273:神の作りし
手の中の物体が光の中で別の何かに造り替わる。
一度はその手から取り落とし、地を這いながらようやく掴み取った一本の杖が。
否、竜昇が手にするそれは、本来杖と呼んでいいのかも疑わしい。
もともとは中崎誠司から受け継いだ【麒麟の黒雲杖】と言う杖であったものの、今はその先端部分と主要機能を斬り落とされて残った、ただの杖だったモノの残骸、そのはずだった。
それが作り替わる。
杖の残骸のただの棒から、超常の力によって全く別の何かへと。
「神よりもたらされる、神が造りし芸術品、か……」
ふと、竜昇がその言葉を思い出した次の瞬間、手の中で光が飛び散って、一本の、どこかの紳士が持つようなステッキが姿を現す。
恐らくは竜昇の使っていた杖を素体に使用したのだろう、けれど長さ以外ほとんど別物と言っていい代物に変わってしまった、手元にT字状の握りが付いた漆黒のステッキが。
(――!!)
同時に、ステッキと竜昇の意識が接続されて、朦朧としていた意識が急速に回復するとともに大量の情報が脳裏になだれ込んで来る。
ステッキの名称が、有する性能が、設定された聖言が――。
与えられた【神造物】、それにまつわる情報、それだけが。
「――ようやく、友人の憤りが理解できた気がするよ。
話には聞いていたけれど、実際これは目の前でやられると思った以上に気分が悪い」
そうして杖を手に立ちあがった竜昇に対して、上空から離れているのにやけによく通る声で、サリアンがどこか不機嫌な様子でそんな言葉をかけてくる。
この距離でここまで明瞭に聞こえてくるということは、声そのものを塔のシステムによって届けているのか、あるいは実態を持たないサリアンの場合会話のメカニズム自体が竜昇達と違うのか。
「なんとも、目をつけていたものを横から攫われたような気分ですよ……。
あるいは無粋な横槍を入れられた、と言った方が近いのでしょうか……?
別に僕自身、あなたについて何かの権利を主張できるような立場ではない訳ですが……」
初めて覚えた感情を噛み締めるようにそう言って、サリアンはどこか現状の受け止め方に困っているかのような表情を見せてくる。
実際のところ、この現象をサリアンがどう受け止め、そして何を思っているのかは竜昇にはわからない。
言葉や態度に現れるものから読み取ることはもちろんのこと、そもそも前提知識や価値基準からして違う以上その内心を読み取ることなど不可能だ。
そして現状、それらが既に重要でないことも明らかだ。
今竜昇が考えるべきことがあるとすれば、ただ一つ。
「――それで、どうしますか?
かの神から力あるなにかを渡されて、その意思の一端に触れて、貴方はそれにどんな答えを返すおつもりです?」
「――生憎と、神様がどんなつもりでこれを渡してきたんだとしても、俺のやることは変わらないよ」
そう、たとえこのステッキの制作者がどんな意図でこれを送ってきていたのだとしても、現状竜昇のするべきことは変わらない。
たとえ神様がなんらかの目的をもってこれを送ってきていたのだとしても、竜昇の側にそれに合わせて目的を変える気などさらさらないのだ。
唯一変わった点があるとすればただ一つ。
「――ああ、変わんねぇよ。もとよりもう目的は決まってる。ただそのためにできることが増えたって、それだけだ……!!」
「――ええ、その言葉を聞いて安心しましたよ……!!」
そうして言葉を交わした次の瞬間、サリアンの周囲で大量の土砂が巻き上がり、架空の空を覆わんばかりの巨大な渦を巻いて攻撃態勢を整える。
すでに竜昇を殺さずスマスなどと言う甘い考えは捨て去った。
ここまでの戦いの中で使い慣れて来た塔の機能を行使して、全力で目の前の“敵”を叩き潰しにかかる。
「故郷に埋もれて死んでください……!!」
その瞬間、生まれて初めて、純然なる殺意と共にサリアンが己が権能を行使して、周囲一帯から集めた土砂と瓦礫が土砂崩れのごとく真下の浮島、その一角にある竜昇のいるビルへと差し向ける。
その攻撃の規模たるや、もはや怪我のことが無くとも人間の足で逃れられるものではない。
どれだけ逃げようとその周囲ごと押し流す、そんな殺意と質量を込めた波濤が瞬く間にビルを飲み込み突き崩して、しかし直後にサリアンは飲まれて崩れる浮島から飛び出すそれを目の当たりにすることとなる。
「――あれは――!?」
押し寄せる土砂を直上に飛びあがることで回避して、そして今なお上昇を続けている竜昇の姿に、ほどなくサリアンはそれが持つ意味合いを理解する。
(――単純な重力軽減や身体強化による跳躍じゃない……。これは、もっと単純な“飛行”か……!?)
相手の使用している移動手段が跳躍ではなく『飛行』なのだと理解した次の瞬間、空中に飛び出した竜昇がその飛行の軌道を直角に曲げて、空中に留まるサリアンへと向かって一直線にその距離を詰めてくる。
「来るか――!!」
手の内の分析を進めながら、同時にあたりに残っていた岩塊や車両を砲弾代わりにぶつけるサリアンだったが、やはりというべきかその程度の攻撃では竜昇を捕らえることはかなわない。
次々と撃ち込まれる街の残骸を、竜昇は複雑な軌道を描きながら危なげなく回避して、サリアンとの間にある距離を着実に飛行し、詰めてくる。
(やはり飛行能力……。しかも法力違和が観測できるということは、これは権能ではなく界法の一種ですか……!?)
通常固有の【権能】以外にあまり特殊な性能を付与されることの少ない【神造物】だが、しかしものが【神贈物】となれば話が別だ。
まず物を作って、それを人にあてがう形をとる【神造物】と違い、【神贈物】は初めから贈る相手を想定しているためなのか、対象となる人間に合わせたかのような、【権能】に満たないおまけのような機能が一つ以上付与される傾向がある。
恐らくは、今竜昇が使っている【飛行界法】もその類なのだろう。
実際、足を負傷している竜昇に対して足を用いなくても使える移動手段を与えるというのはなかなかに理にかなった話ではある。
(――人間たちの技術でも、まだ純粋な意味での【飛行界法】は実用化されていなかったはずなのに……。それとも人間に実現可能なレベルに合わせてなおコレと言うことなのか……?)
【権能】でこそないものの、十分に人間たちにとっては超常の力と言っていいような機能を軽々しく盛り込んでいる製作者の在り方に反発に近い感情を覚えながら、しかしサリアンは迫る現実に即座にその思考を切り替える。
相手に自由度の高い移動能力がもたらされたのは確かに脅威だが、しかしそれだけならば現状サリアンにとってはさほど脅威ではない。
なにしろ攻撃の物量と範囲に関して言えば、この空間そのものを支配しているサリアンが圧倒的に勝っている。
故に――。
(押しつぶす……!!)
直後、飛来する竜昇の進路上、そして一瞬遅れて左右や背後、上下の全方向を取り囲むように魔法陣が発生し、出口となるそれらへ向けてこの広大な階層の各所から見上げるほどの岩塊が次々と転送されて現れる。
既にここまでの戦いの中で瓦礫を砲弾として撃ち出す効率のいい力の使い方は学習を終えている。
風圧と重力、そして【神杖塔】が持つ物体移動の全てを組み合わせ、全ての瓦礫を発射して取り囲んだ竜昇をその物量によって潰しにかかる。
ただし――。
「――再装填……!!」
魔法陣から瓦礫が発射されるその寸前、手にした杖を振るった竜昇のその動きに呼応して、その周囲に実に十二もの雷球が次々と生成、展開される。
同時に、こちらへと向かう途中から身に纏い、徐々にその蓄積量を増やしていた雷の衣にダメ押しとばかりに【迅雷撃】の電力がぶち込まれ、翼を広げるように広がった雷の衣から周囲の雷球へとその電力が一斉に供給され、注ぎ込まれる。
直後に放たれるのは、これまでの六方向の実に倍の方位に放たれる、三次元的な意味での全方位攻撃。
「【電導――星群雷撃】――!!」
(――ッ!!)
杖を振るった竜昇を中心に十二方向に極大の光条が発射され、それらが魔法陣と言う出口に現れた瓦礫を次々と粉砕してその包囲網をずたずたに引き裂いて穴をあける。
数だけならば魔法陣の方が多かった関係上全てを迎撃されたわけではないが、それでもこれだけの範囲で攻撃を相殺されてしまえば包囲等もうないようなものだ。
加えて、目を剥くサリアンのその目を潰すかのように、光条の一つが瓦礫の壁をぶち抜いて、その先の空中にいるサリアンの元まで押し寄せてくる。
(――ッ、思考補助能力も明らかに強化されている……!!)
雷の奔流に飲み込まれ、しかし有する不壊性能によってそれを透過しながらサリアンはステッキが有する機能について分析を進めていく。
竜昇のこれまでの道のりを覗き見ている関係上、サリアンは竜昇の手の内についてもある程度把握できている。
以前の竜昇は、雷球の同時生成と操作は教典の補助を受けて六つが限界。
【麒麟の黒雲杖】を入手した後もそれは同じで、杖そのものが単純な思考補助システムしか搭載していなかったことも相まって、同時使用できる界法や雷球の数はそれまでの六つ以上に増えてはいなかった。
そんな竜昇が、今は十二と言う以前の倍の数の雷球を操っているとなれば、必然【神贈物】のステッキが有する機能についてもある程度の傾向は見えてくる。
(なるほど……。この追加機能の数々は、【麒麟の黒雲杖】の上位互換か……)
恐らくは杖の残骸を素体にするにあたり、【麒麟の黒雲杖】がもともと持っていた機能を強化一新したのだろう。
そう考えれば、重量軽減を越える移動能力として飛行機能を、単純な思考補助だけではなく【分割思考】の機能を追加したというのはある程度頷ける話ではある。
そして厄介なことに、【麒麟の黒雲杖】が持っていた機能はこの二つだけではない。
(……!!)
自身を飲み込む雷光の奔流が、その照射を終えて視界が晴れたその直後、今度は大量の黒雲が押し寄せてサリアンの視界を再び封じてくる。
これもおまけ機能の傾向がわかれば正体については容易に想像ができる。
【麒麟の黒雲杖】に搭載されていた、その武装の名前の由来にすらなっていた【黒雲】の界法。
ただし、以前と大きく違う点は、これだけの規模の界法を使用していてなお、観測できる竜昇の使用法力量はそれほど多くないということだ。
恐らくは現在の人間たちが使っている技術よりも術式の効率がいいため、必要な法力の量が現存の界法よりも少なく済んでしまっているのだろう。
そしてこれは、恐らく竜昇があのステッキを用いて発動させている界法全般に言える話でもある。
(――ッ、落ち着け。あのステッキがどれだけ破格の機能を搭載していたとしても、結局のところ仕留めるのが難しくなっただけの話でしかない……)
視界を塞ぐ黒雲を暴風を起こすことで吹き散らしながら、サリアンは自身を落ち着かせるためにも半ば無理やりにでも己に言い聞かせる。
なにしろ、どれだけ竜昇が優秀な界法を使えるようになったところで、それであらゆるモノを透過するサリアンを攻撃できる訳ではないのだ。
そう思っていたサリアンだったが、しかしこれについては明確に、戦闘経験に乏しいこの【神問官】の、ただの油断だった。
(――あ、これは、まずい……!!)
暴風に吹き散らされる黒雲、その雲の壁を突き破るようにして、サリアンの背後から現れた竜昇の姿を振り返り、ようやくサリアンは自身のその油断を自覚する。
杖の握りであるはずのT字部分をなぜか先端に来るように持ち、まるでハンマーでも振るうかのように構えながら現れたその姿に、そして何より攻撃などきかないはずの竜昇が、わざわざサリアンの元まで距離を詰めてきたというその事実に、サリアンの本能が危険を感じて、とっさにその場を離れるべく慌ててその身をよじって――。
「「――ッ!!」」
その瞬間、二つの人影が交錯すると同時にまるで陶器を叩き割ったような音があたりへと響き、同時にすれ違った二人が相手の方へと振り返りながら己の失敗を自覚する。
竜昇の方は、今だ健在なサリアンの姿を視認して。
そしてサリアンの方はそんな竜昇と自身の間を落ちていく、光となって消えゆく、先ほどまで自身の左腕だったモノをはっきりと目の当たりにしたことで。
「――馬、鹿なッ、こんな……!! いったい、なにを考えているんだ、貴方は……!?」
自身の左腕、正確には肩の少し下からまるで陶器のようにひび割れて、その先が痛みもないまま失われているその惨状を目の当たりにして、思わずサリアンは激情のままにその言葉を口にする。
目の前にいる竜昇に、ではなく。
その竜昇にこんな【神贈物】をもたらした、もたらしてしまった創造主たる神に対して、その行い咎めるように。
「『【神造物】の破壊』だなんて、そんな権能……!!
どう考えてもッ、人間に与えてはいけない力でしょう……!?」




