303:圧倒する現実
「【曲光斬】--!!」
剣に宿した残光の光が、その剣を振るう動きに合わせて鞭のような軌道を描いて周囲にいる擬人たちを切り捨てる。
逃れたハイツを追うことなくこの場に残っていた擬人たちが、しかし部隊の中核をなす愛菜が呆然と立ち尽くしてしまったことで統制を失い、やむなくそれぞれの判断で理香へと襲い掛かって、合えなくその弱点である赤い核を振るったその斬光によって両断される。
「――ッ、理香、さん――、どうして……!?」
「――どうして、というなら私の方からお聞きしたいですね。
そもそもな話、わたしたちのこれまでの道のりでこの【擬人】、いえ、【影人】達が味方だったことなどなかったではありませんか。なのにどうして、あなたはこの【影人】達を味方のように扱っているのです?」
「――え、なんで、って――」
この場を観測していた竜昇からの情報共有によって、理香が明らかに何らかの精神干渉を受けたかのような言動を見せていることは事前に知っていた。
もとより及川愛菜は精神干渉への耐性を持たない普通の人間。具体的に彼女がどのように精神をいじられているかは定かではないが、それでも実際にこうして相対してみればその内容は多少なりとも想像がつく。
及川愛菜を守るように立ちはだかる、馬車道瞳の、沖田大吾の、そして中崎誠司の死体を素体とした、かりそめの命を吹き込んだ死体人形の擬人を目の当たりにすれば。
「それはなかなか悪趣味ですよ、愛菜さん」
口にした次の瞬間、瞳のそばに寄り添うように立つ誠司が杖を振るって大量の黒雲を噴出させて、とっさに理香が身をかわした次の瞬間、その雲の壁を突き破るように突っ込んできた瞳が、直前まで理香の後ろにあった給水タンクに力任せの一撃を叩き込んで叩き割る。
まるで重機の一撃を受けたかのように凹んで割れたタンクの内から勢いよく水が噴き出して、あたり一面が水浸しになり、そしてその水を伝って黒雲から電撃がほとばしる。
「それは悪手でしょう――」
だがそんな攻撃が届くよりも一瞬早く、理香の両足が地を蹴って、それによって上空へと重力を感じさせない身軽さで飛び上がった理香が左手に握るソードブレイカーを一閃させる。
舞い散る火花、触れて火傷するかも怪しい熱源に見えて、その実極小サイズにまで小型化された爆弾であるそれが、術者から一定距離が離れたことで一斉に条件を満たして起爆して、地上にいる瞳とその側に立ち込める黒雲を一瞬のうちに爆炎で飲み込み、同時に多重の轟音をあたり一帯へと響かせる。
この場の戦場に飛び込むにあたり、理香は静から瞳の遺品である【玄武の四足】の内、その両足に当たるグリーブを返却されて装備して来ている。
もともと、失ったレイピアの代わりに長剣を武器とする関係上、右手に触れたものを軽量化する【羽軽化】の効果を宿した【玄武の右腕】を装備していた理香だったが、今はそれに加えて自身を中心にドーナツ型の重圧をかける【加重域】と、そして自身の体重を軽量化する【羽軽化】という二つの界法を装備という形で身に着けてきているのだ。
これは装備していた静が【始祖の石刃】の正規な所有者となったことで武器のレパートリーが増え、両足の装備がなくても代替手段が確立されてしまったからこそできたことだが、同時に戦いに臨む理香自身が静に頼んで返却してもらったという側面が強い。
理性に根差した戦力の再分配、そういった冷静な思考とはまた違う理香自身の感傷によって、一度は譲渡したその装備は再び理香のもとへと戻ってきた。
何の因果か、かつての持ち主と相対する、そんな戦いの場で。
「……さすがに、何の補強もされていないというわけではないようですね……」
側面を裂かれた給水塔の上へ、体重を消した軽やかな動きで着地しながら、理香は今しがた爆破したその場所に、瞳の死体人形が傷一つない姿で立っているのを視認し、目を細める。
本来の瞳であれば防御できたはずのない、周辺全ての爆破という攻撃の中で無事でいられた理由は実に単純だ。
瞳自身、敵が使うところを何度も見てきた球体防御。竜昇たちを筆頭にシールドなどと呼んでいる、生前の彼女が習得していなかったそれを、しかし死者となって別の存在と化した瞳が今まさに使用していたからだ。
「その界法は、使ってくる敵は多いくせに、私たちが誰も習得できなかったもののはずですが……」
紡ぐ言葉を遮るように、高台に建つ理香を狙って、付近の雲の内から何かが撃ちだされ、それが理香のもとへと届く寸前その周囲にドーナツ形に展開された重力力場に叩き落とされる。
命中させた相手に電撃の追加効果が発動する、ガントレットと一体化したクロスボウによって放たれた一本の短矢が。
「とはいえ、こちらの防御だって悪くはないでしょう? なにしろ、足りない手段を補うために誠司さんが知恵を絞って作成した装備ですからね」
「――理香、さん……、なんで――、なんで――!!」
「なんで、というのは何に対する疑問ですか? 味方だと思っていた私が敵に回っていること? 私が瞳さんの装備を使っていること? それとももっと別の何かでしょうか――」
「――そん、なの……!?」
「ねぇ愛菜さん、あなたは今、何を相手に、なぜ、誰と共に戦っているのですか?」
塔の内外で用いられる精神干渉、思考を誘導し、認識を阻害し、植え付けた記憶を本物の過去と思い込ませる邪属性の界法は、しかし矛盾する現実を突きつけられる状況には脆弱だ。
一応聞くところによると、術者の技術によっては言葉で言い聞かせたくらいでは思考誘導や認識阻害に阻まれて正気には戻せないということだったが、それでも思い込まされたイメージと両立できない現実を目の当たりにすれば、上から書き込まれた幻想は瞬く間に綻びが広がり瓦解してしまう。
前回愛菜が精神干渉の術中に落ちた時にはそうした予備知識がなかったために試さなかった手段だが、対応法がわかっているなら今の理香に試さない理由はない。
ゆえに、現実を突きつけ、矛盾を指摘し、愛菜本人に思い悩ませることで彼女の精神を現実へと引き戻そうとそう試みて――。
「――!!」
「……【横断豪雨】」
案の定というべきなのか。
愛菜がいるのとは別方向にある黒雲の内から、強烈な暴風と共に大量の雨水が真横に走るような形で叩きつけられ、高所にいる理香を叩き落とすべく横やりを入れてくる。
それに対して、理香は攻撃の予兆を寸前に察知して給水塔から飛び降り、巨大なタンクを盾にしてその影へと潜伏。
続く攻撃に備えて左手の籠手へと法力を注ぎ込む。
「第二形態――大円盾」
「……【雹弾幕】」
流し込む法力量によって段階的に大きさを変える盾の術式が発動し、全身を隠せるサイズの大盾が展開された次の瞬間、先ほどまで雨水だった弾丸が氷へと変質し、斜めに打ち出されたことで遮蔽物を飛び越え、空中に弧を描く形で理香のもとへと降ってくる。
(やはり……。あの誠司さんたちの遺体を使った擬人は、愛菜さんを正気に戻させないための見張り役でしたか……!!)
重い金属の塊である大盾を重量軽減の界法で体ごと軽量化して傘の代わりとし、盾を担いで雹の弾丸の中を駆け抜けながら理香は別の遮蔽物の影へと姿を隠す。
案の定、上空から降り注ぐ雹の弾丸はそんな理香を追えずにほどなく途絶えて、姿を隠した理香への攻撃が目標を見失ったことにより中断される。
理香自身がかつて所属していたこのパーティにおいて、及川愛菜の存在は視界を封じた状態で相手の位置を察知するための第二の目だ。
物体内部に神経を通わせてその神経に触れるものを察知できる【体化スキル】の存在に加え、及川愛菜という少女は【索敵スキル】や【斥候スキル】など、敵対者の存在や位置をいち早く察知するためのスキルをいくつも習得していた。
これはビルの攻略を開始した当初、どこから危険が襲ってくるかわからない中、いち早く敵の存在を察知するためのスキルを、スキルを最初から一〇〇パーセントすべて習得できる愛菜に優先して習得してもらっていた結果なのだが、そうした理由ゆえにこのパーティーは、視界を自ら塞いでもある程度敵の位置を割り出して攻撃が可能になっている反面、目の役割を果たす愛菜が機能不全に陥ると途端にその強みを生かせなくなる弱点を抱えていた。
無論それを補う広範囲攻撃なども用意されている訳だが――。
「【加重域】――!!」
「――【羽軽化】」
誠司の隙を埋めるように、彼に代わって瞳が重圧の界法を最大出力で使用して、けれどその範囲内にいた理香はといえば、重圧の界法を重量軽減の界法で打ち消して、周りの物品が潰れひしゃげるそのさなかでも変わらず動きながら相手を【観察】し続ける。
(あの瞳さんの擬人、【玄武の四足】を装備していないのに重域系の魔法を操ってる……)
装備が変わっているというなら誠司のも同じだが、この二人の装備はそもそも破壊されているか、あるいは今理香が瞳の【玄武の四足】のうち三つを装備しているように他者が引き継いでいるかのどちらかだ。
恐らく、失われた装備は似通ったものを調達するか、あるいは擬人自身が同じ界法をスキルシステムによって習得することで補っているのだろう。
逆に言えば、今の瞳はかつて装備頼りで使っていた界法を自前で使えるようになっているはずなのだが、それにしては今の彼女はかつての生きた人間だったころに装備で使っていたものと同じ使い方しかしていない。
(妙な構成ですね……。生前から強化しようとしていればもっと強化できたはずなのに、新たに加わっているのはせいぜいシールドくらい……。いえ、そもそも妙というなら愛菜さんとこの三人を組ませていること自体――、ッ――!!)
思った次の瞬間、理香の右足に何かが絡みつくような感覚が襲い、同時に付近に残る雲を突き破って三体目の死体人形たる大吾が剣を振りかぶりつつ現れる。
そんな大吾の握る剣が、どこか聞き覚えのかすかな音を、まるで獣の唸り声のように上げているのを耳にして――。
(――ッ、そうか……!!)
思った次の瞬間、振り下ろされる剣の一撃を、しかし理香は自身の剣を輝かせながら防御して、剣が鳴らすその音ごと受け止める形でその一撃を防御していた。
(――ッ、力では、負けていても――!!)
さらに接触のその直後、押し切られそうになる膂力の差を、理香は右手の籠手の【羽軽化】を発動させて、相手の体重を軽くすることで対抗して見せる。
無論それでも男女の筋力差、互いに法力で身体能力を底上げしているとはいえ、体格や筋力の優位を覆すには足りないこの状況では拮抗するところまでで精いっぱいだったわけだが――。
「理香さん――!!」
(来ましたか……!!)
この場に駆け付ける際カインスの援護のために別行動をとっていたもう一人、渡瀬詩織の合流と参戦をかけられた声によって察知して、即座に理香は鍔迫り合いを行っていた大吾に対して右手のガントレットから【羽軽化】の法力を流し込む。
直後、空中を蹴りつけ合流してきた詩織が横から蹴りを叩き込み、【功夫スキル】の技術を反映したその一撃が体重を失った大吾の体を軽々と跳ね飛ばして敵陣をめがけて叩き返す。
「詩織さん――、周囲の敵の数は――!?」
「――ちょうど四人。さっき邪魔なのを一体片づけたから、相手にしなきゃいけないのはあの四人だけ」
「――一人と三体、ですか……」
足に絡みつく金網のフレームと思しき【体化】の末端を【斬光】によって切断しながら、理香は元から立ち込めていた黒雲がさらにその密度を増していくのを視認する。
体化スキルで操られた金属フレームが理香の足止めを図ったことを考えても、愛菜が再び敵に回ったことは明らかだ。
おそらくここからは黒雲で視界をふさいだうえで、張り巡らされた【瞑想神経】の神経網でこちらの位置を割り出し、一方的に的確な攻撃を叩き込む本来の戦術が襲ってくることになる。
ただしそれは、あくまでもこの場にいるのが先口里香と、そして渡瀬詩織でなければの話だ。
「雲の方は私が対応します。詩織さんは――」
「――うん、足元……!!」
狙い定めるは足元に広がる【瞑想神経】の神経網。
法力の感覚を音としても捕らえる、詩織固有の共感覚たる【魔聴】と呼ばれるその感覚で広がるそれらの位置を正確に補足して、詩織は足元の金属フレームを蹴り上げ、空中でそれを踏みつけ、そのまま地面に叩きつける形で足元へとその一撃を叩き込む。
「【絶叫斬】――!!」
「――づ、ぅ――、ァァアアアアア――!!」
炸裂する指向性の爆音波。
至近距離で浴びせれば容易に人間の鼓膜など破れるほどの音という名の振動が、寄りにもよって振動を感知する【瞑想神経】全体に炸裂してしまったことで、それら神経の先にいる術者が押し寄せる感覚に耐えかね悲鳴を上げる。
さらに――。
「【火花吹雪】」
振りぬかれたソードブレイカー。まるで櫛のように刃の背にギザギザとした突起のようなものが並んだその短剣に込められた界法が発動して大量の火花があたりに散って、術者である理香から一定の距離が離れたところで一斉に起爆し、あたりに炎と爆風をまき散らす。
立ち込めていた黒雲が、そして屋上の地面がその爆撃によってなすすべもなく吹き飛んで、視界をふさぐ黒雲と、そして足元に広がる神経網とを軒並み吹き飛ばして無効化させる。
「その戦術は、私と誠司さんが毎夜頭を悩ませて構築したものです」
黒雲が吹き飛んで晴れた視界の中、姿を現したかつての仲間と同じ姿をした敵集団を見据えて、先口里香はどこまでも冷たい、だからこそ感情に満ちた声で言い放つ。
「姿だけなぞったまがい物の猿真似が、その戦術を知り尽くした私たちに通じるわけがないでしょう」




