261:始まりの動機
竜昇達が【不問ビル】と呼ぶ建物、本来の世界においては【神杖塔】と呼ばれていたその【神造建築】は、言うなればある種のダンジョンのような存在だった。
ある程度近づかなければ発見できない性質があるため、発見されたのこそ三百年前と言う割と最近であったものの、天を衝くほどの高さにまでそびえ立つその大きさは発見されている【神造建築】の中でも最大のもので、そして人類が長らく踏破できずにいる難攻不落の試練だったという。
試練の内容は至極簡単、【試練獣】と呼ばれる、ある種のモンスターがひしめく各階層を一つ一つ突破して、ひたすら上へと登って最上階を目指すと言うモノ。
否、あるいは最上階に到達してからが本当の試練の始まりだったのかもしれない。
なにしろその最上階にて登頂者を待つものこそが、【神造建築・神杖塔】の【神問官】であるサリアンだったのだから。
時間にして三百年、どころか人間たちが塔を発見する以前の遥かな昔から、サリアンと言う少年はその場所で到達する人間たちを待っていた。
サリアンの側から人間と直接接触すること、人間を直接観測することを禁止された状態で、唯一塔の最上階にたどり着く人間を心待ちにして、自分のところにまで到達するのはいったいどんな人間なのだろうと、そう期待に胸を膨らませながら。
無論、数百年を超えるその時間は不老不死不滅の【神問官】にとっても長いものだったが、幸いにして人に似つつも根本的に人ではないサリアンにとっては長いその孤独も決して苦になるものではなかったし、加えて娯楽と言えるものがないわけでもなかった。
神が世界を作る際に振るった杖が元になっているという、数ある【神造物】の中でも破格の逸話を持つその塔の中には、その創世の際に使った機能なのか、こことは違う別の世界の情報が数限りなく閲覧できるようになっており、サリアンはその機能を使用して別世界について知り、様々な世界の在り方について学んで自分のいる世界について想像に胸膨らませる日々を送っていた。
様々な異世界、その情報を閲覧しながらサリアンは考える。
他の世界ではずいぶんひどいことが起きたりしているようだけれど、この世界はそうではないに違いない、と。
多くの世界について学び、神自身がサリアン達【神問官】や【神造物】を用いる形で干渉しているこの世界ならば、他の世界で見られたような様々な悲劇は回避されて、この塔の外にはどの世界にも勝る至上の世界が広がっているに違いない、と。
あるいはその思想は、塔の中に人間たちが残していく様々な物品、その中に混じっていた教会発行の聖書を読んでいたことも影響していたのかもしえない。
なんにせよ、後になって考えればあまりにも甘い考えだったわけだが、当時のサリアンは自身の想像主たる神を塔を上る人間たち同様信じていたし、そんな神が作った世界ならばさぞかし素晴らしいものなのだろうと、そう疑っていなかった。
だが十八年前。
一人の男が塔の最上階へと到達したことでその状況が大きく変化する。
ルーシェウスと名乗るその男。人に見えて人ではない、サリアンと同じ神に造られた【神問官】であるはずの存在が、予想に反して仲間を伴い、その場所へと到達したことによって。
『よもや、こんな場所にまで同胞が配置されていようとは……』
初めて対面するその相手に呆然とするサリアンに対し、ルーシェウスの方もまた驚きと、また別の感情を帯びた声で小さくそう呟く。
『案ずるな同胞よ。お前を縛る使命は今をもって終わる』
そう言って、差し出されたその手がサリアンへと向けられて、その手からあふれ出した光の奔流が一気にサリアンの脳裏へと流れ込んで――。
『――ぁ――――…………!!』
その瞬間、サリアンが見たのは幾人もの人間たちの人生の記憶。
多くの人間の経験、その中でも鮮烈な思い出の数々が、それらの重なりが、そしてその終焉となる死の瞬間が、まるで大量の物語のようにサリアンの中へと流れ込む。
『ああ……、ああ……!!』
本来であれば、それはかつて【魔女】アマンダ・リドが精神干渉を用いて行ったのと同じ、課された試練の内容を無視して【神問官】の試練を突破するための技法だった。
自身が有する大量の人間の記憶を見せつけて、その情報の中に一人でも選定の対象が、その条件に一致する人間がいれば試練がクリアされ、【神問官】を消滅させることができる最悪の禁じ手、【人生爆弾】。
考えようによってはアマンダのそれよりもはるかに始末の悪いそんな技を受けて、しかし直後にサリアンの身に起こったのはルーシェウスすら考えてもみなかった別の事態だった。
『――知らなかった……、知らな、かった……!!』
滂沱の涙を流しながら、幼い少年には似合わない表情で【神問官・サリアン】は口走る。
記憶として流し込まれた数多の人生、その終幕として入り混じる、数多の死を目の当たりにしながら。
自身を作った神の作品たる世界は、それはもう素晴らしい楽園なのだと思っていた。
なんの根拠もなく。神が人を導き、人々が正しい方へと向かって生きているのだから、そんな人々が生きる世の中は楽園に違いないと。
だが違った。そんなものはただの思い込みで、妄信で、世界を知らないサリアンのただの願望でしかなかった。
その証拠に、垣間見た数多の死に際はどれも凄惨で、サリアンが望んでいたような楽園のような世界であれば本来あってはならないようなものばかりだった。
無論満足して死んでいった者もいない訳ではなかったが、そんなものはほんの一握りと評してもいいくらいに数が少なく、その事実はサリアンの中にしかなかったような幻想を打ち砕くには十分すぎるものだった。
『――変えなくちゃ……。こんなんじゃいけない……、こんな世界で、あっていいはずがない……!!』
それこそが、本来あるはずのなかった、【神問官】から【神造人】への選定の瞬間。
ただ神に夢を見て、それに従順に仕えるだけだった一人の命題が、自らを選んで一個の人になった、その瞬間だった。
「それが発端なのですか……? そのサリアンと言う、この塔の【神問官】にあのルーシェウスさんが接触して、それによってサリアンさんが自分自身を当の持ち主として選んで【神造人】になった……?」
「ああそうさ。まあとは言っても、【神造人】って言うのは本人たちが勝手に言ってるだけで、別にそう言う特別なシステムがあるって訳じゃないのさね。
本人たちがそんな名前を名乗っているのも、それぞれのスタンスから来る神様への反抗の、ある種の意志表示って部分が強い」
「反抗の意志表示、ですか……?」
【神造人】を名乗る者達の人となりについて、静が知っていることはさほど多くない。
だが言われてみれば、特にあのルーシェウスと言う男については、確かに【神問官】の存在やそれを生み出した神について、どこか複雑な感情を抱いているような節があった。
ルーシェウスがそのサリアンと言う【神問官】に行った手法にしても、自身の創造主や【神造物】に敬意を払っていたら到底そんな手段に訴えていたとは思えない。
となれば、その根底にある意思は、確かに自分達のそう言った在り方を定めた相手への、神と呼ばれる存在への反抗の意志であると見るべきなのかもしれない。
「もともとは、ルーシェウスがアーシアと共に塔を攻略して、そこにさっき言った経緯でサリアンが加わったって順番だったらしい。
【神杖塔】自体の攻略も、多数の戦闘技術を習得していたルーシェウスと擬人を生み出せるアーシアが組んで、その上で自分達の不壊性能にものを言わせて強引に突破したんだとか」
「--それは、確かにあの二人の権能があるならそう言うこともできそうではありますけど……。その攻略に、あなたは参加していなかったのですか?」
「ん? ああ、当時はまだアタシは連中の仲間には加わっちゃいなかったのさね。だからこの話はあくまでサリアン坊や本人から聞いた話にはなるんだが……、まあ、奴の性格を考えれば嘘をついてるってことはないだろう。
なんにしろ、重要なのは本来の世界に不満を持ったあいつが、より良い世界を求めて【新世界】なんてものを作り上げたって話だ。
元あった【旧世界】のその上から、他のどこかの世界をコピーする形で作った新しい世界を上書きする形で」
「じゃあやっぱり、あの世界はどこかの世界をモデルに、それを模倣する形で作られた世界だって言うのか……? 一から全部をああいう形に作ったんじゃなくて……?」
「――はい、そうです。なにぶん最初から完成された世界を作るというのは難しかったものですから、検索してヒットしたものの中から比較的条件にあった世界の地域を選んで、その世界を背景にある歴史や文化ごとコピーして再現しました」
確かにいくら理想郷を作りたいと夢見ていたとしても、それを実際に造れるかと言えばまた別の話だ。
特にこの場合はただ単に世界を作り出すのではなく、その世界に人間を住まわせてその社会まで作り出さなければならないのだから、想定される難易度は格段に跳ね上がる。
故にサリアンは、恐らく彼の基準の中で理想的と言える状態の世界を選んで、その状態をそのままコピーする形で【新世界】を作る手段をとったのだろう。
それはそれで、特にあの世界で生きてきた竜昇には納得しかねる部分も出てくるのだが。
「――わからないな。確かにその方法なら長く歴史を重ねたような世界も作れるのかもしれないが、それで再現されたのがあの世界って言うのはどうなんだ? 言っちゃあなんだが、俺達が暮らしていたあの世界だって、言うほど理想的な世界じゃないだろう?
戦争だの犯罪だのなんていまだに現役だし、社会問題の類だっていくつも存在している……。別に悪い世界だとまでは言わないが、それでも理想郷を作るつもりで模倣するには、やっぱり不足する部分もあったはずだ」
「それは見解の相違ですね。
--いえ、違っているのは見解と言うより、前提となる知識量の方でしょうか……。
でしたらちょうどいい。次はそのあたりの、前提となる状況についてのお話をすることにしましょう」
サリアンがそう言った次の瞬間、先ほど作られたばかりの竜昇達がいる応接室の扉が音を立てて動いて、開かれたその扉の向こうに先ほどまでの暗闇とは違う別の景色が現れる。
「なんだ、これ――」
「どうぞ、ご覧になってください。後々お見せすることになるとは思っていたので、事前に設定して作っておいたのです」
そんなサリアンの言葉に促され、竜昇は杖で体を支えながら立ち上がり、開いた扉へと近づき、その向こう側へと多少の警戒と共に歩み出す。
一歩を踏み出して、そんな竜昇を待っていた光景、それは――。




