258:思い残しの行方
「――――――――――――ああ、参った」
そうして、告げられた言葉に何も返せないまま、天井を見上げて竜昇は酷く情けなくも呟きを漏らす。
それ以外に、もはや何もすることができなかった。
結局あの後、詩織は彼女が抱えていた思いを全て竜昇に打ち明けて、竜昇に返事を求めることもなく祈るような面持ちで立ち去った。
否、実際のところ彼女は竜昇に対して返答など求めていなかったのだろう。
恐らくあの時、詩織は竜昇に対して自身の思いを告げに来たのではなく、純粋に竜昇を引き留めるための説得しに来ていたのだ。
そのために、彼女は自分の思い、己の告白すらも竜昇を引き留めるための手段と割り切り、ある種の切り札としてあの場、のタイミングで投じて来た。
恐らくは竜昇に好かれることよりも、竜昇を危険に飛び込ませないことを優先したが故に。
そうでなければ、わざわざあんなタイミング、あんな会話の中で竜昇に思いなど伝えるまい。
(――静ではなく、私のことを、か――)
告げられた言葉に、否応なく竜昇は考えさせられる。
(そもそも俺は、静のことをどう思ってたんだろうな……)
詩織からはそのように見えていたのかもしれないが、実際のところ竜昇と静は別に恋人やそれに準ずる関係と言うわけではない。
無論異性として認識していなかったわけではないのだが、そもそも竜昇の中にその手の感情を判別できるほどの恋愛経験がない上に、つい先日まで常に死と隣り合わせの環境に身を置いていた関係上、互いに相手との関係をはっきりさせる必要性も、色恋沙汰に関係を発展させている余裕もまるでなかったのだ。
その点、実のところ竜昇の中の感覚でいうなら、静との関係性は恋人云々と言うよりもやはりパートナーと言った方が近い。
(あるいは、そう言う危機的状況だからこそ、吊り橋効果だとかそんな感じの理屈で関係が発展する、みたいなパターンもあるのかもしれないが……)
少なくとも竜昇と静の間では、現在に至るまでそのような形で関係が発展することはなかったし、なにより、他ならぬ竜昇自身がそう言った感情に流されることを良しとしていなかった。
(――ああ、結局のところそれが一番の理由なのかもしれないな)
考えを巡らせた果てに、ようやく竜昇はその答えへとたどり着く。
そう、結局のところ竜昇は嫌だったのだ。
吊り橋効果などと言ってしまえば聞こえの良い、極論で言ってしまえば危機的状況下に陥ることで、子孫を残さんと人間を突き動かすという本能的衝動。
そうした衝動に突き動かされて行動してしまうような人間になることが、なによりあの静をそう言う相手としてみなしてしまうことが、竜昇にはどうしても受け入れがたく、嫌だった。
無論誠司達の例にもある通り、そうした異性との関係が生き残る上で必ずしもマイナスになるばかりではないのも理解してはいるが。
単純な好みの問題として、竜昇は静をそう言う相手として見ることを自ら避けて、命の危険が伴う中でその命を預け合う、パートナーと言う関係性を遵守した。
けれど今、良くも悪くも戦うことから離れることとなって、その分余裕ができてしまったことで、改めて竜昇は考えさせられることとなっている。
果たして自分は、小原静と言う少女のことをどう思っているのか、と。
自分の中にある、彼女に対する感情を何と呼ぶべきなのかを。
(……けど、仮にその問題に答えが出たとして、それで一体どうなるって言うんだ……?)
考えながら、しかし竜昇の脳裏には別の問題も同時によぎる。
詩織などは竜昇が静の後を追ってしまうことを懸念していたようだが、現実問題として今の竜昇では以前のように彼女の隣に立つことは不可能なのだ。
今の竜昇ではどうあっても足手まといになる事態を避けられず、そして足手まといにしかなれないのなら彼女の元へ行っても意味がない。
否、足に怪我を負う以前も、あの静に対してきちんと並び立てる存在と成れているかどうかは若干怪しいものがあったが。
(そもそも、俺のやっていたことなんて、結局のところただの自己満足でしかなかったわけだしな……)
ここに来るまで、竜昇自身自分なりにベストを尽くしてきたつもりではあったが、ではそれが結果に結びついていたかと言えば実のところそれはまた別の話だ。
否、それどころか竜昇の下した決断は、その実ほとんどが望んだ結果へと結びついていないと言ってもいい。
情報を得るべく対話を望んだ【決戦二十七士】とは、毎回戦闘に発展した末死亡されるか取り逃がした。
手を組もうとしていた誠司達も、結局はその半数が死亡し、残った二人のうちの一人は未だ行方さえわからないという状態だ。
加えて堪えるのは、そうして幾度も失敗を繰り返していた竜昇達をよそに、結局のところ竜昇達がどんな判断をしていたとしても、別に行動していた華夜が竜昇達の望む結果を掴み取ってしまうということだ。
無論彼女がその結果にたどり着けた経緯を聞いてみれば、竜昇達の動きが全く無関係だったという訳でもないのだが。
それでも、どうしても思ってしまうのだ。
結局、竜昇が何をしようとも、あるいは何もしなかったとしても結果は同じだったのではないのかと。
竜昇達が途中で無理をせず、どこかに立ち止まっていたとしても、結局は別に動いていた華夜が【決戦二十七士】と話をまとめて、今ここでこうしているように彼らの保護下に入る結末に至っていたのではないかと。
(――我ながら、酷ッでぇひがみだ……。つくづく……、これじゃあ一人上に行った静に顔向けなんかできやしない……)
竜昇達を残して上に向かった静の、その語らなかった理由は明白だ。
無論本人の言う通り、本来の世界の方が自身にとって生きやすいと見込んだという理由や、そもそも元に戻さなければこの世界に未来が無いという事情もあったのだろうが、恐らく彼女が【決戦二十七士】に同行すると決めた最大の理由は、そうすることがもはや戦うことのできない竜昇達を守ることにつながると、そう判断したからだ。
今でこそ【決戦二十七士】の保護下に置かれている竜昇達だが、実のところその立場は非常に危うく微妙なものだ。
なにしろ竜昇達は、つい先日まで彼らと敵対し、その彼らに少なくない被害をもたらしていた存在なのである。
現状、【決戦二十七士】が竜昇達から受けた被害についてどの程度把握しているかは不明だが、少なくとも彼らとて竜昇達に対していい感情は持っていないだろうし、そうであるならその保護下に収まらざるを得ない竜昇達の立場が危ういものであるのは想像に難くない。
恐らく静は、そうした点も念頭に置いたうえで自身が彼らに同行することで協力と恭順の意を示し、あとに残される竜昇達への風当たりを緩和する道を選んだのだろう。
単純な自己犠牲という訳でもないのだろうが、しかしその一方でその決断の背景に竜昇達の存在があったことは、竜昇自身それほど疑っていない。
(――結局、最後の最後に俺は一番大きな負担を静に背負わせたってことなのか……。
--ああ、くそ……。ダメだ、思考がどうしてもそれちまう……)
詩織からの告白について考えていたはずなのに、いつの間にか竜昇自身の不甲斐なさに思考が脱線していたその状況に、竜昇は思わず床の上に横たわったまま頭を抱える。
どうにも思考が逸れてうまくまとまらない。
否、現状竜昇には考えることが、考えなければならないことが多すぎるのだ。
――否々、それとて今は、もはや本当に考えなければいけないのかもわからない。
すでに話は竜昇の手の届かない領域に行ってしまって、もはや今の竜昇は再起不能と言っていい状態で、なにを考えたところでもはや何もできない立場でこの安全地帯に取り残されている。
もはや竜昇にできることなど何もなく、であるならば今竜昇が考えなくてはと思っていることの、そのほとんどに意味はない。
なにをどれだけ悩んだところで、結局竜昇にはもう何もできないのだから。
「――ああ、もう疲れたよ、いい加減いっぱいいっぱいなんだよ……」
目を閉じて、誰の耳にも届かないのをいいことに弱音を漏らす。
もう一そこのまま寝てしまおうかと、そんな投げやりな思考が頭をよぎって、疲れ切った意識が、自然とその案に従おうと眠気に吞まれ始めて――。
「――えっと、ごめんなさい、タイミングが悪かったでしょうか……?」
不意に声をかけられて、竜昇は半ば反射的にその場で跳び起きていた。
「ああ、すいません。驚かせてしまいましたか?」
見れば、転がっていた竜昇を見下ろすように、一人の酷く小さな少年が膝に両手を突くような態勢でこちらを見つめているのがみえる。
年齢的には、恐らくセインズよりもさらに下。
金髪に金眼、そして酷く美しい容姿を持った、間違いなく美少年と言っていい、そんな相手が。
「――お前、誰だ……?」
だがあり得ない。
普通に考えてそんなはずがないのだ。
なにしろここは警備厳重な前線拠点。いるのは一定以上の戦闘力を誇る戦士ばかりで、そもそも【不問ビル】の内部と言うことを考えれば、どう考えてもこんな歳の子供がうろついているはずがない。
半ば反射的に抱いた疑念に理屈が追いついて、それにさらに追加で恐怖とも危機感ともつかない感覚が竜昇の中で沸き上がって――。
「あ、えっと――。申し遅れました。
僕は【神造人】、あなた達でいうところのゲームマスターの最後の一人、サリアンと申します。
担う役割は、この【神杖塔】の所有による各階層の整備と、運営管理。
これもあなた達風に言うなら、【神杖塔】のフィールドの担当、とでも言えばわかりやすいでしょうか?」
どうぞお見知りおきくださいとそう言って、天使のような少年が酷く無邪気に竜昇に対して笑いかける。
それはまるで、なんの罪悪感も悪意もない、そんな笑顔で。
互いの立場を、一瞬とは言え忘れさせられてしまう、そんなくらいに。
そうして、竜昇の前にその少年が現れていたのと同じころ、静の前にもまた別の人物が姿を現していた。
「おや、ようやっと来たのさね……。待ちくたびれて、この階層の主はこっちで始末しちまったよ」
否、こちらについては静の前と言うよりも、静を含めた【決戦二十七士】の前にと言うべきだろうか。
既に開かれた状態の上の層への扉、その横の壁にもたれかかるようにしながら、黒い喪服のようなドレスを着た一人の美女が。
かつてあのドーム球場で静の救援に割って入ったセリザと言う【神問官】が、言葉の通りにいかにも気だるげな、待ちくたびれた様子で。
そんなセリザの姿を視認して、その来訪を予感していた静は迷わず一歩前に出る。
「一応、確認させていただきましょう。お待ちいただいていたようですが、要件があるのはわたし、と言うことでよろしいですか?」
「――おや、話が早いさねェ。
そう、ひとまず今は用があるのはそのオハラの娘一人だけさ。それ以外の奴は先に進んで構わないから、ひとまずアタシに付き合ってもらってもいいかねェ?」




