275:待ち望んだ宿敵
振り抜いた杖が少年の胸の中央を破砕する。
本来ならば触れることすらできない、幽霊のようにすり抜ける特性を備えたはずの【神造人】の体を、しかしまるでただの陶器を打ち砕くように。
「――ぁ、――フ……」
すぐ背後、正確には竜昇から見て斜め下のその位置から酷く苦しげな吐息が漏れる。
振り返れば、その場所では幽霊のようなサリアンが、しかし胸の中央あたりをごっそりと砕かれ、抉られた状態でそこに存在していた。
大穴の開いたその位置からは、周囲へと向かってみるみる亀裂が広がり、腹から下の部分は既に半ば脱落しつつある。
今でこそ、かろうじてその存在を保っているものの。
ほどなくその亀裂が頭部にまで広がって消滅するだろうことが、否応なくわかってしまうような、そんな何処までも無残なありさま。
致命傷を受けたことですでに力を失いつつあるのか、それとももはや戦う意味はないとそう悟っているのか、周囲でも竜昇を叩き潰す砲弾に使われようとしていた瓦礫や地盤の浮島が、徐々に力を失い落下していく。
「――最後に、一つ聞いておいてもいいですか……?」
そうして終わりを悟らせる光景のその中で、言葉の通り最後にサリアンが竜昇に対してそう問いかける。
竜昇が無言で頷くと、直後に投げかけられるのは彼の中で解消されていなかった根本的な問い。
「あなたに、【旧世界】についた理由を問うたとき、どうしてあなたは、自分の判断を単なる『好み』だなんて、そんな卑下するようなことを言ったのですか?
――あなたが真剣に考えて、あの結論に至ったことはもうわかりました。
その理由が、決して他人が軽んじていいものではないことも……。
けれどそれならそれで、貴方のその理由は、それこそ『主義』や『信条』、『信念』と言ったような、もっとわかりやすい言葉で言い表してもよかったはずだ。
そうしてくれていれば、僕だって――」
「――それはできないよ」
消えゆくサリアンのその問いに、竜昇は自分でも驚くほどに早く、はっきりとした口調でそう否定の言葉を口にする。
「だって俺は、自分の決断で失われるものがあることを知っている」
例えば、せっかく予選を突破して、大会への出場を目前に控えていた陸上部の友人のように。
あるいは、あの世界でしか生きられないような病を抱えた、どこかに必ずいるだろう病人や、それに近い境遇の者達のように。
竜昇は他ならぬ自分の決断が、多くの人間の命や人生に影響を与えてしまうことになることを知っている。
その影響の大きさを、それが取り返しのつかないものであることを。
無論、その未来は竜昇の決断ひとつで決まる訳ではないのだろうが、あの時竜昇が下したのはそうなる未来に加担すると、そう決める決断であったこともまた確かなのだ。
故に、だからこそ――。
「――だから俺は、自分のその選択を、その道を選んだ理由を、そんな美しい言葉では飾らない。
世界を滅ぼす理由なんてのは、ただの『好み』で十分だ」
「――そう、ですか……。ああ……、それがあなたの――、僕の……」
「――!?」
その瞬間、竜昇の意識が、まるで自身の手足が一本増えたような覚えのある感覚を得て、同時にその意識の中に莫大な量の情報が急速に流れ込んでくる。
その中でも特にはっきりしているのは、これもまたどこか覚えのある、つい先ほど口ずさんだのと同じ神聖なる文言。
『其はかつての創世に用いし御杖――』
(――な、に……?)
『――変革を求むる、その手にゆだねる信条の塔――』
(まさか……!?)
『――【転変の神杖塔】』
「――これ、は……」
「おめでとうございます。あなたは神の定めた基準を満たし、【神造物】の所有者と認められました」
息を呑む。
いつの間にか、ひび割れ、砕けて消えようとしていたサリアンが、しかし今はそれとほぼ同時に薄れるようにして、別の理由によっても消えようとしている、そんな様子を目の当たりにしたことで。
その現象の、意味は分かる。
サリアンの消滅の仕方が変わったことと、そして今しがた竜昇の中で起きたことを合わせて考えれば、明瞭に。
だが理解して、それでもなお竜昇は問わずにはいられなかった。
「――どういう、ことだよ……!?」
「そのままの意味ですよ。あなたは僕と言う【神問官】の選定を受けたんです。
恐らくは、僕の前にたどり着いて世界を変える意志を示すとか、そんな感じの選定基準を満たして……」
「――そんな、馬鹿な話があるか……!!」
告げられた言葉に、半ば信じられない気分で竜昇は、自身の中に新たに生まれた感覚へと意識を接続してみる。
たちまち脳裏に流れ込んでくるのは、直前に竜昇が求めた、恐らくはこのビルの所有者にでもならなければ知り得ないような、いくつもの情報。
「――今ならわかります。僕と言う【神問官】は、恐らく【神杖塔】の最上階に到達するという大事を成し遂げた人物に対して、世界を変える意志があるかを確認する役割だったのでしょう」
確かに【神杖塔】の最上階にたどり着くというその時点で、もともとの【神杖塔】の試練の達成難易度は相当なものだっただろう。
結果的には【神造人】達がその権能と不壊性能にものを言わせて攻略してしまったが、本来ならばその攻略は人間が多くの人々の支援を受けて達成する、それこそ一大事業になるはずだったのかもしれない。
それこそ、世界を変えることを目的に人々が結束し、その代表者がたどり着くことを想定した試練だったのだとしたら――。
試練そのものは【神杖塔】が担当し、サリアンの役割はたどり着いた人間にその意思があるか、その最終確認だけだったのだとしたら――。
「それは――、その答えは、いくらなんでも……!!」
示された答えに理屈の上では納得しながら、しかし理屈だけでは飲み込めない思いをその胸に抱えて、竜昇は思わず消えゆくサリアンに対してそう叫ぶ。
起きた事態そのものは、別に竜昇にとって悪い事態と言うわけではない。
むしろ現状は、竜昇にとって都合のいい事態ばかりが積み重なっていて、あまりにも都合がよすぎたが故に、どこかズルをしているかのような、誰かに贔屓されてしまったかのような後ろめたさが付き纏っているくらいだ。
そんな感情に揺れる竜昇だったが、しかし当のサリアンはと言えばその表情は酷く穏やかなものだった。
「――そんなに、納得いかないみたいな顔をしないでください。少なくとも僕自身はこの結末に、選定を受けたのがあなただったことに満足しているんですから……」
「満足って――」
なおも難色を示す竜昇に対して、しかしここでサリアンはふと、どこかこの状況には不釣り合いな、含みのある笑みを微かに漏らす。
「――それにそんな顔をされてしまったらかえって僕の方が申し訳なくなってしまいます。なにしろ僕のしたことは、貴方と言う所有者の選定、それだけではないのですから」
「――? 待て、それはいったいどういう――」
ふと、サリアンが何やら聞き逃せない、不穏な言葉を口にしたその瞬間。
竜昇の脳裏、会話のさなかにも意識を繋いでいた【神杖塔】のシステム内領域で、一つ奇妙な機能が働いているのを知覚する。
それは先ほどから竜昇が使用していたのと同じ、この【神杖塔】内部で起きている出来事と、その一部を過去までさかのぼって調べる情報の閲覧。
ただ一点奇妙だったのは、そうして表示されている情報の中に竜昇が調べた覚えのない、今まさに竜昇がいるこの場所の過去情報が含まれていたということだ。
それこそ、竜昇達がこの階層に現れた時にまでさかのぼった、本人にとってはすでに分かり切った情報が、延々と。
そんな調べた覚えも必要もない情報表示の存在に竜昇が不審なものを覚えて、サリアンの不穏な発言と合わさって、なんらかの答えが導き出されようとしていた――、その寸前。
「――なッ!?」
突如、思考領域内に多数の塔システムへの命令が表示されて、塔のシステムが一斉にそれらの命令を受領して、竜昇のいる階層、それも竜昇のいる周辺をピンポイントで狙うようにそれらの仕事を実行しようとして――。
「なんだとぉおおおおおッ――!?」
咄嗟に。
竜昇の意識が命令の内容を確認する前に危険を感知して、なにかを考える前に管理者権限を駆使して、直後にはそれらの命令全てに対して問答無用で取り消しの申請を投げつける。
(なんだ、なにが起きている――!?)
だが現れた命令全てを取り消しても、異変はただのそれだけでは終わらない。
まるで追撃のように竜昇の頭上に、巨大質量の鉄塊を形成せよという命令が――。
竜昇の周囲の酸素を消去する命令が――。
有毒ガスを生成しようとする命令が――。
プラズマを発生させようとする命令が――。
剣や槍を生成して射出する命令が――。
他にも様々な、明らかに竜昇を殺傷しようとする命令の数々が、一斉に思考領域内で表示されて、塔のシステムがそれら全てを実行に移そうとして――。
「――ッ、ぬぉぉおおッ――!!」
それらが達成されるその前に、今度こそ命令の内容を把握した竜昇の手によって片っ端から消去され、阻まれることとなった。
だが終わらない。
まるで竜昇を抹殺しようとしているかのような、否、明確に抹殺しようというそんな命令の数々が、次々と【神杖塔】のシステム内に発生して、問う自身がそれ等の命令を実行しようと稼働し続けている。
(なんだ、これは……。【神造物】が持ち主の意思を無視して、その持ち主を殺そうとしているっていうのか……?)
思い出すのは、無生物に命を吹き込めるという【神造人】、アーシアの存在だ。
彼女の持つ鏡の目、【模造心魂】と言うらしいあの権能であれば、あるいは【神杖塔】そのものに意思を持たせて、持ち主に逆らい、その相手を殺すべく動かすことも可能になるかもしれない。
(――いや、けど、だったらなんで今の今まで、その塔の意志はサリアンを支援する様子を見せなかったんだ……? それとも今この瞬間に、【神杖塔】の制御を奪われるのを防ぐために擬人化したとでも--?)
消しても消しても次から次へと湧いてくる、竜昇への抹殺指令の数々に横やりを入れて抹消しながら、竜昇は原因を特定するべく情報の閲覧を続けて、表示されるその情報の中に手掛かりが無いかと必死になってそれらを走査して――。
(――いや、違う。この感覚は、【神杖塔】が俺に逆らっているんじゃない)
――操作を受け付けないのではなく、勝手に機能が使用されていると言うその状況に、直後に竜昇は今起きていることの、その正体に思い至った。
「――【神問官】としての僕は、確かに貴方と言う人間を【神造物】を持つにたる所有者として認めました」
そんな竜昇の予想を裏付けるように、消えゆくサリアンが種明かしのようにそんな言葉を口にする。
「――ですが、【神造人】としての僕は。
そもそもここに来るその前から、何かのきっかけで僕自身が消滅したとき、この【神杖塔】を誰に継承させるか、その継承者をすでに決めて来ていたのですよ」
思考領域の向こう、次々と発せられる命令をたどる形でどうにかそこにいる相手を知覚して、竜昇はようやくその相手の正体を探知する。
とは言えそれは、もはや竜昇自身ある程度予感していた、予想通りの相手だ。
「【神造人】--、ルーシェウス……!!」
その瞬間、奇妙な縁に結ばれる形で、それまでまるで関係性などなかった二人が思考領域の中で対面を遂げる。
それこそ、まるで運命のように。
誰かに仕組まれた相手のように、劇的に。
それはルーシェウスにとってどこまでも不都合な展開だった。
よりによって部外者の人間に、それも敵対の意志を固めた元プレイヤーの一人に、【神杖塔】の制御を奪われるなどとは。
『【神造人】ルーシェウス……!!』
システムを介して対面したその向こう、自身と同じく【変転の神杖塔】の所有者となったその相手が、遂にこちらの存在を察知してこちらの名を言い当てる。
取るに足らない存在だと思っていた、こんな形でふたたび自分の前に現れるなどとは思ってもみなかった。
自身のたくらみに関わったという僅かな縁こそあったものの、結局のところそれだけで終わるだろうと思っていたそんな相手が、今はまるで不倶戴天の仇のような、前代未聞の【神造物】の相続争いの相手として自分の前に立っている。
『我ながら、どっちつかずの結末になってしまって申し訳ない。ですが正直に言えば、この結末に満足している自分がいるというのも本心なんです。
【神杖塔】と言う人生を、その運命を僕が最も惹かれた、そんな二人に託すことができたから……』
塔を介した知覚の向こう側で、いよいよ消滅の時を迎えたサリアンが誰に対してかそんな言葉を言い残す。
現状はどこまでも不都合な展開だ。
それは恐らくこの件に関わるあらゆる人間にとってそうだろう。
けれど一方で、そんな展開をもたらした神造の人に対して、ルーシェウスが贈る言葉など最初から決まっている。
「構わぬさ。仮にこちらに不都合があったとしても、お前が満足の行く生き様を貫けたのなら、私にとってはそれだけで何よりだ」
そんな言葉が届いたのかどうなのか、知覚の向こう側でサリアンがその顔に笑みを浮かべたまま消えていく。
結局その消滅の原因がどちらだったのか、それだけは最後まで分からないままで。
残されるのは一つの【神杖塔】と、その所有権と機能を奪い合う人間が、思考領域を介してただ二人。
「さて、ようこそと言って迎えよう神の傀儡よ。【神贈物】を手に我が前へと現れた我が宿敵よ……!!
少々意外な人選ではあるが、間違いなくお前が――、お前こそが待ちわびていた私の敵だ。
故に全力をもって歓迎しよう。貴様と言う介入を挫いたその先にこそ、我ら【神造人】の望みがあるのだから」
少し書き直したいところが出てきましたので、この章のラストの更新まで少し時間が空きます。
続きの更新は……、こ、今月中にはなんとか……。




