253:真相域
残された映像を遡る。
今まで一度も足を踏み入れることの無かった部屋の中で。
今はただ求める真相、当たりを付けた可能性の、その真偽を確かめるために。
「そのカメラだ。時間は――」
そばで淡々と与えられた職務をこなす【擬人】に仕事を命じ、やがて呼び出されるのはルーシェウスにとっても憶えのある場所と、覚えのある人物の映像。
「まったく、道理であっさり引き下がったはずよね。さっき言ってた情報漏れの出どころについて、アンタの中ではすでにその大元にあたりがついていたわけだ」
そんなルーシェウスに対して、背後に並ぶ作業台の上に腰かけながら、同じ【神造人】であるアーシアが確認の問いを投げかける。
それに対して返されるのは、どこまでも淡々として冷静な声。
「――なに、実際のところあの場以外で、私が直接二十七士の前に姿を見せたのはただ一度だけ。姿を見せた相手は既に殺害したはずだったわけだが、情報が洩れているというならその時になにか手落ちがあった可能性を疑うべきだろう」
そんな言葉とともに映し出されるのは、薄暗い通路と、その場所をずぶ濡れの格好でひた走る一人の女。
その人物については他ならぬアーシアも知っている。
なにしろその女は、かの魔女ほどではないにせよ、こちらに対して勝ち筋を持ちうる存在として、最近まで警戒対象として扱われていたのだから。
「なるほどね。ハンナ・オーリック……。確かにこの女なら……」
呟くうちに、背後へと転移して来たルーシェウスが彼女の胸に背後から刀を突き立てて、しかし一撃で仕留められる急所は外して反撃にあい、やがて画面の向こうで二人が向かい合う。
その後繰り広げられるのは、音声こそ聞こえぬもののある程度内容は知る、二人による問答。
「――どうでもいいのだけど、必要もないのにこれから殺す相手と話し込むのはアンタの悪い癖だと思うわ。いくらあんたが妙な行動を起こさないよう目を光らせていたとしても、そもそも考える時間を与えてしまう時点でデメリットの方が大きいのは私でもわかるって言うのに……」
「悪いが、これは癖と言うよりも流儀の問題でな。死に際に疑念を抱えたままだと死に行く者の未練も大きくなると知ってしまっている故、多少なりともその未練は軽くしてから命を絶つことにしている」
「――なにそれ、ひっどい自己満足……」
「自覚している。――来たぞ」
不意にそう言った次の瞬間、画面の中のルーシェウスが瞬時に距離を詰めて、今度こそハンナのその心臓を寸分たがわず刺し貫く。
誰の目にも明らかな、それは一人の女が命を終えたその瞬間。
だが――。
「見ろ、ここだ」
同時に、刺し貫かれた箇所からルーシェウスの脳裏に向けて、なにがしかの記憶であろう光の粒子が僅かにではあるが流れ込み、しかし当のルーシェウス本人は何事もなかったかのようにハンナの体から刃を引き抜き、そのままその体を床の上へと横たえる。
「……これ、何かされたのは分かるけど具体的に何をやってるの……? あんたこの時、なにか違和感とか覚えなかったわけ?」
「何も感じなかった。そして、恐らくはそれこそが答えなのだろうな。【神造界法】である【跡に残る思い出】は法力の感覚が希薄だ。だがこの至近距離、同じ界法の使い手とあらば、【神造界法】による仕込みを行った際にそれを察知される恐れがある。故に――」
「――何事もなかったと思わせるために、何事もない状態の感覚情報を流し込んだって訳? あんたに死に際の悪あがきを悟らせないために?」
「恐らくは。映像だけでは判断が難しいが、考えられるのは自身の死体を見つけた者に向けて何かを……。映像を先に進めてみよう」
分析を続けながら、映像の中の自身が立ち去るまでを確認すると、ルーシェウスは残されたハンナの遺体の映像を早回しにしてその先に起こっただろうなにかについての確認へと移行する。
映し出される映像が早回しになり、しばしの間何の変化もない状態が持続して、しかしそれほど時間が立つこともなく一人の人間がその場所に現れることと成った。
「……こいつか」
遺体に気付き、駆け寄るようにして現れたのは、先ほどルーシェウスが実際に相対したハイツと言う男。
遺体のすぐ近くにまでたどり着き、怒りの感情に表情を歪めるその男に、なるほどこいつが遺体の発見者だったのかとルーシェウス達が納得して、あとはそのシーンを確認すればいいとそう考えていた、その瞬間――。
「待って」
不意に、そんなハイツの横をすり抜けて、彼とは別の小さな影が残されたハンナの遺体へと縋りついていた。
最初、ハンナと生前親しかった誰かが彼女の遺体に縋りついたのかと思ったがそうではない。
むしろ直後に見せたその動きは、若干つたないながらも明らかに医者のそれ。
「こいつが……?」
体に触れて生死を確認し、同時に少しでも生存の目があると確認出来たらすぐにでも蘇生に移るべく、脈や呼吸、動向などを確認しながら、出血箇所を確認するようにハンナの衣服に手を伸ばして――
「まさか、こいつが……!!」
次の瞬間、いったい何が引き金となったのか、横たわるハンナの遺体から光の粒子が散って、そしてそれがすぐそばで彼女を診察するその人物へと流れ込み、吸い込まれていく。
奇しくもそれは、【神造人】達の予想を半ば以上に裏切って。
誰も予想していなかった継承が、画面の向こうで遂げられる。
まどろみの中、脳の奥底で声がする。
「さ、さあ、思い出しなさい。あ、あああなたが戦う、その理由を……。倒すべき敵と、奪われたもの、その、全てを……」
それは、なんの変哲もない、よく晴れた日の昼下がりのことだった。
アパゴの村からでも見える青い空、その空に突然、幾重にもオーロラのような輝く歪みが次々と広がって、やがてそれらが集落から見える空の全てを瞬く間に覆いつくしたのだ。
いったい何が起きているのかと、アパゴを含む多くの戦士たちが警戒を強め、子供や女たちが不安げな様子を見せ始めて、そんな者達にひとまず家の中に潜んでいるようにと指示を飛ばしていたそんな時、それは突然来た。
オーロラに覆われた空が突然ひび割れて、そうして生まれた空の隙間に向かって、地上にあるモノが一斉に吸い込まれていく。
「――なんだ、いったい何が起きている……!!」
同年代の戦士たちと比べても間違いなく数段優れていただろう、法力の操作技術で幾重にも加護を重ね掛けし、跳ね上がった身体能力を用いて必死に付近の樹木にしがみ付く。
空へと吸い込まれる子供にとっさに手を伸ばし、引き抜かれそうになる樹木から別の樹木へと飛び移って、しかしそうやって守ることができたのは自身とほんの数人の同族だけだった。
「兄者ッ――、母上――、戦士長殿――!!」
親兄弟が、隣人が、自身より優れた戦士であったはずの者達が、対処を誤り、あるいは運悪く巻きあげられる土砂に巻き込まれ、あるいはなんとか多くの仲間を救出せんと動いて引き際を見誤り、かろうじて運がよかったほんの数名だけ残して、残りの全てが空に開いた裂け目の方へと落ちていく。
開いた裂け目が閉じるまでの時間はほんの数分。
そのほんの数分の時間で、わずかな生き残りを残してアパゴ達の住まうジョルイーニ部族の村落は壊滅した。
後になってわかったことだが、その災禍が牙をむいたのは何もアパゴ達の村落だけではなかったらしい。
それどころか、まったく同じ災禍が正しく世界中、それこそ空と接するあらゆる場所で引き起こされて、一定以上の結界法術に守られていた建物や都市以外の大半の土地から、そこに住まう人々を根こそぎ奪い去っていたらしい。
それをアパゴが知ったのは、生き残った同族たちをどうにかそうした都市へと合流させて、そこでようやく落ち合うことのできた使節に呼び出されて、残された戦士たちの中から戦士長に選ばれていたアパゴが中央教会へと出向いた、そのときのことだった。
期間にして数か月、およそ難民として各地をさまよっていたアパゴを迎えたのは、しかし顔色悪くやせこけた、そして酷く機嫌の悪そうな男。
「なるほど、我らの呼びかけを堂々と無視して、この世界の危機にいったい何をしていたのかと思ったら、まさかかの部族の暮らす僻地にまで被害が及んでいようとはな」
侮りと軽視を隠そうともしない、酷く横柄で礼儀を欠いた態度だったが、しかし今回ばかりはアパゴもそれを咎めようとは思えなかった。
なにしろ、アパゴ達が混乱の渦中にあるさなか、男たち中央教会を中心とした勢力はいち早く今回のこの一件の原因を特定し、かろうじて難を逃れていた各地の勢力、貴族や国家に呼び掛けて戦力をかき集め、その原因と思しき相手の元へと攻め込んでいたというのだから。
そうしてやるだけのことをやっていたというのであれば、この物言いにもいい気分に離れずとも納得はできる。
ましてや、そうしてかき集めた戦力が大敗し、かろうじてこの地上に残されていた数少ない戦力まで平等に壊滅しているというのであれば、いくら目の前の男が不機嫌で酷い態度をとっていたとしても、それをわざわざ咎めるほどアパゴも非情な人間という訳ではない。
「ふん、まあいい。貴様らがグズグズしている間に、我々は既に偵察は済ませている。そのおかげで、あれがいったい何を原因として起こったいかなる現象なのかも、すでに調査によって判明済みだ」
先の大敗をあくまでも偵察、調査と言い張る男に何も反論することなく、アパゴは黙ってこの男の話に耳を傾ける。
実際、この件は自分たちにとっても他人事ではないのだ。
それどころか、多くの同胞を空に奪われてしまったアパゴ達の立場であれば、それこそ彼らが主導する戦にその身を投じる必要すらある。
「まず原因だが、これに関しては最初から分かり切っていた。結論から言えば、誰かが【神杖塔】を攻略した」
「【神杖塔】……。かの【神造建築】ですか?」
男が言うところの僻地に住むアパゴであっても、その塔の存在についてはさすがに聞き及んでいた。
曰く、神がこの世を作りたもうた時に振るったとされる杖、それを素体として生み出されたとされる【神造建築】。
天を衝き、雲を貫くほどの高さを誇るその塔は、その内で待ち受ける【試練獣】をはじめとした数多の試練を突破し、最上階まで到達することができれば、天地創造にも匹敵するその力を手に入れ、あらゆる願いをかなえることができるのだという。
無論、それだけの絶大な力を持つが故にその試練も容易くはなく、人類がその塔と出会ってから数百年にわたって幾度となく挑んできたものの、未だ最上階までたどり着いたものは一人もなく、他の【神造建築】と比べてもなお難易度の高いその難攻不落ぶりばかりがある種の語り草になっていたくらいだ。
「確かあの【神造建築】は教会がいくつかの国と共同で攻略を進めていたはず……。よもや、どこかの国が裏切りを働いたのですか?」
自身の持つ知識と照らし合わせ、アパゴは真っ先に思い浮かんだ可能性から男に対してそう問いかける。
ちなみに、この場合の『共同での攻略』と言うのは、実のところ互いに他の国や勢力を牽制し合っての足の引っ張り合いだ。
無論、ことが【神造物】に関わるからと言うのも理由としてはあるのだが、どうやら『天地創造に使われた杖が元になっている』、『それに匹敵するだけの力を手に入れ、あらゆる願いがかなえられる』と言う話が単なる与太話ではないらしく、それを危険視した各国が自国以外のどこかが塔の力を手に入れることを防ごうと躍起になって、それがさらに塔の攻略を困難なものにしているという話だった。
そうした事情故に、アパゴ個人としては自分が生きている間にこの塔が攻略されることはないだろうと踏んでいたのだが、どうやらそんな考えが今回致命的な油断につながってしまったらしい。
「厳密に調査できているわけではないが、恐らく国家単位での裏切りと言う可能性は低いだろう。なにしろ今回の事件で、どこの国も決して少なくない被害を被っている。
加えて、各国が互いに警備を置いて牽制し合っているから、少なくともどこかの誰かが軍勢を率いて攻略に向かったという話でも恐らくはない。
故に、予想としては犯人はごく少数、あるいは単独での犯行と言うのが目下有力視されている見立てとなる。なにぶん警備を固めているとは言っても国同士の連携など皆無に近いから、目立たない少数で隠密行動をとっていれば侵入だけなら容易くできるという訳だ」
「難攻不落と謳われたかの塔を、少数ないしは個人で攻略した者がいるというのですか……?」
「それについての議論は後回しにしよう。現状仮説などいくらでも立てられる上に、この混乱で裏付けなど取りようがない」
そもそも不可能なのではと言う予想に反し、男は顔をしかめながらもそんなことを言う。
この反応、教会にとって不都合な事情がその推測に絡んでいるのかと、そんなあたりを付けながら、しかしアパゴはあえてそれを指摘することはなく、なにが起きたのかと言うより重要な話を詳しく聞き出すことにする。
「起きた事態は実に単純だ。何者かがかの塔を攻略し、手にした力で天にもう一つ別の世界を作った」
「世界を、作った……? ……確かに、この世を作る際に造られた杖が元と言う話なら、それができないとは言い切れないのでしょうが……」
「これについては既に確認が取れている。あの異変の後からこの方、空にかかったままとなっている光の波、あれこそが我々の頭上に造られた新たな世界、それが存在する移相空間とやらが見えている状態らしい」
新たに世界を作ったと言われて、それがいったいどのような状態なのか想像しあぐねていたアパゴだったが、どうやらこの世界とは全く別の空間を作って、その中に問題の新世界とやらを作り上げたらしい。
「観測した者達が言うには、現在のこの世界の状態は神が描いた本来の【真世界】と言う絵の上に、まるでそれを塗りつぶすように【新世界】の絵を描いたようなありさまなのだそうだ。すでにその時点で不届き極まりない話だが、ことの犯人はそれだけではなく、生み出したその世界の中に地上の人間の九割以上とそれを養えるだけの大量の資源を取り込んでいる」
「それが、あの空の裂け目と、我らが同胞が連れ去られた、あの事態の真相、という訳ですか……」
語られるその事実に、努めて冷静さを保っていたアパゴも思わずその手を血が出るほどに握りしめる。
そしてこの点に関しては全く違う立場に立つこの男にも共有できる感情だったのか、浮かべる表情はさすがに似通ったものであるように思えた。
「同胞たちは……、攫われた者達は無事なのでしょうか?」
「さて、な……。その気になれば地上を更地に変えることもできたはずなのにそうしなかったということは、少なくとも生かされていることは確かだと思うが……。これについても何か確証がある訳ではない。
しいて手掛かりとなる現象をあげるなら、貴様が来る前に【神杖塔】へと踏み入り、事態の打開を図っていた者達が、何やら【邪属性】術式による精神干渉を受けたらしいことだ」
「【邪属性】、ですか……」
人間の内面、感情や記憶、精神状態などを操る忌むべき術法。
その忌み嫌われる性質故に『邪法』としてその名が付いた界法の一形態が使われたというその情報に、ある種当り前の感覚でアパゴが思わず眉を顰める。
これについては、恐らく教会所属のこの男とて同じであったのだろうが、流石にその感情を表に出すことなく男は話を前へと進めて来た。
「この手の術者の常套手段としては、同士討ちを誘発したり戦意を奪ったりと言った方法が一般的で、実際今回も同じような攻撃の症状が多数観測されていたらしい。
――ただ一つ奇妙だったのはそうした攻撃が来る前、割と初期の段階で見られた症状として、己がまるで別の世界に住む別人になったかのような錯覚を訴えて、その世界に帰りたがる者達が続出したらしいことでな。なんでもそうやって、いつの間にか姿を消す兵が数多いただとか……」
「別世界の、別人、ですか……? それは具体的には……、この空に造られたという【新世界】の?」
「さて、な……。気休めにしかならない予想ならいくらかあるが……。
例えば、攫われた者達は自分を別人だと思い込んで、新たに作られた世界の中で最初からそこの世界の住人だったと思い暮らしている、とかな」
(――え?)
その瞬間、男と話すアパゴと重なるようにして二人の会話を聞いていた竜昇の意識が、脳裏に生じた衝撃によって瞬く間にアパゴとぶれて浮上する。
さっきまで自分とアパゴの記憶の境界さえ曖昧だったにもかかわらず、今はその二つを別のものとみなして、アパゴの記憶を映像か何かのように見ているというそんな感覚。
だが今はそんなものどうでもいい。
取り込んだ記憶を夢として見ていて受けたその衝撃、まるで欠けていたパズルのピースがそろって、全てが繋がったかのようなそんな感覚こそが、竜昇にとってはより重要だった。
そうして、なんとかその感覚の正体を突き止めようとする竜昇に、しかし記憶の奔流は留まることなく、まるで連鎖反応のように竜昇の中へと流れ込んで来る。
「我らが【真世界】の直上にできた【新世界】、あれは実のところ非常に不安定な存在です。不安定、と言って伝わりにくいのであれば、不出来と言ってすらいいかもしれない。
やはり我らが神は偉大だったと考えるべきなのでしょう。新たに生まれたあの世界は、様々な矛盾や問題点を周囲から法力を取り込み、それらを用いて力技で抑え込むことで強引に成立させている」
先ほどとは別の部屋、要人と思しき十数名の男女がひしめき合うその中で、その全員の前に立った聖職者とも学者ともつかない男が黒板を激しく叩いて熱弁を振るう。
「このままいくと、新たに作られたあの世界はおよそ二百年ほどで完全にバランスを失い崩壊することになるでしょう。あの世界を維持している、周囲からかき集める法力が完全に枯渇して、支えを失った【新世界】はいかなる形でか、完全なる崩壊を迎えることになる」
男の言葉に、にわかに周囲の者達がざわめき始めるが、しかし直後に当の男自身が目の前の机をたたいてそれらを強制的に中断させる。
なにしろ男の話は、まだここまでで終わりではなかったのだから。
「二百年後に滅びる【新世界】も問題ですが、我々の住む【真世界】の方が問題と言えば問題です。なにしろ、このまま天上のあの世界に法力が集まり続ければ、その下に残されている我々の方が干上がる方がそれよりはるかに早いのですから。
残されている我々の社会や農作物への影響など、関連する要因が多すぎるため正確な時間を割り出すのは難しいですが、恐らくこの地上は五十年とたたないうちに生き物の住めない世界になるでしょう」
言った瞬間、周囲で巻き起こったどよめきを、しかしまたも男は机を何度もたたいて強制的に黙らせる。
世界が滅びるまで五十年。あるいは残るもう一つの世界すらも二百年で滅び去るというそんな情報でも、まだ終わりではないと言わんばかりに。
「そしてさらに言えば、この五十年というタイムリミットさえ意識していればいいと言うモノでもありません……!! 天上の【新世界】の影響を考慮して、この【真世界】を元に戻すことを考えれば、それが可能な猶予時間はさらに短いものになる……。
概算ですが、およそ二十年。これからあと二十年のうちに【神杖塔】を奪還し、【新世界】の問題を解決できなければ、たとえその期限を過ぎて塔の奪還を成したとしても、もはや後戻りはできなくなってしまう」
それはある種絶望的な余命宣告だった。
二百年後に【新世界】が、五十年後に【真世界】が滅びるかどうかが決まる、それまでの猶予期間が、すでにあと二十年しかないというその現実は。
「諸君、ようやくこの日がやってきた」
そうして次の瞬間、再び景色が切り替わり、今度はあのブライグ・オーウェンスと言うらしい、【決戦二十七士】のトップと思しき男が壇上で叫んでいる光景が見えてくる。
周囲にいるのは、酷く見覚えのあるマントを纏った二十六人の男女たち。
そしてその背後にいるのは、軍服と鎧をまとったおびただしい数の兵士たちの存在だった。
「かつて【新世界】が生まれ、この世界に残された猶予時間が二十年と予言されて早十八年……。残り時間二年と言う時間を残して、ようやく我々はかの塔へと進出する準備を整えた」
それは恐らく、十八年もの時間がかかったと同時に、十八年もの時間をかけたという意味なのだろう。
壊滅状態の中で、さらに差し向けた軍勢の大半を失った【真世界】において、戦力の回復にはそれだけの時間が必要だったし、決して失敗の許されないその作戦のために恐らく彼らは残された時間の実に九割を準備のためにつぎ込んだ。
「我々は決して失敗を許されない。故にこそ、今回我々は前回の失敗を念頭に、かの塔を制するための最大級の準備を整えた。兵力の動員による戦術からより塔の内部を制圧しやすくするべく戦術を切り替え、人類の命運を背負うに相応しき二十七名の戦士たちを選び出して、彼らを主軸にした作戦をこの時のために準備した……!!」
それこそが、これまで遭遇して来た、【真世界】における最高戦力ばかりをかき集めて組織した最終決戦部隊、【決戦二十七士】。
十八年前の奪還作戦で、人数にものを言わせた人海戦術が塔の中での戦闘に不向きと判断されたことから、より塔の制圧に適した能力と戦術を求めてたどり着いた、ある意味では人類を代表して戦うことになる二十七人。
「まず惜しくも選ばれなかった諸君。悪いが君達には選ばれた戦士たちを支えるべく、後方支援に徹してもらいたい。とは言え、塔の中には足を踏み入れてもらうから、諸君も油断することなく奮起し、己が役割を全うせよ。
――そして選ばれし諸君。君達こそは、この世界を救い、奪われた同胞たちを救出する、英雄になるべく選ばれた者達だ。これより君達には私と共に死力を尽くしてもらうことになる。
我らが生きるこの世界を、神が造りしこの真なる世界を、あるべき形に戻すために……!!」
ブライグ・オーウェンスの演説に時の声が上がるその中で、竜昇の意識が急激にその光景から遠ざかっていく。
そうして、なだれ込んでくる情報の奔流がその勢いをようやく減じて、それと同時に竜昇の意識が急激にはっきりとした形を得て、目覚めの瞬間へと向かって急速に浮上していって――。
その瞬間、半ば飛び起きる形で、竜昇は意識を取り戻し、寝かされていたその場所から勢いよく起き上がった。
「――グッ、ぅ――ぁ……!!」
起き上がって、しかし直後に鋭い痛みが足に奔って即座に悶絶させられる。
そうして、その痛みの正体を遅れて思い出す。
同時に、自分が見慣れない寝床に寝かされていたことを自覚して、見覚えのない、まるで巨大なテントの中のような周囲の景色が目に飛び込んできて、しかし今の竜昇にはそれらの痛みも自身の現状すらも、満足に気にできるだけの余裕がない。
なにしろ今の竜昇の脳裏では、今しがた見たばかりの情報が、そして何より、気付いてしまったそれが何を意味しているのかと言うその答えが、不気味に渦を巻いて、ゆっくりと着実に形を成そうとしているのだから。
「――今から十八年前に、元あった世界の上に新しく世界が作られた……?」
時系列を整理する。
脳内で解凍された記憶から、既に経過しただろう時間を割り出して、厳密な断定まではできないながらも大まかな時間を。
「【決戦二十七士】は新しくできた世界を解体することで、世界を元に戻して五十年後や二百年後の滅亡を回避しようとしている……?」
かねてから不明だった疑問の答え、その大部分が開示されたことで、パズルの中央に開いていた、全体像の把握を妨げていた大穴がようやく埋まる。
それこそ、他のピースが欠けた空白部分すらも、容易に推測して埋められるほどに。
かねてより、【決戦二十七士】の世界と竜昇達の世界の関係性と言うモノがよくわからずにいた。
ビルの下の階を目指す竜昇達に対して、下の階から登って来る彼らの存在に、まるで彼ら異世界の住人が竜昇達の世界へ向けて進行してきているかのような、そんな印象を抱いていたことすらこれまでにはあった。
だが違うのだ。もしもこの記憶が正しいとするならば、そもそも彼らは異世界、別の世界の人間などではなく、彼らの行動それ自体も全く別の意味を帯びてくる。
「――じゃあ、まさか……。まさか、十八年前に造られたその世界っていうのは――」
もはや避けることなど敵わぬかのように、竜昇の思考がその結論へと到達しようとして――。
「――ん、そう。
――私たちの世界はまがい物。ほんの十八年前に、本来あった世界の上に、まるごと塗りつぶすようにして作られた」
「――!?」
声に振り向く。
いくつかの寝台が並んだテントの中のような一室、その出入口から入ってきたのは何やら医療器具をいくつも抱えた、予想外にも竜昇自身見覚えのある年少の少女。
決して面識がある訳ではない。それどころか恐らくこの相手は竜昇のことなど知らないだろう、それでも。
他ならぬ竜昇自身がこの少女のことを、かつて一度だけ見て知っている。
「お兄さんは、もうそれに自分で気づいてるんだね……。それについては、私が説明する役だったから、手間が省けてよかったけど」
「君は――」
「……ん、そう言えば自己紹介がまだだった」
そう言って、恐らくは中学の制服なのだろう、若干体よりサイズの大きい、女子用の制服の上から、魔法使いのローブのようなものを羽織った中学一年生くらいの少女が、どうかすると頭を落としたのかと勘違いそうな勢いでマイペースにお辞儀をして名を名乗る。
すでに竜昇自身知っている。けれどそんな立場と共に名乗りを聞くことになるとは夢にも思わなかった、そんな名前を。
「――入淵華夜、それが私の名前。
お兄さんと同じプレイヤーで、魔法……、じゃなくて界法使いで、それから【決戦二十七士】の、新しい二十八番目」
「――二十、八番……?」
「後付けの、補充要員だからね。十七番の人の立場と役割を、その【神造界法】と一緒に、ただの偶然で受け継いだ」
「【神造界法】を、受け継いだ……!?」
「ん……。『――其は、記憶に触れうる想い出の術法――』」
そう言って、恐らくは頷きながら少女が行使するのは、本来形無きものを光の粒子へと変えて操る人理の外の界法。
「『――写し世に留める、遺憶の術理――』」
息を呑む竜昇の目の前で形成されるのは、もはや何度も目にした、光の粒子が集って一つの物品を、今回の場合は一枚の栞を形作る、そんな光景。
「――【跡に残る思い出】」
かくして、闘争と少なくない犠牲の果てに、竜昇達はようやく事の根底にある真相の域へとたどり着く。
逃れようのない、重大な選択を迫る真相のその前に。
選択の結果を待つこと無く動き続ける、そんな世の動きの流れの速さを、確かにその身に感じながら。
ひとまず、今回の更新はここまでとなります。




