310:頂上の拮抗
塔の最上階層、そのさらに上の謁見の間にて、二人の人間と一人の【神造人】による三者の戦いが拮抗する。
技量の上では間違いなく世界最高峰。長い時を生き、数多の技を身に着けて、あの【決戦二十七士】と比べても勝るとも劣らない力量を手にするに至った神造の人に、力量の面ではどうしても劣る二人が、それでも結託することで食らいつく。
「【握霊替餐】……!!」
自身の右肩に接続したもう一本の右腕、まるで死体のように血の気のない【神造義腕】の権能をつかんだ杖へと行使して、幽体化した槌杖のハンマーのような先端部分をルーシェウスの体へと叩きつける。
ルーシェウスが構えた刀、身にまとった防具など、破壊してはいけない【思い出の品】のすべてを幽体と化した槌杖がすり抜けて、けれどルーシェウスの体をとらえる前に最小限の動きでその攻撃が回避され、静の持つ槌杖が相手の体をとらえることができぬまま空を切る。
(やはり……、もはや接近戦ではまともにやってもかすり傷すら負わせられない……)
オハラの血族という、戦闘技能が遺伝子レベルに刻みこまれているような血筋を持つ静でさえ、少なくとも正面からの接近戦ではもはや微塵も勝ち目といえるものを見出せない。
それほどまでに、この極まり切った技量を持つルーシェウスと、ただ才があるだけの静の間には決定的な実力差というものが横たわってしまっている。
無論、明確に上回っているのはあくまでも技量だけで、もとより静たちもそれ以外の要素に勝機を見出しているわけだが。
(少なくともこの相手を、まともに戦える状態で竜昇さんに近づけるわけにはいかない……。近接戦闘系の技能を持たない竜昇さんでは、いくら相手を殺せる手段があったとしても技量の差で簡単に返り討ちにあってしまう……)
思いながら、静は攻撃に拘泥することなくその場で地を蹴り、一時ルーシェウスから距離をとるように空中へと跳躍する。
いかにルーシェウスが【真世界】におけるあらゆる戦闘技術を身に着けた達人だったとしても、こと空中についてだけは竜昇と静だけのフィールドだ。
無論ルーシェウスにしても【空中跳躍】をはじめとする空中移動技能は習得しているのだろうが、竜昇の槌杖に搭載されたような飛行能力や、それらに加えて【天を狙う地弓】による落下飛行まで可能としている静と比べれば、さしもの【神造人】も空中での移動の自由度という点でだけ二人に対して後れを取ることになる。
そうした分析故に、竜昇は離れた位置からの援護に徹し、接近する静にしても一撃離脱を戦術の基本に据えようとしていたわけだが、一度距離をとろうとした静のその判断は直後のルーシェウスの対応によって瞬く間に破綻することとなった。
「――!!」
「逃がしはしない」
飛行によって空中へと飛び出した静に追いすがるように、あまりにも軽やかな動きで同じように空中へと飛び立ったルーシェウスが静のすぐ背後でその両手の刀を振りかぶる。
「――ッ」
迫る白刃に、静はとっさに【空中跳躍】を使用してその場を離脱。
槌杖に込められた飛行術式をフル稼働させてルーシェウスの追跡を振り切るべく飛び回る。
だが――。
(振り切れない……!!)
なにも静とて、愚直にまっすぐ飛行しているわけではない。
急旋回を繰り返し、自身を追ってくるルーシェウスの追跡を振り切って、あわゆくば背後をとって反撃の一撃を見舞うべく空中で複雑な動きを繰り返している。
だがそれでもなお振り切れない。
恐らくは空中跳躍に加えて、重力操作による体重軽減や、【天舞足】に搭載されているような足場形成の技法をも織り交ぜて使っているのだろう。
それだけ多彩な技法を連続使用すればすぐに息切れを起こして法力の使用に支障が出るはずなのだが、観察する限りルーシェウスにはそんな様子さえ見られない。
恐ろしいほどに効率化され、全くと言っていいほど無駄のない動きによって、この【神造人】は空中を自在に飛び回れる静にそれ以上の動きで迫ってくる。
「――【突風斬】」
二度、三度と刀による斬撃を回避して、けれど直後に刀を手放し、新たに生み出された薙刀で叩き込まれたその攻撃はさすがの静でも回避しきれなかった。
オーラによって守られ、壊れやすい【思い出の品】でありながら十分な強度を付与された薙刀の一撃を右腕にかぶせた【神造義腕】を盾にして受け止めて、けれどさしもの静も炸裂する暴風までは防御することができずに本来の床面めがけて吹き飛ばされていく。
「ッ――」
追撃の刺突。
静を追って一直線に降ってきたルーシェウスの、突き出された薙刀によるそれをかろうじて【神造義腕】で受け止めて、けれど直後に静は自身のその判断を後悔させられる羽目になった。
薙刀の刀身、先ほど叩きつけられた時は【甲纏】に似た強度補強のオーラに守られていたそれが今度はその加護を絶たれたのかあっさりとへし折れて、直後に光の粒子と化して静の意識へとなだれ込んでくる――。
「城壁だ、静ァッ――!!」
――その直前、離れた位置から援護の機会をうかがっていた竜昇の声に、とっさに静は握る石刃、その新たな権能を行使していた。
「【発射】――!!」
同時に、竜昇が用意していた雷球から光条を発射して、それがルーシェウスではなく静の背後を通過し、光の粒子が流れ込むその寸前に静の足元から石を積み上げたような城壁の一部が聳え立つ。
(雷の光で足元の影の向きを変えて――!?)
影から眼前に飛び出してきた城壁に追撃を遮られ、さしものルーシェウスも刀を止めて静への追撃を断念する。
相手が足元の影から武器を取り出しているのを見て、セリザ同様足元からの武器の射出を警戒し、できるだけ影を踏まない方向から仕掛けるべく立ち回っていたが、さすがにこんな方法で影の向きを変えてくるとは思わなかった。
一応城壁の向こうでは静の意識に【思い出の品】に内包した記憶が流れ込んでいるはずだが、耐性を持つ静ではすぐにその記憶流入を拒絶できてしまうため、生まれる隙はほんの一瞬で回り込むだけの時間には足りないだろう。
そして何よりも、そんな一瞬の隙すらも埋めるように、ここまで距離をとって電力の充填にいそしんでいた竜昇が、周囲に以前の倍の十二もの雷球を配置して発射体制を整えている。
「発射――」
次の瞬間、意外にも雷撃が放たれたのはその竜昇がいるのとは別の方向からだった。
すぐそばにそびえる城壁、その壁面に向こう側からの静の声と共に界法陣が浮かび上がって、城壁そのものを発射台として至近距離から強烈な電撃が浴びせかけられる。
(――ッ、【法台城壁】かっ……!!)
反撃用の術式を刻まれた城壁が放つ電撃に、ルーシェウスの身に着けていた【思い出の品】の装備が一瞬のうちに光の粒子となって砕け散る。
無論自身が習得する【神造界法】で作っている関係上、破壊されても代わりのものはいくらでも用意できるが、それはあくまで時間と意識の処理能力に余裕があればの話だ。
装備破壊の代償に、城壁の向こうにいる静の元へと再び記憶の奔流が流れ込むが、電撃の直撃によって一時的に体の自由が鈍った今のルーシェウスには、それによって相手の生じる隙を突く余裕はない。
「【光芒雷撃】――!!」
背後に置き去った雷球から自身の背へとむけて光条を叩き込み、背を押す力によって飛行の勢いをさらに加速させながら竜昇が槌杖を振り上げる。
その先端、ハンマーのようにも見えるT字の片側にも雷球を配置して、その発射と共に光条の後押しを受けた槌杖をルーシェウスめがけて叩き込む。
「――発射」
「なんの……!!」
光条を受け止めて爆発的な加速と共に降りぬかれた槌杖が、しかし直後になにもない空を切る。
(――なっ、この速度でも、こっちの攻撃を見切ったてのか……!!)
いかに飛行に加えて光条の後押しで加速していたとしても、近接戦闘系のスキルを習得していない竜昇の攻撃はルーシェウスのような達人から見れば直線的で見切りやすいシンプルなものだ。
加えて、いくら電撃によって一時的に自由が利かなくなっているといっても、そもそも不壊性能を有する【神問官】であるルーシェウスでは人間ほど電撃の効果がないという事情もある。
さすがに攻撃を回避するのが限界で、反撃やカウンターを狙うような真似まではできなかったようだが、逆に言えば回避に徹するならば竜昇の一撃をしのぐことはそれほど無茶なことでもなかったらしい。
(――ぐ、距離を――、この間合いはまずい――!!)
「――そして近づいたな。こちらの間合いに――!!」
慌てて加速し、飛行によって距離をとろうとする竜昇に対して、ルーシェウスが飛行能力を持たないことが逆に信じられなくなるような巧みな空中移動で一気に距離を詰めてくる。
単純な飛行能力以外に三種もの移動能力を持っていた静でさえ逃げ切れなかった、達人・ルーシェウスによる超人的な空中軌道。
それによって間合いを詰められて、とっさに竜昇が逃げ切れないと判断し、身にまとう電力を駆使して反撃しようとした、その瞬間。
「――竜昇さん、防御です――!!」
とっさにシールドを展開した次の瞬間、竜昇とルーシェウスがいるその空間へ向かって大量の苦無が投じられ、そのうちのいくつかが命中と同時に人一人をなぎ倒すレベルの暴風をまき散らす。
「――ッ」
至近距離で炸裂する多数の暴風に、竜昇がそれでも飛行を維持して距離をとるのに対して、ルーシェウスの体がこの葉のように軽々と翻弄され、直後に体重を思い出したように離れた位置の床上へと着地する。
「【突風斬】……。やはり体重操作の技法は風の影響を受けやすいのが弱点ですね」
「助かったよ……」
「いえ、こちらこそ。ですが――」
言いながら、竜昇と静は相手が接近にひと手間をかけねばならない空中で制止し、問題なく立ち上がるルーシェウスを見据えて言葉を交わす。
ここまで戦ってきても、この敵が近接と遠距離、どちらの戦闘でも竜昇たちを圧倒できる存在であることはハッキリしてしまった。
現状は持てる武器の性能と立ち回り、そして何より二人がかりであるというアドバンテージを生かしてどうにか食らいついているが、単純な実力差で劣っている以上、竜昇たちはどうにかその不利を覆す一手を探さなければならないことになる。
とはいえ、実のところ相手の厄介さをかみしめているのはその相手であるルーシェウスも同じだ。
(やれやれ、厄介なものだ……。【神贈物】との交戦は想定していたが、まさかこのタイミングで【神杖塔】の継承争いに、【始祖の石刃】の正式選定まで重なるとは……)
膠着状態の中で自身の装備を生成し、こちらの命を狙う二人の様子をうかがいながら同時にルーシェウスもまた思考する。
ルーシェウスたちの培ってきた備え、あるいは優位性とでも呼ぶべきものの大半を無効化される事態になったのははなはだ不本意な話だったが、それでも想定外の事態そのものはルーシェウス自身にとっても望んでいたことだ。
【神贈物】の降臨だけでなく塔の二重継承や石刃の選定が重なった件についても、そもそも神の意に反することが目的であるルーシェウスにとっては、そうした神の作為が疑われる事態はむしろ望むところですらある。
――そしてそれゆえに、今考えるべきはこの状況にどこまで神が関与しているかではない、あくまで目の前の相手をどう打ち破るか、という問題だ。
(敵の手の内に関して、互情竜昇については問題ない……。想定外の相手ではあるが、少なくとも手の内については事前にある程度把握できている)
サリアンの消滅が決まってルーシェウスが【神杖塔】を継承した段階で、あの同胞に何が起きたかを確認する形で彼は竜昇のもつ【終焉の決壊杖】の性能についても把握済みだ。
無論まだ伏せられた手札が存在している可能性までは否定できないが、あれだけ熾烈な戦闘を繰り広げる中で竜昇が後々のことまで考えて手札を温存していたとは到底思えない。
その点、むしろ問題なのはもう一人、この戦いの直前に【神問官】セリザによる選定を受け、【始祖の石刃】の所有者となった小原静の方だった。
(――オハラの娘についても、習得技能については事前に確認が取れている。問題は有する【始祖の石刃】の権能の方――。セリザを下し、正式な所有者となったことで真の機能が解放された、というのはまあわかる話だが――)
従来の、試練達成前の【始祖の石刃】の権能は、石刃の状態で実際に触れたことのある武器に変化できるというもので、他の【神造武装】すら対象とできる破格の性能ではあったものの、一度に一つの武装にしか変化できず、持ち主が変わることで変化の対象とした武装のレパートリーがリセットされるなどいくつかの制約があった。
その点、現在の静が振るう【始祖の石刃】は以前からあった変化能力に加え、石刃の影からコピーした武器を現出させることが可能で、しかもその武器の中に明らかに静自身が写し取っていない、歴代の石刃貸与者がコピーしたものと思しきラインナップが多数含まれている。
まるで【神問官】たるセリザが有していた、【影供の積刃】の権能を追加したような石刃の性能。
だがその一方で――。
(--奇妙だな)
それ自体は納得できると思うものの、しかしルーシェウスどこか納得しかねるものを感じて石刃の存在に眉を顰める。
確かに、石刃の性能の強化と、その内容についてはある程度納得できるものはある。
強化された理由についても、そもそも試練を突破する前と後で性能が変わらないとなれば何のための試練だという話になるから、むしろ何の強化もなかった方がおかしかったくらいだ。
けれど、その一方で。
唯一解せないのは、石刃の権能がどれだけ強化されたところで、結局のところその持ち主が、どうあがいたところであの【神問官】セリザの下位互換にしかなりえないという点だ。
これは何も才や研鑽でどうにかなる問題ではない。
寿命を持たず、老いもしない体で長き時間をかけて鍛え上げていたあのセリザに、たかだか百年生きることもままならない人間が同じ【権能】を与えられたところで、そもそも技量や経験の面で追いつき、上回れるとは到底思えないのだ。
無論、当初予想されていたように、試練の達成状況があのセリザを『打倒すること』であったならば、セリザを超える逸材が同等の権能を得ることでそれ以上の存在になる、という結末もありえなくはないのだろうが、実際には静とセリザの戦いは単純に打倒したとは言えない形で完結してしまっている。
実際に戦ってみても、静はセリザほどあの石刃の権能を使いこなしているとは到底思えないし、いくらオハラの血族たる彼女がこれから研鑽を積んだとしても、死の間際までにあの【神問官】を超えられるとも思えない。
これは何も静の素養や能力に不足があるという話ではない。それほどまでに、あのセリザという【神問官】が破格の存在だったという話なのだ。
けれどもしそうだとするならば、
あれだけの試練突破し、手にするものが、その試練の主たる【神問官】の劣化コピーになれるだけの力であるなどと、そんな展開が果たしてあの神の筋書きにあり得るのだろうか。
(――どうにも読めんな。そもそもあのセリザという【神問官】の存在には、どこまで神の筋書き通りだったのか不透明なところがある……)
もともとセリザの試練は、あまりに長く突破されることのなかった経緯から、当のセリザ本人がバランス調整の失敗を疑っていたような内容ではあった。
結果としては、そうした予想されていた条件とは明らかに違う形で試練が突破されてしまったわけだが、それとてこの塔内の戦況を考えれば、【神贈物】を与えた竜昇が組みそうな静という人間に、その戦力を底上げするために【始祖の石刃】が手に渡るよう、神が後押ししたという可能性も考えないわけにはいかない。
もともとルーシェウス自身は、そもそもセリザの試練のバランス調整のミスという説事態を疑っていた立場だったのだが、ここまでの事態が起きてしまうとどこまでが神の作為なのかわからなくなってしまう。
(……ダメだな、結局のところ堂々巡りになるだけか……。あるいはオハラの娘の記憶を読めばわかることもあるのだろうが――、さすがにこの状況でそれをやるのは本末転倒か……)
そうして、互いに相手を分析し、時に余分な思考を脳裏から取り除きながら、再び両者は互いの命を屠り去るべく激突を再開する。
技量の面ではルーシェウスが勝りながらも、手札と人数を駆使して竜昇たちがそれに食らいついて生まれる拮抗した戦い。
そんな短いながらも本人たちにとっては十分に長い、本人たちにとっても不本意な綱渡りのような時間が、その戦場では延々と続いていたのだ
――その時が、来るまでは。




