263:戦乱の実情
周囲の光景がみるみるうちに書き換わる。
先ほどまでの暗闇が見る影もない青空の下で微細な粒子が宙を舞い、先ほどまで光る板だった足元にしっかりとした地面が形成されてその上に何やら住居のようなものが形成されていく。
否、実際のところ、上空に広がるそれは空ではなかった。
最初見た時は空かと思ったそれは、どうやらこれまでの建物の窓から見える景色同様、空に見えるただの天井であるようだった。
単純に映像を映しているだけなのか、それとも別のメカニズムが働いているのかは定かではないが。
まるで室内と言う前提条件を守ったまま室外の光景を再現したかのような、地平線まで広がる大地を思わせる、そんな光景。
そうして広がる一面の荒野の中で次々と形成されていくのは、石造りと思しき建物の、しかしほとんど残骸としか呼べない廃墟の数々だ。
「これは……」
思わず背後へと振り返り、そこに形成された場違いにきれいな小屋の中へと視線を戻すと、豪奢な応接間を思わせる室内からサリアンがそっとその手で廃墟へと向かうよう促してくる。
そんなサリアンの勧めに意を決して、竜昇が杖を頼りに廃墟の中へと歩を進めて、そうして見えて来たもの、それは――。
「……これ、は……!!」
半壊した住居跡のその中で、派手に破壊された家財道具と思しきものの破片に混じり、人間の死体が二つ、折り重なるように倒れている。
恐らくは親子と思しき大小の死体が一つずつ、派手に血痕を飛び散らせて。
幸い、と言っていいのか、地の臭いや腐臭と言うモノは感じなかったが、それでも今しがた死んだばかりと言ったばかりの人間の死体が二つ、それこそ今まさに死んだばかりのように。
「ご安心ください。ここにあるのはただ再現したものにすぎません。なにぶんこの塔の機能は有機物こそ作れますが、生命体そのものを作ることはできない仕様になっているもので……
今ここにあるそれは、かつて僕がルーシェウスから見せられた記憶を元に、人間の死体そっくりなオブジェクトを生成しただけのモノなんです」
いつの間についてきていたのか、背後にいたサリアンが同じように室内を覗き込みながら、わずかに眉を潜めつつ竜昇に対してそう問いかける。
まるで今まさに殺されたばかりのような生々しさにその可能性を疑っていた竜昇だったが、どうやらこの死体は竜昇に見せる為だけについさっき殺された、と言うわけではないらしい。
とは言え、サリアンの言葉が正しいのであればそれはそれで決して胸をなでおろせるような話でもない。
「今再現、って言ったな。じゃあこれは、【真世界】で実際にあった光景なのか……?」
「理解が早いのは助かりますね。--ええ、そうです。今ここに再現しているのは、僕も見ることになったあの世界の真実、その中でも再現しやすいものを一か所に集めて、無理やり再現した形です。
どうぞ、他の場所についても見て回ってください」
言われて、竜昇はそれに従う形で他の家屋の中も覗き見る。
どうやらサリアンはその言葉通り、記憶の中にある光景を適当に寄せ集める形でこの場を再現したらしい。
廃墟の集落に見えたその場所は、しかし実のところ一つの集落を再現した場所と言うわけではないらしく、いくつかの家屋を覗き見るうちに家のつくりがわずかながらも変わって、再現された光景が別の集落のモノへと移り変わっているようだった。
とは言え、家屋のつくりの差などを見ても、それらの集落が全くかけ離れた場所にあったものとも思えない。
「なんなんだ、ここは……。紛争地帯、だったのか……?」
「ええ、その通りです。けれど同時に、この光景は【旧世界】においてはありふれたものでもありました」
「あり、ふれた……?」
「戦国時代だったんですよ。こんな光景、あの世界では当時珍しくもなかったんです。ついこの間まで、あの世界ではこんな光景がそれこそ世界中のそこかしこで生産され続けていた。
いくつもの勢力が台頭し、互いに相争って鎬を削り、その過程でおびただしい数の犠牲を出しながら、しかし結局は決着がつかないままズルズルと次の戦いを繰り返す……。
あの世界はですね、もう何百年もの間、そんな不毛な争いの歴史を、延々と重ね続けていたんですよ。
それこそ、貴方のいたあの世界なんかまだましに見えるほどの規模で、何百年も」
争いとは無縁に思える空中庭園で、優雅なティータイムを過ごしながら非情な真実が語られる。
それは静達が知る由もない、これまで無縁のままで過ごすことのできていた【真世界】の実情。
「--原因と言えるのは、やっぱり規格外の力を持つ【神造物】や、体一つで絶大な戦果を叩き出せる【界法】の存在だろうね。なにしろあれらの存在はたった一つの要素でも破格の戦果を叩き出せる。
なまじ人間たちの自制心に対して横行する力の程度が強すぎたせいで、あの世界の暴力の連鎖はもはや歯止めの利かないものになっていた。
--ハッハ、なにしろ、あの世界じゃ習得する【界法】の性能次第で手ぶらで行って大量殺戮を起こせるんだ。危険を芽のうちに摘もうと思ったら、それこそ自分達以外は全部敵だと思って滅ぼすくらいしか手段がない」
仮に別の国が、あるいは集団が、勢力が。
自分達を滅ぼしうる力を持ってしまった場合、大半の人間は恐らくそのストレスに耐えられない。
いつ自分達にその力が牙をむくかと考えてしまい、その果てに『ならばその前に相手を滅ぼしてしまえばいい』と、自分達が先に牙をむく展開になることは容易に想像できる。
これについては常人と感覚にズレのある静かですら、自ら命の危険を身近に感じる経験をしているが故に容易に理解できる。
自身の命を脅かす存在が近くにいた時に、それを排除したいと考えるのは人間と言う生物が持ちうる極自然な発想だ。
これが例えば竜昇のような個人であるならいざ知らず、人間の集団であるというならなおのこと、そうした心理は全体の行動として如実に反映されていくことになる。
脅威となる何かを破壊して、あるいは力任せに奪い取って。
脅威が脅威でなくなるまで攻撃せずにはいられない、それは人間と言う生き物のどうしようもない性と言ってもいいはずだ。
それは【新世界】、あるいはそのモデルとなった世界にも共通していた、強すぎる力を持つ者同士が陥る脅威論による悪循環。
ましてや、この世界には単体でも破格の力を発揮する【神造物】や、組み合わせによっては驚異的な力を発揮できる界法などと言うモノが存在しているのだ。
加えて界法はともかく、【神造物】についてはいつどんなきっかけで誰が手にするかわかったものと来ているのだから始末が悪い。
パワーバランスはふとした拍子に劇的に変化する。
昨日までたいした脅威で無かったはずの相手が、突如として絶大な脅威に変貌しうる、そんな世界で、長期の安定など確かに望むべくもないだろう。
「--およそ三百年」
そうして争いの理由を受け止める静に対して、セリザは指を三本立ててその具体的な数字を突き得つける。
「それがあの世界において、人間たちの争いが世界的規模にまで拡大して、相争うようになってからのその時間だ。
それだけの時間をあの世界の人間たちは、大小さまざまな勢力に分かれて、ひっきりなしに血みどろの争いを繰り広げてるのさ」
「戦国時代だったんですよ。あなた達の世界の言葉で行ってしまえば」
二の句が継げずに黙り込む竜昇を前にして、サリアンはその状況を酷く端的にそう表現して見せる。
とは言え端的なその表現は、実情を現すにはそれでも少々不足していたらしい。
「--いえ、規模が世界中を巻き込むレベルであることを考えるなら、世界大戦に例えた方がいいのでしょうか……。
なんにせよ、あの世界はもう三百年近くにわたって、全世界を巻き込んだ群雄割拠の戦国時代染みた状況に、それも世界規模で陥ってしまっていました。
無論小康状態になった時期もなかったわけではありませんが、それだって戦争の数がわずかに減ったくらいで常にどこかしらが争っていた状況です
上の世界の歴史も『戦争の歴史』と揶揄されるくらいには争いに満ちていましたが、【旧世界】のそれはそんな異世界の情勢が生ぬるく思えるほど、その比ではなかった」
「……!!」
語られ【真世界】の実情、見せつけられるその再現された光景に、竜昇はもはや何も言えずに黙り込む。
ファンタジーな世界と言う時点で、命の危険が今よりも身近な世界である可能性は、ある程度であるが想定していた。
すでに魔法染みた界法の存在や命がけの戦いは経験させられていたが故に、そうしたファンタジーな世界へのあこがれのようなものを判断に持ち込んでいたつもりはなかったが、それでもこんな戦いがそうそう身近にある訳はないだろうとある程度タカを括ってしまっていた。
だがここまで話を聞いてしまえば、そんな竜昇の考えははっきり甘かったと言わざるを得ない。
なにしろ、戦国時代染みた争いを世界規模で繰り広げているという時点で平和な中で生きてきた竜昇には想像を絶している。
そもそも、竜昇がこれまで習ってきた歴史にしたとて、世界規模の大戦は数十年単位で二回、しかも世界が二つに分かれての戦いであり、逆に言えば片方が倒れただけで決着がついてしまったような戦いだったのだ。
加えてあの世界においては、人類の方も流石に懲りたのか、それまで見向きもされていなかった平和と言う概念を貴ぶ価値観が広がり始め、成功していたかどうかはともかく、少なくともそれを目指そうとする傾向が徐々に広がり始めている。
(それに対して、この世界は――)
動揺を押し殺して歩を進め、竜昇は立て続けに立ち並ぶ廃墟の、その中の広がる惨状を順番に覗き見る。
正面の入り口からその先にあるステンドグラスにかけて、中央に並んでいたはずの椅子を巻き込む形で床を抉る規模の破壊が駆け抜けた、そんな聖堂のありさまが。
石畳が砕け散り、ところによっては巨大なクレーターすら形成された街道の様子が。
恐らくはにぎわっていた街並みだったのだろう、石造りの建物に、しかしいくつもの大穴が開いて、ところによって瓦礫と化したそれらがうずたかく積み上げられている、そんな状況が。
なによりも、そんな景色の数々を彩るように、どの光景にも見間違いようのないほどにぶちまけられている凄惨な血の跡が。
「――こんな……、こんな世界が、俺達が本来いるはずだった世界だって言うのか……!?」
質が悪いのは、見せつけられた光景の大半が、この世界ではただ一人の個人でも生み出すことができてしまうということだ。
これまで戦ってきた経験で、それくらいのことであれば竜昇でもわかる。
竜昇の知る界法、それどころか竜昇自身が習得している界法を用いれば、あの程度の破壊はそれこそ容易く実現できてしまうことが。
そして竜昇でさえそうなのだ。
恐らく、できる奴はやろうと思えばもっとできる。
例えば、あのショッピングモールの中で出会った【決戦二十七士】のヘンドル。
【神造物・天を狙う地弓】を保有し、その矢を撃ち込むことで矢の差す方向を天にする形で重力方向を変えるあの【神造物】の持ち主は、ショッピングモール内部の影人を、内部に存在するあらゆる物品諸共根こそぎ全滅させる破格の殲滅能力を有していた。
あるいはあの弓矢にも何らかの機能的制約、例えば効果範囲などの制限もあったのかもしれないが、しかしショッピングモール丸ごと一つがその範囲に収まるという時点でその性能は圧倒的だ。
もし仮に、あんな矢を人々が暮らす街中に気まぐれに撃ち込みでもしたら。
あるいは、戦場でこちらに向かってくる敵群の、その中央にでもあの矢が撃ち込まれたならば。
次の瞬間に展開されるのは、地上にあったものが全てが天へと向けて落下して、その後に元に戻った重力によってそれらすべてが地上に叩きつけられる未曽有の地獄絵図になることだろう。
他の【神造物】にしたとて、悪用しようと思えばいくらでもその方法は思いつく。
否、それは【神造物】に限った話ではない。
これまで見て来た【界法】と言う魔法染みた力一つ一つにしたとて、悪用しようとすればいくらでもその方法は存在しているのだ。
そして最悪なことに、逆にそれらの攻撃全てを防ぐことなど根本的に不可能だ。
もちろん、ごく一部に限れば対策などをとることもできるかもしれないが、この手の攻防と言うモノが攻め手側に圧倒的に有利である以上、その大部分はまず防げないし、取れる対策にしたとて相手への配慮などする余裕のない、苛烈で一方的なものにならざるを得ない。
それこそ脅威となるものを、何かされる前に一方的に滅ぼしてしまうなどと言うような。
考えれば考えるほど否応なくわかってしまう。
誰もが強大な力を使いうる、ファンタジーな力に満ち溢れたそんな世界が、いったいどれだけ物騒な疑心暗鬼に満ちた世界になるかということが。
「それこそが、僕がその時知った【旧世界】の実情なんです。
僕はこの事実を、ルーシェウスが収集していた数多の人々の記憶を見て知りました。
――かつて僕が夢想していた、神の作った素晴らしい、理想の世界なんてどこにもなかった。
あったのは神がもたらした奇跡を突きつけ合って、自らの生存のためにそれらを殺し合って、奪い合う、そんな地獄絵図のような過酷な世界だけだった……」
どこまでも、落胆と失望が入り混じったようなそんな声で、天使のような少年がその外見に似合わない陰鬱な溜息をもらす。
その様子には、衝撃を受けて半ば思考がマヒしていた竜昇でも何か引っかかるものを覚えたが、しかし今はそれよりも先に問うておきたいことがあった。
「そんな世界だったから、元の世界より今の世界の方がましだって言いたいのか……? どんなに問題の残る世界でも、元の世界よりははるかにましだ、と?」
「一つ種明かしをしておきましょう。
確かに僕は閲覧できた別の世界の情報を元に【新世界】を作りましたが、実のところ閲覧した情報を全てそのまま再現したわけではないんです」
「全て再現したわけでは、ない……?」
「ええ、そうです。だって考えてもみてください。平和な世界を作りたいなら、そもそも争いが起こっている紛争地帯や、極論争う相手となる別の国まで再現する必要なんてどこにもありません。
どこか条件の合う国一つ、それだけを再現してしまえばそれで済む」
「……!?」
言われた言葉の意味を理解して、なおもそれを信じられずに竜昇の思考が混乱に満たされる。
あるいはそれは、自分の暮らしていた世界が模造の偽物だったのだと知らされたのと同等か、それ以上の衝撃。
「この際ですので思い出してみてください。あなたやあなたのまわりの方たちの中に、一度でも自分の住んでいる国を出て、外国と呼ばれる場所に行ったという方はいましたか?」




