256:勘違いの代償
結局のところ、いつの間にか自分は勘違いしてしまっていたのだ。
「おや、こんなところにいたのです、シズカさん」
不意に声をかけられて、しかし静はその声に対して驚くことなく冷静に振り返る。
実のところ、近づいてくる気配には早い段階からすでに静は気がついていた。
その気配が自分に用があってこちらへ向かっているのかについては確証までは持てていなかったが、それでも近づいてくる以上何か言ってくるかもとは一応静自身も推測していた。
だから驚かなかった。
異質なことに。異常なことに。
その相手が同じオハラの名を持つセインズであり、彼の歩き方がそれを専門にしたものではないにせよ、酷く自然に音を殺した、常人には察知しにくいものであったにもかかわらず。
「セインズさん、ですか」
「お久しぶり、と言うほど時間は立っていませんね。とは言え、出立前にこうしてお会いできるとは思っていませんでしたが」
なにやら準備をしているのか、この階層に集結し、留まっている【決戦二十七士】の一人に声をかけられて、わずかに迷った静は仕方なく会話に応じることにする。
考えてみれば、この者達はこれまでとはまた違った意味で静達の今後を左右する相手であるはずだ。
それを考えれば、今ここで多少なりとも会話を交わし、相手について知っておくことは悪いことではない、はずである。
「何か御用ですか? あなた達【決戦二十七士】の方々は、次の戦いに向けて準備を進めているのかと思っていましたが」
「ええ、まあ。とは言っても、僕を含め一部を除いたほとんどの二十七士にはほとんどやることはないんですけどね。上の人たちは何やら今後のことについて話し合っているようですけど。装備の手入れや必要な処置なんかは、この拠点にいる専門の方たちがやってくれますし」
現在静達が逗留している場所は、さきに静達がセインズらと戦い、ルーシェウス達【神造人】との交戦もあったドーム球場の階層だ。
どうやらビルの中にあって野球場と言う広い空間を持つこの階層は拠点を設営するのに最適と判断されたらしく、【神造人】達が撤退した後多数の兵士たちが押し寄せてきて、みるみるうちに持ち込んだ物資やそこらで調達した物品を用いて天幕が設営されて、【決戦二十七士】以下多数の兵員が常駐する一大拠点と化していた。
どうやら彼らは各階層を攻略して道を切り開く【決戦二十七士】のメンバーと、適切な場所を見つけた際に彼らに追いついて来て、拠点を設営し、様々な後方支援を行う支援部隊のような組織に分かれて活動しているらしい。
これについては先にアパゴの記憶から真相を知ったらしい竜昇と、彼の話から追って同じ記憶が開放された静達との間である程度の裏が取れている。
今も、二十七士ほど個性的ではないが、それなりに上等とわかる装備で身を固めた兵士たちがあちこちを歩き回って拠点の防衛に当たったり、二十七士に必要な物資の補充や装備品の修繕などを行っていたり、何やら魔女アマンダが残した壁面の術式を調べたりしているのがこの場所からも見える状態だ。
「恐らく、もうすぐ僕達は最後の、これまでで最も大きな戦いに赴くことになるでしょう。今のこの時間は、そうなる前のわずかな、まだかろうじて平穏な時間と言ったところでしょうか」
それは、静達の言葉でいうところの『嵐の前の静けさ』とでも呼ぶべき時間と言うことになるのだろうか。
そんなことを考えながら、同時に静はつくづくこの少年のありように、常人にはない、けれど自身と似通った異質さのようなものを見つけたような気分になる。
大きな戦いを控え、周囲にいる大人の戦士達ですらどこか緊張した雰囲気が漂っているというのに、この少年にはそうした張りつめた空気が微塵もなく、驚くほどに落ち着いた自然体を保っている。
自身に課せられた責務を自覚していない訳でもなければ、迫る戦いに対して危機感を抱いていない訳でもない。
恐ろしいほど自然に覚悟を決めて、しかし微塵も気負うことの無い驚くほど理想的な心構え(マインドセット)。
そんな異質なありかたを同類である静に当り前のように晒しながら、今度はセインズが静に対して問いを投げかける。
「まあ、僕の方はそんな感じです。それで、お姉さんの方はいったい何をしていたのですか?」
「なにをして、ですか……。私は――、そう、ですね……。いつの間にか、ずっと勘違いをしていたのですよ」
「勘違い、ですか……?」
そう、結局のところ、静は勘違いしてしまっていたのだ。
最初からという訳ではなく、いつの間にか。
静とて馬鹿ではない。
自らの忌避して来た異常性が、その実このビルの中のような環境においては優れた才覚になることくらい理解している。
否、あるいはこんなビルの中に限らず、ビルの外の、あの作られた世界においてもそうだったのかもしれない。
なんにせよ、このビルにおいて静と言う少女は突出していて、そしてその突出は、特に人間関係において衝突の火種になりかねないものだった。
(――こうして考えると、やはり最初に出会ったのが竜昇さんだったというのは、わたしにとって幸運なことだったのですね……)
詩織達のような例を知ったうえで、改めて振り返ってつくづくそう思う。
少なくとも静にとって、最初に出会った相手があの竜昇だったというのはこれ以上ないほどの幸運だったのだと。
特に静の場合、下手に感情を廃した正しすぎる判断ができてしまうために、それについて来られない人間との間に感情的な対立を生みがちだ。
これについては、それこそ争いなどとは縁遠い、ビルの外のあの【新世界】においてさえそうだった。
幸いそうした自身の性質を理解してからは、うまくそれを誤魔化すことで周囲との対立も少なくなっていたわけだが、こんな命がけの戦いを強要されるビルの中で、平時と同じように自身の性質を押し殺し続けられるはずもなく、戦いの中での静は常に自身の異常性を全開に晒した、いつ他人と衝突してもおかしくない存在となっていた。
そんな静がここまでやってこられたのは、偏にそんな静と付き合い続けられる、互情竜昇がパートナーとして存在してくれていたからだ。
静の異常性を間近で目の当たりにし、その差をまざまざと見せつけられておきながら、羨み利用しようとするでもなければ崇めて縋るでもなく、ただ対等であろうと正面から張り合って、時に予想以上の答えを返してくれる竜昇の姿勢は、静にとって理想的と言っていい、非常に心地よいものだった。
けれど今、竜昇が負傷し、戦士としては事実上の再起不能に陥ったことで、理想的と思っていた二人の関係性に一つの疑念が生じている。
静が心地よいと感じていたその関係は、その実常人である竜昇に、抱えきれないほどの負担と大きすぎる危険を背負わせるものだったのではないかと。
そう、静はいつの間にか勘違いをしてしまっていたのだ。
この心地よい関係がいつまでも続いていくのだと。
竜昇であれば、どこまでも自分に合わせ、その道行に付き合ってくれるだろうと。
実際は、竜昇が自身に付き合ってくれていたのはそうするだけの必要に迫られていたからであり、彼自身は無理をせずに静に付き合えるほど、常軌を逸した力を有していたわけではなかったというのに。
「これまでは、それでも無理をするだけの理由が、その必要がありました。
なにしろ私たちがいたのは危険の真っただ中で、無理をしてでも力を発揮しなければ明日の命すら危うい状況でしたから」
そう言う意味では、竜昇の静に互する存在であろうとするその姿勢は、彼自身の意思と意地の発露であると同時に、彼なりの生き残るための戦略でもあったのだろう。
けれど今。
一度危険から脱し、戦いを下りる道ができた今となっては、もう無理をする必要などどこにもない。
もはや竜昇達には、無理をしてまで静と言う異常な存在に張り合う必要など何もないのだ。
ましてや竜昇自身が、すでに戦えない体になってしまっているというなら、
なおのこと。
「勘違い、していたのですよ……。あの人は、これから先もずっと私の隣に並んで、一緒に歩み続けてくれると。
実際には、わずかな間行動を共にしただけでも、相当な無理をさせてしまっていたというのに」
「――なるほど、大体話は分かりました」
そうして、詳細については話さぬままで漠然と内心を吐露する静に対して、しかしそれを聞くセインズの方はあっさりとそんな言葉を口にする。
別に理解などさせるつもりはなかったにもかかわらず、断片的な情報だけで話の概要を察してしまったかのように。
「それほど驚くことはありません。実際よくある話なんですよ。
この相手ならばと目を付け、期待していたその相手が、しかし実際にはオハラの実力についていけずに脱落する。オハラの伴侶を選ぶ過程で多くの血族の者達がぶつかる問題なんです」
「――あまり、気分の良くなる話ではないようですね」
表情を変えぬまま、しかし静は彼女にしては珍しく冷たいまなざしをセインズへと向けて、しかし当のセインズは静のそんな視線を涼しげに受け流す。
そんな反応すらも、彼にしてみれば多くの事例からなる既知のものだとでも言わんばかりに。
「あなたを落胆させたのが誰なのかは大体見当がつきますが、はっきり言ってあの人は貴方には不釣り合いです。
これについては僕自身、あの人の実力は目の当たりにしていますからよくわかります」
かつてセインズは、竜昇の才覚を『凡庸』とそう評した。
決して極端に劣っているわけではない。けれど、だからと言って突出しているわけでもない。
よく言えば普通、悪く言うなら見るべきところがないという意味で、『凡庸』と。
そしてそれは、異質にして異端であるオハラの人間にとって、もっとも相性が悪い、そんな相手なのだとそう語る。
「幸せになんてなりませんよ。あなたがあの方にどれだけこだわっても、誰も」
「……!!」
「オハラの生き様は、それほどまでに大半の人間とは相いれないものです。だからこそ、僕らのようなオハラの血族はその伴侶に特別さを求めている。
あなたがどんな世界で育ったのかは、あのカヤさんと言う女の子から記憶を共有されて知りました。なるほど、貴方が【オハラの血族】の、その性質を知らずに育ったのも無理からぬ話です」
「……」
「けどそれでも、いい加減あなたは気付いているのではないですか? あなたの中に流れる血が、本来のあなたが、いったいどのような世界で生きるべきなのか。
――あなた自身が、もっともあなたらしく生きられる、そんな場所はどこなのかを」
「それは――、そんな、ことは――」
投げかけられる言葉に、どこまでも正鵠を射たそれらに、静は何も言い返すことはできなかった。
そう、自分と言う人間がどれだけ異質な、もっと言うなら『ヤバい』人間であるかは自覚している。
自覚して、だからこそこれまで静は、自身のそう言った性質をひた隠しにして、周囲の人間に合わせることでうまく回りと折り合いをつけて生きて来た。
けれど今、異質な自分と言う存在がぴったりと噛み合う、そんな環境を知ってしまった今、果たして静はこれまでのようにうまく自身と周囲とを合わせ続けることができるだろうか。
そしてもしそれが困難であるとするのなら、ではそんな静が生きていくべき場所はどこになるなのか?
考える。考えて――、けれどどれだけ考えてもその答えは、すでに静の中で確たるものとして出てしまっている。
もしも今の静に、取るべき行動、歩むべき道があるとすれば、それは――。
「オハラ殿――!!」
と、そこまで考えていた静の耳に、恐らくはセインズのことを呼んでいるのだろう、しかし静としても無視できない、一人の兵士の声が届く。
「団長殿がお呼びです。至急二十七士の方に集まってもらいたいと」
それはまるで、決断を求めるように。
決断すべき時間が今来たのだと、そう静に突きつけ、告げるように。
故に――、だからこそ静は――。
「――今、何と言いました……?」
そうして告げた静の決断に対して、直後に帰ってきたのは理香の口から漏れたそんな言葉と、それと似たり寄ったりの他の者たちの表情だった
否、三人の内、者によってはあるいは静の下したその結論を予想していた者もいたのかもしれない。
三人の反応には若干温度差があって、静にはその温度差が、彼ら彼女らが自らの中のその予想をどこまで信じていたか、それを示すバロメーターのようにも見えていた。
そんなことを考えながら、しかし静は自らの決断をもう一度告げる。
「私はこのまま、あの方たちに与して上へ戻って、あの【神造人】の方々と事を構えようかと思っています。
幸い私は、どうやらあの方たちにも実力は認めてもらえていたようなので、彼ら【決戦二十七士】の二十九番目として戦いに参加させてもらえるとのことでしたから」
既に確認し、了解はとったその事実を三人へと告げて、そして最後に静は目の前の三人から、そのうちの一人へと絞るように竜昇に対して向き直る。
「ここでお別れです、竜昇さん――」
大切なことを、特に彼にだけは明確に伝えるように。
「――あなたとの道のりは、わたしにとってなにものにも代え難い、とても素敵なものでしたよ」
これ以上自身に付き合わせるわけにいかない、そんな彼との、袂を分かつためのそんな言葉を。
浮かべたほほえみと共に、愛おしいつながりを自らの手で断ち切るように。




