279:お気になさらず
長くてすいません。
何度か途中で伐ろうかとも思ったのですがこのままいきます。
物質的な制約から切り離された思考の領域で二つの意志が激突する。
本来ならば所有者であるただ一人しかアクセスすることの許されない、【転変の神杖塔】、その制御システムの領域内で、しかし今はほぼ同時期に所有者となった二人の人物が。
【神杖塔】の【被選定者】と【継承者】と言う形で、【神造物】の相続争いと言う前代未聞の対立関係となってしまった竜昇とルーシェウスの二人が、互いに相手を殺し、封殺する命令とそれを中止させる命令とをぶつけあって。
――否、二人の争いは、奪い合う【神造物】の性質上もはや二人だけの争いに留まらない。
(――チィ、やっぱりこいつ、攻撃の対象を俺だけじゃなく、静や【決戦二十七士】みたいなこの塔の中で敵対関係にある連中に広げてきてやがる……!!)
当初こそ相続争いの相手である竜昇を狙っていたルーシェウスだったが、長期戦になると見て少しでも有利になる状況を作ろうと考えたのか、あるいは竜昇の意識にゆさぶりをかけることが狙いなのか、いつのころからかその命令の対象は竜昇だけでなく、静や【決戦二十七士】の他の人間も入り混じるようになっていた。
現在竜昇とルーシェウスの間で行われている戦いは、言うなれば互いの脳、あるいは意識の処理能力を競うような戦いだ。
塔のシステムに向けて自身が有利になるための命令を投射して、それに対して相手はその命令を撃ち落す(キャンセルする)ことで妨害し、代わりにやはり自分にとって有利になる命令を投げつける。
その性質上限られた時間の中で命令を出せる数、あるいはその命令をキャンセルできる数を比べるようなその戦いとなり、それ故に互いの脳の、あるいは意識の処理能力を競うような形となったこの戦いは、しかし意外なことにと言っていいのか、現在のところ竜昇の側がわずかに優位に立つ形で進行していた。
(流石は【神造物】と言うべきか……。このステッキに搭載された【分割思考】はそれ相応にハイスペックらしい……!!)
ルーシェウスから発せられる命令に次々と中止命令を撃ち込み破棄しながら、竜昇は生身の体で握ったままのステッキに意識の処理能力の一部を回して思いをはせる。
ルーシェウスの方も魔本の類を多数かき集めてこちらに対抗しているようだが、どうやらこの手の思考補助器具と言うモノは数を揃えれば揃えるほどその並列接続の維持にリソースを割くはめになるらしく、結果として竜昇の持つ【終焉の決壊杖】の方がわずかにそのスペックで勝って、竜昇の側がこの戦いを有利に進めることができていた。
(まあそうはいっても、千件の命令を出してようやくそのうちの一つが通るかどうかってレベルなんだけどな……!!)
実のところ、竜昇が先ほど静との連絡に成功したのがその一件の命令によるものだ。
幸いにして、この命令のキャンセルは塔内情報の閲覧、各階層の現在の状況や過去ログなどを見る分には妨害されないため、静の置かれた状況についてはかなり早い段階に判明していた。
だが、それ以上の援護や連絡手段についてはルーシェウスに妨害され続けたため、実際に連絡が取れたのは竜昇が静の置かれた状況に気付いてからだいぶたった後のあのタイミングになってしまった。
ついでに言えば、連絡手段があの形になったのも実のところ多数の命令を飛ばしていたうち、妨害を掻い潜って実行にまでこぎつけられたのがあの形の命令だったからである。
どうやらルーシェウスも竜昇がそうであるように相手が放つ命令の一つ一つを確認しているわけではないようだが、それだけに多数の命令を放つ中でどの命令が実現にこぎつけられるか予想がつかない所がある。
ただし、その一方で。
確かに命令の一つ一つ、その詳細を精査するだけの時間はなかったが、逆に言えば押し寄せてくる命令の標的や攻撃手段など、断片的な部分すらも確認できなかったわけではない。
無論次々と押し寄せてくる命令を捌く中でチラリと一部が見えた程度ではあるが、それでも一部だけでも見えていたならばある程度命令内容のパターンくらいは見えてくるし、そしてパターンが見えればそこから多少なりともできることがある。
故に竜昇は、多数の命令を裁きながらもその瞬間を延々と待ち構えて、待って、待ち続けて――。
(――ここだッ!!)
その瞬間、狙いを定めていたいくつかの命令が思考領域内に一度に投射されてくる、そんな条件達成の瞬間を思考領域内で認識して、即座に竜昇はそれら全てにこれまでとは少し違う形の横槍を入れる。
ここまでやっていたように、ただ単純に相手の命令を妨害するのではなく、事前に用意していた命令で元々あった命令の一部を上書きする形で書き換えて、竜昇の側に利する命令に変えてしまうというそんな形で。
『……ッ!? こんな手が――!!』
「行け――!!」
慌てて、なのだろう。
思考領域の中で相手の動揺が微かに伝わって、同時にルーシェウスの側から書き換えられた命令をキャンセルする命令が立て続けに発せられる。
だが、むざむざそれを許すほど竜昇の側も甘くない。
相手が命令のキャンセルに全力を振り向けるその瞬間を狙って大量の命令を撃ち込んで、処理しなければならない命令の数を最大まで引き上げてルーシェウスの処理能力を一時的にパンクさせて、上回る。
「通れェェェェエエッ――!!」
『――ッ、やって、くれる……!!』
そうして、放った多数の命令がルーシェウスによってキャンセルされて、多数あったそれら命令が実行までのわずかな猶予の中で刻一刻と数を減らして、そして――。
その瞬間、商業エリアに軒を連ねる多数の商店の奥から大量の影人があふれ出し、手に手に武器を握ってエリア中央に陣取るセリザ目がけて一斉にその勢いのままに躍りかかっていた。
知能など、本当に最低限しか与えられていない。
恐らくは一部の味方を除いたその他すべてに与えられたスキルを用いて襲い掛かるしか能がない、そんな大量の【影人】と呼ぶしかない【擬人】モドキたちが、扉の死角、それも重力方向を変化させて天井に張り付く形となった静を無視して、一斉にセリザ一人に向かって押し寄せていく。
「感謝します、竜昇さん――!!」
セリザとの試練の場に大量の【影人】を叩き込む。
【神問官】が用意した、一対一の決闘の場そのものに水を差し、行き詰まった状況の根本からのぶち壊しを狙う。
それこそが、竜昇からの連絡を受けた静が彼に対して要請した、塔のシステムを使った援護要請、その一つだった。
厳密には、要請したプランのうちどれが実行にこぎつけられるかわからなかったため、いくつかのプランを立てた中で実行できた一つ、と言うことになる。
恐らくは竜昇のことだ。事前に立てていたプランの中には静をもっと直接的に救出するようなもの含まれていたことだし、そちらを実現にこぎつけられなかったことを今頃悔やんでいるかもしれないが――。
「十分です……!!」
一言告げて、そうして静は大量の【影人】に満たされた商業エリアの、その壁面部分を足音ひとつ立てずに走り出す。
今でこそ派手に界法を使用していたセリザを敵とみなして彼女の元に殺到しているが、この場に現れた【影人】達は別に静にとっても味方と言うわけではない。
【影人】達がもともと【神造人】達の用意した、別空間に保管されていた予備戦力である以上、静とて見つかれば当然のように攻撃を受けるし、なによりたかだか商業エリア一つを埋め尽くすような擬人が乱入した程度で、あのセリザがあっさりそれにやられてしまうとは思えない。
「――【砂殲塵剣】」
案の定、セリザが自身の足元、そこにある影から七支刀のような一振りの剣を引きずり出し、直後にその剣を抜いた地面に刺し直すようにタイル張りの床へと突き立てる。
「数ばっか揃えて、水差すんじゃァないよ――」
流し込まれた法力によって発動するのは、セリザの周囲をぐるりと囲んで吹き荒れる砂嵐の界法。
「――血も出ないくせにさァッ……!!」
否、発動したそれはもはや砂嵐と呼ぶことすら生ぬるい。
暴風によって砂塵を叩きつけるどころか、その叩きつけた砂塵が押し寄せる【影人】達の体を物理的に削り取って消滅させていくその様は、接近を防ぐどころか近づくもの全てを鏖殺する掘削機が如き嵐の壁だ。
「逃げられるなんて、本気でそう思ってんのかい……? この程度の横槍如き、退ける手段ならそれこそ戦の数ほどあるってのに……!!」
そうセリザが口にした次の瞬間、七支刀にさらなる法力が注ぎ込まれ、展開されていた砂嵐が足元の地面を、巻き込み粉砕した【影人】達の本体に当たる物品を、その他周囲にあったもの全てを粉々に砕いて砂塵として取り込み、その暴風の範囲を一気に広げて足を止めていた【影人】たちすらも一気になぎ倒す。
流石に範囲を広げての攻撃では当初見せた触れるもの全てを削り取るような威力は出ないようだったが、それでも吹き付ける暴風とぶつけられる砂塵の暴力は範囲内にいるもの転倒させて動きを止めるには十分なものだった。
他ならぬ静自身、シールドを展開して落下飛行に移行していなければ、砂嵐が拡大したその時点で身動きが取れなくなっていただろう。
それでも、吹き付ける風や砂塵を防ぎながら移動できる手段を持っていたが故に、静は一気に吹き抜け部分から下の階へと飛び落ちて、直前までいた四階部分から一気にその下の二階まで移動することに成功する。
ただし、セリザが襲来した【影人】達にかかずらって静を見逃していたのもまたそのタイミングまでだった。
「【散刃硝子】--!!」
自身も「8」の字の穴のようになった吹き抜けへと走り寄りつつ、影から引き抜いた別の武器を大きく天へと振りかぶり、直後に落下防止の手すりへとそれを力任せに叩き付ける。
使用されたのは、一目では武器とすら判別できない、透明な結晶に持ち手を付けたような何かの塊。
だが叩きつけられたその瞬間、覚えのある暴風の法力と共にその透明な塊が砕け散って、多数の鋭い破片となって飛来し、下の階を目指す静のシールドへと勢い良く突き刺さって来る。
「--ッ!?」
「さぁ、戦いの舞台に戻るさねェ――!!」
展開していたシールドを貫通して内部にいた静に手傷を負わせたガラスの槍が、さらに静をシールドごと引っ張ってセリザの元へと連れて行こうとするその事態に、静は改めてこの敵とその手にある武装の危険度を再認識させられる。
見れば、先ほどセリザが自ら砕いて多数のガラス片の槍として放ったその武器は、今はまるで呼び寄せられるようにまき散らしたガラス片を集めてもとのひと塊へと戻ろうとしている。
恐らくは静が今引き寄せられているのもその復元作用を利用してのモノなのだろう。
微弱な法力を感じることからどうやら【神造物】ではないようだが、先ほどの砂嵐の七支刀と言いこの武器と言い、感じる法力違和の小ささの割に随分と破格の力を振るっているように見える。
「面白い武器だろう? 【砂殲塵剣】に【散刃硝子】、あとはさっきアンタから見えない所で【卑劣者の背刃】なんてのも使ったか。
こいつらは全部一人の職人が自分の持つ【神造物】の権能を使って作った変わり種でねぇ。そいつは親友の戦士を本気でアタシに勝たせるために、石刃でコピーしての使用前提、試練のタイミングで初めて手にしても使いこなせないような、そんなピーキーな武器をいくつも相方の戦士に持たせて送り込んできやがった」
どこか昔を懐かしむようにそう語りながら、セリザはかつて己を倒すために生み出された武器を容赦なく振るって、シールドを解除して二階の通路へと逃れる静を追って、自身も階下へと飛び下りてくる。
砂嵐が収まったことによって、どうにか体勢を立て直した【影人】達が一斉に襲い掛かって来るが、もはやそれすらもお構いなしに。
「手数を増やす、と言うこの発想も、実のところあたしが最初に思いついたって訳じゃない。
こいつはもともとアタシを攻略しようとした男が、一度に使える武器の数で上回れば勝てると踏んで、当時普及し始めていた義手や義腕の技術に目をつけたのが始まりだった……」
着地と同時に、自身の影から大量の腕を呼び出して、その腕たちが持つ銃器を中心とした遠距離武装が一斉に火を噴いて、迫る影人達をその弾幕によって強引にねじ伏せ、消滅させる。
無論シールドを展開するなどして攻撃に耐えきる個体も相応の数存在していたが、しかしそんな相手もセリザが次に用意する武器の前ではただの思い出話の種でしかない。
足元から生える腕が影へと戻るのと入れ違いに、セリザの背中からドレスのスリットから這い出すようにデザインの異なる二本の腕がそれぞれ生えて、さらにセリザ自身が正面と左右の後ろに合計三つの面が付いた、独特のデザインの兜をかぶってそれと意識を接続する。
まるでその兜と連動したかのように、共通の意匠を持つ手甲が宙へと浮かび上がり、出来上がるのは合計六本になった腕にそれぞれ別の武器を握った戦神のような様相だ。
「球体障壁タイプの防御界法はある種歴史的な発明だった。
優秀な防御性能と即応性……。どんな流派の連中も方式は違えどこぞって取り入れたこいつは、まさに戦場の様相を一変させる発明だったと言ってもいい……。
けどね、そうして広まってしまった技術だけに、最近じゃその防御を突破するための方法も無数に確立されているんだよ」
メリケンサックを握って宙に浮いていた手甲がセリザの操作で勢いよく障壁を張る影人の元へと飛び出し、その障壁を法力の炸裂によって正面から打ちやぶる。
そうかと思えば、短剣を握った別の手甲は別の影人の障壁に刃を突き立て、その刃が内部で伸びてその先にいた影人の核を容赦なく串刺しにしてのける。
さらに同時に、背中から生えた血の気のない右腕が鞭を振るってその鞭が障壁などまるでなかったかのように透過して内部の影人を打ち砕き、義腕と自前の両左手が担いだ大砲で遠距離攻撃を計る【影人】を消し飛ばし、距離を詰めようとした擬人を【砂殲塵剣】の砂嵐が障壁ごと削り取って消し去っていく。
どこまでも容赦のない、まるで作業か何かのような一方的な蹂躙劇。
「どいつもこいつもあの手この手でアタシを殺そうと向かってきた……。アンタがここまで使ってきたその技術だって、多くの人間が真剣に誰かを殺すために知恵を絞ってきた、その結果だったんだよ」
「――だから私も、貴方を殺すためにその人達のように勇敢に戦えと?
あなたが殺してきたその人達のように、貴方を打倒することに情熱を注げと?」
蹂躙されていく影人たちの輪の外で、静は隙を伺い身構えながら、同時に心底ばかばかしいとばかりにそう言って吐き捨てる。
そう、実際それは実にばかばかしい話なのだ。
少なくとも静はもう、それがばかばかしいものなのだと気づくことができている。
「私をここまで生かしてくれた技術、それらを生み出したという方には、まあ多少複雑な思いもありますがひとまず感謝くらいはしておきましょう。
実際それらを生み出す苦労は並大抵のものではなかったでしょうから、それに対して敬意を表するのも別にかまいません。
これについては、お借りしているこの石刃についても同じことが言えますね。なにしろこの石刃の存在には、なんだかんだ言っても随分と助けられてきましたから」
なまじ同じ技術を使う者達に襲われながら進んできた故に若干複雑な部分はあるが、それでも自分をここまで生かしてくれた武器や技能の開発者がいるというのであれば、静とてその相手に敬意を表することに否はない。
たとえそれによって生み出されたものが屍の山だったとしても、その技術の必要性と有用性を嫌と言うほど味わってきた身としては、その技術の発達に全霊を注いだ人間の情熱と言うのは理解できない訳ではないのだ。
少なくとも静は、そこにあったかもしれない思いを共感しきれないからと言って貶めようとまでは思わない。
ただ、その一方で。
「ですがそもそもの話、生憎と私は武装や技術と言った、単なる道具を行動の指針にする気はさらさらないのです」
セリザに挑みかかった最後の影人が斬り伏せられ、危険な【神問官】と向かい合い、しかも残る大量の影人たちに囲まれた状態でありながら、静は臆することなくはっきりとそう目の前の相手に対して言ってのける。
静にとって、【始祖の石刃】の存在は確かに有用だった。
仮にこの石刃が無かったら、恐らく静はここまで生き残れず、あるいは生き残ったとしてもここに至るまでに今よりも多くの犠牲を出していたことだろう。
だがその一方で、そんな石刃を手にした代償がセリザと言う無理難題のような【神問官】と戦わねばならないこととなると、石刃を持つメリットを、打倒不可能な強者に狙われるというデメリットが上回る。
そしてそこまでメリットデメリットの釣り合いが取れなくなってしまえば、もはや静にとって石刃を持ち続けることは生き残るための武器が元で強者に命を狙われるという本末転倒の元凶でしかない。
少なくとも、静にとって【始祖の石刃】の存在は生き残るために有用な手段でしかないし、そしてそんなスタンス故に武器に執着し、武器を持ち続けるために戦うような、そんな目的と手段が逆転した、道具に使われるような生き方をする気は毛頭、ない。
「私は、自分の向かう先は自分で決めます。
少なくとももう、たかだか武器一本のために命を懸けるつもりは毛頭ないんです」
『だからお引き取りください』と。
そんな言葉と共に、静は手の中の武器を石刃へと戻してセリザの方へとそれを突きつける。
否、突きつけているのは絶縁状で、石刃についてはむしろ差し出していると評するべきか。
そうして静はかっきりと自身のスタンスをセリザに対して表明して見せて、それに対する【神問官】の反応は果たして――。
「…………ダメなのさねェ」
そうして石刃を差し出す静の姿に、やがてセリザはわずかな沈黙の果てに、そんな否定の言葉を口にする。
まるで深いため息のように。
あるいは、落胆と憤りを混ぜ合わせて煮詰めたモノを吐き出すように。
「――ダメだ。ああ、ダメだ……。それは、その回答は不正解なのさね……。
ああそうだ――、実際、それと同じ答えを出したやつは何人もいたんだ。アタシとやり合って勝てないと悟って……!! こんなものはもういらないと、もっとお行儀悪く石刃を投げ捨てたやつも……。アタシに背を向けて逃げ出そうとしたやつなんざ、それこそ何人だって……!!」
額に手をやり嘆きながら、セリザは己の負の思い出を滔々と静に向けて語り聞かせる。
それこそ、間違った道を進もうとしているのだと、だから思いとどまれと、そう親切に語り聞かせるように。
「--けどダメなのさねェ……!! 生憎だけどその選択をして、アタシに背を向けて逃げて生きていた奴はいないんだ。
だってその選択だけは――、絶対にアタシと言う試練が許容してはいけないものだから……」
仮にセリザの試練で石刃を捨てれば逃げられると、そんな生存例が生まれ、それが知れ渡ってしまったら。
もはや試練を受ける受験者たちは、真剣にセリザを倒して石刃を己がモノにしようとは考えなくなるだろう。
実際自身の打倒を試練達成の条件と見ているセリザにとっては、そうなる事態はただでさえ困難な試練の達成をより絶望的にする許しがたいものに違いない。
だから彼女は高くつかせる。敗北の代償を、試練未達成の際に失うものを。
真剣に、深刻に、攻略不能とみなされた己の試練に、それでも諦めることなく全力で挑んでもらうために。
「随分と、勝手な話ですねェ……」
「ああ、わかってるよ。自覚はしてるさね、特にアンタにとってはそうだろうさ――。
けどねェ、こっちだって切実なんだ……。もう何千年も逝き遅れちまってるんだよアタシは……。
だからどれだけ勝手でも、迷惑でも、それでもこの試練のためにアタシは――」
「――ッ、させませんッ!!」
「――アンタが戦わなくちゃいけない状況を、作り出す……!!」
宣告した次の瞬間、言葉とは裏腹にセリザの周囲に浮いていた二本の手甲が下の階へと向かって跳んでいき、同時にそれを察知した静が手の中の武器を弓へと変えて落下飛行へと移行する。
ただし当然、セリザがそんな静の行動を容認などするはずがない。
「逃がさないさねェェェエエッ――!!」
「--ッ」
セリザの背中の腕、機械的な様相ではない、けれどまるで死体のように青白い肌の死体義腕とでもいうべきそれが鞭を振るって、下の階へと飛び込もうとする静の落下飛行に追いすがる。
振るわれる鞭の、それも先端部分ともなればその速度は容易に音速を超えた域に達する。
いかに各種能力を強化している静と言えどその一撃を回避することは容易ではなく、同時にシールドによる防御の方も鞭を振るうその腕の方が許さない。
【握霊替餐】。握るもの全てを生物しか触れられない霊体に変えるその【神造義腕】の効果によって鞭が静の展開したシールドを透過して、とっさに強化を施し盾にした静の右腕に絡みついてその落下飛行を阻害する。
「--ッ、邪魔を――」
「その様子、既に扉の位置も分かってるようさね……。だったらあんな扉すぐにでも閉ざして――」
「【加重域】--!!」
セリザの言葉に耳も貸さず、静は展開したシールドを巻き込む形で、馬車道瞳から受け継いだグリープを用い、自身の周囲のドーナツ型の範囲に荷重をかける。
同時に静自身も落下飛行の方向を調整し、自信を捉える鞭で逆にセリザを引っ張る形で強引な飛行を続行する。
「――ォ、ぉウッ!?」
人間一人、それも落下する勢いで動く相手の重量を受け止めるつもりで態勢を整えていたセリザの体が、しかし今、想定以上の加重を受けたことで引きずられるようにして二階から吹き抜けへと落下する。
「――チィッ――」
「……!!」
てっきり影から腕を出すなどして踏みとどまるかと思ったが、どうやらセリザは落下しないことよりも、下手に腕をそれだけのために使って身動きが取れなくなることの方を警戒したらしい。
実際それは当然と言えば当然の判断だ。
なにしろ今も静達の周囲には【影人】達が残留していて、セリザの圧倒的強さ故に積極的に仕掛けることこそ控えているものの、今も隙あらばこちらに攻め込もうとそのための隙を窺っているのだから。
そしてそんな状況だからこそ、セリザは自分達を取り囲むその群れをとことんまで利用することに決めていた。
「殺し合いがお望みなら――」
落下飛行を継続しながら、静は生物しか触れることのできない鞭を己が両手で握りしめ、鞭の向こうのセリザを落下飛行の方向を急変更することで振り回す。
狙うは他の階と同様、こちらの隙を窺ってたむろする影人の、その幾体かがたむろする集団の中心。
「あの方たちとしてくださいッ――!!」
さしものセリザも、影から引きはがされた空中ともなれば流石にそんな場所で武器を取り出すことはかなわなかったらしい。
あるいは、空中にいるそのタイミングであればセリザの対応力も低く突ける隙もあったのかもしれないが、生憎と静自身にその気はなく、そしてセリザの方もただでやられるほど温い試練ではなかった。
【影人】の群れへと飛び込むその寸前、静とつながる鞭を手放し、代わりに袖口の影からかろうじて取り出せる細身の刀を取り出して、即座に戦闘態勢を整える。
次の瞬間、飛び込む先の影人の半数が両左手で構えた大砲の一撃で吹き飛ばされて、残るモノの大半を【砂殲塵剣】の砂嵐が削り飛ばし、それすらも生き延びる防御手段を持った一体を斬光纏う一刀が斬り伏せる。
本来ならば一体一体がそれ相応のスキルを習得し、武装を固めてそれなりの戦闘能力を持っていたはずなのに、そんな影人を歯牙にもかけず。
けれどその一方で、攻め込むことを躊躇していた影人の群れに再び叩き込まれてしまったことで、否応なくセリザと影人達との間の交戦が再開し、まわりでたむろしていた【影人】たちが一斉に動いて二人の方へと攻撃を仕掛けてくる。
無論静の方も【影人】にとっては敵である以上その何割かが向かってくるが、先ほどからの交戦でその脅威度をまざまざと見せつけているセリザの方が、攻撃に走る【影人】の数は圧倒的に多い。
まるで流星群か何かのように。
周囲一帯から背後のセリザへと降り注ぐ遠距離攻撃の雨をしり目に静は自分に向かってくるわずかな攻撃だけをシールドと落下軌道の操作でしのぎ切り、途中に立ちふさがる影人も跳ね飛ばすか回避することでほとんど無視して、考えうる最短の移動で目指す相手へと追いすがる。
先に下の階へと飛び込んで、恐らくは下の階層へと続く扉を閉めに向かっていたのだろう二つの自立飛行する手甲へと。
「遠隔操作できる腕と考えれば確かに驚異的な武具ではありますが、生憎と飛行機械として見た場合それほど速度のある武器ではなかったようですね」
手甲のそれを上回る速度で追いすがる静にセリザの側も振り切れないと悟ったのか、メリケンサックを握り込んだ手甲が勢いよく反転して静の方へと飛来して、そのわずかに後で短剣を握る手甲もまた光の刃を伸ばして時間差をつけて攻めてくる。
とは言え、いかにセリザの操作する武具であったとしても、セリザ本体ではない、単なる遠隔操作されただけの武器であれば静も遅れを取りはしない。
「磁引――!!」
シールドとの激突によってその拳に纏わせた接触破壊の法力を炸裂させ、しかしそれによって特殊効果を失った手甲を十手の磁力によって引き寄せる。
シールドを突破し、そのまま静の顔面を砕こうとしていた拳の軌道を磁力によってわずかに逸らすことで回避して、同時に金属でできたメリケンサックを十手に吸着、突撃してくるその勢いをそのままに身を回すことでその方向を変えさせて、こちらへと迫るもう一つの手甲へと投げつける。
さらに――。
「応法――!!」
守りを切り裂く光の刃が投げつけられた手甲を両断する様を目にしながら、静は手の中の武装を弓から長剣へと変更。
法力を吸収することで防御手段を無効化できる【応法の断罪剣】を力の限りに振りかぶり、着地と同時になおも向かってくる第二の手甲目がけてその刀身をフルスイングで叩きつける。
さしもの優秀な武装達も、強度においてはやはり人の作ったものの域を超えることはできなかったらしい。
結果、手甲の片方はもう片方の斬光によってあっけなくも両断されて、もう一つに至っても力任せに付近の柱へと叩き付けられてバラバラになって散らばり落ちる。
(あとは、これで――)
振り抜いた長剣の重量を石刃の形態へと戻すことで無効化し、即座に体勢を立て直した静は先ほどまで手甲が向かっていた先へと意識を戻す。
下の階層へと続く、一階奥の片隅に設けられた警備スタッフ向けの扉へと。
ただし例え影人の群れに囲まれていようとも、むざむざそこまで走ることを許すほどセリザと言う試練は甘くない。
「――!?」
自身の背後、あるいはその周囲にあふれていた影人の群れへと向けて、先ほどセリザを投げ込んだその場所から大量の攻撃が放たれる気配を察知して、とっさに静は身を低くし、石刃を長剣に変えて振り返る。
幸いにして、攻撃そのものは静の元に来ることはなかったが、しかし周囲ではそんな静が想定していた以上の事態が起きていた。
(これは――!?)
見れば、セリザから放たれたと思しき多種多様、大量の攻撃が、一発も漏らさず階層各所に散らばる【影人】達へと着弾している。
一応防御に成功したもの、最初から狙われていなかったものは存在しているようだが、それを踏まえてもなお全弾命中と言うのは尋常ではない。
それを成したセリザの武器が、彼女の構えているものがたったひと振りの剣であるという事実もまた――。
「おや、あの連中と行動を共にしているならもしかしたら知っているかとも思っていたが、流石にこの短時間で手の内まで明かされるほどの信頼は得られなかったか……」
そうして圧倒的な武装で自身を攻撃した大量の【影人】を粉砕しながら、セリザはあくまでも静だけを見据え、他の武器をしまってそれ一本のみになった長剣を携えて歩き出す。
セリザの言動からして静であれば知っていておかしくない武器のようだが、生憎と静自身は言われてみれば見覚えがある程度で、ここまでのことができる武器について思い当たるような知識はない。
あるいはもう少し記憶を探ればどこで見たのか思い出せたのかもしれないが、生憎と今の静にはこの武器をどこで見たかよりもどんな性能の武器であるかの方が重要だった。
(先ほどの攻撃、炎だの雷だの、一つの武器で放たれているにしてはそのバリエーションがやけに多かった……。
加えて、その一発一発が防御はできても回避は不能の必中となると、恐らくその性能は受けた攻撃をそのまま攻撃者に撃ち返す【神造物】、と言ったところでしょうか……?)
なんにせよ、直前までセリザを攻撃していた影人たちの被害は甚大だ。
一部の影人達については攻撃を防御することに成功した個体もいたようだったが、大多数の、特に切り札となりうる上位の界法を使用していた個体は発射直後の法力のない状態でその上位の界法を受ける羽目になり、モノによっては周囲にいた味方すら巻き込む形で軒並み壊滅的な被害を被っている。
「アタシがコイツのコピーを得たのは長い歴史の中でも実に九度。なんせ有名で強力な武器なもんだから、アタシの試練に備えようって奴はこぞってこいつをコピーしようとする傾向があってね」
そう言いながら、セリザはあっさりとその長剣を影の中へとしまい込み、代わりに静を追撃するために新たな武装を同じ影の中から掴み取る。
「やっぱり情報に恵まれてないのは不利さねェ……。そう言う意味じゃアンタは確かにアタシの事情でその不利を強いちまって、若干申し訳ない話なのは確かなんだが――」
取り出されるのは静もコピーしている見覚えのある弓と、そして鉄槌。
まるでジェット噴射のように、先端の片側から炎を吹き出すそんな粉砕兵器を起動させて、嘘偽りなく申し訳なさそうな声色でセリザは語り掛ける。
「――けどだからって戦いを放棄するってのはなしだ。別段怖気づいたって訳でもあるまいに、諦めて逝き遅れの女の切実な願いに付き合っておくれよ……!!」
「願い下げ、です――!!」
静が言い放ち、振り返って見えている出口へと向けて走り出したその瞬間、セリザもまた弓による落下飛行と、そして鉄槌のジェット噴射にものを言わせて一直線に静の元へと突っ込んで来る。
(--ッ)
危険を感じて真上へと跳躍、静もまた弓の力で落下した次の瞬間、直前まで静の頭があったその位置をセリザの振るう鉄槌が通過して、そのまま勢い余って付近にあったコンクリートの柱へと直撃して木っ端みじんに吹き飛ばす。
もはやどんな性質の技や機能がどう噛み合ったらそうなるのかもわからない、分析に意識を割くことすら馬鹿らしくなるほどのシンプルに凶悪な破壊力。
しかもそんな一撃を叩き込んだセリザはと言えば、ハンマーからの推進力を利用することで空中を回転しながら舞い上がり、天井に着地していた静へと再び狙いを定めている。
次の攻撃が来ると静がそう判断して、すぐさま天井から跳躍するべくその場でわずかに身を沈めて――。
『--、-―――!!』
「--ッ、【黒雲】--!!」
その瞬間、とっさの判断で静が手の中の武器を杖へと変えて、黒雲に依る煙幕を展開することでセリザの視界を遮っていた。
「逃がすかァッ――!!」
直後、再び落下飛行とジェット噴射による推進力を組み合わせ、静の移動速度をはるかに上回る勢いで殴りかかったセリザが、しかしどういう訳か狙いを外し、静の身を捉えられずに雲を引き裂く。
(――あん?)
静の跳躍する先にあたりをつけて飛び込んだにもかかわらず攻撃を外したその事態に眉をひそめて、しかし直後にセリザはジェット噴射によって吹き散らされた雲の切れ間にその原因を理解する。
先ほど跳躍するべく身を沈め、弓による重力方向の変更すら解除していたはずのその静が、しかし今は自身の体重を軽減し、さらには天井にあった突起を掴むことでその身を天井に留めているのを見たことで。
「--やはり。あなたほどの方なら下手に逃げても進行方向から位置を読んでくるようですね」
「ハッハァッ――、やるじゃないさねェ……!!」
交錯するさなかに『飛ばなくて正解でした』とほほ笑む静の姿に自身が引っ掛けられたらしいと理解した次の瞬間、攻撃を外したことでセリザが勢いのままにその先の天井へと突っ込んで、手にしたハンマーによる一撃によって天井そのものを粉々に砕いて吹き飛ばす
一階と二階を隔てる分厚い鉄筋コンクリートの塊が法力の籠った打撃によって大穴をあけられて、まるで噴火でも起こしたようにその残骸が下からの圧力によって真上へと向かって跳ね上がる。
(この隙に――!!)
天井に攻撃を叩き込んで跳ね返されたセリザが、再びジェット噴射によって身を回し、姿勢と方向を制御するわずかな時間を狙って、今度こそ静は天井から跳躍して一直線の落下飛行で出口を目指す。
いかに強力な武装とそれを操る技量を持つセリザと言えど、あれだけ強力な噴射をあつかうとなれば、当然、再び攻撃体制に移行するまでにまったく隙を見せないというわけにもいかない。
無論このままセリザを放置すればすぐに体勢を立てなおして追撃して来るのは目に見えているし、逆に今のこの瞬間はセリザが隙を見せる絶好の機会なのかもしれないが、生憎とすでに戦わないと決めた静にその気はないし、そもそもその隙を突く者は他にいる。
「--ッ、こいつら――」
直前にセリザの手によって爆砕された天井、その真上に吹っ飛んだ瓦礫が遅れて二人の間に落ちてきて、同時にその攻撃に巻き込まれていた【影人】達もまた、静以外の誰にとっても不本意な形で瓦礫と共に割り込んで来る。
当然、戦闘に参加することなく上の階で様子をうかがっていた【影人】達にとっては、下の階からの攻撃によってその戦闘に強制的に参加させられたも同義の状況であり、どうにか無事に着地を果たした影たちは必然的に自分達を引きずり込んだ、その攻撃の主たるセリザの方へとその敵意の矛先を向けていく。
「――偶然、って訳じゃァないさねェ、これは……!!」
躊躇なく背を向け走り出す静の姿に、否応なくセリザは静がこうなることを予想していたのだと否応なく理解させられる。
とは言え、それはそれで疑問は残る。
いくら静がオハラの血族に連なる者とは言っても、彼女自身は格別索敵能力に優れているというわけではない。
そんな人間が、分厚い天井に遮られた向こう側の【影人】達の居場所を正確に把握しているというのは少々不自然に思えるし、ましてやそんな静が【影人】を巻き込むようにセリザの攻撃を誘導していた節があるというのはなおのこと不可解だ。
かと言って、見せる態度や動きの速さはハッタリや偶然の類とも到底思えない。
だとしたら、その裏にあるカラクリはいったい何なのかとそんなことを考えて、ハンマーの推進力で回転しながら、その視線だけが走る静の、その後ろ姿へと目を凝らして――。
直後に、セリザは静の右腕、ちょうど二の腕の服の内側あたりが、不自然に四角く盛り上がっているのに気が付いた。
「あん、た――、まさか、例のスマホとかいう機械でずっと誰かと会話して……!!」
「おや、バレてしまいましたか……。スマホを使ってカンニングなんて、普通の試験なら即失格ものなのですが、この試練の場合はどうなるのでしょうか?」
漏らしたセリザの言葉に、静はそんな彼女にわずかに視線を向けて、若干見せつけるような意味も込めてそうほくそ笑む。
静が上の階にいる【影人】の存在を察知できたのは実力でもなければ運でもない。
単純な話、静はこの戦闘が始まってからずっと竜昇と通話状態にしたスマートフォンを服の下に仕込んで、そこから聞こえる声のサポートを受けながら立ち回っていたのだ。
ルーシェウスと言う同格の権限を持つ敵の存在故に、本来【神杖塔】が持つ機能の多くが使用を封じられている今の竜昇だが、一方で直接的な干渉はできなくとも、塔内部の状況を俯瞰して観測することならば自由にできる。
そして観測さえできてしまえば、今の竜昇には神造の杖のサポートによる高い思考・演算能力があるのだ。
そしてそれだけの材料がそろっていれば、竜昇には静に下の階への出口がある扉の位置を教えるのはもちろんのこと、【影人】達が入り乱れる戦場の中でなるべく交戦を避けられるルートを伝えることもできるし、場合によっては静に跳躍を思いとどまらせることでセリザと【影人】達がぶつかるように誘導することすら可能になって来る。
そんな支援の実態を知らぬまま、それでも状況からの判断によってセリザはある程度の真実にたどり着く。
(迂闊さねェ……。【擬人】共の乱入寸前のあの言動の時点で、あの娘が塔の権限を用いた支援を受けているのは明らかだったってのに……!!)
なまじ塔の権限を持つサリアン達が敵である静を支援などするはずがないと思っていたが故に気付くのが遅れてしまった。
静の背後に、彼女に周囲の状況を伝えて指示を出す情報支援者がいる可能性に。
(--いや、もしそうだとしてもそれはそれでおかしいさねェ……。仮にあの娘の背後にあの坊やたちがいるのなら、やり方が回りくどすぎる……)
もしセリザが予想する通りサリアン達が協力しているならば、情報支援だの【擬人】戦力の投入だのと言うような回りくどく危険の多い手など使わず、塔の備える転移機能でもなんでも使って静をどこかに転移させてしまえばいい。
仮に静とサリアン達の目的が一致していないのだとしても、だとしたらなおのことあの【神造人】達が敵である少女に協力している意味が分からなくなるし、目的のために利用しようとしているのだとすればもっと他に打てる手はあるはずである。
どこまで考えても納得できない、むしろ考えれば考えるほどに不可解な目の前の状況。
(--いや、それともまさか違うのかい……? 塔の権限を持つ坊やがあの娘を支援しているんじゃなくて、あの娘を支援したい誰かが塔の権限を奪って使っているのだとしたら……!!)
そうして体勢を立て直すためのわずかな時間の中で真相の一端へと思い至ったセリザだったが、逆に言えばいかに彼女でもこの短時間の中ではそこまでが限界だった。
思考に当てられる時間の限界を告げるように、上の階から落下して来た影人たちがそれでも身軽な動きで次々と着地して、床を粉砕したセリザを戦いの避けられぬ相手とみなしたように次々と攻撃体制に移行する。
手前にいたサーベルを構えた個体が先行するように前に出て、それに続く形で背後の一体が銃剣を構え、その背後で最後の一体が界法の発動を準備する。
「――ったく、アンタらにモテても嬉しかないんだけどねェ……!!」
そんな影人たちの存在に、やむなくセリザは攻撃の矛先を静から目の前の三体へと変更。
ジェット噴射の推進力で迫る一体目の【影人】の頭部を一撃のもとに粉砕し、二体目の銃撃をあっさりと躱して、最後に勢い良く振り回していたハンマーを手放し、一番後ろで界法を放とうとしていた三体目の頭部に勢いよく投げつけ、命中させる。
この間、かけた時間はわずか数秒。
三体の敵うち二体を撃破しての突破をほとんど一瞬のうちに果たした恐るべき立ち回りだったが、それでもこの局面でセリザが被ったロスは手痛いものだった。
すでにその短時間の間に、セリザのことになど目もくれずに走る静は、もうすでに目指すこの階層の出口下へと続く階段のすぐ前までたどり着いている。
「逃、が、さ、ないさねェ――!!」
それでも、セリザは背中の義腕で抱えた弓の力で地表すれすれを飛行(落下)して、真下にあった影から飛び出す三叉矛を掴んでその石突部分から水流を噴射しながら追撃をかける。
扉への到達は阻めなくとも、その通過を、あるいは扉を閉ざされることによる断絶さえ阻めればそれでいい。
なんなら静諸共下の階へ移動し、そこで試練の仕切り直しを行う手もあるのだ。
最悪静の背を後ろから貫く結果になったとしても、それでも試練を放棄し、逃げられる結末よりずっといい。
「【黒雲】--!!」
そうして迫るセリザに対して、静は手の中の武器を杖へと変えると、そのまま振り返ることなくその先端から黒雲を噴射する。
再び二人の間に立ち込める、視界を塞ぐ黒雲の煙幕。
(けど、無駄さね……。もとより扉の位置は分かってるんだ。視界を塞ごうとそこに向かってつっこみゃ――、いや待て)
向かう場所がわかっているなら見えなくとも関係ないと、そう思いかけて、しかしセリザの脳裏に一瞬先ほどのことが頭をよぎる。
攻撃の方向を誘導され、自ら不利な状況に飛び込まされた先ほどのやり口。
もしも今、静が扉をくぐることなく、そのすぐ近くでセリザが扉を通過するのを待っているのだとしたら。
静の目的が、自身がここから逃れることではなく、セリザの方をこの階層から追放することなのだとすれば。
(――ッ、やられた。――どっちだい――!? いや、あの娘の背後に情報支援者がいるなら、アタシの反応を見て対応を決める可能性も――)
そうして一瞬の最中にいくつもの思考が頭をよぎって、セリザが立ち込める雲の中へとその速度を緩めぬままに突っ込んで――。
「--ッ!?」
その瞬間、とっさに袖口から短刀を抜き放ち、セリザがそれ(・・)を弾き飛ばすことができたのはやはりさすがと言うべきなのだろう。
立ち込める黒雲の中に回転するように投じられた苦無を、その命中前に察知し、防いだことまでは。
「--ッ、は――。ホントにアンタは、つくづく――」
次の瞬間。
雲の中で増殖していた苦無、それらに秘められていた暴風の法力が炸裂し、周囲の雲もろともセリザの体を吹き飛ばし、同時に走る静にとっては追い風となって静を扉のあるその位置へと送り届ける。
「それでは、人を待たせていますので、私はこれで失礼します」
いくつもの武器を取り落し、床上を転がるセリザが最後に見るのは、閉ざされる扉の向こうに覗く、ようやくこちらを振り返った静の最後の笑み。
「どうか私のことはお気になさらず、貴方は引き続きここでのパーティーをお楽しみください」
そうして扉は閉ざされて、あとにはセリザと、未だ彼女に始末されていなかった最後の【影人】達とが残される。
すでにどちらとも逃げ場を失い、互いに相手を屠らなければ先にも進めない、そんな状況で――。
「――逃げられないのさねェ……」
ただ一言、半ばため息のように。
ひどく残念そうに、喪服のようなドレスの女は、己が足元を見つめてそう呟いた。




