260:二つの茶会
静が参加する【神杖塔】の攻略は、最初の五階層ほどは拍子抜けするほど順調に進んでいた。
と言うのもこれらの階層、先に【決戦二十七士】のメンバーによって攻略されていた上、静や【決戦二十七士】の者達が拠点に逗留している間に何組かの部隊が代わりに派遣され、残敵の掃討や先の階層への露払いなどが事前に行われていたらしい。
そのため、途中二組ほどのプレイヤーとの接触はあったものの、そうしたトラブルすらもメンバー入りしていた入淵華夜の仲介によって衝突は回避され、事情を知らされて戦意を失った彼らを下の拠点へと送り出すことでほとんど戦闘らしい戦闘もせずに済んでいた。
そうして戦うことなく進んだ後、二階層ほど攻略を必要としたものの、こちらについても静には言及できることは何もない。
なにしろ、既に人数が半分以下に落ち込んでいるとはいえ、この場には【決戦二十七士】に名を連ねる超一流の戦士達が十人もそろっているのだ。
【神造人】の側も、既に最終決戦に備えて戦力を引き上げてしまったのか強力と言える影人もほとんどおらず、途中でやはりその階層にまで到達していたプレイヤーの一団と遭遇することなどがあったものの、それらも滞りなく戦士たちや華夜による説得で対応されてしまい、結局七つの階層を踏破するその間静自身は碌に出番がないまま、ただ彼らの後を付いてくる形となってしまった。
そうして八層目の階層へと足を踏み入れて、しかしまだこれから攻略するはずだったその階層で状況は一変する。
先んじてその場所に到達したうえで【影人】の大半を一掃し、次の階層への扉を開けて待っていた【神問官】のセリザと、ある意味で予想通りに遭遇する事態となったことで。
「とりあえず落ち着いて話せるところに移動するさね。一つ下の階層に、話すのにちょうどいい場所と、簡単な席を用意してある」
そんな言葉とともに案内されたのは、少なくとも内側から見える限りではこれまでで巨大な、タワーのような高層建築物の最上階だった。
ガラス張りの窓から見える街並み、そこに並ぶ建物は、今いる高層建築の、それこそ足元程度にしか及ばない。
高さと大きさだけなら、それこそ静達が最初に見た【不問ビル】、その外観と同じくらいの大きさがあるのではないかと思われる建物の最上階、そこにある空中庭園こそが、セリザが会談の場所として選んだ場所である。
正直に言ってこんな建物、現実の社会で作れるのかという段階から疑わしい。
巨大なドーム状の天井は真上の一画以外はほとんどガラス張りで、そこから空と外の街並みが一望できる造りになっており、しかも内装は土の地面に多数の樹木や花が植えられて、それらの中央に十字路と、そしてテーブルやイスなどが並べられた小さなスペースがあるのみと言う贅沢すぎる造りである。
あるいは現実にある建物ではなく、どこかの建築家が設計して実現しなかったお蔵入りのデータでも引っぱり出して再現したのかもしれない。
素人の静でもはっきりとわかるほど、明らかに採算を度外視して趣味と理想に走ったような、贅沢すぎる空間と技術の使い方をしたような場所だった。
そうして、静を連れて歩みながらセリザが空中庭園の中央へとたどり着き、そこにある丸テーブルとイスを指して静に着席を進めてくる。
「まあひとまず座っておくれよ。アタシの要件については--、まあ、ある程度予想できているみたいだが、その要件の前にいろいろと話しておきたいこともあるんさね」
「……」
実のところ、静自身、このセリザと名乗る【神問官】が自分に接触して来るだろうことは、誰に言われるまでもなく薄々予想していた。
【決戦二十七士】に協力を持ち掛けた時も、彼らがセリザへの備えとして静の存在を見ていることは何となく感じ取っていたし、それがわかっていたから静自身も竜昇を巻き込まないよう前線拠点を離れ、こうして実際にセリザが現れた今も彼女への対応を積極的に買って出ていた。
竜昇達の安全と引き換えに背負った自身の役割、【決戦二十七士】の戦いに際して、このセリザなる【神問官】が障害にならぬよう盤面から排除する、そのために。
「生憎と、それほど形式にこだわる質じゃなくてね……。手近なところで用意できるものを寄せ集めた感じで悪いんだが」
言われるまま、さして警戒することもなく席に着いた静に対し、セリザは事前に用意していた魔法瓶からお茶らしきものを紙コップに注いで静の前へと差し出してくる。
言葉の通り、ティータイムと洒落込むには少々無粋な茶器の数々だったが、しかしこの後のセリザの要件を思えばその程度許容範囲内だ。
そもそも、これまでさんざん建物の中でのサバイバルをさせられていた静にとって、今さら茶器の質などこだわるようなものでもない。
「別にかまいません。まあ、場の雰囲気にそぐわないとは一応思いますが、今はその手のことをうるさく言われる方もおりませんし」
「ハッハ……。そいつはまた、オハラらしい答えさね」
当り前のようにその名前を出して席へと座るセリザに、静もさして警戒することなく出されたお茶に口を付ける。
紅茶でも嗜むようなテーブル席を用意しておいて、その実魔法瓶の中身が梅昆布茶だったのはさすがにどうかと思った。
「さて、何から話そうかね。いや、その前にあんたが何を知りたいか、あるいは何を聞いているかの方を確認した方がいいのかな?」
「なになら聞いているか、と問われると、実のところあまり聞きだせていないというのが実情ですね。一応、私たちの暮らしていた【新世界】と、本来の【真世界】の話は聞いていますが……」
「ああ、なるほど。ようするにアンタ個人に関わる事情の方は後回しになったって訳かい。まあそりゃそうか。そもそも自分たちの暮らしていた世界がてんで偽物だったなんて話、受け止めるだけでもそれなりにおおごとだ」
静の言葉からあっさりとそう看破して、納得した態度を見せながらセリザは自分で入れたお茶をすする。
実際その推測は半分正しい。
自分たちが戦うことを余儀なくされた背景、その根底にあった世界そのものの正体についての情報は、確かにそれを受け止めるだけでここに来るまでの時間を使い切って余りある衝撃だったのだ。
それこそ、究極的には静一人の問題でしかない【オハラの血族】や【始祖の石刃】と言った問題についてまで、聞き出す余裕などなくなってしまうくらいには。
ただ一人、その事実をあっさりと受け止められてしまった静を除いた、他の者達にとっては。
(気を使っているうちに聞きそびれた、なんて、言い訳にもならないのでしょうね……)
聞き出そうと思えばそれもできたのにそうしなかった己自身を省みて、静はふとその理由について思考の片隅で考える。
そうして、そんな静の内心をどこまで察しているのか、セリザは何となく意地悪気にクツクツと笑って、やがて気が済んだかのように話し始める。
「――そうさね、それじゃあ前提条件の確認も兼ねて【新世界】が作られた、そのへんの事情って奴から話していこうか。
恐らくあんたが一番知りたがっていることについても、その辺の知識がまずは前提として必要になる」
「どうぞ、なにもないところですが、今イスなどを用意しますので……」
一方そのころ、そんな言葉と共に竜昇が招き入れられていたのは、その言葉通り、どころか、なにもないという言葉ですら生易しいレベルのなにもない場所だった。
本当に、周りを見渡しても家具や内装はおろか壁すらない。
唯一存在しているのが足場兼光源となっている、地平線まで続いていそうな足元の巨大な板だけで、それ以外が全て暗闇に包まれているという、どこか見覚えのあるその空間。
(――って言うかここ、あの階段空間か……?)
思い出すのは竜昇達が各階層間を移動する際、必ず通ることになっていた闇に包まれたその場所。
足元の光る板が巨大な床か階段かの違いこそあるが、それ以外の空間のありようは、まさしくあの階段空間と同じものだった。
(見たところ上下の階層への階段や扉はないようだが……)
念のため退路を確認しようとして、しかしそれらしいものが見当たらず、竜昇は小さくため息を吐く。
とは言え、その程度のことは竜昇自身一応予想済みだ。
転送で送られたその先が転送以外の、それこそこの【神杖塔】の所有者だというサリアンが許可しない方法では出入りできない場所となっている可能性くらい、竜昇とてある程度覚悟してこの場所に来ている。
「ここはあなた方がここに来るまで見てきた各階層、それぞれのデザインがなされる前の白紙の空間なんです。まあ、白紙と言うかごらんのとおり真っ暗なんですけど……。
とりあえず、イスとテーブルは必要ですよね? 後は、お茶とかも出すんでしたっけ? ……重ね重ね申し訳ありません。知識としてはそれなりに持っているんですけど、なにぶん人との接点がこれまでほとんどなかったもので」
他人を招くことにことごとく不慣れな様子を露わにしながら、サリアンは何もない光る床だけの空間に、【跡に残る思い出】のそれと同じように光の粒子を発生させて、それを集める形で言葉通りイスとテーブルを作り出す。
否、光の粒子の色合いなどが微妙に違うことなどから考えると、あるいはそれは似て非なる別の技術、あるいは【権能】というやつだったのかもしれない。
なんにせよ、考え込むようにしながらサリアンは続けてテーブルの上にペットボトルのお茶を生成。作法も何もあったものではない光景に竜昇が反応に困っているそのさなか、やはり殺風景と判断したのか周辺の空間にまで手を加えていく。
「とりあえず、落ち着ける空間……、応接室、みたいなものを探した方がいいかな……。なら、これで――」
言った瞬間、真っ暗な空間だけが広がっていたその場所に壁や天井が生成されて、同時に足元の床にも赤い絨毯が広がりだした。
自身の足元、まるで足裏の床から絨毯の生地が生えてくるようなその光景に、竜昇が不気味なものを感じながらもどうにかその変化を受け止める。
「――これは、物質を生成する能力、なのか……?」
「能力と言うか、【神杖塔】に設定された【権能】ですね。『空間や環境を自在に作成する【権能】』とでも言えばいいでしょうか? ビルの外はもちろん、ビル内部の空間でも、一応こちらは『室内限定』と言う縛りは尽きますが、その分かなり自由度高く設定・製作することができます」
「――室内の縛り、っていったって……」
確かに再現できるのが室内限定と言うのは大きな縛りではあるが、これまで見て来た各階層をこの権能で作っていたとしたらそんなもの問題にならないくらいに強力な力だ。
なにしろ巨大・広大な建物を丸ごと、それも竜昇の推測が正しければ、この世界には本来存在しなかった施設をあれだけ精巧に作り上げているのである。
【不問ビル】と呼んでいたときから、この建物の内部がある種の超空間になっているのではないかとは思っていたが、その内部空間を飲食物まで含めて作り上げられるというのは、はっきりとこれまで見てきた中でもぶっちぎりで破格の権能であると言っていい。
「――とりあえず、こんなものでしょうか? どのみち後でいろいろと作るつもりですし、今はこれでいいでしょう。どうぞ、座ってください」
そうして驚く竜昇をよそに、サリアンはどうにか部屋と椅子、テーブルとその上に置かれたペットボトルのお茶と言うセットを生成して当り前のように着席を促してくる。
作法も何もあったものではない、聞きかじりの知識でガワだけ再現したようなありさまだったが、それでも一応歓待の意志はあるらしいと察して、竜昇は結局何も言うことなく、勧められるままにその椅子へと腰かけた。
ペットボトルのお茶にも、ほとんど迷うことなく手を付ける。
毒殺などの可能性も考えないではなかったが、それを疑うならばそもそもこんなところまでノコノコとついてきてはいない。
「さて、まずは何からお話ししましょうか……。うーん……、あっちの話は一応の準備ができてからの方がいいでしょうし……。ちなみに、竜昇さんの方は何か僕に聞きたいことはありますか?」
「そりゃ、聞きたいことはそれこそ山のようにあるが……。そもそもの大前提として、なんだって今回俺に、こんな風に接触なんて計ってきたんだ……?
--そもそもなんで、俺なんだ?」
これまで心の底から疑問に感じながら、しかし問うことなく来てしまったそんな疑問を、遂に竜昇はサリアンに対して実際に投げかける。
実際疑問な点ではあるのだ。
当り前だが、竜昇はあの拠点において重要な意思決定を行えるような立場にいるわけではない。
あの拠点において、竜昇の立場は言ってしまえばただの居候で、もともと敵対していたその経緯を考えれば、居候どころか捕虜や囚人と言う立場にあったとしても何らおかしくない所だった。
逆に考えるなら、捕虜や囚人として扱われていたのならば手を差し伸べる、あるいは弱みに付け込むという形で接触して来てもおかしくないのだが、そう言う状況とも言い難いのである。
実力的に見ても、ビル全体どころかあの前線基地に限ってみても竜昇より優れた戦士はざらにいたはずだ。
それどころか、怪我やスキル・装備の喪失によって大幅に弱体化している現状、下手をしなくても竜昇があの拠点にいた人間の中で一番弱いという可能性すら高いのだ。
あるいは、竜昇が一番弱いと見られたからこそ、こうして接触を持たれたという可能性ならばゼロではないが。
そんな可能性を疑ってしまうほど、竜昇にはわざわざこの相手が竜昇を選んだ理由に心当たりがなかった。
そしてそれについては、意外なことに他ならぬサリアン本人にとっても同じだったらしい。
「――あなたを選んだ理由、理由、ですか……。そうですね、なんと言えばいいのでしょう……。端的に言ってしまえば、貴方に一番興味があったから、と言うのが感覚としては近いのですが」
否、あるいはそれは、サリアンの中で理由がわかっていないというよりも、漠然とした感覚をうまく言語化できない、と言うのが正しかったのかもしれない。
「先の戦い、あなた達とルーシェウス達が衝突したあの時に、僕は初めてあなた達の存在を認識しました。それまでも、一応あなた達でいうところのプレイヤーの一グループとして存在は知っていたのですが、あの時はルーシェウス達の支援のために戦況を俯瞰していて、そこで初めてあなた達と言う存在を個人として見て、知ったんです」
平然と語られるその言葉に、竜昇は内心で悪気なく酷いことを言う奴だとサリアンへの評価を修正する。
実際、本人たちの意思を無視して戦いに巻き込んでおきながら、彼のこの物言いは随分と他人事のようで、決して納得できるものとは言えない態度だった。
そう思いながら、しかし同時に竜昇はサリアンの物言いになんとも言えない違和感のようなものを感じ取る。
例えていうならそれは、そう。
まるでサリアンがこれまで、人間を個人として認識したことがほとんどなかったとでもいうかのような。
「あの時、あなた達の存在を始めて認識したことで、僕はあなた達に強く興味を持ちました。厳密には、興味を持ったのはあなた一人ではなかったのですが、我慢できずに過去にさかのぼってあなた達の記録を探って、その中であなたが一番僕の興味を引いた」
「記録を探った?」
「――ええ、まあ。あなたとあの場にいた全員、それと過去にあなた達と接触した相手までなら、この塔の中でのことを一通り……。――ええ、まあ、あまり褒められた話ではないのですけどね……」
竜昇の問いかけに対して、サリアンはまるでいたずらでも咎められたかのように、どこか恥ずかしそうな様子でそんな言葉を口にする。
なぜそんな様子を見せるのかと、一瞬困惑する竜昇だったが、考えてみれば確かに後からとは言え他人の行動履歴をのぞき見するというのはあまり趣味がいいとは言えない行動だ。
加えて、竜昇達と過去に接触があった人間についても探ったということは、その相手にはあの誠司達も含まれるのだ。
彼ら彼女らがどのような手段を用いて強固な関係性を築いていたかを考えれば、それを後からとは言え覗き見たというのは、確かにあまり褒められない行いである。
しかもそれを成したのが、外見年齢だけなら十代に届いているかも怪しいサリアンであることを考えればなおのこと。
なにはともあれ、一つはっきりしたのは、サリアンがあの場にいた錚々たる顔ぶれの中から、過去の行動まである程度遡って調べたうえでなお、互情竜昇と言う個人を狙って接触を図ってきたということだ。
正直な話、単に興味を引かれたと言われても竜昇自身には何がそんなにこの少年の食指に触れたのかがさっぱりわからなかったが。
「――まあ、とりあえず俺に接触してきた理由については分かったよ。いやまああ、これで分かったというのは違う気がするけども、ひとまずこの質問はここまでにしておくよ」
「ええ、そうですね……。そうしていただけると助かります」
語る意思は感じるもののどこか要領を得ないサリアンの言葉に、竜昇はひとまずそう言ってこれ以上の追及を諦める。
これが変に隠し立てしているようなら追及する手もあったのかもしれないが、そもそも当のサリアン自身が己の本心をうまく言語化できていないのだ。
ならば、ひとまずこの命題については一度話を打ち切り、後回しにしておいて、先に別の問題について聞きだしておいた方がまだしも建設的と言うモノだろう。
「それで、次の話題なのですが、恐らく竜昇さんも気になっているだろう点について、先に語らせていただいてもよろしいですか?」
「俺が気になってる点?」
「――ええ。すなわち、僕がなぜあなた達の世界を作ったのか。二十七士の人たちが言うところの【新世界】創造の、その理由を」




