272:対峙する理由に喝采を
広大な屋内の仮初の世界が崩壊する。
まるでその世界を作った想像主の怒りを表すかのように、大地が割れ、建物が崩れて、大小さまざまな瓦礫や岩石の塊となったそれらすべてが一斉に宙に浮きあがって渦を巻く。
(――これが【不問ビル】のゲームマスター、その中でもビル内部のフィールド担当、その力か……!!)
降り注ぐ大量の瓦礫の雨に、竜昇はとっさに先ほど思い出したばかりのアパゴの跳躍術を使用して、背後に跳ぶと同時に目の前のガラス窓を【雷撃】の界法で砕き割り、その場所に再現されていた自宅の中へと飛び込んだ。
「――ぐ、ッ――」
重力がところどころおかしくなっていた影響もあって、勢い余って室内にあったテーブルへとぶつかりかけながら、寸前でどうにか【軽業スキル】の技能を生かしてテーブルの上を転がるようにして激突を回避し、床に転がり落ちるように着地してすぐさま次の動きに移行する。
ご丁寧に内装から家具の配置、その傷の一つ一つまで再現された室内の様子を強引に無視して、背後で響く破壊音から逃れるように動かない右足を引きずって家屋の奥へと逃げ込みを図る。
「建物の中に隠れても無駄ですよ……!! 今ここにある建物は、その全てが僕と言う管理者の管理の元だ……!!」
怒気をはらんだそんな声が聞こえると同時に、竜昇の逃げ込んだ自宅の再現が大きく傾き、まるで家を丸ごと持ち上げて傾けたかのように飛び込んだ窓を下にして、破壊された壁へと向かって周囲のあらゆるものが落下する。
「――く」
壊れた足では重力に逆らいきることもできず、傾く床を竜昇の体がなすすべもなく落下して、そんな中でもその視線が周囲を見渡し、そして――。
――どこかで、誰かが笑う声が聞こえた、そんな気がした。
(残念ですが、これで……!!)
持ち上げられた家から多数の家財道具が落下していくその中で、サリアンはそれにかまいもせずに自身が重力と上昇気流を駆使して持ち上げた、その家の真下へと向かって浮遊する。
降り注ぐ家具が自身の体をすり抜けていくことすら構わずに真下に回り、落ちてくる様子のない竜昇が室内で動けなくなっているところを狙うべく、家屋の中たる真上を見上げて--。
(……いない?)
探す標的の姿が見られないその室内の状況に、サリアンが瞠目して動きを止めた、次の瞬間--。
「【迅雷撃】――!!」
サリアンの真横、家を持ち上げる上昇気流の中を緩やかに落下していた食器戸棚の下段の戸がその内側から蹴り破られて、そこから飛び出してきた竜昇がサリアンと、その周囲に浮かぶ攻撃手段足る瓦礫目がけて大火力の電撃を撃ち放つ。
思わぬ方向からの攻撃に、再び電撃にのまれながら驚きを露わにするサリアンだったが、しかし仕掛けた竜昇の側からしてみればこの程度の潜伏は造作もない行いだ。
なにしろ今まさに破壊されたそこは、サリアンの手によって再現されたものとはいえ、幼いころから育ち、細部に至るまで知り尽くされた竜昇の自宅なのだ。
当然、人間一人が隠れられるような家具のスペースくらい熟知しているし、その中から中身を引っ張り出してスペースを確保しやすい場所を絞り込むくらいほとんど瞬間的な判断できてしまうことである。
とは言え、だ。
(--く、やっぱりこっちの攻撃が一切あいつに通じないっていうのは痛い……!!)
地表から立ち上る上昇気流に乗ることで勢いを殺し、降り注ぐ家具を避けてどうにか着地することに成功した竜昇だったが、しかしだからと言って今の状況は決していいものとは言い難い。
見れば、サリアンが手ごろな攻撃手段として確保していた瓦礫については破壊できたものの、他ならぬサリアン自身は当然と言えば当然ながら何一つ変わらず健在なままだ。
そしてこと攻撃手段に関して言うならば、この【神造人】の少年にはいくらでも補充する手段がある。
「そこに、いましたか……!!」
電撃をすり抜けて竜昇の姿を視認して、サリアンがそんな声と共に落下して来る家具や家の残骸から手ごろなものを確保する。
液晶テレビに冷蔵庫、そして竜昇が使っていた机とどれもなじみ深い思い出の品の再現が、しかし今は竜昇にとっての脅威となって、地上の竜昇目がけ別々の方向から飛んでくる。
「【光芒雷撃】――、発射――!!」
砲弾と化した家財道具の数々に、竜昇は未練を振り切るように、即座に周囲に雷球を生成してそれを発砲。
最低限の射撃でどうにか飛来するそれ等の軌道を逸らし、あるいは正面から粉々に破壊して自身への直撃をどうにか防ぎ、回避する。
ただし。
「――ッ」
最初の攻撃こそ迎撃で来たものの、次々と飛ばされる追撃までは流石に迎撃しきれずに、とっさに竜昇は杖で体を支え、左足に力を込めて真横に向かって退避する。
発動させるのは現在の竜昇の唯一の移動手段ともいえるアパゴのオーラ。
都合三回目の発動とあって多少なりとも発動に慣れては来たものの、不安定であることに変わりない技術にそれでも頼って、次々と降り注ぐ攻撃の範囲からギリギリでどうにか逃れ出る。
「まだまだ、それくらいで逃げられたとは思わないことです--!!」
そんな命からがら逃げ続ける竜昇に対し、しかしサリアンの側ももはや容赦しようという様子は無い。
自身の頭上、そこに保持していた半壊した竜昇の自宅に操作の手を向けて、それを丸ごと投げつけるような動きで竜昇一人を押しつぶすべく叩きつけてくる。
これまでにない質量の塊に対し、竜昇は--。
「――ホンットにッ、嫌な攻撃ばかりしてくるなァッ--!!」
飛び退きながら新たに生成した雷球を手の先に集め、それを落下してくる自宅へと向けて発射体制を整えていた。
「【六芒迅雷砲】――!!」
押し寄せる自宅、否、もはや瓦礫の塊と言ってもいいようなそれをどうにか正面から打ち砕き、それによって破片が落下してこなくなった場所を見極めて、かろうじて竜昇はその場所へと向けて走り込む。
自身の周囲、立ち込める土煙と大量の瓦礫の影にどうにか身を隠し、すでに先ほどからの攻防で振り絞り続けていた体力と法力に、ようやく一息ついて思考する時間を確保する。
考えるのはこれまでの攻防、その中で見えて来たこのサリアンと言う【神造人】のつけ入れる隙について。
(さっきから見ててわかった。こいつには恐らく、ほとんど戦闘経験と言うモノがない……)
考えてみれば、長い間【神杖塔】の最上階でそこに到達するモノを待ち続け、【神造人】となった後もほとんど人間との接点を持たずに過ごしてきた存在である。
そうした背景を考えるなら、この相手はまともな戦闘経験はおろか、他者と敵対した経験や、自身が【権限】を握る塔の力を用いて他者を攻撃した経験すら、今の今まで全くと言っていいほど持ち合わせてはいなかったのかもしれない。
先ほどからの攻防の中でも、食器戸棚の下段に潜む竜昇にあっさり隙を突かれて攻撃を受けていたし、竜昇を狙う攻撃についても狙い自体はかなり大雑把でその操作技術は決して卓越しているとは言えないものだった。
なにより、恐らくは瓦礫を持ち上げる為なのだろう重力の軽減によって、足を負傷した竜昇にかろうじて動ける余地を残してしまっているあたり迂闊すぎだ。
正直に言ってサリアン自身の不壊性能、こちらからの干渉の一切を受け付けない透過特性さえなければ、この相手の打倒はそれほど難しくなかったようにも思える。
(単純な技量や経験の多寡を考えれば対抗できる要素が無いわけじゃない……。問題はほぼ攻撃の通じないこの相手にどうやって勝つか……、いや、そもそも勝利条件と敗北条件をどこに持ってくるか、だ……)
この内、敗北条件についてはそれほど難しくはない。
竜昇が死亡すること、あるいは死亡まではいかずとも、サリアンの転移によってどことも分からない場所へと送られて、そのまま竜昇がこの件に関与できる余地を奪われることがそれにあたる。
ではそれに対して、竜昇の側の勝利条件は何なのか。
仮に竜昇が静と同じ、【新世界】を解体して二百年後以降の世界の存続を望むとなった場合、このサリアンと言う【神造人】の存在はそれを達成するうえで特大の障害だ。
有する不壊性能故に捕縛・打倒することが事実上不可能に近く、ビルの内部構造を自在に改変することが可能で、さらに任意の対象を好きな場所に転移させることすらできるというこの【神造人】は、どう考えても野放しにできない、上の階層で戦う静や【決戦二十七士】にとって最大の脅威となる存在だろう。
極端な話、この少年一人取り逃がすだけで、先に出発した静達や【決戦二十七士】が、他階層からの一方的な攻撃によって何もできないまま全滅する展開もありうるのだ。
それを考えた場合、本来ならば対面することすら困難な【神造人】がすぐ目の前にいるこの状況は、竜昇はおろか【真世界】側の人間にとって二度とあるかもわからない千載一遇のチャンスとも言える。
だとすれば、だ。
(こちらの勝利条件は、サポートに回っただけでも厄介なこの【神造人】を静達の戦いに参戦させないこと……。
最悪自力での打倒が困難だったとしても、コイツが静達に手を出せない状況か、あるいは他の誰かがコイツを倒せる状況を作ること……)
ならばそのためにどうすればいいか。
ポケットの中の手帳大の魔本、本来は【教典】と呼ぶらしいそれの力を借りて、竜昇は必死になってその方法を思考する。
攻撃がこの相手に届かないというのであれば、では届くものは何なのか。
それが与えられる影響、そして目的につなげられる道筋を必死になって模索して――。
(可能性は低いが――、まあ、やるしかないよなァッ――!!)
思いついた手段に腹をくくった次の瞬間、視界を遮っていた粉塵が荒れ狂う突風によって吹き散らされて、同時に周囲の瓦礫の影へと向けて次々と転移の魔法陣が投射されてくる。
「――ッ、【光芒雷撃】――、発射――!!」
とっさに周囲の地面に光条を叩き込み、再び粉塵を巻き上げると同時に即座に瓦礫の影から走り出す。
まともに動かない右足に変わり杖で体を支える不格好で不安定な走り方だが、それでもまるで動けないよりはずっといい。
そう考えながら遮断した視界の中を走る竜昇に対して、しかし追いすがるように撃ち込まれるのは大小雑多な大きさの瓦礫の数々。
(こいつ……、狙い自体は下手くそだけど、こっちの動きを補足して狙い撃ってきている……!?)
軽減された重力の中、左足と猿真似のような身体強化だけでどうにかジグザグに動く竜昇に対し、瓦礫はまるでそれを追うように次々と距離を詰めながら撃ち込まれてくる。
(恐らくは自前の目ではなく塔が持つなんらかの機能を利用してこっちの位置を観測している……。さっき俺が身を隠したことでその位置を見失ったから、すぐさま対策を打ったってところか……!!)
とは言え、下手に姿を隠しすぎて竜昇が死んだか別の場所に転移させられたと勘違いされても困る関係上、その心配がなくなったというのは一概に悪いこととも言い切れない。
今でこそ竜昇の挑発に乗って意識がこちらに向いているが、そもそもサリアンにこの階層に留まる理由などさほどないのだ。
極端な話竜昇など置き去りにして元居た場所に帰ってしまうという選択肢が相手にある以上、こちらの位置がバレているというのはある意味では好都合なことともいえる。
たとえその狙いが大雑把なものであるとしても、この相手のスケールの違う攻撃から逃げ続けられるなら、だが。
「――そっちが、その気なら――!!」
当たらない自身の攻撃にしびれを切らしたのか、苛立った声が聞こえた次の瞬間、走る竜昇のその背後ですさまじい轟音と衝撃が駆け抜ける。
竜昇の足元、いつの間にか浮かび上がっていたらしい町の一角が、真下からその中央にまた別の街の岩盤を撃ち込まれて真っ二つに圧し折られ、足元に地盤が大きく持ち上がって上にいた竜昇の体が勢いよく斜面となった地上を転がり落ちる。
「――グ、っ、ぅぉォぉおおおっ――!?」
とっさにシールドを展開し、転がり落ちた先のガードレールにぶつかる衝撃を殺して直後にそこにしがみ付いた竜昇だったが、あたり一帯の光景は想像していた以上にひどいものだった。
見れば、いったいどこまで続いているのかわからない、地平線まで見えそうな巨大な空間の内部では、しかしその地平線を作っていたはずの岩盤が次々と砕けて宙へ浮き上がり、その上にあった町や建物ごと大量の浮島の群れとなった想像を絶する光景が広がっている。
本物ではない、再現された街並みだったのだと分かってもなおゾッとする。
まるで竜昇の知るあの世界が崩壊していくかのような、そんな光景。
「どうしました? 再現とは言え生まれ育った町が崩壊していく光景には、やはり多少なりとも思うところがありますか?」
「--ッ」
そうして竜昇が目の前の光景に目を奪われていたまさにその時、肉眼でも竜昇を発見したらしいサリアンが容赦なくそう問うてくる。
同時に放たれるのは、彼に追従するように空中に浮かべられた巨大な岩塊。
「――ッ、【六芒迅雷撃】――!!」
撃ち込まれる大質量による連続攻撃に、竜昇の側も生成していた雷球に電力を叩き込んでの大出力攻撃でどうにかそれを迎え撃つ。
とは言え、降り注ぐ巨大質量を前にして、いくら上位の術とは言え竜昇一人が生身で使える界法程度で正面から押し返せるわけがない。
案の定、六条の雷は押し寄せる巨岩の軌道をわずかに逸らすだけにとどまり、直撃こそしなかったものの圧倒的なその質量が竜昇のいる道路のわきの民家を複数巻き込む形で直撃した。
「――ヅッ、グごぉわぁァッ――!!」
地を揺るがす激震、下から突き上げるような巨大圧力、そして押しのけられた空気からなる土砂交じりの暴風が一斉に襲ってきて、とっさにシールドを展開した竜昇を容赦なく虚空へと向けて叩き出す。
どうやら巨岩が激突したことで竜昇がいた町の折れ曲がっていた岩盤が二つに割れて、中央を起点に両側が持ち上がる形で街並みそのものが圧し折れ、その上にあったものが軒並み空中に投げ出されたらしい。
当然、その投げ出されたものの中にはちっぽけな人間でしかない竜昇の体までもが含まれており、重力の狂った世界で竜昇の体が無防備なまま虚空をさまようことになる。
(――滅、茶苦茶だ……!! 攻撃のスケールが、大きすぎる……!!)
自身を討ち出した勢いを殺すこともできず、なすすべもなく回転させられる状況に吐き気を覚えながら、竜昇はかろうじて自由になる心中で悪態のようにそう叫ぶ。
もとより攻撃の精度が大雑把なことには気づいていたが、どうやらこの相手は攻撃の精度を上げるよりも圧倒的な力によって力技で竜昇を叩き潰すことにしたらしい。
実際ここまでのスケールの攻撃を連発されては、竜昇など直撃しなくても攻撃の余波だけでその命を脅かすことができる。
「少しは理解できましたか……? あなたの選んだその道の意味が……」
案の定、逃げられない空中へと投げ出された竜昇を追って、サリアンがいくつもの瓦礫を回収しながら飛んでくる。
振りかぶり構えるのはビルの壁面と思しき瓦礫と長大な電柱、そして前半分がつぶれた一台の自動車だ。
「【決戦二十七士】に、【旧世界】に与するとはつまりこういうことですよ」
「ッ――、【光芒雷撃】ォッ--!!」
撃ち込まれる瓦礫と自動車、そして振り下ろされる電柱に対し、竜昇はとっさに生成していた雷球から光条を発砲。
襲い来る三つの攻撃、ではなく、他ならぬ竜昇自身に向けて光条を撃ち放ち、それらを身に纏う【電導師】の力場で受け止めて、肩と胸、腿のあたりへの殴られるような衝撃を代償にその体を勢いよく左下へと向けて突き飛ばす。
「--!?」
瓦礫と自動車が見当違いの浮島に着弾し、振り下ろした電柱を盛大に空振りさせながら、ほんの一瞬サリアンが驚いたような表情を浮かべるのが視界に映る。
--どこかで、誰かの笑う声が聞こえる。
とは言え、現状の竜昇にそんな相手の反応を楽しんでいられる余裕はない。
貫通力を殺したとはいえ光条が体の三か所に直撃する衝撃と痛みに呻きながら、次の瞬間にはすぐさま自身の周囲にシールドを展開。
狙っていた斜め下にある浮島の、斜めに傾いた車道へとシールドを砕かれながら墜落し、人間が立つことが難しいほどに酷く傾いたその斜面を転がり落ちるのを、とっさに近くにあった郵便ポストにしがみ付くことで難を逃れる。
「――う、ぐ……、ぉ……」
直後、目に血液が流れ込み、竜昇視界の右半分が赤く染まる。
どうやら硬いアスファルトの上を転がったことで額を切っていたらしい。
否、額だけではない。
今の竜昇は全身各所に打撲や擦り傷、切り傷の類が多数刻みつけられ、正直言って痛む箇所など数え切れないような状態だ。
流石に骨などは折れていないと思われるが、この調子で攻撃を続けられてはいつそうなったとしてもおかしくはない。
だが、それでも。
「――ぅ、ヌッ、ぁあああああッ――!!」
痛む体に鞭打ち顔をあげ、竜昇はポストの上へとよじ登りながら同時に使わずに付近に保持していた雷球を掴み取る。
こちらを追って迫るサリアンの、その振り下ろされる電柱へと狙いを定め、先ほど取り込み、身に纏っていた雷の衣から電力を回して、雷の一閃を相手の攻撃目がけて叩き付ける。
「一閃――【光芒雷刃】――!!」
振るわれる電柱の半ばから先を継続放出された電撃の光条が削断し、斬られた先端が吹き飛ばされて付近の家屋に激突する。
とは言え、まともに受ければシールドを展開していても突破されかねないそんな攻撃も、サリアンにとってはいくらでも用意できる攻撃手段の一つでしかない。
「--ッ!!」
案の定、斬りとばされた電柱の、その迎撃の隙を突くように、死角になる方向から投射されて移動して来た転移の魔法陣が郵便ポストの側面に立つ竜昇の足元へと到達する。
気付いていたとしてもある種のマーカーに近いモノであるため迎撃も防御もできない。その癖発動されればそれだけで勝負が決まってしまう立派な攻撃と言えるそれに対して、竜昇は――。
「--まだ、そこまで……!!」
――驚くサリアンをしり目にポストの側面から飛び降りて、緩慢な回転によってほとんど垂直の壁に近くなった道路を落下する捨て身の逃走手段をとっていた。
「――ヅ、ゥ、ォぉおおおおッ--!!」
永く感じる一瞬を落下して、はるか下に生えていた街路樹へと竜昇の体が引っ掛かるように落着する。
すでに何かが激突した後なのか、枝葉の半分ほどがもぎ取られたその樹に必死の思いでしがみ付き、それ以上の意図せぬ落下を防ぐべく動きの悪い右足を庇いながら次の攻撃に備えて太い幹へとよじ登る。
「――ぅ、ぐ、……ッ、ハァッ……。まだ、まだだ……」
「……どうして、そこまでむきになってこちらに逆らおうとするんです?」
いくつもの傷を負い、額からの出血で視界の右半分を赤く染めながら、それでも必死に、死に物狂いになって抗う竜昇のその姿に、竜昇と違って重力に囚われることなく浮遊するサリアンが心底疑問に思った様子でそう問いかける。
今次の攻撃を仕掛ければそれこそ簡単に勝利できると分かっているはずなのに、それでも聞かずにはいられないというそんな様子で。
「――あなただって、すでに分かっているはずだ。別に僕だって、貴方を無理にでも殺そうと思っているわけじゃない。
さっきの魔法陣、あれの中でおとなしくしてくれれば、そのままあなたは戦いとは関係のない、安全な拠点にまで戻れたはずなんです。
その拠点だって、こちらとしても無理して滅ぼすつもりはありません。
こちらに攻め込んで来る【決戦二十七士】の方たちはさすがに迎え撃つ必要がありますが、逆に言えばその方たち以外にまで手出しするつもりはこちらにもないんです」
語られるその言葉に、竜昇は必死に息をしながら申し訳程度に頷きを返す。
その程度のことは知っている、わかっているとサリアンにそう伝えるために。
それを伝えることこそが重要なのだと、他ならぬ竜昇自身がそう理解しているが故に。
「ではなぜ、そうまでして、勝ち目のない戦いとわかっていて僕に挑むような真似をするんです……!?
ひょっとして、あのオハラの――、小原静が僕達に敵対しているからですか?
彼女が僕達に敵対しているから、彼女が【旧世界】を選んだから、貴方もそれに従って僕達に敵対する道を選んだとでも……!?」
「--、はは……」
投げかけられたその問いかけに、思わず竜昇の口から笑いがこみ上げる。
サリアンの言葉に図星を突かれたからではなく、それとは逆の本心にもう一つ気付いてしまったが故に。
「--あの時、静について行かなくてよかったよ」
「――は、い……?」
「もしあの時、俺が静の後にただ付いて行ってしまっていたら、俺はもう胸を張ってその隣を歩けなくなるところだった」
自身が静に向ける感情が何なのかと、それを恋愛感情と呼んでしまっていいのかと、詩織と話したあの時からそんなことをずっと考えていた。
けれど違うのだ。
名称などどうでもいい、結局のところ竜昇は、この先もずっとあの少女と対等に張り合っていたいのだ。
竜昇などより圧倒的に強い、才覚に満ちたそんな相手と。
それでもその隣で並び立つように、対等に。
彼女に恥じぬ自分のままで、彼女と並んで歩いていきたい。
そしてそうとわかってしまったならば、もはやその感情に付ける名前などなんであっても構わない。
今はただ、先へと進んだ彼女の元を、誰に恥じることもない竜昇自身の答えを携えて、己の考える最善を貫き目指すのみ。
「――きっと後悔するんだよ。もしもここであの世界を選んでしまったら、この先自分の未来を選ぶ、そんな選択を前にしたその時に……!!」
口の中に血の味がするのを感じながら、それでも竜昇は声の限りにその感情を口にする。
「ああそうだ、手に取るようにわかるよ。目に浮かぶようだ……、なんせ自分のことだからな……!!
もしここで滅びの可能性が残る世界を選んでしまったら……。そうなる可能性を放置して、ただの惰性みたいな理由で愛着のある世界を選んでしまったら……。
--もう俺は、この先未来を決める選択の時に、それに真剣になんてなれなくなる」
例えば、進学だとか、就職だとか、あるいは結婚したり、子供が生まれたりと言ったような。
今の竜昇には想像しにくい、けれど誰にでも訪れうる人生の転機を迎えたその時に、しかし竜昇の頭には一つの思考がよぎることになるのだろう。
今どんな選択をしたところで、結局二百年後に世界は滅びて、全てが台無しになってしまうかもしれないのに、と。
その先の未来もあっただろう世界を拒絶して、滅びの危険が残る、そんな世界を選んだのは他ならぬ自分自身なのに、と。
あるいはその思考は、竜昇の中からよりよい未来を目指す、そんな意志や気力すらも奪ってしまうかもしれない。
「……だからあなたは、僕達の敵に回るって言うんですか……? それがあなたが、僕の作った世界を選ばなかった理由……?」
「……どちらの世界を選ぶかなんて聞かれて、正直いろんな考えが頭をよぎったよ。単純に死ぬ人間が少ない方で選ぶべきかとも思った……。世界そのものの暮らしやすさや愛着、今の世界が無くなることで失われるかけがえのないものの存在。
他にもお前たちが信用できるのかとか、世界の命運を預けられるか、お前達に支配された世界で生きることへの不安だとか、そんなことも確かに考えた……」
正直に言って、竜昇の中での彼ら【神造人】の人格への信頼はそれほど高くない。
それはそうだろう。なにしろどれだけ言いつくろったところで、彼らは竜昇達精神干渉への耐性保持者を、【新世界】存続のためという大義名分の元、死地へと送り込んだ張本人なのだ。
その判断の合理性、あるいは妥当性については最低限評価するとしても、だからと言ってその行いは竜昇達の立場からすれば到底容認できるものではないし、また何かがあった時、サリアン達が同じことをするのではないかと言う懸念も無視できるものではない。
さらに加えて言うなら、この問題に対するサリアンの物言いもまた不安要素の一つだ。
この少年の物言いについて、漠然と抱いていた不安感の正体が今ならわかる。
彼の言動は、こう言ってはなんだが完全にイキッた初心者のそれなのだ。
上級者の作った【真世界】を見て、自分ならばもっとうまく作れるはずと初めての作品として【新世界】を作ってみたら、出来上がった世界は二百年の寿命と言う致命的な欠陥を抱え込んでいた。
なにも創世に限った話ではない。
どんな分野でもありがちな、初心者が陥りやすい割とよくある失敗の形。
そんな失敗談に酷似した言動を繰り返すサリアンに対して不安を覚えるというのは、彼らが世界の寿命の問題を解決することに失敗する具体的な根拠にこそならないものの、それでも決して無視していいものではない重要な理由ではあるはずだ。
けれど――。
「――けど違うんだよ。
お前達への怒りや恨み、不信や疑念も確かにあった。世界の寿命の問題を解決するという、その言葉に不安要素を見出していたのもまちがいない。
けど、それじゃあ駄目だったんだよ。他ならぬ俺自身が、自分の戦う理由として、その手の感情に従う自分を許せない」
たとえそれ等の感情が人として真っ当なものだったとしても、自身を含めた多くの人間の未来を左右する決断の理由が、相手への悪感情であっていいはずがない。
それは言うなれば、この塔を攻略する中でもずっと自身の中にあって、竜昇を突き動かしてきた自身の個人的なこだわりだ。
こだわりで、あくまでも竜昇自身のただの好みだ。
自分達の未来は己が尊いと思える理由で選びたいという、本当にただの好みの問題。
「どちらの道を選べば吉と出るのか凶と出るのか、結局のところ未来を知ることのできない俺達には正解なんてわからない。
一応成功率の話とかをすれば、どちらを選んだ方がうまくいく確率が高いとか、そう言う数字の多寡はあるのかもしれないけど……。
今の俺にはそんな数字なんてわからないし、わかったところで結局のところそれは確率でしかない。ついでに言えば、結果が出るのが二百年後じゃその確率が当たっていたかどうかなんてわかる訳でもないしな」
「だからあなたは、僕らの【新世界】ではなく本来の世界を選んだのですか……?」
「ああ、そうだ。滅亡の危険が未解決のまま残った天国よりも、例え地獄のようでも存続できる世界の方が好ましい。
少なくとも、そう言う世界の方が俺は真剣に生きられる。そう思ったから俺は故郷ではなく本来の世界を選んだ。
世界の命運がかかった問題なんて、解決できるときに解決した方がいいとも思ってたしな」
もっとも、結局はこれも竜昇自身の好みの問題と言うことになるのだろう。
そのことを自覚しながら、それでもなお竜昇はそんな己の好みを恥じることなく目の前の空中まで降りて来た【神問官】へと開示する。
そんな竜昇の、嘘偽りなき自己開示を受け止めて、サリアンは――。
「――ようやくわかりましたよ。【真世界】を選んだ理由を『好み』と言った、その言葉の本当の意味が。
侮りをお詫びしましょう。けれど同時に僕は、貴方と言う人間を生かして帰す訳にはいかなくなった」
理解と納得、あるいは満足と安堵。
そんな様々な感情をその表情に浮かべて、しかしサリアンは直後に冷徹な無表情で竜昇に死刑宣告を突きつけてくる。
「あなたは危険だ。障害と言う意味では、貴方と言う人間は決して現状脅威ではない。
にもかかわらず、僕の直感は貴方と言う人間を決して放置してはならないと感じている」
「……ハッ、つくづくお前は人のことを過大評価してくれるな」
死刑宣告にも等しいサリアンの言葉を冷静に受け止めながら、同時に竜昇は自身の先ほどからの目論見が決定的に外れたことを自覚する。
有する不壊性能によって攻撃が効かない、それどころかあらゆるものを透過するため捕縛することすら敵わない、そんなサリアンに対して竜昇が唯一活路を見出していたのは、自身の態度と言葉によるこの少年の説得と試練の突破だ。
それは不死不壊、そして不滅の【神問官】であっても唯一例外なく存在する消滅条件。
自身の預かる【神造物】、それに相応しい人間を見つけてしまうことによる、試練達成と同時に起こる【神問官】の消滅。
それを狙っていたからこそ、だからこそ竜昇は自身の考えを、その嘘偽りなき本音の全てをサリアンに対して開示した。
本当に選定を受けられる可能性など限りなく低いことは承知の上で、あわゆくばサリアンを説得する糸口でも見つかればと言う思惑も込めて。
偽りを口にして突破できるほど甘いものではないだろうとの判断の元、分の悪い賭けであることは百も承知で、竜昇は己の全てをこの崩壊する世界の中で示して見せた。
結果だけを見れば、案の定これで選定を受け、勝利できるなどと言う甘い結果にはならなかった訳だが。
(--ハッ、ダメならダメで仕方ない。拘泥するな、考えろ……!!
こいつを何とかするには、他にどんな方法をとればいい……!?)
そうして竜昇が思考を切り替えた次の瞬間、巨大な地響きの音と共に縦になった浮島が大きく揺れて、背後の地面が巨大な岩盤にぶち抜かれて、竜昇のいた街路樹の一体が粉々になって空中に投げ出される。
「――グ、ぉオッ――!!」
間一髪、竜昇自身が足元の揺れに耐えきれず、直前に街路樹から投げ出されて転落していたことでかえって命拾いした。
どうやらサリアンは縦になった浮島に別の浮島をぶつけて、竜昇のいる場所を背後から粉砕しに来たらしい。
砕かれた地面から別の地面が突き出して、それに伴って割れた大地が逆さまになるのを真上に見ながら、竜昇の体があいまいな重力の中で風圧に墜とされて真っ逆さまに転落する。
――笑い声が聞こえる。
「--ッ、ぅ――、シールドォォォオッ――!!」
真下から迫る光景に歯を食いしばって全力で法力を放出し、形成された球体状の障壁が真下にあった浮島の、その上のビルの屋上に激突して大きく跳ね上がる。
直後に衝撃に耐えられなかったのかシールドがひび割れと共に一気に砕け散り、無防備になった竜昇の体がコンクリートの屋上に勢い良く叩きつけられる。
どうやらわずかに斜めになっていたらしい、ビルの屋上を竜昇の体が何度も跳ねながら転がって、その拍子に竜昇の握っていた杖の残骸が手からこぼれて、直後にようやく落下の際に生まれた運動エネルギーを使い切って、竜昇の体が屋上の床を滑りながら止まる。
――笑い声が聞こえる。
(――グ、ぁ、が……。
――まだ、だ……。まだ、死んでない……)
強かに全身を打ち据えられたことで途切れそうな意識をどうにか繋ぎ止め、かろうじて動かせる状態にあった手足をどうにか動かして、朦朧とした意識の中で、竜昇はまず今しがた取り落としたばかりの杖の位置を探る。
ぼやけた視界と目に入った血によって碌に目も見えない状態で、手探りで。
お世辞にもキレイとは言えない屋上の床上を、血塗れで傷と痣だらけの無様な状態で這いずりながら、それでもなお動きを止めることなく。
――笑い声が聞こえる。
そうして、緩慢な動きと必死の思いで抗いながらふと思う。
先ほどから聞こえる、この誰かが笑っているかのような声はいったいなんなのだろう、と。
いったいいつから聞こえていたのかもわからない。
どこか遠くから聞こえているようでありながら、しかしまるで内から響いてくるかのような、酷く近くにも感じられる奇妙な声。
まあ正直、笑いたくなる気持ちは分からなくもない。
なにしろ今の竜昇は【神問官】たるサリアンに無謀な戦いを挑んだ挙句、結局その目論見のことごとくを外してこうしてボロボロになって追い詰められた無様なありさまなのだから。
見るものが見れば、その姿は酷く愚かで滑稽に映るだろう。
その程度のこと、竜昇自身自覚したうえで今こうして戦っている。
ただ一点、不思議に思う点があるとすれば――。
(――あれ、でも、この声--)
どこからか聞こえるその声が、嘲笑であるはずのその笑いが、どこか違う意味合いを持っているような、そんな気がして――。
「まさか――!?」
眼下で生じた光景、気づかずにいるのが難しいほどのその変化に、空中に浮かぶサリアンが思わず立ち尽くし、声をあげる。
生まれた輝き、明らかに竜昇が起こしているものではないその現象に、他ならぬサリアン自身が思い当たるものがあったが故に。
通常、【神造物】が人間にもたらされる状況と言うモノは限定的だ。
神の作りしそれらの物品は、しかしほとんどの場合それらを預かる【神造人】の試練によって相応しい人間を見出され、彼ら彼女らの存在を介する形で人の世にもたらされることとなる。
だが極稀に。
歴史上実に三例のみと言う希少な事例ながら、明らかに【神問官】の手を介さぬ形で人の手に【神造物】がもたらされた事例と言うモノがわずかながらも存在しているのだ。
それこそまるで、神の手で人間の元に直接贈られた贈り物のように。
俗に【神贈物】などと呼ばれる特例中の特例が。
各時代で歴史の転換点となった物品が、その肩入れの証が、確実に。
――笑い声が、聞こえる。
音としてではないのに明瞭に、まるで空の彼方から、あるいは己の内の奥底から響いてくるかのような、そんな矛盾した感覚を伴う奇妙な笑い声が。
ただしその声の中に感じられるものは、そこに含まれた感情は、当初考えていたような竜昇を嘲笑うようなものではない。
例えるなら、そう。それはまるで誰かが喝采でもあげているかのような。
どこかの誰かがとびきり面白いものを見つけて腹の底から笑っているかのような、どこまでも愉快気なそんな声が、ようやく杖を探り当てた竜昇のその手の中から、まるで産声のように輝きと共にその範囲を広げて――。
その瞬間、一人の少年の手の中で光がはじけ、一振りの【神造物】がこの世界に降誕する。
まるで歩くのにも苦労する少年に歩みを支える術を贈るかのように、先端を斬り落とされた杖の残骸を材料として、手元の握りがT字になった一振りのステッキが。
歴史上実に四度目の神の肩入れが、喝采を叫ぶ笑い声と共に、高らかに。




