319:対峙の先の終末
ルーシェウスの手の中で一振りの手鏡が反射する。
美しい装飾が施された、見ようによっては団扇のようにも見えなくはない、ハートの意匠が施されながらもファンシーな印象のない奇妙な手鏡。
【想対の相手鏡】という聞き覚えのない名前で呼ばれながら、けれどどこか【神造人】の一人、その人物の使う権能に通じる【神造物】の出現に、それを目の当たりにした竜昇たちの思考はほぼ同時に何が起きているのか、その事実にたどり着く。
「静ッ――!!」
「はいッ――!!」
急ぎ呼びかけ動き出す竜昇たちだったが、その時にはすでにルーシェウスの方も状況を理解し、動き出している。
自身の【神造界法】で光の粒子を放出し、それらを無数の刃物に変えたうえで鏡に映し、直後に起きるのは数多の刃の中央部分に重なるように赤い核が現れ、黒い煙を吐き出す最悪の光景。
「この権能、やっぱり【模造心魂】か……!!」
予感が確信に変わった次の瞬間、生成されたばかりの刃物の群れがまるで生き物のように一斉に動き出す。
四方八方に散らばって、それぞれが全く別の軌道を描いて空中を飛び回りながら、やがてそれらすべてが竜昇と静という二人の標的めがけ一斉に襲い掛かってくる。
(――ッ、これは、まずい……!!)
とっさに杖の力で飛行し、それぞれ襲い来る刃の群れから逃れた竜昇たちだったが、案の定回避したはずのそれらの武具は、虚空へと飛び去る途中で黒い煙を吹き出し、軌道を変えて再び竜昇たちの後を追って迫ってくる。
刃物の一つ一つが一定の意思と判断能力を持ち、標的が逃れようとしてもそれぞれの判断で追ってくる追跡誘導性能。
だがそれ以上に問題なのは、竜昇たちを追ってくるそれらすべてが、破損しやすく、そして破損することによってほんの一瞬とはいえ相手の意識を塗りつぶす【思い出の品】であるということだ。
つまり――。
(――くッ、逃げても追ってくる。迎撃はもちろん防御しただけでも破損して記憶流入が起こる……。
そんな攻撃を、あいつは碌に時間も掛けずに無尽蔵に生み出せるっていうのか……!!)
防御は不能、回避もじり貧、無論迎撃しても悪手にしかならないという八方ふさがり。
そうして放った攻撃から竜昇たちが逃げ回るその姿を目の当たりにしながら、しかしルーシェウスはそうしてできた猶予で手の中に現れた手鏡にそっと触れてわずかに言葉を漏らす。
「――まったく、本当に貴様は愚直だな」
鏡を通じて、先ほどまでその鏡自身だった【神造人】アーシアの、その最後の記憶がルーシェウスの脳裏へと流れ込んでくる。
それは生者の記憶を抽出し、自身の中へと取り込んで物質化する【神造界法】ではない。
【神問官】であるルーシェウスが有する、彼に課された試練のための本来の【権能】。
遺体や遺留品から死者の最後の記憶を、死に際の無念を拾い上げて自身の中に保存する、【顛末の譚遍集】の名を持つ、本来は試練に使う強烈な記憶を集めて任意の相手に見せるだけのための権能。
そんな力を行使して、かつての同志の遺品とも遺体そのものとも言える【神造物】から、その最後を、その顛末を読破する。
(――本当に、貴様は……。愚直で、生真面目で、どこまで行っても人がいい)
脳裏で再生される最後の戦い、その様子を見て、つくづく他者と争うことに向かない奴だとそう思った。
今に始まったことではない。これまで何度も。旅の途中で出会った時から幾度となく思い続けたその感想を、その死を受け止めてなお再び胸に抱いた。
本当に、無理をして悪ぶって、性に合わない悪逆に真剣に邁進して、それでもなお生来の人の好さや義理堅さといったものが殺しきれていない。
本来ならこんなところで命のやり取りや神への反逆など企てていないで、それこそどこか平和な場所で静かに暮らしている方が性に合っていたのだろうと、そう思うほどに。
けれど、だからこそ。
今ここに残されたルーシェウスは、そんなアーシアがそれでもこの争いに身を投じなければならなかった、その理由を軽くは見ない。
「やり遂げよう、アーシア」
手鏡を構え、すでにいない同士へと向けてそう告げる。
「神に仇なそう、アーシア……!!」
ともにあった同志たちはすべて消えた。
目的を異にしながら共闘していたサリアンはこの塔を残して消滅し、アーシアもまた鏡を残してその模造の命を終えた。
同士ですらなかった、ほんの一時協力していただけのセリザですらも、すでに神の試練を果たしてこの世を去っている。
あるいはその権能を用いれば、アーシアにはその次代とでも呼ぶべき存在が生まれるかもしれないが、どれだけ同じ記憶や技能を持っていたとしても、それはルーシェウスの知るアーシアとは別人だ。
もはや残された者は、同じ目標に向けて邁進した【神造人】はここにいるルーシェウスただ一人。
そしてだからこそ、今ここに残された彼には、消えていった者たちに報いる義務がある。
ほかならぬルーシェウス自身が己に課し、己に対して逃れることを許さないそんな義務が。
「竜昇さん――!!」
「準備はできた。勝負をかけるぞ、静ァッ――!!」
見上げた先で、宙を飛び回っていた竜昇と静が言葉を交わして構えをとる。
「【電導師――送電宣】」
戦闘開始の当初から竜昇がこの空間の各所でまき散らしていた黒雲、その内部で自動生成されていた電力が一斉に術者へとむけて集結する。
竜昇の全身を雷光が法衣となって包み込み、背中から余剰電力の翼を広げて、そのうえでその電力を差し向けるのは眼前に配置した六つの雷球。
「【万雷――天支回廊】――!!」
ありったけの電力を注ぎ込まれ、六方向に放たれた雷が周囲を飛び回る刃の群れを飲み込んでいく。
放たれた先で、待ち構えていたもう六つの雷球が最初の雷を受け止めて、光条の発射によって広げた雷を今度は一点へとめがけて殺到させる。
結果として生まれるのは竜昇の正面にいる静のいる位置だけをよけながら、その周囲を薙ぎ払いつつルーシェウスのもとへと押し寄せる六つの雷の奔流だ。
(――なるほど……。回避も防御も不可能であるなら、すべてを一気に迎撃して記憶流入を一人で引き受けようという腹積もりか……!!)
通常であれば、雪崩れ込む記憶が脳内で再生される間大きな隙をさらすことになる記憶流入だが、精神干渉に耐性を持つ竜昇たちにとって晒す隙、その時間はどれだけ膨大な記憶であろうとほんの一瞬だ。
なにしろ彼らの場合、記憶流入を自覚した段階でそれを拒絶し、己の意思で中断する形で終わらせることができるのだ。
そしてそうである以上、記憶流入によって雪崩れ込む記憶はどれだけ膨大だろうと意味はなく、ならばそれらすべてを一瞬で処理してしまったほうが総合的に隙をさらす時間は短くなる。
無論それでも、一瞬の隙が命取りになる戦闘のさなかにその一瞬の隙を生んでしまうことには変わりないわけだが――。
(敵方は一人ではなく二人組。一人が行動不能に陥っても、もう一人が行動できるならフォローはできる――)
「【流線防盾】……!!」
押し寄せる雷の奔流に両腕を交差させ、それで支えるように航空機や新幹線の機首部分のような、前面に展開する流線型の防盾を展開して身を守る。
術の規模故に踏みとどまれずに後方へと押し流されながら、けれど界法の奔流自体は盾の形状によって受け流すことで、かろうじてルーシェウスは竜昇の全電力を結集した一撃からその身を守り、背後の壁際まで押し流されながらもしのぎ切る。
無論ルーシェウスは不死不壊の神問官だ。
有する不壊性能故に苦痛はあれど、根本的に攻撃を受けても無傷で生き残ることができてしまうわけだが、電撃の場合受けてしまうと一時的にとはいえ動きが鈍る。
そして今のこの戦闘において、その一瞬の隙こそが間違いなく致命的だ。
なにしろ今この時、竜昇の雷によって【思い出の品】から守られた静が、その奔流の行く先を追うように杖を振り上げて間近にまで迫ってきているのだから。
「――ッァ!!」
雷の奔流が途絶え、流線形の防盾が砕け散った次の瞬間、雷光の向こうから現れた静がその手の槌杖を横薙ぎに振るい、叩きつけてくる。
胸の高さを狙い、とにかく当てることができればいいと割り切った一撃を、しかしルーシェウスは身を沈めることで危なげすらなく回避する。
(電撃でマヒするどころか目がくらむこともないですか……!!)
至近距離で静が眉をひそめ、横薙ぎに振りぬかれた槌杖が義腕の権能によって背後の壁を透過するのを頭上に感じながら、即座にルーシェウスはその手の手鏡を武器のごとく真上にはね上げる。
通常ならば武器にならないような物品や形状であっても、不壊性能を有する【神造物】を達人の技量を持つルーシェウスが振るうとなればそれは十分すぎるほどの脅威だ。
何らかの法力効果が付与された一撃を脅威と見て静が杖の飛行機能で空中へと身をひるがえし、壁面に着地してそこから再びルーシェウスのもとへと打ちかかる。
否、打ちかかろうとした。
静にとって予想外のもの、自身の身にまとう衣服にその動きを阻害されなければ。
「――!?」
自身の衣服が意思を持って反逆し、静の動きを引き留めたその事態に、即座に静は肩に取り付けた右腕を背中に回して、服を引っ張る赤い核をその死体のような第三の手で握り潰して解除する。
(――先ほど鏡を振り回していたのは攻撃のためではなく、回避した私の衣服を鏡に映すためですか……!!)
思うさなかにも、ルーシェウスは静が動きを止めたその時間を使ってすでに次の手を打っている。
自身の右手に装着するように丸盾を、左手に槍を光の粒子を集めることで作り出し、空中にいる静めがけて自身も壁面を走る形で突きかかってくる。
(なんの……!!)
そんなルーシェウスの攻撃に、静は即座に背負っていた神造の弓の力で斜めに落下し刺突を回避。
直後に飛行と【空中跳躍】を発動させて、接近と同時に二本の右腕で再び槌杖による一撃を叩き込む。
だが――。
(盾で……!?)
【握霊替餐】の権能によって幽体化した槌杖、装備も障害物もすり抜けられるはずのそれがルーシェウスの構えた盾によって受け止められて、さしもの静も驚きを覚えて目を見開く。
否、そもそもこの【神造義腕】の効果はあらゆる物体をすり抜けるモノではない。
【握霊替餐】の効果は握った物体を生物以外触れられぬ霊体に変えるもの。そして――。
「残念ながら、【擬人】は生物の範疇だ」
直後、盾でありながら【思い出の品】の特性として脆く作られていたそれが杖の一撃によって破損して、その破損を引き金に光の粒子と化した記憶が一斉に静の脳裏へとなだれ込んでくる。
「――くッ――!!」
意識を塗りつぶそうとする記憶の奔流に、静はとっさに【天を狙う地弓】の権能を発動。直後に迫る槍による追撃を、意志がなくても行われる真横への落下によって回避する。
だが――。
(悪手です、これは――!!)
脳裏で再生される記憶を振り払って現実へと回帰して、再び眼前へと迫っている多数の【擬人】化した手裏剣の群れを前にして改めて自身の失敗を痛感する。
確かに落下飛行であれば静自身が意識を失っていても使用は可能だが、それはすなわち一瞬の猶予も与えてはならないルーシェウスに距離と時間を与えるのと同義だ。
案の定、一瞬意識を記憶流入に奪われているその隙に、ルーシェウスは多数の投擲武器を生成してそれを静めがけて差し向けている。
そしてそうなったときに負担を受けるのは、なにも最前線で戦う静とは限らないのだ。
「【六芒迅雷撃】――!!
眼前へと迫る手裏剣の群れに対して、一足先に記憶流入から脱していた竜昇が範囲攻撃の雷で薙ぎ払う。
与えてしまった時間が短かったがために生み出された【思い出の品】は少なかったが、それでも破壊してしまえば一瞬の隙が生まれるのが記憶流入の厄介なところだ。
そしてそんな隙を突かずにおくほど、今相対しているルーシェウスという敵は甘くない。
「範囲攻撃が使える、【思い出の品】の記憶を引き受けられるのが貴様の側というのは大きな弱点だな」
「――ぐ」
一瞬の硬直の後、空中にいた竜昇の至近にまで迫っていたルーシェウスの姿に、竜昇は否応なくその胸の内で焦りを覚える。
否、焦りを覚えている理由は、なにも目の前にいるルーシェウスという実体のある脅威の存在だけではない。
「貴様の意識が停止するたび、こちらが塔へと飛ばした命令が累積して貴様の命に近づいていく」
「くォッ――!!」
「――【滅閃光】」
「シールドォッ――!!」
接近してくるルーシェウスが自身の周りに発生させた光線系の魔法を乱射して、とっさに竜昇もシールドを展開し、かろうじてそれを防御する。
だが一度の防御に限ればそれでよくとも、ほとんど同時進行で脳裏で塔システムにルーシェウスが投げかけた命令の数々を処理しなければならないというのだから状況は深刻だ。
それに加えて、ルーシェウス自身も飛んで逃れる竜昇を負う形で空中を走って迫ってきており、さらにそのルーシェウスが光線の乱射を続けながら自身の周囲に記憶から精製した手裏剣を展開し、【擬人】化してぶつけようと準備している。
与えてしまったほんの一瞬の隙に、まるで負債のように積み重なる多種多様な攻撃。
たった一つ、命吹き込む手鏡がルーシェウスの手に渡ったというそれだけで、かろうじて竜昇たちが食らいついていた戦況がジリジリと、しかし確実にルーシェウスの側に傾きつつあった。
この状況を打破できる要因があるとすれば、それは――。
「――竜昇さんッ!!」
(――!!)
そうして危機的状況化に陥る竜昇のもとへ、杖による飛行と弓による落下、そこにさらに【空中跳躍】の加速を重ねた静が盾を構えた状態で割り込んでくる。
「それは――、全員止まれ――!!」
見知った盾に、とっさにそう命じたルーシェウスの声にかろうじて手裏剣の【擬人】達が反応して、けれど撃ち込まれていた光線についてはその盾への着弾を避けられない。
幾重もの光が盾に触れると同時にその全てが吸収されて、直後に放たれるのは盾から変じた見覚えのある剣による応法の一撃。
【応法の断裁剣】
撃ち返された光線の群れに、距離を詰めようとしていたルーシェウスがそれらをまともに食らって撃ち落とされる。
かつてセリザも使っていた、盾と剣の二つの形態を持ち、盾で受けた攻撃を剣の状態で撃ち返す【神造武装】。
とはいえ、これだけ強力な武装を静が使ってこなかった理由は明白だ。
撃ち返された攻撃によって、空中で停止してた手裏剣やルーシェウスの防具が破壊され、まき散らされた光の粒子が一斉に静の意識へとなだれ込んでくる。
「――く……」
いかに受け止めた攻撃に追尾性能を付与して討ち返すことができる【応法の断裁剣】でも、その途中に存在する【思い出の品】や、ルーシェウスが身にまとう防具といったものまで避けて攻撃を返せるわけではない。
加えていくら攻撃を返す【神造武装】であるとはいっても、それを成すのが静である以上記憶流入は彼女に向かって雪崩れ込むのだ。
それを考えれば、あらゆる攻撃を防御し、攻撃してきた相手に撃ち返せるこの破格の【神造武装】も、ことルーシェウスと戦う上ではそこまで有用とも言いえないことになる。
そして何よりも――。
(恐らくオハラの娘がこの戦いに投入できる武装の種類はそれほど多くない……。いかにセリザから武装のレパートリーを継承しているといっても、選定からこうも時間が短くてはそれらを使いこなせるようにはならなかったのだろう)
落下する途中で次々と【思い出の品】を生成し、それらに手鏡で命を吹き込み、差し向けながら、ルーシェウスは先ほどからの戦闘の様子を思い出してこの相手についてそう分析を進めていく。
【始祖の石刃】の正規所有者となった静ではあるが、だからと言ってその内にため込まれた莫大な量の武器をすぐさま使いこなせるかといえば話は別だ。
長き歴史の中で石刃の中にため込まれた武器はそれこそ莫大な数にのぼり、時間が限られた今回の状況ではすべてを使いこなすことはおろか、恐らくはそのレパートリーにどんな武器があるのか、それ全貌を確認することすら不可能だったのだろう。
かろうじてできたのは、先のセリザとの戦いの中で使われた武器レパートリーの中から、ルーシェウスとの戦いにおいて有効に使えそうなものに絞って活用する程度。
新たに得た武器を使いこなせているとは到底言えない、それどころか全体の一パーセントすら使えているかも怪しい、【始祖の石刃】のあまりのもお粗末な運用状況。
ただしその一方で。
そうした使用武器の制限は、あくまで多すぎる選択肢に振り回される事態を防ぐためのものであって、静自身絶対に破れない制約という訳ではない。
(【想対の相手鏡】の継承で戦況はこちらに傾いた……。このまま攻めていけば、手数の多さに任せてこちらが押し切れる――。だが――)
実のところ【始祖の石刃】が有する武器レパートリー、そのもとになっているセリザの手の内については、多少なりとも行動を共にしていたルーシェウスたちでさえその詳細を把握できていない。
単純に武装の数が多すぎるというのも理由ではあるのだが、そもそも根本的にセリザだけは四人の中で唯一明確な味方とは言えない存在で、むしろ後々敵対する公算が大きかったために手の内の開示など成されなかったという事情がある。
それだけに、ルーシェウスの知らない未知の手札が新たに投入される可能性もゼロとは言い難い。
無論初めて使うことになるその武装を静が使いこなせるかという問題はあるが、それを言うなら彼女はオハラの血族であり、そして【始祖の石刃】の持ち主に選ばれた人間なのだ。
そこまで決定的な武装がなかったとしても、恐らく戦いがこのまま長引けば、静が徐々に戦闘に用いる武装の種類を増やし、それらの扱いに熟達して戦力を増していくことは十分にありうる。
そうなった場合、今でこそ圧倒しているこの状況が、静の存在によって何らかの形で覆されるという展開も、また。
(現状は間違いなくこちらが有利――。だが長期戦に持ち込んで何かの形で逆転されるくらいなら――。もとより想定される次では使えない――。ならば切り札を切るタイミングは、こちらが主導権を握る、今……!!)
わずかな時間の中で彼我の状況を吟味して、その果てにルーシェウスは心中で密かに覚悟を決めて、そして――。
(――これはッ!!)
そうして竜昇の脳裏、意識でつながる【神杖塔】の思考領域の中に、先ほどから却下し続けていた命令に続く形に新たな命令が追加される。
(――この、命令は……!!)
数多の命令の後に一瞬遅れて一つだけ投げかけられたその命令の内容を、その意図したような投げ方故に竜昇の意識がはっきりと認識する。
直後に起こるのは、竜昇の脳裏でいくつもの思考がぶつかり合う激しい葛藤。
(――命令の意図は。――何が起こる。ならばこちらは――。けれどもし外れなら――。――チャンスは一度。外したら後が――。なにもしなければ――)
直後に現れるのは、竜昇たちのいる空間、その床全体に広がり、空間全体を光で満たす巨大な魔法陣。
光が周囲を飲み込む一瞬の中で推測と対応、躊躇と焦燥、その他いくつもの衝動がないまぜになって竜昇の中で駆け巡って――。
「静――!!」
直後、記憶流入から脱して我へと返り、自力飛行可能になった静へ向けて、彼女にしか聞こえぬ声量で短く告げる。
「勝負だ――。頼んだ」
そうして、足元で輝く魔法陣がその機能を阻まれることなく発揮して、竜昇と静、そしてルーシェウスまでのすべてを含めた、戦場となる謁見の間に在ったモノすべてがその空間から消え失せる。
発動した転移の魔法陣によって、竜昇たちが送られた先は一つ下の階層。
スペースコロニーを模した【神杖塔】本来の最上階へと、世の命運を決める決戦の舞台が一瞬のうちに移動し、そして――。
「――そう、乗るしかない。いかに貴様たちが転移後の展開を危惧していたとしても、すでに次の攻撃が押し寄せることが確定しているこの状況では――」
一つの階層というにはあまりにも広い最上階、スペースコロニーを模したその場所の、ほぼ中心とでもいうべき筒状の天地を十字につなぐタワー近くに転移しながら、ルーシェウスは同じく転移してタワー側面に着地しようとしている二人を眼下にそうつぶやく。
先ほどまでいた謁見の間において、ルーシェウスが竜昇に対して突きつけたのは転移を許容してあの場を離れるか、あの場にとどまって続く攻撃をさばき続けるかのその二択だ。
とはいえ、すでに【思い出の品】を織り交ぜたルーシェウスによる波状攻撃と、塔の機能によって遂行されようとしている環境改変攻撃の総数は、竜昇一人でさばききれる量を超え初めている。
無論それでも静との連携によって対抗することはできるかもしれないが、あの場にとどまり戦い続けていても、その先に待っているのは高確率で圧倒的物量に押しつぶされる未来だ。
だから突き付けた。
あの場にとどまり、すでに劣勢に傾いた戦いをそのまま続けるか、あるいはルーシェウスが提示した提案に乗って、戦闘の場を一つ下のスペースコロニーへと移して仕切りなおすかという、そんな選択を。
実際にその先に待つものが、ルーシェウスの切り札ともいうべきこの【神杖塔】最大の罠であることは巧妙に隠したまま。
「【滅閃光】……!!」
差し出した右手から光線が発射され、付近にそびえる十字の塔の中央部、その外壁に取り付けられていた一つの装置が狙い通りに打ち抜かれ、破壊される。
そうして、装置の破壊によってそこから送られる信号が途絶えたことで、スペースコロニーを模した広大な階層、その外壁各所の内側に仕掛けられていた破滅の仕掛けに光が灯る。
動き出したそれら、かろうじて設定された猶予を示すディスプレイに表示された数字は、しかしあまりにも短いたったの五秒。
――五。
その瞬間、【決戦二十七士】が長、ブライグは、突如として敵対していた水滴の擬人が武器としていた大量の水を残し消えたことで、状況の把握と敵の居所を求めて関係性を見る【神造義眼】で周囲を見渡していた。
「これは――」
けれどそれでも、突如として現れた敵対関係、そのつながりの糸の先へと視線を向けて、はるか彼方の空間の中心に視線を向けるのが精いっぱいで――。
――四。
その瞬間、カインスと合流したハイツは、立ちふさがる擬人や、見覚えのある者が混じった死体人形たちを蹴散らして、高い索敵能力を誇るカインスの耳を頼りに鎖によるけん引でビルの狭間を移動していた。
「なんだ――!?」
背中に鎖で縛りつけたカインスが声を漏らして、けれど、その反応の理由を問い返す時間まではなく――。
――三。
その瞬間が訪れるまであまりにも猶予がない。
入淵城司たちが、死ぬことで消えた敵の次なる一手を警戒し、空に現れた何かをかろうじて見上げることはできても、それ以上が続かない。
――二。
そしてそれは、【神造人】から宿敵の最有力候補と見られていたオハラの少年であっても同じことだ。
なにしろ、そもそもこれから始まるそれは、彼が介入できる法力を一切含んでいない、別文明による仕掛けなのだから。
――一。
誰も、何もできない。
「――の石刃」
ただ一人。着地したビルの側面で、己が足元へと武器を投げ込んだ、たった一人の少女を除いては。
――ゼロ。
かくして、スペースコロニー各所に仕掛けられた、数を束ねれば理論上一つの世界の人類すらも滅ぼせるとされた終末兵器の自爆装置が起動して、広大な階層の内側すべてが光と爆風、そして圧倒的な熱量によって塗りつぶされる。
防御の界法など一秒と持たない、それどころか階層内に存在した建物すべてが吹き飛び蒸発するような、そんな圧倒的なまでの熱と爆風からなる破壊の嵐が。
破壊不能の存在以外すべてを消し去る終末の切り札が、敵対するもの全てが集うその階層を、まるごと巻き込み焼き尽くす。




