277:愉快――、痛快――、明解
いよいよもって打つ手がなくなってきたと、そんな事実を静自身受け止めざるを得なくなってきた。
非常階段を駆け下りて、途中の階でマップや各階の構造を確認して状況を打開できる何かを探しながら、しかし静の心中をそんなあきらめにも似た気分が満たしていくのを自覚する。
これまでの戦いで嫌と言うほどわかった。恐らくあの相手に対して、生半可な対策などほとんど意味を成さない。
狭い場所に誘い込めば大量の武器を振り回すこともできないだろうと多少なりとも期待していた。
爆発など起こせば自身もダメージを負う環境であるならば、最初に見せられたような大火力と物量によって圧倒される事態は避けられるだろうと考えていた。
だが実際にそんな小賢しい策に頼って待ち伏せを図っていたら、その結果はあの始末だ。
恐らくあのセリザと言う【神問官】は静が簡単に思いつくような対策にはほとんど対抗手段を保有している。
なにしろ相手は千年単位の時間にわたって難攻不落、攻略不能の試練として存在し続けているような相手なのだ。
生半可な対策程度、既にこれまでの数多くの挑戦者の誰かが試しているはずで、それでもなお攻略できなかったのがあのセリザと言う【神問官】なのだと、そう考えた方がいい。
そしてそうなって来ると、いよいよもって静には打つ手がないという事態になって来る。
オハラの血族と言う突出した力を持つ一族の末裔とも言うべき静に対し、セリザは多少なりともその常人離れした戦闘能力に期待していたようだが、しかし今のセリザが有する能力は、はっきり言って多少突出した程度の人間でどうにかできる範疇を超えている。
あんな存在、正直に言って例えセインズであろうともどうにかできるとは到底思えない。
今でさえ、そもそもセリザが静の力を試し、実力を見る意図で動いているからこそかろうじて生き残れているくらいなのである。
これで仮にセリザが静の限界に見切りをつけ、本気で物量に任せて潰しに来たら、およそ静の実力程度では恐らくそう抵抗できない。
そして仮に静が見限られて殺されてしまえば、その後に待っているのはセインズへの試練と言うセリザによる最終決戦への横槍と、そして彼女が宣言した竜昇の殺害と言う、そんな報復のような最悪の結末だけだ。
恐らく、あの【神問官】は後に続く試練のためにも、その手の脅しは決して違えまい。
(やれやれ、これで殺されるのが私一人で済むのなら、破格と言える力を借り受けた代償と考えて諦めもついたのかもしれませんが……)
静にとって、この【始祖の石刃】と言う武器は過酷なビルの中の戦いを生き延びる上で非常に有用なものだった。
この武器が無かったら、恐らく静はここまでたどり着くことなく途中で戦死していたか、あるいは静自身は生き残れたとしてもその途中で他の者達にさらなる犠牲が出ていたのは間違いない。
否、それどころか。
かなり早い段階で、静も静と行動していた竜昇達も、襲い来る脅威に抵抗しきることができずに全滅することになっていた可能性だって低くはないのだ。
そういう意味では、今の静は借りものである破格の力によって恩恵を受けた、その代償の支払いを求められている立場と考えることもできる訳だが、だからと言って自分の命で支払う気などさすがにないし、ましてや他人の命を支払うなどもっと許容できそうにない。
(まあ、そもそも勝手に貸し出しておいて後からそのツケの支払いを求めるというのもそれはそれで詐欺のような話なのですが……。
--ッ!?)
そうして、自身の思考に行き詰まりを感じていたまさにその時。
ふいに階段近くの一室から電話の呼び出し音のようなメロディが鳴り響いて、とっさに静もその場で音に警戒するように身構える。
すわ次の攻撃かと身構えた静だったが、しかし二秒、三秒と時間を置いてみても何らかの攻撃が続く気配がない。
加えて、セリザの攻撃にしてはどうにも奇妙だとそう思いなおして、なにが起きても対応できるよういくつかのパターンを想定ながら、ひとまず音の正体を探るべく部屋の中へと足を踏み入れる。
(……これは?)
室内にあったのは、こうしたオフィスにありそうな備え付けの電話ではなく、電話機どころか机すらない伽藍洞の一室で絨毯の上に置かれた、一台の見覚えのあるスマートフォンだった。
手に取ってみれば、それはかつて静が使用して、けれどあのドーム球場の階層で破壊してしまったものと同じ機種である。
(セリザさんの攻撃ではない……? フィールドギミックなどとも違う、明らかに私と言う個人に狙いを定めた電話連絡……?)
こんなものを用意した相手の意図を推測しながら、しかし誰がなんのためにという肝心な部分がわからず、結局静はしばし考えた末にその電話に出てみることにする。
とは言え、一応罠の可能性も考えながら画面を操作して、耳に当てなくても会話できるようそのモードを慎重に切り替えて――。
『--よかった、静……!! 一つだけでも繋がった……!!』
「--……ッ!!」
聞こえてきたその声に、静はらしくもなく目を見開き、息を呑んだ。
「竜昇、さん……?」
『いいか、静……。お互い余裕がある訳じゃないからまずは端的に今の状況を説明する。
現在こちらは【神杖塔】をシステムの制御権を得ることで掌握。ただし同時期に同じように制御権を得たやつがいて、今はそいつと塔の機能の奪い合いと潰し合いを行っている状態だ……!!』
空っぽのオフィスの一室で信じがたい事態が語られる。
それは今この場で聞くにしてはあまりにも都合のよすぎる、けれど偽物の語る嘘と言うにはあまりにも突拍子もなさすぎる驚くべき状況。
『そこにあるスマホも静と連絡を取るために塔の機能で作った。
--厳密には、他にもいろいろと通信手段の確立を塔に命じてたんだが、もう一人の制御権持ち、あのルーシェウスって奴にこれ以外の全ての命令を潰されて、かろうじて残った塔のシステムに依存しない通信手段がそのスマホだけだった……』
恐らく塔のシステムを介した通信だと相手に妨害されてしまうのだろう。
具体的にどのような原理の通信なのかはわからないが、それでも唯一妨害されずに残ったスマートフォンでの通信を介して、竜昇の声が静に対して早口に状況を告げてくる。
『ひとまず、今の静がどんな状況にあるのかは塔の機能を利用して――、その階層の過去ログを閲覧したことでおおよそではあるが掴めてる。
現状塔の機能を自由に使える訳じゃないから的確なサポートができるって訳じゃないけど、思考補助器具の性能ではこちらが勝っているから、塔に対して大量の命令を出せば一つか二つ消しきれなかった命令が通って――。
--静?』
「--ふ、ふ……」
その瞬間、気付けば静の口から、堪えきれなかったその感情が笑い声となって漏れ出していた。
「ふふ……、ふふふ……。--アハ、ハ。ぁはは、あッハハハハ……!!」
笑う、笑う、笑う。
まるで堰を切ったように。場所も状況もわきまえずに腹を抱えて。
「ああ――、ああ……!! なんて、ことでしょう……!! 竜昇さん、貴方と言う人は、本当に……!!」
自身の人生を振り返ってみても、ここまで笑ったことは今までなかったかもしれない。
そう自分で思ってしまうほどに、普段の自分であればありえないほどに静は笑って、笑って、心おきなく胸の内の感情に任せて大笑いしていた。
実際、こんなに面白いことなど他にない。
なにしろこれ以上戦いには付き合わせられないと――。
――否、よりはっきりと、悪く言ってしまうなら、『足手まといになるから』というそんな理由で後ろに置いてきたはずのその竜昇が、いつの間にか自分達など追い越し、遥か彼方の問題の中心で塔の制御権を敵の首魁と奪い合っていたというのだから、ここまで笑える話もそうはないだろう。
本当に、いったいどんな奇跡が起きればそんな事態になるのかさっぱりわからない。
わからなくて、意味不明で、けれどこれ以上なく愉快で、痛快だった。
同時に、これ以上なく静は理解する。
(――ああ、まったく……。セリザさん達から話を聞いて、ようやく私自身のことを理解できたつもりになっていたのに……)
【オハラの血族】だとか、その一族の人間が持つ特有の精神性の存在だとか、そんな話を聞いたことでいつの間にか勘違いしてしまっていた。
自身が恐らくは生まれた時から持っていたのだろう異常性、その正体が語られたことで、いつの間にか静自身、それこそが自分の全てなのだろうとそう思い込んでしまっていた。
けれど違うのだ。オハラとしての精神性も、それは確かに『小原静』を構成する大きな要素ではあるが『全て』ではない。
ひとしきり笑って、これ以上なくはっきりと、己が感情を突きつけられた今ならば明解にわかる。
胸を満たすこの歓喜、そしてそれを好み求める己もまた、他でもない【小原静】と言う自分自身なのだと。
「素敵です……。ええ、とても素敵ですよ、竜昇さん……!!」
最後にもう一度そう言って笑うと同時に、静の中で急に立ち込めた霧が晴れたような、空回りしていた歯車がようやくかみ合ったような、そんな感覚が確かな実感を伴って押し寄せてくる。
単純な気分だけの問題ではない。
懊悩が晴れたことで今まで考えが及ばなかった部分まで思考する余裕ができたのか、それとも己の中の変化によって新たな視点が増えたのか。
なんにせよ先ほどまで見えていなかった、気づかなかった物事が連続で、まるで連鎖するように次々と見えてくる。
「――竜昇さん……。二つ、お願いしたいことがあります」
『わかった、聞こう』
打てば響くように。
かつてのペースを取り戻した静の声に、竜昇もまた迷いのない声でそう応じる。
その声に、あるいはこのやり取りに心地いいものを感じながら、静が竜昇に求めるのは目の前の状況を切り抜けるための助力だ。
「まず一つ目、今から行う作戦で、もしも私が戦っているセリザさんがそちらに行ってしまった場合、大変申し訳ないのですが私が行くまで対応をお願いします」
『了解。それで、二つ目は?』
ともすれば竜昇に危険を押し付けるような要請に、しかしやはりというべきか、竜昇は疑う様子も見せずにあっさりとそう言って話を次に進めてくる。
どれだけ静のことを信頼してくれていたとしても、これから静がやろうとしていることがある種の賭けであることくらい想像がついているはずだ。
そしてその賭けにもし負ければ、自身に少なからず、どころか極大の危険が及ぶだろうことも。
理解して、それでもなおそれを二つ返事でそれを引き受けた竜昇に対し、静が口にする言葉はただ一つ。
「もちろん、この状況を切り抜けるための助力の要請を」




