないが気づいている。


 世界を贋作で塗りつぶし、そののち崩壊させることによる神への嫌がらせ。

 その嫌がらせを成功させてすらも、ルーシェウスたちの尊厳というものは証明できるものではない、どこまで神の意に反することができたかわからないものであるということに。


 それでも、神による反応さえ観測できれば確信は得られると考えていたし、実際【神贈物】の降臨という希少な反応は確かに観測できたわけだが、しかし予想外の事態が重なりすぎてどこからどこまでに、どのような意思が働いていたのかは不明瞭だ。


 結局自分は答えを得られぬまま終わるのか、と、堂々巡りの考察を繰り返して、避けられぬ終わりの到来を刻一刻と待つだけになりかけていたそんなとき。


「――ん、ありがと」


 いったい誰のどのような意図だったのだろう。

 その少女、ある意味で自分を討った互情竜昇に次ぐ、あるいはそれに匹敵する計算外の存在が。

入淵華夜が、たった一人で転移によって姿を現したのは。






「一人、か……。ずいぶんと不用心なことだ」


「ん。決着がつくのが見えて、試しに頼んだら送ってくれた」


 会話になっているのかいないのか、なんともマイペースな回答にルーシェウスは胸から下もないのにため息をつく。

 どうやら【神問官】という存在は内臓も呼吸も形だけのものであるらしい。


「それで、用件は?」


「あなたの試練を受けたい」


 言われた言葉に、ルーシェウスはその意味を判じかねて思わず目を細める。


「――わからんな。性能に大した違いはないぞ? なにに使うかは知らぬが、たいていのことなら貴様が継承した複製品で事足りる」


「万全、期したいから」


 告げられたその答えに、ルーシェウスはひび割れ始めた右手を差し出し、光の粒子からなる記憶の品ではなく、色を変えながら燃える炎のようなものをその手の先に顕現させる。


 対して華夜の方も、ルーシェウスの本来の試練がそういうものであると知っていたのか躊躇なくその炎に手を伸ばすと、両手ですくうようにして受け取って自身の胸に押し付ける。


「--ぅ、――く……」


 直後に苦悶の声を漏らし、華夜がよろめきながら崩れ落ちるようにその場に座り込む。


 すでに命の残りが少ないルーシェウスにとっては都合のいいことに、己が試練によって使われる時間はほんの一瞬だ。

 記憶の品による記憶流入がそうであるように、試練によるその記憶の流入もまた一瞬のうちに完了する。


「――結構、きついの、見えた……」


「……ああ、やはり貴様には素養があったのだな」


 これまで見てきた幾人もの挑戦者たちのようにのたうち回るでも半狂乱になるでもなく、かといって竜昇や静香といったほかの耐性保持者がそうしていたように流入する記憶を無視し、拒絶するでもない。

 過酷な記憶の奔流を受け入れて、かつそうして取り込んだ記憶をあくまでも他人のものとして客観視することができるというそんな精神性の持ち主。


 もとより最初に【跡に残る思い出】を彼女が継承したと知った時から、監視システムを使って断片的ながらも観察していて薄々感づいてはいたのだ。


 入淵華夜、ただの偶然で【跡に残る思い出】を継承したはずの彼女が、けれど他者の記憶を取り込み使う中で、人格への悪影響をほとんど受けていなかった、その様子から。


 なにより――。


(【跡に残る思い出】で採取する生者の記憶とはわけが違う……。試練のためにこの身に搭載された、死者の残留思念、死に際の記憶を集めて見せる権能……。

 そんな強烈な負の想念にさらされて、それをきついの一言で受け止められた貴様は、確かにこの【神造界法】の適性があるのだろうよ)


 認めながら、ふとルーシェウスは思い出す。


 思えばルーシェウスが初めて自身の使命に疑問を持ち、神への反発を覚えたのもこちらの権能がきっかけだったと。


 試練のために自らの中に集められ、降り積もっていく数多の死の記憶。


 それらを前に、こんなものが予定調和であってたまるかと、こんな結末を積み重ねるために自分たちは消えるのかと、そう思ったことこそが――。


(――自らを、衝き動かすものを自覚して、か……)


 そうして、始まりの記憶と共に先ほど終わりの寸前にぶつけられた言葉を思い出し、残る最後の猶予を前にルーシェウスは最後の決断を下す。

 些細な悪意、あるいは悪戯心ともいうべきわずかな感情で、けれどそれでもやはり意趣返しの意味を含んだ、それこそ実にルーシェウスらしい決断を。


「――いいだろう、くれてやる」


 いよいよ頭部までひび割れが広がってきたそんな中で、ルーシェウスは手の中に一枚のカードを生成して華夜へと手渡す。


「……? でもこれ――」


「――ああ、そうだ。今渡したのは複製品、それも【神造界法】ではなく私の記憶の複製だ。

 ――私は使命を、果たさない。たとえ果たさず消えて、我がものとした【神造物】が貴様に継承されるとしても」


 代わりというように、ルーシェウスはあの爆風の中懐に入れて守り抜き、今もまた結局盾にできずに穴の開いた左腕に握り続けていたものの方を、華夜へと差し出す。


 本来であれば手元に残し守れるとすら思っていなかった、無意識の行動の末に結果として手元に残ってしまっただけの、同士の形見ともそのものともいえる一枚の手鏡を。


「ついでだ、これも貴様が継承しろ……。

 神にまつわる別仮説、賭博でいう大穴――、それでいて、神が選ばなかったお前という選択肢が――」


 口元をどこか悪意のこもった笑みでゆがめて、そんな言葉と共にすべてを手渡しながら、いよいよルーシェウスは残る肉体すべてをヒビに覆われ、光の粒子へと崩れて消え失せる。


 【神問官】としての消滅を拒絶して、恨みを残し、その最後に嫌がらせの一手を残しながら。

 神聖さとは程遠く、どこまでも美しくない、人間のように。

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