264:新世界の構造
「まさか……」
告げられたその真実に、さしもの静も思わずそう問い返さずにはいられなかった。
自分達の知るあの世界の常識、教え込まれていたそれらの知識の中にすらも、決定的な欺瞞が紛れていたのだと知らされたことには。
そしてそんな静の姿に何を思っているのか、セリザはわずかに楽し気に笑いながら茶をすすり、そして話の続きを静へと語り聞かせてくる。
「あの坊やたちは【新世界】を製作するにあたって、モデルとなる世界、地域にはいくつかの条件を求めていた。
【旧世界】と違って平和であることやある程度治安がいいこと、それ以外にも、世界自体に再現が困難な面倒な法則が無いことだとか、いろいろと細かい条件はあったんだけどね……。
その中でも重要だったのは、再現する地域・社会がある程度独立していて、他との交流が無かったとしても気づかれにくい状況ってことでね」
「交流が無い、なんてことはないはずです……。鎖国時代ではないのですから。
貿易だってしていますし、旅行や、留学だって--」
「それはそう言うものがあると聞いているだけで、実際にあんた自身がそう言う経験をしたって訳じゃないんだろう? そしてあんたの周りの人間の中にも、実際にそうやって他の国に行ったことがある人間がいた訳じゃない」
「偽情報だって言うんですか……? 一つや二つじゃない……、あの世界で耳にする、外国の情報全てが……?」
「厳密には全てが全てうそだって訳じゃない。言ってしまえば、あの世界の過去の情報と同じさね」
「それは、つまり……」
告げられたその言葉に、遅ればせながら静もそのカラクリをおぼろげながら理解する。
追って告げられるのは、それこそ今まさに静が思い至ったのと同じ、セリザによる回答。
「あの世界で報道されていたニュースって奴は、その半分以上があの【新世界】じゃない、【新世界】のモデルになった世界で流れているニュースを流用したものなのさね。
特に国外のニュースなんてのはほぼほぼ全部偽物だったと思ってくれていい。
もちろん、そのニュースとのつじつま合わせのために別の嘘情報を流したりする必要もあったから、実際に起きていることを報じていた例なんてそれこそ二割にも満たなかったわけだが……」
「――そんなの、もうただの陰謀論の世界ではありませんか……。
どう考えたってバレないはずがないでしょう……? それこそ、海外旅行なり国外留学なりを計画する人間や、報道機関に勤めようとする人間がいればそれだけで――」
「――ところがそうでもないのさ。なにしろあいつらには【精神干渉】って手段があるからね……。
あれは元々ルーシェウスの持つ記憶に干渉する技術をあいつが集めていた多数の技術情報と組み合わせて発展させたものだったんだが、【神杖塔】の機能と組み合わせることで世界全体、そこに住まう全人類の記憶や思考に干渉できるまでにその性能を向上させている。
あの世界じゃほとんどの人間が自分の国の外になんて興味を持たないし、そこに行こうという人間も報道に携わろうとする人間もまず出てこない。
触れちゃいけない秘密にそもそも近づかないように、大抵の人間がその思考を誘導されているのさね」
「……思考を、誘導……?」
その瞬間、あまりにも唐突に、あっさりと静は一つの事実を理解する。
それはカラクリを知ってしまえば明らかな、あまりにも露骨な一つの意図。
「――そうですか……、それでわかりました。だからあなた達は、わたし達のように精神干渉への耐性を持った人間をあの世界から排斥しようとしていたんですね……?」
「ようやくわかったよ。お前らが俺達耐性持ちをこのビルの中の戦いに引き込んだ理由が……。
要するにお前ら、あのアマンダって婆さんに対抗できるからってだけじゃなくて、あの婆さんに刺客を送るついでに【新世界】の運営の邪魔になる耐性持ちを一緒に始末しようとしたんだな……?」
語られる真相からその答えにたどり着き、半ば問い詰めるようなそんな口調で、竜昇は目の前のサリアンに対してそんな問いを投げかける。
問いかけの形をとってはいたが、これに関しては竜昇も自身の至った回答にそれなりの確信を持っていた。
案の定、荒れ果てた荒野の廃墟を背に、沈痛そうな表情を浮かべたサリアンが答え合わせの言葉を口にする。
「あの世界を運営する僕達にとって、あなた方耐性保持者の存在は頭の痛い問題でした。
なにしろあなた方はこちらの精神干渉による制止を受け付けずに、無自覚なままにあの世界の真相を暴きに近づいてきてしまうのです。
それも国外に出ようとする程度ならまだいい、極端な者になるとあの世界には存在しないことになっているはずの法力や界法の存在にまで、独学の試行錯誤でたどり着く者が出る始末です」
竜昇達が魔法と呼んでいた一連の技術、法力の操作とそれによる界法の使用と言うのは実のところ簡単だ。
無論、きちんとした実用レベルの技術として使おうと思えばそれなりの知識や蓄積が必要になるが、単純に不可思議な現象を起こそうと思うだけなら手探りの独学、もっと言えば中二病染みた妄想の延長のような試行錯誤でもたどり着くことができてしまう。
そして、精神干渉による抑制を受け付けない人間と言うモノが一定数発生するのなら、その中からさらに界法の存在にたどり着けるものが現れる事態は確率が低いだけのありうる話だ。
「唯一幸いだったのはここでいう耐性保持者たちがあなた達同様十八歳以下の、【新世界】ができてからあの世界で生まれた世代の人間にしか見られない症状だったことでしょうか?
ルーシェウスなどは、生まれる前から【精神干渉】の法力を受け続けていたことが、耐性を獲得するに至るなんらかの要因になっているのではないかと推測していたようですが……。
なんにせよ、耐性を獲得したのが【旧世界】のことを、その存在すら知らないあなた達の世代だったことはこの件で唯一幸いなことでした。
もしもあなた達より上の世代の人間が耐性を獲得していたら、発生した問題はあの程度では済まなかったでしょうから」
精神干渉への耐性保持者はあの世界の中で生まれ育った世代にしか発生していない。
その事実を知らされて、竜昇は心中でその事実に驚くと同時に納得も覚える。
言われてみれば、確かに竜昇が遭遇して来たプレイヤーは、娘に付き合う形で塔に足を踏み入れてしまった城司の例を除いて皆十八歳以下の未成年者だ。
無論、及川愛菜や話に聞く沖田大吾の例もある以上、未成年であれば全員が耐性保持者になるわけではないのだろうが、それでも耐性保持者はあの世界で生まれた未成年しかいないというのは言われてみれば納得できる話ではある。
プレイヤーの実例を自身を含めても十人程度しか知らなかったうえ、三人が例外と言う状況故にその可能性にまで思い至ることができなかったが、仮に十八歳以上の大人の中に耐性獲得者が現れていた場合、あの作り替えられた世界の真相や自身の記憶が改ざんされていることに気付いて騒ぎを起こしていた可能性もあったのだ。
そう考えると、竜昇達耐性保持者がこれまでたいした騒ぎを起こすことなく過ごしてこれたのは、偏に本来の世界を知らず、あの世界をそう言うモノだと思い込んでいる、あの世界で生まれた新世代だったからというのが要因として大きいのかもしれない。
仮に独自の方法で法力の存在などに気付いていたとしても、流石にそれだけではあの世界そのものが偽物であるなどと言う、最奥の真実にまで思い至れる人間はいないであろうから。
「そんな状況でしたから、僕達の中でもあなた達耐性保持者への対応については様々な対応が考えられていました。
……【決戦二十七士】、とりわけアマンダ・リドへの対抗手段として、あなた達を送り込もうと考えたのもその一つです」
「……その言い方だと、耐性保持者の全員が呼び込まれて、この戦いに放り込まれたって訳じゃないのか……?」
「違いますよ。ご存知かと思いますが、基本的に僕達は出入り口になる塔の一部を【新世界】各所に出現させただけで、あなた達を呼び込むうえでそれ以上の手は打っていません。そもそも、あなた達の行動を私たちの意思一つで左右できないからこの件は問題になっていたわけですし」
確かに、本人がそうとわからないような形で竜昇達をビルに呼び寄せる方法があるのなら、そもそも竜昇達の存在はここまで問題なったりはしていない。
そしてそうであるとするならば、結局のところこのビルに足を踏み入れたこと自体は、竜昇達本人の決断だったということになる。
やり方としては少々手ぬるいようにも思えるが、しかしそこにある意図は明白だ。
要するに、サリアン達は未知のビルに対して自分の意志で近づいてきてしまうような、そんな精神性を持った者達をこそ警戒し、危険視していたのだ。
正体不明、不可思議満点、異常の塊ともいえる巨大建築、不問ビル。
そんなものを目の当たりにして、自分には関係ないと背を向けるのではなく、その正体を探りに来てしまう人間こそが、サリアン達【新世界】の運営者にとって最も排除を優先すべき存在だった。
「あなた達耐性保持者への対応については他にもいろいろな意見が出ていました。秘密裏に処分してしまおうという過激なものから、真相を明かしてこちら側に組み込んでしまおうという平和的なもの……。あるいはその中間として何らかの形で口止めしようと言うモノもありましたし、不問ビルでの戦力運用に近い選択肢として新たにもう一階層世界を作って、そこに耐性保持者たちを隔離してしまおうという案も出ていました」
「もう一階層……? 世界を……?」
「--あれ? ああ、そこについてはお話ししていませんでしたね。
先ほどはあの世界について、別の世界のただ一国のみを再現しているとは言いましたが、実をいうとあの世界は同じ国を複数作って、それらを位相の違う別空間に配置した多層構造になっているんです。
なにぶんたった一国では、【旧世界】の住人全ての受け皿にするには足りなかったものですから」
「--は、えぇ……?」
思わぬタイミングでさらに驚くべき事実が明かされたその事態に、竜昇はしばしその話を受け止めきれずに若干の混乱に見舞われる。
位相の違う空間に同じ国を複数作り、そこに住人達を振り分けた。
その事実が自分達にどうかかわって来るかと身構えて、しかしこの件に関してはこと竜昇達に対してはほとんど関係が無いことに遅れて気づく。
なにしろ竜昇達の人生は最初に生まれたあの世界の一つの国の中で完結しているのだ。
しいて言うなら【新世界】に移行し住民たちをそれぞれに振り分けた際に離れ離れの生き別れになってしまった人々がいた可能性はあるが、記憶を改ざんされている現状本人たちはそうして別れてしまった相手がいたことすら気づいてはいまい。
否、ただ一点、竜昇達にもこの問題が関わる局面があったか。
「--じゃあもしかして、俺や静と詩織さん達、あとは入淵親子がいたのは、それぞれ別々の世界だったりするのか……?
俺達は全員が同じ世界に暮らしていたように見えて、実際にはまったく別々の世界で暮らしていたと……?」
「--ああ、記録をたどると確かにそれはそうですね……。
加えて言えば、渡瀬詩織さん達四人のグループと、最初期に彼女らに合流した先口理香さんも出身世界は違うでしょうか。
それぞれの世界には基本的に交流などありませんから、この塔に足を踏み入れなければあなた方はそもそも出会うことすらなかったことでしょう」
つくづく自覚させられる。
自分達の人生が、ここまでの己の歩みが、このサリアンをはじめとする【神造人】達の行動の影響を、どれだけ受けて来たのかを。
厄介なのはそうして与えられてきた影響が、その根本にあるモノが必ずしも悪意の類という訳ではないということだ。
これについては、竜昇達に直接の危害を加えることになった、この不問ビルの中での一連の出来事についてさえ同じことが言える。
サリアン達の目的はあくまでもあの、竜昇達が生まれ育った世界である【新世界】の維持と存続。
被害を被った立場である竜昇達だからそれを肯定する気にもなれないが、しかしあの世界によって生かされてきた立場を思えばその存続のために手を打つというそのスタンスを否定することもまたできない。
それ故に、竜昇にはどうにもわからなくなる。
果たして自分はこの相手にどのような態度をとるべきなのか。
竜昇達を死地に送り込み、実際に誠司や瞳と言った死者を、恐らくは竜昇達が知らない場所でも大量に出して、そしてそうまでしてでも竜昇達が生まれ育ったあの世界を守ろうとしているこの少年に対して。
「――……ああ、そうか」
そうして葛藤に見舞われる竜昇とは対照的に、一方のサリアンはと言えばふと何かに気付いたようにハッとして、そして竜昇の目の前で何処か満足げな微笑を浮かべる。
「ようやくわかりましたよ。僕がどうしてあなたに興味を持ったのか。
僕があなたに、なにをして欲しいのかが――」
そして奇しくも同じころ、もう一方の別の場所でももう一つの階段が核心へと至る。
「さて、前提の話はそろそろいいだろう。次はいよいよアンタらオハラの血族と、あとはアンタが今持ってる【始祖の石刃】の話についてだ。
表情を変えぬ静の目の前で、【神問官】のセリザが不敵に笑って。




