265:新世界の申し子
「ようやくわかりました。僕がなぜあなたに興味を持ったのか、僕があなたに何をして欲しくてここにお呼びしたのか、その理由が……」
先ほどまで自身でも理解できていなかった理由をようやく自覚して、どこか晴々とした表情で【神造人・サリアン】はそう語る。
語られるのは予想していなかったわけではない、けれど今の竜昇の状況的にないだろうと考えていた、そんな理由。
「要するに僕は、貴方にもう一度戦ってほしかったんです。他ならぬ貴方に、あの世界を守るために」
「……俺に?」
【新世界】を守るために【決戦二十七士】と戦う。
求められたその選択に、それを求められた竜昇は、しかしすぐさま返事を返すことなどできるはずもなかった。
当り前だ。そもそもその選択肢は、竜昇自身頭には浮かんでも、様々な理由で選ぶことができないと、そう却下した選択肢である。
「ご心配なく。足のことを気にされているのでしたら、それについてはもちろんこちらで何とかします。
直接的に治療できるかどうかまでは分かりませんが、ルーシェウスに掛け合って何らかのスキルを見繕ってもらってもいいですし、【新世界】を作った時に回収した法具もありますから、その機能で補完するなり、アーシアに魂を込めてもらって補強するなりして代替手段を用意することもできるでしょう。
――……いえ、違いますね……。実のところ、僕は貴方に【新世界】を守る戦力として、役に立って欲しいわけではないんです」
「--なんだ、それ……。いや、ちょっと待て――、訳が分からないぞ。なんだってお前は、よりにもよって俺なんかにそんなことを求めてるんだ……?
…………それにいったい、なんの意味がある……」
戦力として期待されていると言われてもわからないが、それすらないというならなおのことサリアンが竜昇に参戦を求めてくる理由がわからない。
そもそも、怪我をする前から、竜昇は決して有数の実力を有していたわけではないのだ。
無論それなりのスキルは習得していたから全くの無力という訳でもないのだが、そもそもスキルシステムの出どころであるルーシェウスと、【影人】の制作者であるアーシアがいる以上、【神造人】達にとって竜昇程度の戦力を生み出すなど恐らく造作もないはずなのである。
かろうじて思いつく可能性として精神干渉への耐性や、知能の低い【影人】では対処できないなにかをさせたいのかと言う考えも頭には浮かんだが、精神干渉を用いるアマンダは他ならぬ彼ら自身が既に殺害しているし、知能云々にしたところで【影人】の中にすでに人間並みの知能を有する個体がいることは既に判明していることだ。
それにそもそもの話、このビルの中には竜昇達が遭遇していないというだけで、竜昇たち以外にも同じように取り込まれているプレイヤーがいるはずなのだ。
そんな状況の中でわざわざ再起不能と言っていい状態の竜昇を引き込もうというその判断が、竜昇にはどうしても理解できない。
ましてや、そもそも戦力にならなくてもいいというのなら、この少年は一体竜昇に何を求めているというのか。
「――あなたのこれまでの道のりについては、失礼ながらこうしてお会いする前に一通り見せていただきました。あなたがこれまでどのように戦い、どのような選択をし、そしてどのように生き残ってきたのかも」
言葉と同時に、周囲の光景が砂のように崩れて舞い上がり、その後新たに形作られるのは、竜昇がつい先ほどまでいたドーム球場の再現。
「そして、そうして見られたあなたの足跡は、僕にとって非常に興味深いものだった」
否、形成されたのはドーム球場だけではなかった。
サリアンが語ったその直後、すぐさま周囲の光景がさらなる変化を遂げて別の風景へと変化する。
――明かりと生命が消えて炎が燃える闇の病院が。
「敵意を持つよう細工をし、実際に幾度となく敵対していた【決戦二十七士】であるアマンダ・リドと手を組んだこと」
――建物そのものが上下真逆になったショッピングモールが。
「足手まといでしかなかったはずの先口理香を、それでも見捨てなかったこと」
――そこかしこが水と破壊に満たされたウォーターパークのブールサイドが。
「中崎誠司の行いに怒りを覚えながら、それでも袂を分かたぬ道を見出したこと」
--牢獄の全てが開け放たれた大監獄が。
「自身を晒すことを躊躇する、渡瀬詩織の消極性を許容したこと」
――二つの列車に挟まれた駅のホームが。
「我が子の救出と言う別目的を持つ入淵城司と、それでも共闘体制を成立させたこと」
――怪談ひしめく夜の学校が。
「--そして何より、あのオハラに連なる少女と、対等に肩を並べて戦う存在となったこと」
そうして変遷の果てに、周囲の光景はついに最初の階層、あの時代が逆行したかのような博物館の中へと回帰する。
周囲に陳列された数々の遺物と言う形で、この世界のものではない歴史が語られる、そんな皮肉か当てつけのような施設の真ん中で、サリアンはそれを気にするでもなく目の前の竜昇に語り掛ける。
「あなたと言う人間は、この塔の中では決して特殊な存在ではありませんでした。
渡瀬詩織のように特殊な感覚を有していたわけでもなければ、入淵城司のように事前に訓練を受けていたわけでもない。
オハラの血族のように、得意な価値基準や精神性を有していたわけでもない。
塔の中に引き込んだ者達の中には、独力で界法にたどり着いていた者や、自覚失く【神造物】を継承していたものなどもいましたが、そうした者達ともまた違う……。
どこまでも凡庸で、平凡で、にもかかわらず歩んだその道のりだけが僕達の予想を外れていた」
もとより長き時を生きている【神造人】達である。
特に彼らの中には人の記憶を操るルーシェウスが存在していたことも相まって、【神造人】達はある程度人間の行動原理と言うモノを計算に入れて、それを元にプレイヤー達を自分達の意に添うように動かすべく様々な手を打っていた。
にもかかわらず、竜昇の選択はそんな彼らの予想をことごとく外れ続けていた。
まるで彼らが知る、人間の習性そのものに逆らうかのように。
「――そこだけが、貴方と言う人間の異質な点なんです。
人間には、特定の状況下においてとってしまいがちな行動パターンと言うモノがあります。
そしてそうした習性は、特に命の危険にさらされて、心理的な余裕がなくなった状況ではより表面化しやすくなる。
ところがあなたにはその手の習性に流される様子が微塵もなかった。
心理的余裕なんて、それこそ微塵もなかったはずなのに」
「……別に、そんなのはたいしたことじゃないだろ」
サリアンの語る言葉の意味を理解して、しかし理解できてしまうが故に竜昇は少々不本意な気分でそう【神造人】の評価を否定する。
なにしろ竜昇にしてみれば、自分にそんな選択ができた理由など明白なのだ。
そしてその理由が自分以外のところにあるとなれば、なおのことその賞賛を素直には喜べない。
「ああ、そうだ。そんなの別にたいしたことじゃない。
なんせさっきお前が言ってた人間の行動パターン、その手の知識なら俺にもあったからな。
--そんでもって、その手の行動パターンって奴が、基本的に従ってもろくにならないってことも、俺は単純に知識として知ってるんだよ……」
例えば、足手まといとみなした相手を容易に切り捨て、見殺しにするだとか。
異質な他者を、あるいは自分の思う通りに動かないものを悪意あるモノとみなして排除するだとか。
攻撃してもいい他者とその理由を探し求め、外部にそれが見つからなければ身内の中にすらそれを求めて、見出したそれを完膚なきまでに叩きのめして一時の快感と満足感を得るだとか。
他にも数え上げればきりがない。
サリアンが言うところの行動パターン、その中でも特にろくでもないと言えるそれらの事例には、竜昇自身思い当たるものが多くあったのだ。
そして竜昇が知る限り、その手の行動と言うのは結局のところ行った人間自身、後々碌なことにならない。
無論そうして見聞きして来たものの中には創作物も数多く混じっているし、そもそも今となっては、あの世界の歴史やニュース自体どこまで信用していいものかわからなかったことが判明してしまったわけだが、しかしそうして学んできた人間の習性が、竜昇がこれまで学びとって来た人間観が、そこまで実情から乖離していたとは今もなお思わない。
「――結局のところ、俺はただ単にろくなことにならないと分かっている行動を避けただけだ……。
いや、実際はそんな先見性染みたものですらない。俺はただ単に自分が当事者になったその時に、恥も外聞もなく愚行に走ってしまうような、そんな奴になりたくなかったって、それだけだ」
そう言う意味でいうならば、竜昇の根底にあったのは理性的な判断とすら到底呼べない、ただの美意識でしかないのだ。
あるいは、そんな美意識に従った結果だったとしても、竜昇自身が望む結果を掴み取れていたのならば胸を張ることもできたのかもしれないが。
実際には誠司や瞳、そして【決戦二十七士】の面々の命など、取りこぼしてしまった決定的なものが多くある。
「--だからいいのですよ」
だが竜昇のそんな苦い思いなどいざ知らず、目の前でこちらを見つめる少年は笑みすら浮かべてその目を輝かせる。
「あの世界で培われた知識と美意識、ええ、ええッ!! だからいいのです。
やはり僕があなたに感じていたものは勘違いではなかった……!! やはりあなたは、僕が思った通りの人だった……!!」
「……どういう、意味だ……?」
どこか興奮した様子でそう喝采を叫ぶサリアンの姿に、竜昇は言い知れぬ悪寒を覚えて思わずそう問い返す。
そんな竜昇に対してサリアンが語るのは、新旧二つの世界の実情を知るからこその、この少年型の【神造人】特有の視点。
「あなたのその価値観は、いわばあの【新世界】であったからこそ培われた特有の思想なんです。
長い時間の中で積み重ねられたあの世界の歴史が、そこから抽出された知識が、経験が、教えが、教訓が……!!
本来別世界のものだったそれ等が満ちたあの世界で生まれ育ったからこそ、貴方と言う人間は今のその価値基準を己の中に作り上げた……!!」
「…………!!」
確かに今の『互情竜昇』と言う少年の人間性は、他の世界を模して造られたあの世界、あの環境の中だったからこそ培われてきたものだ。
そして人間の人格形成に記憶や経験が大きく影響するというのなら、もしも竜昇が育ったのが別の環境だったならば、生まれついてのものによる一定の共通項こそあれ、形成される人格はその環境に合わせた全く別のものになっていただろうことは想像に難くない。
「あなたと言う方は、言うなれば【新世界の申し子】とでも呼ぶべき存在なのですよ。
弱肉強食の理がはびこり、殺伐として他者との協調や信頼と言うモノが愚行でしかなかった、そんな【旧世界】では決して生まれ得なかった【新世界】特有の価値観の持ち主。
別世界の知識と経験を吸収して育った人間、その中でもさらにその思想と教訓を忠実に実践して見せた、あの世界の価値観の最大体現者。
--それこそが、貴方と言う人間がこの試練の塔の中で示した、他の人間にはない最大の特異性なんです」




