287:最高戦力
【神造人】アーシアが【神造物】を擬人化しない理由についていくつかの理由を考えていたブライグだったが、実際はその中でも彼が有力視していた『条件・リスクを伴うから』というのが正解だった。
そしてこの『条件・リスク』を理由とした制限は何も【神造物】の擬人化に限った話ではない。
アーシアが生み出す擬人、その大半が知能・自我共に低いレベルに抑えられている理由もまた、ここでいうところの『条件・リスク』が大きく関係している。
そう、実のところアーシアの【模造心魂】は最初から【擬人】を高度な知性と自我を持った存在として生み出すこともできるのだ。
にもかかわらず、アーシアがそれをしない最大の理由は、下手に知能や自我を与えてしまうとアーシアたちの命令に従わず、それどころか彼女たちに反旗を翻す危険があるからに他ならない。
視認した無生物を対象に模造の魂を注ぎ込み、人間とも物品に憑りついた化身ともつかない【擬人】を生み出すことのできる【模造心魂】と言う神造物だが、それによって生み出される擬人、その性格や行動原理と言った固有人格については生みの親が完全に自由に設定できるというわけではない。
誕生する【擬人】の固有人格は素体となった物品が過ごしてきた時代の記憶、とりわけその所有者との関係性に依存するところがあり、仮に敵対する相手の持ち物を【擬人】化した場合、高度な知性を与えてしまうとアーシアたちの命令に従うどころか本来の持ち主である敵対者の方に味方し、かえって敵戦力を増やしてしまうリスクをこの【神造物】は孕んでいるのである。
そしてこの問題は、魂を込める素体が【神造物】となるとその危険性が未知数に跳ね上がる。
なにしろ【神造物】とはアーシアたちの敵である神の手によって生み出され、そして所有者との間に特別なつながりを形成する物品である。
幾度かの実験で、【擬人】達の忠誠心は創造者よりもどちらかと言うと所有者に対しての方が強く出る傾向があることは確認されているが、どちらにせよ他人の【神造物】の【擬人】化などたとえ知能や自我の低い状態で生み出したとしても相当に危険だ。
そうした事情故に、アーシアは自身の所有物を【擬人】化するとき以外は極力自我や知能を与えない形で実行し、【神造物】に至っては意図的に【擬人】化の対象から外して不用意に誕生させてしまう事態を避け続けてきた。
ただし、それは逆に言えば。
アーシアの連れている執事や侍女の大半がそうであるように、素体となる物品がアーシア自身の所有物、それも長く同じ時間を過ごした愛用の品でさえあれば、例え【擬人】化の際に高度な知性や人格を与えてしまっても――。
なにより、【神造物】を素体に【擬人】化したとしても、破格の力を持ったその【擬人】が、所有者であるアーシアに逆らう危険のない、主に忠実な強力な配下になりうるということで――。
空へと向けて多数の濁流が翔け上がる。
筒状の空間内に広がる都市の一画、その各所に設定されたマンホールから一斉に噴出した大量の水が。
幾筋もの奔流を形成し、重力に逆らい空へと昇って、そしてその先で一つに集まり、宙を泳ぐ巨大な鯨の体を形成していく。
(この【擬人】――、確かアパゴ達が遭遇して討滅したという――)
重力に逆らう濁流へと飲み込まれ、その勢いに押されて宙で待つ鯨の腹へと飲み込まれながら、同時にアパゴは今目の前にいる敵について、事前に得ていた情報で類似する存在がいたことを察知する。
ブライグ自身その場にいた訳ではないし、今となっては討滅した本人たちに話を聞くこともできなくなっているわけだが、一方で彼を含めた【決戦二十七士】のメンバーは、この敵についての情報を竜昇達【プレイヤー】から提供された記憶と言う形で入手していた。
思い当たるのは彼らプレイヤーの一団とアパゴ、そしてハンナの【決戦二十七士】二人が衝突した際に、途中で乱入し、そして場をひっかきまわした末にアパゴに討滅されたという水の怪物の存在。
(記憶情報で見た時から明らかに他と違う、一線を画した強力な個体だとは思っていたが――、よもや再生産されていたのか――? だが――)
単なる塊に見えて実際には内部でも常に激流と言っていい流れが発生しているらしい鯨の体内で流されながら、ブライグは記憶の栞によって得ていた情報と、今目の前にいる存在との間にある差異に着目する。
なによりも渦巻く水流の中心でこちらを眺める、以前のモノとは明らかに違うこの水怪の本体について。
『おかしいね、オカシイね――。溺れない、溺レないよ――。なんで、なんデ?』
視線の先、鯨の体の中央で漂う、人間サイズのクラゲともドレスを着た少女とも取れる水の塊から、水中だというのに聞き取りやすい、やけに響く声がブライグの耳へと届いてくる。
とは言え、そんな相手の言葉に律義に答えてやるほどブライグは親切でもなければこの敵を舐めてもいない。
(プレイヤー達の記憶で見たモノより人間に近い……。それに小魚のようだった前回のモノと違って言葉をしゃべっている……)
一度倒された擬人に再度魂を込め治せるというのもそれはそれで問題ではあるが、それ以上に厄介なのはやはりそうして生み出されただろうこの擬人の能力だ。
記憶で見た際にも、他の擬人と比べて能力の高さが際立っていた個体ではあったが、この短期間に前回の個体以上の能力を与えて再生産されたとなると、これまでブライグの【模造心魂】の性能についての推測が若干嫌な方向に絞り込まれてくることになる。
(前回の個体が撃破されてすぐ新たな【擬人】を生み出したのだとしても、この短期間でここまで人に近い状態まで真っ当に成長したとは考えにくい……。
加えて、これだけの規模でありながら法力違和の少ない液体操作能力となれば権能が絡んだ、恐らくは【神造物】の【擬人】化……)
高い知能を持った【擬人】の生産と【神造物】の擬人化。
どちらも単純にできないか、できたとしても何らかのリスクや条件を伴うと予想していたそれらが曲がりなりにも可能であると証明されてしまったこの事態に、ルーシェウスは水中で身を躍らせたまま表情に出さずに胸の内でしたうちする。
厳密には、知能を獲得するレベルへの成長についてはルーシェウスが持つオリジナルの【跡に残る思い出】の力と言う可能性も考えられたが、たとえそちらだったとしても思い出の品さえ用意すれば条件をクリアできてしまう以上厄介であることは変わらぬ事実だ。
同レベルの【擬人】を量産していないことから考えて多用できる手段でないらしいことは救いと言えば救いだったが、それでもこの先厄介な【擬人】が増えかねないというのはブライグとしても頭の痛い問題ではあった。
否、それ以前に。
そもそものこの現状、ウォーターパークでの戦闘の時よりさらに多い量の水の塊が、人間を閉じ込める牢獄として機能している時点で問題は大きすぎるくらいだ。
「ゴボ――」
と、次の瞬間。
今まで平静を保っていたブライグが突如として口から気泡を吐き出し、敵を前にした状態だというのに苦し気に体を丸めて明白なまでの隙を晒す。
そしてそんなブライグの様子を見逃すほど、この敵が甘い相手であるはずがない。
案の定、水の鯨の中心で漂うクラゲの令嬢の周囲でその水を凍結させたらしき氷の槍が生成されて、流水の後押しを受けながらブライグの元へと一直線に撃ち込まれてくる。
呼吸できずに苦しみ、防御するどころではない人間など一瞬のうちに串刺しにできるだろうそんな攻撃に、ブライグは――。
「――応法」
即座に手の中の剣を盾に変え、撃ち込まれる氷槍を受け止めてそこに込められた運動エネルギーを吸収すると、即座にその盾を剣へと戻して氷の槍と共に(・・・・・・)その剣を振りかぶる。
まるでブライグの動きに追従するように、盾に弾かれながらも砕けずに残っていた氷槍が射出態勢を整えて、剣を振り抜くブライグの動きに合わせて本来の攻撃の主へと向けて一斉に放たれ飛んでいく。
『ふしぎ、フシギだね』
とは言え、無駄のない動きで即座に行われたとはいえ、距離を置いての応酬では相手も攻撃に対応できないはずがない。
撃ち返された氷槍に対し、令嬢クラゲはたいした反応も見せずにただ周囲の水流を操作するだけで対応して、正面から押し寄せる流れの中で氷槍がみるみる溶けて、やがて敵の元へと到達するその寸前に全て溶け去り、消滅する。
『ぶつかったのに、こわれない、フシギ……。こうげき、かえす、かえしかた、ふしぎ……。
けどなにより、アタシの中でおぼれない、ふしぎ……』
(やはり、この周りの水、単に流れを操作できるというだけではないな……)
『あなたは、水の中でもいきれる、おさかなさん? それとも、ふかくもぐれる、くじらさん?』
(言葉はつたないがこちらの手の内を分析する脳はある。もとより疑っていたから遠隔攻撃で探りを入れてきたのだろうが――。これは既に胸の内の【神造物】についてもあたりをつけられていると見ていいな)
水に飲まれてからすでに数分が経過していながら、ブライグがいまだおぼれずにいる理由はなにも肺活量に優れているからではない。
否、実際のところ肺活量については優れているなどと言うレベルの話ではないのだが、その優れている理由がブライグ自身が鍛えた結果でもなければ、アパゴのように強化を重ねることで活動可能時間を引き延ばしているわけでもないのだ。
【神造心肺・胸の内の未来に向けて(ヘルスインベスター)】。
それこそがこの戦いに挑むにあたってブライグがその胸に移植して来た、そして水中での長期生存を可能としている【神造物】の名前だ。
持ち主となることで自動的に本来の臓器と置換される、異次元の容量を持つ肺と血液成分を常に最適化する心臓とが一組になった【神造心肺】。
かつて病により大人になれないとまで言われながら、たぐいまれなる才能を示した一人の少女にもたらされ、その少女を齢百を超える老婆になるまで生存させたという、所有者の生存維持と健康管理に特化した【神造物】。
長い歴史の中で寿命を延ばすその権能から後継者争いまで引き起こされ、結局教会が管理・封印する羽目になったというそんな物品を、今回ブライグはこの戦いのために上層部と交渉し、その胸の内に収めて持ち込んでいた。
オルドから継承した【我がために燃ゆる炎】を扱う際に、ブライグが体内でその炎を燃やして吐息とともに吐き出す戦法をとっていたのもこれが理由だ。
なにしろこの【神造心肺】、通常人間が肺にため込める量とは比べ物にならない容量の空気をその肺の部分にため込むことができるのだ。
そんな肺を胸の内に収めている今、ブライグは戦闘中に息を整える必要すらなく、吐き出す吐息は界法の補助なしでも炎を広範囲にまき散らせるほどの容量に達し、そしてたとえ水中に飲まれたとしても、三日三晩無呼吸のまま戦闘を行えてしまう。
心臓の方にしても、血液成分を最適化する権能の存在ゆえに毒物などは即座に分解され、同じ理屈で病気にもならず、怪我などしても通常よりもはやい速度で治癒するという、そんな体質に今のオルドはなっている。
もっともそれは、今のオルドを明確に何らかの形で傷つけることができるならの話だが。
(とは言え、この状況はあまりうまくないな)
「おぼれないね。おぼれない。まっていてもあなたはおぼれない」
(この敵の手の内でこちらの予想が正しければ、こやつは先ほどの敵群などよりはるかにこちらに甚大な被害を与えうる……!!)
「だったらテを、かえて――、――!?」
その瞬間、敵が何かを仕掛ける前に、今度はブライグの方が敵であるクラゲ令嬢へと向けて次の一手を仕掛けていた。
自身の両足、【神造義足・地に着く両足】の権能を行使して敵本体へ突貫。
同時に、口から空気と共に輝きすぎる神造の炎を吐き出して、その身に炎をまとうと共に水に火をつけ(・・・・・・)、移動と同時にその炎をまき散らす。
相手が水であったためか燃え広がる速度は決して早いとは言えないものだったが、それでも消せない炎が燃え広がるというその事態は深刻だ。
どれだけ莫大な量の水で守りを固めていたとしても、それが文字通りの意味で火の海となってしまっては、どれだけこの敵が守りを固めていたとしてもその守りそのものがこのクラゲの令嬢を焼き殺す巨大な窯となってしまう。
その上で、さらにブライグ自身も水を蹴り裂いて向かってくるという、通常ならば片方だけであっても対応困難な二種類の攻撃に、しかし――。
「ぬ……!?」
水の壁を突き破りながら進むブライグに対して、どうやら敵は水流を正面からぶつけて来たらしく、まるで流れに逆らっているかのように感じる水の抵抗感がひときわ増大する。
対して、令嬢クラゲの方はブライグから離れる逆の流れを生み出してそれに乗ると、水流によって勢いを減じたブライグから逃れてそのまま距離を取り始める。
さらに水中にまき散らした神造の炎についても、この敵の対応は酷く的確だ。
(この水流、【我がために燃ゆる炎】の着火部位すらも、まとめて押し流して体外に排出しているのか……!!)
自身が火をつけた水、その周囲が丸ごと巨大な鯨の外に流れ出しているその様子を振り返って視認し、ブライグはこの相手の知能の高さをその身で改めて実感させられる。
さらに――。
(――ッ、こやつ、流水の中に氷の刃を乗せて――!!)
自身の体に何かがぶつかる感触を立て続けに受けて、ブライグはようやく自身にぶつかる流水の中に、目に見えない氷の刃がまぎれているのをわずかに遅れて知覚する。
この場にいるのが今のブライグ(・・・・・・)でなければ、その時点でその身を複数の氷の刃に貫かれて重傷を負っていた。
ブライグ自身がそう自覚するのとほぼ同時に、そんな攻撃を仕掛けたクラゲの令嬢側も、殺す気で放った不意の一撃が効果を見せなかったことに水でできた体の首をひねっている。
『キレないね、ササらないね……。フツウなら、これで血が出るはずなのに……』
氷の刃がいくつも直撃しているはずなのに、出血一つしていないブライグの様子に疑問を覚えたのか、水流の向こうから謳うような声で令嬢クラゲが疑問の声を投げかけてくる。
実際、相手にしてみれば疑問ではあったことだろう。
なにしろブライグは来ている服の各所に裂けた箇所こそあったものの、その下の皮膚には一切の傷がついていないのだ。
そんな状態故に攻撃が効かぬ理由をしばし思案して、やがてクラゲの令嬢は己の首にかけていた、いくつもの瓶が数珠つなぎになったものの中から一つを選んで流水の腕でそれを掴み取る。
「――ソは、あるべきにカわるじゅん水」
それは本来なら彼女ではなく、彼女の主が口にするべき聖言。
「海をもソめる、リソウカのナミダ」
その瞬間、掴まれた小瓶から首飾りに繋がれていた栓が抜けて、中を満たしていた一滴の液体がクラゲの令嬢の、その液体でできた体の中へと取り込まれて――。
「――【濁りなく染める一雫】」
「211:流れ着いた階層にて」、本文中で【聖染水滴】と表記していたところを【濁りなく染める一雫】に変更いたしました。




