259:興味の来訪者
【神造人】最後の一人、サリアンの行方が分からないと知らされても、意外なことにルーシェウスはさしたる驚きを覚えなかった。
むしろその胸にあったのはやはりというか、ついに来るべきものが来てしまったかと言うようなそんな感覚だ。
「ちょっと、なに落ち着いてんのよ……!! サリアンがいなくなったのよ、状況分かってんの……!?」
「無論わかっているとも。離反したセリザと違い、サリアンの存在はこのビルの運営上重大なものだ。なにしろ奴は、塔の中で唯一その内部構造の全てを操れる、この【神杖塔】の所有者だからな」
ルーシェウス自身がそう口にした通り、姿をくらました【神造人】、サリアンの存在は重大だ。
かつては【神杖塔】を預かる【神問官】としてこの塔の最上階にあったかの少年は、今は己自身を塔の持ち主として選定し、各階層の内装変更から階層間の接続の設定、先の奇襲に際して使用した【空間転移】に至るまで、ルーシェウス達【神造人】の陣営に絶大なアドバンテージを与える権限を多数保有している。
はっきり言って、あの少年一人の存在によってこの塔の中での行動の自由度が極端に変わるのだ。
これがいかに重大であるかなど、他ならぬルーシェウスが理解していない訳がない。
そしてそのことは、恐らく問うたアーシア自身もわかっていたのだろう。
「――ならどうしてッ、アンタはそんなに落ち着いていられるのよ……!!」
「決まっている。今さら慌てたところで無駄だからだ。すでにどこかへ向かってしまった以上、【空間転移】の権限を握っている奴を捕らえるのは不可能に近い。
なにしろ奴がいなければ我々は奴のいるところまで転移できないのだから」
言外に諦めろと告げられて、ルーシェウスに詰め寄っていたアーシアが目を丸くする。
実際彼女にしてみれば、ルーシェウスがここまで淡白な反応しか返さないというのはさすがに予想外だったのだろう。
当のルーシェウスにしてみれば、自分達の関係がそうした淡白なものであることはずっと告げていたつもりだったのだが。
「ひとまず行先の見当はつく。このタイミングで姿をくらましたということは、行先は恐らく先の戦いで奴が認識した【決戦二十七士】の誰かの元だ。――否、あるいはプレイヤーの誰かかも知れないな」
きっかけは、恐らく先日サリアンの権限を用いて、ルーシェウスとアーシアがついに敵対する【決戦二十七士】に接触したことだろう。
あの瞬間、かねてより存在自体は知っていたものの、『そう言う者達がいる』程度でしか知らなかった彼らを、サリアンは塔の権限による知覚能力越しに一人一人個別に認識してしまった。
それ以前は『敵対勢力の一人』、『引き込んだ手駒の一人』と言う認識でしかなかったものを、あの瞬間サリアンは彼ら彼女らをそれぞれ個別の人格を備えた個人として認識してしまったのだ。
そして一度でも人間を、あるいは個人を認識してしまったら。
ルーシェウス達【神問官】は、その人間に対して興味を持つことを避けられない。
「――ちょっと待って、まさかアンタ、あいつが私たちを裏切ったとそう考えてるの……?」
「そうではないだろう。セリザと違い、奴は使命よりも己の願いに対して純粋だ。そして奴は願うもの自体ははっきりと一貫しているから、このタイミングであ奴が裏切ったとは考えにくい」
「――そ、そう……。でも、だったら止めなくちゃまずいんじゃないの……!? だって、【神問官】が人間のところに出向いたってことは――」
「ああそうだ。我々【神問官】が人間と接触するということは、すなわち選定による消滅の危険が発生するということだ」
確率としてはそれほど高いわけではないが、しかしある意味で、【神問官】にとって人間との接触は危険な行為だ。
なにしろ、まかり間違って自身の選定対象、その条件を満たす人間と接触してしまった場合、【神問官】は本人の意志とは無関係にその相手を選定し、【神造物】を明け渡してこの世界から消滅してしまうのだから。
だからこそ、ルーシェウス達はこれまでできうる限り自分達が彼らに接触することが無いように動いてきたし、塔の中にいる人間たちの情報についても、ギリギリになるまでできるだけ目を通さず、頭に入れないように注意してきた。
つい先日、自分達を殺しうる最も危険なあの老婆と、送り込んでいたプレイヤーの一団が接触するという決して逃してはならない千載一遇の機会が訪れるまでは。
「もとより【神造物】の選定のために存在しているだけあって、我ら【神問官】にとって人への興味関心は本能的な衝動だ。
いかに自制し押し殺そうともその欲求は決して避けて通れるものではない」
「どうしようもないって言いたいの……? もしあいつが帰ってこなくても運が悪かったと諦めろって……?」
「何事もないことを祈るよりほかないな。幸い、と言うことには抵抗があるが、我らに課された神の問いかけは難解だ。
あ奴に課された問いの内容についてはっきりとはわからぬが、これだけの【神造物】を預かるモノであった以上、さほど容易いものではないだろう」
「あいつが敵に掴まる可能性は?」
「それこそあり得ぬだろうよ。【神問官】の非破壊性能にもいろいろあるが、あ奴のそれは我らのものより優秀だ。こと我らであれば捕まる危険も考えられるが、あ奴に至ってはそれもありえん」
それに最悪の場合、選定の危険についても一応の保険は掛けてある。
そう内心で考えて、しかしルーシェウスはそれ以上の言葉をこのアーシアの前で口にするのはやめておく。
もとよりルーシェウス自身、同胞の安否が気にならない訳ではないのだ。
ならばこの場は、彼自身がそう考えた様に黙って祈っておくのが最善だろう。
既にここにはいない、興味のままに敵の元へと向かってしまった同胞の無事の帰還を。
【神造人(ゲームマスタ―)】最後の一人にして【神杖塔】担当、その肩書を持つサリアンと言う少年の来訪は、もちろん竜昇にとってあまりにも想定外の事態だった。
なにしろここに来るまで、徹底して自分達が前線に出ることを避けていた節のある【神造人】達である。
まさかその【神造人】が直々に、それも戦いに直接かかわらないこの拠点に襲来して来るなど正直考えてもみなかった。
とは言え、これについてははっきり言って竜昇達の油断もあったと言っていい。
(――、考えてみれば、戦争なんかで戦闘要員よりも先に補給を潰すってのは常道だったはず……。迂闊だった……。そもそもこのビルの中にいるって時点で、俺達はほとんど相手の掌の上にいるようなもんだってのに――)
そう思い、起き上がったその態勢から急いで杖を掴んで、すぐさま立ち上がって臨戦態勢に移ろうとして。
「――ッ」
次の瞬間、反射的に地を踏んだ右足に痛みが走り、しかし力を籠めることができずに再び床へと倒れ込む。
敵の前でさらすにはあまりにも致命的な、そんな隙を晒した竜昇に対して――。
「ああ、大丈夫ですか――!? 驚かせてしまったのは重ねて申し訳ないですけど、そちらだって怪我をしているのですからある程度は自分で気を付けてくださらないと……」
さも当たり前のように、当のサリアンは床へと倒れ込んだ竜昇を気遣って、まるで心配するかのようにそんな言葉を恥ずかしげもなくかけて来た。
(――な、に……?)
よくよく観察してみれば、まるで天使のような外見のこの少年からは、こうして相対していてもまるで敵意のようなものを感じない。
否、それどころか、怪我による後遺症で立ち上がれない竜昇に対して、口にした言葉通り酷く気遣わしげな表情さえ浮かべている始末だ。
ここに来るまで、竜昇達を散々命の危険に曝しておきながら。
その張本人である【神造人】を名乗っておきながら、酷くちぐはぐな態度でサリアンと名乗るその少年は竜昇に対してその状態を問うてくる。
「――えっと、起き上がれますか? すいません、こういう場合、手を貸した方がいいのかなとは知識に照らして思うのですが――」
「――いや、いい。自分で、立てる……」
理由を付けてこちらに接触しようとしているのかと一応疑って見ながら、しかし竜昇は同時に内心でそれはないだろうとその判断を却下する。
そもそも現状の竜昇を殺すことなど、これまでに見て来た【神造人】の戦力を考えれば容易いはずなのだ。
杖を使い、それによってかろうじて立つのがやっとという竜昇の戦闘能力は、今の彼らにとってはそれこそ殺害も容易い。
むろん竜昇とて全く抵抗できない訳ではないだろうが、そもそもにおいて不死身の存在であるという【神造人】を相手にその攻撃が意味を持つとは到底思えない。
自分の足で逃げられない以上、現在の竜昇はこの相手の前では限りなく無力であると言っていい。
(――それでも、人を呼ぶべきか?)
自身がいるスタジアムの階層、その各所に警備として配置され、巡回している前線拠点の戦士たちの存在を思い出し、竜昇は内心でその案を真剣に検討してみる。
【決戦二十七士】と言う最高クラスの戦力には及ばないながらも、彼らとてこの塔の中に足を踏み入れることを許された以上十分に一線級と言っていい戦力だ。
加えて、これまでの【決戦二十七士】と違いそれなりの人数もいる。
今ここで人を呼び、【神造人】の襲来を誰かに知らせることができれば、駆けつけた戦士たちによってこの少年が撃退できる可能性とてゼロではない。
同時に、もしもこの少年の存在を知らぬままでいれば、不意を突かれた彼らがここで全滅してしまう可能性もあるのだ。
なにも声をあげる必要はない。それなりの規模を誇る魔法を一発ぶちかますだけで、その音と魔力の感覚によって彼らは間違いなくこの場に飛んでくる。
そして今の竜昇であっても、スキルを習得していた時と同じように瞬間的な術式構築で魔法を放つくらいのことはできるのだ。
だから問題があるとすれば、このサリアンと言うらしき【神造人】の少年から、まるで敵意を感じられないという点か。
「……用件を、聞こうか……」
杖で体を支えて相手と向かい合いながら、竜昇は迷った末にどうにかその言葉を口にする。
無防備に転がっていた竜昇に声をかけ、あまつさえ晒した隙さえ放置しているその時点で、この相手の目的が襲撃でないことは明白だ。
とは言え、ここまでの経緯を考えればこの相手は間違いなく敵対者であり、この段階でわざわざ接触して来る用件に心当たりがある訳ではない。
襲撃でないなら、いったい何の目的で接触して来たのかと、そんな思考を巡らせ、身構えながら竜昇は相手の返答を待って――。
「――要件、と言いますか……。あなたに興味があったのですよ。前回の、ルーシェウス達とあなた方の戦う様子を見て」
――帰ってきた妙に漠然としたその回答に、しばし困惑し、返答に窮することになった。
「――興味が、あった?」
「――はい。前回あの場にいた方々のことを知って、貴方には特に」
「えっと……」
「ああ、すいません。実をいうと、こうして人と話したことがあまり無くて……。ルーシェウス達とは一応それなりに話す機会も多いんですけど……」
そう言うと、サリアンは苦笑いしながら一歩下がって、自身の足元に何やら魔法陣のようなものを発生させる。
「――!!」
突然のその行動に身構える竜昇だったが、しかし現れた魔法陣自体には見覚えがあった。
記憶自体は状況が状況だったため明瞭とは言えないが、それでも記憶が正しければ、その魔法陣は先の戦いの最後にルーシェウス達が撤退するときに用いていたそれだ。
「このまま話してもいいのですが、もうすぐここに巡回の兵士がやってきます。
流石に彼らと鉢合わせると会話どころではなくなりますから、よろしければお付き合い願いたいのですが、いかがでしょうか? もちろん、話が終わった後、きちんとこの場所にお返ししますので」
サリアンが場所を変えようと誘ってきているのだとそう察して、竜昇はほんの一瞬その魔法陣に足を踏み入れることを躊躇する。
言ってしまえば相手が竜昇を連れ去ろうとしている可能性を危惧したわけだが、しかしよくよく考えてみると今の竜昇に連れ去るだけの価値があるかはかなり微妙だ。
しいて言うなら、上の階層へと向かった静に対抗するための人質と言う考えは頭に浮かんだが、静以上に強力な戦力である【決戦二十七士】が竜昇一人のために手を止めるなどとは到底思えなかったし、そんな回りくどいことをするくらいならばまだしも竜昇を含めたこの前線基地の人員を不意打ちで殺害したり攫ったりした方がましだ。
なによりも、あれだけ隙だらけだった竜昇を攫うのに、わざわざ当の本人に誘いをかけ、了解を取る意味はない。
無論、話が終わればここに返すというサリアンの言葉を信じられる理由もないわけだが、しかしそうした危険を考えてもなお、竜昇はこの相手について行ってもいいのではないかと思ってしまった。
この相手を信用できると思ったわけではないが、その一方で。
こちら側だけでなく、向こう側の話も聞いてみたいという、そんな気がして。
「――いいよ、話を聞いてやる」
どのみち相手がその気になったら逃げられないのだと、内心で言い訳のようにそう腹をくくって、竜昇は杖で体を支えながら展開された魔法陣の中へとどうにか歩み、入り込む。
そんな竜昇に対して、サリアンが浮かべるのは『ああ、やっぱり』と言わんばかりの嬉しそうな笑み。
「それではご案内します。あなたを、恐らく彼らが語ったのとは違う真実のある場所へ」
そう言って、次の瞬間足元の魔法陣が輝きを帯びて、わずかな浮遊感と共に竜昇の周囲の景色が掻き消える。
竜昇とサリアン、そして足元の魔法陣だけを残して、どこか見覚えのある闇の中へ。




