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257:残された者達

 杖を頼りに一歩前へと歩き出す。


 先の戦いの中で負傷して、すでに治療の終わったはずの右足を引きずって。


 強く地を蹴ろうとするたびに奔る痛みに、うまく力を籠められずによろめく体に、その不自由さに耐えながら。


(――く、そ――)


 バランスを崩して倒れそうになるのを、手にした杖で支えて立て直す。

 左足だけでどうにか体重を支え、右足を浮かせて杖に体重を預けながら、竜昇は思い通りにならない自身の体に深いため息とともに歩みを止める。


(――ああ、ホント……、思っていた以上にコイツは堪えるな……)


 拠点の医師や華夜の治療を受けた際、恐らく運動機能に障害が残るだろうことは事前に予想され、告げられていた。


 時間が経てばある程度までは回復するとは言われたものの、同時に二度と跳んだり走ったりと言った、激しい運動はできなくなるだろうとも。


 それを告げられた時のショックも大きかったが、こうしてベッドを出て実際に足の調子を確かめてみると、自身が失ったものの大きさが否応なく実感を伴って押し寄せてくる。


 もう二度と激しい運動はできないと言われた、その言葉の重みが、ひしひしと。


「――まったく、惰性で続けてた陸上部もいよいよ潮時だな……」


 本気で上を目指して打ち込むのではなく、ただの友人づきあいで続けていた部活動の存在を思い出して、竜昇は思わずそんな風に自嘲する。


 思えば部活動での経験は、このビルの中では思っていた以上に役に立った。


 普段からあれだけ早く走る訓練をしていなければ、恐らく竜昇はどこかの段階で危険から逃げきれずに死んでいたことだろう。


 そう言う意味でいえば、やはり竜昇の今の状態は陸上部としてはもちろん、これまで経験して来た戦いの中でも間違いなく致命的だった。


 一応、【羽軽化】等の魔法的手段で右足の負傷をカバーする手もないではないが、そもそもそうした手段でカバーしなければならないという時点で大きすぎるハンデだ。


 特にこのビルでの戦いのようなハイレベルな戦闘であればなおのこと。

 今の竜昇では、何らかの手段で走れなくなった足の代わりを用意したとしても、足手まといにしかなり得ない。


 恐らくは、竜昇自身が静に対して言った通り。

 戦士としての竜昇は、もはやこの段階で再起不能と言っていい。


(――そもそも、今の俺にはもう【羽軽化】の魔法は使えないしな……)


 自身を支える杖に視線をやって、竜昇はその杖の状態にもそっとため息を吐く。


 かつて中崎誠司から継承し、短い間とは言えその強力な性能によって竜昇をサポートしてくれていた杖、【麒麟の黒雲杖】。

 だが現在手元にあるそれは、煙管のような形状をしていたその特徴的な先端部分が斬り落とされて、それによって本来あった魔杖としての機能を完全に喪失してしまった、言うなれば魔杖だった過去があるだけのただの棒きれだった。


 それはつまり、魔法と併用して使用していた思考補助機能や、機能の一つとして設定されていた【羽軽化】の魔法、そして杖そのものに術式を刻み込んでいた【黒雲】など、竜昇が使用していた重要機能の全てが失われてしまったということで。


 ここまで機能が失われてしまえば、このもらい物の杖もまた竜昇同様、既に再起不能になってしまったのだとそう判断するしかない。


(もしこれで、なにかスキルで使える技が覚醒していれば、何か変わったのかもしれないが……)


 最後の戦いのさなか、恐らくは【軽業スキル】あたりだろう、なにがしかの都合のいい術技が発現しかけていたことを思い出し、竜昇は心中でそう独り言ちる。


現在の竜昇は、先に遭遇したルーシェウスによって習得していたスキルの全てを奪われている状態だ。

 幸いにして、奪われたのは竜昇の中で未解凍の圧縮ファイルのような形で眠っていた、まだ発現させていなかった術技に関する知識だけのようだった。

 あるいは、スキルシステムによって得た知識はすべて奪われたが、竜昇自身が習得して実際に使っていた知識については竜昇の中に定着して残っていたとみるべきなのかもしれない。


 なんにせよ、今の竜昇はすでに習得していた術技こそ使えるものの、反面未修得だった技能に関しては今後取得できる可能性がほぼない状態になっている。


 それはつまり、今までに何度かあったように、都合のいいタイミングでスキルシステムの中から知識を引き出し、新たな力に目覚められる確率はゼロになったということだ。


(つまり、今から俺が都合よく、足を負傷した状態でも走り回れるような術技に目覚めて戦えるようになるって可能性ももうなくなっている……)


 別に元からあてにしていたワケでもないが、しかしこの状況はもうどうにもならないのだという実感が改めて押し寄せくる。


 一応スキルシステムに頼らない真っ当な方法で習得したり、マジックアイテムの類に頼るという方法もないではないが、しかしたとえ足の問題を何らかの方法で解決できたとしても、それで竜昇が戦力になれるかと言えばそれもまた別の話だ。


 だからきっと、竜昇のあの時の判断は正しかったのだろう。

 あの時、【決戦二十七士】に同行するという静についてゆかず、この場に残ることを選んだ竜昇の、その判断は。


 正しかったはずだ。正しかった、はずなのに。


(――だって言うのに、こんな気分になるのはなんでなんだ……)


 そうして自身の判断の正しさを実感しながら、しかしそれでも竜昇が何か引っかかるのを感じて、その正体がつかめずに天井を見上げていたそんな時――。


「ここにいたんだ、竜昇君……」


「詩織さん……」


 言葉からして竜昇のことを探していたのだろう。どこか安堵したような様子で詩織がそこに立っていた。







「もう、歩く練習してたんだね……。けど、もう大丈夫なの? 結構大きな怪我だったのに、そんなに日数経ってないと思うんだけど……」


「ええ、まあ……。なにしろこっちには魔法――、いえ、界法による治療方法がありますからね。俺自身【治癒練功】は習得していますし、怪我の治りを早めるのはそう難しくないんですよ。

 ――まあ、直るのが早くなるって言うだけで、治しようのない怪我まで治せるわけじゃないみたいですけど……」


「――、……そっか」


 自嘲的な竜昇の言葉に、詩織が何かを言おうとして、しかし言葉に詰まった様子を見せた後短くそう応答する。


 恐らく彼女の中でもかける言葉が見つからなかったのだろう。


 そう思いながら口を突いて出るのは、先ほど自身が突きつけられた竜昇自身どうしようもない事実。


「一応、このままリハビリしていけば杖を使って歩けるようにはなると思う……。けどたぶん、それ以上の激しい運動はもうできない。

 そのあたりは怪我を見てくれた華夜さんなんかの見立て通りになるだろうな……。少なくとも、元の世界に戻っても陸上部は続けられそうにない」


「――陸上部、だったんだ……」


「ええ。――まあ、そもそも陸上部って言っても本気で大会とかを目指してるガチアスリートってわけじゃなくて、あくまで友人付き合いで参加してただけの温いスタンスだったんですけど……」


 そんな言葉で、さして未練がないかのように振る舞おうとした竜昇だったが、しかしこれに関しては自分でもわかるくらい、声の調子で露骨に失敗に終わってしまった。


 確かに大会などを目指していたわけではない。

 走ること、跳ぶこと、もっと言えば体を動かすことにそれほど大きなこだわりを持っていたわけではなかったが、しかしだからと言ってそれらができなくなってしまうとあってはやはり喪失感もひとしおだ。


 それが例え、己の全てをかけたり、多くを費やしたものではなかったとしても。


 それまでできていたことができなくなるというその時点で、やはりその感覚は逃れ得ないものであるらしい。


「――やっぱり……」


「――え?」


「やっぱり、行きたかった……? その、怪我のことが無かったら」


 そうして胸に穴が開いたような感覚を噛み締めていた竜昇に対して、やがて詩織が意を決したかのように、迷うようなそぶりを見せながらもはっきりとそう問いかけてくる。


 その質問は、ずいぶんと踏み込んでいて正直に言って竜昇としては意外なものだった。

 なんとなく、詩織はこういったデリケートな質問はあまりぶつけてこないと思っていたから。


「正直に言うとね、私は――、ごめん、少し、ううん、かなりホッとしてる。

 たとえそれが怪我の後遺症のせいだったとしても、竜昇君がいかないで、私たちとこの場所に残ってくれて」


「それは――」


「――だって、行ったらたぶん竜昇君死んじゃうよ」


 なにかを言わなくてはと、そう思い言葉を発するその前に、詩織がその心中に抱えていた強烈な言葉を口にする。

 あるいはそれは、彼女だからこそ覚えていた強烈なまでの不安。


「今回のことで改めて思った。あんな戦い、いつまでも身を置いてたら、いつか必ず命を落とすことになるって……。

 ――それは竜昇君だって例外じゃない。例外じゃ、なかった……。どんなに頼りになって、大丈夫そうに思える人でも……。中崎君や瞳だってそうだったし、竜昇君だってそう。そう、なりかけてた……」


 決定打になったのは、それこそ恐らく前回の【神造人】達への敗北だったのだろう。


 あの時、結果的には横やりが入って命拾いしたものの、それが無ければほぼ間違いなく竜昇達は命を落としているところだった。


 加えて、命こそ取り留めたものの、今の竜昇はこうして足に後遺症を負ってしまっている。

 その状況は、既に中崎誠司と馬車道瞳の死を目の当たりにしている詩織にとって、強い不安を覚えるには十分なものだったに違いない。


「もしかしたら、どこかで何かを間違ったら、竜昇君も中崎君や瞳みたいに死んじゃってたかもしれない。

 少なくとも私は――、あの時竜昇君が倒れてるのを見つけて……。ここにきて、やっと瞳たちが死んだんだって実感が追いついて来て、そう思った」


 どんな怪我をしたとしても命があっただけまし、そんな言葉は、実際に怪我をして、それによって後遺症が残った竜昇のような人間にはあまりにも残酷だろう。


 けれど客観的な事実として、例え負傷はしても生き残ることができたというのは、実際に死んでしまった人間のことを思えばやはり幸運なことだったのだ。


 そしてそれがたまたま運がよかっただけの話でしかないと分かってしまった以上、次また同じことがあったらと考えてしまうのは人としてあまりにも自然なことだろう。


 ただし――。


「……ううん、違う」


「え……?」


 ――詩織が抱く感情は、実のところただそれだけという訳でもない。


「――あ、ううん。違わない。――違わないけど、それだけじゃ、ない……。

 ねえ、竜昇君……。竜昇君はさ、静さんのこと、どう思った……?」


「……!!」


 核心に迫るその問いに、竜昇は一瞬、何も答えられずに言葉を失う。

 それは恐らく、竜昇の中でも先ほどからずっと答えが出せずにいた問いであるが故に。


「……静さんがあの人たちと行くって言った時、正直私はその時、やっぱり静さんは特別なんだって、そう思ったよ。

 静さん本人は、私のことも同類みたいに思ってたみたいだけど、それでも私は、静さんは自分とは違う、特別なんだって、そう思った……」


 小原静の特別性、その点については他ならぬ竜昇自身、このビルで活動する中で何度も感じたことだ。

 そしてそれは、恐らく竜昇程ではなくとも、彼女と行動を共にしたものならば多少の差異はあれ感じることだろう。


 それこそ彼女自身への好悪の感情とは関係なく。

 彼女と言う存在が、自分達普通の人間とは根本的に別の生き物なのだということを。


「――静さんは特別だよ。

 少なくとも私は、この前静さんが出した結論を聞いてそう思った。……私も、自分はどこか他人と違うんだって、そう思って生きてきたつもりだったけど、あの静さんと比べたら、わたしなんてまだ普通なんだって、そう、思った」


 静が【決戦二十七士】と共に上の階層に行くと告げた時、当然竜昇達はその理由を彼女に対して問いかけた。


 否、実際のところ彼女に対してまともに問いを投げかけられたのは三人の中で理香一人だけだったのだが、それでも理香一人で三人の疑問を代弁するように問いかけて、その中で『なぜ故郷である【新世界】ではなく【真世界】に与する道を選ぶのか』と問われて、彼女ははっきりとこう答えたのだ。


『【真世界】の方が自分に合っていると思うから』と。


 無論竜昇とて、静の語ったそれが彼女の中の理由の全てだとは思わない。


 むしろそれ(・・)は決断の理由のほんの一部で、実際には語らなかっただけで竜昇達にも納得できる理由や、竜昇達が置かれた現状を慮った結果としての決断だったのだろうとは疑わずに思っている。


 けれどその一方で、『【真世界】の方が自身には合っている』と言う言葉自体もまた、紛れもなく静自身の本音だっただろうことを、あの場にいた三人はほとんど疑っていないのだ。


 それはつまり、平和な故郷である【新世界】よりも争乱が日常的に存在していただろう【真世界】の方が、小原静と言う少女にとって生きやすい、彼女にあった世界だと、そう思っているということで。


 同時にそれは決定的なまでに、自分達と静との間にある差異を感じさせるのに十分な言葉だった。


「――私はたぶん、静さんみたいにはなれない」


 そうして詩織が口にするのは、他ならぬ竜昇自身が幾度となく覚えて来た歴然とした感想。


「――私は、静さんみたいには戦えない。

 静さんみたいに、迷いなく危険には飛び込めない。たとえそれが正し判断なんだとしても、私には、生まれて、育って、今まで過ごしてきたあの場所を、斬り捨てる判断なんて、到底できない。そうなりたいとも、思えない。

 そしてそれは、たぶん竜昇君も同じでしょ?」


「それは……」


 半ば確信をもって投げかけられた問いかけに、竜昇は何も言い返すことができずに黙り込む。


 ここに来るまで静と対等であることを望み、そのために彼女の見せる強さに全力で張り合ってきた竜昇だったが、しかし彼女のようになりたいと思っていたかと言えば実のところそう言う訳でもないのだ。


 無論、その力量や強さにあこがれたことは幾度となくあったが。

 それは言ってしまえば同じことができるようになりたかったというだけで、静のような人間になりたかったのかと言われれば答えは否だ。


「竜昇君は、こっち側だよ」


 そうしてとびきりの毒でも吐くように、詩織の口から紡がれるのは、恐らく本人ですらあまりいいものと思っていないのだろう線引きの言葉。


「竜昇君は、私や、理香さんや……、それこそ静さん以外の大抵の人は皆いる、こっち側の人」


 けれど同時に、それは他ならぬ彼女が思い知ってしまった、彼女自身が胸に抱いたあまりにも正直な感想の言葉でもあった。


「――だから私は、竜昇君に無理をしてまで、これ以上静さんみたいな特別な人を追いかけて、傷ついてなんて欲しくない。

 竜昇君にはこっち側で、私たちの--、私の傍に、いてほしい……」


「……え?」


「――自分でも卑怯だと思うけど、でも、言うね」


 そうして、目を見張る竜昇に告げられるのは、もはやなりふり構わぬ渡瀬詩織の必死の言葉。

 竜昇をこちら側に引き留めるための、彼女が持ちうる、恐らくは最大の切り札。


「あなたのことが大切です。大好きです、互情、竜昇君……。

 ――だから私と、一緒にここに残ってください。

 静さんじゃなくて、私のことを、選んでください……!!」


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