252:到達
【神問官】のセリザ。
窮地にあった自身を助けながらもそう名乗った背後の人物に、さしもの静も顔には出さぬまま内心困惑させられる。
なにしろ、いくら助けられたと言ってもその理由に心当たりがある訳ではないのだ。
加えて、一体いかなる原理なのか、静の足元から突如として背後に現れたこともその困惑と、そして警戒心を助長させる要因だ。
いったいこの相手は、けれど何を目的に現れたいかなる存在なのか。
「本当に残念だわ、セリザ。アンタの裏切りは予想通りだったけど、まさかそんな方法でこの場所に現れるなんてね。
……いくらあんたでも私たちと袂を分かってこのビル内を自由に移動することはできないだろうと思って油断していたわ。そんな権能まであるなんて、貴方言っていなかったじゃない」
「――おや、そうだったかねぇ……。アタシとしちゃぁ取り立てて隠してたつもりもなかったんだが……。――ああ、でも確かに、実際にコイツを使うのは確かにひさしぶりだったさね……」
最後に使ったのは何百年前だったか、と、のんきにスケールの大きな話をするその声に静はようやく背後に現れたその存在、その正体について一つ思い当たった。
「あなたは――、石刃の……」
「――ああ、当たりさね。どうやら渡した石刃はそこそこ使えてるようで何よりさ。もっとも、こっちとしちゃそこそこ程度で満足してもらっちゃ困るんだがね」
周囲を包囲されたその中で、それでも何とか背後に視線をやって相手の姿を盗み見る。
そこにいたのは、静かよりわずかに背の高い、まるで喪服のように黒い、服の袖口が広くなったドレスのような衣服をまとった美貌の女。
そしてその声は、【始祖の石刃】を手にしてからこれまでの間に、静だけが幾度か耳にしていた女の声だった。
現れた女のその声は、ウォーターパークで最後に聞こえた際の声と明らかに一致していた。
とは言え、それだけに静にはこの女の正体がわからない。
と言うよりも、推測できる正体が明らかに保有する知識と矛盾してしまって、もはやなにが正解なのか判断しきれなくなってしまっているのだ。
そんな混乱に近い精神状態の静をよそに、互いに相手を知る二人が交わすのは半ば挑発に近い言葉の応酬。
「それで、アンタはあたしたちと戦う道を選ぶって言う訳? 神様に設定された使命に従って、成し遂げた後は自分が消えることになるって言うのに」
「ああ、あたしとしてはそれでもいいんだが、今日のところはアンタには手を引くことをお勧めするさね。可愛いお嬢様が可愛い配下の戦う姿が見たいって言うなら止はしないが、それでどうにかできるくらいなら、あたしもここまで行き遅れちゃいない」
挑発なのか本気なのか、セリザと呼ばれた女がそう笑って、視線の先でアーシアが苛立ちのあまりに可愛らしい唇を噛み絞める。
現れた女が不敵な笑みと共に場の空気を支配して、一触即発の空気の中で余裕すら見せながら少女の決断を待ち受ける。
痛いほどの沈黙のはて、アーシアはその手を振り上げて、周囲に展開する配下たちへと向けて合図のようにその手を振り下ろして――。
痛みと出血によって朦朧としていた意識が、驚きにわずかながらも覚醒する。
絶体絶命の状況下で、竜昇を助ける形で割って入った男、その人物に、他ならぬ竜昇自身が覚えがあったが故に。
「それにしても妙な縁だぜ。以前にこっちを丸焼きにしてくれた相手を、まさかこの手で助けることになるなんてな……。――んん? ってことは話に聞くもう一人ってのはあの時一緒にいた女か? ボールギス司教とオハラのガキ、あとはあの魔女の婆さんがいるのは聞いてたが――」
そう言ってその男、ハイツ・ビゾンは自身の得物である槍とデスサイズと錨を足し合わせたような武器を担いだまま周囲を睥睨し、そしてすぐその視線がピタリと止まる。
その方向に何があるかは、竜昇自身見なくてもわかる。
なにしろそこで死んでいる人物の名前はハイツ自身が口にしている。ハイツが視線を向けたその先には、死したオルド・ボールギスとアマンダ・リドの亡骸が、まだ横たわって残されているのだから。
「――へッ、まさかあの司教殿や魔女まで戦死とはな。ったくこれでもう半数以上が脱落か……。まったく世界最高の戦士が聞いてあきれる……。
――んで? その司教殿をやったのはそっちのテメェってことで間違いないか?」
「――随分と早い到着だな。最後に確認した時点で一つ下の階層にまで到達しているのは知っていたが、ここに来るまでにはもう少し時間がかかるものと思っていた」
そんなハイツの問いかけに対して、しかし問われたルーシェウスは答えることなく、かわりに自身のそんな疑問を口にする。
あるいはそれは、わざわざその問いに答える気はないという、そんな意思表示なのか。
少なくとも当のハイツはそう受け取ったらしい。
「【結点錨鎖】――!!」
聞き覚えのある術名も、言語を習得した今なら意味まで理解できた。
次の瞬間、ハイツの足元から先端に錨のついた鎖が放たれて、四本あるそれらが空中で弧を描いてルーシェウスの元へと襲い掛かる。
刀を鎖につながれたうえでのその攻撃に、しかしルーシェウスはその刀をあっさりと手放すと、かわりの刀を光の粒子を集めて作りだし、それに持ち替えながら軽やかな動きで次々と襲い掛かる鎖を回避する。
「迂闊な仕掛け方だ。交戦記録を見る限り、広く駆けつけたばかりの場所に地の利がある訳でもないだろうに」
ハイツの戦闘スタイルは竜昇の眼から見ても独特だ。
武器や防具、その各所に刻んだ魔法陣をハンコのように使ってあたりに刻み付け、その魔法陣同士をつなぐ形で鎖を展開し、それを用いた戦闘を行う。
だが逆に言えば、あたりに刻む魔法陣が少なければ力を発揮しきれないし、加えて言うなら周りに地面しかない、このドーム球場のような開けた場所では魔法陣を刻める場所も限定的だ。
当然、この場に来たばかりの彼にそれほど魔法陣を刻む時間があったとは思えないし、しいて刻んだ場所があるとすれば、靴底による足跡のような形の、地面にあるモノがせいぜいだろう。
竜昇の眼から見ても、今のこの環境はハイツが住専に力を発揮できる場所とは程遠い。
「――は、なるほどな。ここまでの段階で、すでに俺らの手の内は把握済みって訳か」
自身の得物である錨のように両側に刃が伸びた大鎌を構え直し、刀を携えて迫るルーシェウスをハイツが正面から迎え撃つ。
ただし、接触のその寸前に、ルーシェウスの頭上を通り過ぎるように懐から取り出したなにかを投じながら。
「だがおあいにく。その程度の弱点であればこっちもすでに対策済みだ」
「――!!」
次の瞬間、投じられた球体、――否、投じられた多面体から光が連続で炸裂し、その多数の面一つ一つに刻まれた魔法陣が光によって次々と周囲に投射されてあたり一帯に多数の魔法陣を刻み付ける。
地面はもちろん、光であるが故に遠くの壁や天井にまで魔法陣が及び、そして回転しながらのランダムな投射であるが故に、倒れ伏す竜昇やルーシェウスの体にも光が当たって、光に照らされたその場所へと次々に魔法陣が刻まれる。
「――むッ!?」
「すっ転べ」
言葉と同時、生まれた鎖が走るルーシェウスの右足と付近の地面とを繋ぎ止めた。
突如として足を引っ張られるその状況に、ルーシェウスが驚きに満ちた表情で動きを止めて、その隙にハイツが武器を構えて相手の間合いへと容赦なく滑り込む。
同時にハイツは自身の手の中にあった槍のように長い武器を分解。
本来であれば多節大鎖鎌とでも呼ぶべき、オルドの鎖でつなぐことによって変幻自在な運用を可能にするその武器を四分割して、そのうち中央の短棒二本だけを掴んでルーシェウスの胴へと突き入れる。
「――斬りかかる、とでも思ったかよ?」
言葉と同時に、三連撃の刺突がルーシェウスの体へと撃ち込まれ、それによって短棒の接続部分に刻まれた魔法陣がルーシェウスの衣服へと焼き付いて、そこから即座に鎖が生えてルーシェウスの体をハイツの足跡の魔法陣へとつなぎとめる。
卓越した技量からなる、一瞬の早業。
だが実のところ、その動きについて語るべきはそれだけではない。
「悪いな【神問官】、いや、今は【神造人】とかって名乗ってるんだったか?
生憎とこっちはテメェに攻撃が効かないのも、テメェが【跡に残る思い出】を使うってのも把握してんだよ。
んでもって、問題の【神造界法】についてなら、俺達だってそれなりに実戦での使い方を聞き知っている」
『まあ、オーリックの継承者が実戦に出た記録は数えるほどしかないって話だったがな』と、明らかにルーシェウスの正体や手の内を知った様子でハイツが鎖を用いて投げだした武装の残るパーツを回収し、ついでとばかりに掌の魔法陣と先ほどの多面体をつなげて、鎖の牽引によってそれすらも手元へと引っ張り、呼び戻す。
ここまで戦ってきてわかったことだが、【神問官】であり【跡に残る思い出】の習得者であるルーシェウス相手に通常の攻撃は意味がないどころか有害だ。
理によって保障された不滅性を誇り、かつ破壊されることで破壊者に記憶情報を流し込む性質を持った思い出の品で身を固めるルーシェウスへの攻撃は、相手へのダメージにならない上に装備の破壊による記憶の流入で精神にダメージを受ける可能性すらあり、敵対者にとってむしろやらない方がいい部類の行動になってしまう。
そう言う意味で、あえて肉体や装備の破壊ではなく装備品への魔法陣の刻印、そしてその魔法陣を用いた拘束と言う手段をとったハイツの行動はこのルーシェウスと言う【神問官】を相手取る上で間違いなく最適なものだったのだ。
それこそ、先ほどまでこの場にいなかったハイツが、それでは説明できないくらい不自然に。
「奇妙な話だ。いったいどうやってこちらについて知った……? 少なくともこれまで、お前たちが私の正体や手の内について知る機会はなかったはずだ」
「――はッ、さあなぁ? テメェが気付いてないだけで意外とどっか情報の管理が甘かったんじゃねぇか?
結構あるらしいぜ? そう言う予想外のとこからの情報漏洩みたいなの」
膝を付いたまま怪訝そうに眉を顰めるルーシェウスに対して、ハイツが半ば挑発するようにそんな言葉を浴びせかける。
先ほどルーシェウスが自身の秘密を明かした際、この場に居合わせていた竜昇達ならいざ知らず、ハイツがこの場に現れたのはつい今しがただ。
オルドやアマンダの遺体を見ての反応から考えても何らかの形でこの場の状況を察知していたとも考えにくく、先ほどオルドがアマンダの情報支援によって状況を把握していたような、なんらかの特殊技能による情報収集があったとも考えにくい。
――と言うよりも、先ほどからのルーシェウスの様子は、そうした情報収集の結果と言うより、明らかに事前知識による対応なのだ。
ついさっき、何らかの手段でルーシェウスについて知ったという感じではない。
ここに来る前から彼について知っていて、実際に遭遇したらどうするか、その対応を事前に検討していたかのような、そんな印象。
「殺しは狙わねぇ。そもそも【神問官】だってんなら殺しようがないからな。
装備の破壊もご法度だ。テメェが【跡に遺る思い出】を使えるってんなら【思い出の品】で身を固めてる可能性はクソ高けェ。
精神攻撃だか集中を乱す攪乱だかしらねぇが、あると分かってる仕込みにわざわざ引っかかるのも馬鹿らしいからな。
――テメェには、こいつを全身にたっぷりと刻んで身動き取れなくしてやるよ」
二つに分割した大鎖鎌、その接合部分の魔法陣を突きつけて、ハイツは鎖につながれて膝を付くルーシェウスにそう宣告する。
既に拘束した後でありながら、まるでそんな状態のルーシェウスに対して、一切油断しないと言わんばかりのそんな態度。
そしてそんな態度と判断は、実際この場においてさほど間違ってはいなかったらしい。
「――なるほど。知っているだけでなく対策も万全か。こうなるといよいよ情報の出どころが気になるところだな」
冷徹な声色のままそう言って、同時にルーシェウスの服の下から刃物が生えて、魔法陣の刻まれた衣服が裂かれて光の粒子へと還される。
どうやら【跡に残る思い出】を用いて衣服の下に刃物を生成したらしい。
そうして、鎖をその魔法陣の刻まれた衣服ごと消し去りながら、ルーシェウスはゆるりと立ち上がって己の衣服を光の粒子で生成し直す。
「できれば、語って聞かせてくれると手間がないのだがな」
「――ハッ、かけろよ、手間を。テメェも記憶が読めるってんならなぁ。ただしこっちも素直に読ませてやる気はないから拘束される覚悟は決めろよ」
「そう、か……」
挑発的なハイツの言葉に短く言って、そしてルーシェウスは再び手の中に光の粒子を発生させる。
記憶を物質化するがごとくルーシェウスの手の中に光が集って、形を成したその物体に、すぐさまルーシェウスが魔力を込めて――。
エンジョウ・カゲツ。
セインズ少年から、今だ本来の性別を誤解され続けているその剣士の最も優れた点を挙げるならば、特筆すべきはなによりもまずその動きの速さだ
一歩踏み込んで、気づいた時にはもう執事の影人を間合いに捉えて、すれ違いざまにその首を手にした刀ではねている。
次の瞬間には、迎え撃とうと動く執事とメイド合計三名を一直線に狙える位置に移動して、腰に差した別の体を瞬時に引き抜き、そこに纏わせた大規模な火炎で三体の【影人】を一瞬で焼き払う。
そうして動きを見せた敵四体をあっさりと迎撃して、カゲツがセインズの元へ戻って来るまでほんの数瞬。
気を抜けば目の良さに自信のあるセインズですら見逃してしまいそうな圧倒的な早業。
単純な移動速度ならばまだしも、技を繰り出す速さに置いて間違いなく【決戦二十七士】最速と言える剣士がそこには在った。
「――ふむ、見たところ現在生き残っているのは君と、あとは敵の敵たる例の二人だけか……。一応確認するけど、アマンダ殿とオルド司教はもうお亡くなりになったと考えていいんだね?」
確認の言葉を投げかけながら、カゲツは素早く抜いた刀を振るってセインズの装備の各所、そこに浮かび上がる赤い核を切り捨てて、少年を取り押さえる拘束から開放する。
幸いだったのは、その拘束を施したアーシアが、セインズを取り押さえた後は自分の役目は終わりとばかりにその止めを配下の執事やメイドに任せ、自身は静の方へと視線を向けてそのままになっていたという点だ。
取り押さえられて周囲の様子をうかがえなかったセインズには何が起きているのかおぼろげにしかわからなかったが、どうやら向こうにも何らかの増援が割り込んで、その人物がアーシアの注意を引いているらしい。
だとすれば、アーシアが他に視線を向けている今この時が、セインズ達がこの場を離脱する最後のチャンスと見るべきか。
「――さて、どうしたものだろうセインズ君? 実のところこちらもそれなりの情報を持ってはいるのだが、なにぶんこの状況を理解するにはそれだけでは足りない。一応切り札や打開策の当てくらいは用意しているが、この状況で何処まで使えるかは未知数だ」
そんな言葉と共に、カゲツは自身のマントをどけて、抜いていた刀を鞘に収めながら、同時にもう一本の刀と、刀の差していない空の鞘を見せてくる。
否、厳密にはその表現は正確ではない。
腰から下げられた、白、赤、黒の三本連結した鞘に対して、今しがた収められた一本に加えてもう一本刀が収められている、と言うのが正解だ。
その正体を知るセインズにしてみれば、確かにこれは切り札になりうるとそう感じさせられるものではあったが、しかし現状ではどこまで役に立つかは未知数ともいえる。
少なくとも強力ではあるが、だからと言って状況に即しているとは言い難い。
やはりここは撤退するべきだろうと、セインズがそう結論を出しかけた、まさにその時。
『――撤退だ』
唐突に、セインズが口にするよりなお早く、そんな言葉が広い戦場全体に響き渡っていた。
「――潮時だな」
新たな武器が生成されると思った次の瞬間、しかし竜昇達の予想に反して、ルーシェウスの手の中にあったのは酷く小さい、小さな宝石のついたブローチのようなものだった。
あるいはそれは、竜昇達にはわからないだけで魔法的な手段で作られたマイクのようなものだったのかもしれない。
『――撤退だ。アーシア。これ以上この場でやり合っても効率が悪い』
「――なっ」
『――ハァ――!?』
拡大されて響いたその言葉に、眼の前でハイツが絶句して、同時に観客席の方から少女のものと思しき怒りの声が響いてくる。
そんな少女の声を代弁するように、この場投げかけられるのは酷く不機嫌そうなハイツの声。
「――どういうつもりだ、テメェ……」
「どうもこうもない。この場でこのまま戦えば、恐らく勝つことはできるだろうが、それでも無視できない危険が少なからず伴う。すでに目的は果たしている現状、我々の側にそこまでしてこの場で勝負を決することにこだわる理由はない」
ハイツにと言うよりも、マイク代わりのブローチでここにいない仲間に説明するようにそう言いながら、なにがしかの魔法を使ったのか、ルーシェウスは背後に向かって跳躍して、竜昇達から大きく距離をとる。
「――ッ、テメェッ、待ちやがれ――!!」
ハイツが叫ぶのとほぼ同時、ルーシェウスの足元に奇妙な魔法陣が現れて、その魔法陣ごと追撃から逃れるように宙へと浮き上がる。
見れば周囲でも、あのアーシアと言う少女やその配下の【影人】達に同じ事態が起こっていた。
魔法陣ごと浮き上がって、そして浮き上がった敵集団が次々に、まるでどこかに転送されるかのようにその魔法陣の上から消えていく。
「最後に一つだけ忠告しておこう、我らが必要に迫られ巻き込んだ、ただ運の悪かっただけのお前たちには……」
「――俺、達に……?」
上空から睥睨する状態で放たれたその言葉に、かろうじて意識を繋いでいた竜昇がなんとかそう反応する。
もはや身勝手な物言いに反論する体力すらないそんな状態で、それでも何とか、かろうじて。
「忠告だ。大方お前たちは、我らと対立する【決戦二十七士】とならば自分達に近い立ち場と踏んでいたのだろうが、単純に立場の近さでいうなら我らの方がまだしも近い。
そもそもお前たちとそこの戦士達とでは、戦う上での根本的な利害からして一致していないのだから」
「――な、にを……。どういう、意味だ……」
ぼやける視界で空中のルーシェウスを睨む竜昇に対し、しかし当の【神造人】はそれ以上何も言わずに、もう一人の仲間やその配下と共に虚空に消える。
まるでそれ以上、なにかを伝える義理などないと言わんばかりに。
あるいはそれを伝えたことすらも、ルーシェウスにとってはただのついでか気まぐれだったとでもいうかのように。
そして出血と痛みによって朦朧としていた竜昇の意識もまた。
「竜昇君――!!」
そうして薄れゆく最後の意識の中で、竜昇は自身の名を呼ぶ声と共にこちらへと駆け寄って来る三人の人影を視認する。
一番前を走って来るのは詩織だ。今の竜昇でも、酷く心配するような表情でこちらを見ているのがよくわかる。
その後ろから来るのは理香だろう。顔まではよく見えないがどうやら無事であったらしい。
だが三人目、詩織たち二人の後を付いてくる、もう一人のやけに小柄な影は誰だろう。
わからない。だがどこかで見たような気もする。
(――でも、一体、どこで……)
思いながら、いよいよ竜昇の意識が強烈な眠気と共に闇の中へと落ちていく。
多くの疑問と懸念を現実に残して、それらが意識からこぼれ落ちていくのを感じながら。
なにか糸を手繰り寄せるような、どこか覚えのある感覚だけを意識の端に微かに覚えながら。




