285:戦士の長
ブライグがこの場を探り当てられた理由、【神造義眼】と言うアーシアの推測は間違っていない。
ブライグがこの場所を知ったその理由は、彼の両目の代わりを務める【神造物・相関察眼】の権能によるものだ。
所有者の意図した関係性を視覚化し、人物同士をつなぐ糸として視認することができるようになる【神造義眼】。
この義眼を使えば、親兄弟のような血縁関係から友人・仲間・同僚と言った交友関係、はては犯罪の被害者と加害者の関係や共犯関係、自身に敵意を持つもの、自身が敵と認識するモノとの敵対関係すら、その相手と自身を繋ぐ糸と言う形でその関係性を視覚化できてしまう。
そして糸として繋がっているのであれば、そのつながりをたどることで相手の居所を探ることも可能だ。
元々は犯罪捜査に使われたものの、あまりにも社会の裏側を暴きすぎるが故に教会関係者が継承する形で回収し、同じように人類社会においては野放しにできないと判断された【神造物】と共に封印されていた教会秘奥の危険物品。
そんないわくつきの代物を、しかしブライグはこの戦いに挑むにあたり、この【神造義眼】を自身の生来の眼球と入れ替える形で持ち込んでいた。
そして今、ブライグからアーシアに仮初にでも求婚の申し出が行われたことで、ブライグとアーシアの間に新たな関係性が結ばれる。
それこそ、ブライグのような男の人生の中ではそういない、それこそ今は亡き妻以外ではこの【神問官】の少女しかいないような、ブライグの求婚を受けた相手と言う唯一無二の関係性が。
(やられた)
その瞬間、盾を構えたメイドのミラーナは、相手の【神造義眼】の性能こそわからなかったものの、ブライグの求婚が【神造物】の効果を強めるために必要な、何らかのマーキングであることは即座に察していた。
曲がりなりにも、ここにいるのはアーシアを守るために念入りに戦闘能力を詰め込まれた精鋭だ。
対【神造物】戦闘を想定している関係上、らしくもない突然の求婚が何らかの条件を満たすための行為であることくらい容易に読み取れる。
「―-はッ!? え、ちょッ、結婚――!? そりゃ、アタシだって見た目通りの年齢って訳じゃないけど、だからって--!?」
『なぜこの状況でそんなマジな反応ができるのですか、お嬢様』
ただ一人、その手の戦闘思考が碌に身につかなかった、ミラーナの背後に控える主人本人を除いては。
天井に逆さまに立つブライグの方からも『真に受けたのか、これを――?』と言う驚きが表情や声に出ない、雰囲気という形で伝わって来るが、しかし擬人たちの主についていえばこんなウソに大真面目に引っかかっているのだ。
(まあ、いいでしょう。もとよりお嬢様に何ができるとも思っていません)
そんなことよりも、今は目の前のこの男のことだ。
ブライグ・オーウェンス。
【決戦二十七士】を束ねるこの男についても、今回の最終決戦を行うにあたり、ミラーナ達擬人部隊の者達はその手の内を徹底的に頭に叩き込んでいた。
特にこのブライグと言う男については、前回【神杖塔】に攻め込んできたときも参加していたため情報は比較的多く、少なくともこれまで見せて来た手の内についてはおおよそ把握しているつもりでいた。
ただし逆に言えば、ミラーナ達が把握しているのはあくまでここに来るまでブライグが見せて来た手の内についてだけだ。
自分達や主の居場所を特定できる【神造義眼】の存在など無論把握していなかったし、それに--。
『ブライグ・オーウェンス……。あなたが新たに手にした【神造物】はその目だけではありませんね?』
やたらと勘の悪い主に変わり、ミラーナは彼女の配下の頭として天井に立つ男に対してそう問いかける。
『先ほどから空を飛んだり天井に立ったりと不自然な挙動をしているのに、貴方からは一切法力違和を感じない……。
なにより、そもそもあなたは前回の戦いの中で右腕を失っていたはずです』
十八年前の、前回の戦いの記録を探ったからこれについては間違いない。
ブライグ・オーウェンスは前回の戦いの際、激しい戦闘の中で差し向けられた当時の【擬人】の一体によって右腕を斬り落とされている。
にもかかわらず、失ったはずの右腕が今こうしてついていることを考えれば、その理由はおのずと絞られる。
(なんらかの方法で再生させたか、あるいは義手か)
再生については、そう言った【神造物】が存在する可能性があるというだけだが、義手についてはそうではない。
なにしろあの世界では、戦乱続きで手足の欠損など珍しくもなく、技術の発展によって【神造物】を模倣した義手、義足が数多く出回っているのだ。
当然、それらの中でも特別製と言える義手をブライグが文字通りの意味で手にしている可能性は低くない訳だが、しかし厄介なことに、ミラーナの直感が訴える正解はさらに厄介なもう一段奥にある。
『あなたのその腕、【神造義腕】ですね? いえ、それだけじゃない。天井に立つ権能が腕の機能と言うのは、無いとは言いませんが違和感がある……。
恐らくそちらの権能は目や腕とは別口。何かの装備品か、あるいはその両足そのものが【神造義足】なのか……』
「え?」
ミラーナの背後で、人ならざる【神造人】の少女が信じがたいとでもいうかのようにわずかに声を漏らす。
それはそうだろう。なにしろミラーナの予想が正しければ、この男がやったことは常人なら思いついてもそうそうやらないだろう行いなのだから。
「アンタ……、いったいどれだけ肉体の部位を【神造物】と取り換えてるのよ……!!」
戦慄と共に口にしたアーシアの言葉に、天井に立つブライグが口元だけでニヤリと笑う。
アーシアの脳裏に、【新世界】のサイボーグと言う言葉が浮かぶ。
もしもミラーナの予想が正しいのだとすれば、今目の前にいるブライグと言う男はいわば【神造サイボーグ】とでも呼ぶべき存在だ。
と、そんな風に。
予想外の人体改造を行ってきた敵の在りようにアーシアが意識を奪われていた、次の瞬間――。
「――!!」
轟音と共に、ミラーナが構えた大盾に、つい先ほどまで天井に立っていたはずのブライグの蹴りが猛烈な重さを伴って突き刺さる。
「――ヅ、ゥ――!!」
強烈な、全体重を込めたその蹴りに、たまらずミラーナが背後へと向かってたたらを踏んで、しかし盾だけはどうにか構えを維持して背後にいる主人の壁になるように後ずさる。
同時に炸裂するのは、周囲ですでに界法を準備していた他の擬人たちの一斉砲火による攻撃。
だが――。
「--んんんゥッ――!!」
砲撃に囲まれるその寸前、ブライグは空中で素早く体勢を整えると、そのまま空中で、まるで真横に落ちるように距離をとっていた別の擬人の顔面へと飛び蹴りを放っていた。
『――ゴ、ぉ――!!』
人と変わらぬ外見をした擬人の頭部が内部の核ごと砕かれて、執事の一人だったその擬人が黒い煙となって霧散する。
そして擬人の一人が消滅するそのさなかにもブライグの動きは止まらない。
次は斜め上へと、今度は天井ではなく壁へと向かって垂直に着地して、その直後には重力など無視してまたも法力違和のない足取りで一直線にその壁を走り始める。
(ヘンドル・ゲントールの【天を狙う地弓】とは違う……。重力方向の変更ではなく任意箇所への落下……?)
次々と放たれる法撃から壁を走って逃れるブライグの姿に、ミラーナは主人を背後に庇いながら相手の不可解な動きの正体について推測を重ねる。
だが多少考えたくらいでは、いくらなんでも【神造物】の具体的な能力の詳細まではつかめない。
加えて厄介な点があるとすれば、それは相手の権能の詳細を探っているのが自分達だけではないという点か。
「――ふん、やはり【神造物】にそのお嬢さんの鏡の目とやらは使えぬか? 先ほどからこちらを見続けているようだが、いっこうに我が服がこちらに反抗する兆しは見えないぞ」
前回の交戦の後、ブライグは実際に【神造人】達と相対した者達から情報を収集して、二人の手の内についてある程度の分析は済ませている。
その中で特にブライグがこのアーシアと言う敵について注目していたのは、相対して装備を【擬人】化されたという者達の中で、静の持つ【始祖の石刃】についてはこの【擬人】化がなされなかったという点だ。
(単純に【神造物】には権能を行使できないのか、あるいは行使できても何らかの代償や危険を伴うのか……。
直感に頼るなら後者だが……。なんにせよ、【神造物】が相手では気軽にあの目の権能が使えないというのは一つ朗報だな)
そんな分析を行いながら、ブライグは足元の壁を蹴りつけ、離れた位置で孤立していた擬人の一体を狙って足を向ける。
ブライグの装着する両足、【神造義足・逸間落着】はその名の通り自身の両脚が地についている状態を強制的に作り出す権能を持った【神造物】だ。
ブライグの両脚が『地面』として見定められた擬人の顔面に勢いよく引っ張られて『地に足の着いた』状態を作り出し、『着地』の衝撃によって内部の核ごと頭部が砕けたその直後に、今度は新たに『地面』として見定めた天井へと向けて勢い良く落下し、着地する。
任意の方向への落下と言う意味ではヘンドルの【天を狙う地弓】にも似ているが、あちらが重力の方向を変えることで落下しているのに対して、【逸間落着】は『地面』への落着と言う結果を成立させるために落下しているため、その発動原理が大きく異なる。
恐らくはヘンドルの【天を狙う地弓】がまともに機能しなかったのに対してブライグのそれが問題なく使用できるのもそうした原理の違いによるものなのだろう。
ここに来る前に試した際にもそうだったが、交戦を始めた今でもなおブライグの両足は十全にその権能を行使できている。
(さて、ここからは果たしてどう動くべきかな)
天井や壁などを飛び回り、立て続けに撃ち込まれる無数の界法から逃れながら、同時にブライグは頭の中で思案する。
実のところブライグは、この場所に単独で勝負を決めるつもりで来ていたわけではない。
擬人たちの『生みの親』と言う、恐らくはこの世でたった一人しか該当しないだろう関係性の糸をたどってこの場所にたどり着いたブライグだったが、しかしその段階でその生みの親たるアーシアを討伐できるとまではさすがに思っておらず、この場に飛び込んできた意図はあくまでも相手に対するけん制、自身が相手の居所を看破できるのだと示すことにより、相手方の守りに入らせることを狙ったものだった。
(そもそもあの娘が不滅の存在たる【神問官】であるというのならどれだけ攻撃しても討滅できない可能性が高い……。となれば狙いは捕縛封印と言うことになる訳だが……)
何度目になるかわからない壁面への着地を行いながら、ブライグは自身と縁で繋がったアーシアと言う娘を視線で捉える。
この晩にいる全員に対して、生みの親としての関係性で繋がった彼女からは無数の糸が伸びているが、その中でも問題となるのはこの場所ではないどこかへと伸びるもう一つ別の糸。
(厄介な……。不死たる【神問官】を階層主として扉の鍵に設定しているのか……)
この【神杖塔】において、各階層から次へと進むための扉を開けるにはその階層の主を倒さなければならない訳だが、ブライグがこれまで見てきた限りでは、階層主と扉の間には鍵とでも呼ぶべき独特の縁が結ばれている。
そしてそれを知るが故に、この空間に飛び込んできた瞬間からブライグはその鍵の関係性を持つ存在と、その存在と糸でつながる扉の位置をその目によって探していたわけだが、実際に見えたそのつながりはブライグにとっても非常にわかりやすいものだった。
なにしろ、不壊不滅の【神問官】であるアーシアの体からその扉とつながる縁の糸が伸びていたのだから。
(――さて、困ったことになったな。相手が不滅である以上打倒して扉を開くという手が使えないのは痛い……。捕らえて試練の突破か、それ以外の手による神問の攻略を目指すという手もあるが、それをやるならこの連中を全滅させるくらいのことをする必要がある……)
状況を頭の中で整理して、やがてブライグは心中で『やはり決め手に欠けるな』と、そんな結論にたどり着く。
いかに敵が脆弱な存在であろうとも、殺せぬとあってはさすがにブライグにも打つ手がない。
厳密には、右腕の権能を転用すれば全く可能性がないわけでもないのだが、本来の用途から外れるためかなり回りくどい手を使う必要があり、さらには実際にやるとなった際の成功率も高いとは思えないため、現実的に考えるならやはりその方法は切り捨てた方がいいだろう。
(……まあ仕方ない。もとより今回この場に来たのは攻め手の出鼻を挫くのが目的、味方が大勢を立て直すまでの時間を稼ぎ、かつある程度の情報も集まっているなら成果としては悪くない――)
そう考えながら、眼前で【擬人】の群れが多数の界法を放とうと構えているのを見てふとブライグはその口元に笑みを浮かべる。
「――悪くはない。だがこの際だ、古の悪漢がごとく、姫君一人攫って帰るのも良いかもしれん……!!」
「--、お嬢様――!!」
そう言って、口にしたその言葉にミラーナと言うらしい侍女の【擬人】が反応した次の瞬間、味方を巻き込むことすらお構いなしに、室内で多数の界法が放たれてその先にいるブライグ一人に浴びせられる。
いかに素早い動きができたとしても、逃げる先すら爆破するような圧倒的範囲の攻撃の雨。
シールドなどで防いでも第二射、三射で確実に仕留めるという、そんな意図の者たちすら一定数含んだ、あまりにもバリエーション豊かで、それゆえどんな防御手段をも無効化しうる集中砲火が、不敵に笑みを浮かべる老齢の戦士一人に容赦なく炸裂して――。
「--其は仇なすものを裁く防盾――」
--そうなる寸前、ブライグの手の中にあった剣が体一つを隠せるほどの巨大な盾へと変貌して、ブライグに着弾する攻撃全てを、その表面への接触と共に打ち消し、消滅させていた。
『--ッ、これは――』
『来るぞ、応法だ――!!』
「--因果をたどる、応法の剣」
流石に知っていたのか、周囲で【擬人】達が身構えるその中で、ブライグは聖句を口ずさみながら手にした盾を剣へと戻す。
振りかぶるそれは、あるいは【真世界】において最も有名だったかもしれない伝説的一振り。
教会の権威の代名詞として名をはせ、一部の理が技術として模倣されて同じ名を持つ剣が数多く造られたほどの、そんな名剣、【神造武装】のオリジナル。
「【応法の断裁剣】--!!」
次の瞬間、振り抜かれた剣の周囲から先ほど盾に触れて消滅した、否、吸収された多数の攻撃界法が一斉に現れて、それぞれがその界法を放った張本人の元へと一斉に放たれ、撃ち返される。
正確に、自身が放った攻撃がその攻撃の主へと返る追尾性能を付与された、避けることすら叶わない因果応報のカウンター攻撃。
それでも、流石に知られた手の内であったが故か、とっさの防壁展開などで攻撃を防げたものは多く、その点でいえばこの指令室にいた【擬人】達の練度は間違いなくこれまで攻略してきた階層の【擬人】達とは比べ物にならない高さだったと言えるだろう。
ただし、忘れてはならない点があるとすれば。
【応法の断裁剣】による権能、盾で受け止めた攻撃をそのまま攻撃者に返すその力は、あくまでブライグが持つ剣に備わった力であり、当のブライグ自身にはなんの負担も消耗も強いるものではなかったという点だ。
「【徹甲爆連槍】」
多数の攻撃が炸裂して粉塵が立ち込めるその中で、シールドで身を守った擬人たちに次々とブライグの放った界法が襲い掛かる。
先端がドリルのようになった馬上槍の界法が次々と後部から火を噴きながらシールドを貫いて、かろうじてそれで致命傷を免れていた擬人も、直後に起きる槍の内部からの爆発によって次々と五体を核ごと爆破されて消滅する。
あるいはこの場で見るものが見れば、その界法がかつて理香の使った【
花葬献火】に近い性質の技だと理解できる者もいたかもしれない。
単純にシールドを貫通するのみならず、シールド内部の敵をその内部で爆殺するという凶悪な中・遠距離攻撃。
そんな攻撃を、ブライグは多数の攻撃によって粉塵が舞う、視界が効かないそんな中でも次々と擬人たちへと命中させて、相手が混乱するそのさなかにも迷いなくその集団の中へと飛び込んで、すれ違いの一撃でもって次々とその剣で無防備になった【擬人】達を斬り伏せていく。
『--、そうかッ、視界が効かなくとも照準には【神造義眼】があるから……!!』
混乱のさなかにあっても、仲間に伝える為なのか声を張り上げたその執事型の擬人の予想は間違っていない。
相手との関係性を視覚化する【相観察眼】、それによって見えるブライグの視界には、自身と敵対関係にある擬人とつながる大量の糸が、相手の元へと伸びて位置を知らせる絶好の索敵手段として機能しているのだ。
そして相手の位置が糸による繋がりとして見えているならば、あとはそのつながりをたどる形で攻撃を撃ち込み、あるいは糸の少ない方へと移動する形で敵陣をすり抜けて、事前に人数が判明している相手だけを斬り伏せながら進めばいい。
『--ッ、この――』
「は、なんのッ!!」
無論これだけの数の【擬人】、それも高い知性とハイレベルのスキルを習得した執事と侍女の集団だ。
加えて振るう武器にすら意志が宿っている関係上、全く気付かれぬまま相手を蹂躙などできる訳もないが、かと言ってこちらに気付いたとしても刃を交えねばならないのはこの(・・)ブライグだ。
振り下ろされるメイス、その一撃が【応法の断裁剣】から変じた大盾に受け止められて、直後に剣へと変わって振るわれたその一撃に、先ほどメイスに乗せていた打撃力が上乗せされる形で叩きつけられて執事の一人が武器を砕かれ吹き飛ばされる。
そもそも盾を使わずとも、ブライグの技量自体が一流を超えたそれだ。
長く教会の最高戦力として名をはせた、歴戦の猛者にして達人ともいえるブライグを前に、ある程度ものにしているとは言ってもスキルシステムによる付け焼き刃で挑んでいる【擬人】達ではその技量には絶対的な隔たりがある。
『お嬢様、こちらへ――』
「――ぅ、ッ……!!」
恐らく敵も分が悪いことは理解できたのだろう。
粉塵の向こうから微かにそんな会話の声が聞こえて、同時にブライグとアーシアを結ぶ関係性の糸の先が下の階へと向けて移動していくのが見て取れる。
(主を連れて逃れるか。ふん、それでも他の者達が動揺した様子がないとは、仮初の命を吹き込んだ道具にしてはたいした忠誠だ。
いや、それとも元が道具であるが故の忠誠なのか?)
なんにせよ、どうやらたいした戦闘能力がないらしいあのアーシアと言う【神造人】をこの場から逃がしたというのは悪くない判断だ。
現状ブライグはアーシアの身柄の確保を当面の目標にしているし、そもそも戦闘ができない彼女の能力を考えればこの場に留まることは実質ただ弱点を目の前に置き続ける悪手でしかない。
そう考えて、ブライグが内心でこの場にいる戦力を少しでも削っておくか、あるいは下に逃れたらしいアーシアを追いかけるか、その判断に逡巡していた、まさにその時。
(--!?)
恐らくは敵の内の一体が風系統の界法を使ったのだろう。
室内にもかかわらず強い風が吹き、内部で立ち込めていた粉塵が晴れて瞬く間に視界が開けその向こうの景色が露わになる。
それ自体は、遅かれ早かれ取られるだろうと考えていた当然の対応。
ただ一点予想外だったのは、そうして晴れた視界の向こうで、多数の擬人たちがその手の武器を、まるで鏡のように磨かれた刃物の表面をこちらに向ける形で構えていたということだ。
「--む」
その鏡の中に、どこかの、酷く小さな一室が――。
その室内からこちらを覗き込む一人の少女の鏡のような目が、まわりを取り囲む鏡面の中からブライグを覗き込むように焦点を合わせて――。
「取り押さえなさいッ――!!」
ミラーナに連れられたエレベーターの中、地上と最上階をつなぐ直通のものでありながら下る形でしか使えないという、正真正銘緊急脱出専用のそれの中でアーシアが叫んだ次の瞬間、目の前の姿見鏡の向こうでブライグの全身から黒煙が噴き出し、その噴出の勢いに押し倒されるようにブライグの全身を床面へと押さえつける。
相手の衣服や防具、できるだけ【神造物】でないものだけを狙って命を吹き込み、配下とすることで成した【模造心魂】を持つアーシアだけができる制圧戦術。
「やった……、やったわよ、ミラーナ」
目の前の姿見鏡、それに変じた自身の侍女たる【擬人】、ミラーナへと向けて、思わずアーシアはそんな歓声の声を漏らす。
配下であり、ある意味では我が子ともいえる【擬人】達を見捨ててあの場を離れる羽目になったことは苦痛すら伴う選択だったが、それでも自身があの場を離れ、安全な場所で権能を行使したことは間違いなくそれを成すだけの意味があった。
そうアーシアが考える中、鏡の向こうでは倒れたブライグへと向けて間髪入れずに止めを刺すべく複数の執事やメイドたちが殺到していく。
時間を与えて状況を打開する隙も、臆しての遠距離攻撃で衣服に宿した核を破壊されるような突破手段も許さない。
それはもっとも精密かつ最速でブライグを葬ることのできる間違いなく最適解と言える手段で――。
「ふむ、やっと使ってくれたか」
--そんな手段ですら、なおもこの神造サイボーグとも言える戦士を討ち取るには至らなかった。
【擬人】達が距離を詰めた次の瞬間、黒い霧に押さえつけられていたはずのブライグがなんの抵抗感もなく跳ね起きて、距離を詰めてしまった者達をその剣の一振りで斬り捨てる。
「――なん、で――」
鏡の向こう、自身の配下が両断されるその光景に、アーシアは信じられないものを見る気分で目の前にある姿見に触れる。
なにかの間違いであればと言う思いとは裏腹に、その視線の先に捉えるのはブライグの周囲で舞うかすかな光の粒子。
「それ――。そう……、体のあちこちに思い出の品を仕込んで――」
「然り。倒れる際に破壊されるよう調節させてもらった」
かつてハンナ・オーリックが習得し、彼女が死亡した後、入渕華夜が継承していたことが発覚した、記憶を物質化できる【神造界法・跡に残る思い出】。
ルーシェウスが持つそれのコピーデータともいえるこの【神造物】で作成した【記憶の品】は、破壊されることによってその破壊者の脳裏に内包した記憶を流し込むという特徴的な性質を持っていた。
そして厄介なことに、自我の薄い【擬人】に対して身内の記憶を流し込むことで配下に変えるというのは、かつてハンナがこの塔を攻略するうえで用いていた常套手段だ。
無論高い知性と自我を獲得するに至った執事や侍女の姿をした【擬人】達にはさしたる効果もないが、アーシアが今生み出したような、自我が薄く生みの親というだけでアーシアに従っているような擬人相手にはてきめんに効果を発揮する。
「ひとまずこの方法で効果があると分かったのは僥倖だ。前線拠点にいる者達に、わざわざ記憶を提供してもらった甲斐があった」
「それを確かめるために、わざわざアタシに【鏡の目】を使わせたって言うの……?」
「無論得られた情報はそれだけではないとも。例えばその権能、我が衣服や防具には魂を込めて配下にしていたようだが、不思議と剣や生身で無いと分かっている部位には使用してこなかったな……?
先の『どーむキュウジョウ』なる施設での時も、貴様は【始祖の石刃】に対してだけは【擬人】化を行わなかったと聞く。
となれば推測できる理由は【神造物】は対象にできないか、あるいは何らかの条件やリスクを伴うのか――、その様子では後者かね?」
鏡越しにでもこちらを観察しているのか、無防備なアーシアの反応からまた一つその権能の性質をブライグは暴き出す。
とは言えこれに関して言えば、アーシアの方も情報を取られてばかりと言うわけではない。
「――ううん、違うわよね……? どれだけその情報を重要視していたとしても、それだけのためにこの状況下で、失敗すれば命を落とす一か八かの賭けになんて出るわけがない……」
鏡越しに、相手に聞こえない程度に呟く形で、アーシアはうちより湧き上がる危機感を配下に伝えるべく言葉を紡ぐ。
「だとしたら考えられるのは――、他にもっと重要な目的があったか――。あるいは、自分ならば命をかけずにそういう偵察ができるって確信していた――?」
ハッとしたその瞬間、鏡の向こうでアーシアのその表情を見て取ったのか、ブライグが鏡の向こうでどこか感心したような笑みを浮かべる。
直後に見えたのは、短い時間の中でやけにゆっくりと開くブライグの口元と、そしてその口内、あるいは喉の奥から見えたやけにまばゆく輝く灯の輝き――。
「--全員、今すぐその場から逃げなさい――!!」
その瞬間、【擬人】達のいくらかが危険を察したという意味では、アーシアの言葉は決して無駄なものではなかったことだろう。
ただし、危険がわかればそこから脱せられるかと言えば、この敵を相手にそんな隙は無かったという、それだけの話で。
なにしろその瞬間、ブライグが行ったのはただ息を吸って吐いただけの、ほんの些細なアクションだったのだから。
「――【我がために燃ゆる炎】よ――!!」
警告を発したその瞬間、ブライグがその口から猛烈な勢いで輝きすぎる火を噴いて、鏡の向こうに見えるその空間が一瞬にして莫大な量の炎に包まれる。
所有者の意志以外では消すことのできない、先の戦いの際先代の死と共にどこかにいる次代へと継承されたはずのそんな炎が。
新たな継承者の内より吐き出され、その火力によって敵対する擬人をすさまじい速さで焼き払う。




